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2007年3月30日 (金)

満足

 先の記事の続きだが、趣味、仕事、研究・・・に関して、好きで長く続けている人っていうのは、恐らく、他人がどうであれ、関係ないんだと思う。他に対して、優れているとか、劣っているとかの尺度で物事に接して居らず、自分で納得できるか?納得できないか?の方を大事に思っているんでは無いだろうか?

 幼稚な発想で、仮面ライダーになりたいと思っても慣れないのは分かり切っているが、素人に多いのは、熟練者になりたいと思い続ける奴だが、そういう発想は、自分の納得できるか?出来ないか?は、他人と同じに成れるかどうかであり、ターゲットが他人である限りは、永遠に熟練した他人を追い越す事は不可能だ。

 満足とは、納得出来る事であり、納得というのは、自分の立場を弁えてこそ生まれるものであり、等身大の自分の能力を受け入れる事が重要だ。
 先の記事では、他人と同じになる事は絶対出来ないという旨を書いたが、何事でも満足するのは自分であり、別に他人と同じ事が出来る必要は全く無いのでは無いだろうか?
 歳をとって始めたなら、それなりの満足というのがあり、それで楽しめば良いのであって、三十路になって始めて、十代から現役の人間を追い越すなんて有り得ないが、三十路で始めて、三十路なりに楽しむことが出来れば、それはそれでOKな筈だ。

 私の一年後に入社した同じ大学出身の後輩が居るが、彼が単車に乗ったのは、社会人生活後だ。勿論、彼としても上手い単車乗りに憧れているらしいが、彼は彼なりに、単車に乗り込む事で、彼の知識と経験の上で納得できる単車との付き合い方を見付けているようだ。決して、人との優劣で一喜一憂している訳ではない。等身大の自分を受け入れて、自分のペースで単車と接して満足している。
 こういう人っていうのは、そのレベルがどうこうではなく、自分の立ち位置を弁えて満足を得れている訳であり、やっぱり、格好良いと思う。
 仮に、自分が四十路を越えて新しい趣味に打ち込んだとして、やはり人がどうこうではなく、自分のレベルで自分が納得できる所っていうのを見出したいものだ。

 逆に、幼いというか、バカというか、情けないと思えるのは、自分の満足を他人との模倣度のみで得ようとする人だ。結局、物事の上辺しか見えてないし、他人の模倣ばかりする事は、逆に言えば、自己を全く持っていないという事だ。そんな人は、心からの満足を感じる事ってのは、恐らく一生有り得ないんだろう。

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