身体能力の限界とビビリミッター
先日、西DAHONネタの記事を書いた際にコメントを頂いた。
そのコメントは、記事の内容を以て、身体能力が驚愕に値するという褒め言葉だが、こんなコメントを頂くのは、こっぱ恥ずかしいのが正直な感想である。
勿論、記事の内容に、嘘や偽りは入れているつもりもないし、リアルで自分を知っている人も、このサイトを見ている訳で、嘘を書く事自体恥ずかしいので一応真実なんだが、それでも『驚愕』ってのは照れるというか、恥ずかしいというのが正直な感想だ。
で、自分の自転車に関する現状を振り返ってみると、いくら自転車部やクラブの経験があるとは言っても、それは20年前の事。今の状態と過去の状態は何の連続性も無いし、当時乗っていた自転車は全て処分済み。そして、今自転車に乗っているのは、僅か1年前からという単なるリターンサイクリストとしてである。よって、知識も経験も浦島太郎状態だし、体力に到っては、最近のブームで自転車に乗り始めた同世代と大差無い普通なオッサン的な存在だと思う。
そういう前提で自分が驚愕って思うなら、どんな人が相応するか?を考えると、それは、やっぱり高級な機材を操るなら、その機材ならではの世界を実現できる人かなぁ?と思ってしまう。
高級スポーツ車、高級コンポ・・・・あるけど、そんなレーシングパーツが、役割を果たすような世界を具現化させる事が出来る人達ってのが、驚愕という言葉に相当する最低条件のように感じるところ。高級グレードの機材というと、今中継されているツールやジロの選手が使っているようなモノ。こんなモノが必要なのは、そういうレベルの人かなぁ?というのが正直な感想であり、そういう人の機材への拘りこそが本物のように思う。そんな機材の違いが判るレベルの身体能力や技量こそが驚愕に値するものでは無いだろうか?
ぶっちゃけていうと、ロードでクロウスレシオ・・・って言うけど700Cで53T×12~16Tのクロウス領域が必要な奴って居るの?って思うのも一例だ。
そんな考えで自分を見直すと、スピママ、西DAHON、オモイヨWW、ラングスター、531ロードと時代的にも車型的にも様々な自転車があるけど、どれに乗っても実質的に走り自体に大きな差が無いのが現状。比較的高い自転車から安い自転車迄、段数も単段から多段迄、ハンドルもドロップ、DH、ブルホン風・・・様々あるけど、どれも変わらない状態。
この現状を言い換えると、自分の能力は自分の持っている愛車の能力以下という事であり、どの愛車の機能も完全に使いこなしているという訳では無さそう。
ということで、やっぱり並か並以下レベルっぽい。自分の能力に合わせたギア、ポジションを各車に与えているけど、その状態では自転車による違いってのは殆ど現れていないのが現実。パーツグレードやブランドの差もホイールサイズの差も良く判らん。
それ故に、今の状態で、高価な自転車に感心が無い訳ではないが、それを手に入れても、何にも変わらないという妙な自信を持っている(間違いなく盆栽的自己満足しか得れそうにない。大体、本音を言えば必要性を感じていない。)のが今の状態。自分の能力で自転車を操って、自転車の能力自体に本当に不満を感じるようになり、結果として引き出せる性能に差異が現わすことが出来るようなレベルになれば良いんだろうけど、まぁ、健康管理の趣味の道具なんで、そこまでは望んでいないのも事実。
悲しいけれど、自分のレベルってのは所詮
『折り畳み自転車レベル』
ってところだ。
自転車の場合は、その走りって部分では実質的に個人の身体能力に左右される。身体能力の限界に迄、追い込んだとしてもたかが知れているのが現実だが、単車の場合は、走行性能の引き出し具合ってのは、機械の能力、個人の操作能力以前に、心のビビリミッターが先に作用する。
そんな訳で、実際に趣味として単車や自転車に接している時に、走りが臨界に達する際に効いてくるのは、単車の場合はビビリミッター、自転車の場合は肉体的な限界である。という訳で、同じ二輪でも単車と自転車に乗っている時に、その頭の中に『他人への対抗心』のような意識が存在するとすれば、単車の場合よりも、自転車の場合の方が速さに憧れる人にとってはダメージがでかいように思うところだ。なんたってビビリが入る前に肉体的に挫ける訳であり、駄目さ加減が身にしみるのは自転車だ。
どんな人であってもスポーツ系二輪車に憧れを持つ人ってのは、心の奥底では『より速く』『より上手く』『人より速く』って意識があると思うけど、そういう思いが強く、それを具現化するためにモノに頼りすぎる程に、幻想が打ち砕かれた際のダメージが大きいのかも知れない。しかし、人の多くは、モノに大きな期待を抱く。面白い物である。
そう言えば、単車でも自転車でもだが、自分の場合は、昔から一気にモノに大きな期待をする事がないのだが、それは、モノを揃えながらも夢が砕かれる事に対して恐れているという部分もあるかもしれないが、それ以上に、モノに相応しい自分を作り上げなければ意味が無いという意識を持っているからだ。単車を例に挙げれば、今でこそ2スト500が楽しいけれど、これに乗るに到るまでは、数多くの段階を踏んで徐々にステップアップしてきた。
自転車でも、将来、競技的な側面に感心が再び出てくるようならば、それに見合った身体作りをするかもしれないし、それに見合ったモデルを作るかも知れないが、今の所は、健康管理の折り畳み好きなオヤジサイクリストレベルで満足している。自転車っていうとスポーツの道具っていうよりも、工作対象のオモチャって側面の方が強いのが今の現状だ。西DAHONやオモイヨWWは工作中はとても楽しかったなぁ、、、、。
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