« 速度棲息域 | トップページ | 納車完了! »

2007年9月10日 (月)

趣味への接し方、他人との接し方

 自転車に限った事ではないけど、趣味関連の世界では、自分から見て結構不思議な人が居る。

 例えば、身の回りの誰かが新しい自転車、単車を買ったとか、何か部品を買ったとかの話があれば、その内容や使い心地?、感想に物凄く興味を持ったりする人なんかも不思議な人種の一つである。
 まぁ、自分が感心を持っているモノをタイミング的に他人が手に入れたならば、気になるってのは判らないではないが、自分の意識における存在感に関わらず他人の動向を気にしすぎるってのは、少々気持ち悪いような気がする。

 他には、自分の買い物における決断の際の助言を第三者に求めた上で行動しながらも、時間が経過した後に、第三者が他人へ行う助言を聞いては、過去の自分への助言に対する不平不満を言う奴ってのも不思議なものである。

 趣味関連で感じる違和感で最大のモノは、メインサイトでも度々記事にしているが、全ての判断を額面(価格)の大小で判断し、得か損かを値引き金額の大小で判断する奴ってのが自分的には、未だに不思議である。
 金額の額面以前に、自分の欲しいものが何か?が前提で、その欲しいものの価格に対して、自分の求める機能と価格が釣り合っていれば○であり、必要以上の機能や求めていない機能の付随による価格上昇が我慢出来なければ×であるだけってのが普通の感覚だと思うけど、取り敢えず金額が高いものが全てであり、得という感情を得るのが割引率だけって奴の頭の中は、何を目的に買い物をしているのか?ってところが今一つ判りづらい。

 要は、欲しいモノは何か?どんな機能が必要か?ってのが第一であり、自分が要求する仕様に対して価格的に納得できれば購入するだけであり、モノに求めるものも自分次第であり、他人がそれをどう感じるか?よりも、自分にとって、その機能が必要と真に思うか否かが重要ではないだろうか?
 人が言うから欲しいとか、みんなが付けてるから欲しいとか、或いは、高いモノが安く買えるから欲しいとか、己で決めた金額的な上限の範囲で一番欲しいとは言えない(機能を満たしているとは言えない)モノを買う(買った後に後悔する)ってのは、自分から考えて何を考えているのかが判らない。

 ネタ的には例の奴だが、最近、奴から『何故、他の人には凄く親切丁寧に接してるのに、自分には冷たいか?』って話を振られた。そこで答えたのは、他の奴は、振り返ればずっと前から、助言や意見を素直に受け止めて自分なりに一生懸命やってきたからであり、逆にお前は、私の意見を外部の第三者に寸評や評価を求めたり、私の意見に対しては、自分なりにという解釈で素直に聞かなかったからだと答えてやった。
 思えば、大昔に単車で峠を安全かつ上手く走るには?って事で、実際に単車でそいつを連れて峠に出掛けた事さえある訳であり、結局は人間関係ってのは、過去からの付き合いで形が決まるだけの事だって事を話した次第。

 人間関係ってのは、長い付き合いで決まってくるもの。一方が苦手意識を持てば、確実に他方も似たような意識を持っている。まぁ、鏡のようなモノである。

 ふと振り返れば、自分で言うのも何だが、俺もお人好しである。単車の整備、カスタム方法、パーツワンオフ、乗り方、パソコン、デジカメ・・・・何でもだが、相談を受ければ親身に答えるし、出来る事は何でもやってるような気がする。思い起こせば、大昔にガンマやCXの足回りをスワップしていたのを地元の大手パーツ店の従業員が顧客から相談を受けた際に、是非見せてくれって事でいきなり電話で受けた相談にも応えたこともある。
 ただ、それもこれも、相手が自分に対してお願いの意識を持ってやってくる場合のみである。俺の意見を、俺の知らない場所で寸評や評価を求める奴には、何も言いたく無いってのは、心が狭すぎだろうか?

 相手によっては、接し方が違うんだが、これも長い年月の上で付き合い方が定まってきただけであり、付き合い方自体は、もう戻らないだろうなぁと思うところ。人生というか付き合いってのは、そんなモンでは無いだろうか?

|

« 速度棲息域 | トップページ | 納車完了! »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 趣味への接し方、他人との接し方:

« 速度棲息域 | トップページ | 納車完了! »