ナルシスト
カテゴリー的には、自転車に限らない。単車にしても、フィットネスにしてもである。
自分にとって、自転車や単車は趣味であり、対象である愛車は各々に大好きであるが、どの単車にしても一晩中一緒に過ごしたいとか、モノ自体を見て惚れ惚れするという感覚は案外希薄である。物欲はあるけど、物自体への強い拘りがあるか?というとそうでもない。値段が高い物に惹かれる訳でもないし、絶対的なスペックに憧れを持つ訳でも無い。寧ろ、そういう観点から見ると、毛嫌いというか敬遠しがちだと思う。
何が好きか?というと、単車ならば、今は殆ど乗る事が出来ない2ストロークバイクを駆って自分の思い通りに操れる事。或いは、2ストロークバイクを操る自分自身が大好きだというところ。2ストレプリカが好きというのは、2ストロークバイクを操る自分という前提で、道具として必要不可欠というレベルである。それ故に、2スト愛車群のカスタムやパーツにしても、自分が使う上で必要度が大きい所には手を掛けたり、拘りを持ったりするけど、自分の感性で感じれない所に対しては案外無頓着だったりする。
自転車でも同じである。ピストバイク自体が好きというよりも、固定ギアで選ぶ一つのギアで、自分の思う領域をカバーしきれる自分が好きということ。特定の一つのギアで登坂もこなす一方で、150rpmオーバーの回転数で45km/hオーバーの世界が実現できる自分が好きなだけである。小径車にしても然りである。小径車が好きなのでは無く、小径車を自分の思い通りに動くように作り換え、自分が思うように扱える自分自身が好きということ。
自転車でも単車でも、それはあくまでも好きな自分が好きと言える状況を感じるための道具としての存在であり、この道具は趣味としての主人公ではなく、趣味の主人公はあくまでも自分自身である。要は、自分の思いというか理想が実践できる自分自身に酔っているという状態だ。
そして、どの道具に対する拘りというのは、自分が思い通りに扱う上で必須な要素という部分であり、物が先で結果が後ではなく、目的達成の道具(条件)としての物という扱いである。
身近に居る自転車少年や採用試験を受けに来る人達、その他大勢と話して感じる事というのは、あまりにも自分自身に自信を持てない人が多いということ。話す程に、そういう人は、目的以前に形に拘り、物に期待しすぎる傾向がある。自分に自身を持つというのは、他人との優劣論ではなく、等身大の自分を受け入れて、そこで満足を見出す事が自分の自信になるという意味だ。確か、チョット古いSMAPの歌でそんな歌詞があったかと思うが、正しくそういうノリである。
自分が他人のようになれる訳でもなく、自分を自己否定して鬱病状態になるのでも無い。今の自分を受け入れるて、欠点を含んで自分自身を好きになる事が、自分に自身を持つ第一歩である。自分の過去を否定するでなく、受け入れて納得する事が大事である。
人はそれぞれに良いところがあり、唯我独尊で行けば良い。人と同じ事をやっても仕方ない。同じ人は誰一人居ない訳であり、個性を大事に、何事に関しても独創性を発揮する事が重要だ。キツイ言い方だが、オリジナリティーの無い奴は、自分から見ると、存在価値は無いと言う事。人の真似、トレースをするだけでは存在価値は全く無い。
存在価値を発揮するためには、自分の色を出す事。それには自分に自信を持つ事が大事である。
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