風にのるのか?ブーム(風潮)にのるのか?
最近は自転車ブームらしい。また、一方ではハーレーブームでもあるそうだ。
どちらも二輪車である。
ブーム、、、、、ブームってのは、興味を持つ人が集まるってところから湧き上がるんだが、ブームを作る人、ブームに乗っかる人、様々である。
ブームというムーブメントで、とあるジャンルが盛り上がるってのは悪い事ではない。しかし、ブームがブームを呼びという形で拡大すると、案外ブームは簡単に弾けて無くなってしまう。
ブームってのは、或る意味、経済におけるバブルってのと似ているようにも思う。
経済におけるバブルってのは実態と評価が懸け離れすぎる状態である訳だが、ブームもそんなところがあるのでは無いか?
ハーレーブーム、ロードレーサーブームってあるけど、各々にホントにハーレーが好きなのか?ロードレーサーが必要なのか?そういったモノを手に入れて何がしたいのか?って考えると、案外、軽い動機で人が乗っているからとか、何となく格好良さそうだからって理由で乗ってる人、乗り始める人ってのも少なくないように思う。
まぁ、それで長続きすれば良いけれど、過去のレプリカバイクブームのように一気に弾けることも予想される。漠然と乗って、乗っては見たけど、当初の予想ほどの楽しみが見えなくなった時にブームは弾けるのでは無いだろうか?
日本人の多くは、趣味にしろ技術にしろ、受け売り的な考えが多く、スペックを崇拝する傾向もあるし、モノが何かを与えてくれるって志向が強いように感じる。
過去のレプリカバイクに限らず、最近のハーレー、ロードレーサーでもだが、何故、人は消費行動に走るか?って事を考えると、ブームの牽引者の殆どは、このジャンルにおける素人に近い人達であり、消費行動に走る動機は、雑紙やネットのメディアに誘導されての行動っぽい。
その行動には、メディアの情報の受け売りであり、モノを手に入れると願いが叶う?って思っているベースがあるように思う。
果たしてそうだろうか?
先の日本人の性質では無いが、趣味にしろ技術にしろ、日本人に多いのは、何かの目的というか行動において、主体性を持った行動、或いは、自己で目的を見出した行動が苦手で、結果を即効的に求める傾向が強いが、そういう傾向が最近のブームにおける消費行動に繋がっているのでは無いだろうか?
ブームが弾けない確固たる文化になるには、そのジャンルと付き合う人の行動に主体性が無ければ成り立たないのでは無いか?結果を得るには特効薬は存在しないし、積み重ねが必要で、思考法にも段階を踏んだ展開が必要に思うところ。
最近の二輪車ブームでは、二輪車に乗る事の本当の楽しさ(風)に乗るというよりも、単純に人が乗るから自分も乗るというブーム(風潮)に乗っているだけのように見える。
全く個人の考えだが、金で手に入るものでは満足出来ない。満足できるのは、金で手に入らない物というか知識を身に付けた時では無いだろうか?
いくら金を遣って他人の価値観を纏っても、自分の価値観が作れなければ満足は得られないような気がするところ。
ホントのところ言えば、金で買えるような楽しみというか、見えるモノってのは、その奥底に潜む楽しみってのには気が付かないのでは?って感じがする。それが正しいかどうか?は別として、各々がそういった己の主体的意志による価値観が持てたとすれば、それは切っ掛けがブームであったとしても、一生の楽しみに進化するんだろう。
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