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2007年1月31日 (水)

ダイエットの基本

 あるある大事典の捏造問題は、世間の関心の高いダイエットと分野だったがために注目が多く、批判の度合いも大きいように思うところ。あるある大事典に限らず、以前のピーカンバディ、今放送されている番組のダイエットコーナー等々からネット上に氾濫するダイエット情報を見ると、その数は膨大である。

 今の世間の関心事といえば、ダイエットや健康に関連する事が一番なのかもしれない。それ故にダイエット産業は競争が熾烈であり、怪しいサプリ、番組情報、ネット情報が非常に沢山まみれている。

 でも、ダイエットっていうのは、金を掛けないと手に入れることが出来ないものではない。ダイエットの基本は、何時も言っているが、摂取エネルギー<消費エネルギーの状態を作り出すだけで得られるものである。
 人間の身体ってのは、長い年月を掛けて進化した機能の集合体であり、ダイエットの必要の無い身体ってのが、健康な身体であるのは間違い無い。

 この生物進化の原則と健康な身体の関係から、真実としてはっきり言える事は、人間という生物の持つ機能をしっかり使えば、健康な身体が手に入れられるという事であり、機能をしっかり使うということ自体は、煩わしいものではない。大体、機能というのは必要だから備わっているものであり、機能は個体を維持する上で使うのが必須である。必要の無い機能は無いのが進化した生物における大原則。逆説的に言えば、儲け主義でダイエット商売している人にとって、効果のあるダイエット法は提供したら商売が成り立たない訳であり、ダイエット商品自体が何のために存在するか?と考えると、全ての情報が真実とは限らないのが道理だ。

 そういう訳で、ダイエットを安く確実に行う事とは、身体機能をしっかり活用するということだ。和風カリスマダイエットオヤジ的に、身体機能をしっかり使うために心掛けた秘訣は、ただ一つであり、

食事は三食決まった時間に、良く噛んで味わいながら食べる。

(注:食材は栄養濃縮系補助食品ではNGで、普通の米、野菜、肉、魚といったものに限る。なぜなら、スナック、ゲル系食材は噛むという行為が疎かになるため。噛むという行為で、体内の栄養吸収の準備(ホルモン、酵素の分泌等々)が整う。)

→これによって、食べ過ぎる事が無くなった。その範囲で間食が欲しければ食べても、必要以上には欲しくなくなる。おやつを我慢しすぎるでなく、一日三食を良く噛んでしっかり食べる事さえ守れば、仮に間食するにしても量的に沢山食べられなくなる筈。

と言う事だ。なによりも肥満という状態は摂取過剰によってもたらされるものであり、摂取行為である食事という行為を人体機能を活用する事に留意して行うことが最初の第一歩である。それ以外の筋トレ、有酸素運動・・・・というのも効果を早めるには効果的だが、何よりも、大事なのは良く噛んで味わいながら食べるという事だ。一度に沢山の事が提案されたり、サプリの奨めがあったりするが、生活の基本である食生活のスタイルをまずは変化させてから、次のステップに進むというのが良いのでは無いだろうか?

 本来の身体機能を活用せず、偏った手法に頼る方法では、身体機能の平衡性は絶対維持出来ないし、最終的な効果を得る事は不可能である。そういう意味で、摂取行為の食行動から良く噛んでゆっくり食べるという事だけなら、誰でも簡単に始められるのでは無いだろうか?

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2007年1月30日 (火)

柳沢大臣の発言と教育論

 1/27の柳沢大臣の『女性が子供を産む機械』発言だが、これは安部内閣にとっても痛すぎるものだ。このような言葉が、つい出てくるという人の精神構造自体が異常であり、政策立案を担当する人として適切でないし、言ってみれば大馬鹿野郎である。大体、子供は一人で生めるものでは無いし、育てるのも一人で育てるものではない。家族というチームで、子供を産んで、育てて、維持するために働くのである。

 今、政治の世界でのネタは教育再生が声高々に叫ばれているが、どんな形を望んでいるのだろうか?教育ネタでは無いが、雇用の世界では20年前から女性の社会進出が進み、法的な整備を徐々に整ってきているが、本当にこれで良いのだろうか?
 出生率低下による人口増加が期待できないといって、社会進出した女性が安心して出産、育児できる制度(保育所、産休)を準備するというのが良いのだろうか?

 まぁ、偉い先生方が決めた事だから良いのかも知れないが、どうも違和感を感じるのが正直なところだ。

 教育再生で学校教育以降のカリキュラム、方針の議論ばかりが先行しているが、教育というのは、子供がこの世に生を受けた瞬間から始まるものでは無いのだろうか?子供の教育で最も重要なのは、まずは生まれてから三歳迄に善悪の判断と親との絆を作るというのが最重要では無いだろうか?(三つ子の魂百まで)別に子供を育てるのが母親の義務という訳ではないが、母親でも父親でも、どっちでも良いんで、最低でも子供が三歳になって物事を考えるようになる迄は、しっかりとそばで教えなければならないように思う。
 個人的には、共働きで育児は祖父母任せ、或いは保育所任せというのは、教育を行う前段階の人格形成土壌が旨く作れないのでは?というのが考えである。爺さん、婆さんというのは、子供を子供として見て居らず、孫としてしか見ていないように思う。その差については、ここで論じないが、絶対的に異なるものだ。

 家庭において一家を支えるのが、どちらが適任か?というのは家庭で判断すれば良いし、仮に母親が外で稼ぐことになるならば、父親が育児を通じて教育するというのが望ましいと思う。家庭において社会で稼ぐことも重要な仕事だが、家庭内において子供を育てる教育するというのも重要な仕事であり、優劣はつけることは出来ないもので、どちらも欠かすことが出来ないものだと思う。どちらも必要ならば、父親と母親が分担して行えば良いだけである。

 話がそれているかもしれないが、そうではなく、今の政策が見た目だけの教育再生、男女平等に囚われているように見えるということが言いたい訳である。

 教育再生に必要な意識は何か?男女平等というのは何か?これを真に考えた政策というのが感じられないのが個人的な感想だ。教育再生において必要なのは、親の子へのファーストコンタクトの重要性と、最初の接触から人格形成における育児という役割の大切さを大きな価値観として社会に与えることである。男女平等というのは、男女が担う仕事と役割に違いがあっても、その異なる仕事(役割)に優劣を付けないということでは無いだろうか?

 現代の雇用機会均等制度、産休制度、ゆとり教育制度ってのは、本音の部分では金を儲けて楽して暮らすぜ!ってのが本音であり、共働きの極致が昔でいうところの、Double Income No Sons であり、軽薄短小しっかり稼いで遊ぼうぜ!という姿である。結局は、楽して贅沢する、生活するという価値観に重きがおかれているのでは?と思う。

 この意見に対しての反論もあると思うが、共働きせんと生活出来ないというような反論があるかもしれないが、そうではなく、共働きをせんでも十分な稼ぎを得るために、社会に対してどう動けば良いか?を考えて稼げば済む(常識的に人が出来ない事が出来れば、絶対的に価値を生み出す力が優れていることだし、そうなれば高給取りにも為れる筈)ことである。少なくとも、共稼ぎで贅沢かつ楽して子育てというライフスタイルよりは、自身の場合は自分の稼ぎだけで時間も育児も稼ぎも自分の余暇も充実した形が得られているとは思うが、、。

 最終的な教育再生とは、大人になってから、遭遇するであろう不満を自身の考えによって解決しようとする能力を養うことであり、こういった能力が養われていれば、社会において価値を生み出す力を利用して稼ぎを増やしていける筈である。要は、教育再生だけの問題ではなく、社会のあり方、モラル、国の競争力、平等という価値観というモノは全てがカオス的に関連を持っているし、その関連性の本質を見抜く事が重要だ。

 女性の社会進出は大歓迎だ。出来れば、嫁が社会に出て、自分が育児に専念するってのに憧れる今日この頃。ただ、効率的な稼ぎという面から考えると、同じ能力で同じ努力をしても得られる結果に差があるのが実情だ。これに差が無くなれば、女性の社会進出も見掛けだけの結果に留まらないし、一人の稼ぎで家庭が成立するなら子供の教育再生に最も重要な準備教育(初期育児)が出来るだろうし、出生率、教育、モラルといった現代の抱える諸問題の多くが解決できるかもしれないなぁ。

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情報利用の判断

 報道ステーションでは、『あるある大事典』の納豆ダイエットデータ捏造問題の続報を取り上げてる。納豆に続き、レタス、みそ汁・・・・・と発覚中。
 テレビ、ネットにおける氾濫した情報っていうのは、発信側から受信側への一方通行の情報でもある。そして、これらの情報を盲目的に信用したり、否定したりするのが大衆の行動から見て取れる。

 このように氾濫する情報を如何に利用するか?この資質が個人に求められる時代である。氾濫する情報が全て正しいか?というと、その限りでは無い。只、正しくない情報といっても、情報の発信者自体の理解を超えた部分で悪意の無い間違いとなる場合もあれば、意図的に欺くための嘘の情報というのもある。
 そのような情報の精度自体は利用する側が判断して行動すれば、情報の真偽自体の責任追及の意見は度を過ぎないのでは無いだろうか?勿論、意図的に誤りのある情報を配信するのは良くないが、例えば、否定報道に盲目的に追従し、それに関わった人(好意的に様々なデータを開示した研究者等)全てを否定するのは、これまた過剰な反応であり、否定報道する側にも、報道によって大衆がどのように判断するかを考える思慮深さというのは必要だ。

 ところで、学問や勉学の世界では、本当に理解している状態と、人の考えを聞いた上で理解したと錯覚している状態がある。経験上、周囲に居る人を見回しても、前者の人ってのは極めて少ない。殆どが後者の状態である。他人の言葉の上辺を読むだけで理解したと錯覚した人っていうのは、類似の問題に対しては殆ど無力で自己判断することが出来ない。また、そのような人ほど、一見専門用語のような言葉さえも理解していると錯覚していて、実は全く判っていない場合が多い。それは、ここ最近の教育で育った人の殆どは、結果だけを求める点数評価で優劣を競う教育制度で育っており、上辺だけの理解しか出来ない人が極めて多いことに関係しているようにも思う。

 何が言いたいのか?というと、番組やネットの情報は発信者側には意図が有り、その意図を含めて情報というものが、一見判りやすいように発信されているのだが、利用する側には、情報に含まれている断片的な真理と組み合わせによって伝えられようとする意味の真意が何処にあるのか?を理解する域に達していないのが問題では無いか?ということだ。つまり、表面的な理解や、他人の言葉で理解したと錯覚している連中には、情報自体の作り手の意志に洗脳されやすく、自身での真偽の判断が出来ないのが問題では無いだろうか?

 今回も身の回りの奴の話を聞いていると、こいつは騙されやすいアホだなと思える奴もいたが、結局、人の言葉だけで自分が判ったような気になっているに過ぎない。

 これからの情報が氾濫する時代においては、そのソースを全否定するのも馬鹿だし、全肯定するのも愚かである。その中で自身の判断で利用する情報を選択する力が必要である。そして精度の高い情報の取捨選択においては、様々な知識と経験が必要である。この知識と経験を身に付けるべき時というのは、実は幼年期から社会に出るまでの教育を受ける期間である。
 しかし、このような考えも持つのも自分の成長過程で得た自身の人格によるものであり、それが絶対という訳ではない。色んな人格が存在し、それぞれに生き方が存在し、いろんな個性、人が居て、それが社会となる。

 身近な所には、私のような考えに憧れる人も居るようだが、それを真似ようとすること自体が不可能で、同じ事をしようとすれば、する程に不幸になる。
 寧ろ、各人が自身の生い立ちに自信を持ち、自分に素直に生きる事が本人にとって幸せだろう。氾濫する情報に翻弄されるも、誤った情報に怒るも自由だが、結局は情報の利用は自己判断によるものであるということを肝に銘じておきたいものである。結果的に判断を誤るってのも、最終的には自分の能力故の事であることを忘れてはならない。

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2007年1月29日 (月)

理想を求めて。

 自転車に限った事では無いんだが、こういう系統(単車も含めて)の道具ってのは、実に奥が深いと思う。特に、ぬかるみ(?)に嵌れば嵌る程に、今迄気付かなかったような事に気付き、新たなモノが見えてくる。新たなモノが見えると、それが発端で別の事が見えてきたり、今迄言葉に表せなかった事が確信を持って表せるようになったりする。不思議なモノだが、恐らくは最後の最後迄、常にモアベターを追い求めていく限りは、終着点には辿り着かないように思う。
 終着点の姿がどうか?は具体的に言う事は出来ないが、自分の価値観の中でモアベターを考え続けると、一定の方向性は定まってくるし、今現在の状態に対しても納得出来る。それは、今の状態が今迄の好奇心探求活動の結果である事なんで、今の状態を自分で受け入れる事が出来るという事でもある。

 逆に、今の時点を受け入れる事が出来ないような人も居るが、そんな人ってのは、その人自身が決めた方向性で物事に取り組んで来なかった事を表していると思う。

 昔は自転車に対しての知識も非常に大雑把であり、抽象的な捉え方をしていたが、振り返ってみると、その捉え方も歳を取って、様々な経験、知識を身に付ける程に変わってきている。大雑把な考えが、割と細かい部分に眼が行き届くようになり、その過程で、モノに対する拘りも出てくる。更には、その拘りの取捨選択、選んだモノの本質というか原理を突き詰めて考えていく事で、今迄気付かなかった事も見えてくる。

 そんな風に過去を振り返ってみると、これまで身に付けた知識や学問ってのは、結構役に立っている。後悔としては、大学時代でも、もう少し勉強していれば良かったなぁというのが本音である。考えてみると、小学生の知識と小学生の好奇心や理解力というのはシンクロしているし、中学世代の知識と好奇心や理解力、高校時代、大学時代のそれというのもシンクロしている。人間の成長とともに、知識と理解力は高度に発達するが、その発達した知識と理解力が在るがために、その世代(脳神経系ネットワークの発達度)に応じた好奇心や探求心が芽生えるものである。(ここで言う、知識や理解力は学力を意味しているのではなく、人間の成長に応じた脳の発達度を意味する。)

 そして最終的には、考え自体は非常に特化してシンプルな形に帰結していくように思う。

 特に、自転車や単車のように身体全身を使い操り、動力変換を行い操作する機械に対しては、そういう考えで接する事で、終わりのない探求活動が出来る楽しい趣味のように思うところだ。

 今更ながら、自転車に嵌っているが、それに対する考えも、モノ頼り→力ずく→技、という風に考え方が変わってきたと思うところ。勿論、モノ、力、技の全てが必要だが、一番影響度の高い要素というのは、情報として得にくいが『技』という部分である。
 そして『技』を理解するというのは、相手が機械である限りは、自然科学に対する理解力が必須であると感じる今日この頃である。勿論、理屈ばかりでは駄目で、それに集中して感じるという行動あっての話であるが、そんな接し方で自転車や単車に乗ると、何時もが新鮮さに溢れているように思う。

 人が進む方向性は嗜好次第だが、その嗜好を満たすなりに自分で考えを持ち進んでいくのは、趣味が違っても、同じ単車趣味で嗜好が違っても、同じような志向性ならば話が合うものだ。少なくとも、脳神経系ネットワークの発達度が実年齢に対して幼稚な人とは考えが合わない。

 昨日はショップでの自転車談義で盛り上がったが、こういう考えを根底を持つ人とは、話が合うし面白い。

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秘訣

 ありきたりだが、ダイエットにしろ、スポーツ、趣味、勉強、仕事にしろ、目標を成し遂げる秘訣は何だろうか?

 これは最終的には、意志(欲求)に集約されるのでは無いだろうか?

 そして、今現在の姿や形というのが各人にとっての、これまでの意志(欲求)の結果であるというのは当然といえば当然である。

 例えば、仕事が出来るように頭がよくなりたい!という人が居るが、そんな奴の考え方を紐解くと、苦労してでも頭が良くなりたいという欲求と、なるべく楽したいという欲求を比較すると、結果的に後者の欲求に従ったが故の現在でもあり、現在の姿というのは、本人の過去の欲求の結果でもある。
 ダイエットにおける悩みを抱えるデブにしても、食いたいという欲求と痩せたいという願望を比較して、前者の食いたい欲求が勝ったがための今の姿であり、結局は本人の欲求に従った姿を得ているだけでもある。

 今の段階のありのままの姿っていうのは、本人にとっての欲求を反映した形であるというのが大原則では無いだろうか?

