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2007年7月25日 (水)

公道における車両の運転

 自転車に限らず、単車、自動車、歩行者・・・・が雑多に、様々な目的で利用する空間、それが公道である。
 公道を利用する際には、利用者は様々な目的で利用している。目的は、生活道路として、ツーリングとして、運転の練習として、、、、、本当に様々な目的で利用している。そして、公道は、誰でも等しく利用する権利がある場所でもある。

 そんな公道を利用する際の利用者が負うべき義務とは何か?と考えると、現実を理解する事が先決である。つまり、公共の空間を利用しているのは自分だけではなく、自分とは全く異なる価値観、目的で利用する人がいて、その利用の優先権というのが存在していないという事を理解して、個人の勝手な価値観を他人に押しつけたり、身勝手な利用により他の利用者に不都合を与えない事を肝に銘じておかなければならない。
 つまり、負うべき義務とは、他人との不干渉であり、不利益を被ったり与えたりする危険を回避する事では無いだろうか?

 公道の利用に際してのルールというのに、道路交通法というものが存在し、この法律は公道の利用者間の無用な衝突を回避したり、利用者間の身勝手な使用で公共性が失われたり安全が脅かされる事を回避するために定められたものである。
 勿論、これが綺麗事というか建前であり、現実世界において、完全に道交法を遵守して公道を利用している人ってのは皆無に近いかもしれないが、少なくとも、道交法が目指すところの安全で衝突を避けるという理念に沿った運転経歴を持つ人は少なくない。
 事故や違反と縁遠い人ってのは、統計的に運転経験の豊富な人であり、そういう人というのは、公道に潜む危険を察知して回避する能力と、自分が公道を利用する上で事故や迷惑を周囲に与えないという分別を持っているのでは?と言える。

 実際問題、公道の利用目的は制限されるモノではないが、少なくとも公共性を保つために、他の利用者に対して迷惑や損害を与えないような分別と、利用に際しては様々な年齢層や危険な考えを持つ利用者、未熟な利用者がいることを承知した上での危険回避を可能とするような用心深さというのが、全ての利用者に求められているのでは無いだろうか?

 乗用車や自動二輪車における馬力自主規制等が過去には存在したが、そういう制限自体が事故を抑制することには殆ど効果が無いように思う。ホモロゲーション用モデルであっても、高性能スポーツカーであっても、利用者が公道における分別と用心深さを持っていれば事故は回避できるし、公共性を阻害する事もないだろう。

 先週の自転車事故では競技用自転車・・・・という意見も少なくないけど、競技用自転車でも法令遵守の装備を持てば道路での使用は許されるべきだし、競技用自転車を用いて練習目的で公道を利用することも構わないが、大事なのは、公道を利用しているという自覚であり、公道という雑多な公共空間の持つ本質を理解するという事が重要である。

 自分としても単車や自転車を公道で利用するに際しては、見知らぬ他人に対して競争心は抱かない!リスクを生むようなトライを行わない!という事を再度心に誓うのであった。あくまでも、自分の範疇で、自分の限界から見て十分以上のマージンを確保した運転で楽しんでいこうと思う。

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