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2007年2月28日 (水)

走る小径折り畳み自転車

 昨日、ニシダサイクルさんに寄って帰ったんだが、先週の日曜日に夫婦でKHSに乗って来店されたお客さんが居たそうだ。
 その話の流れ、KHSは今評判の走る小径車だが、そのオーナーさんに『常連さんで小径車ながら50km/hオーバーで走る人いるよ!』と話されたとのこと。嬉しいような恥ずかしいような、、、

 ところで、西DAHONの作成後に入手したのがPanasonic Les Maillots Wなんだが、これを選ぶ段階では、バイクフライデー、BD-1、KHSも一応は考えた。その結果選んだのがレ・マイヨWなんだが、何故選んだか?というと、西DAHONのようなDAHON系の折り畳みで気になるところといえば、負荷をガンガンに掛けて速度を上げると、長いステムのしなり、ステムとフォークのズレが絶対的に不愉快かつロスしているような気がするところ。

 特に初代のボードウォークでは走る度にフォークとステムがずれるという現象、折り畳みステムの小さな部品の変形が起こり嫌気がさしていたためだ。
 その解決に西DAHONではインテグラルヘッドとな異なるスレッドステム式のフレームをベースにステムカットしているんだが、これとて踏んだ時のしなりは絶対的に残る。自分の小径車の棲み分けとしては、マイヨWWはロード扱いで西DAHONはスポルティーフ扱いなんで、西DAHONはそれで満足ではある。マイヨWWの場合は、フロントW化しても歯数制限が厳しく、ロードらしくクロウスレシオを作るにしてもリアカセットの歯数組合せからローギアードに出来ない(フロントW+リア歯数の大きい(21T以上)スプロケではメカに干渉する)んでロード仕様に限定されるのが欠点だが、マイヨWWを旅行車仕様にしないんでOKだ。(因みに、西DAHONではギアレシオの選び方、コンポの選び方に制限が緩く好きなように出来る。ステムがしなってもロード的に乗らずスポルティーフ的に乗るんならレシオの自由度が広いんで、これはこれでOKだ。)

 そんな訳で、少々の重さ以上に踏んだ時の剛性感を重視して選んだのがレ・マイヨWである。剛性感と言う言葉で具体的に見たところは、なるべく長いコラム長+なるべく短いスレッド長であり、そういう視点から見るとレ・マイヨWに勝る折り畳み小径車は存在しない。
 確かに、フロントのW化では苦労するが不可能ではないし、横折り式折り畳みとは言え、60km/hを狙う走りでも折り畳み部分に不満を感じることは無い。
 結果的に良い選択をしたと思うが、ネット上では関心は薄い模様だ。人に聞かれると安易に勧めるには手間が掛かる故に、自分で何とかする人でないと奨めにくいが、そんなレ・マイヨWはサイクルベースアサヒのサイトでは、欠品中で入荷未定になっている。
 去年買った時は、その段階で生産予定の最後の1台があるけど如何?という状態で買った訳だが、今現在、新たに買う事は出来るのだろうか?一応はWebカタログには掲載されているようだが、受注が纏まらなければ、生産中止になったりして、、、。

 何はともかく、小径折り畳みで走るんなら、

 『良く走る=踏んだ時にぐらつかない、しならない』

 というのが、自分にとっての視点である。

PS 今日は昼ポタが異様に短時間に終わってしまったんで、昼休みに記事を書く事が出来た。もう少し昼ポタの距離を伸ばしてみようかなぁ、、、、。

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筋肉痛、疲労の早期回復

 今朝の出勤途中でのラジオネタ。

 運動を行った後の筋肉疲労の早期回復に最も効果的なもの。それは、休息ではなく運動なんだそうだ。筋肉疲労と言えば、トレーニング等運動で動かした部位の局部疲労が多いそうだが、その疲労とは、局部に乳酸が溜まっているために感じるものであり、この乳酸を除去するのが鍵ということで、筋肉疲労が溜まった状態を休息して放置するよりも、翌日以降もある程度の負荷を掛けて動かす事によって局部に蓄積された乳酸が拡散することによって疲労の回復が早いという。
 プロ野球の先発投手でも登板した日の翌日は、休息するのでは無く、ある程度の運動を行うことによって疲労回復を早めているという。

 なるほど!と思うところ。今現在、前日の筋トレ等の疲労が翌日に残ることは殆ど無いけど、馴れない家事、仕事を行うと筋肉痛が出るが、それとは別に毎日運動するということは、そんな疲労を除去するのに効果的に作用しているのかもしれない。

 事実、先週末の雑木刈りで翌日迄引きずった疲労は今の状態で感じることは無いんで、日々の運動が効果的に作用しているのかもしれない。

 人間の身体を健康に保つには、基本的な生活習慣の中に、天から与えられた人体機能を有効に活用するというのが一番だ!という思いが、最近特に強く感じるところ。短期的に画期的な効果を現すというサプリ等もあるのかもしれないが、それとて自然な身体にとっては異物以外の何物でもない。規則正しい生活(食生活、運動習慣、睡眠)と、本能に基づいた好奇心や興味の追求、これを自然な形で実践する事、これが元気の源泉では無いだろうか?

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タミフル?インフルエンザ?怖いなぁ。

 今日もインフルエンザ脳症を発症した未成年が薬としてのタミフルを服用後に転落死したニュースが流れてる。同じような例で無くなった人が随分居るようだ。

 タミフルという言葉は最近特に聞く頻度が高くなっているが、これは先述のインフルエンザ患者の異常行動による死亡事故と、発生が危惧されている鳥インフルエンザから変異するかもしれない新型インフルエンザの流行に備えた備蓄の必要性のニュースからである。
 新型インフルエンザが流行すれば、従来の天然原料を出発としたタミフルの合成では賄えきれないか?とも言われていたが、近年は化学物質を出発材料とした化学合成法も見つかっており、安定供給に期待されているということらしい。

 それにしても、インフルエンザの流行による死というのも怖いが、特定されていないが、未成年のタミフル服用後?(タミフルの副作用か、インフルエンザ自体の症例かは特定されていないが、)の異常行動による事故死というのも怖いものである。

 過去のスペイン風邪のような世界的なインフルエンザ流行による死亡者数の爆発的な増加もあったが、そんな時代(予防接種、薬が無い時代)でも、死んだ人から死ななかった人迄様々いたようだが、症例が悪化するか否かは、一体何が影響しているのだろうか? 因みにスペイン風邪も鳥インフルエンザが人に感染したものらしくH1N1型なんだそうだ。今話題の鳥インフルエンザはH5N1型、更にはH9N2型も怖いなんて話もある模様。

 出来れば、新型インフルエンザが発生したとしても、健康を維持し、疾病に対する抵抗力のある身体を維持しておきたいものである。インフルエンザといえば、その感染から様々な合併症を併発して死に至るという印象の方が強いが、疾病がドミノ発生しない抵抗力を備えることこそが重要かもしれない。

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2007年2月27日 (火)

ダイエット機器としての自転車

 生活の一部に自転車を取り込んでダイエット機器に利用するって方は多いと思う。

 しかし、通勤といった日常生活にダイエット目的で自転車を活用するってのは、案外難しいか?とも思うところ。相当な距離を郊外から自転車で通勤するならいざ知らず、市外区域の通勤途上という雑多な環境を自転車で走ることが、脂肪燃焼にどれほどの効果があるか?を考えると疑わしいとも思うからだ。

 自転車実物をダイエットに利用しようとすれば、脂肪燃焼が実感できるような運動という形を取らないと難しい。多忙な社会人にとって、そのような時間を設けることは結構難しいのでは無いだろうか?家に帰れば家族が居る。休日を勝手気ままに過ごせる自由というのは滅多に確保できるものではない。勤め人については特にそう思うところ。

 自分自身もそんな境遇だが、勤め人にとっての一人で過ごせる自由時間というのは、昼休憩なんだが、そんな昼休憩を利用してポタリング、サイクリングを楽しむってのは案外良いと思うところ。
 通勤に自転車を使う気持ちは無いが、車の中に積んでいれば何時でも取り出して自転車に乗れる。昼休みにトランクから出してポタリングする。時間帯的にも交通量は少なく、運動を実感できる程度に走ってもOKだ。そんな使い方なら、自転車の中でも折り畳み自転車ってのは非常に有効である。

 通勤途上に運動を意識しすぎたり、時間に急かされて気が焦って事故する人も居るけど、そんな状況=雑多な空間+急かされる時間という走行条件が原因であり、それを回避する意味でも折り畳み自転車を使って昼休みを有効に使うってのは結構お奨めである。時間的には限られるかもしれないが、空いた道路を軽装備でリラックスして走る。自転車、単車のような自由な乗り物ってのは、束縛の無い空間で、荷物も無いままに走るってのは非常に気持ち良いものである。

 今の昼ポタでは、JRで二駅分の距離の往復だが、河川沿いの土手の道路で交通量は激少、信号も片道で3つしかない。殆どが直線で見通しも良いコースなんだが、非常に気持ちよい。

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2007年2月26日 (月)

山林の生命力

 昨日は、裏山の雑木刈りを行った。日頃使わない筋肉を使ったせいか、今日は結構か身体の節々が痛むし、筋肉痛も残ってる。

 ところで、雑木刈りは何年かに1度、この時期に行って居るんだが、結構生い茂る。それに対して、庭で家族とするガーデニングに用いる植物は手入れをしなければ簡単に枯れてしまう。不思議なもんである。雑草の生命力には驚く一方で、観賞用の植物は非常に繊細なモノだ。
 裏山の雑木林は放っておくと結構茂るし、そのままにしておくと夏場の虫の飛来も結構な数になるんで、結構こまめに家屋やガレージに迫る木々の枝落としをしているのだが、一年も経てば元通りになる。
 雑木に定期的に水やりをしている訳でもないんだが、雑木刈りをする度に関心する。

 ところで、そんな裏山なんだが、ガーデニングで弱ったり、植え替えをしたら、裏山に作った簡易花壇に植え替えたりするんだが、そうすると、弱かった筈のガーデニング用植物も結構逞しく復活したりもする。

 結局は、鉢植え、プランター+栄養剤、虫除け等々+定期的な水やりよりも、自然の大地でほったらかしの方が植物の生命力にとって良いことなのかもしれない。
 確かに、鉢植えで育てると、日頃は目に付かない根が窮屈そうになってるのを見ると、それ自体が植物の生きる力を制限しているのかもしれないし、そんな制限の中で栄養剤を入れたところで、自然のままの生命力には及ばないのでは?と思うところだ。

 これって、人間社会の生活における多忙さ故の運動不足による身体の異常(肥満、メタボリックシンドローム等々)を局所的なサプリ等々で補完するよりも、人間の身体機能を活発に動かす事(運動)で健康を手に入れる方が自然であるという現象に近い感じを受けるところ。

 雑木刈りをしながら、『生命の生きる力を最大限引き出すには、生命体にとって自然な振る舞いをすることが最も重要か?』と、ふとそんな事を考えたのである。

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2007年2月24日 (土)

ダイエットに苦労する人、しない人

 ダイエットが必要な人とそうでない人ってのは、ダイエットに苦労する人としない人とも言い換えれる。そして、ダイエットが必要な人=ダイエットに苦労する人である。
 昨日の記事にも書いたけど、ダイエットというか健全な身体を保つには、継続が必要であり、継続するにはダイエット自体が目的となると、長続きしない。仮に、一時的にダイエットに成功したとしても、その段階では保つという目的が無くなるんで、結局リバウンドしてしまう。健全な身体を維持できるというと、ダイエット自体が目的ではなく、手段となっているような考え方やライフスタイルを持っているということ。

 そういう前提、今一度考え直してみると、ダイエットというか、健全な身体を保っている人の多くは、ダイエット自体を意識していない場合が多く、他の目的のために体調が整っている場合が多い。
 ある目的があって、その目的を果たすために、良く動く体、健康な身体が必要となるものは何であろうか?