 そう考えると、無いものねだり的な変身願望というのは、本人にとっての欲求対象、優先順位が本質的に変化しない限りは、本人の容姿や能力に変化がもたらされるというのは有り得ない話だとも考えられる。

 人間の行動と自然界の現象で例える事自体無理があるかもしれないが、自然界のものの動きってのは、例えば熱の移動なら温度の高い方から低い方へ、モノの移動でも高い方から低い方へ、といった移動を行い、結果、一様化される方向に乱雑な状態になっていくという原則があるが、人間の行動においても規律を失う怠惰な方向、楽な方向、本能に近い行動の選択という風に流れていくものである。
 そのようなポテンシャルの低い状態に移行しようとする性質に反して、逆の方向に向かう精神性を維持するってのは、本能的欲求に勝る願望と、それを具現化したい意志というモノがとても重要となってくる。

 そういう拘りというか夢が無い限りは、人は変われないように思うところだ。

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2007年1月28日 (日)

スポーツ自転車愛好家?のマナー

 別に全てのロード乗りを指している訳ではないが、今日の早朝サイクリングでは、往路、復路で、合計3台のロード乗りを一般道エリアで見た。乗っているバイクはスペシャ、アンカー、TREKだったかと思う。装備はヘルメットは当然、それ用のウェア類に身を包み、体型的にも、そこそこ乗れる人達だと思うところ。年齢的には20代後半から40代くらい迄の方々だ。

 勝手な想像だが、愛読雑誌はスポーツ自転車系の雑誌であり、最近話題の改正道交法試案に対しては反対のスタンスを採っているのでは?と思えるような人である。

 そんなロード乗りの人と片側二車線の対向車線側ですれ違ったのだが、残念ながら全員信号無視しやがった。いくらビンディングペダルで足を付きたくないって言っても、そんな常識的な交通道徳(実際は規則)さえ守れないんだったら、やっぱりスポーツ自転車と言っても車道を自動車と同じように走る資格は無いのでは?というのが素直な感想だ。

 勿論、歩道部分では学生が携帯操作しながら乗っている様子や、並進しているママチャリも居るが、どっちもどっちで、一方が他方を避難する資格さえないのでは?というのが素直な感想である。

 最終的にはマナーと自覚の問題だが、どういう立場であっても自分の事を棚に上げた批評や要求しても、説得力無いなぁというのが素直な感想だ。

 教育再生のネタを番組で取り上げていたが、親が悪い、子供が悪い、先生が悪いと色んな議論があるようだが、色々な価値観、道徳観が集まったのが今の社会であり、それを当然と受け入れた上での対策が望まれるが、議論の殆どは対立関係を作り出し煽るだけ。

 要は、今の社会を形成している価値観、道徳観故の教育問題であり、交通モラルの問題である。こういう社会を律するには、或る程度、強引な権力の発動が必要かもしれない気がする。住みにくい社会になっても、住みにくさの原因が制約の多さによるものの方が、崩壊したモラルでリスクを抱える怖さよりはマシかなぁと思うところだ。

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2007年1月27日 (土)

和風カリスマダイエットオヤジ!?

 最近はブログのアクセス数も増加気味、それに合わせてTBも増加気味。
 でも、ダイエット目的の商品斡旋のTBは少々疲れる。

 大体、サプリ否定論者で、○○日で××kgダイエットとか、外科的療法による強制除肉とか、偏食系、絶食系ダイエットは否定しているんで、そういう情報が来ても、、、、、、何とも、困ってしまうってのが正直なところ。
 はっきり言って、安直勧誘系ダイエットってのは、『あるある』納豆ネタ以下の情報だと思ってるし、ダイエットが目的ではなく筋力強化主義なんで、随意的筋トレしか方法は無いと思ってる。

 なんといっても、本ブログのコンセプトは運動奨励で、運動する理由を自分の中で決める事でモチベーションを保とう!ってのがコンセプトである。

 これからは、商品斡旋系TBは、ビシバシ削除するつもり。今日は、韓流カリスマダイエット主婦のTBを公開したが、彼女の持ち上げ方はともかく、しっかり運動して健康を保つってのは、その通り。

 でも、自分の場合は、食事制限無し、単純に運動だけで、現実として二ヶ月で20kg以上減量(それも体脂肪率で-20%、筋力は強化)して、完全にメタボリックシンドロームを改善し、その後の一年以上に渡りリバウンドすら無いんだから、チョン・ダヨンさんの5年で20kgよりカリスマ?だと思うんだが、、、、。 言ってみれば、

    和風カリスマダイエットオヤジ

とでも言おうか、、、。でも、こんなフレーズでは食いつきが悪いんだろうなぁ、、、。実際、減量のための特別なモノを買った訳でもないし、その辺に転がっているモノしか利用してない訳で、誰も儲からないから紹介もされないということか?

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パブリックコメント

通常国会が召集されたが、そこで成立を目指す法案で気になるのは、格差是正、国民投票法・・・ではなく、実は、

 改正道路交通法試案における、自転車の歩道通行許可化

である!と言いたいところだが、実は、

 道路運送車両法施行規則等関係規則(自動車騒音関係)の一部改正

なのである。何れもパブリックコメントを受け付けている。

 前者の歩道通行許可化ってのは、将来における車道通行禁止への布石となると論じられている論調もあるが、基本的には、日本における自転車=ママチャリ、通学通勤車が大多数であり、その使われ方を見ると、一概に試案を否定するのも難しいというのが正直な感想。自分自身もスポーツサイクル好きだが、考えてみればスポーツサイクル=競技車両な訳であり、速度が出る?出せる?から車道を激走して良いか?というと否定せざるを得ない訳であり、寧ろ、車道通行が前提で事故が多発した場合に、スポーツ自転車が公道等で使う事が出来ない法令が定まる方が嫌なくらい。

 しかし、後者の騒音関係では、当初、使用過程車に遡る騒音規制の適合が謳われていた時は、我が家のマシンもこれまでか、、、と本気で心配していた。まぁ、今回は使用過程車への適合が見送られる事になったので一安心だが、一方で軽車両への車検制度導入も検討されていたりするんで、安心は出来ない。仮に、遡って適用されたりすると、殆どすべての旧車はゴミ同然となる筈だった訳で、旧車を選択的に乗って爆音を撒き散らす人が増えない事を祈るばかりである。

 何れの試案でも、一方の立場に立つと権利を主張し気味になり、反対の論調となる傾向が強いが、そういう試案が出るという事は、少なくとも、現状を問題視する実情が在る訳であり、権利を主張する前に、義務を果たしていないのが原因とも受け取れる。
 単車でも自転車でも邪魔者扱い気味に成されているのは、大きな意味でユーザー全体が社会に対する義務を果たしていないと見なされている結果であり、それも仕方ないものだ。

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最近思う事。健康管理を行う訳は、、、。

 気が付けば、人生も半分は過ぎてしまった。不老不死は願っても叶うものではない。時間は刻々と過ぎていくものである。今までを振り返ると、結構、適当かつ、いい加減に過ごしてきている気もする。そんな中で、何が楽しいか?って考えると、勉強では無いし、仕事でも無い。楽しい事っていえば、遊ぶ事である。不真面目であるが、自分が楽しく遊べる事を持っているってのが一番の幸福かなぁ?なんて考えたりする。そして、それが趣味であり、趣味を持つって事がが一番大切な事かなぁ?とも思う。

 間違っても、仕事が趣味とはならない。仕事や勉強をネタに楽しむ事は出来ても、趣味に対する気持ちを上回ることは絶対に無い。

 そんな訳で、これからも、これ迄同様に趣味で遊んで過ごしたいものである。しかし、人は歳を重ねるに従って、生活基盤の変化、仕事、体力、老化・・・の変化によって、同じ様に遊べなくなる例も少なくない。
 趣味との接し方というのは、成長期における知識の習得、身体の成長によって人それぞれに決まってくる。その人なりの趣味への考え方と接し方というのは、おおよそ二十歳くらいで決まってくる。今の平均寿命が80歳とすれば、価値観というものが形成されて死ぬ迄の時間は60年程あるんだが、その60年を目一杯遊んで暮らせるってのは案外難しいものである。世間一般の高齢者?を見ると60歳くらいで物理的な身体機能はかなり衰退しているんで、現実的には60年というより40年か?ただ、この期間をどういう風に過ごそうが、物理的に60年(40年)という時間自体は平等に与えられているのも事実である。

 60年(40年)という時間の過ごし方は様々だが、遊び第一で過ごすためには、遊ぶための財を成すための生産性が高くないと遊ぶ時間が無くなる。生活習慣の変化や老化?に身を任せると、下手すれば40歳くらいで物理的に遊べる身体を失ってしまう。趣味であるからには、接し方が常に進化するから面白いのであって、単純に好きというだけで、その世界に対する知見に進歩がなければ、趣味の深化は味わえない。つまり、趣味に奥深さを与え続けるためには、その分野に関する理解力が無いと、これまた楽しめない。

 自分の趣味は単車(最近は自転車も)だが、今の価値観が形成されたのが二十歳の頃だ。様々な要因で不健康な生活を続けていたとすれば、案外、今の時点で単車が楽しめない身体になっていたかもしれない。でも、コンディションを確保して興味を失わない考えが維持できれば、最低でも、あと20年(60歳迄の)は楽しめそう。自転車についても同じだ。
 これまでの20年は結構お気楽に過ごしてきたけど、趣味が今と同じ価値観で楽しめる期間でいうと、今は折り返し地点である。或る意味人生の後半戦に突入だが、今まで同様に遊んで暮らしたいものである。

 そのために、怠惰に身を任せた身体機能の喪失は避けたいところ。生活環境の変化に伴う拘束条件の緩和のためには、なるべく高効率で仕事等は片付けたいところだ。更には、趣味を深化させるためには、必要な知識は更に身に付けていきたいとも思う。このような方向で活動するときは、なるべく無駄なく効率よく物事を進めたいんで、健康管理についても内容を良く吟味して過ごしたいし、仕事や学問の世界で出会う知識ってのは趣味の世界でも活用できるような連想や発想を育みたいものだ。また、生活に追われるような稼ぎ方ではなく、趣味のための知識を仕入れるために仕事をして、それによる生産性が最大となるような誰も思い付かない事(人が避けたがるような難題)で、短期集中的効果最大を目的に動いていきたいところだ。

 コンセプトは死ぬまで楽しく遊んで暮らす!ってこと。・・・・不真面目だなぁ、、、、。

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身体が浮きにくい

 今日、プールでの水泳終了段階のクールダウン時に流していたのだが、力を抜いたら沈んでいくのに、ふと気が付いた。
 そして、帰宅後、筋トレを終わり風呂の中で手足を伸ばしたり、湯船に潜ったりしたら、やっぱり身体が浮かずに沈んでしまう。

 人間の身体ってのは、水よりも重いんだ!昔の意識ではプカプカと浮かんでいたような記憶があるんだが、今は沈む。確かに、脂肪は水より軽く、筋肉は重いんだから当然といえば当然だが、身体は水に浮くモノであるという常識は必ずしも真では無いんだなぁ、、、。

 また、今日は、SCでの筋トレでも筋力が強化されていたのが、明らかに実感できた。フリーウエイトでのベンチといえば通常で100kg、取り敢えず持ち上げるってなら110kg位が限界だったが、今日の感想は120kgが軽く感じた。自分自身ビックリしたところである。

脂肪が落ちて筋肉が増えたのが、実際に負荷を感じる重さが増えたことからも、泳いで身体が沈んでいくことからも伺えた一日だった。

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2007年1月26日 (金)

筋肉作りのベストは?

 ダイエットに有効なのは、有酸素運動と代謝の絶対量に大きく左右する筋肉の増量である。この内、有酸素運動っていうのは、持続的な運動をすれば運動自体による脂肪燃焼ということで効果は直接的なモノだが、筋肉の増量による代謝の増大を望むという手段は、ダイエット効果を得るには二次的な効果を期待するものであり、筋肉を増やすという数値的には体重が増える方向の調整が必要である。

 筋肉を増やす(鍛える)というと、筋肉痛を伴った運動による超回復によって、、、、というのが一般的に言われているが、効率的に筋肉を強化するには、どんな生活が望ましいのだろうか?自分が行っている運動生活の理由を少し紹介しようと思う。

 筋肉の強化というのは、運動によって受ける微視的な損傷を修復する過程で筋肉タンパク質の合成によって行われている。結局は、タンパク質が合成されることで筋肉を得る訳であり、合成するという化学反応が必須である。そして、その反応を促すのが成長ホルモンである。そして、成長ホルモンの分泌は常に行われている訳でなく、生長ホルモンの分泌は運動後と睡眠中ということである。特に、睡眠後の30分ほどの深い眠りの間がホルモン分泌量が最大となり、そらから3時間程が最も筋肉が生成される時間帯でもある。
 ということで、効果的な筋肉強化ってのは、運動前にタンパク質を中心とした食生活を行い、その後にアップ目的の有酸素運動を行った後に、筋肉強化のトレーニングを行い、軽いマッサージの後に直ぐ寝るというスタイルが良い訳である。

 こういうライフスタイルは案外、サラリーマン向けでもある。帰宅してから、タンパク質主体の食事を取り、運動してから寝るという感じだ。

 今の体重の変化、体型の変化は前にも述べたが、すこし早すぎるか?とも思うが、効果の現れ方ってのも、個人差以上に、効果最大となる方法による差ってのもあるのかもしれない。

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2007年1月25日 (木)

嘘だらけの世の中

 今日のニュースは、姉歯建築士の建築偽装に似たもので、別の建築士による建築耐震強度偽装が発覚したところ、、、、。やっぱり!としか言いようがない。そんなもんである。殆どが嘘で塗り固めているのでは?ということだ。
 でも、そんな嘘や虚構、偽装、偽造が為されるってのは、これは或る意味、仕方ない現象でもある。

 そんな事を書いたら被害者の方には申し訳ないが、人間、誰しも人から良く思われたいという本能的な習性があるのも事実であるが、何故、金が絡むと嘘で塗り固める事が起きるか?ということを考えると、結局は買い手(需要側)が無理な要求をするからであり、買い手側の目が肥えていない(見た目、スペックだけで判断)ためでもある。
 このような買い手側の目と無理難題、売り手側のジレンマによって生まれる嘘というのも実に多いように思う。物の価値ってのは、本来、時代性や流行によって左右されるモノではない筈だが、バブル以降の価値観において、モノの価値以上の価格が付いたり、価値から見ると捨て値同然の価格が罷り通ったりしているが、結局、判断する側が価格の額面だけでしかモノを見る事が出来ないからでもある。

 結局、このような歪んだ価値観が当然とされる社会になった理由ってのは、昨今の社会の抱える問題と深い関係があるのも事実である。

 今の政治の世界を見ると、社会に問題が有る事に気がつき始めているものの、それを解決するための具体的な策が見付ける事が出来ない。そんな状態に陥った閉塞感ばかりを感じることが出来る。

 日本という国を見ると、戦後復興から近代化迄を駆け足で実現してきたものの、真に必要な価値観形成という部分が立ち後れており、衰退の段階に入っているように思う。生物、種族、国のサイクルから考えると、日本という国は、今後、現存する膿を出す過程に入っているのでは無いだろうか?淘汰されるべきものが淘汰され、生き残るに相応しい価値観を持ったモノ(人にしろ、産業にしろ)が抽出される時代に入っているように思うところだ。
 格差是正が叫ばれているが、格差拡大と淘汰という形が加速して行くのではないだろうか?それこそが、自然の摂理かもしれない。

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自転車で歩道で、、、、。

 もうすぐ、例の改正道路交通法試案に対するパブリックコメント受付の締め切りである。

 そんな事はどうでも良いが、最近起こった事件で思う事。その事件は、マンガ学部?在籍の大学生が歩道内における自転車同士のトラブルが発展して命を落とす事件だ。

 この事件がどのように起こったのか知らないが、狭い歩道の中で、対向?並進?等々の自転車同士の干渉が原因と言われている。
 狭い歩道への自転車の押し込みってのは、ユーザーの人間性がまともでない場合は、こんな事件も起こしてしまうのか!ということ。まぁ、モラル、社会性という面から見ると、老若男女の区別なく、歩行者から自家用車迄、あんまり褒められる世の中では無いというのが正直な感想。今の風潮というか社会では、どんな法律を作っても、トラブルは絶えないし、事故が減ることは無さそう。

 社会の問題と教育の問題を相関させる論調と、その原因をゆとり教育制度の失敗に結びつける意見も聞くが、解決する具体案というのが見えてこない。

 自転車に纏わる法律がどうなっても構わないが、少なくとも社会が決められたルールを守って行動することが当然という風潮になって貰いたいものだ。そういう風潮ができるような、社会の構成員である個人への教育が必要だろうなぁ。

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お奨めサーキット風トレーニング

 筋力トレーニングでも少し軽めの負荷を回数行う運動ってのは、故障を招きにくい。そして、負荷を掛ける場所を少しずつ変えながら連続的に運動するのが効果的であるというおのが、サーキットトレーニングの売り文句である。

 最初は、レッグカール、スクワット、腹筋、背筋、ベンチプレスを組み合わせてセットを作りセットを繰り返していたのだが、メニューによっては体温が下がり気味となる運動もあるし、一定以上の負荷を与えようとすると1セットの時間が長大化してしまうこともある。

 という訳で、現在はスクワットとベンチプレスのみを交互に行っている。腹筋、背筋という運動は、セットの前後の別の時間帯に行うだけである。腹筋等では身体に掛かる負荷が小さすぎるので、リズミカルな運動の合間に入れると体温変化が大きくなるのが気になるところであった。
 そんな訳でシンプルにスクワットとベンチを各100回と50回を1セットとしてリズミカルに連続して行っている。入浴前にこれを10~12セット連続してやるんだが、時間にして1時間弱がアッという間に過ぎる。最初は力を入れるにも時間が掛かっているのが、セット数を重ねると体温が上がり、汗も良い具合に出て、同じ負荷と回数ながら相当にリズミカルにこなすことができる。

 ここで気が付いた事といえば、サイクルを刻む運動の組合せセットに組み込む運動だが、運動強度に差異の少ないものを集める方が効果的かな?という印象だ。(個人的な感想であり、運動継続時における体温低下で風邪を引いたりしないし、、)更に、回数を繰り返すと数が判らなくなるんで、シンプルに2~3種類程度の運動の組合せが混乱せずに良い感じである。

 この運動を取り入れてもうすぐ1ヶ月になるが、順調に体重が増加傾向である。胸囲、脹ら脛、太股も大きくなっているし、体脂肪率も減少気味だ。昨年末迄は体重が微減傾向だったが、漸く、微増傾向に変化した。筋力強化のやり方が理に適いだしたのだろうと思う。(只今、胸囲110cm、太股61cm、脹ら脛41cm

 この上腕部、胸部、大腿部、脹ら脛部の強化は日々の昼ポタでのペダリングイメージの完成のために行っている。イイ感じだ。

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韓流カリスマダイエットって、、、?

