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2007年7月24日 (火)

職場高血圧

 少し前、テレビ番組で高血圧の恐怖を番組で取り上げていた。それは、健康診断、病院での測定では正常であるにも関わらず、高血圧が原因の病で倒れるというストーリーだったと思うけど、この症例では、サンプル患者の一日の血圧の変化をグラフに表したモノで血圧の状態を調べて、実は高血圧だったというまとめだったと思う。

 因みに、このサンプルの場合は、勤務時間中に高血圧になるという仮面高血圧の一種である職場高血圧というのが紹介されていたが、職場高血圧ってのは、現代人の社会におけるストレス病的な色彩が強いとされている。それになりやすい人ってのは、職場でストレスを溜めやすい人でもあり、似たような職場環境による疾病では『鬱病』なんてものもある。

 果たして、こんな病が職場のストレスによるモノと総括して良いか?というと、疑問に感じるのが感想だ。どんな職場、職種でもストレス要因は存在しているはずだが、それをストレスとして負担を負うか否かは、個人次第であるように思うし、この個人次第の部分は性格というか、人格的な要因に依る部分が多いように思う。
 勝手なイメージだが、高血圧というと仕事中にカッとする人程なりやすそうだし、何故、カッとするか?っていうと、要するに腹が立ったりする訳であり、腹が立つのは指令に対する実現性を個人の中で評価した結果のように感じる。鬱病というのも、要は塞ぎ込む?ような状態というか考えが閉塞感で満たされた結果陥る現象では無いのだろうか?そうすれば、このような普遍的な負荷が人によって病の原因となる場合、ならない場合が存在するんなら、現代人の生活環境自体が病気の原因と考えるのは、少し抵抗を感じる。

 普通?の病気ならば、何かの菌やウイルスに感染するという普遍的な要因で疾病状態に陥るという因果関係が成立するけど、鬱病や仮面高血圧ってのは、同じ職場環境でも疾病状態に陥る場合、陥らない場合が存在する訳であり、職場環境自体が病気の原因とは言い切れない。寧ろ、発症する人の性格というか人格、生い立ちが原因では無いか?と思う事も多い。

 職種、職位による発症例の紹介は目にするけど、発症する人の人格、生い立ち、性格的な要因との因果関係の方がハッキリしているような気がする。

 何にしろ、普通、生物であるならば個体の生存本能というのがある筈で、自己が崩壊するような外的刺激からは本能的に防御機能が働くように思うのだが、、、、、それでも、内面にストレス要因を蓄積するっていうのは、責任感からなのか?そうだとすれば、生真面目すぎる気質がいけないのだろうか?或いは、理不尽な要求に反論することが出来ない不甲斐なさが原因なのだろうか?

 不謹慎だが、仕事さえも遊び感覚、ゲーム感覚で接すれば、こういうストレスからは解放されるような気がするっていうのは、駄目なんだろうか?ふと、そんな事を考えたりする。

 なお、こんな記事を書いた理由は、勤務先の休憩室(食堂)に、なんと血圧計が配備されたためだ。

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