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2007年10月31日 (水)

週末のCR走行

 先週は、息子の水疱瘡の気配を感じつつ中央森林公園に出掛けた訳だが、そんな息子の水疱瘡も終息傾向である。
 今週末は娘の幼稚園の工作発表会があって、バザーもある。これに土曜日は出席する予定だ。

 しかし、幼稚園のバザーは10時頃からという事で、早朝は時間が空くことが判った。で、この土曜日は、以前FELTのZ80ってモデルの自転車を紹介した会社の同期君とCRを走る事となった。一応、午前7時30分~40分にスタート予定である。

 まぁ、9時には帰宅するだろうから問題なく走れそう。勿論、天気が良ければ日曜日も走行予定である。

 早朝の部はラングスターTT、不定期の午後の部はオ・モイヨWWで出動予定。これから寒くなっていくと、外出するのが億劫になりそうだが、来るべき中央森林公園再アタックに向けて、脚が無くならないようにケアして、チョット戦略変更で20分切りを目指したい所である。
 という訳で、暇を見つけて極力走り回るつもりである。

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改正道交法で車は変わるか?

 改正道路交通法がH19/9から施行される。
 今回の改正のポイントは、

・飲酒運転等悪質・危険運転者の対策
・自転車安全対策
・高齢者安全対策

 以上3点が目玉であるらしい。最初の飲酒運転では、同乗者も取り締まり対象となるのは勿論、提供者も対象となる。自転車対策は従来法との区別が不明瞭だが、車道通行の原則徹底と歩道通行要件の指定、児童や幼児へのヘルメット着用努力義務の導入、最後の高齢運転者対策には、認知機能検査の導入と高齢者公衆受講可能期間の延長等があるようだ。
 最新のニュースでは、飲酒運転のRV車の高校生を多数ひき殺した事件では、同乗者にも賠償責任を認める判決が出ているが、こういう判決がニュースにならず当然となる時代が来る訳である。

 まぁ、この辺は対象が限定されるが、ホントは一番大きく変わるのが、以上3点とは違うもので、

・被害軽減対策

 って奴である。そこで、導入されるのが後部座席シートベルトの着用義務付けである。

 実は、この最後の義務付けには、ほのかな期待を寄せている。こういう制度が義務付け化されると何が変わるか?というと、昨今のSUVでの前後席ウォークスルーといった自動車の室内空間のリビング化傾向に歯止めが掛かるのでは?という期待である。
 自動車=走る道具であり、くつろぐ道具、遊ぶ道具では無い訳である。走る道具というからには、安全なシートが必須であり、独立4座のセダン、ワゴンのような、まともな車がリリースされないか?って事である。

 自動車が目的地に着いたら、自動車の中という狭苦しい空間でピザ食ったりするのは本来有り得ない訳であるが、それでも、室内空間の多様性を競う車が多いのが現実だが、シートベルト装着がデフォになると、メーカーとしては本来は、停車中に楽しんで下さいという装備が実体として移動中に使われているという現実が無くなる訳であり、そうなると、室内空間の多様性を競う事自体が無意味になる筈である。

 この最後の後部座席のシートベルト着用義務付けで独立4シーターの車が出ることを願っている。
 現在の国産車の多くはリアシートは極めて貧そうであり、前座席に較べると安全上機能を満足させているか?っていうと怪しい部分が多数ある。しかし、後部座席も前座席と同じシートがつかわれるようになると、見た目からも安全って感じとなる。

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偽装問題、悪いのは人?ルール?

 正に偽装、改竄だらけである。
 赤福、ミスタードーナツ、如水庵、比内鶏、御福餅、ミートホープ、不二家、白い恋人、、、、これって、恐らくは偽装するのが常識でスタンダードって意味なんだろう。賞味期限、消費期限様々だが、そんな期限を偽っても出荷するというのは、出荷する側からみると、示されている期限自体が人命には関わらないという自信?の裏返しでもあるんだろう。

 仮に、消費期限を大幅に遅延させていたとしても、それでばれないならOK、原則問題は起こらない筈って意識がどこかに有るはずである。仮に重大な疾病や生命に関わるような自体に直結するなら、如何に利益優先とは言え、リスクが多すぎるんで、それはしないだろうとも思う。ホントの意味での怖い事例としては、大昔の森永乳業のヒ素ミルク事件があったけど、あんなリスクを抱えるような企業は無いのでは無いか?