 今日の昼休みに目に付いたニュース、、、、韓流カリスマダイエット主婦が何々を言ったとか、言わなかったとか。ニュースソースで気に掛かった文言といえば、

1.韓流って、、、普通に大韓民国の人のって話なら、流って言葉は使わないだろうから、韓国独自文化や思想に基づいた考え方でもあるのかな???

2.カリスマって、、、これは日本のマスコミが言い始めたところのカリスマ店員、カリスマ主婦といった一時モノの修飾か??

ということもあるんだが、そのチョン・ダヨンさんのコメントが、『私はバランスを大事にして、運動管理と食事管理で減量に成功したが、あるあるのような食事管理主体や特定の食材利用による方法ではバランスを崩すから駄目と一刀両断』といったモノだが、これってカリスマ?韓流?というのが正直な感想。内容的には普遍的な解答であり、世界中の普通の人の普通の意見にしか過ぎないんだが。誰がどう考えても、ごく普通の事をおっしゃってる。ニュースにさえならないだろうに、、、。でも、こんな常識的なコメントがニュースとして扱われとしたら、ニュースの配信先である日本人ってのは、頭の中はどうなってるの?ってのが素直な感想。せめて、韓流カリスマ・・・ってくらいなら、キムチ風呂に1時間入るとかなら、なるほど!韓流だと思わせるけど、普通に食って、運動してってことなら、全世界共通流だろ。(まぁ、チョン・ダヨンさんのサイト自体は普通の事が普通に書いてあるんだが、それをネタにニュース配信するマスコミがイタイ。)

 剰りにもくだらない記事というか、こんな内容が記事として扱われる社会というか、、、。

 まぁ、『あるある』への苦情が1万件を越えたとか、、、そんな苦情を言うような奴がそんなにも居るなんて、、、情けなさ過ぎで、イタ過ぎ。自分で判断してやったんだったら文句なんて出ないと思うが、、、。

 それにしても皆さんは、何故理に適った当然の方法をしないのだろうか?それが不思議である。太るか?痩せるか?単純にエネルギーの摂取量と消費量の収支のみによって決まるだけ。消費量を増やすためには、消費と一意的な相関を持つ運動量を増加させることか、消費効率(代謝)を上げる事しか無い。結局、運動を持続して、効率を高める筋肉を増量するしか無いんだが、、、。それ以外に方法があると思う精神構造自体が変だ。
 バカがよく言う言葉で、○○効率が高まるとか言ってるけど、効率は効率であって量ではないんだから、結局、効果量にしたって、効率を乗じる相手の物理量に連動している訳で、量(ダイエットの場合は運動量)を変えないと意味無い。

 ところで、テレビでの報道について、最もらしい遺憾の意やコメントが寄せられているが、マスコミの報道って多かれ少なかれ脚色要素が含まれたり、虚偽の内容があるのが普通では無いのか?車のクレーム問題でも然りでは無いのか?談合問題なんて99%抱えているのは皆知ってるんでは?不二家の衛生管理にしても、突然に色んな菓子販売業界から管理不行き届きの報告が上がっている様子から見ると、いつもは、その適当にいい加減な状態がデフォになってるんだろ!としか思えない。

 まぁ、適当に誤魔化しあからさまな迷惑が掛からない範囲で、適当に動いているのが社会ではあるんだが、その適当の度合いが酷すぎる状態になると社会も崩壊する。秩序を保つ力ってのが、法体系と遵法性、モラルだが、モラルと遵法意識が薄くなる程、嘘の部分が増えてくるんだろうなぁ。
 そう言う社会で正しい判断が出来るようになるには、やっぱり物事を正確に分析できる眼ということになるのだろうか?逆に、そういう眼を皆が備えていれば、誤った報道は誤ったモノであると判断するだろうし(文句の電話なんか掛けないだろう。)、当たり前過ぎるコメントがニュースになんかならないだろうなぁ。

 以上が、今回の『あるある』へのクレームの多さって記事と、韓流カリスマダイエット主婦のコメントの記事を見て思った事だ。要は、こんなネタが記事になる世の中って何だ?ってことだ。

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教育行政

 昨今、ゆとり教育の見直し、いじめ問題、多発する犯罪、モラル低下・・・といった話題を各種ニュースソースでよく聞くようになった。
 ニュースで聞く内容といえば、人間の自己確立の意識の平衡性が保てなくなった終末的な状態による現象が生じてから初めて記事にされるものであるが、終末的な状況(事故、事件等)一歩手前の予備軍状態というのは極めて多く存在しているのでは無いだろうか?
 意識の平衡性が維持出来ない事=自己管理が出来ない状態であり、何故、自己管理が出来ないか?を考えると、その本質は『恐れ(不安)』という感情では無いだろうか?

 人間、誰しも恐れという感情を有しているが、恐れる対象ってのは、先が読めない事、考えても判らない事ってのが根底の対象になっていると思う。仮に、日常生活において遭遇する様々な事が理解できなければ、全てに対し恐れと不安を抱き生きていかなければならないのでは無いだろうか?逆に、信念を持っていれば、恐れることは無いようにも思える。信念とは、自身の恐れへの対処への自信であり、信念を持ち続けるための必須事項は、知識と知識を組合せ問題を解く論法では無いだろうか?

 社会においては、各人が遭遇する事態に模範解答というのは殆ど無いし、誰も教えてくれるものでは無い。ただ、家庭における教育、学校教育課程において、好奇心、探求心を備え、各分野における事象の歴史や真実を理解し、問題を解決するための手法を身に付ける訓練をしていれば、社会において遭遇する様々な問題(対人関係、趣味、仕事・・)に対しても自己破綻することなく取り組めるんだと思う。

 しかし、今の社会においては、そういう事が出来る人ってのは極めて少ないと思う。自分の身の回りだけかもしれないが、言葉は悪いが、稚拙で、無知で、救いようの無い奴が多い。最近は善悪の判断さえも自分で判らない奴も居る。更には、自分の行為が社会のモラルに反するかどうか?も自分では判らない奴さえも居る。聴けば、仕方ないなと思わせる生い立ちではあるが、そんな人が増える程に、モラルが崩壊し、犯罪が増加していくんだと思う。

 政治における教育再生を旗印に掲げるのは良いことだと思うが、再生会議のメンバー、教育現場の指導員、企業における管理職以上の人間でさえ、教育=押し付け、詰め込みと考えているように思う。まぁ、それは或る意味優しいがためなのかも、、、自分なんかは、社会で遭遇する人を見たり話したりした上で、『こいつは終わってる・・・』と或る意味、自分の心の中で死刑宣告というか、死亡診断書を書いてしまう。

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2007年1月24日 (水)

Wiiでダイエット、特異なコントローラのお陰

 表題の効果があるらしい事は、少し前のネットニュースで見掛けたニュースだ。
 因みに、ソフトとしてはWiiスポーツというパッケージを使用するらしい。

 まぁ、或る程度は予想された内容とはいえ、Wiiのコントローラの特徴を端的に表すニュースである。
 案外、コントローラ自体を握るという保持ではなく、腰に付ける等の使用方法が提案されて、モロにダイエット運動をさせるようなソフトが生まれるかも知れない。(既に在るのかも、、、)このコントローラーは使い方が幅広く結構な可能性を秘めているような気がする。

 現時点で購入したいとは思わないが、DSの時のように、偶然店の前に陳列されて購入可能な状態だとすれば、購入しても良いかなぁと思う一品である。
 スーパーファミコン以来、影の薄い任天堂だったが、DS、Wiiと業界をリードしている。別段理由は無いが、元気な任天堂を見ると嬉しく感じるところだ。
 因みに、DSは娘のオシャレ魔女ラブ&ベリー用マシンと化している。

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自己判断力

 あるある大事典の納豆騒動(テレビの情報を盲信した視聴者のクレーム騒動)に限らず、現代は雑多な情報で溢れた世の中である。この溢れる情報全てが真実であるとは限らず、精度、真偽、正誤の区別無しに存在している。
 人が人生を全うする中では、様々な判断が求められる。判断する場面は、学業、趣味、遊び、生活・・・・ありとあらゆる場面に存在している。

 判断するのは簡単だが、正しい判断を行うというのが難しいものである。しかし、人は最終的には自分の行動を自分の意志で決定して未来に進んでいかなければならない。その未来が良いものになるかどうかは、判断が正しいかどうかに関わっているといっても過言ではない。

 正しい判断をするには、正しい判断材料つまりは知識が必須であり、知識を組み合わせて判断することの手助けとなる論法が必要だ。そのような正しい判断力を養わせるのが教育(家庭、学校)の意味では無いだろうか?

 要は、人が生きていく上で必要な生きる力を身に付けるのが教育であり、人間社会における生きる力というのは、極論かもしれないが、遭遇する様々な事態に対応できる判断力と言っても過言ではない。
 ここで判断の時とは、自身が次ぎに取るべき道を選ぶ時ということである。つまりは、個人にとって未知の領域に一歩を踏み出す時に選ぶ道を決めることである。

 余談になるが、この方向性を作り出す力が好奇心であり、その方向を決める力が判断力である。この好奇心と判断力こそが最も重要な力である。そして、進む方向によって成果を得るには、方向性が誤っていては駄目な訳で、目的を得るには、既知の事実(歴史、知識)と、未知の洞察(論理的な展開法)が不可欠である。

 今の情報の氾濫した時代においては、氾濫する情報の取捨選択を利用する側が自己責任で行うべきであり、そのために、自己判断できる力を養うことが最も重要である。

 教育制度においては、そのような自己判断が出来るような子供を育てるのが第一だと思う。子供に授ける力は、家庭と学校では別個のものであり、本能に近い本質的な部分(好奇心、探求心、善悪)というのは家庭が担い、それらの本質的能力を実社会に出る前段階のトライアルを行うフィールドが各種学校であり、科目であると思う。

 個人的な意見だが、すべてを外部の責任に転嫁する言葉を吐く人間は、この本文の価値観に従えば、有り得ない存在である。『~が言ったから』『~に書いてあるから』・・・そんな言葉を吐くくらいなら最初からしなければよいと思うところ。

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筋肉痛

 筋トレという言葉は聞き慣れているが、そこでは半ば当然のように筋肉痛がセットという認識を今まで持っていた。

 ところで、筋肉痛を調べると原因では2種類に分別されるようである。
・一つは、筋疲労によるもので、激しい筋収縮によって、筋肉への酸素供給が間に合わなくなり、ブドウ糖の不完全燃焼での燃えかすとしての乳酸が残り、筋肉中に蓄積することで感じる痛みである。
・もう一つは、筋損傷によるもので、日常で使わない筋肉を使う事で筋繊維の損傷を招き炎症を起こして感じる痛みである。

筋肉痛とは異なり故障痛といって、漸進的に負荷を掛けずに、急激な負荷を掛け続けることで生じるものもあるが、普通に言われている筋トレ時に感じる筋肉痛とは別個のものらしい。急激な痛みの場合は、筋肉断裂を招いている場合もあるらしい。こういう痛みに喜びを感じては駄目なそうだ。

筋トレ等で感じる筋肉痛とは、数時間あるいは数日後におこる場合の事で、遅発性筋肉痛というものだそうだ。この原因自体は、微視的な結合組織の損傷や代謝の副産物の影響と言われており、その原因自体が前述の筋疲労原因、筋損傷原因に分類されている。どっちの筋肉痛が起こるか?は、トレーニングの違い(低回数 × 高重量のトレーニングを実施した場合と、高回数 × 低重量のトレーニングを実施した場合)によるものらしい。

注意するのは、超回復を狙いオーバーロードとなり故障痛に陥ることだ。筋肉強化には適度な筋肉痛も必要だとされるが、筋肉痛がなければ強化出来ない訳でもないそうだ。筋肉痛が起こらない程度の負荷を漸進的に増やして行く方が運動が長続きするという説もある。

 まぁ、日常生活に支障が無い程度の疲労感のみで継続したトレーニングを続けるれる方が、オヤジ的ライフスタイルには都合が良いのかもしれない。特にダイエット目的の筋トレならば、継続性重視であり、疲労感の少ない軽負荷高回数のトレーニングを習慣付けることが良いのかもしれない。

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2007年1月23日 (火)

ゆとり教育は悪いのか?

 昨日もテレビ(TVタックル)で教育論についての討論番組があった。ゆとり教育が良いとか悪いとか、詰め込み教育が必要とか不要とか、、、、
 その中では、いじめ問題、教育行政の問題、教師の質の問題等々である。

 有識者が集まり、いろんな意見が飛び交っていたが、どうもピンとこない。現在の教育指導要綱がどうなっているのか?は知らないけど、授業時間数、内容のみの多少は問題の本質とは関係ないような気がするなぁ。

 教育ってのは非常に難しい問題だが、少なくとも人格形成は親が行うべきであり、人格形成された子供が年代に応じたトライアルを行う場が学校であり、テストフィールドを与えるのが教師の役割だと思うところだ。

 受験戦争の弊害ってのは、親が教師の領域に立ち入り、親の行うべき人格形成教育を放棄しているのが一番の原因のように思う。
 最近は習い事の低年齢化、受験の低年齢化が進んでいるが、親が子供に期待しすぎるのが原因では無いだろうか?
 塾講師経験での父兄懇談等で良く聞いたのは、『良い学校、会社にはいるため』『ダメ旦那のようにならないようにするたため』とか言う人程、自身が持っていないモノを子供に求める傾向が強いことだ。逆に親の経歴に問わず、自分の持っている(経験して得た)事のみを子供に伝えようとする親は、表面的な点数主義に走らず、人格形成に力点を置いた子供との接し方をしていた。
 コンプレックスを感じて成長した現世代の親程、子供に自分が出来なかった事をやらそうとする傾向が強い。

 家庭における教育というのが教育崩壊を立て直させる唯一の方法のように思う。子供の成長に応じた、好奇心を持つ心を養わせ、社会性を身に付けさせる事。これが一番重要では無いだろうか?学校という子供の社会では、家庭で身に付いた探求活動、社会性を実践するためのフィールドであるべきというのが持論であり、そのフィールド自体を縮小させるという意味では、過去の授業時間数、内容を削減してきた政策というのは間違いだったと思うところ。ゆとり教育という言葉を点数評価ではなく、学校というフィールドにおいて子供毎の人格的な成長度(論理の展開手法、社会性)を計る新たな物差しを見つける事が為されていたならば、昨今のような問題は生じなかったのでは?と考えるところだ。

 勿論、小中高というような学校の区別、学校の節目における受験という制度は、世代別における人格形成が世代毎におけるフィールドでの活用能力を有しているか否かを評価する意味では必要なものだと思うし、今の一環教育のような方法が最適だとも思わない。ただ言えることは、義務教育以上の教育においては、全数進学を望む事自体がナンセンスであり、高等教育に行く程、年齢的な輪切りが為される事自体が有り得ない。新入社員、後輩への職場指導でも、肩書き程の能力を持っていない人が異様に多いのが現実である。これも高等教育程多い私学の存在というのも関連があるかもしれない。私学=利益誘導ってが根幹にある。高校は市に一つ、大学は県に一つくらいで十分だと思うのが持論。

 子供は親をよく観察している。子供の人格形成ってのは親の性格のコピーみたいなモノである。遺伝という言葉を良く聞くが、生物学的な遺伝というのは生活を転写することで形成された性格とは異なるものだ。

 そんな思いを巡らせると、男の子の子供ってのは良いなぁと思う。自分の持っているモノを全てやっても良いような気になる。女の子の場合は、単車趣味なんて興味持ちそうに無いし、、、。

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糖尿病や癌の発生リスクとサプリ依存体質

 日本人の死亡原因は第一位が癌で、次いで心疾患、脳血管障害の順になっている。癌死亡率は心脳疾患と比べて約2倍高く、この死亡順位は糖尿病患者にもそのままあてはまるそうだ。そして、糖尿病患者の40%が癌で亡くなり、その割合は健常者の1.3倍というデータがある。
 詳しい研究は為されていないようだが、大腸癌、膵臓癌、肝臓癌因子が糖尿病因子と重なっていることが多いそうだ。
 確かに大腸癌は、食生活に起因することが多く、洋食、高脂肪食、運動不足によるインスリン抵抗性を相関させる説もある。また、或る大学の研究では、膵臓癌患者の半数以上が糖尿病を患っていたとの報告もある。

 糖尿病と癌の併発性についての研究は進んでいないが、糖尿病患者は健常者の1.5~4倍の癌の発症率があるそうだ。

 自身、この分野においては完全に素人だが、こんな記事を書くには理由がある。

 それは、癌の早期発見に用いられるPET検査というものを知ってからである。このPET検査はガン細胞の特徴的な性質を用いた検査法であるが、その性質とは、癌細胞が正常細胞と比較して、多くのブドウ糖を細胞内に取り込む性質があることに着目し、ブドウ糖がより多く集まるところが全身のどこにあるかをPETカメラで撮影・画像化することにより、癌を発見する検査である。この検査は、ブドウ糖と放射性同位元素を結合させた薬剤(FDG)を静脈注射し、薬剤が全身に代謝される間、約1時間安静にした後に、PETカメラの検査台に寝ているだけで撮影し、薬剤の分布から癌の位置や大きさ、進行具合等が調べるものである。