 それこそ、目的となっているのは、『趣味としてのスポーツ』である。

 スポーツというと非常に多くの種類があるが、どんなスポーツが良いか?というと、結局は長続きするスポーツである。スポーツの種類は、大きく分けて二つある。一つは団体競技であり、一つは個人競技である。どちらのスポーツも続ける事が出来れば差異は無いけど、団体競技の場合は、点数による勝ち負けといった相対性で競い、個人競技の場合は、タイムやポイントのような絶対的尺度で競う。つまり、団体競技を行う上では、仲間が必要であり相手が必要である一方、個人競技の場合は一人で完結することも出来る。

 人間の生活は小学校、中学校から高校、大学を経て社会人、その後は独身生活から家庭生活、子供が生まれれば家庭生活の時間的制約が更に増える。その変化においては、個人の生活も他人との集団生活主体の状況から、自分の家族主体の一種の個人生活に変遷する。

 スポーツ種別と生活の変遷から考えると、長続きできるスポーツといえば、他人との生活の調整の手間が不要な個人競技の方が続けやすいモノである。

 ということで、個人が長く続けやすいスポーツとは、個人で行う事が出来る競技が最適ではないだろうか?
 ダイエットというか健全な身体を保ち続けたいならば、趣味としてスポーツを選び、スポーツの中でも個人競技に属するスポーツを趣味として選ぶ事が出来れば、きっとダイエット自体を意識することなく健全な身体を保ち続けれるんでは?と思うところ。

 そんなスポーツを考えれば、マラソン(ジョギング)、自転車、水泳、スキー、スケート、モータースポーツが思い浮かぶ。こういうスポーツが好きで趣味として一生付き合う事が出来れば、きっとダイエット自体が苦痛となる事は無いだろう。スポーツとして付き合うには自身の上達が実感できなければ面白くないかもしれないが、これらの何れのスポーツでも個人競技の色彩が強いんで、自身を見つめ直す事も増えるだろうし、スポーツ自体に色んな考えを巡らせる事も出来る。他人との比較が必要ないだけに、冷静に自分のペースで長く興味を持ち続ける事も出来る。お奨めである。勝ち負けの意識があったとしても、相手が他人ではなく、自分自身がライバルとなる方が良いように思うところ。

 スポーツを長く続けて興味を持ち続けるなら、個人競技系スポーツがお奨めである。

 当たり前の事だが、ダイエットを意識せず健全な身体を維持するなら、スポーツを趣味として、スポーツの中でも個人競技系スポーツがライフスタイルの変化があったとしても続けやすく、長く続けれるように思うところだ。

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2007年2月23日 (金)

長続きするダイエット

 TBにもダイエット商法系の器具、サプリ宣伝のモノも極めて多い。その種類は極めて多く、関心する程に色んなモノが現れる。こういったモノは得てして結構高価だったりする。
 たかがダイエット如きを目的に、継続的にそんな代金が支払い続ける事ができるか?と考えると甚だ疑問である。

 健全な身体状態というのは、日常における摂取と消費の収支の上に成り立っており、どんな方法であれ、目的とするコンディションを長期的に維持するには、収支を長期的に整えなければならない。

 そうすると、ダイエット効果の程度の差は別として、長期的に金が掛かりすぎる方法ってのは、続ける事が可能なのだろうか?

 ダイエットを長続きさせるのに選ぶ方法は何通りもあるかもしれないが、続けるためには、金が掛かるダイエットというのは、一時的な効果を得る事が目的で無いのならば、現実的でない。

 ダイエットサプリ然り、一時的な外科的処置然りである。一生サプリを摂取し続けるのもナンセンスだし、肥満に戻る度に外科的処置に頼るのもナンセンスである。

 ダイエットというか健全な身体を維持し続けるに必須なのは、何と言っても金が掛からないというのが秘訣ではないだろうか?

 勿論、自転車にしても経費はかかるが、ダイエットのために自転車に乗っているのではなく、自転車で気持ちよく走れるようにするためにダイエットしているのであり、ダイエットを目的と考えず、他の目的を達成するための手段、条件として考えれば、自転車に金を掛けてもダイエットのために金を掛けているのではない。

 そんな考えから精神面でのダイエットの秘訣は、

1.ダイエットは目的では無い。あくまでも、他の目的を得るための手段である。
2.金が掛かるダイエットは行わない。

 というところ。ダイエットが目的で無い訳だから、そんな事に金を遣うのが馬鹿らしいというのが私の考え。

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通知して削除

 最近のブログで思う事。
 TBが来るのは構わないのだが、記事と関係の無い、趣旨と反するダイエット商法宣伝ページのTB。それでも、メタボリックシンドロームネタ、健康ネタ、ダイエットネタ、フィットネスネタ、サプリネタ程度なら判らないではないけど、どうしようもないのが明らかに裏系ネタのTBがウザイ。

 機械的な投稿なんだろうけど、多数の裏系TBが一気にやってくる。
 以前は、基本は公開していて気が付く度に削除していたのだが、今はTBの即公開はしていないので、タイミングを見計らって公開前に削除している。
 削除に際しては、ブログのネタと関連しつつも趣旨と異なるTBについては、単なる削除ボタンで削除し、明らかに裏系、或いは宣伝目的のブログは通知して削除のボタンで削除している。

 この通知して削除の機能は、どのように機能しているのかは知らないが、どうにもならないTBは勘弁願いたいものだ。メールにしてもスパムメールは減る事は無いし、、、、
 インターネットが普及して情報の流通が活発になるのは良いけど、くだらない情報が流通するだけでネットの信憑性、価値も損なわれると思うところ。

 宣伝系、裏ネタ系に引っ掛かる人なんか、今時殆ど居ないと思うんだが、そういう事を行う人ってのは一体何を考えているのだろうか?個人的には、メールの発信、TB登録といった情報発信行為は有料化する方が良いようにも思うところ。

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ダイエット、フィットネス用機器について

 最近、異様に多いダイエット商品斡旋のTBだが、ダイエット完了の体験をお浚いしながら、ダイエット商法とは異なる方法でダイエットが出来た理由を考える事が多い。
 以前もダイエットの小技集、回想を纏めてみたが、昨日の睡魔に関することと絡めてダイエットを振り返ったりもしてみた。

 ダイエットの基本は、以前にも述べたがよく食べて、よく動く事に尽きると思う。そして、経験上だが、食行為と運動行為を規則正しく行う事が一番重要だと思う。

 食行為については、一日三食定刻に時間を掛けて行う事。また、食事の料理の摂取順序を気に掛ける事で、過度な摂取も防げるので、更に効果的だ。

 運動行為についてだが、一定の負荷の運動を自然に行うってのは、実は難しいモノである。特に社会人では自由な時間を確保することも難しく、日常生活に運動を取り入れるといっても、結構難しい。
 自分はスポーツクラブでの筋トレ、水泳、自転車でのCR走行をメインに行っているが、このような時と場所、天候に左右される運動ってのは、案外継続して行うことは難しい。スポーツクラブに通うといっても、夕刻迄は就業しており、就業後に毎日通うのは、家庭生活から考えても不可能。水泳でもプールに出掛けるというと泳げるのは週に2回が限度である。自転車でのCR走行となると、雨が降ってはNGだし、やはり個人行動になるので、日常に取り入れるのは困難である。
 そういう訳で、毎日の生活で運動を行おうとすれば、日常生活の時間の隙間を利用して、就業生活、家庭生活に影響の出ないスケジュールを習慣化させなければ、定期的な運動を行うってのは難しい。

 自分の場合、会社勤め+幼い子供がいる家庭生活であり、自分の自由になる時間といえば、非常に限られている。週末の休日であっても、家族をほったらかしにする訳にもいかない。家族サービスも必要だ。年に数回のサイクリング、ツーリングに出掛けるにしても気兼ねする時もある。
 こういう中で運動を毎日行うには、家族が入浴中、就寝中といった夜間や、勤務日における昼休みくらいしか無いのが現状である。

 このような限られた時間の隙間を利用して運動を行うには、フィットネス機器の利用は効果的である。勿論、フィットネス機器の利用に頼らずとも、スクワット、腕立て、腹筋、背筋といった運動は出来るが、何も道具を用いないと、自分の場合は結構挫けてしまう。
 少なくとも、フィットネス用の機器が視界に入る事で、『ヨシ!やろう!』という気持ちが維持できる。

 そういう訳で、今利用しているフィットネス、ダイエット関連の機器が何種類かある。それは、

1.腹筋台(ホームセンターで2980円、夕食後40分使用)
2.ベンチプレス(オークションで1500円、入浴前60分使用)
3.ステッパー(ショッピングモールで2980円、夕食後40分使用)
4.SPEEDママ(残り部品で作った折り畳み自転車、昼食後30分使用)

 の4種類であるが、結構安価に入手したが、何れも構造が単純であり、壊れる事もあんまり無い。このようなフィットネス機器ってのは、日常生活の一寸した隙間に最小限のスペースで運動が行えるものであり、結構お奨めである。

 社会人、所帯持ちになって以降における日常生活における運動不足というのは、加齢による影響よりも、生活習慣の中に運動する時間が確保できなくなる事が原因であり、学生以前のような運動時間を確保することが、肥満やメタボリックシンドロームの解消に最も重要である。それを解消するには、手軽な運動機器というのは結構役立つのでは無いだろうか?

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2007年2月22日 (木)

睡魔来襲

 生活習慣を変えて1年半が経つ。生活習慣を変えた理由は、前にも述べたが単車でキレの良い走りをするためだ。勿論、健康診断での異常値改善も目的ではあったが、キレの良い走り=思い通りに動く体とパワーが必要であり、贅肉除去と筋力強化が目的で、食生活、運動習慣を変える事により実践した。

 食事量、運動量は毎日の変動量を最小にして、規則的に行うというのが最大の変更点であり、食事の絶対量は変えていない。運動量は当初こそ大幅に増やしたが、今は肥満状態時の運動量と絶対量自体に差異は無いところ。但し、運動する時間帯を変えた点(以前は、食前運動だが、今は食後運動)が大きいところだ。

 そのような生活内行動の順序を変えて、身体コンディションが変化させていった訳だが、その変化に伴い、単車や自転車への関心が更に高まり、いろんな事を考えて日常を過ごしている。

 このようなライフスタイルの変化に伴い、更に変わった事がある。それは、身体の状態が変わって以降の話なんだが、ここ半年は夜更かしが出来なくなってきたことだ。いろんな事を考えたいのだが、それより先に睡魔がやってくる。夜中の0時になると、もう睡魔との闘いとなり、大抵は0時30分には爆睡状態だ。
 自転車改造、単車改造を激しく考える時間が増えてから以降は、特に顕著である。まぁ、速く寝る分、朝も少し早めに目が覚めるが、、、、。
 それにしても、単車好きながらも、カスタムや走り方に対する関心が今より低かった頃(肥満気味の頃)は、午前2時、3時迄はしっかり起きれていたのだが、今のライフスタイルになってからは、ホントに夜は起きれなくなってしまった。

 これは加齢によるものか?それとも健康の証なのか?チョット調べてみようと思う。

 サッと調べた限りでは、身体を動かす事だけでなく、頭を動かすことでも疲労物質が作られ、疲労物質に含まれる睡眠物質も作られて眠たくなるという。趣味に対する関心が増えて、日常生活では頭の中を自転車や単車が走り回っているのは確かであり、そのために睡魔が訪れやすくなったのだろうか?
 勤務に関しては、考える量は殆ど変わっていないし、寧ろ頭を使う事は減って、直感のみで対処できるんで楽なんだが、自転車や単車については直感だけでは答えが見つからないんで、書物を調べたり、色んな計算をしたりはしている。この時間が増えた事が睡魔来襲の理由の一つかも?とも思うところ。

 ところで、人間は体内に生体時計を持っているらしい。そして、その周期は約25時間なんだそうだ。そして、一日は24時間ということ。このズレを吸収させる事が毎日の規則正しい生活をする上で大事であり、このズレをリセットさせる因子というのが、同調因子というものだそうだ。この同調因子というのは、食事、運動、明暗といった日常生活における事象が相当する。つまり、規則正しい食生活、決まった時間とタイミングで行う運動習慣というのが生体時計を24時間周期に合わせる上で重要ということ。
 振り返ってみれば、今のライフスタイルの運動するタイミング、量、食事の順序、量というのを、ほぼ一定に揃えているために、起床時刻が決まっているんだろう。

 因みに、睡眠というのは1.5時間周期で成立しており、一眠りで3~5周期の睡眠が行われているそうだ。今の状況を振り返ると、0時30分には眠っており朝6時30分頃起床となっているので、4周期の睡眠を取っている事になる。睡眠の周期が何セットあれば良いのか?という疑問はこれから調べるとして、人が欲する睡眠時間というのは、日常行動で脳内に蓄積する睡眠物質(疲労物質に含まれる一つ)の量に関連があるらしく、少なくとも現状の4サイクル睡眠が必要と身体と脳が欲している結果、夜の0時半には強烈な睡魔が襲ってくるんだろう。逆に、生活習慣改善前の普通の社会人生活での疲労度では、睡眠物質が蓄積されていないために、夜中の午前2時になっても眠たくならなかったのかもしれない。

 因みに、仕事、勉強に限らず好きな事でも頭をよく使うと、脳細胞の修復が活発に行われボケの防止にもなるという。色んな事を考える。考える事が楽しくなるような対象を見つける事は、人生の後半戦を有意義に過ごすには必須事項かもしれない。

 以上のように、自分の選んだライフスタイルが少なくとも自分の信じる健康という状態を作り出していると思っているが、健康、ダイエットに関する様々な説、体験例がネットには溢れている。しかし、溢れる情報の何を信じるか?選ぶか?というと人によって様々である。そんな、情報、或いは健康食品や健康器具の宣伝を盲目的に信じるのも悪くはないかもしれないが、人が健康を維持し、適切な体型を得るためには何が必要か?を考えれば、その答えは一つしか無いように思うところ。そして、自分の場合に選んだ答えというのは、利益誘導型の溢れる情報とは全く異なるものであり、自分で選んだ答えで得たモノを振り返ると、選ぶ際の基本的な考え方と回帰的に一致していると思う。
 健康にしろ、スポーツにしろ、カスタムにしろ、今の時代、溢れる情報に翻弄されている様子が色んな場面において伺えるが、どんな分野であれ、個人の好み=好き勝手にやることではなく、個人の好み=何通りか存在する正しい論法からの選択と捉えれば、その論法を満たす原則というのは、只一つしか存在しないのでは無いだろうか?
 何事に関しても、外界の情報、他人の言動ばかり気にしても、そういう精神構造自体が自身の中で真理を見抜く力が欠如している状態の裏返しであり、自身で真理を見抜く力が無ければダイエットにしろ、健康にしろ、趣味にしろ満足する結果が得られないように思う今日この頃だ。

 記事の書き始めでは、睡魔について考えていたのだが、最終的には違う結論付けに帰着してしまったのは別として、一つの発想から様々な事が連動して考えれるようにはなっておきたいところだ。そして、そのような思考の展開が早い時刻に睡魔を呼ぶ理由の一つになっているのかもしれない。

