ライダー兼サイクリストと元ライダー今チャリダーの比較
昨日、単車でお世話になっているショップの店長さんと話をしたんだが、最近は、ライダーの方が自転車に嵌っている人が多いとのこと。年輩の方々が多いんだが、そのショップでは若い従業員さんも自転車に興味を持っているそうだ。
実際に、ショップには従業員さんが集めたらしい自転車のカタログ(GIANT、ルイガノ、TREK)が在って、バイク乗りの皆さんの自転車への関心ってのが高まっているのが判る。
ライダーで最近自転車を始めたって方の自転車との付き合い方は、御子息との自転車遊びとか、健康管理のためとか様々だが、バイクが好きな人の共通点としては、自転車自体はかなりのハイグレードな構成の様子である。そして、バイクも趣味、自転車も趣味ってパターンであり、どっちの分野でも楽しく過ごし、充実した毎日を送っているように見受けられる。
しかし、単車と自転車を趣味とした事がある人にも、別の種類の生き物が居たりする。
それは、元ライダーで、思い通りにならなくて単車を辞めて、今自転車に乗っている人の一例だけど、その方は、ライダー時代においても自分の思い通りに出来なくて、半ば単車への興味を失った後に自転車に関心を持っている人だが、何やら自転車でも充実した毎日を送っていないんだそうだ。何やら、愛車と自分の能力の双方に不平と不満を持っているという。充実した日々が送れるか?どうかは、今の状態を決断する際に自分の考えで行ってきたかどうか?の違いだと思うけど、彼は、今の状態を選択する際には、他人の意見や雑紙やネットの記事で偶像を画いて進んできている。それが原因かどうかは知らないが、結果として、彼は今の自分に充実感を覚えないんだそうだ。
自転車でも単車でも趣味全般は勿論、仕事でも何でもだが、自分の行動は自分で決めるというスタイルを取れば、その結果がどうであれ、本人の糧になり、本人にとって得るモノがあり、本人は満足できるんでは?と思うんだが、何事であっても現状に不平と不満を持っているだけの奴ってのは、今の本人の状態に到る決断の際に自分の考えが無い奴って気がする。
どうしたら自分で考えられるようになる?って聞かれても、答えようが無いのが現実だ。自分で考えるには、自分が何をしたいか?そうするために何が必要か?を自分なりに道筋が描けるようにならんと難しい。彼の行動パターンで特徴的なのは、他人やネット、雑紙の意見の論評自体を、別の他人やネット、雑紙にお伺いをたてるというパターンであり、判断自体を自分で下すことが出来ないところだが、この辺は、生い立ちに随分左右される特質のようにも思える。
大抵、何かに楽しんでいる人ってのは、何をやっても楽しんでいる。逆に、不平、不満を抱える人ってのは、何をしてもつまらんそうな顔しているような気がする。
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