 つまり、癌細胞はブドウ糖が大好きなのである。一方で糖尿病とは血液中のブドウ糖濃度の事である。

 そんな事を考えると、癌細胞自体は正常細胞のDNAが何らかの損傷を受けたモノであり、その壊れた細胞に対する生体の修復機能と癌細胞の伝播増殖速度のバランスが崩れたときに癌細胞が増殖すると考える事も出来るのでは無いだろうか?(全くの私感です。)生体の免疫機能が高い状態が維持されていれば損傷細胞の排除が可能だろうが、それ以前に癌細胞の成長が早ければ癌発症となるように思う。癌細胞の成長が早いというのは、やっぱり癌細胞の成長を律するブドウ糖の濃度というのが関係しているように思うところ。(血液中のブドウ糖濃度が高いと癌細胞が成長しやすいのかも、、。)

 人間の身体ってのは、未だ科学では明らかになっていない部分が数多く残されている。科学の発達した時間は人間の進化した時間に較べれば無きに等しい長さであり、人間の人体機能というのは本来の健全性を保つために、様々な因子が複雑に絡み合って高度にバランスされているのは間違い無い事であり、一つ一つの様々な機能を失わせないようなライフスタイルこそが、癌や糖尿病といった重大疾病から身を守る最高の方法だと思う。

 昨今、科学や医療の発達により身体状態を保つに有効とされる濃縮サプリメント等が流行しているが、その濃縮剤の投与の必要性自体が、未だに腑に落ちない。
 本来、健康な人ってのは、そういう合成剤に依存する必要が無い訳であり、そのような物質を人工的に摂取するということは、やはり、生体の本来の機能を失わせる事に繋がるように思う。

 人間、誰しも若々しく健康にありたいという願望がある。そのためには、身体機能を自然な方法で積極的に機能させるようなライフスタイルが必須のように思う。
 歳を取ったから、、、、というような修飾語は、老化という物理現象に起因するのでは無く、加齢に伴うライフスタイルの変化により、自身の行動形態が変化することによって機能が失われていく事を、老化という自然の摂理で説明しようとするがための現象では無いだろうか?好奇心旺盛で向上心に溢れた思考を保てば、心身の活力が保たれ、年齢を感じさせない心と身体が維持できるのでは?と思う今日この頃だ。

 究極的には、老化や肥満といった機能低下は、活力を失ったライフスタイルによる必要機能の喪失現象ではないか?と思う今日この頃である。(勿論、寿命といった物理的な限界があるのは理解しているが、少なくともスポーツ選手が一線級で戦える年齢レベル迄くらいは、活力を保てると思う。)

 まぁ、スポーツ選手を見ていても一時の機能強化のためのドーピング、薬物といったものも、特定の機能を強化するために人工的に身体機能を誤魔化して得る類のモノであり、その反動による疾病発症、後の機能低下といった副作用も問題視されている。
 どうしても、そのような例と今流行のサプリがオーバーラップしてしまうところだ。特に日本人の偏執的な行動形態から常軌を逸したサプリ依存に走る人も少なくないと思われるし、そういう点で今明らかになっていない危険が潜んでいるように思う。

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2007年1月22日 (月)

人体の不思議機能を体感する故にサプリは嫌だ。

 ここ1年半のダイエット生活で不思議な現象に遭遇している。

 一つは、ここ1年半の運動量、食事量は全く不変な状態を保っているのだが、肥満状態から正常状態には急激に減量したが、正常状態になってからは体重が全くといって良い程変化していないことだ。この現象は丁度1年前に感じた事で、当初は停滞期か?とも思っていたが、それも停滞期の定義とは異なる状態であり、ネットや図書を調べても、納得できる説明が見つからなかった。どう考えても、摂取エネルギー<<消費エネルギーの状態であり、急激な減量中においてはエネルギー収支に従って減量していたのが、急激に減量がストップするという状況が納得できなかったが、以前('06/6/16)記事にしたが、最近判明した脂肪肝の持つ機能を当て嵌めることで納得の出来たことがある。

 その機能とは、脂肪肝状態になると内臓脂肪量を感知する脂肪センサーの機能を肝臓が持っているらしく、脂肪肝になると基礎代謝を上げるような神経信号は発するということだ。つまり、当初の急激な減量中においては代謝効率が高まった状態故に減量し、脂肪センサーで過剰脂肪が無くなったと判断したために減量が停まったということ。そして、当初考えていた摂取エネルギー<<消費エネルギーという式は成り立っておらず、摂取エネルギー=消費エネルギーという状態が成り立っており、脂肪肝状態の時に限り、代謝効率が高まっていたので消費エネルギーがその時だけ上回っていたと考えれば納得できるのである。

 もう一つの不思議な事とは、筋肉痛や疲労についてである。これらは運動後の疲労が当日夜から翌日に掛けて現れる症状だが、運動量を一定以上に増量しているにも拘わらず、この筋肉痛が滅多に現れなくなったことだ。

 例えば水泳は1970年代から1987年迄定期的に続けていて、1987年から1993年迄ブランクがあった。そして1993年以降今迄欠かさず定期的に続けている。この中で1993年に久しぶりに泳いだ日の翌日は全身が疲労一杯だったのだが、その次からは同じ距離以上の距離を泳いでも全く疲労を感じる事がない。今でも、一回の水泳で3~5kmをノンストップで泳いでも疲労感は皆無である。
 ベンチプレスにしてもそうである。これも1993年以降継続して行っているが、初めてやった時以外、翌日迄筋肉痛を残した事は無い。
 最近行っている、レッグカール、スクワットにしてもそうだ。開始初日は300回程度で脹ら脛、太股の筋肉痛が2日程度残ったが、今は1000回以上を行っても全く感じないのである。

 1回の運動で筋肉が強化される筈など有り得ないのだが、初回に筋肉痛を残しても、2回目には当日だけの筋肉の張りを感じる程度となり、それ以降は疲れさえ感じない。これは、神経系に不思議な機能が潜んでいるためなのだろうか?実に不思議である。

 きっと、脂肪肝が脂肪センサーによって代謝を高める物質を分泌するように神経系が働くように、筋肉も定期的な負荷を与える事で、筋肉痛を感じさせる状態を検知させる何らかの物質が、私の知らない機能を与えているのかもしれない。常識的には筋肉に過負荷で破壊させ筋肉痛を起こしながら超再生で筋肉が増量されるという話があるが、現状は筋肉痛は感じないが、確かに体脂肪率は減少し、胸囲、太股、脹ら脛等は太くなっておりパワー自体も強化されている。

 このような調べても納得できる説明が見つからない事が多々有るために、限定的な機能を薬物、サプリで獲得しようとする体調管理というのは、どうも好きになれない。

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今回の騒動を機会に、納豆ダイエット継続は如何?

 納豆業者、気の毒過ぎである。あるある大事典の番組内容捏造報道の影響で、需要の急拡大に伴う増産後の需要縮小で供給過剰、、、、賞味期限から考えても廃棄されるかもしれないとの事。

 あるある大事典での紹介データが架空のデータであり信憑性に欠ける等々の報道が、直結的に納豆がダイエットに無力という印象を先行させているかのようである。

 でも、納豆は健康に効果的な食材である事は、間違い無い。植物性タンパク質の王様であり、タンパク源としては脂質が抑えられる事もあり、非常に有効だ。
 また、肝機能の改善にも効果があるというのも事実であり、中性脂肪を低下させ高脂血症を改善させる効果もある。
 あるある大事典を養護するつもりはないが、取材の時間をしっかり確保して、実際にデータを取って紹介したとすれば、番組で紹介された程の効果は無いかも知れないが、確実に良い結果が得られた筈である。
 架空、架空と騒いでいるが、架空のデータを作り上げた理由というのは、制作者側の時間的な制約、予算?等々の縛りによってもたらされたと考える方が自然であり、全くの事実と反対のデータをでっち上げたようなモノでは無いだろう。

 前の記事でも述べたが、嘘でまみれた情報、誇大な表現で脚色された情報というのは多いが、それら精度の低い情報でも、大きく二つに分けられる。一つは、意図して騙し金銭を巻き上げるための情報で、もう一つは、別の理由により誇大な表現(常識を考慮した上でのデータ作成等)で脚色された情報である。報道の精度は、報道の内容が利益誘導に直結するか?という程度に或る程度関連があり、成長ホルモンであるDHEAが若返り、活力保持に有効であるのも事実である。

納豆にイソフラボンが含まれているというのは事実であり、イソフラボンが副腎でDHEAに生成されるというのも事実であり、今回の場合を自分で判断すると、後者に属するものと判断している。

  結論が最後になるが、元広島、今阪神の金本選手の肉体には、サプリ等に頼ることなくDHEAが豊富に含まれているという。これは、DHEAを生成する原料を適切な食生活によって摂取し、トレーニングを行うことで体内のDHEAが増加していることが記事となっている。この記事自体は、利益誘導への直結度は低く、寧ろ金本選手のすごさを紹介しているモノである。

 この記事から判ることは、若返りホルモン、成長ホルモンというのは、栄養管理とトレーニングで手に入れることが出来るのであり、の栄養管理の一つの方法として納豆は有効な食材と言えるだろう。納豆を食生活の中に組み込んで、トレーニングを行うことで、究極的には金本選手のような身体状態が手に入れることが出来るということだ。

 納豆食って、しっかり運動!

 今回の騒動で納豆に衝動的に走った人も、これを機会に、少しの運動を取り入れて生活を変化させてみては如何だろうか?そういう生活を継続できたとすれば、結果としてダイエット効果が得られるだろうし、生活習慣病状態の改善も見られるだろう。
 少なくとも、自分の場合は、そういう生活を保ち、そのような意見が言えるような結果を得ているのは事実である。ブログ開始から現在に至る迄の全ての食生活、運動記録を事実として残しているので、興味有る方は御覧頂き、実践してみるのも良いと思う。

 因みに、この記事自体も利益誘導している訳では無い。

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2007年1月21日 (日)

捏造、虚偽報告、クレーム隠し、、嘘でまみれた社会で生きるために。

 昨日のあるある大事典の捏造報告は結構反響が大きいようだ。まぁ、気にはしないが、テレビ局も、食品メーカー、自動車メーカー・・・・多分同じような問題は程度の差こそあれど、普通のことなんだろうなぁ。
 大学の論文捏造、実験データ捏造のニュースも過去には有ったし、、、。世の中は真実ばかりで成り立っている訳でないのは当然で、資本主義というか儲け主義、拝金志向で利益追求の競争が激しい所程、真相の程がどうなっているか?は怪しいモノである。発覚時における初期対応の腰の引け具合や、明るみになったときの平謝り的な態度は、いつもの事だ。
 作り手側、情報の担い手側も立場における使命を本当に考えて行動する人が多いか?というと怪しいところ。そんな穿った目でしか見れない自分も寂しいところだが、世の中の状態を見ると、そう考えざるを得ないなぁ。

 こういう真偽の程が判らないような情報に溢れた社会で納得して行動するには、個人個人が氾濫する情報の必要性を本当に理解して自己責任で行動せんと活けないと思うところ。判断する問題があるならば、知識と論理の判断力を備えなければならない。本当は学校教育の中で、物事の判断が下せるような経験を積むべきなんだろうが、実際の教育現場では単純に点数のみで成績を評価しているし、子供の側も点数を取るテクニックだけを身に付けることに終始している。点数なんて、どうでも良いんで、自分で問題を見付け、それを評価する術を見付け、最終的な判断が下せるための手法を教育すべきだろうなぁ、、、。

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2007年1月20日 (土)

やっぱり虚偽!納豆ダイエット

 今日の昼休みに納豆ダイエットに疑問を呈する記事をアップしたが、会社から帰って一番笑えるニュースは、『あるある大事典』の納豆ダイエットの放送内容が事実に反する事を、さも真実かのように視聴者に伝えたというニュース。番組内容には虚偽ねつ造があったということ。

 去年にピーカンバディでダイエット番組の不祥事があったが、局が違ってもやっぱり有った。不二家の衛生管理、三菱のクレーム等々、、、結局同じである。ニュースになることは殆ど氷山の一角だというのが正直な感想。まぁ、これも記事にしたけど、、、あまりにも情けない。日本人のモラルは根底から崩壊している様子。でも、そんな嘘にまみれた世の中ってのは承知の事なんで、どうでも良いと言えば、どうでも良い事だ。

 一番馬鹿な連中は、活字やニュース媒体、マスコミから配信される情報を盲目的に信じて行動する視聴者である。自分の頭で考えると言う事が出来ないのが、一番情けない事である。

 まぁ、納豆がスーパー売り場に今まで通りに戻ってくれれば自分的にはOKだが、可哀想なのは、納豆の生産者だ。ねつ造番組で需要が急増し、増産しようと思えば、今度は番組が嘘だったというニュース。それを商品として扱う人達があまりにも気の毒だ。
 報道の奴らは、そんな事は関係なしに、番組のお詫びで終わりにしてしまうだろう。

 それにしてもテレビを盲目的に信じる日本人なんて、大衆の意識を自由に操作できるだろうなぁ、、、、。情けない事極まりない。

 納豆自体は何も悪くないし、確かにダイエットの効果も中性脂肪を下げる効果もある健康に良い食品だと思う。ただ、前にも述べたが、尿酸値が高い人が運動せずに食すると痛風のリスクが高まるだろう。事実、自分も尿酸値、中性脂肪が高い状態でありながらタンパク源として選んだ納豆摂取(2パック/day)の食生活では、中性脂肪は減少した、運動の効果が主だと思うけど二ヶ月で20kg以上の減量が出来たのも事実だ。但し、尿酸値自体は下がらなかった。ダイエット後は、タンパク源として納豆摂取量を(1パック/day)に落として鶏肉を増やした結果、尿酸値も正常値に落ち着いた。

 健康には間違い無く良い食材だと思うが、各自が人によって違う状態を把握して適格な判断で利用を考えれば良いのである。
 今回の不祥事で報道を責める人もいるかもしれないが、日本の番組なんて所詮そんなモンである事を理解していないとすれば、それは理解していない側の無知も反省しなければならない。少なくとも、同業種における不祥事が繰り返し発覚するような国なんだから、それぐらいの事は承知の上で接すれば、怒る気にもならない。

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納豆ダイエットの効果でた?

 先々週のあるある大事典で、納豆を朝夕2週間食べるとダイエット効果があるという放送が為されてから、スーパーの売り場では納豆が無くなっている。
 ところで、一生懸命やってる人は痩せたんだろうか?因みに、自分は、そんな放送が為されるずっと以前から納豆を朝夕2パックずつ食べている。

 結果から言うと、体重の増減要素は納豆の摂取のみによって決まる訳ではないというのが正直な感想。恐らく、ネットには、『効果が無いよぉ~』って言う人が現れてくる筈。納豆食うだけで痩せれるんなら、納豆好きのデブは居ないのか?って事だし、事実、自分が納豆好きの肥満だった訳だし、、、。

 納豆を食べると、若返り+基礎代謝アップといのがキーワードだが、納豆自体がエネルギー源であり、若返りという部分は判らないではないが、基礎代謝アップ=代謝効率アップといっても摂取エネルギーが増加しているんだから、最低限、増加エネルギー分を代謝効率の差によって消費が上回る状態でないと痩せようが無いんでは?というのが感想だ。

 自身、一昨年から運動を積極的に行っているが、納豆自体はそれより前からずっと食べている。運動を積極的に行う前の状態では、納豆を食べていても決して体重は減らなかったのが事実である。運動を積極的に行ってから体重が減っただけであるのが経験から得た事実である。

 おそらく、納豆食ってるから安心だ!という形で運動自体が億劫な人が、更に運動癖を無くせば、確実に体重は増えてる筈である。

 それにしても、ずっと納豆を食ってる自分からすれば、売り場で納豆が無くなっているというのは、迷惑な話だ。因みに、納豆食ってる理由は、単純に好きだからである。敢えて、健康面から理由を付けるとすればタンパク質を摂取するなら、納豆か鶏肉で!という考えに基づいているからだ。少なくとも、納豆成分のキーであるイソフラボン系サプリを頑張って摂取しようとは思わない。

 少し前に、尿酸値迄もが臨界状態に達したような肥満系の人は、基礎代謝云々以前に摂取カロリーの超過剰状態なんで余分に納豆食ったから痩せる分けでもないし、へたすると尿酸値が臨界に到達して痛風発症という形になりかねないので注意すべし!の記事を書いた。

 似たような話で、いくら自転車が健康に良いといってもハードな運動をいきなりやると、それはそれで危険である。特に、高血糖気味の人がハードに乗ると血糖値が異常増大するんで、それが引き金になって糖尿病が原因となる重大疾病を誘発する場合もある。

 何をするにしても、自身の生活がどうか?これを今一度見つめ直して行動すべきである。納豆ダイエットで思う事。少なくともあるある大事典での被験者というのは、パッと見で異常な程の肥満な人は居ないということ。どうせやるなら、スーパー肥満レベルで実験すれば良いのに、、、。体脂肪率グループ分けでもして効果を検証すれば、違った結果になったと思う。

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ハイパー高齢者、格好いいぜ!

