自転車から見た四輪のマナー
自転車のマナーが良くないのは判っているけど、自転車から見た四輪のマナーも褒められたものではない。
広島でのポタコースの途中に外資が入った某自動車メーカーの北出入口があるんだが、そこを出入りする従業員の車のマナーはあまり褒められたものではない。本来、公道から路側を横断して私有地に出入りするんなら、一時停止と入出時の合図は必須の筈だが、これを励行している車は皆無に近い。酷いものである。勿論、自分の勤務先でも、他の企業でも同じだろうけど、目に見える分、不愉快な気持ちが高まる。
自転車でも単車でも四輪でも、最近はマナー以前にルールさえ守れない人が多い。一般論でマナーが悪くなって嘆く論評を聞くことが多いが、ルールを守る意味が判らない人で形成される社会にマナーを求める事自体がナンセンスなのかもしれない。ルールを守る意味を理解しないというか、必要性を認識しないという人格を否定するのは簡単だが、否定される側には、日常行動が悪い行動とは思っていない訳であり、過去からの人格形成時の問題が現在の人格を作っていると考えれば、どうしようもないのが正直な思いだ。
地元企業に勤めていると、地元の製品の購入を奨励しているが、こういう姿を頻繁に見かけると意地でも買いたくなくなる。そんな訳でここ十数年は、そのメーカーの車両を購入したことは無いんだが、、、。勿論、そこの従業員全てがという訳でもないし、本当に吟線に触れるようなモデルがあれば別だが、取り敢えず何でも良いような、耐久消費財的にモノを選ぶ際には候補から外れるという話だ。
こういうのは、やっぱり教育の問題が一番大きいんだろうなぁ。詰め込み教育、受験戦争、ゆとり教育・・・・色んな教育論があるが、どういう形であれ、評価尺度の方向性が同じなら根本的な解決にはならないような気がするところだ。科目の違い、難易度の違いに関わらず、結果的な評価は出来たか出来ないか?に終始していては結局同じことで、出来たという結果を得るために、公式暗記、過去問制覇で競い合っているのが現状だ。
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