 別に、サプライヤー側の姿勢を容認する訳ではないが、賞味期限、消費期限の意味に沿った期限を再考願いたいものである。
 今の消費期限というと、過ぎたモノを食べても問題無いだろうという意識が根底にあるのは間違い無い訳であり、本当に問題無いならば、消費期限の指定が現実に即していないという事でもある。

 守れない制限を付けるのではなく、守るべき制限を謳うような期限表示に徹底してもらいたいものである。
 現状では、企業モラルも信用できないが、期限表示自体の有用性自体迄もが無意味なモノになっているように感じる。

 しかし、食品関連に限らず、機械、サービス、介護、教育産業から民間から行政、役人に到るまで、ホントにモラルの欠けた行動が発覚している。

 話が脱線するが、今日の建築基準法の見直しによる住宅着工件数の減少に対する対策では、建築基準の運用の緩和を行い、住宅着工を下支えするという。
 聞くと、なんか意味が判らない。基準を緩和するっていうのは、安全より経済性を優先するのか?とも言われるし、又、これまでの制約っていうのが、意味がないって言うことなのか?
 この辺を説明をしっかりして貰いたい。

 日本の全ての業種において、この辺の運用基準に一貫性が見られないのは気のせいか?或いは、そうならば、そういう国民性なのだろうか?
 ルールは大事であるが、ルールが生活に対して意味のあるモノでなければならない。ルールのためのルールになっているようなモノ、実際は極めて多そうである。道路交通法の速度取り締まりなんかも良い例である。
 ルールのためのルールの前に、ホントに守るべきは何か?を見定める目が大事であり、そういう真意が従事する人に伝われば、偽装問題は減るように思うところ。

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2007年10月30日 (火)

糖尿病とアルツハイマー

 今日のテレビ番組で気になった話と言えば、以前も記事にしたことがあるネタだが、高血糖、つまり糖尿病はアルツハイマー症を合併するリスクが高いという話である。
 以前の記事同様に、明確な関連性を示すモノは無いが、医療機関における患者さんの統計から言えるということで、高血糖から糖尿病に以降する場合、アルツハイマー症を合併するリスクは一般患者の5倍にも及ぶという。なお、糖尿病による合併のリスクが高まる疾病は、アルツハイマー症の他に、脳梗塞、心筋梗塞といった重大疾病が紹介されていた。

 糖尿病って病は、重症化しなければ自覚症状が無い病であり、要治療患者の半分以下の人しか通院を行っていないというのも、糖尿病の恐さ、つまりは自覚症状を伴わず忍び寄るサイレントぶりが認められる。

 因みに、糖尿病となる高血糖となるのは、摂取カロリーが消費カロリーを上回る生活習慣を持つ人である。此処で言うカロリーって尺度が今ひとつピンと来ないのが事実だが、適正摂取カロリーは人により、ライフスタイルにより様々であるが、今日の番組で紹介されていたのが、

 身長(m)×身長(m)×22×(25(事務系)or30(営業現場系)or40(スポーツマン))

って式で表されるらしい。因みに、身長の二乗×22って部分は適正体重を表すモノである。
 自分の場合は

 =1.72×1.72×22×40=2603[kcal/day]

って事らしい。しかし、この値はともかく、日常で食うものが幾らか?はさっぱり検討が付かない。ただ言えることは、カロリーの絶対値はともかく、摂取が必要量を超えると脂肪として蓄積し、血糖値上昇を招くわけであり、脂肪として蓄積するのは、日々の体重が増加傾向である場合である。そういう点で、日々の体重の変化を注意深く見ていこうと思った次第である。

 それと、せっかく、そういう番組を見たので、少々菓子類を食うのを止めてみようかな?って思うところ。ここ何年かで振り返ってみると、晩酌の中止は、既に13年になる。煙草の中断も4ヶ月となる。ということで、今度はスナック菓子の中止を食生活に加えようと決心したところである。

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2007年10月29日 (月)

日比谷公園鉄棒倶楽部?