 ダイエットってのは、現代に限らず昔から肥満に悩む人のテーマであったんだろうと思う。ただ、今と昔ではライフスタイル、特に食生活が大きく異なっている。興味深いのは、今の食生活が肥満の主原因であり、ダイエットの手法ってのは、現代人のライフスタイルを昔のライフスタイルに部分的に戻そうってのが殆どである。
 昔のライフスタイルといえば、野菜、魚介類中心の食生活で脂分、動物性蛋白質が少ない食生活であり、運動にしても現代程の利便性が整っていないために結果として動かざるをえない生活である。
 現代人の肥満を悩みにしている人に昔のライフスタイルを取り入れさせる事が、世の中に多く存在するダイエット法に共通している。

 はたして、それでダイエットで健康と言えるのだろうか?昔のライフスタイルの果ての姿が現代の高齢者の姿である。高齢者の方々を見ると、案外肥満体型という人は少なく、どちらかというと骨を皮が包んでいるという非常に痩せた方が多い。そして、痩せた方が一様に元気か?と言うとそうでもない。病院に出向くと高齢者の方々がリハビリに励んでいる姿は非常に沢山見る事ができる。
 このような高齢者の方々は、スリムだし、その体型から伺い知るのは、現代人とは異なる食生活をされてきた結果であるというのは連想できるし、その食生活自体は現代において紹介されているメタボリックシンドロームを防ぐ食生活を重ねられてきた結果とも言える。

 逆に言えば、今肥満に悩んでいる人が紹介されているダイエット法を実践し続けた姿としては、今の高齢者の皆さんのような形になるのでは無いだろうか?勿論、日本人の平均寿命は今以上に延びるだろう。何の対策も講じず慢性肥満になると、それによる脳梗塞、心筋梗塞といった重大疾病により若くして命を落とすリスクは減ると思うが、、、、。

 ダイエットして何がしたいのか?これが問題である。単純に痩せるというならば、その究極の姿が少し前の日本人の姿であり、それを目指すならば良いかもしれない。

 このような考えを持つに到ったのは、高齢者の皆さんの中に稀な存在があるからだ。
この稀な存在っていうのは、身近或いはマスコミで露出する情報でも、極稀にしか見られないような高齢者の皆さんがいるからだ。稀な存在の高齢者というと、自分が見た事がある人を例とすれば、

1.行きつけのスポーツセンターの常連さん
 話した事も有るが、何と還暦越えだそうだ。見た目は40代。身体も締まっており動きも軽快。

2.同じ勤務先で嘱託契約社員さん
 勿論、還暦越えで、最近迄単車乗り。毎日、昼休みにランニング、腹筋等を行っており、勿論、動きは超軽快。

3.広島ローカル放送でマギー審司さんが郵便を届ける番組で見た人
 なんと70代の女性。市内のエアロビ教室でエアロビクスをなさっている。パッと見40代以下に見える。姿勢、動きは驚く程軽快。スタイルも良い。

4.一昨年の勤務先の創立記念講演会での講師
 健康第一を唱える社長が招聘した講師の方で70代でマッチョな方。筋肉質で見た目は30代と言っても良いかも知れない。

 これくらいである。 数多く見掛ける高齢者の中でも極めて稀な存在である。極めてアクティブで若々しいし、尊敬に価する。このような方々の共通点は、痩せた身体ではなく、見掛けた場所からも判るように、運動しているのである。筋肉が付きまくるという感じでなく、筋肉が鍛えられているという感じで、話が出来る方々と話した限りでは、非常に頭が良いという印象もある。
 現代の肥満に悩む人が最終的に何を望むか?をよく考えて方法を選ぶべきでは無いだろうか?少なくとも、上にあげた人のようになりたい!という意志では、この方々が継続されている生活ってのは真似出来ないだろう。そういう生活をすることの必要性(目的)を持っている人こそ、そういう生活が出来るんだろうなぁと思うところ。

 勝手な感想だが、このようなハイパー高齢者の方々ってのは、拘りがあって、物事に拘る事が楽しくなるような考え方(悩んで解決するから拘れる)を持っている人のように思う。何にしても、周りに同調するだけ、人の真似するだけ、集団に流されるだけ、マスコミの報道に流れるだけ、スペックを見て理解していると勘違いするだけ、、、そんな自己意識が判らない人とは一線を画しているのは間違いないと思う。

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2007年1月19日 (金)

三宅島TT その2

 以前にも三宅島TT開催についての記事を上げたが、既に開催決定というのも古いニュースであるが、その開催内容を見て良いなと思う点がある。

レースの詳細は、11/9~11に開催されるようで、レースとしてはエキジビションレースと一般レースがあり、前者が今をときめくスーパースポーツモデルを用いた著名人による走行で、後者が125cc以下のレースということだ。

 この125cc以下という縛りが良い具合である。エコに本当に効果のある交通手段としての原付二種以下のクラスの市場は、ここ暫く停滞気味であり、見直される兆しさえも無かったけど、このクラスというのは案外便利だし、走っても結構面白いクラスである。自分も原付二種以下のバイクを結構所有しているが、実用車としては過不足無い性能を兼ね備えているし、スポーツ車としても速度の絶対値こそ小さいけれど、軽二輪以上でのオーバースペック感は皆無であり、機能を使いこなすことで身に付く要素は一番多いように感じるものだ。一般公道の日帰り程度のツーリングならば重量車と同行するのも可能である。

 そういう意味で、この催しが定着し、広がりを見せるようになれば、125ccクラスが見直されるかも知れない。このクラスはスポーツバイクの基礎とも言えるクラスだと思うし、過去を遡ると、CB92なんかは生粋のスポーツバイクで人気を集めていた時代もある。
 免許をとっていきなりリッターバイクの世界に行くよりも、小さい事からコツコツと進める方が、乗り手は多くの経験と技量を身に付けるように思う。そうすれば、それより上の250なり400なりの中間排気量クラスも充実するかもしれない。

 今回のレースが成功裏に終わり、市場の形態が変わることを密かに期待したりしている。ただ心配なのは、今の世の中でレースに出場できる車両を準備すること自体が難しい感じだ。細かなレギュレーションが判らないが、125ccという括りだけならば2サイクルが有利だが、そんなベースが存在しないのが現実だからだ。(思い付くのは80年代~90年代にかけてのスポーツ2サイクルか、4サイクルのビジネスバイクくらい、、、でもCB125T辺りをベースにDREAM50風のレーサーなら格好いいか?他が思い浮かばない。オフ車+ロードタイヤというのも似つかわしいかなぁ、、、)

 そんな心配はおいておいて、可能ならば是非観戦してみたいし、将来的には参加もしてみたいと思うところだ。

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ペダリング快調

 今日は昼ポタの後、所要での移動もSPEEDママで出掛けた。自転車に乗って漕ぐ時のイメージは上死点、下死点での反転領域での意識の持ち方だ。意識の持ち方だけで、随分ペダリングの快適さは変わってくるのに改めて驚いたところ。
 昼ポタでは意識を集中することで、結果として高回転気味のペダリングとなり速度の乗りの良さに気が付いたんだが、午後のお出かけでは、何故そうなったか?を考えながら足の裏に神経を集中すると、普段の無意識乗りの時とは明らかに違う点が有る事に気が付いた。力の込め具合は変えていないが、掛かるレンジとタイミングが随分変わっている。同じ入力でも伝わる力(伝達効率と伝達時間)が大きく長くなっているように感じるところ。
 例えが難解かもしれないが、オートバイでの点火タイミングの進角動作に近い感じである。
 所要での帰路では、その進角動作が負荷、回転数毎に一定が良いか?変えることが良いか?というのを確かめるために、その辺の意識を集中してみると、意識以前にタイミングが微妙に変わっているような感じである。

 そう考えて色んなパーツを思い浮かべると、なるほど確かにロープロのペダルが具合が良いし、スピンドル長さ、クリートなんかも理に適った構造である。

 意識を集中するとOKなんだが、気を抜くとどうしても癖が現れる。悪い癖を直し、良い癖を身に付けたいものだ。意識を集中して乗っていると、その結果としてのフィードバックである、音、揺れという挙動が一段と滑らかになっているようだ。こんな事書くと、何故何故?って言ってくるんだろうなぁ、、、。

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サーキットダイエット

 サーキットトレーニングという形に近いインターバルで負荷繰り返し運動を行って1週間経った。当初は、メニューに腹筋、背筋等も織り交ぜていたのだが、もっと単純化ということで、スクワット100回+ベンチプレス75kgを50回というのを1セットとして、休み無しで最低10セット行っている。
 1セット目、2セット目では、身体が暖まる前なのか結構負荷を感じるけど、5セット目以降はかなり汗も出るしピッチも上げることができる。時間にすると40分以上は掛かるけど、ニュースでも見ながらやればアッという間である。

 同じ40分の連続運動のステップ運動(一昨年一寸流行した器具の奴)でも、同じように汗をかくが、ベンチ+スクワットの組み合わせの方は、汗に加えて疲労感もある。40分の腹筋というのは、局部的な痛みが出るけど汗が吹き出す程ではないようだ。

 一応、40分ずつ、無酸素系、有酸素系、混合?系とやっているが、一番効率的なのは、もしかしたらサーキットトレーニング型式かもしれない。年が明けてから、日々の運動強度と運動量を結構増やしたせいか、腹が減る減る!最近の傾向は体重は微増傾向、体脂肪率は微減傾向である。食生活でも鶏肉、大豆をかなり増量しており脂肪の減少、筋肉の増加が数値的にも現れてきたようだ。

 以前、女性の方から頂いたTBでサーキットダイエットというのが有ったけど、なるほど、確かに効果はあるようだ。

 楽してダイエット(減量)ってのも非常に多く見られるが、随意筋を鍛えパワーを高め、代謝も高める方が健全では無いだろうか?
 因みに、春からはサイクルフィットネス(ダイエット)も開始だ。

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2007年1月18日 (木)

ビタミンC

 少し前の番組で、生活習慣病とアルツハイマー症の予防にビタミンCが効くってのを紹介していた。ビタミンCは身体で作り出す事が不可能で、食事による方法でしか摂取できないものだが、効能としては、回復力と免疫の強化、血栓予防、コレステロール値の低下が期待できるもの。
 但し、このような効果を得るには、最低でも2年は摂取しないとダメらしいし、1日に摂取する量も1000mg程とのこと。

 ビタミンCを摂るには果物や野菜を大量に食べるのが望ましいけど、なかなかそれは難しい。特に、熱に弱く、水溶性ということで、野菜を加熱したりすると思った程の量が取れにくいそうだ。
 ビタミンCは喫煙によって破壊されるんで、タバコの愛好家にとってはビタミンCを定常的に摂取するのは困難である。
 ビタミンというと、このような水溶性ビタミンと脂溶性ビタミンがあるが、後者の脂溶性ビタミンA、Dは摂取過剰になると弊害(特に肝臓に対して攻撃性)があるので、注意が必要。弊害の例では、糖尿病、尿毒症、最悪死亡ということもある。ただ、水溶性ビタミンの場合は、今のところ過剰分は小便となって排出されるという事である。(不明な部分も残っているかも。弊害と迄は言わないが、ビタミンCの過剰摂取はビタミンBの排出にも繋がる等はある。)
 ビタミンCでも天然と合成があり、サプリで摂取する場合は合成モノは控えた方が良い場合もある。合成の場合は、生成プロセスで使用する物質の影響による吸収性、或いは純度的な影響があったりする。
 最近のサプリブームで一纏めにビタミンCとの表記も見受けられるが、生成法、摂取量に関する研究報告も見つける事が出来るんで、仮にサプリで摂取するならば、そのような記事を読んで判断して利用しなければならないのかも、、、。

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トラックバックの公開基準

 最近、メインのサイトと同じく、こっちのブログにもお客さんが増えて有り難く思っている。

 しかし、記事と関連性の全くないTB、当ブログの主旨と正反対の紹介TBも散見される。
 ということで、TBについては一読した上で公開か削除かの処置を行うことにした。

 金儲け斡旋系のTB、ダイエット奥義マニュアル販売斡旋のTBは取り敢えず公開されませんので、宜しくお願いします。サプリ紹介等は内容次第ですが、同じTBが複数為された場合は、全部もしくは、一つを除いて全てのTBを削除します。

 今回のココログメンテナンスで、コメントとTBを別々に随時公開可否の設定が出来るようになったのは、有り難いバージョンアップである。今回は、TBのみ随時公開が為されないように設定した。

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2007年1月17日 (水)

ピストバイクでサイクルフィットネス

 ラングスターの使い方を考えていたんだが、取り敢えず後輪ももう一つ調達しようと思っている。昨日の段階では、二組の車輪(ギア比)を付け替えて、平地主体の道路、登坂主体の道路と使い分けようと思っていた。その場合は、次のような組合せでホイールを準備するつもりだった。

  公道平地用ホイール(固定16T+固定17T)
  公道登坂用ホイール(固定18T+フリー18T)

 でも、寝る前にごそごそと持ち物を発掘していたら、昔懐かしいローラー台の化石?を発見して、自転車を部屋の中で漕いでも良いかな?なんて思いが芽生えた。そんな思いを巡らせながら寝たんだが、起きたときは、結構その気になっている。
 実際暮らしている場所は団地住まいであり、ピストバイクをCR迄乗っていくにしても、その道程における道路事情といえば、ストップアンドゴーが多く、行き来には確実に急勾配があるために、登坂、急な下りという環境だ。そうすると、公道用ホイールを使い分けるよりも、公道用ホイールは実用環境に即した軽めのギアで、登坂で遊ぶ事をメインにして、もう一本は室内用で準備する方が楽しいかなぁ?なんて考えている。
 今の気持ちは寧ろ、この考え方だ。因みに、今の考えでは、

  公道用ホイール(固定17T+固定18T)
  室内用ホイール(固定16T+フリー16T)

 というところ。

 今の日常トレーニングは、朝の冷水摩擦、昼のポタリング、夕刻以降の定時操業日のスポーツセンター通い+自宅での2時間の運動(有酸素運動+サーキット風トレーニング)であり、室内運動は家族が寝静まっても出来るんで、+1時間というのは問題無い。
 こういう使い方をすれば、結構自転車の乗り分けも出来るし、ずっと楽しめそうな気がする。

 取り敢えず、お部屋のお片づけと、心機一転で新しい負荷調整式の3本ローラー台の良さそうなのを探したいというところ。

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2007年1月16日 (火)

ココログメンテナンス中

 本日(1/16)、午後3時より明日の午後3時迄が24時間のメンテナンスが為されるそうで、その間の投稿、コメント、TBは出来なくなる。但し、閲覧は可能な模様。

 昨年11月の超長時間メンテナンスの仕切直しで行われる模様。

 さて、次回更新では、ビタミンCネタを考えているが、今日のネタを一つ、、、。

 自転車のギア比も決まり、自分好みのトークリップ、ストラップも調達できた。次は、、、、という段階で、メインサイトの日記にも書いたりしたんだが、それをみて、突然『クリップに興味が、、』なんて言う人も居る。更に聞いてみると、尤もらしい理屈をおっしゃっている。いろんなサイトを見ると、面倒くささや、使い方も紹介されていて、煩わしさが全面に出ている例も見られる。そんな情報を見て、興味と躊躇が交錯する人もいる。
 でも、足の固定について煩わしさは感じないし、使用時は殆ど足下を見る事なんて無いし、発進直後にペダルはキャッチできるし、バンドの縛りも即可能。普通に漕げれば、装着前のペダルの向き(踏み面が下になる)は理に適っているし、問題ではない。要は、漕ぎ方というか、使い方が正しければ、何の問題も無いんだが、、、、。
 結局、他人の話、サイトの情報を見ては、それを自分の問題点と錯覚して追随するだけでは、良さも気付かないし、問題ではない事を問題視したりするかもしれない。本当に自分で必要な事を見抜いて行動すれば、良いんだが、、、、。

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拝金主義!