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2007年2月21日 (水)

大腸癌と運動習慣

 昨日のニュースで目新しいものは、男性の運動習慣と大腸癌の発生リスクの相関性をまとめた研究報告についてである。
 報告は、厚生労働省研究班の大規模な疫学調査によるもので、運動や肉体労働などで体をよく動かす人は、体を動かさない人に比べ、大腸癌発生リスクが3割低いということらしい。
 この研究は、全国の45~74歳の中高年男女約6万5000人を対象としたアンケート調査からの集計結果であり、一日の運動時間と運動強度から活動量を計算し、活動量毎で4分類し、2002年までの追跡調査の結果、大腸癌発症リスクを比較したものである。

 結果によると、男性では活動量が多い程、大腸癌発生リスクが小さくなり、活動量の最も多いグループと最も少ないグループを比較すれば、活動量が多いグループは31%も低くなるという。特に、結腸癌発生リスクの差は42%になるそうだ。

 女性についての顕著な分類は難しかったそうだが、ライフスタイルの家事の部分を活動量に換算することが難しいために、統計的な傾向が採取できなかったのが理由らしい。

 大腸癌のリスク要因として確実なものは「肥満」と「アルコール」で、また「赤身肉や保存用に加工した肉」も大きいという。また、予防要因としては、「運動または身体活動度」が結腸癌の確実な予防要因として挙げられてる。この情報が掲載されているサイトによると、野菜・果物は予防要因と効果的らしい。このサイトの報告によると、やはり、運動と肥満防止が結腸癌予防に効果的とのこと。BMI と大腸癌との関連は男性でのみ見られ、BMIが25未満のグループを基準にした時、相対リスクは27から30までのグループが1.4、30以上のグループが1.5となり、この結果からも男性ではBMIが27を超えると大腸癌リスクが上昇すると報告されている。

 ということで、中高年世代になると、運動習慣を身に付け肥満を予防するライフスタイルを確立することで、生活習慣病の他にも癌発生リスクも抑えることが可能となる。

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2007年2月20日 (火)

トラックバック

 最近は、ダイエットカテゴリーで記事を書くと、異様にTBされてしまう。それも殆ど同じ内容が爆弾のように投下される傾向だ。
 中には、関係ないTBも数多い。現在は、即時公開しない設定であり、重複TBは1件を除き削除しているが、今後は、元記事と関係ないモノ、本ブログの趣旨と異なるダイエット紹介ネタも削除するつもり。
 勿論、記事内容に連動したTBもあり、そういう有用な情報は公開する予定だ。

 メンテの手間が面倒臭いように思えば、ダイエット関連ではTBを受け付けない形で記事をアップするかもしれない。

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ダイエット、健康器具

 昨日はダイエットと器具としての自転車について少し考えてみたんだが、日曜日2/18の地元地方新聞の記事で、フィットネス機器の記事が掲載されていた。

 最近のトレンドでは、室内で手軽に運動できるタイプが人気を集めているらしい。乗馬運動で腰回りを鍛えたり、高速振動で体脂肪を燃焼させたり、、、、このようなタイプの機器は元々、フィットネスクラブ用に開発されたもの。市内の家電量販店などでは高齢者、若い女性等に支持されている。また、昔ながらのフィットネスバイクも走りながら心拍数等々がモニターできるタイプも相変わらず人気のようだ。
 ケーブルテレビの深夜枠である通販番組でも、同じくダイエット、フィットネス機器類が紹介されており、世間の関心の高さが伺えるところ。

 一方で、このような健康機器はブームによって売れ行きが変化しているのも確かである。実際、ゴミとして各家庭の前に並ぶ粗大ゴミを見ると、一時代を築いたような健康機器類を見掛けることも少なくないのも確か。

 ブームとともに売れて、ブームが去ると廃棄されるという傾向か?

 フィットネス機器は大きく分けて2種類ある。1種類は、自身が実際に運動を行うための機器であり、このタイプは室内という限られた空間で運動が出来るような環境を提供してくれるもの。残る1種類は、自身が意識的な運動をするでなく、運動を行うと同じ効果を実現してくれるタイプのものである。どちらが良いか?は判らないが、運動を行うことを目的とすれば前者のタイプの方が良いように思うところ。我が家にも何種類かの健康機器がある。腹筋台、フィットネスベンチ、ステッパーであるが、何れの機器も前者のタイプであり、自身が汗をかいて使わなければ何の効果も得る事が出来ない。
 個人的な感想では、前者のタイプでなければ効果が無いと思う。但し、このタイプの欠点は実際に時間を掛けて器具を利用した運動を行わなければ効果は得られないために、これを続ける根気というものが大事である。(後者は手軽さ優先で根気は必要無いか?)

 ところで、フィットネス機器類の捨てられ具合を見ると、前者、後者に限らず良く見られる。何故捨てられるか?と考えると、結局はユーザーの使い方で効果が得られなかったか、根気が続かなかったためだろう。効果が得られないのは、使いようが足らなかったため、元から胡散臭い機器だったため、使っても楽しくなかったためという事だろう。

 この辺がフィットネス目的の機器類の抱える問題である。要は、楽しくないのが一番だ。普通に考えて、手軽に簡単にを謳い文句の機器ほど、消費カロリーは少ない筈であり、そういう機器程、ダイエット効果の体感は長い時間を要する。効果が出る前に飽きて辞めるというパターンが多そうだ。短期間で効果を得ようとすれば、消費カロリーを日常に較べて大幅に増やさなければ不可能である。

 もし、ダイエット効果を運動によって短期間に得ようとすれば、消費カロリーが高められる負荷の高い運動を集中的にしなければ不可能であり、穏やかながらも長期的に効果を得ようとすれば、興味を失わないような楽しさが無ければ長続きできない。

 短期的に効果がある運動といえば、何と言っても水泳に限るし、基礎代謝を高める筋肉増強のための筋トレを併用することが効果的である。

 長期的に持続できる運動といえば、効果の実感が得られるまでも興味を失わないような楽しい運動でなければ続かない。そういう意味では、自転車なんかは、痩せる事を目的にしなければ楽しい趣味としてつきあえるし、自転車に乗って散歩するというのを目的とすれば、下手なダイエット機器よりも長続きしそうである。

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2007年2月19日 (月)

嗜好の変化

 今でも頭は単車、特に2ストレプリカ、ミドルVツインのスポーツバイクが大好きであると思っている。

 しかし、最近は日常の僅かな隙間時間を利用して自転車に乗る事が多い。昼ポタはともかく、週に一度のCR走行や、昨日のような専用コースを走ったりした後は、何とも言えない充実感に包まれる。
 そして、そういう時の意識としては、単車で峠やサーキットを走った後以上に至福な感覚を得ているように思う。

 頭では単車が好きだと言いつつも、日常生活において考える事、小遣いの使い道を冷静に振り返ってみると、スポーツサイクルに傾注しているのは間違いの無いところ。
 ここ一年の感覚を振り返ってみると、

1.峠で身体のキレが悪い!ツナギがキツイ!小排気量車が遅い!
     ↓
2.そうだ!痩せよう!健康診断の結果も悪いし、、、、。
     ↓
3.水泳&筋トレの実施!
     ↓
4.短期間で減量で嬉しい!
     ↓
5.身体が軽い!レプリカでワインディングが楽しい!
     ↓
6.偶然、自転車を買った!
     ↓
7.久々の自転車、結構楽しいじゃん!!!案外乗れるかも?
     ↓
8.予想外に思い通り以上に走れるんで、更に欲が出る!
     ↓
9.筋トレ+水泳の効果が自転車で実感できる。未だ発展途上か?
     ↓
10.もしかして、自分は単車より自転車好きか?

 というパターン。何年か前に自転車に乗った時は、足は怠いは、息は上がるで、苦しい印象しか無かったけど、苦しいモノは楽しくない。今回の自転車熱の盛り上がりは、苦しくないから楽しいと思ったんでは無かろうか?

 昨今、自転車ブームでエコ、ダイエットで見直されているけど、自転車にダイエット目的で接したら続いただろうか?とふと考えてしまう。ダイエット目的で自転車を始めたとすれば、恐らくは(少なくとも自分の場合)、ダイエット効果が現れる前に辞めていたと思うところ。

 自転車でダイエットしたとすれば、どれほどの期間が掛かっただろうか?今回のダイエット+パワーアップは、二ヶ月の食事時間と順序の見直し+水泳+筋トレで得られたモノ。自転車ダイエットでは、二ヶ月という短期間では効果が得られなかったかも知れない。

 ダイエットの道具として自転車を選ぶよりも、自転車の楽しさで自転車趣味を選ぶ方が、長く続くような気もする。勿論、ダイエット目的で自転車生活を始めるのを否定するものではないが、ダイエット目的の健康器具の流行廃りを見ると、健康器具としての自転車ってのも、楽しくなければ廃れる可能性も否定できない。

 ダイエットで自転車に関心を持つ人には、ダイエットを目的とするでなく、自転車自体の楽しみ方を見つける事が、自転車生活が長続きできる秘訣となるのでは無いだろうか?自転車による健康効果を実感するには、二ヶ月といった短期間では難しいと思う。少なくとも1年程度は自転車ライフを続けないと効果は出ないように思う。1年続けるには、楽しみを見つける事が何よりも大事だと思うところ。

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自転車乗った翌日の反省

 昨日、自転車に乗って一日経っての昼休みの段階だが、予想していた程の疲労感は無い感じである。コースを走り終えた直後の感想と、時間を置いての感想だが随分異なる感じである。思い返してみると、攻めれるところではもう少し攻めれたようにも思うし、最後の登りをどうするか?という構成を変えるだけで随分とタイムは変わりそうな感じ。考えてみれば、走行時スタイルはハーフコートに大きめのウエストバッグという出で立ちであり、体調的にも万全ではなく家族全員が風邪気味で自身も痰が絡む状態だった。それでも、帰宅後の日課にしている筋トレも普通にこなせたし、装備を絞って何パターンかの走り方を試せば、より良い結果が出るとも思う。1周目と3周目の前半、後半のラップを較べれば、後半のラップは1周目が速く、前半のラップは3周目の方が速かったのも、1周目の入りの段階では集団で流していたのも効いているかもしれないところ。

 そんな反省点というか試したい思い付きがわいてくる故に、定期的に通って走ってみて自分にとってベストの構成を組み立てたいと強く思う。あくまでも直感的な思いだが、折り畳み自転車でも、あと1分(21分台突入できるか?)はどうにかなりそうな気がするところ。

 因みに、条件の近い記録を探してみると、去年(06年)の中国サイクルグランプリのビギナークラスでは、1位の方は18歳で19分54秒、2位が25歳で21分26秒、3位が35歳で22分1秒。22分59秒で39歳の方が5位なんだそうだ。レディースでは1位が20歳で23分2秒、ジュニアは15歳の少年が1位で19分55秒とのこと。なお、エキスパートクラスでは5周で90分という驚異的な数字。凄すぎである。

 そういう数字を見ると面白い。
 今回は、サイコンとラップ測定機能付き腕時計を併用して走ったが、こういう所で遊ぶには良い道具だと思った。

 それにしても、周回コースを走るってのは面白いものである。

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2007年2月18日 (日)

中央森林公園ロードコース

 昨日迄の天気予報では、今日は雨との予報だったが、幸運にも天気が回復して、兼ねてから計画していた中央森林公園のロードコースに走りに行った。
 走行したのは健脚コースで、合計3周である。本当は4周したかったけど、小雨がぱらついたので途中で切り上げである。

 最近の下半身強化トレーニングの成果とペダリングのリズムをしっかり意識しての走行だが、結構良いペースで走れた。1周回が12.3kmのコースだが、1周目が24分20秒、2週目は写真撮影をしながら35分程度でのんびり走り疲労を回復させて、3週目が23分というところ。概ね平均速度で30km/h強というところ。

 コースレイアウトは前半が速度がのる区間、広いストレートからは緩い登りが続き、アップダウンの続くワインディング、後半では斜度のキツイ登りがレイアウトされていて、標高差で150m程のコースだ。ペース的には前半の下り勾配気味の区間が55km/hくらいで直線気味のストレート(橋の上)では部分的に60km/hを記録、緩い登りの区間では30km/hくらい、ワインディング区間では45km/h弱、後半のだらだらした登りは25km/h、最後のキツイ勾配部分は15km/hくらいである。

 マイヨWW号は西DAHONと違って旋回性能はかなり良好であり、下りのワインディングもかなりのペースで走れることが判った。昨年秋の西DAHON号では結構恐い思いをしたがマイヨWWでは楽しいばかりである。

 健脚コースでは殆ど貸し切り状態であり、存分に走れて大変気持ち良かった。また機会を作って走りたいし、本格的なフルサイズのロードでどの位で走れるのか?自分自身の限界にも興味があるところ。

 あとは、初めてのコースで体力が余った最初の周回で、コースが判っていたらもう少し速く走れたかな?というところ。1周目は併走する人と談笑しながら前半を走ってたし、3周目はコースを頭に入れての走行だったが、後半は少々バテ気味だった。最初の段階でペース配分を考えれば、更に楽しく攻めれそうというのが、本日の感想である。

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2007年2月17日 (土)

