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2007年6月 5日 (火)

心の垣根

 よく明るい奴、暗い奴、或いは、ポジティブな奴、ネガティブな奴のように人を表現する事が多い。一般に外見的に華やかで賑やかな奴=明るい奴、ポジティブな奴って言う事もあるけど、果たしてそうだろうか?

 趣味にしろ、仕事にしろ、学問にしろ、どんな世界でも、自分の置かれた状況の中で、物事を解決しよう、或いは向上しようという気持ちが強い奴ってのは、何をしても、それなりに結果を出しているように思うし、本人は、やっている事に対して満足を覚えているように見える。
 しかし、苦手な事は避けて通り、自分の置かれた状況で困難な事に対しては現実逃避してる奴ってのは、例え賑やかであっても、見た目華やかであっても、決して明るくはないし、ポジティブでない。そういう奴ってのは、何をしても現状に満足できず、自分自身で自分の行動を決めれない奴が多い。そういう奴は、大体、幼稚か、過剰な保身傾向って奴が多い。

 この二通りの人間の大きな違いってのは何か?を考えてみると、未知なる事に対して、最初から不可能と決めているかどうかのように見える。未知な事に対しては、どうすれば実現できるか?を自分で信じて、行動を決めて一歩一歩進む奴は、未知なモノに対して、第一印象の段階で決して『ノー』と決めつけないように思う。
 未知なモノに対して、考える前から否定的な結論ありきで接する人ってのは、言ってみれば、自分の能力や心に最初から壁を作っているようである。

 入社以来、最近迄、経営者から人の教育という話を良く聞くけど、半年や数年如きで、人間の考え方を変える事が出来るか?と思うと、実質不可能ではないかと思う。仮に三十路にして、思考に壁を作る奴ってのは、30年に渡る人格形成故の結果であり、それを僅かな期間で変えるってのは現実的でないように感じるところだ。30年に渡る結果を変えるには、最低でも30年はかかると思う。
 過去の塾講師、塾経営での子供を指導する時に感じた事は、中学二年迄なら、どんな風にも出来るが、中学三年以降では考え方を改めさせるってのは結構難しいという感想があるが、社会人という大人が相手だと、人格というか考え方をポジティブにさせるってのは、本人の意識改革が無ければ不可能だ。

 安部内閣では教育再生、ゆとり教育からの転換をスローガンにしたアピールがなされているけど簡単ではない。実際に、仕事上色んな人を見るけど、言われた仕事をトレースするような定型的な業務を行う奴は居ても、何か新しい事を行う際に、オリジナリティ、独創性に富んだ考え方で手法を生み出すような奴には、なかなかお目に掛かる事が出来ない。定型的な業務でさえ、その業務の改善という部分で個性を発揮しようとする人も少ないように感じる。業務や技能の伝承という意味では、前任者からの劣化コピーのような形で引き継がれている場合が凄く多いと思うのは言い過ぎだろうか?

 企業において、人材教育、発掘、リクルート等々の相談を受ける事が最近特に多いが、経営者から見ると、案外、現有戦力から評価して本能的に企業の潜在能力不足を感じているのかもしれない。

 職種、学歴がどうこうではなく、大卒や院卒でも全く使えない奴も多い。逆に、現業部門においてプライドを持ち工夫を重ねて仕事に取り組む奴も居る。人間にとって直面する問題に対して前向きに、独創性を発揮させる事を第一に考えるような人が多い企業程、強い企業のように思うところだ。

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