 不二家の社長が辞任というニュースが月曜のトップニュース。
 雪印の正しく二の舞。企業内のモラルが問われる事件だが、三菱自動車のクレーム対応から、最近ではトヨタ自動車のそれ、、、、。

 これって、ニュースに上がった企業のみの問題では無いような気がする。政界に目を向けると知事さん、国会議員さんの不祥事ネタも沢山あるし、その周辺の公共工事と談合の問題等々、、、。

 結局、このような問題には利権や利益主導という考えが根底にあるもので、金は命より重し!という価値観故に生じた現象だ。現代社会の様々な分野で、拝金的な思想で活動している人が多いって事かもしれない。
 金は有りすぎて困る事は無いとは良く言われるが、そういう考え方を持つ人ってのは実は結構多いモノ。
 自身、社会人になって、最も違和感を感じたのは、残業する事を前提に定時勤務迄緩く働く人、納期的に余裕があるのに残業代目当てで残業時間数を稼ぐ人ってのが存在するって話も良く聞いてきた。仮にそんな組織が実在し、そういう人が多数派を占めたとすれば、それは当然の事と錯覚するものかも知れない。

 なぜ、このような拝金志向が蔓延しているのか?が問題だ。その志向の度が過ぎれば、昨日のトップニュースのような事態になったりする。

 日本という国は平等こそが良い事だという風潮を正として社会が成立しているように思う。最近は小泉内閣で生じた格差社会の格差是正という方向で動いているようだが、まだまだ格差という程の格差は無いと思うのは気のせいだろうか?
 社会で活動する段階で、社会の貢献度に応じて得るモノがダイレクトに変動する世の中であれば、同じ高所得志向でも、不正は蔓延らないような気がする。今の拝金志向による社会の歪みが生み出したと思われる拝金志向というのは、所謂、競争原理の中で正攻法で活動しても上が望めないという現実があるがために芽生えた風潮にも思える。

 金なんかどうでも良いと言ったら綺麗言かもしれないが、自分が必要な財を自分の能力に見合って手に入れることで良いような気がする。幾ら欲しいか?という目標が有るとすれば、額面自体は、希望を適える目的次第だし、その目的を速く達成しようとすれば、自身の能力による価値を高めるようにすれば良いだけの話にも見える。金が欲しいといっても無尽蔵に欲しがるようなモノでも無いんでは?というのが正直な意見だ。

 取り敢えず、金は沢山欲しい、有れば良いという事を言う後輩、同僚も居るが、あまりにも寂しいと思うのが正直なところ。金では買えないモノってのは、確実に存在するし、そういうモノを手に入れるために生きる方が格好良いと思うんだが、、、。
 話が一寸ずれるが、趣味と付き合うにしても、金でしか物事が測れない、金が無いと楽しめないというのも、自分的にはNGで、金が無いなら無いなりに楽しみを見付けて過ごすって方が考えに合うところ、、、。

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2007年1月15日 (月)

自転車から見た四輪のマナー

 自転車のマナーが良くないのは判っているけど、自転車から見た四輪のマナーも褒められたものではない。

 広島でのポタコースの途中に外資が入った某自動車メーカーの北出入口があるんだが、そこを出入りする従業員の車のマナーはあまり褒められたものではない。本来、公道から路側を横断して私有地に出入りするんなら、一時停止と入出時の合図は必須の筈だが、これを励行している車は皆無に近い。酷いものである。勿論、自分の勤務先でも、他の企業でも同じだろうけど、目に見える分、不愉快な気持ちが高まる。

 自転車でも単車でも四輪でも、最近はマナー以前にルールさえ守れない人が多い。一般論でマナーが悪くなって嘆く論評を聞くことが多いが、ルールを守る意味が判らない人で形成される社会にマナーを求める事自体がナンセンスなのかもしれない。ルールを守る意味を理解しないというか、必要性を認識しないという人格を否定するのは簡単だが、否定される側には、日常行動が悪い行動とは思っていない訳であり、過去からの人格形成時の問題が現在の人格を作っていると考えれば、どうしようもないのが正直な思いだ。

 地元企業に勤めていると、地元の製品の購入を奨励しているが、こういう姿を頻繁に見かけると意地でも買いたくなくなる。そんな訳でここ十数年は、そのメーカーの車両を購入したことは無いんだが、、、。勿論、そこの従業員全てがという訳でもないし、本当に吟線に触れるようなモデルがあれば別だが、取り敢えず何でも良いような、耐久消費財的にモノを選ぶ際には候補から外れるという話だ。

 こういうのは、やっぱり教育の問題が一番大きいんだろうなぁ。詰め込み教育、受験戦争、ゆとり教育・・・・色んな教育論があるが、どういう形であれ、評価尺度の方向性が同じなら根本的な解決にはならないような気がするところだ。科目の違い、難易度の違いに関わらず、結果的な評価は出来たか出来ないか?に終始していては結局同じことで、出来たという結果を得るために、公式暗記、過去問制覇で競い合っているのが現状だ。

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2007年1月14日 (日)

納豆ダイエット紹介の影響

 今日、買い出しに出掛けると、いつもの納豆コーナーに納豆が無い!
 先週のあるある大事典の影響のようだ。仕方なく、普段とは違う銘柄を買って帰ったが、、、。納豆に含まれるイソフラボン等が脂肪の代謝率を上げるという説明で、ダイエットしたい人が買い占めた模様。

 でも、納豆って食材は尿酸値を高く作用させるプリン体が大量に入っている食材であることも忘れてはならない。尿酸値が高い人ってのは、内臓脂肪が多い人に当て嵌まる。つまり、太めの人で内臓脂肪型肥満の人ってのは、デブ以前に痛風予備軍状態な筈だ。
 痛風ってのは、発症しなければ不具合に気付かない病だが、発症すると耐えられない痛みを伴うらしい。痛風になるか否かは尿酸値で判断するんだが、既に尿酸値が異常に高い状態を保っている人が納豆を大量に摂取すると、どうなるか?

 代謝率が上がるといっても、納豆を余分に食べる分、或る程度の運動をしなければ、残留エネルギー分は過剰になることを意味している。納豆食べれば安心というのではなく、納豆を食べて、増加した摂取エネルギー分を含んだ状態で運動をすれば代謝率向上の効果も併せて消費エネルギーが増えるだけであり、食っただけでは効果の程は微々たるものか、無いかも知れない。下手すれば、尿酸値が臨界状態の人の場合は、痛風発症という事態に陥るかもしれない。

 そんな事を思いながら、売り場を眺めていたんだが、買っていく人ってのは、どこまで自分の身体の状態、生活習慣の状態を理解しているんだろうか?

 それにしても、日本人ってのは、スペックやマスコミの宣伝に踊りやすい民族だこと、、、。

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2007年1月13日 (土)

最近の自転車流行からバイク界に期待

 地方都市である広島ではそうでもないが、都会ではロード、ピストが流行らしい。小径スポーツ車も一種ブームらしい。広島では、小径スポーツ車ってのは殆ど見掛けないし、ロードと言えば高校生の部員らしき人を時折見掛ける程度。市内区域でロードを見る事は極稀である。ましてや、ピストバイクってのは滅多な事では走っているのを見る事は無い。
 小径とは言え、ブルホン、ドロップバーを装備したスポーツ車、ロードバイク、ピストバイクってのは、市内のストップアンドゴーが多く、良好でない路面状態の道路を走るには疲れるものだが、地方都市の広島以上に雑多な都会では、それなりにブームとなりユーザーが増えている模様である。これが地方都市に波及するかどうかは関心が無いが、少なくとも、街乗りでは乗りにくく、扱いにくいものが支持されているのも事実である。

 単車乗りの自分からすれば、自転車の世界ってのはスポーツ車が普及の兆しを見せている状況が正直羨ましいところ。単車の場合、スーパースポーツ、レプリカが流行する兆しは殆ど感じられないのが正直なところだ。
 でも、スポーツ系自転車が一定のマス迄普及し、見掛ける事が多くなってきたら、単車の世界でも再びセパハン、バックステップが象徴的な走り系に関心を示す人が現れるかも知れない。

 勿論、単車にしろ自転車にしろ、場所を弁えない暴走で規制が強化されるのはお断りだが、購買意欲が湧くような形が世の中に出てくるには、少なくともニーズが現れる程度の盛り上がりが欲しいところだ。
 やってやれない筈は無い、2ストの復活を密かに願っている。

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愛車に選んだ自転車

 今日というか昨日か、、、いつもの自転車に熱い彼と、終業間際に話をした。内容はあんまり覚えてないけど、話の流れで、持っている自転車を選んだ訳?ってのを聞かれたんで、素直に答えた。勿論、逆に(今乗っていない)単車とか自転車で何がしたくて何を選んでるの?とも聞いてみた。

 彼の場合は、単車にしても自転車にしても、ひたすらに速さを追い求めているんだそうだが、自分の場合は全く違うんだが、この意識ってのは、言葉に出して改めて再認識したところだ。
 自分は、自転車でも単車でも、したことの無い事に強い興味を持つ。そして、乗った上で自分向きか否かを判断して、好きな場合はずっと付き合うというパターンである。
 単車の場合は、オフ車(デュアルパーパス、トライアル)、アメリカン、原付から軽二輪迄のスクーター、ネイキッド、ツアラー、レプリカ等々様々なモデルに乗って、その中で2ストレプリカと4ストツイン以下が最もグッとくる存在であることが判り、今もそれに乗っている。
 自転車の場合も殆ど同じで、趣味として復活した現在と過去を振り返ると、BTR、BMX、パスハンター、ロード、スポルティーフ、ランドナー、ピストと一通り乗った上で、今の状態に辿り着いている。今回の復活趣味で最初に選んだ自転車が小径折り畳みだが、実用上の制限もさることながら、何よりも、過去趣味時代で小径折り畳み車ってモノに乗った事が無かったというのが、選んだ最大の理由である。次に遊ぼうと目論むピストだが、ピストを街乗り専用で使ったことが無いのが今回街乗り車でピストを選んだ最大の理由でもある。

 このように、乗った事のないモノや、初めての使い方ってのが一番の関心事である。そして、このような未体験のモノ(使い方)での一番の関心事には速さなんて存在しておらず、それを、どのように使うと、どのように感じるか?を確認しては、装備、構造、操り方、身体能力を少しずつ変化させながら、感じ方がどのように変化するか?を見て楽しんでいる。

 言ってみれば、数値的な『速さ』の絶対値なんて、どうでも良いのである。彼は、私がピストバイクを発注した理由を、なにやら速さへの拘りとして選んだと勘違いしているようだったが、本当に市街地で速さを求めるなら違う選択肢になる。
 ピストバイクを街乗りで選んだ最大の理由は、小径の西DAHON、マイヨWWの反動のようなモノである。西DAHONもマイヨWWも、言ってみれば非常に複雑で、どんな状況でも自転車側が扱いやすい状況を作り出してくれるものであり、乗り手側の意識としては、自転車の機能を引き出す事=操っているという実感を得る事となっている。
 一方で今回の街乗りピストバイクでは、CRでの漕ぎでの楽しみもあるけど、自分自身の身体能力を駆使して様々な使い方を実現しようとするものである。速く走るに越した事は無いけど、その速さってのは、自分のイメージする程度の速さで良い訳で、別に西DAHONやマイヨWW以上の速さって訳ではないのである。自転車側の限られた条件の中で、自分が対応することで、何処までいけるか?を知りたいというのが一番だ。

 要は、車種にしても走る場面において考える事ってのは、速さに関心は無く、状況毎に機械を旨く使っている実感を得るには、どうすれば良いか?って事であり。自転車の種別、走行する周辺環境に拘わらず、その条件なり一番楽しいのは何か?を考えている。だから、速度を出す必要は全く無いのである。
 逆に言えば、だからこそ、何に乗っても、何処を走っても、一人で走ったとしても楽しいんである。SPEEDママは街乗り適性重視で仕上げ、街乗りで楽しんでいる。他の二台も同様である。もっと言えば、用法的に適性度を欠くような乗り物に拘って乗る気は全くない。チョイ乗り、街乗り~通勤、社用での移動ならSPEEDママが最高である。

 なかなか通じないようだが、こういう考えの人は他にもきっと居ると思う。

 それにしても、単車や自転車に(車も一緒だが、)速さを憧れても良いが、他人に危ないと思われるような暴走は辞めてもらいたいものだ。こういう奴らが、事故、転倒を多発させ、そういう乗り物が危険ってレッテルが貼られている(そんな乗り物が維持出来にくい世の中が出来ていく)んだが、、、。

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2007年1月12日 (金)

40代男性の6割がメタボ・・・

 40代男性お6割がメタボリックシンドローム(予備軍)であることを自覚しているそうだ。これは、去年のニュースであった実質的にメタボリックシンドローム状態に陥った人及び予備軍状態の人の割合である50%強に近い数字である。

 ところで、テレビ番組でも面白可笑しく、一寸怖くというノリのバラエティーでお笑い芸人を中心とした芸能人の健康状態を通して疾病の怖さ?将来像を予測する番組がある。
 登場する若手?芸人さん達でいう若手という言葉は、一般社会の若手という年代と大きく異なっている。芸人さんの中でいう若手は、30代後半から40代前半であり、20代でブレーク中の芸人さんというのは案外少ないものだ。
 結果、若手芸人さんを、この手の番組に出演させるってのは、社会の関心事というかニーズに案外マッチしているのかもしれない。

 昨日も、芸人さん達の日常生活から5年後、10年後の疾病予測を行う番組が島田伸介さんが司会で面白可笑しく放送されていた。殆ど見ていないけど、多忙な芸能人=多忙な社会人の生活に近いものがあるようにも思えるところ。この番組で印象的だったのは、友近さんの唐辛子ダイエットによる危険性を説いたものだが、一極集中的なダイエットというのは長期的に効果を維持しづらく、過激な集中型ダイエットは逆にリスクを高めるというものだ。

 偏った集中型ダイエットというのは、得てして短期的な効果を狙ったものが多く、ダイエットに効果のある成分を濃縮したサプリの摂取でも、過剰摂取がどのような結末を画くか?が判らない。多忙な世代の場合、集中型ダイエットに強い関心を示すのだろう。しかし、様々な集中型ダイエットをネタに商品がリリースされ続けて随分になる。これって、世の中に紹介されたダイエットというのが本当の意味で効果が得られないがための現象である。それでも、多くの人はマスコミ、ネットで紹介される新しめなダイエット法に飛び付いている。いくら短期集中型を謳うダイエットでも、或る程度の継続は必要だし、効果が無いと判断して新しい短期集中型ダイエットを始めるというループに嵌ると、案外、正攻法でコツコツとやる方が結果が早く出るようにも思う。
 いくら多忙な40代とは言っても、日常の僅かな時間の隙間に、運動を心掛けるだけで長続きするダイエット法というのが見いだせると思うんだが、実際はどうなんだろうか?少なくとも、肥満状態にあれば内臓脂肪が通常よりも早く消費されるように肝臓は機能しているんで、正攻法の取り組みであっても効果の程は確認できやすく、張り合いが持てるように思うが、、、。行う運動の事を苦痛だと思わず、自分で出来る事を出来る量だけ行い、運動自体が楽しみになるような頭の切り替えが出来れば、運動自体が好きになると思う。

 ところで、この番組には出演されて居なかったが、松村さんの驚異的な減量は強烈である。正月番組で見掛けたが、ダイエットというよりも窶れた印象の方が強いんだが、40kgに及ぶダイエットを敢行された模様だ。

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ゆとり教育の方向転換

 なにやら30年ぶりに教育現場における授業時間数が増加に転じるそうだ。
 方針としては週5日制は守りながら、土曜と放課後の補修授業開講や夏休みの短縮で対応するらしい。

 本当にイイのだろうか?学歴偏重や落ちこぼれ問題が出れば授業時間数を短縮、学力低下が社会問題となれば授業時間数確保、っていうのは如何にも安直だ。教育を預かる省庁、教育現場の意見を反映してのことだが、本当にこんな対応が良いのだろうか?

 確かに教育課程で習う科目、授業というのは考えれば必要な事が多いのだが、これらの習熟度に囚われて、表面的な点数のみで成績を評価するのが正しいのか?と思うと疑問を抱かざるを得ないのが、素直な感想である。学歴偏重で点数評価絶対の教育を受けた世代でも、ゆとり教育世代でも結局は最終的には、表面的な点数評価のみで優劣を区分している現状に変化はない。
 評価する側が、表面的な数字を重視していれば、教えるべき内容の多少に関わらず本質的な問題は解決できないのでは無いだろうか?

 自分を基準として年輩の世代や下の世代を見ていて思うことは、肩書きが優秀でも使えない奴が異様に多い事なんだが、使えない奴の殆どは、習ったはずの内容を完全に忘れているとか、語句や文言こそ覚えていても、社会の実務において使い方が判らない奴が異様に多い。結局、授業内容を表面的に記憶していても使えなければ社会の発展は望めないし、無意味では無いだろうか?生意気を言うようだが、日本人の性質を見ると、自身の意見をもって生活行動を行う人が案外少ないように思う。その理由は、他人と同じにすれば取り敢えず安心だとか、物事の優劣比較を意味を理解していない状態でスペックに拘り崇拝する思考と相通じるモノを感じてしまう。ダイエットに対しての取り組みにしても然りだ。数字も大事だが、プロセスを放棄して結果を如何に安直に求めるか?が問題解決のプライオリティーの上位に来ている。必要なのは、論理の展開方法と継続性、継続できる意志を保つ目的であり、様々な分野における行動パターンから違和感を感じることが出来る。

 これらは、内容の多少でなく、教育における優劣の評価指標が単純な数値によってなされる現状に合わせ、見た目の評価や点数のみを積み上げることを目標に育ったがためのように感じる。事実、進学時の入試勉強における過去問への取り組みに熱心なのも、そういう志向性に通じるように思う。

 元来のゆとり教育というのは、授業時間数を減らすのが目的でなく、人間の成長期に併せた思考能力を育てるというのが本筋では無かったのだろうか?ゆとり教育という言葉を、どのように解釈するかにもよるが、子供から大人への成長過程において、好奇心を養い、それを解決する手立てや手順の必要性を認識させ、その手順の手法を学ばせて、将来における探求的生活活動における自己判断が可能とせしめることが目的では無かったのだろうか?授業や科目というのは、その道筋を修得する実験的なフィールドであり、そのフィールドから適性の優れた分野を見つけ、適性のあった分野において思考回路を完成させるというのが目的であったように思う。

 ゆとり教育における『ゆとり』という言葉を教育現場が勘違いし、ゆとり=好きな事をしても良いという間違った風潮を世間がもったがために、思考回路も育たず、表面的な知識さえも有していない世代を作ってしまっただけのように思う。

 安部首相肝いりの教育再生会議だが、ニュースから聞こえてくる話題を見る限りは、どうも将来像が見えないし、本質を変えることは出来ないように感じるところだ。

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2007年1月11日 (木)

サーキットライクトレーニング

 昨日、上半身系トレーニングと下半身系トレーニングを交互に反復して行った。
 当初の思い付きは、時間の節約だったんだが、ふと思い返して見ると、これは所謂『サーキットトレーニング』ということでもある。サーキットトレーニングは強化したい部位が重ならないように繰り返し反復させて行うものであり、中学、高校、大学の体育系の授業で行われていたものだ。
 ウェートトレーニングと異なる点は、一つの種目と次の種目の間に休息をとらないことです。最初から最後まで休息をとらずに行うことにより、持続して負荷が加わることになり、筋力の増大と同時に全身の持久力の養成につながるものだ。
 本来、ウェートトレーニングより軽めの負荷でやることが特徴だが、考えてみれば、現在行ってるウェートトレーニングも相当数の回数をこなしており、インターバルが単純にあるだけなんで、負担箇所が重ならないようにメニューを作ることが良さそうである。

