攻める気持ち
昨日のサイクリングでの休憩時の談笑の中で、色んな人と色んな趣味の話しをしながら、また、自転車で峠を登っている最中に抜いていった'93NSR250、峠の頂上で後続を待ちながら一服中に走り去っていったツーリング中?らしきYZF-R1、ZRX1100を見ながら、談笑での話題と併せて考えてみた。
単車で楽しい瞬間は何時か?ツーリングも嫌いでは無いが、幹線道路や高速道路を淡々と走ったり、たとえ郊外の道であっても前走車の後を流して走っている時ってのは、退屈で、楽しいとは思えない。また、幹線道路や高速道路の空いた瞬間を狙った加速ってのも、そんなに楽しいとは思えないし、所詮公道で何キロ出たなんて事にも関心が無い。
単車で一番楽しい瞬間というのは、ただ一つであり、それは曲がった道を思い通りに操る瞬間のみである。頭の中で直線というのはコーナーとコーナーを結ぶだけの役割であり、大好きなのは『つづら折れの道』って奴だ。そういう楽しい峠ってのは、なかなか身近に存在せず、日常の極瞬間に存在するようなコーナー一つを楽しむために、色んなクラスの単車を取り揃えている。
で、自転車で楽しい瞬間というのは何か?というと、それは単車なら『曲がり』という所で自分の思い通りに、或る意味『攻める』というのが主であるのと同じように、自転車なら真っ直ぐな道で自分の思い通りにペダルを漕ぐというのが、その瞬間である。単車での曲がり方の理想のベクトルは、やはり単純にスムーズに上手く、速く、効率良くという方向だが、自転車の漕ぎにしても、自分の持っている体力、知識、技量を駆使して上手く、速く、効率よくという方向である。
このように、幼稚?な考えかも知れないが、単車でも自転車でも、常に『効率良く』を求めている。それを求めるのに、気持ち的には『攻める』という感覚である。勿論、攻める=無茶するというのでは無く、乗っていなくとも、上手く乗るに必要な物を調べる、身に付ける、鍛えるという事を攻めるというのであり、乗って思い通りに身体が動かない理由を見付け、それを解決する努力をする事を攻めるっていうのである。
効率良くって言葉は、いろんな所で聞くけれど、効率って言葉は単純でなく、単車や自転車での効率良くを実現するには、理想に届かない理由を見付け、一つ一つを理に適った形で解決するという作業が必要であり、単純に人から聞いた事を真似するという事で解決しようとするものではない。
このように単車と自転車を楽しむポイントは異なっているが、楽しめる状況が、より日常に沢山あるのが自転車であり、最近は自転車で楽しむって事が多い。
恐らく、今の価値観では、単車でハーレー系に凝ったり、最速SS系に乗ったりする事は無いだろうし、趣味という目的でスクーター系に乗る事もないだろう。自転車でも、バリバリの高級車、高級部品等々を求める事も無いだろう。
| 固定リンク
コメント