アンチエイジング

 アンチエージング=不老という考えだが、不老を目指す=何時までも若々しく美しく!という願望により、美容、ダイエットに拘りがある人には大きな関心事となっている。

 不老を実現するには、老化のメカニズムを知り、その摂理に対向することで不老を手に入れるというのが、多くの人の考え方である。

 しかし、人間の老化というのは、現状の常識では運命による定めに近いものがある。仮に、人体機能の全てが明らかになることがあれば、老化そのものを止める事が出来るのかも知れないが、一般的な認識である始まりがあれば終わりがあるし、生まれれば最終的には死んでしまうものである。

 最近は人間の寿命について関心をもって情報収集をしていたのだが、その中で寿命とは?寿命を長くするには?という疑問と現状をいろいろ調べた中で、誕生から死に至る過程では、その前半が成長過程であり、後半が老化過程であり、その老化について思うことがあるので、記事にしてみることとした。

 老化のメカニズムの研究はこれまでも盛んに行われてきたが、その研究の中で、研究者或いは美容に関心を持つ人の中で、なかば常識とされている考え方がある。それは、老化に大きな影響を持つ因子が活性酸素であるという考え方である。

 活性酸素は酸素の中でも、特に電子の配置が通常のモノとは異なり、他の物質から電子を奪いやすい電子配置をした酸素の事であり、即ち、活性度の高い、他の物質を酸化させる力の強い酸素の事をさす。
 そして、この活性酸素が老化や病気に大きな影響を及ぼしているという考え方が広く浸透している。詳細な内容説明は詳しいサイトに譲るとして、この活性酸素を除去する抗酸化物質を取り入れる事で、体内の活性酸素を除去し不老を実現するというふれこみのサプリメントも結構見掛けるものだ。

 始めの内は、フ~ンという感じで読み流したのだが、ふと考えた事は、活性酸素という酸素の中に一定の割合で存在するであろう物質が本当に老化に影響が在るのか?という疑問である。確かに、体内に取り込む酸素が全て活性酸素ならば大きな影響がでるだろうけど、この手の物質というのは大抵一定の比率でしか存在しないものである。活性酸素が体内に沢山存在するならば、普通の酸素もそれ以上に多く取り入れている筈であり、活性酸素の影響よりも、通常の酸素を消費する運動行為による好影響の方が勝るのでは?と素直に思ったりする。大体、生体の進化の過程において、世の中には既に一定の割合の活性酸素が存在している筈であり、その活性酸素を無害化するメカニズム自体が、生物の進化の過程の中で組み込まれていると考える方が自然である。
 逆に、外部からの化学物質で活性酸素を除去する物質を摂取する方が、本来の機能を正常に働かせる機会を失わせるのではないか?と思ってしまう。

 そんな思いから色んな研究期間による活性酸素の老化への影響度を検証した論文を当たってみると、最新の報告ではあ、活性酸素の濃度と老化の影響度の間には一意的な相関を見出すことは難しいとの報告を見つけた。老化のメカニズム自体は、活性酸素によるものではなく、プログラム細胞死(アポトーシス)によるモノが老化に支配的な影響を及ぼすとの報告である。この研究は今始まったばかりであるが、名前の如く、予め決まっている細胞死であり、細胞の生い立ちを律するDNAの中に何らかの意味が含まれていることを示唆している。全てのモノには目的があり、その目的を実現する機能が備わっているものだが、アポトーシスという機能にも目的が在るはずで、その目的と機能、他との相関については未だ未知の領域の方が大きい。

 話が戻るが、活性酸素除去に有効な抗酸化サプリとして、ベータカロチンというものがある。これは、脂溶性ビタミンAの前駆体物質だが、最近はベータカロチンの過剰摂取による癌、心血管死のリスクを増大させることが判ってきた。怖いものだ。

 確かに、活性酸素は身体にとって良くない物質だろう。しかし、身体にはこれに対処するメカニズムが備わっている。このメカニズムに変わる機能をサプリに求めるでなく、この防御機能が有効に働くような健全なライフスタイルを維持することが重要ではないか?
 健全なライフスタイルを確立できれば、昨日の寿命の話ではないが、本来の寿命に近いレベル迄健康に生きていけるのでは無いだろうか?

 人体の機能としていの限界は、実際に100歳以上の高齢者が元気で生きて居られる例を考えれば、昨今の健康ブーム、サプリブーム、医療技術に頼らずとも人体の機能的限界は100歳以上であることは間違い無いのであり、本来の機能に磨きを掛けることこそが、有効な不老への取り組みになるのでは無いだろうか?

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2007年2月16日 (金)

不老長寿

 最近は、メタボリックシンドロームの予防に効果的な生活、薬剤の研究が活発に行われている。そして、その研究の目的というのは、基本的に『長く健康に過ごす』ことにある。そのような医療技術の進歩があってか、例えば日本人の平均寿命も確実に延びている。
 一例を示すと、
 年度    男性平均寿命   女性平均寿命
1955年    63.60       67.75
1960年    65.32       70.19
1965年    67.74       72.92
1970年    69.31       74.66
1975年    71.73       76.89
1980年    73.35       78.76
1985年    74.78       80.48
1990年    75.92       81.90
1995年    76.38       82.85
2000年    77.72       84.60
2005年    78.53       85.49
 とのデータもある。概ね5年で1年強ずつ平均寿命が延びているようである。

 果たして、その寿命は何処まで延びるのであろうか?

 一般に脊椎動物においては、個体の成長(各器官の完成)に要する年数の5~6倍の寿命をもっているという話もあるが、その統計的な説を採用したならば、人間の器官で例を挙げると顎関節が24歳頃完成される例と当て嵌めたら、その寿命は24×5~6=120~144歳という事にもなる。
 各臓器毎の寿命についての話の例では、昨日の心臓の一生の総心拍数を関連づける説も在ったりして、寿命として適切なのは何か?を特定することは非常に難しくもある。

 色んな説を調べてみても、明らかに断定できる寿命ってのは様々な説があり、今の段階で何が正しいのか判らないのが正直な感想だ。

 身近な存在を見渡せば、自分の場合、祖母が109歳迄生きたし、勤務先の社長は88歳を過ぎてもなお現役で社長業をこなしている。そういう元気な高齢者を見ると、その限界は何処にあるのだろうか?元気の秘訣は何か?というのに感心を持ってしまうし、元気な高齢者と身近に接している範囲では、昨今の医療技術の進歩による様々な薬品、サプリ等々に依存している例は極めて少ないようにも思う。

 平均寿命自体は確実に伸びているが、その一方で、その平均寿命を遙かに超越した高齢者の方々ってのは概ね元気であり医療技術に大きな依存をしている様子は無い。

 もしかしたら、医療技術で効果を上げているのは、個人のライフスタイルの破綻により健康を失った人の延命による効果に過ぎず、そのような技術の進歩によって生かされている人が平均寿命以下の範囲で延命されているだけなのかもしれない。逆に、医療技術に依存しない状態で健康な人というのは、人間という生物の持つ限界寿命に近い状態に迫っているのかもしれない。医療行為に頼らない高齢者が世代別にどの程度の割合で居るのか?そういう人の寿命はいくらなのか?に大きな感心を持つ今日この頃だ。

 今後の記事は、そういう興味を明らかにする上で気になったネタを書く予定。

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2007年2月15日 (木)

心臓の寿命

 昨日のテレビ番組『ザ・世界仰天ニュース 』にて心臓の寿命についてのネタでスタジオが盛り上がっていた。
 心臓というのは体内の一つの臓器であるが、その臓器の寿命の話である。

 これまでに知っていた知識としては、ほ乳類の場合、動物の種類によらず一生の総心拍数は大体一定であるということ。よって、短命の動物の場合は心拍が速く、長寿の動物の場合は心拍がゆっくりしているということ。

 ということであるが、番組では、これを更に数値で掘り下げて人の心臓の寿命を較べてみよう!という主旨である。番組では、人間の心臓の心拍数を20~25億というのを元に、平均を23億とみなし、

23億÷(一分間の心拍数×60分×24時間×365日)=4376÷心拍数

で求められる年数が心臓の寿命年数であるという話である。
 勿論、心拍数は生活行動の変化によって随時変化するものであり、常に一定の心拍数を保つという前提での年数であり、ここで出てきた年数の絶対値自体は大きな意味を持たないのは当然であるが、絶対的な傾向として、心拍数が低い程、心臓の寿命が長いという事だけは言えるようだ。

 ただ、心拍数が低すぎると(55以下)、徐脈という疾病状態にあたり、治療を要する場合もあるので、一概に低心拍=寿命長いと言って喜ぶべき状態ではない。

 自身も昨年の体調不良により、精密検査を行った際に、心拍数が50程度だったことが判り、診察の結果、アスリートハートと呼ばれるスポーツ心臓状態であることを指摘されたが、このような状態はトレーニングを止めた後に1~3年程度で消失されるとのことである。
 因みに、運動後30分の今測ってみると心拍数は52である。これで、心臓寿命を計算すると 4376÷52=84年・・・・(もっと長生きしたい・・・・)なんだが、トレーニング中は心拍数は上昇している筈だし、寝ている間はどうなっているか?は良く判らないんで、やっぱり寿命年数自体は意味無さそうである。

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2007年2月14日 (水)

負けん気?

 ネット上のサイト、ブログからリアルな世界で自転車のような乗り物に拘ってる人で、よく見られるのは、日常生活で遭遇する他人に対して『勝った、負けた』という判断をして一喜一憂している人である。
 少し前に、マナー等々について考えた事があるが、兎角意味のない状況で『勝ち負け』に拘る人ってのは、如何なものか?と思う今日この頃である。自転車に限った話ではないが、単車や車においても、公共空間の中の、特に全くの見ず知らずの人に対して勝った負けたを言うのは、考え物である。

 特に公道においては、各個人がそれぞれの意識と思いで乗っている訳であり、そこに競争心があるとは限らないし、そこに絡んでくるような存在に対して好意的に受け止めてくれるとは限らない。少なくとも、自分の場合は、自分自身が或る目的で乗っている場合等は、それを乱すような形でやって来る他人に対する感情としては、一言で『ウ・ザ・イ』に尽きるものである。
 速い、遅いを比較して論ずるならば、相手との間で意志の疎通が前提でなければ、全く意味が無いのでは?と思うのが正直な所である。

 他人は他人の思いに従って乗っており、自分は自分の思いに従って乗っている。その思いを乱すような挑発はしたくないし、されたくもないのが素直な感想である。
 確かに幼ければ、道路の中で誰よりも速く!?というのも判らないではないが、そういう考え方というのは、多くの場合、成長と共に変わってくるのでは?と思う。

 こういう考え方に対して反論する人も居るが、そういう人は、速い人を見て憧れて頑張って着いていこうと考えるそうだ。憧れて何が悪い?という思いなんだそうだ。確かに、速い人を見て憧れるのは自由だが、別に頑張って他人の意識を乱すというか、干渉するのは頂けない。

 自転車や単車でCRや峠を走っている時、自分の場合は一人で走るのが好きだが、それでも他人と遭遇することもある。殆どの場合、絡む事は無い、人が速ければ、そのまま抜かさせるし、自分が速ければ、迷惑が掛からない範囲で一気に抜き去る。そして、交錯する瞬間は一瞬でしかないのだが、時々、その交錯する時間が一瞬で済まなくなることがある。そんな時は、本当に嫌な気分になる。
 少なくとも、そういう競り合いとか干渉を望むならば、そういう仲間とTPOを選び楽しめば良いのだが、そんな状況を考えず、常に速く?勝つために?というよく判らない思いで突っ走る奴ってのは、見るだけで、或いは、話すだけで本当にウザイ。

 勿論、人と競って走る事は嫌いではないが、そういう場合は、そうしたい仲間でTPOを弁えて楽しんでいる。
 では、一人で走っている時は何を考えているか?というと、それは、自分のイメージに対して、何処まで近づけているか?或いは、自分の考えを実践すると、どうなるか?という所を確かめる事が多い。

 時には、どうすれば、上手く、速く走れるか?を考える事もあるが、そんな時は、現状の限界を弁えた上で、ポイントを変えて限界がどうなるかを予め予想して、その目論見が達成できる方法を試したりする。そんな時に試す方法としては、自転車ならばペダリングへの留意点の変更、ポジション、道具の操作法だったりする。要は、上手く、速くという多くのライダー、サイクリストの希望と同じ欲求に対して、その目標に正体の判らない他人の偶像を置くのではなく、自分自身の中で目標を置いているのである。
 勝ち負けの判断は、他人に対してのモノではなく、自身の中の理想が適うか否かによるのである。
 こういう考え方が普通か特殊かは知らないが、趣味における取り組みは、自分で考えて自分で答えを出すというのが目的ならば、こういう考え方は普通では無いだろうか?