 ということで、今日からメニュー配列を若干変えることにした。
一応、今やっている運動量を再分配するだけで、次の順で行う予定だ。

1.新有酸素運動を3分(ウォーミングアップ)
2.ステッパーを40分(ウォーミングアップ+有酸素運動)
3.傾斜を付けた腹筋を40分
4.反復運動を3~4セット
4-1.下半身筋力強化(スクワット100回or片足屈伸30回)
4-2.背筋を50回
4-3.ベンチプレス(75kgを50回)
4-4.腹筋を50回
5.クールダウン

 時間的には短縮されるだろうし、絶え間ない連続運動になるんで、持久強化にもなりそう。

 ただ、厳密な意味でのサーキットトレーニングのような小さなインターバルではない我流的な要素が強い。回数、時間等は身体の現状の能力と相談しながら、良い方法を見つけていく予定。

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2007年1月10日 (水)

再び改正道交法試案

 最近、表題の事を考える時間が長い。単車乗り、自転車乗りの立場で考えてしまうんだが、法律ってのは弱者救済のためにあるといっても過言では無い。そして、弱者を守るためには加害者側になりうるものに簡潔明瞭なルールを示し周知徹底させるのが大原則のように思う。

 そういう観点から見ると、飲酒運転の厳罰化については簡潔明瞭に判りやすく書かれている。敢えて言えば、罰則規定が、なお生温いようだ。

 自転車利用については、繰り返し述べられている原則車道通行と歩行者保護が目的であり、その方法と罰則が明瞭に書かれているとは思えない。

 現在の自転車対歩行者事故の多発というのは、自転車に対する曖昧な解釈を可能とせしめる法律の運用の結果であり、自転車利用の大原則を作り歩行者を守る観点から法整備しなければならない。勿論、過去の曖昧な法律によって生じた現実を加味してだが、、。

 歩行者の立場で考えると、自転車の曖昧さによる使用形態が事故の多発を引き起こしており、この曖昧さを排除して自転車利用の方法を具体的定義する法律こそが必要だ。

 つまり、往来が激しく、人と自転車の動きに方向性が定まらないエリア(市街地歩道、交差点エリア、横断歩道)では、歩道走行を完全に禁止し押し歩きを義務づけることが、最も合理的な方法だ。これが歩行者から見た対自転車事故を減少させる唯一の方法だと言える。

 車道を通行させるか否かの議論は別の問題であり、その前段階で、原則車道通行ならば車両としての仕様方法を徹底させるのが最重要であり、車道通行している自転車の歩道への乗り入れを禁止する等の、原付、自動二輪車のルールの拡大適用で事足りるのではないだろうか?

 車道通行禁止の可能性を言及するには、その根拠を示した上で、簡潔明瞭な形で提言すれば良い。自転車対自動車の事故の多くは、自転車の車道への飛び出し等無秩序な動きによるものが多く、その場所といえば交差点近辺に集中している。これは、自転車利用者の多くは信号のタイミングを見計らい車道と歩道との間を自由気ままに往来し、その行動過程には、歩道乗り入れや車道乗り入れ時の一時不停止、逆走、信号待ちで人が混雑する箇所への突入を平然と行っているからであり、混雑する交差点における自転車の車道通行禁止ならば(対歩行者、対自動車事故抑制には)筋が通る話だと思う。

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簡単?ダイエットのTBについて

 最近はTBが異様に沢山やってくる。有用な情報も多いんだが、個人的に疑問符が付くものも少なくない。当ブログのコンセプトは減量目的の簡単ダイエットではなく、メタボリックシンドロームを含む身体の異常状態から脱却するのに、趣味を持って楽しむ上で必須の身体作りを目的にエクササイズとフィットネスを続け、結果的に思い通りに動かすことのできる身体を手に入れて、その状態を長く保てるような健康を手に入れることであり、副産物的に結果として世間で言われるダイエット(減量)効果も得られるというものだ。

 しかし、簡単サプリ、ダイエット極意で短期間に目を見張る減量を謳い文句にした宣伝系のTBも多く散見される。これらの真偽の程は確認していないために、論評は控えるが、当ブログと趣旨の異なるTBが多いところを見ると、機械的なTBがなされているように感じるところだ。

 見た目の痩身を手に入れるためだけに減量したって何も良い事は無い。健康な体といのは、自然の能力を自然に最大限活用できる状態の事を言い、自然の能力を人工的に作り出すサプリとか、エネルギー収支のバランスを完全に破壊するような絶食、偏食系の食行動というのは、不自然故に、見た目痩身であっても身体機能は自然さを欠いた状態であると言わざるを得ない。

 敢えて外見的、数値的に目指す身体というのは、見た目は細いんだが、案外体重があるとでも言おうか?要は、不要な脂肪を除去し、筋肉をしっかりつけるというパワフルな身体を手に入れることが目標だ。

 もし、当ブログを読んでTB、コメントを下さる方が居られれば、それを踏まえてコメントなり頂ければと思う。

 目指す身体は、パワー&スタミナを備えた身体である。それを身に付けるのは、全ては長く趣味を楽しむためであり、大人の言い訳や自慢話である『昔はオレも~してた』、『歳をとったから、もう~は卒業だ』とかは死んでも言いたくないのである。頭の中が子供のままで良いのである。子供時代からの好きな事が加齢によって出来なくなるというのが嫌なだけである。

 最近多い、メタボリックシンドロームネタ、健康ネタの番組ではないが、将来の定年後においても自由に好きな事で人生が楽しめる準備を、今からやっているとでも言えば良いのかも知れない。

 話は変わるが、健康で生まれながらも、加齢を理由に重大疾病に陥り余生を過ごす姿を見ると、その状態は待避可能であった筈なのに、、、、と思ってしまう。出来れば、そういう状態は避けたい。無策で病に陥り、それを仕方ないものと考えたり、原因を外的環境に求める姿に較べると、昨日のテレビであった『難病と闘う子供達』で放送されていた難病でありながらも前向きに生きる子供達の方が、遙かにいけてるし格好良いと思うところだ。

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2007年1月 9日 (火)

子供の成長

 我が家には4歳になる娘が居る。休日になると確実に公園に出掛けて遊びをしている。自分の住んでいる団地は、小さいながらも世帯数の割に子供も多く、下は2歳から上は小学5年生迄が一緒に遊んでいる。子供が遊んでいる中には、親として口出しはせず見ているだけの事が多い。
 娘が二歳頃迄は親子で遊ぶことが多かったが、最近は近所のお姉ちゃん、お兄ちゃんと遊んでもらうことが楽しいようである。勿論、親子二人で遊ぶ事もあるが、遊んでいると近所の子供が集まり、いつの間にか子供同士で遊んでいるというパターンだ。今の遊びといえば、ドッチボール、集団?自転車練習、かけっこ、鬼ごっこといったモノ。少し前は、ブランコ、滑り台というのが興味の対象だったようだけど、今は他の子と一緒で遊ぶ事が大好きなようである。最近特に思うのは、周りとのコミュニケーションが上手く出来はじめたことと、異様に負けず嫌いな事、ルールとか物の善悪が理解出来はじめた事だ。我が家の場合、基本的にはほったらかしで、好きな事を自由にやらせているが、教える事といえば、やったらダメな事、最近ではルールや約束事を守る事くらいだが、子供が勝手に周りを見て勝手に成長している様子である。

 娘は今4歳だが、同学年の子も数人おり、子供によって成長のスピードは様々である。男の子と女の子の違い、同性での違い等々様々である。同学年であっても周囲とのコミュニケーションが取れる子、そうでない子、集団での遊びに加われる子、加われない子等実に様々である。かけっこをする場合でも足の速さを見ていると倍半分程の差が既に現れているようだ。これらは子供の個性で、子供の成長なりに親は見守ってやれば良いと思うんだが、特に母親という存在は、自身の子供と他人の子供を較べて、よその子や自身の子、よその親に対してフラストレーションを感じている人も居るようだ。

 塾の講師を十数年続けてきた経験上だが、親が子供に期待しすぎると、なかなか親が満足できる状態は得られずに、悪くすると、自身の子供を美化しすぎたり、悪いところが見えなくなったり、逆に、子供の良い所が見抜けなくなったりする。そういう親子関係もアリかもしれないが、個人的には不幸な事と思う。
 子供毎に個性があり、成長も様々である。周りと較べるでなく、子供に合わせて、焦らず、のんびりと接すれば良いんだが、、、。でも、子供っていうのは残酷な事を平気で喋る所もあり、小学校中学年位の子が『○○ちゃんは△△で一寸変わっている』とか言う声を聞くと、親としては前述の建前的な意見で冷静さを保つ事も難しいのかもしれない。

 週末の休日というと、子供と遊ぶ時間が最低でも3時間は一緒に過ごしており、結構、疲れるし、好きな単車や自転車で走り回る事も適わなくなる。(まぁ、それでも子供と一緒に走り回っていたら、相当の運動量ではあり、自身の健康にも悪くはないだろうが、、、。)その上、大人同士の変な気遣いや遠慮が入ってくると、精神的にもドッと疲れる。単純に近所の子を含み子供達と遊ぶ事だけなら、その中で興味を見つける事で3時間程度はアッという間なんだが、大人同士の人間関係ってのは、和やかでない場合は眼を見れば、何となく何を考えているか?が読めてしまうんで、結構疲れるんだなぁ、、、。

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2007年1月 8日 (月)

自転車は車両か?歩行者か?

 自転車歩道通行許可法案についての意見は様々あるようだ。
 ネットでこのネタを扱うサイトは殆どが自転車趣味の人のサイト。そして、自転車趣味を持つ人の殆どは趣味系自転車に乗ってるが、99%が法案には反対の姿勢を示している。法案の草案(試案、提言)へのパブリックコメントも受付中のようで、この法案に関心(反対意見)のある人が中心となりパブコメの提出もされている様子。

 法案反対派の意見として多いのは、
・歩行者対自転車の事故が多発しているのに、自転車の歩道通行許可は矛盾してる。
・自転車は本来、車両である。
・自転車の歩道通行可という現状は、元来は暫定処置である。
・先進各国では自転車は車道の乗り物である。

 反対意見も尤もである。しかし、世間一般で言う自転車の殆どは、実用車、幼児車であり、これらの扱いやユーザーの意識の殆どが自転車=準歩行者という事実。

 法案推進派の意見?は
・自転車のユーザー像から現状を追認した法案に改める。
・自転車通行に見合った車道整備は困難。
・車道は自動車のもの?である。

 といったところか?
 自転車と一言で表すと、車道と歩道の一方に決めるというのは非常に難しい。傘の固定具を装備したママチャリ、子供乗せを装備したママチャリ、幼児車、高齢者が使用する自転車等を見ると明らかに自転車は準歩行者だし、スポーツサイクルでフル装備で走っている自転車は車両だし、、、。

 但し、自転車という一括りで纏めるんなら、大多数を占める準歩行者としての扱いを徹底するのが正論というのも理解できる。そして、既に国会の議場に上る段階では、恐らくは止めようが無いのも、、、、。この前提で話題の元が、今の試案における「自転車が車道を通行することが特に危険な場合は、当該道路の自転車通行を禁止することなどの措置を講ずること」の文言における『特に危険な場合』で、分離された歩道の在る車道が全て危険と指定されれば車道通行禁止となる流れが読めるのも確かである。

 こういう現状では、自転車が心地よい乗り物として使える環境に、どのように導いていくか?が大事なようにも思う。
 自転車が歩道を走るにしても、対歩行者との事故が削減されるようなビジョンが必要だし、自転車が車道を走るにしても、交通社会の一員として円滑な交通環境が維持できるような取り組み(法整備、保険制度整備、インフラ整備)が必要だ。

 仮に車道通行禁止という流れであるならば、やはり自転車対歩行者の事故が減少するような歩道の拡幅、歩道内自転車通行帯の確保、マナー向上への取り組みが必須だし、車道通行前提という形を保つならば、試案でいう『危険な場合』を取り除くような、車両扱いとなる自転車の明示的区別、或いはヘルメット着用義務等の使用者義務と使用者責任の明示が必要だろう。

 一番良いのは、自転車が車道か?歩道か?を画一的に定めるでなく、ユーザーによって区別する事かとも思う。但し、普及台数が膨大であり識別表で管理するのは現実的でないし、保険制度の整備にしても、自転車専用道や通行帯等のインフラ整備も簡単ではない。
 そうなると、一目で見て判る形での分別という事になるのか?とも思える。例えば、車両扱いとなる自転車は26inchサイズ以上の自転車とか、車道においては弱者になりがちな自転車の危険抑制に効果的であり、一目で見て判るヘルメット装着車に限り歩道併設車道における車道通行を認めるとかの案が現実的な路線かと思う。

 流れ的に法案が成立していくのは間違いの無いところだろうけど、一つの落とし所としては、原則車道通行可で、危険な場合は歩道通行を強制させるものの、車道を通行するならば危険を回避する最低限としてヘルメットの着用義務を設けるたり、車道通行のための(14歳?16歳?といった)年齢制限を設けるといったところか?
 勿論、歩道内での自転車通行帯の確保、自転車対歩行者事故における事故処理で必要となる保険制度の普及、マナーの向上といった行政とユーザー側の取り組みも必要だろう。

 ということで、自分としては、今の試案は(自転車の車道通行原則という部分で)原則賛成だが、公衆道徳への理解が高まると思える年齢に達し、ヘルメット等安全具の着用義務を満たせば歩道併設車道であっても車道通行が可能であるという条件が欲しいところだ。そうすれば、準歩行者としての自転車の手軽さも残し、車両としての自転車にしても使用者の安全への意識を高められるように思う。車道における交通弱者となる自転車では、ヘルメットに保険を掛けるとかも良いと思うんだが、、、。そういう意識の人は、自転車自体にも保険を掛けるだろうし、そういう形で自転車に保険が当然という流れが出来ればとも思うところだ。

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2007年1月 7日 (日)

身の回りでは自転車増殖中

 以前も会社の同僚が自分のDAHONを見て欲しくなったという話を書いたが、いよいよ彼はDAHONの購入を決意したようだ。昨日、会社で『DAHONを買いたいので紹介して欲しい』ということ。何処のショップでも売ってると思うんだが、頼まれて拒む理由も無いので紹介することにした。
 ショップのお兄さんも購入希望者の住所を伝えたところ、配送OKとのことで今週末にでもショップに連れて行ってみる予定。

 他にも、同じ峠系ライダーで、昔ロードに乗っていたという人が再度ロードを直して乗り始めるんで一緒に走ろうって誘われたりしてる。

 気が付けば、自分が自転車趣味を復活して、周囲でDAHON系、ロード系を始めたり、復活したりする人が随分増えた。

 このブログ、メインサイトでもアクセス時のキーワードはDAHON、ピストってのがかなりの割合を占めている。自転車ってのは、やっぱりブームなのか?まぁ、一緒にポタリングしたり、ツーリングしたり出来る人が増えるってのは喜ばしいことだ。ニシダサイクルさんの常連さんとも交流も得れたし、BBSでも数少ないお客様でも自転車を話題にコミュニケーションが取れている。共通の趣味で交流が広がるってのは、自分の世界が広がることでもあり、実に有意義だ。趣味を持つメリットってのは、それによって世界が広がる。色んな人の話が聞ける。っていう意味も大きい。

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2007年1月 6日 (土)

将来の自転車の車道通行禁止への賛否

 現在の法律では自転車は原則車道通行であり、歩道通行可の標識がある場合に限り、歩道を通行しても良い状態である。しかし、次の通常国会では原則歩道通行させるような法案が提出されるらしい。そして、自転車愛好家の間では、将来の車道通行禁止を匂わせる流れが感じているということで、一部の間ではホットな話題となっている模様だ。

 自転車通勤者、愛好家の間では総じて反対の論調が多数を占める。しかし、自分の場合は、まぁ、なったらなったで仕方ないし、世間一般の識者から見ると、そういう意見が出るのも致し方ないかなぁと思うのが正直なところ。ただ、通行区分どうこう言う前に、使用者モラルを向上させるような法制強化が先に来るべきだというのが本音。ユーザーサイドとすれば、インフラ整備等の権利を主張する(自転車のための道路整備なら受益者負担ではないが、使用者自体からの税徴収がなされるかも、、)前に、交通社会における一員の果たすべき義務を果たすのが先決だし、法制としてはユーザーに義務感を与えるのが先決では無いだろうか?気軽、手軽な存在は法令無視が許される?との勘違いが蔓延した現状では、規制強化に対する反論も説得力に欠ける。自転車に限らず、過去の単車の規制強化の法案成立の流れでも、ユーザー側のモラル欠如による社会問題化から法制強化の機運が高まっている。

 ライダー、ドライバーの視点で見ると、自転車ユーザーの多くというか、市街地域で見るユーザーの殆どが信号無視、右側通行の逆走、並進運転、夜間無点灯、交差点一時停止中の四輪車を縫うように走ったりをしているように見えるし、駐輪マナーにしても目を覆いたくなる使い方(店舗入り口を塞いだり、点字ブロック上の駐車とか、、)をしているようだ。走行域規制のような一足飛びの自転車を取り巻く法制強化の意見が出てくるというのは、大きな意味で自転車ユーザーが社会から認知を受けていないがためのようにも見える。(単車の駐輪場整備の遅れにしても然り、騒音規制強化にしても然り)

 勿論、車道走行禁止が原則だという画一的な規制は反対だが、前例としての原付の二段階右折のように、条件を限った車両走行区分の棲み分けっていうのは、現在の交通事情を考慮すると当然のように感じる。自転車を取り巻く法案の最終的な状況というのは想像できないが、道路事情に応じた走行区分の指示と、明確な使用制限(速度制限、ヘルメット着用義務、使用届け出等の免許制度導入、反則金制度、防犯登録証と連動した自賠責加入義務等)はあって当然かとも思う。そういう状況で始めて自転車の車道通行が他の車両と円滑な関係が保てるようにも思う。現状のサイクリストの中で正統派的な論調も見られるが、実際の通勤途上では一時不停止で平気に突っ込んでくるロード、他の交通車両に急制動を共用するような片側三車線道路での強引な右折を行うロードも実際に遭遇する。(確かに、ビンディングペダルで気持ちよく走っていたいのは判らないではないが、それなりの場所でしてくれって感じだ。同じ会社のチャリオタ君に聞くと、車道通行禁止は反対だが、現実、信号無視は人がやるから自分の判断で信号無視してるとか、、、)

 少なくとも、遵法意識が浅く、混雑した市街地区域における事故が多発している現状では、これらを解消するような法体系の整備が為されていくのは仕方ないように思う。

 勝手な感想だが、自転車というユーザー年齢の幅の広い乗り物故に、その乗り物を使う事で、遵法教育を行うというのは悪くない気がする。免許制度というのは幼児に免許というのは、難しいだろうけど、車両の管理番号(防犯登録)によって使用者、管理者を明確にして、遵法意識を高めるような反則金制度の導入や、他人とのトラブルにおける責任負担が行えるような保険制度の導入は賛成であるし、これらを行う事も重要だと思う。その上で、画一的な車道通行禁止は反対なものの、時間帯指定、市街地区域規制、或いは車線数による規制、歩道における走行帯確保可否により自転車通行帯を歩道に設けることはアリだと思う。一部で叫ばれているような、公の提言(試案)を極端に解釈する必要も、今の時点では疑問符が付く。歩道が有れば車道通行禁止って解釈自体は疑問であり、自転車巾が車両法上60cmとなるならば、巾が2m以上の歩道とか走行区分が記された歩道に限り車道通行禁止って解釈が現実的なのでは無いか?

