捏造、虚偽報告、クレーム隠し、、嘘でまみれた社会で生きるために。
昨日のあるある大事典の捏造報告は結構反響が大きいようだ。まぁ、気にはしないが、テレビ局も、食品メーカー、自動車メーカー・・・・多分同じような問題は程度の差こそあれど、普通のことなんだろうなぁ。
大学の論文捏造、実験データ捏造のニュースも過去には有ったし、、、。世の中は真実ばかりで成り立っている訳でないのは当然で、資本主義というか儲け主義、拝金志向で利益追求の競争が激しい所程、真相の程がどうなっているか?は怪しいモノである。発覚時における初期対応の腰の引け具合や、明るみになったときの平謝り的な態度は、いつもの事だ。
作り手側、情報の担い手側も立場における使命を本当に考えて行動する人が多いか?というと怪しいところ。そんな穿った目でしか見れない自分も寂しいところだが、世の中の状態を見ると、そう考えざるを得ないなぁ。
こういう真偽の程が判らないような情報に溢れた社会で納得して行動するには、個人個人が氾濫する情報の必要性を本当に理解して自己責任で行動せんと活けないと思うところ。判断する問題があるならば、知識と論理の判断力を備えなければならない。本当は学校教育の中で、物事の判断が下せるような経験を積むべきなんだろうが、実際の教育現場では単純に点数のみで成績を評価しているし、子供の側も点数を取るテクニックだけを身に付けることに終始している。点数なんて、どうでも良いんで、自分で問題を見付け、それを評価する術を見付け、最終的な判断が下せるための手法を教育すべきだろうなぁ、、、。
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