ナルシスト?自画自賛?
全くもって、自分の事だが、最近自転車に乗って思う事がある。我ながら、自分でモディファイした自転車(西DAHON SPEED SF、マイヨWW、SPEEDママ)だが、何れも、本当に良く走る。安価なパーツの集合体だし、在り合わせ的だし、怪しい自家製部品を組み合わせたような、怪しい自転車なんだが、本当に良く(速さ、場面に応じた扱いやすさ等々含めて)走ると思う。
20年前の中学、高校、大学でのサークル、自転車部に所属していた時代に拘っていた自転車から見ると、邪道だし、有り得ない形かもしれないが、今の自分の価値観として見ると、どんな構成であれ、結果的に自分自身が楽しめてるし、昔以上に今の方が自転車に乗ってから感じる満足感は高い。不思議なモンである。
自転車に乗って感じる満足感という感覚的な感情は、二通りあると思う。一つは、完全に自分の中で完結するモノ。もう一つは、周りの中での自分の位置から感じるモノだ。
前者の満足感というと、人によっては、自転車に乗って、何処まで遠くに行けたか?何キロでたか?何処まで高い山を登ったか?といったものから、自分で手に入れた自転車で気持ちよく走れたか?或いは、改造する事によって得た機能を実感できたか?といった感じ方がある。
後者の満足感というと、周りの人、他人に較べて上手いか?他人より速いか?といった自分の位置付けにたいして納得できた時の感じ方では無いだろうか?
自分自身の場合、どちらかというと前者の考え方で満足感を感じていたのだが、最近は後者のような感じ方でも満足感を感じる事が多いなぁと思うところ。
基本は他人はどうでも良いし、競技における相対的な順位ってのは関心が無いのだが、何故、後者のような感覚で満足を感じるか?と考えてみると、それは、乗っている自転車の奇怪な形態故の事では無いだろうか?と思う。
西DAHONでのショップツーリング、マイヨWW号でのCR走行、SPEEDママでの昼ポタ等々を行っているが、何れの場面においても小径車ながらも、昔の価値観では絶対だった価値観を覆しているような感覚を得るからである。
今の小径車ってのは、或る意味オリジナリティー溢れる?改造車であり、西DAHONでは小径スポルティーフ、マイヨWWでは小径ロード、SPEEDママでは小径ランドナーを志向して作っているつもりでも、本物のロード、旅行車に対して、或る程度の機能を有しているか?或いは、全く太刀打ちできないか?なんて事は、自身が一台に乗っているだけでは、自分の中で過去の経験と比較するしか評価のしようが無いのであるが、先に述べたように、他の人と遭遇する機会が増える程に、自身の愛車に対して、小径車ベースの怪しいコンセプトの改造車が遜色なく走れる事が実感できて満足を感じる事が多い。
まぁ、自画自賛だが、今乗っているような安物の小径自転車ベースのスポーツ車であっても、本当に良く走るし、乗っていて楽しい。
そして自画自賛しているのは、自身の体力でも、怪しい改造自転車でも無く、自身の経験で正規車型の持つイメージを小径車に具現化する事が出来たという事であり、大した経験や知識では無いだろうけど、それなりに、そんな知識で自分が納得できるモノを作る事が出来たという事である。
思い返せば、単車でも似たような事をしてるし、同じような感覚で満足を得ているなぁと思うところ。単車でも昔は有名ブランドパーツ命、自転車でも高級グレード命、他人の伝聞、雑誌等の評価だった事は確かに在るけど、今はそういう感覚は殆ど無い。名前に捕らわれなくても、グレードに拘らなくても、こういったオモチャでは満足が十分に得られる事が判ったというのは、本当に嬉しいものだ。
次に控えるスーパー西DAHON SPEED SF、SPEED GTRってのは一体どんな感覚を感じさせてくれるだろうか?楽しみである。予想以上か?思った程でも無いか?想像も出来ないけどワクワク感一杯である。
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