 法案自体が提出されていない現状で、どうこう言う気も無いが、法案成立から施行、それに併せたインフラ整備の進捗状況、ユーザーモラルの変化等は注意して見ていきたいものだ。何にしろ気になる話題であることは確かだ。

PS 自身、自転車で安全速度と言われる25km/hを越えて走ることもある(今の法律上は自動車と同じで、速度指定があれば指示値だし、無ければ60km/h)し、そんな事が出来る自転車も好きなのは確かである。でも、そういう自転車は、そういう使い方が楽しめる場所で楽しめば良いかなぁというのが、正直な感想だ。事実、市街地走行せざるを得ない状況では、そういうタイプの自転車を使う事は無いし、だからといって自転車自体が楽しく無くなるとも思えないのが本音だ。現行の法体系の中でも、速く走って迷惑の掛からないように、休日の早朝時間帯にCRで漕いでいるし、いざという場合に備えた保険加入は当然入ってるし、、。交通量の多い道路では車道を走ることは無いし、、、。考えてみれば車道を走る場合ってのは、明確に歩道という形が無いような道路ばかりだし、、、、、。

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睡眠時無呼吸症候群と生活習慣病

 「睡眠時」に「無呼吸」状態になる病気で、「無呼吸」とは10秒以上の呼吸停止と定義され、この無呼吸が1時間に5回以上または7時間の睡眠中に30回以上ある方は睡眠時無呼吸症候群と診断される。無呼吸がつづくことで体に負荷がかかり生活習慣病(高血圧や心疾患など)になりやすいとのこと。症状的には不整脈、高血圧、心不全、糖尿病等の疾病の他に、睡眠中に呼吸が止まった状態(無呼吸)が断続的に繰り返されるために睡眠がとれず、日中の眠気、集中力、活力に欠ける、居眠りがちになる、居眠り運転で事故を起こしかねないという。
 この対策には、減量、飲酒制限、禁煙が有効ということで、生活習慣病の対策と極めて似通っている。

 睡眠時無呼吸症候群と生活習慣病のどっちが先か?は判らないが、関連性が在るようにも思えるし、個人的な感想としてもは生活習慣病の方が先のように感じられる。人間という生物個体であっても、メカニズムの健全性とは物質収支、熱収支といったエネルギーバランスが整っているのが必須であるのは、他の機械と同様である。個人の感想だが、エネルギー収支を整えることが、万病の予防にも繋がっていると思う。

 このような、忍び寄る重大疾病、突然の事故を未然に防ぐには、エネルギー収支を整えるべく、身体のコンディションを保つダイエットというのが一番イイ。ダイエットにしても小入力小出力というガリガリヤセヤセ系よりも、大入力大出力というパワフル系の方が代謝の活性化という面で良いと思う。

 となると、疾病予防の言葉には世間一般で用いられる減量を意味するダイエットという言葉よりも、フィットネス、エクササイズといった言葉こそが一番だ。

 フィットネス、エクササイズの副産物としてダイエット効果も現れるという認識で身体のエネルギー収支を整える生活習慣を作ることがベストかも。

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2007年1月 5日 (金)

ギア比 for ラングスター

 毎日、ラングスターに想定するギア比で走り込んで居るんだが、走る程に色んな考えが浮かぶ。このように考え続ける事は楽しいんだが、実車が待ち遠しい。
 昼ポタ中心の走り込みになると、そんなに軽いギアは要らないようにも思うのが正直なところ。ギアに何を選ぶか?って言っても、使えるギアは二枚限りで、ひっくり返して使う程度なんで、歯数差は1T程度だ。17Tの固定は決定にしろ、残りの一枚に何を使うか?これが結構判らない所だ。最初は一方に固定を使うんなら他方はフリーでもよいか?とも考えていたんだが、フリーで乗るくらいならマイヨWWでも乗れば済むような気もするし、そうなると両面とも固定にしようか?と思うのが正直な所。16T&17Tとか17T&18Tとかが良いような気がするのが最近の思いだ。これ以上考えても仕方無いんだが、、、。

 それにしても、単車にしろ自転車にしろ納車前の考える時間ってのは楽しいモノだ。アレして、コレして、それして・・・・色んな事を考えてしまう。
 実車が来る前に要らぬ買い物の衝動にも駆られてしまう。もう一組完組みホイールを手に入れようか?等と、、、、。考える程に物欲も暴走気味だ。

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オタク君の体育会系志向?

 新年明けて、早速チャリマニア君が笑わせてくれる。
 今年も相変わらず速く走りたい夢を持っている模様。ただ、漠然すぎて微妙すぎる。本人の伝聞、ネットによる知識で、思い付いた出来そうな事(トレーニング、車種選定・・・)を目的や道理は良く判らないながらも、やって悪くはない筈だ!?というノリで色んな事を取り組んでみようとしてるらしい。
 自分を含めて、競技経験者も居るんだが、自分達に聞かれての答えってのは、何時も同じで、考えて、考えを組み立てて、手順に従って実践しろ!それが出来ないなら、学校ならば体育会系の自転車部にでも入るイメージで、ショップのサークルにでも入って手順を学べ!って答えなんだが、その手順の必要性が自覚しているにも関わらず、恥ずかしい?(年齢は関係ないし、幾つになっても初心者なら初心者らしく振る舞えれば関係ないんだが、、)事ってのは避けて通りたいらしい。
 目的と手順が理解できるならば、唯我独尊で実行すれば良いが、それが判らないならば、学校や塾のような環境で、手順を学び、目的を見つけ、段階を踏んで本人が成長するしかないんだが、、、、。いずれの方法も拒否して、その上で他人の上に来る?なんて意識はムシが良すぎるし、、、、ゆとり教育を履き違えて育った末路を見るようだ。ゆとり教育が悪いんではなく、履き違えた状態の放置プレイがこんな結果を招くのか、、。
 憧れる姿が体育会系であっても、その手順には従わず都合のよい取捨選択を行う我流しか選べれないんだったら、細木数子先生の言葉でないが、不競を貫けって言いたいところだ。

 目的達成の道程にある困難を常に避けるような考え方では、絶対に目的達成は適わない。どんなに道を避けても、必ずや、そういう困難は存在する。逃げてばかりの人生で何が楽しいのだろうか?というのが今年一発目の感想だ。

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新年互礼会で聞こえてくる声

 互礼会にて会社の人とは一週間ぶりに顔を合わせた。
 殆どの人が年末年始休暇中で体重が増えたそうだ。やっぱり、活動量が大幅に減少し、摂取量が大幅に増えるからか?結構、深刻な人も居たが、所詮一週間程度の生活リズムの変化による影響だし、体重増が全て脂肪でもない。食事、排便のリズムの変わっているだろうし、脂肪にしても内臓脂肪レベル故に、直ぐに元に戻るんでは無いだろうか?
 最近のダイエット勧誘商法では、短期間に結構な減量に成功した例が紹介されているが、短期間に変わりうるモノなんては、殆ど水分では無いだろうか?人間の唾液の分泌量にしても1.5リットル/day、摂取水分、排尿、排便から考えると、変動する水分量は相当な量の筈だ。
 ダイエットにおける日々の体重の増減に一喜一憂することは、殆ど意味が無いと思うのが正直なところ。体重の値を日レベルで気にするでなく、日々の変化の傾向こそが重要であり、変化の仕方と、その時々における食習慣、運動習慣の相関性を自分で見抜くことこそが重要である。
 そういう原因となる行動と結果となる変化の相関性は人によっても異なる筈であり、その人毎の相関性を理解し、体調をコントロールすることが大事では無いだろうか?
 年末年始の忘年会、新年会シーズンがあるならば、それはそれとして、その前後で体調がどのように変化するか?を理解しながら、シーズンを過ごし、結果として平均的に変化しない生活とは何か?を見いだす事こそが大事なように思うところだ。

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2007年1月 4日 (木)

使わない筋肉も使えば、、、。

 腹筋、上体の筋肉は日常のトレーニングで結構使っているんで、少々の負荷を掛けても張る事も、疲労が残ることも無いんだが、下半身中心のメニューを加えると、かなり下半身の筋肉には強烈な張りと筋肉痛が残る。運動量的には大したこと無いんだが、結構効く感じだ。
 運動を始めて三日目しか経っていないし、メニュー的には変化させてないんだが、それでも、今時点の筋肉痛は前日より楽だし、筋肉の張りも少なくなっているのが判る。本来ならば、筋肉痛が取れて再度行うというのが正常だろうけど、筋肉痛の程度は緩いし、徐々に緩和されているようなので、仕事初めの明日以降も今と同じ程度の下半身強化メニューは続けてみようと思うところ。
 最近は筋肉痛がある方が心地よいとも思えるし、競技をしている訳でもないんで、少々痛くても何の不都合は無いから、こんな調子で良いと思うところだ。

 取り敢えず、明日は乾布摩擦、昼ポタ、遠泳も再開する予定だし、ステップ運動は40分程度、腹筋は800回程度、スクワット、レッグカール系は300回程度で様子を見る予定。具合を伺うのは、今の疲労状態で、遠泳、昼ポタに影響が、どのように出るか?が大変興味深いところだ。やってみないと判らない、、、。

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2007年1月 3日 (水)

正月の暴飲暴食

 表題の行為がメタボリックシンドロームの進行を加速するというニュースが今年一発目に目に入ってきたニュースである。
 メタボリックシンドロームというのが重大疾病の前段階であるために、前段階から重大疾病に以降する切っ掛けが正月時期の暴飲暴食にあるとの警告である。それ故に、糖尿病患者の多くは年末年始に血糖値が上がり、1月は状態が悪くなるといわれているらしい。
 暴飲暴食で血糖値が上がると、動脈硬化を進行させてしまう。心筋梗塞には胸の痛みという自覚症状があるが、糖尿病の人は痛みを感じにくく、発見が遅れがちというのも厄介だそうだ。暴飲暴食は健康な人でもインシュリンの分泌を狂いやすくしてしまうために、糖尿病予備軍であるメタボリックシンドロームの対象者がついに発症、ということもありうる。

 一年の自分の身体を、どう仕上げていくか?というのは、正月にしっかり考えて活動していきたいものだ。どの程度の負荷ならば続けられるか?自分の身体が耐えられるか?これを調べるには休暇期間というのは有効に使えるもんだ。

 自身も今の下半身強化がオーバーロード気味と判断すれば調整して続けられる負荷ってのを探すつもり。

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年末年始休暇もアッという間だ。

 12/30からの年末年始休暇も残すところ1/4のみである。1/5からは普通に仕事初めで、1/6は普通出勤日、1/7は休みだが1/8は一斉休日出勤日。
 12/30は午前中は家族と買い出しに出かけ、午後は一階の窓掃除、外構、エントランスの掃除とサイクルショップへの挨拶とバイクでの走り納め、12/31も午前中は買い出し、午後からは二階の窓掃除、風呂掃除、トイレ掃除、部屋掃除、バイクの機関調子確認走行、1/1は午前中が家族で初詣、午後からは子供と正月的な遊び、1/2は午前中が嫁のバザー出撃による子供と二人きりで街を徘徊、午後からは実家へ帰省、そして1/3の今日も再び嫁のバザー出撃で子供と二人きりで街を徘徊、午後はたこ揚げ、何故か公園を延々と走り回る駅伝ごっこ?、コマ回し・・・・気が付けば、休みは明日だけ。アッという間である。

 子供も4歳になると、一丁前の口を利くし生意気だし、繁華街におけるオモチャ屋への道順も覚えているようで、手を引いて一直線で向かっていく。欲しいモノを見付けては自信満々でお年玉でお買い物・・・。今日に至っては、街の中年女性が福袋を抱えて走る回る様を見て、『紙袋』?が欲しい・・・・。ということで、文具店に出掛けて文具店の福袋(1000円)を買って満足そうにしてる。

 福袋・・・個人的には全く関心が無い。いくら定価レベルで高額なモノが入っていようが、自分が本当に必要で無いモノが殆どならば損した気分になるし、在っても良いというレベルのモノは本来買わないからだ。しかし、子供的には大人の行動自体に興味があるようで、オモチャの福袋も考えたんだが、在れば確実に消費するであろう文具の福袋に誘導した次第だ。子供的には中身は何でも良いようで、福袋を抱えて帰る事に意義があった模様。中身は全てがキャラクターものの色紙、シール、筆箱、シャープペンシル、ボールペン、消しゴム、クリアファイルであり本人は満足している様子。

 今年は珍しく年末年始にショッピング街を徘徊したが、相変わらず自分の物欲の吟線に触れるものは無かったなぁ。欲しいのは、春にやってくるピストを操りきれる技量と体力だけって感じだ。

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2007年1月 2日 (火)

今年の活動テーマ 『下半身強化開始!』

 今年のテーマ、決定である。
 春先にラングスターがやってくる。手持ちの愛車でピスト16T相当を踏めるようにホールド運転しているんだが、瞬発力強化、特に下半身の不足を補う集中トレーニングを行う事とした。今までのステッパーも、どちらかというと有酸素運動、ブレストストローク(平泳ぎ)もそうだ。ということで、下半身の筋力アップを目指す。今の脹ら脛は39cm、太股は59cmだが、昔の各42cm、65cmと迄は行かなくとも、近いくらいに鍛えたいところ。
 ということで、高負荷の瞬発系トレーニングを行うこととした。スクワットは楽勝だが、片足屈伸は結構効く。しかし、やっている実感も沸くし面白いんで、暫く続けようと思う。
 今感じる筋肉痛が普通の感覚になるように、負荷に慣れて強化していければと思う。

 勿論、食生活も蛋白質をしっかり摂取するように、良質の鶏肉、納豆をしっかり食べて体組成を変更していく予定。当然ながら、遠泳系の心肺機能強化のトレーニングも継続する。春の納車迄、最短で二ヶ月、長くて三ヶ月半だ。体質改善には、少し足らないが、そういう考えで、この冬を乗り切りたい。これが、今年のテーマだ!

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2007年1月 1日 (月)

今年の初ネタ。チョコレートの効果?

 今年、ダイエット、減量関係で一番最初に確認すること。
 それは、先月の記事にも書いたダイエットに対するチョコレートの効果である。

 自分自身、昔からチョコレートは好きだったんだが、去年の11月迄は殆ど食べていなかった。しかし、安売りのビターチョコレートを見付けたために、買い込んで結構頻繁に食べていたのが11月半ばから12月半ば迄である。その間の出来事と体重の変化をまとめると、

1.体重は63.5kg近辺で静定していたのが12月上旬に掛けて減少し62kg近辺迄低下。
2.運動量、食生活自体は不変である。
3.体重減少が見られたのは、健康診断で胃部所見が判り、再検査の結果判明迄。
4.12月半ば以降は体重は63.5kgで静定してる。

そこで、体重が減少した理由を思うに、

1.健康診断での胃部所見有りでの潜在的な不安による現象。
2.その間多食していたチョコレートの効果による現象。

の二通りなんだが、意識していなかったため、チョコレートも食べず、健康診断でも無事が判ってからは体重は元に戻っている。
 しかし、どっちの影響が合ったのかが気になるので、今年一発目は暫くビターチョコレートを食べて体重がどう変化するかを調べてみることとした。

 もし、これで体重が変化するようだと、巷で言う、チョコレートダイエットってのは効果があるのかもしれない。何れにせよ、長期間行うつもりは無いが、先月の体重変化の原因を把握するのが目的であり、チョコレート効果か?精神的な弱さによる効果か?を知りたいだけである。

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