 さっき、ローラー台を回しながらテレビを見ていたのだが、『オジサン11』って番組で表題の謎の倶楽部が存在するって話を紹介していた。

 出勤途中のサラリーマン?が思い思いの運動を公園の遊具を用いて行って、自分のメニューが終われば、そのまま出勤していくというもの。
 なかでも71歳にして鉄棒で大車輪が出来るという驚愕の方がテレビにも招待出演されている。凄すぎである。
 この鉄棒倶楽部で活動されている方の共通点は、スタイルこそバラバラだけど、みんな革靴がデフォって事で、如何にも出社前サラリーマンって感じが笑えたが、テレビで紹介されていた方は概ね40代以上で、普通ならメタボリックシンドロームに悩むような年代だが、何れの方も大胸筋が良く発達している感じ。
 金を掛けずとも、生活のリズムの中に利用できる瞬間を見出しているから続けれているってのは、素晴らしい事。
 殆どの方が倶楽部?活動歴が非常に長いっていうのは、きっとメタボリックシンドローム対策とか、健康のためって意識は持っていないんだと思う。そういう意識が働けば長続きしそうに無い。
 質素な道具、一寸した時間、ずっと続けるというキーワードから思い浮かぶのは、きっと倶楽部員の方は純粋に身体を動かすのが好きなんだろうと思う。

 こういう長い運動歴を持っている方に対して言うのも烏滸がましいが、自分の場合も、ずっと前から続けている筋トレ、水泳っていうのは、好きだからっていうのが一番の理由。
 健康のためにチョット運動量を増量したっていうのが少し前の事であり、基本は好きだから飽きずに続けれているんだと思うし、そういう気持ちは共通する気持ちだと思う。

 やっぱり、純粋に好き!とか、楽しい!って思いこそが、何でも長続きの秘訣である。

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オヤジになる時

 人間は皆歳を取る。二十歳になり、三十路になり、不惑になり・・・・という形で全ての人は等しく老いてゆく。男性ならば年齢を重ねていくとオヤジになる訳だが、オヤジっていうのは何時からがオヤジで、何時までがお兄さんか?っていうと結構難しい。

 一意的に年齢で三十路になるとオッサン、不惑になるとオッサンという分け方もあるだろう。或いは、周囲の子供からオジサンと呼ばれるようになるとオッサンという考え方もある。

 自分の場合は、何を基準にオッサンと判定するか?っていうのを考えてみると、回りくどく言うと、生への執着が現れてからがオッサンでは無いか?って思っている。
生への執着=長生き願望であり、長生き願望=不健康を改善する意識の芽生えであると思うからだ。

 実際、自分も長生きしたいし、不健康状態は改善したいと今は考えているが、数年前迄は、そういう事に殆ど関心を持たなかったし、不健康状態を示す数値が自分の数値であっても他人事のように感じていた。γ-GTPなんて聞くと、ガンマかよ!速そうじゃん!GTPっていうとGTRの親戚か?なんて軽いノリで考えていたし、コレステロールに善玉も悪玉もあるか、必要だから有るんだから、有りすぎるってのは良いことだろ!なんて思っていたかも知れない。
 初めて成人病検診を受けた時に、異常数値が多くカウンセラーの相談を受けたものの、大抵年齢を重ねると、当時の検診数値並に異常を抱える人は少なくなく普通だよとのコメントを頂いて、なら、イイジャンって考えたのも覚えている。
 色んな数値的異常が現れていても、その状態で今問題が無い訳であり、そういう異常な数値をもって身体がバランスを取っているのが自分だから気にしない!なんて解釈をしていたように思う。それ程に、健康で無い数値ばかりだとしても、自分だけは大丈夫で健康って意識が多かった。

