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2007年7月20日 (金)

湾岸ミッドナイト

 最近というか、発刊以来ずっと読んでいる漫画がある。
 それは、表題の『湾岸ミッドナイト』というコミック本だけど、書いてある事が実に興味深いし、つい頷けることが多かったりするんで、未だに愛読中である。

 この最新刊は38巻なんだが、ストーリーの展開としてRX-7が取り上げられるシーンでの登場人物の会話で興味深い話を見つけた。それは、

『最後は誰も言わない。最後の判断は自分で行う。』

というフレーズだが、正しくその通りだと思う。昨日の理屈っぽい自転車少年の話ではないが、彼は、いつも最終的な決断を人任せにして、結果が思わしくないと、新しい方針を人任せで行うという奴なんだが、自分で判断しない限りは、どんな結果であれ、自分の経験にはならないように思うんだが、答えを何時も他人に求める人ってのは、大抵、本人には何も残っていない事が多い。

 趣味に限らず、仕事でも学問でも何でもだが、全てのジャンルにおいて遭遇する様々な事態に対しては、遭遇したものが己の知識と経験に基づいて判断して、その結果を肥やしにして、知識と経験を身に付けていき、その繰り返しによって、知識を蓄積し判断の精度が上がっていくというのが自然な姿だと思うのだが、彼流に言わせれば、自分に知識も経験も無いんで判断しても違っているだろうから、他人の判断に身を委ねるのだそうだ。
 そして、自分で勉強?を積み重ねて、自分の知識に自信が持てた後に判断しはじめるという考えらしい。

 知識と経験とは、本来は、日常生活の瞬間瞬間に身に付けるものであり、試行錯誤の上に完成される物であり、ある時点の知識での判断を後に判定するという繰り返しの中で知識とは身に付くものの筈だが、彼流に言えば、判断を行うには知識が必須条件であり、知識が無い今、間違った判断をするのは明白故に、自分で判断しないという。
 凄いというか、何というか、何とも言えないのが正直な感想だ。
 更に聞いてみると、今までの趣味生活で手に入れてきた物といえば、他人の話、雑誌の情報、ネットの情報を模倣しているだけであり、現状において行き詰まると、全てリセットして、良さそうな外の情報を模倣しているだけという。そういう思考の果てが、オタク的なスペック志向となるのかもしれない。

 どんな分野で、どんな人でも、最初はみんな素人であり、その中で判る範囲で精一杯考えて、試行錯誤を繰り返し成長していっているものだと思うけど、そういうプロセス自体を無駄と考えているらしく、思い付いた瞬間にその分野で、一定以上のレベルの仲間入りがしたいということ自体が自分とは違う点である。

 それにしても気の毒なのは、彼の自転車の面倒を見ている自転車屋のオヤジさんだ。話の節々に、自転車屋のオヤジさんを見下したような言い回しが聞こえるが、きっと、店での会話には、オヤジさんを小馬鹿にしたというか、そういう空気を出しているんだろうと思う。そいつに較べるとオヤジさんってのは遙かに年輩で詳しいのだろうし、人生経験も豊富だろうが、そういう相手(オヤジさん)がそいつ(自転車少年)から何も感じずに接しているとは思えない訳であり、何ともオヤジさんが気の毒だ。
 大体、オヤジさんが○○と言ったと、俺に言って、その意見の論評を尋ねようとしてくること自体、仮に、俺が何か答えると、その答えを第三者に如何?と言い回るのは目に見えている訳であり、結局、そんな所にも、自分の疑問に対する助言に対してさえ、自分で判断することが出来ない習性が垣間見れてしまう。

 自分で判断出来ない事=自分の知識外の事なんで、気にせず、本人が幸せを感じる範囲から物事を考えればよいと思うのだが、オタクの習性か、溢れる情報に翻弄されて右往左往している様は、愚か以外の何ものでもない。

 何をするにも、自分で考え、自分で判断して、自分で決めて行動したいものだ。

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