 全くの私感だが、他人が居なければ満足が得られない、目標が定まらない人ってのは、案外、一人になると趣味として付き合うことが出来なくなるような気がする。昔のレプリカバイクブームの衰退後に単車を降りていった人達は、そういう人が多かったように思う。今、スポーツ自転車ブームでスポーツサイクルを趣味として選んでいる人も、ブームが去った時にどうなるか?を考えると、レプリカバイクブームと同じようになるのでは?と考えてしまう。

 趣味に対する付き合い方の部分で、自分で考えて自分で答えを出さない人っていうのは、抽象的な目標に対して、他人の考えやネットの情報だけで答えを出そうとする人が多い。やりたい事自体を自分で考えれない、答えの出し方が判らないというのは、周りに目標とすべき具体像が見えなくなれば、きっと感心を失っていくのでは無いだろうか?
 そんな事を考える今日この頃である。

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ダイエット小技集

 ダイエットに最も効果があったライフスタイル(食生活)の改善は、昨日の記事の

『一日三食、定刻にしっかり噛んで、野菜、肉や魚、御飯の順に食べる』

 に尽きるんだが、それと並行してメタボリックシンドロームの改善を目的に行った小技を書き並べてみると、

1.毎日1リットルのウーロン茶を飲む(尿酸値が9以上が3年以上だったため)
2.毎日、納豆を最低1パック食べる(筋トレの効果を高める良質タンパク質を期待して)
3.毎日、ヨーグルトや牛乳といった乳製品を欠かさず摂る(栄養バランス維持のため)
4.毎日、野菜類を大量に食べる(栄養バランス維持のため)
5.インスタントラーメンは全く食べなくなった。

 という小技を続けてきた。
 例を挙げて、一日のメニューを食べる順に書いてみると、

・朝食(午前7時前後)
 納豆御飯+みそ汁+ヨーグルト+牛乳
・昼食(正午)
 野菜系おかず+肉、魚系おかず+御飯+ヤクルト+ヨーグルト
・午後3時休憩時
 牛乳
・夕食(午後7時半過ぎ)
 野菜サラダ(or 野菜炒め)+根菜類煮物系おかず+肉(or 魚)類おかず+納豆御飯+みそ汁(+ヨーグルト)
・午後10時頃
 ウーロン茶を1リットル

 以上のような食生活である。なお、週末の休日には、子供と間食したり、外食でファーストフードも週に1回以下の範囲で食べたりする。日曜日に限れば、朝食はサンドイッチかホットケーキにヨーグルトと牛乳、昼食が外食の場合が多く、夕食は決まってお好み焼きを作って食べているところ。

 割と普通で食事量自体の制限は掛けていない。当然、子供の誕生日とかクリスマスといった時には、しっかり甘いモノも食べる。ケーキ類、チョコレート類・・・・大好きで普通に食っている。

 こういう感じの食生活が習慣化されているのが今である。

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2007年2月13日 (火)

超私的ダイエットの秘訣

 最近は体重に関しては一段落している。一言でダイエットは完全に終了している。
 ダイエットの経過の詳細は、ダイエット日記を参照頂くこととして、大雑把に言うと2ヶ月で20kgの減量に成功し、その後の一年以上の間、現状を維持しているところ。

 以上の体験を踏まえ、効果があったのは何か?をまとめてみた。というのも、身近な所で、正直、ダイエットに効果があったのは何?との質問があったから振り返ってみることにした。
 世間で言われる運動と食事制限というのは、たしかに重要で効果的な要素だが、自分の場合を振り返ると、運動と食事について考えると下記のようになる。

1.運動を増量したのは確かだが、ダイエット以前もそれなりの運動はしていた。
 一時、運動量を増やしたのは確かだが、その後、運動量が増えようが減ろうが体重に大きな変動は見られない。また、一時の増加した運動量だけでは1ヶ月で10kg以上の減量の説明は付かない。

2.食事制限を意識して積極的には行っていない。
 食べる量自体は殆ど変わっていないという意識。寧ろ、一日三食摂ることにより摂取カロリー自体が増えている筈。

 にも関わらず、減量に成功したのが現実だ。勿論、今流行のサプリは使ってないし、一品食材によるダイエット(チョコレートダイエット、豆乳ダイエット、蒟蒻ダイエット、バジルシードダイエット・・・・)も一切行っていない。

 ただ、ダイエットの決意の前後で改めた行動というのが存在する。それは、下記の3点である。

1.朝昼晩の三食を決まった時間に欠かさず食べること。
2.食事はしっかり噛んで食べる。
3.食事順序は、最初が野菜類、次が肉、魚等タンパク質類、最後が御飯等炭水化物

 以上3点のみである。このスタイルは今も守っている。
 にわかには信じがたいかもしれないが、本当にこれだけである。こういった生活がダイエットに及ぼす好影響を後から考えてみると、

1の効果の検証では、
 決まった時間に食事を取るためには、最初の朝食時間帯が一定でなければならないので、結果的に就寝起床時間が一定になる。不摂生しないようになる。

2の効果の検証では、
 しっかり噛む癖(一口30回)は慣れ次第であり、慣れてしまうと問題無く、良く噛むことで食事に要する時間が長くなり、実際の摂取カロリーに応じて正常に満腹感を得ることができる。結果、間食が減る。

3の効果の検証では、
 血糖値が高くなりやすいものから先に食べると、栄養分が蓄積しやすいため。血糖値が高くなりにくい順に食べる事で、蓄積を回避しやすく、繊維質を先に摂る事で脂肪の吸収が抑制できるため。また、この順番に食べることは、総じて薄味の順に摂取しているので、必要以上のドレッシング等を食事の後半に摂取することが抑える事が出来る。

 以上のような効果が得られたのでは?と個人的には考えている。今回のダイエット生活では、ホント思いの外、苦労せず楽に効果が得られたのだが、その効果を得た理由は、自分の生活様式の中で最も大きく変えたところが効果的だったのだと思う。
 そして、自分の生活様式の中で最も大きく変えたのが上記の3点であり、

『1日三食、定刻にしっかり噛んで、野菜、肉、御飯の順に食べる』

という事に集約することが出来る。

 今では、身体が軽くなる事で、時折感じていた腰痛とも無縁になり、体内数値も健全化した。さらには、気持ちも軽くなる事で、身体を動かす事自体が楽しくなっている。身体を動かす事で、元気に運動するという事自体が楽しくなり、今では、運動する事で体力を強化し、強化した体力によって更に生活が楽しくなっている。

 たったこれだけの気遣いである。誰か信じてやってはみないだろうか?

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マナーについて

 交通社会における『弱者優先の原則』というのは、尤もなんだが、自転車という存在は歩道においては歩行者に対して加害する可能性が高い立場、車道においては最も弱者となる立場であるってのは、ここ最近の改正道交法試案に対する意見が書かれたサイト、ブログ、BBS等でも良く見かける文言である。

 確かに弱者優先ってのは理解できるし、加害者側の立場になりやすい側に居る際ってのは、弱者を保護する気持ちを常に忘れてはならない。

 しかし、この原則に従って弱者の側に属する者程、公共交通環境の中で規則に従っていないように思えるのは自分だけだろうか?歩行者の信号無視、飛び出し、自転車の逆送、並進等々、原付の信号無視・・・といった具合に、規則違反を目にする頻度というのは、弱者側の存在の中程に頻繁に目にするようにも思う。

 言葉は悪いが、弱者優先という原則を盾にして、無謀で無秩序な行動が許されると勘違いしている人があまりにも多いように感じるところである。

 今回の道交法改正騒ぎの中で特に感じることは、一個人の意識ではなく、ユーザー全体の低いモラルを棚に上げて理想論や権利を主張する意見を目にすることも少なくなかったように感じるところが、正直な感想である。
 弱者の立場に居れば、何をしても許される?という考えが、仮に大多数を占めるのであれば、その意識を改革することが最も大事なように思うところ。
 特に、自転車ネタとして考えれば、御都合主義的に歩行者になったり車両になったりして、歩行者的になった際には、歩行者モードのモラルで乗ってる人は少なくない。
こんな状況では、なかなか社会の中で発言権のある意見としては通りにくいように思うところ。

 教育の中で社会の中で生活する上でのルールを覚え、個人の行動が社会のモラルを作り上げるのに大きな影響を持つことを教えるような仕組みが最も大事なように思うところ。

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検索ワードから思うこと。

 前にも書いたが、最近のHPとブログの検索ワードには自転車関連ワードが多く含まれているのだが、その中で感じる傾向と言えば、自転車ならば『ペダリングの方法』『トークリップの使い方』『乗り方』『ギア比の決め方』『ピストの乗り方』というのが多く、単車ならば『2ストの乗り方』『コーナーリングの仕方?』『シフトダウンの仕方?』といった方法論についてのフレーズが多い。

 それぞれに解答はあるんだが、解答する上で必要な知識と経験が人によって大きく違うんで、その人なりの答えってのは様々であり、定型的な答えってのは、人によっては、意味不明と感じたり、そんなのは常識だと感じたりするもの。

 そんな訳で、知識と経験によって方法論が難しく或いは幼稚に感じられるような事は、今のところ書いていないんだが、そういう方法論への答えを求める人ってのも居るようだ。
 近くにいる自転車好きの例の人も、単車や自転車でインスタントに答えを知りたがろうとする傾向が強い。

 ただ言える事は、何を持って正しいか?何がしたいか?という本人の目的というか目標意識が大切であり、それを叶えるためには、何が必要か?それを叶えるためには道具を如何に扱うか?という論理の展開こそが重要であり、少なくとも前述の道具の使い方に関しては、道具の構造や機能、役割をしっかりと考える事が自身の知識と悪癖を見抜く上で最も大事である。
 ネットのような表面的な情報源からは、個人にとって必要度と精度の高い情報ってのは探す事が非常にむずかしいのでは?と感じるところ。ネットの情報自体の信憑性も怪しいところが多く、その判断を誤ったり、書き手の意識やレベルによっては情報自体を正しく使えない事もある。そんな気がする今日この頃である。

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裸の王様

 最近の安部内閣は、その迷走ぶりと意志統制の無さから、身内からも『裸の王様』などと言われている。
 裸の王様と言えば、本人の思いと周りからの見た目が著しくかけ離れ、滑稽な様を言うだろうと思う。

 今朝、会社で話をしたんだが、朝の通勤自転車を見て危ない人が居るよと話し掛けてきた人曰く『なんか一生懸命がむしゃらに漕いでいるように見えても、その漕ぎ方が通勤風景にマッチせず、漕ぎ方の割には遅い。周りの風景から浮いて見える。』だと、、、、。そんな風に言われたくないものだ。
 そういう人の多くは、公共空間で遭遇する場面で、勝手に勝った、負けたと一喜一憂している。

 自転車にしろ、単車にしろ、本人がその気で走る気持ちも判らなくは無いけれど、少なくともTPOを弁えて走るように気持ちを切り替えないと、滑稽に見られてしまいかねない。

 通勤、通学といった雑多な流れの中では、自転車にしろ単車にしろ、交通の流れを乱さず安全にが第一だ。殆どの乗り手の意識としては、遅刻しないようにという意識で、少々の急いた意識のもとで行動している訳で、そういう中では自身の意識が周りの人の意識とかけ離れる程に事故を起こす率が高くなる。寧ろ、周りの人の意識を考慮の上に自身を律する事が安全を確保する上で最も大事だ。

 逆に、CRや峠のワインディングを走る事自体に目的に出掛ける場合や、そういう人が多い場所では、そんな空気に併せた走り方をしなければ、やはり浮いてしまうし、滑稽になる。

 行動する際の周りの状況への配慮、空気が読めるか?というところが一番大事である。自転車にしろ単車にしろ、行動の際には、周りの空気を読めるような周囲への配慮を忘れずに行動したいものである。

 自身、本格的なロードバイクへの抵抗感といえば、やはり装備を固めた格好良いスタイルでCRを疾走するというイメージなんだが、それに相応する走りが出来ないなら格好悪いと思うし、逆に、そんな格好して走っていて普通の自転車に抜かれたりした時に、無気になって追っかける様も滑稽だなぁと思う。
 仮に、そういうスタイルでロードバイクを乗るようになるとすれば、身なりに応じた走りが自然にできるようになりたいし、仮に公共のCRで抜かれたとしても無気にならない心の余裕を持って接したいと思うところ。
 単車で装備を固めてレプリカを扱っている際も、相応の走りを楽しむレベルを保ちたいし、峠といっても公道では、挑まれても無気になって危険な領域に踏み込むような走りはしていないつもり。多少の挑発に乗ったとしても、安全のマージンを十二分以上に確保した上でのペースアップをしても、それで、どうにもならない状態ならば退く心は持っているつもり。
 単車にしても自転車にしても、スピードが出るから偉いというのではないと思う。上手いと速いは別物であり、上手い奴は、ゆっくり走っても上手いし、他人と遭遇する場面での対処もスマートである。抜かれたから抜き返し、いつの間にか無理するなんて行為は、それ自体が稚拙で未熟さをさらけ出しているように見える。速い人に無理して挑むもナンセンスだし、公道で競うのもNGだ。自然に走って自分の方が速ければスマートにやり過ごせばOKで、逆に、自分よりペースの速い人がくれば、スマートに譲るという余裕が大事である。

 単車にしろ、自転車にしろ、後から熱い顔して迫ってくる奴ってのは、はっきり言ってウザイところだし、いい迷惑である。
 自分自身も未だ子供な部分があって、後から明らかに不愉快な挑発を受けると、ついのってしまう事もある(パッシング後に横に並ばれて挑発されたりすると、つい戦闘モードになったり、以前遭遇した自転車に幅寄せしまくるスクーターなんかに進路妨害されたりすると追跡モードになったり、、、、し・て・し・ま・う)んだが、、、特に、速く行きたいなら、さっさと先に行くならいざ知らず、不必要に後から煽りを食らうとキレる事が在るんで反省中だが、、、。

 まぁ、どんな乗り物であれ、それを扱うTPOに応じて優先すべき状況が周囲の環境からかけ離れないように付き合いたいものである。

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2007年2月12日 (月)

サイクリングブームか?

