最近思う事。健康管理を行う訳は、、、。
気が付けば、人生も半分は過ぎてしまった。不老不死は願っても叶うものではない。時間は刻々と過ぎていくものである。今までを振り返ると、結構、適当かつ、いい加減に過ごしてきている気もする。そんな中で、何が楽しいか?って考えると、勉強では無いし、仕事でも無い。楽しい事っていえば、遊ぶ事である。不真面目であるが、自分が楽しく遊べる事を持っているってのが一番の幸福かなぁ?なんて考えたりする。そして、それが趣味であり、趣味を持つって事がが一番大切な事かなぁ?とも思う。
間違っても、仕事が趣味とはならない。仕事や勉強をネタに楽しむ事は出来ても、趣味に対する気持ちを上回ることは絶対に無い。
そんな訳で、これからも、これ迄同様に趣味で遊んで過ごしたいものである。しかし、人は歳を重ねるに従って、生活基盤の変化、仕事、体力、老化・・・の変化によって、同じ様に遊べなくなる例も少なくない。
趣味との接し方というのは、成長期における知識の習得、身体の成長によって人それぞれに決まってくる。その人なりの趣味への考え方と接し方というのは、おおよそ二十歳くらいで決まってくる。今の平均寿命が80歳とすれば、価値観というものが形成されて死ぬ迄の時間は60年程あるんだが、その60年を目一杯遊んで暮らせるってのは案外難しいものである。世間一般の高齢者?を見ると60歳くらいで物理的な身体機能はかなり衰退しているんで、現実的には60年というより40年か?ただ、この期間をどういう風に過ごそうが、物理的に60年(40年)という時間自体は平等に与えられているのも事実である。
60年(40年)という時間の過ごし方は様々だが、遊び第一で過ごすためには、遊ぶための財を成すための生産性が高くないと遊ぶ時間が無くなる。生活習慣の変化や老化?に身を任せると、下手すれば40歳くらいで物理的に遊べる身体を失ってしまう。趣味であるからには、接し方が常に進化するから面白いのであって、単純に好きというだけで、その世界に対する知見に進歩がなければ、趣味の深化は味わえない。つまり、趣味に奥深さを与え続けるためには、その分野に関する理解力が無いと、これまた楽しめない。
自分の趣味は単車(最近は自転車も)だが、今の価値観が形成されたのが二十歳の頃だ。様々な要因で不健康な生活を続けていたとすれば、案外、今の時点で単車が楽しめない身体になっていたかもしれない。でも、コンディションを確保して興味を失わない考えが維持できれば、最低でも、あと20年(60歳迄の)は楽しめそう。自転車についても同じだ。
これまでの20年は結構お気楽に過ごしてきたけど、趣味が今と同じ価値観で楽しめる期間でいうと、今は折り返し地点である。或る意味人生の後半戦に突入だが、今まで同様に遊んで暮らしたいものである。
そのために、怠惰に身を任せた身体機能の喪失は避けたいところ。生活環境の変化に伴う拘束条件の緩和のためには、なるべく高効率で仕事等は片付けたいところだ。更には、趣味を深化させるためには、必要な知識は更に身に付けていきたいとも思う。このような方向で活動するときは、なるべく無駄なく効率よく物事を進めたいんで、健康管理についても内容を良く吟味して過ごしたいし、仕事や学問の世界で出会う知識ってのは趣味の世界でも活用できるような連想や発想を育みたいものだ。また、生活に追われるような稼ぎ方ではなく、趣味のための知識を仕入れるために仕事をして、それによる生産性が最大となるような誰も思い付かない事(人が避けたがるような難題)で、短期集中的効果最大を目的に動いていきたいところだ。
コンセプトは死ぬまで楽しく遊んで暮らす!ってこと。・・・・不真面目だなぁ、、、、。
| 固定リンク
コメント