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2007年3月30日 (金)

上達

 仕事でも趣味でも学問でもだが、興味があることに上達を願うのは皆の願いだ。

 ただ、どんな分野でも自己を確立した人ってのは、自身に自信を持っていても、自分の位置に満足している人は居ないんだろうと思う。常に、その分野で興味を見付け、何かを行って居るんだろうと思う。そして、常に何か新しい事に興味を持ったり、見方を変えたりして知識が深まっていっているんだろうと思う。
 そのような人ってのは、自分の考えというか、自分の立ち位置を弁えて、自分で思う好奇心を自分の納得できる答えを導き出すことで満足を覚えているんだろう。

 だいたい、どんな分野でも、そういう取り組みをしている人ってのは、幼少の頃から好奇心追求の行動や生活を行い、人間としての成長にともなう様々な知識の獲得、経験の蓄積によって、興味の対象のモノに対する思慮の深さに磨きがかかるという過程を経ているのでは?と思うところ。
 幼稚園、小学生の頃から好きな事ってのを持っていたとしても、その頃に小難しい理屈なんか誰も判らないが、無心に好きな事に接しているのは間違い無い。小学生が中学生になったすれば、その過程で習った知識をもって趣味に接するってことは極自然な成り行きだろう。子供の内に無心かつ熱心に物事に接する程に、成長過程で身に付けた知識を当て嵌めて疑問を考えるようになるのは普通の事である。
 このような長い期間における、経験の積み重ねと、成長に併せた知識の活用法の修得を経て、どんな分野でも幼い頃から続けている人っていうのは、そこに自分の世界観を形成し、各々にとっての価値観と自信というものを身に付けているんだと思う。

 こういった過程を経た人達ってのは、外から見て格好良いし、自分の意見というか主張を持っている。そして、多くの場合は、結構、その世界において上手いというか、詳しいというか、そんな域に達していることが多い。

 ところで、そういうレベルの人に対して、過去のバックボーンを持たない人間がいきなり追いつくというのは可能か?というと、個人的には絶対不可能だと思う。

 そういうレベルの人というのは、長い年月にわたり好奇心を持ち続け、様々な知識を自分の疑問を解決するための道具として使えるようになるトレーニングを本能的に積み重ねてきており、そういうステップを踏む事により、技能の熟練、知識の活用方法、論理の展開の方法を自然の内に身に付けている。そういう自然の行動が、そういう人の自信の根拠になっているだろうし、それを確かめるために、幼少の頃の多くの自由な時間を費やして経験を積んでいる。

 このようなプロセスを踏まずして、同等以上の域に達するのは不可能だと言える。もし出来るとすれば、タイムマシンにのって過去に遡るか、或いは、幼少期と等しく自由に使える時間を大きくできるように、大人の柵を一切振り払う決意を固めた時くらいでは無かろうか?
 表面的な結果のみを安直に追い求めたり、結果を生むプロセスや手順に重要性を認めることが出来ない人、経験や知識の本当の身に付け方が出来ない人にとっては、絶対不可能だ。
 最近は、自己満足を、とにかく無意味な数値や、他人との比較によってのみ感じようとする人が結構多い。そういう人に限り、安直な伝聞やネットの付け焼き刃的な文言を振りかざしながら、そんな語句に酔っている傾向がある。言葉の意味が理解できないながら、安直に手に入れれる言葉の解説を読むだけで理解したような錯覚に陥っているようでは、どうのもならないんだが、、、、それさえ、気付かない奴もいる。

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