 今日は、久々の連休で、明日から仕事なんだが、午前と午後でホームコースの自転車道メインのコースを二回走った。
 朝はマイヨWWで、昼は西DAHONである。ペース的には殆ど同じ位のペースで35~40km/h平均というところ。
 朝は少々肌寒い位ながらも5km以上の距離を走ると結構快適になるんだが、昼は初っぱなから暑すぎである。未だ2月なんだが、異常な程に暖かい。

 朝は昨日に較べると冷え込んでいたせいか、殆ど自転車と遭遇しなかったけど、昼は結構な数のスポーツサイクルを見かけた。特に、小径車、ロードが多かったように思う。休日の早朝に出掛ける時とは全く違う光景なのには、ハッキリ言って驚いたところだ。

 前にも書いたけど、スポーツサイクルってのは、ここ広島でもブームなのかもしれない。

 そんなブームはどうでも良く、自分的には偶然自転車趣味に復帰した時が、ブームと重なっていただけなんだが、関心を持っている対象が、小径車、シングルスピードと昨今のブームと重なっているのが、偶然とは言え興味深いものである。
 自身、雑誌を見る訳でもなく、自転車マニアの友人が居る訳でもないのだが、偶然というのは面白いものだ。しかし、自身が自転車に関心を持って仕入れる情報の中には、ブーム故に小径車、ピストといった情報が多く含まれていたために、意識せずとも潜在的にブームの乗っているのか?とも考えれるかもしれない。

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2007年2月11日 (日)

ナルシスト?自画自賛?

 全くもって、自分の事だが、最近自転車に乗って思う事がある。我ながら、自分でモディファイした自転車(西DAHON SPEED SF、マイヨWW、SPEEDママ)だが、何れも、本当に良く走る。安価なパーツの集合体だし、在り合わせ的だし、怪しい自家製部品を組み合わせたような、怪しい自転車なんだが、本当に良く(速さ、場面に応じた扱いやすさ等々含めて)走ると思う。

 20年前の中学、高校、大学でのサークル、自転車部に所属していた時代に拘っていた自転車から見ると、邪道だし、有り得ない形かもしれないが、今の自分の価値観として見ると、どんな構成であれ、結果的に自分自身が楽しめてるし、昔以上に今の方が自転車に乗ってから感じる満足感は高い。不思議なモンである。

 自転車に乗って感じる満足感という感覚的な感情は、二通りあると思う。一つは、完全に自分の中で完結するモノ。もう一つは、周りの中での自分の位置から感じるモノだ。
 前者の満足感というと、人によっては、自転車に乗って、何処まで遠くに行けたか?何キロでたか?何処まで高い山を登ったか?といったものから、自分で手に入れた自転車で気持ちよく走れたか?或いは、改造する事によって得た機能を実感できたか?といった感じ方がある。
 後者の満足感というと、周りの人、他人に較べて上手いか?他人より速いか?といった自分の位置付けにたいして納得できた時の感じ方では無いだろうか?

 自分自身の場合、どちらかというと前者の考え方で満足感を感じていたのだが、最近は後者のような感じ方でも満足感を感じる事が多いなぁと思うところ。

 基本は他人はどうでも良いし、競技における相対的な順位ってのは関心が無いのだが、何故、後者のような感覚で満足を感じるか?と考えてみると、それは、乗っている自転車の奇怪な形態故の事では無いだろうか?と思う。

 西DAHONでのショップツーリング、マイヨWW号でのCR走行、SPEEDママでの昼ポタ等々を行っているが、何れの場面においても小径車ながらも、昔の価値観では絶対だった価値観を覆しているような感覚を得るからである。
 今の小径車ってのは、或る意味オリジナリティー溢れる?改造車であり、西DAHONでは小径スポルティーフ、マイヨWWでは小径ロード、SPEEDママでは小径ランドナーを志向して作っているつもりでも、本物のロード、旅行車に対して、或る程度の機能を有しているか?或いは、全く太刀打ちできないか?なんて事は、自身が一台に乗っているだけでは、自分の中で過去の経験と比較するしか評価のしようが無いのであるが、先に述べたように、他の人と遭遇する機会が増える程に、自身の愛車に対して、小径車ベースの怪しいコンセプトの改造車が遜色なく走れる事が実感できて満足を感じる事が多い。

 まぁ、自画自賛だが、今乗っているような安物の小径自転車ベースのスポーツ車であっても、本当に良く走るし、乗っていて楽しい。

 そして自画自賛しているのは、自身の体力でも、怪しい改造自転車でも無く、自身の経験で正規車型の持つイメージを小径車に具現化する事が出来たという事であり、大した経験や知識では無いだろうけど、それなりに、そんな知識で自分が納得できるモノを作る事が出来たという事である。

 思い返せば、単車でも似たような事をしてるし、同じような感覚で満足を得ているなぁと思うところ。単車でも昔は有名ブランドパーツ命、自転車でも高級グレード命、他人の伝聞、雑誌等の評価だった事は確かに在るけど、今はそういう感覚は殆ど無い。名前に捕らわれなくても、グレードに拘らなくても、こういったオモチャでは満足が十分に得られる事が判ったというのは、本当に嬉しいものだ。

 次に控えるスーパー西DAHON SPEED SF、SPEED GTRってのは一体どんな感覚を感じさせてくれるだろうか?楽しみである。予想以上か?思った程でも無いか?想像も出来ないけどワクワク感一杯である。

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サイクリング、盛ん?春?ブーム?

 ここ最近ずっと、休日朝にはCR(サイクリングロード)に出掛けている。去年の11月頃迄はちらほらとサイクリストを見かけていたが、12月から1月は殆ど見なかった。2月といえば、本来は一番寒い時期な筈だが、今年の暖冬傾向の天気と併せて先週くらいから春を感じる事が多い。
 CRでも今日は驚く程(今までに較べると)のサイクリストを見かけた。ロードの集団二組、クロスバイク、小径車、マウンテンバイク・・・・である。
 フルサイズのロードバイクのサイクリストといえば、格好良いロードにフル装備で集団で隊列を組んで走ってるが、それ以外のモデルでは、ごく普通の普段着でポタリングという感じである。街中ではママチャリしか見ないけど、CRではロードバイク、小径車が目に付くところ。この辺の車型がスポーツチャリブームを牽引しているのか?

 いつも走るコースは川沿いのCRだが、同一方向に走っていたんで、恐らくは自分と同じく市内を出発して北上して回遊しているんだと思うが、こんな限られた時間帯で多くの人数を見たのは、或る意味、単車のツーリングですれ違うツーリング集団よりも数が多いのかなぁ?とも思える位である。

 やっぱり、自転車ブームなんだろうか?先週の本屋での自転車雑誌の種類の多さにも驚いたのだが、自転車が一種の流行なんだろうか?20年前のレプリカバイクの流行を起点とするバイクブームの頃の人口の増加を思い出すところ。

 バイクブームでは、雑誌の充実、ライダー増加、事故増加、規制強化と変遷していったが、自転車ブームでも、今は雑誌の充実、サイクリスト増加と同じような感じ。事故が増加すれば、規制強化となるのかもしれない。

 今日、遭遇したサイクリストの多くは大人だったのだろうか?単車でもそうだが、自転車でも、追い抜きざまに、無気になって追っかけてくる人が居たりすると、面倒くさいんだが、今日は、そんな感じはあまりしなかった。それぞれが、自分のペースで走っていたんだと思う。
 ただ、ロードバイクの一列の集団ってのは、散歩する人から見ると恐い存在だろうと思う。一台限りならとも思うが、、、、逆に、そんな集団を抜き去るにしても単車と違い速度差が大きく取れないんで、長い列を抜くとなると距離と時間が必要で、それなりに気を遣うところ。自転車の場合は背後から近付いても無音故に気付かれにくいし、ベルを鳴らすのも気兼ね、フル装備のロードバイク乗りへの声掛けも気が引ける。

 CRにて他の自転車乗りと遭遇する頻度が増えると、結構気を遣う場面も出てきそう、、、。もっと早起きして誰もいない時間帯に走ろうかなぁ、、、。と言いつつも、明日も同じ時間帯に同じように走る予定だ、、、。

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2007年2月10日 (土)

改正道交法試案へのレスポンス

 最近は、表題の改正道交法の動きが気になるところ。1/28に試案に対するパブリックコメントが締め切られ、自転車議連の総会の場が設けられ回答がなされたところ。

 自転車乗り的には、今回の改正道交法試案の部分で注目されていた所は、

提言4-2-4のいう、『自転車が車道を通行することが特に危険な場合は、当該道路の自転車通行を禁止することなどの措置を講ずること』という将来の自転車通行禁止へ繋がる一文であり、先の説明では、この提言が全く無くなったという状況である。

 特に、今回の案件で精力的に活動されていた疋田氏のメルマガによると、この提言が全く無くなり、自転車利用のためのインフラを整備し、ヨーロッパ型の自転車社会を作るという事が書かれていた。

 その社会成立を目指すインフラ整備としては、

1.車線を見直し、左端に自転車レーンを設置
2.幅員の広い歩道の自転車通行指定部分を分離
3.車道の自転車レーン部分や歩道の自転車通行指定部分をカラー舗装により視覚的分離
4.車道の環境整備に合わせて、自転車<歩道通行可規制の解除>等

 これをもって、自転車の車道通行原則という方針が確立したと判断する流れが今の状態である。

 メルマガでの『祝・警察庁方針転換』速報の段階では、概ね歓迎の色合いが強かったように思うが、最近は少し違う様子だ。

 しかし、自分的な感想としては、これって、最初の試案との違いが全く無いのでは?というのが素直な感想だったんだが、最近、自転車系の掲示板の書き込みを見るに付け、私と同じような私感を持っている人が多く、危惧を覚えている模様だ。果たして、実際の流れはどういう方向だろうか?

 結構、身近で重要な問題なんで気になるし、世論の反応自体も気になる所だ。

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2007年2月 9日 (金)

アディポネクチンの作用

 脂肪細胞から分泌されるアディポネクチンが、メタボリックシンドロームに有効に作用することは、これまでも判っていた。このアディポネクチンは、脂肪細胞から出るホルモンで、脂肪を燃焼してインスリンの働きを助ける物質だが、内臓脂肪の蓄積で脂肪細胞が肥大化すると、アディボネクチン量が低下し、糖尿病などのリスクが高まるとされていたが、このアディポネクチンが結合する物資と併せて初めて効果が現れる事が、新たに判明したそうだ。

 それによると、アディポネクチンと結合する受容体と同等の治療薬が開発されれば、メタボリックシンドロームの改善に有効な薬品ができるそうだ。

 凄いなぁと感心しつつも、その受容体自体と等価な物資を外部から摂取させることにより、本来の受容体自体の分泌能力が衰えるのでは無いか?という素朴な疑問を持ったところ。

 因みに、アディポネクチンを有効に作用させるためには、運動が効果的であるという、大阪市立総合医療センターの先生の報告もある。こちらの報告では、運動がインスリン感受性の改善もみられ、運動することによる分泌物質の分泌能への何らかの影響があるとのこと。

 一方では、局所的な効果有無の判断で治療薬の開発が進み、一方では、健全な身体を維持する上でのホルモンバランスが未知の平衡性によって保たれていることも解明されつつある。医療技術の進歩は目覚ましいものがあるが、人体機能の詳細を解明するには至っていない(それ故に、副作用、弊害等も無くならない)。

 医療技術の進歩によって明らかになる相関性から、治療薬のような手法を取るのが西洋医学的な発想なのだろうか?また、相関性を保つために、生活様式を改めるようなのが、東洋医学的な発想なのだろうか?

 少なくとも、メタボリックシンドローム予備軍状態、或いは、軽度の発症状態では、或る意味強引な手法ともとれる医療技術に頼る改善策よりも、人体機能の健全な平衡性を維持することに軸足をおいた生活様式の改善を試みる方が、人体の機能的には健全ではないだろうか?
 様々な疾病が終末的な症状を呈して、生活様式の改善自体が困難になってから、最新の医療技術にお世話になる方が普通な気がする。

 但し、自身の身体の状況がどうか?は、自覚症状が無い軽度の発症者にとっては、感心が無ければ問題視もしない。そういう意味で、年に1回は定期的な健康診断を受け、日々の体調チェックでは、うんちチェックと体重計に乗るという習慣を身に付けることが有効かもしれない。

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2007年2月 8日 (木)

中央森林公園

 今月、表題の中央森林公園のロードコースをサイクリングしに出掛ける予定だ。ショップと常連さんの主催で出掛けるとの事だが、便乗させて出掛けることにした。

 コースを見ると1周12.3kmで高低差110mの起伏に富んだコースらしい。ネットで検索を掛けると、自転車趣味の人がロードで参加できるレースでのタイムでは25~27分とのことだ。優勝者はビギナーで23分。
 結構速いなぁというのが素直な感想。果たして、折り畳み自転車で走ると、どの程度になるんだろうか?興味深いところだ。

 特に、メタボリックシンドローム状態から1年間のダイエット生活後の自分としては、どの程度で走れるか?ここ1年を振り返ってみると、自転車に戻ってきて8ヶ月、出掛けたサイクリングは1回のみ、毎日乗るといっても1日平均で10km程度のポタリング生活しかしていないんで、どうなるか?というのは実に興味深いところ。

 成人男子が1周して1時間、小学生ではそれ以上ということなんで、取り敢えずの目標としては50分というところか?実際に走ってみないとさっぱり検討も付かないのが正直なところ。今からワクワクしている。

