赤ちゃんポスト
少し前から設置可否で意見が二分しているというニュースが取り上げられていたけど、今朝のNHKニュースでは、実際に設置された状態が紹介されていた。二分されてはいても、既にヨーロッパでは、そういう施設と制度が運用されているらしい。
日本では、九州のある病院が設置するというニュースが流れて、各方面の意見が二分されたまま、或る意味見切り発車の形でスタートするみたいである。
賛成派、反対派の意見をみると、どちらの意見も理解出来ないではないが、取り敢えず運用開始に当たっては、当たり障りのない運用時の心掛け?(相談窓口の開設や関係機関との連携)を謳ってスタートするみたい。
この辺が如何にも日本的である。心掛け自体が極めて抽象的であり具体性に欠けているにも関わらず、取り敢えず賛否両派に留意した振りでのポーズに見える気がする。
少なくとも制度を運用するならば、それに関連する具体的な制度を十分に確立しなければ、この制度自体が、利用者側の利己的都合に振り回されるような気がするところだ。
確かに尊い命を守るというのが非常に大事だが、利用者側に、その命の尊さを理解させる事と、生まれてくる命に対する責任の意味を知らしめなければ、反対派の言うところの懸念が現実の問題として現れるのでは無いだろうか?少なくとも、命に対する責任を自覚させるという部分で、他の制度運用の国家と日本を比較すると、教育の段階で差があるように思うし、利用者側に責任を自覚させるという制度自体も存在していないように感じるが、どうなんだろうか?
今日のニュースでは、相談者の1例では13歳の中学生が妊娠したとか、そんな状況に置かれた人なんかが、制度に興味を持っているという様子も紹介された様子。他にも育児放棄による親の都合等々も有るようだ。こんな事を考えると、幼い子供だけ残して親がパチンコに出掛け車の中で死んでいるニュースや、親がスノボーに出掛けた時に留守していた子供が火事で焼死したニュースなんか振り返ると、少なくとも子供をもうける親としての自覚や責任感が欠如しており、制度以前に生む側に自覚と責任を持たせる教育や制度が必須であると感じる。
勿論、このような無責任行動とは言い難い事情による制度利用者というのもあるだろうけど、親の都合による養育権の主張が出たり引っ込んだりすると、それも又、裁判沙汰にも繋がる場合もあるだろう。
このような事態を全て想定する事は難しいかもしれないが、現実は一病院の認可によって始まる訳であり、この病院自体がカトリック系であり、その宗教思想の一環としての制度申請と運用開始であるならば、少なくとも、そのような宗教的思想を持つ者のみの利用に留める方が良いのかもしれない。
制度自体には賛成できるが、制度運用を現実化させるために必要な周辺環境が整備されていない現状での運用はやっぱり反対である。
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