嘘だらけの世の中
今日のニュースは、姉歯建築士の建築偽装に似たもので、別の建築士による建築耐震強度偽装が発覚したところ、、、、。やっぱり!としか言いようがない。そんなもんである。殆どが嘘で塗り固めているのでは?ということだ。
でも、そんな嘘や虚構、偽装、偽造が為されるってのは、これは或る意味、仕方ない現象でもある。
そんな事を書いたら被害者の方には申し訳ないが、人間、誰しも人から良く思われたいという本能的な習性があるのも事実であるが、何故、金が絡むと嘘で塗り固める事が起きるか?ということを考えると、結局は買い手(需要側)が無理な要求をするからであり、買い手側の目が肥えていない(見た目、スペックだけで判断)ためでもある。
このような買い手側の目と無理難題、売り手側のジレンマによって生まれる嘘というのも実に多いように思う。物の価値ってのは、本来、時代性や流行によって左右されるモノではない筈だが、バブル以降の価値観において、モノの価値以上の価格が付いたり、価値から見ると捨て値同然の価格が罷り通ったりしているが、結局、判断する側が価格の額面だけでしかモノを見る事が出来ないからでもある。
結局、このような歪んだ価値観が当然とされる社会になった理由ってのは、昨今の社会の抱える問題と深い関係があるのも事実である。
今の政治の世界を見ると、社会に問題が有る事に気がつき始めているものの、それを解決するための具体的な策が見付ける事が出来ない。そんな状態に陥った閉塞感ばかりを感じることが出来る。
日本という国を見ると、戦後復興から近代化迄を駆け足で実現してきたものの、真に必要な価値観形成という部分が立ち後れており、衰退の段階に入っているように思う。生物、種族、国のサイクルから考えると、日本という国は、今後、現存する膿を出す過程に入っているのでは無いだろうか?淘汰されるべきものが淘汰され、生き残るに相応しい価値観を持ったモノ(人にしろ、産業にしろ)が抽出される時代に入っているように思うところだ。
格差是正が叫ばれているが、格差拡大と淘汰という形が加速して行くのではないだろうか?それこそが、自然の摂理かもしれない。
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