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自転車を取り巻く環境

 昨日のクローズアップ現代でも取り上げられていたが、自転車に対する関心が高まっている。
 一つは、環境負荷の小さな交通手段として、或いはメタボリックシンドローム解消のための有効な手段としての利点を全面とした意味である。
 もう一つは、歩道における暴走自転車と歩行者の間で多発する事故、車道における自動車との間で多発する事故の原因となる交通環境における自転車の曖昧差に起因する問題、その曖昧さを都合良く個人解釈で利用するユーザーの意識やモラルの問題といった悪い意味でである。

 自転車のメリットを社会で享受するためには、自転車に纏わる諸問題を解決しなければならないという意識のもとで、番組に取り上げられたり、警察庁主導による自転車を取り巻く交通行政の見直しが為されている。

 因みに、自転車は国内に8000万台以上あり、二人に一台の割合で普及しているという。また、自転車と一言で言っても、ユーザーの年齢層の幅の広さ、自転車の用途やタイプ、地域性による違いを考えると、交通行政における自動二輪車や自動車のような比較的画一化された対象と異なる点で、有効な解決策を導き出すのは並大抵の事では無い。更に、国土的に過密な状況では、理想論を具現化することさえも難しい問題となる。

 今の段階では、現状の抱える問題が提起され考えるべき対象の一つとして捉えられ始めたというところか?具体的な施策というのは固まっていないようだが、取り敢えずは、社会の抱える問題の一つとして認識され始めたという点で、大きな進歩なのかもしれない。

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クローズアップ現代

 今日というか、昨晩のクローズアップ現代では、歩道走行する自転車の問題点をネタとした内容が論じられていた。

 今回のこの内容『歩道が危ない ~相次ぐ自転車事故~』は、昨年末から話題に上っていた改正道交法試案の一つの条項による関心の高まりを受けたものである。

 内容的には、自転車は歩道か?車道か?という結論は付けずに、今後の在り方はどうあるべきか?を投げ掛けるようなストーリーである。
 各自治体における交通社会の秩序確立への取り組みの実例と問題点を紹介して、交通行政の難しさを客観的に解説するような構成だ。

 何にしろ、自転車を歩道に車道にという画一的な区分は非常に困難な様子。
 車道には車両としてのルール、歩道では歩行者としてのルールを作り遵守するしか手が無いと思うのが感想。
 しかし、現実的に思い浮かぶ環境というのは、自転車レーン(車道側、歩道内の如何に拘わらず)が出来れば、その場所の通行が義務づけられるような空気を感じるところ。それ以外の場所は、従来通り(原則車道通行)の扱いとするという空気を感じるところ。
 但し、車道を車両の一員として通行することが原則化すると、もしかして競技用自転車の公道走行が認められなくなるかもしれないなぁ、、、。ドロップハンドルは大丈夫かもしれないが、ビンディングペダルはアウトになるかも、、、。まぁ、要らぬ心配だろうが。

 道交法改正試案が来月にも国会に提出されるらしいが、どうなるか?非常に興味深い所である。

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2007年2月 7日 (水)

柳沢厚生労働大臣 その2

 今日も大臣が波紋を呼ぶ発言をしたそうだ。安部首相の『文脈から読めば問題ない』とのコメントを理解できないでは無いが、当事者が自身の発言が波紋を引き起こしている最中だけに、コメントを発するに際しては、どんな発言が波紋を呼ぶか?くらいは考えてないと大臣なんか務まらないのでは?というのが素直な感想。

 コメント自体は『若い人たちは結婚したい、子どもを2人以上持ちたいという極めて健全な状況にいる』という事らしいが、健全が何処に掛かり、その意味は?という部分が議論を呼んでいるそうだ。
 自分もコメント全部を聞いた訳でないので良く判らないが、少なくとも、この大臣は考えてから発言するという事をしない人のようである。

 安部内閣の大臣の意思統一が図れていないとの論評もあるが、意思統一は為されて居るんだろうと思うところ。ただ、大臣が職務の自覚を持ち、自身の言葉の影響を考えて発言するという注意深さというか、常識的な思考手順を持ってないように見えるところ。
 そういう意味で、任命責任というのは在るかもしれない。

 つらい内閣だなぁ。大体、キャッチフレーズの『美しい国』ってのも、あまりにも抽象的で何がしたいのか判らないというのが多くの人の意見のようにも見える。
 考えてみたら、教育再生会議の活動も、どうもピンと来ないし、、、、評価するには、あまりにも早いが、政権的には期待できそうにないなぁ、、、。

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2007年2月 6日 (火)

サラリーマン川柳

 表題の第一生命のサラリーマン川柳での入選作が発表されていた。
 笑えたのが、

・『脳トレを やるなら先に 脂肪トレ
・『俺だって 診断結果は チョイ悪だ

 この2作である。後者の診断結果がチョット悪く、メタボリックシンドローム間近ってのは、危険な意識でもある。チョイ悪では無く、極めて悪いという意識でも無ければ、脂肪は取れないだろうし、『チョット』という言葉の意味には、『取り敢えず、今の段階では大丈夫』という意味が潜んでいる。
 実際、健康診断結果の※印が付いていても、多くの人(過去の自分も含めて)は、周りの人も少なからず付いているんで、まぁ良いかという判断で、どちらかというと笑い話的に捉えている場合が多い。
 メタボリックシンドロームの怖い所は、それ自体が大したこと無いと思ってしまう所であり、予備軍に該当する人の意識の中での重要度が低い事が一番怖いんでは無いだろうか?

 生活習慣病の事を昔は成人病という言葉で表していた時期もあり、加齢と共に現れる症状という認識が大きければ、仕方ないと捉える場合も少なくないかもしれない。

 サラリーマン川柳自体が笑いを取る要素が大きいかもしれないが、もっと危機感を募らせるような表現が多く出る程に、メタボリックシンドロームの怖さが社会に浸透してきたと言えるのかもしれない。怖さの浸透度のバロメータとして捉えれば、その怖さは、情報媒体で叫ばれる程の危機感自体を該当する世代が感じていないように思うところ。

 脂肪トレを、ゲーム感覚で行えるように出来る可能性としては、Wiiで案外、『脂肪トレ』ってソフトが生まれるかも知れない。

 そんなのが出れば、多分、買うかも、、、、。

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2007年2月 5日 (月)

改正道交法で方針転換?

 今日の昼休み、ネットで疋田さんのメルマガバックナンバーで見つけたんだが、自転車乗りの間で話題に上っていた改正道交法の中の自転車車道通行禁止可への条項の扱いが変わったそうだ。

 基本的に、この条項が削除され、自転車の通行区分の明示化(原則的に車道の左端に通行レーンを設置、歩道内の物理的に独立した自転車通行区分の設置)を進め、自転車と歩行者の混在状況を解消するということ。

 ただ、これは現在の施策と基本的には変わらないとも思えるが、わざわざ道交法に載せてくるということは、車道でも歩道でも自転車を利用する上でのルールを徹底させるということで、環境整備状況に応じたルール(車道通行の場合はヘルメット着用義務、幼児車等は歩行者扱い等々)が現れてくるというモノかもしれない。
 勿論、大歓迎であるが、ユーザー意識の自転車は歩行者にも車両にも変われるという意識を、どこまで改めるように指導していくか?というのが課題になるかもしれない。

 メルマガバックナンバーの論調では、めでたし、めでたしだが、果たしてそうだろうか?というのは素直な感想。というのも、現実、車道における自転車レーン、歩道における自転車通行区分というのが混在した中で思うに、自転車は自転車レーンを走る事が義務づけられる流れがあるように思うのが素直な感想である。

 つまり、車道に自転車レーンが有る場所、整備された場所では、車道側を走る事が義務づけられ、逆に、歩道側に自転車通行区分が確保された場所では歩道側の通行区分を走ることが義務づけられるという状態に帰結するんでは無いだろうか?

 つまり、最終的に自転車通行区分が明示された場合は、歩道であれ車道であれ、指示通行帯を走る事が義務づけられるという最初の試案通りの結果になるような気がする。これって、結果的に歩道側に通行帯が指示(歩行者と分離)してあれば、車道を走るなという意味のような気がしないでもない。

 そして、それらの条件に合致しない場所は従来通りのルール運用になるというのが伺えるのが素直な感想である。

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楽しめる時間

 趣味の一番は単車、二番が自転車という状況だが、最近は自転車に乗る頻度が増えている。どちらも二輪の乗り物なんだが、楽しみ方、楽しめる場所ってのが大きく異なるのが原因か?楽しめる時間と場所を状況毎に考えてみた。

 部屋の中での楽しみといえば、断然自転車である。単車場合は、部屋に持ち込む事は困難で、パーツの分解でもガソリン、オイルというものが部屋での作業に適していないのも大きな理由だ。部屋というか室内というのは、案外狭いモノであり、自転車でも結構な空間を占有するが、単車の場合は自転車の比では無い。丸ごと1台を持ち込むことは困難だが、パーツ一つをとっても、とても巨大であり重量もある。カウル、タンクという外装パーツはもとより、足回り部品等も本当に嵩張るのが判る。

 ガレージでの楽しみでは、微妙だが単車である。ガレージでの楽しみ方って言えば、走行状況に近い調整、清掃となるが、自転車の場合はガレージで行うことは無く、部屋の中で済ませてしまう事が多いからでもあるが、単車の場合は、たとえ走らなくても、エンジンを始動して各部のチェックが可能であり、エンジンを掛ける行為だけでも、心から楽しめると思う。

 市内を中心とした2時間程度の走行を比較すると、俄然、自転車が上回る。自転車の楽しみと言えば、体力を如何に速度に換えて疾走するか?ということで、基本は平坦な真っ直ぐの道を走るという使い方が一番好きであり、幸いな事に、ホームコース迄は5分程で行けるし、そのサイクリングロードを使えば、専用道故に信号は殆ど無く、平坦で他の交通と交錯しない状況で25km程度走ることが出来る。こういう使い方が出来るのは自転車ならではである。こういった短時間で楽しむのに自転車が良いと思う理由は、自転車の楽しみ方を実践できる環境が身近に存在しているというのが大きな理由である。
 他にも、一寸した昼休みの30分以下という時間でも、そんな道を選べば十二分に楽しめるのも自転車ならではの世界である。

 県内を中心とした半日以上となると、今度は俄然、単車が上回ってくる。単車での楽しみと言えば、やはり交通量が無きに等しい山間部のワインディングロードを走る時であり、そこに出掛けるにはやはり、最低でも30分以上1時間程度は走らないと行けない。ただ、1時間程度走れば、そこには単車で楽しめる峠道があり、そんな峠道を走っているときは最高の楽しみを得る事が出来る。でも、往復の距離と時間、峠回遊の楽しさを満喫する時間を考えれば、連続して最低でも4時間以上は欲しいところ。学生時代、独身時代ならばいざ知らず、今の生活習慣では、なかなか、そんな時間を作る事は難しいところ。
 少なくとも市内の混雑を2ストレプリカやVツインスポーツで、ちんたら走る気は全く起こらない。何にも面白くないばかりか、寧ろ、不必要に機械を消耗させているような気にさえなる。

 こうして較べると、一寸した隙間時間で楽しめるように、好みの場所が身近に存在しているという意味で自転車に乗る頻度が増えているのかもしれない。

 自転車の楽しみ方は、自分の持てる力(技量、体力)を使って、心地よく淡々と走り続けること。リズムを刻む上で一番の肝はペダリングで、なるべく真っ直ぐで、アップダウンの程度は少なく、という負荷の変動が小さな所が好み。一言でいうと下流域の川沿いの道。

 単車の楽しみ方は、自分の持てる力を使って、心地よく峠道を操る事。楽しむのは単車の運動性能を引き出す事が一番。リズムを作るのはコーナーリング(ステップコントロール)に尽きる。なるべく曲がりくねって、アップダウンもアリで、という負荷変動の大きな所が好み。一言でいうと峠道か上流域の渓谷沿いの道。

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2007年2月 4日 (日)

ギアホールド

 最近は、ラングスター納車に備えて、ギアホールドで運転することが多い。SPEEDママだろうが、マイヨWWだろうが、いつも同じギアレシオ(展開)で走っている。平地、登り、下り、追い風、向かい風・・・全て同じギアで、走行中はフリーのラチェット音は全く無しで走ってる。
 大体、自分が普段走るエリアを全てカバーできるギアってのは見付けた所。短距離であれば10%に迫る上り坂も許容し、平地では45km/h程度迄は引っ張れる。そして、35km/h巡航が最も快適なギアである。

 速度調整はもっぱらペダリング回転数のみなんだが、これが何とも具合が良い。逆に変速機なんか不要かな?なんて思うところ。勿論、スピード命的に50km/hオーバーを狙うなら、こんなギアでは不可能だし、急勾配を延々とも登る事は出来ないんだが、そんな事をしなくても、速度がどうこう以前に淡々と走るってのは楽しいものである。

 もしかしたら、ラングスター以外の自転車に乗らないようになるかもしれないなぁ~と考える今日この頃だ。

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2007年2月 3日 (土)

加速するペダリング!加速する物欲!?

