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2007年7月 6日 (金)

○×目的での乗り方、使い方、付き合い方

 自転車、単車っていう乗り物は、付き合い方は様々である。改造する事を第一とする人、磨く事を第一とする人。乗る事を第一とする人、、、、、。そして、乗ると言っても、乗り方迄分別すると本当に様々である。

 自転車に乗るという事を例に挙げても、自転車に乗って交流を深めるという目的もあれば、乗る事自体が目的でも、乗る目的が違えば、乗り方は様々である。

 最近は特に、自転車でも単車でもだが、1人で乗る事が多い。単車の場合を例に挙げると、思うがままに道を決めて、その道で自分のイメージ通りに走る事が至上の楽しみになっている。そういう時ってのは、乗っている最中に注意力の殆どが、単車と路面に向いている。そういう精神状態ってのは非常に心地よいものである。
 自転車でもそうである。チョットした合間に愛車を出して乗る。乗っている時っていうのは、完全に集中してコンディションと自分の身体の具合にのみ気を遣って走っている。それも、とても心地よいものである。

 単車、自転車で共通した心地よさってのは、自分の術を使って、何処まで出来るか?というのを試す心地よさであり、その思いを実践できた時の達成感によってもたらされているように思う。
 思い通りに峠道を走れた時の心地よさ、思い通りにアベレージを保てた時の満足感といのは共通した満足感でもある。

 因みに、単車で走って最高って思う瞬間ってのは、ずっと続くワインディングロードにおいて、正に乗れているというような実感を感じている瞬間だ。そういう時ってのは、路面の小さな石コロからギャップ迄しっかり見えているし、見通しの悪いコーナーの先に何があっても、その場面においては、何が起こるのかが予測できるような感覚だ。イメージ的には、自分の乗り姿が斜め上上空から客観的に見えるような感覚である。
 自転車で走って最高って思う瞬間は、心拍数を比較的高い状態迄追い込みながらも心地よく感じる瞬間。身体的には、3km以上の連続した泳ぎの最中に近い感覚であり、そういう状態を持続している瞬間が、何とも言えず好きな一瞬である。何km/h出たとか、誰より速かったとかではなく、自分の身体を追い込んだ時に感じるというか、陶酔するというか、そういう感覚を味わうために乗っているといっても良い感じだ。
 単車や自転車でそういう感覚になっているといっても、決して、それが速い状態とは限らない。速いか遅いかは不明だが、とにかく自分が心地よいと思える状態では、そういう感覚を得ているというところ。目的は速くというよりも、そういう状態(トランス状態?)を堪能することだ。

 今の二輪車生活で感じる満足とは、自分が単車や自転車に乗って、先に述べたようなイメージというか感覚を得た時に初めて得られる感覚だ。そして、それが出来る状況ってのは、走っている最中に見る相手というのが、自分中心であり、やっぱり集団で遊ぶよりも、1人で走っている時の方が神経の全てを自分の身体と乗り物に集中できる分楽しいとも思う。仮に複数で走る場合であっても、そういう考えを認識した上での寄り合いであったり、同じ指向性の集団であるのが大前提のように思う。

 ふと思うんだが、そういう感覚っていうのは、案外、危険な領域の隣り合わせなのかなぁ?とも思う事がある。人間、死ぬ瞬間に何を考えるかは判らないが、そういう瞬間の直前っていうのは、麻薬的な陶酔的な感覚を感じるような生き物のようにも思う。極度の緊張の手前っていうのは、案外心地よい状態なのか?とも思ったりする。単車で心地よい状態で走っている状態、自転車で心肺を追い込んだ状態っていうのは、度を過ぎると生命の危険に関わるような事かもしれないが、その手前っていう状態故に心地良く感じるのかも知れない。

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