 今日の25km/h程のフィットネスサイクリングにてマイヨWW号の快適性を堪能。勿論、ペダリングにおける体幹利用による出力を意識したペダリング癖も併せての事だが、ふと、西DAHON号でもマイヨWW号同様のしなやかさが欲しいと思い、西DAHON号をマイヨWW号ライク(マイヨWW以上に低重心、長軸距を更に顕著にする方向)に変更する事にした。

 話が前後するが、そんな思いはサイクリング帰りのショップにてラングスター用に22Cのタイヤ(IRC REDSTORM LITE)を一本注文した時に、前述の思いもあったために、パーツを注文したのであるが、、、。

 因みに、発注したパーツはALEXリムでR390(451)で28Hと36Hである。このリムで組み直す予定。西DAHON号もマイヨWW号と同じノリの快適性も手に入れる事が出来そう。ホイールベースが長く、キャスターも寝ているの併せれば、長距離でダルな?操縦性に一段と磨きが掛かるかも、、、、。楽しみである。曲がりの性能はどうでも良い。まっすぐを楽に走るのが一番。

 そうなると、今の西DAHON号の足周りが余るので、これをSPEEDママに移植できる。SPEEDママは、我が家のメインマシンの二世代前という形で変化している。
 今後の愛機達の目指す方向といえば、

1.街乗りピストとしてラングスターで遊ぶ。これは主にトレーニング用マシンである。
 一人で走る際に使うが、その目的はパワーとスキルを身に付けるためであり、自身の肉体的、技量的変化に合わせたベストな状態を探り当てるためのバイク。

2.ロードバイク(マイヨWW)は、サイクリングロード主体の日帰りツーリング用である。
 基本は、一人で平坦路主体で走る時に使うんだが、モディファイの方針としては、ピストバイクでの練習の結果に合わせてレシオ(レンジとピッチ)を見直すかも、、、。コンセプトは、なるべくシンプルで機能は必要最小限に、そして、ロードっぽく速く!スマートに!である。

3.スポルティーフ(西DAHON)は、集団での郊外日帰りツーリング用である。
 グループで未知のコースを走る時に使う。それに合わせ、様々な走行条件に対応できるように!みんなに迷惑が掛からず遅れずに!がコンセプト。どんな長距離も、どんな坂でもOKってのが理想。モディファイの今後の方針としては、長距離走行での疲労軽減の工夫を入れるかも?剛性よりも柔らかさを手に入れたり、クイックさよりも適度にダルにしたり、或いは、慣性が働きやすいようにするかも、、、。

4.ママチャリ(SPEEDママ)は、平日昼休みポタ、買い物用である。
 一人で暇を見て自転車に乗る時に使う。後は、一寸した買い物に使う程度。モディファイの方針は特に無い。結果的に西DAHONからのお下がりパーツを投入するかも?予定では、近々、リム(DA16)とタイヤ、もしかしたら内装変速機が移植されるかも。

 物欲ってのは、留まる事を知らない。

 なお、次はシングルスピードのマウンテンを買いたいところ(年内目標)。

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2007年2月 2日 (金)

ペダリング

 自転車を心地よく乗るというテーマに必要なモノは何か?

1.道具
2.体力
3.技能

 この三つが上げられる。道具に必要なのは、最終的に財力が、体力には努力が、技能には能力が必要であり、財布、身体、頭を使ってそれぞれを高める事が重要である。
こういう考え方は自転車に限らず、単車についても言えることである。

 自分自身、これらの三つを全て兼ね備えている訳ではないが、長く生きていると、そういう考え方が理解できるし、上に挙げたモノの下のモノ程、一朝一夕には手に入れにくいという事に気付いてくるものである。実際、各界におけるベテランの方々を見ていると、正しくその通りだと思える。自転車を例に挙げると、過去には還暦を過ぎてもなお現役を保たれた競輪選手の方を居られた。そういった方々が長くその世界で輝いていた理由ってのは、紛れもなく、道具や体力以上に技量が、それぞれの世界において重要な要素を占めるって事を表している。

 という訳で、今の関心事は、ただ単純に技量の追求という事である。趣味として自転車や単車に入ってから今迄の変遷を振り返ると、最初は、モノの力に頼って、モノに任してという傾向が強く、それが段々と、モノよりも若さに任してという要素が増えてきたとも見て取れる。
 そういう流れで過ごしてきた今の思いでは、単車の場合は極低速におけるマシンコントロールを最小限の入力で行う事に興味が行き、自転車の場合は、最も楽に漕ぐというペダリング方法を身に付けるという事に興味がある。

 単車の場合、一番のお気に入りは高回転型の2ストロークレプリカであることは間違いないのだが、それを思い通りに扱うには単車に対する乗り手の入力に対する応答を楽しむ事の重要性を理解しているがために、より現実的な使用条件で入力と応答を確認して遊ぶ事ができる中小型の2スト車、低速域での応答に優れたVツイン、シングルで遊ぶという方向にも手を広げている。

 自転車の場合、一番のお気に入りは、今でこそ小径車のロード系バイクしか持ってないが、ロードでの高速走行が大好きである。そして、今は高速走行で必須となるペダリングの重要性を更に理解する目的で、シンプルなシングルスピードに向かおうとしている。ロードでいきなり憧れを手に入れる事も可能ではあるが、多機能車故に、重要なポイントへの理解が明瞭で無くてもそこそこの結果が得られるのは、或る意味、良い事だが、多機能車の機能を最大限発揮するには、基本的な扱いが自身に備わっていなければNGだと思うからだ。

 そういう意識の元では、自転車にしても単車にしても、乗っているモノに限らず、入力に対する応答をなるべく感じれるような意識を持つことが大事であり、そういう意識を持つという事は、即ち、自身の頭で考えた仮定に基づく論理的な展開が必要不可欠である。
 こればかりは、書籍で読んだり、人の話を聞いても、自分で思い付いた事でなければ、その疑問(好奇心)を生んだ根拠が実感に基づくことが少なくなる。

 そんな気がする今日この頃である。

 自転車にしろ、単車にしろ達人ではないが、意識としては、どちらにしろ『基本に始まり、基本に終わる』というモノである。

 ここ最近は自分の納得できるペダリングとは?を考えながら、トライをしているが、結構意識の持ち方で得られる感覚は大きく変わってくる事が再認識できる。

 この一ヶ月で随分と変わったような感覚だ。

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2007年2月 1日 (木)

バブルへGO

 表題のコメディ映画が公開されるそうだ。

 世の中の景気は回復して、いざなぎ越え等の話題をニュースで見掛けるが、その一方でバラエティ番組では80~90年代を回想する番組も少なくないし、テレビCMでも使われている音楽等々は80~90年代のモノが多い。
 表題の映画はコメディというよりも、社会自体の回帰願望を映したモノかもしれない。

 バブルといっても世代によってバブル時代に対する印象は様々だろう。バブルの象徴である、株価狂乱上昇、地価上昇、美術品価値高沸といった側面で潤った世代というのは、今ならば還暦近辺の人だろうし、バブル崩壊で地獄を見たのも、そういう世代だろう。
 我々の世代にとってのバブルといえば、当時は二十歳前後の世代であり、株、不動産といった側面からバブルで踊った印象とは異なる印象を持っていると思う。

 自身の成長と社会の変化を重ね合わせると、自分の場合は、高度経済成長の始まりに併せて誕生し、幼少から物心が付く迄は、高度経済成長による社会の変化が非常に激しい時代を生きている。社会の中に片足を突っ込んだ大学生活は、モロにバブルと被っており、世の中の贅沢志向の高まりの中で過ごしている。社会に入るリクルート活動においても、完全な売り手市場であり、最近迄の就職氷河期というのは全く想像出来ない時代であった。会社訪問に出掛けると『お車代?』らしき交通費が多額に支給され、訪問先の企業では、昼食、夕食~二次会迄の接待攻撃だ。
 現代における雇用形態の中で非正社員の給料といえば、目に付く範囲で時給にして高くても1000円程度だが、当時のバイトといえば時給2000円は当たり前で、多い所では5000円、最高では1万円越えというのも体験した。因みに、学生時代の最高時年収と今を比較すると、今の方が完全に上回っているとは言い難い部分もある。

 今の自転車、単車という趣味に対する接し方というのは、大学生時代に身に付いたといっても良いかもしれない。乗り換えた単車は3桁を越えているし、当時を思い返せば、複数所有をしながら、年に数台乗り換える事自体に違和感は感じなかったし、それによる経済的負担も殆ど無かった。財布に万札が沢山入っていないと不安という事はあったが、万札が無い事も無かった。
 社会に入ってからの飲み歩きにしても、社会人で合コンという事自体に違和感を感じていたし、今もそうであるが、その理由は、学生時代の印象で合コン=大学生の遊びという印象を持っていたためだ。合コンする場所は、当時を回想すると、ワインハウス、ワインバー系、カフェバー(死語ですね)、ワンショットバーが主であり、スタンド、カラオケ、居酒屋って場所は殆ど使わなかったし、ディスコ、ライブハウスといった場所(今でいうクラブ?)が多かったか?そんな場所ってのは学生が遊ぶ空間という印象だ。学生時代の合コンにしても、大学入学から大学院修了迄の間を考えると、合コンを行った回数といえば数える事が出来ないくらいだし、その中での遊びと言えば、何でもアリだったように思う。そのようなハメを外した過ごし方ってのは、当時の印象でも学生だからOKでは?と思うところ。

 そんな浮かれた時代ってのは、確かに楽しかったように思う。でも当時の浮かれた時代が、ただ快楽追求に都合が良いからという理由だけで良かったと思うのではなく、当時の印象は、やればやっただけ成果が確実に得られるという印象の方が強いためだ。稼ぐという行為にしても、自分で考えて、最も率の良い仕事を選び、その中での成果に応じて倍々ゲームで稼ぎを得ることが出来るイメージであり、行動に対する閉塞感を感じない世の中故の楽しさの方が大きかったと思うところ。

 今の時代、自分だけが生きて行くには何の不具合も不都合も感じないし、当時に比較すると、随分と力を抜いてもやっていけるというお気楽な印象が強いところ。当時は頑張れば、頑張る程に結果が得られる思いが強かったが、今は、寧ろ頑張っても、たかが知れてるんで、一寸力を抜いて望む結果を得るための最小の気合いしか入れないとでも言おうか?そんな力の抜け具合である。その理由ってのは、自身が色んなモノを見てきたせいもあるが、それ以上に社会構造に対する閉塞感が強いがために、本能的に手加減して生きているのかもしれない。

 人生も半分を終わった今、やっぱり自分が一番楽しめる生き方をして過ごしたいと思うし、その楽しめる生き方ってのは、自身の人格が完成されたバブル時代での思いが当て嵌まってしまう。趣味で言えば、単車(自転車)であり、稼ぎ方で言えば、塾の講師のような人を教える仕事がそれに当て嵌まるなぁと思う所だ。
 技術系、開発系、管理系の仕事ってのは、労力対効果から見ると悪くない仕事だが、案外退屈なモノである。

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自転車通行帯の整備状況

 一部で話題に上っていた改正道交法試案にも掲げてあった自転車の交通社会における在り方についてだが、今朝の朝刊にも関連する記事を見つけた。

 詳しくは読んでいないが、ここ広島では自転車の通行区分はどうやら歩道側に設置する方向で整備されている様子である。地方新聞の記事だが、南区の道路では歩道の中に自転車通行帯を設けている事が紹介されていた。通行帯の整備では、歩道の拡幅とカラータイルを用いた通行区分指定が積極的に為される模様である。また、カラータイル以外にも歩道内に白線等を引いて歩道内における自転車の走るべき場所を明示する整備をこれから進めるとの事である。
 最近、意識して見るために気付き始めただけかも知れないが、市内の歩道の殆どには、自転車歩道通行可の標識が目に付く。案外、H氏の危惧である、市内における自転車車道通行禁止に置き換わる可能性も否定出来ない。

 何となく、市内エリアでは自転車は歩道内自転車通行帯を走らせるというのが方針かな?と感じる所だ。

 何にしろ、自転車の通るべき道が行政によって決められるというのは、良い事だと思う。ユーザーによっては、違法駐輪で通れない等の不満も在るだろうが、違法駐輪するのも自転車ユーザーであって、ユーザー全体のモラル向上が必要不可欠だ。

 ロード系スポーツサイクルユーザーには不評かもしれないが、通勤途中で誰に勝った負けたとか、激しく漕ぎまくって何km/h出たとか、すり抜けまくって渋滞知らずとかは、雑多な交通が入り乱れる場所で行うのは本来ナンセンスであり、市街地エリアでの安全第一を掲げるならば、こういう行政の在り方も一概に否定できるものではない。

 但し、歩行者と自転車の事故多発の現状を考えると、歩道内におけるペイントレベルでの通行区分指示程度では役に立たない可能性の方が高い。より物理的な分別が可能となるような柵、植え込みといった方法が必要では無いだろうか?

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ダイエットの判断

 昨日の昼休みにアップした記事は、ダイエットという摂取カロリー<消費カロリーという状況を作り出すための、準備状態というか必須状態である食行為における身体機能の活用を提案したが、そのような食習慣が身に付いたかどうかを判断する一つの例を挙げてみようと思う。

 即効的な効果を謳い文句とするダイエットでは、何日で何kgとかあるが、身体機能を活用した生活を行うという観点で、エネルギー摂取における人体機能の活用という意味で、『一日三食を決まった時間に取り、良く噛んで食べる』という事を言ったけど、それが習慣化すると何が現れるか?ということだ。

 その判断は、食事の反対で排便から行うのが最も道理に適っている。排便、すなわち、『うんち』を観察することによって、食習慣が健康か否かを判断するのが最も的確では無いだろうか?
 排出された『うんち』を、どのように判断するか?は、ネット上を検索すれば、いくらでも見つかるので、ここには記載しないが、一日三食しっかり噛んで食べるという習慣が身に付くと、恐らくは、『うんち』も健康な状態になる筈であり、ダイエット日記の前にうんち日記でも付けるのが良い。

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