 しかし、年齢を重ねて、そう不惑直前から今の状態では、身体の異常数値は、なんらかの不適合状態の果ての姿であり、これを治さなければ早く死ぬかも、、、、という考えで数値的な異常を極力治そうと考えてしまう。そう健康に極めて敏感になっているのが今だが、それは健康を保つ事で長生きしたいと思っているからであり、何故に思うか?っていうと、人生が後半戦に入ったということを本能的に認識しているからだと思う。

 ということで、オッサンの定義は、そういう意識の変化を経験したかどうかで分別されるのでは?っていうのが持論である。

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激走一日後・・・・。

 昨日は、食事以外はずっと走りっぱなしで、割と気合いを入れて走った。距離としては大した距離ではないが、踏んでいる時間は結構長かった。
 ラップタイム的には、あんまり満足出来るモノでは無かったけど、まぁ、今後の余白分があると考えれば及第点とも言えるところ。中央森林公園ではアップダウンが結構あって長いストレートの後に勾配があるという箇所が何カ所かあるけど、ストレート部分でしっかり速度を乗せておけば、ライン取りによっては惰性が相当に旨く利用できる。そんな惰性で速度が出る部分は、以前のカセットでは70km/h近く出ていたのだが、今回は60km/h越えが精一杯という状況であり、この辺りを旨い具合に考えに練り込めば、もう少しは行けそうな感じである。

 とまぁ、反省は程々にして、昨日は、帰宅語は息子の水疱瘡が悪化し始めて、夜の10時を過ぎてから水痘が全身に拡大し始めてぐずる、ぐずる、、、、、。落ち着いて機嫌がいい時は、通常通りに筋トレ、自転車30kmを行ったのだが、それが終わり、自分が風呂を住ませた頃が午後10時頃となり、ぐずり度は最高潮に達した。
 結果、睡眠と取ることなく、夜通し息子をあやすという非常にしんどい一日になってしまった。

 結局、断片的な睡眠を1時間程とったところで朝が来て、出社して、昼ポタし終わったのが今の状況。ここに来て、全身の疲労感と昨日の筋肉痛だろうか?結構怠い。
 筋肉痛+寝不足による脳の痺れ=やる気無しって状態である。
 さっさと家に帰って眠ってしまいたいのだが、今日は不幸にも夜には管理職会議がある。強烈な睡魔と闘う事で意識を覚醒しておかなければならないけど、キツイものである。

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乳児が水疱瘡

 下の子が水疱瘡になってしまった。生後四ヶ月と少々であり、見ていて不憫である。
 最初は、金曜日の夜で汗疹かな?っていう程度が頭部に出ていたのが、土曜日の午後にはその発疹が水ぶくれを伴い小豆大になっていたが、それでも、発疹が全身という訳ではなく油断していたのが間違いか?
 日曜日の朝も大したことは無かったのだが、午後から急激に全身に広がった様子で日曜の夜から月曜の朝迄はぐずるんで徹夜で相手をする羽目になってしまった。日曜日に1人調子よく自転車に乗って出掛けた罰か?

 月曜朝の診察の連絡を受けると水疱瘡で確定とのこと。処方された薬は、飲み薬と塗り薬。これは基本的には化膿止め+かゆみ止めということで水疱瘡を治す薬ではない様子である。

 色んなサイトで乳児&水疱瘡で検索すると、

参照元サイトは、http://minaoshi.biz/mizubousou/

みずぼうそうは自然に治ります。
とくに治療法はありません。
ただし、生後1ヶ月未満の赤ちゃんや、免疫力の弱っている乳幼児などは、重症にならないよう、抗ウイルス薬を使うこともあります。

また、症状を和らげる処置として、
かゆみ・化膿を防ぐ塗り薬を使ったり、
鼻水などがある場合にアレルギーをおさえる薬を使ったり、
感染症を防ぐ飲み薬を用いたりすることもあります。

 って記事に代表されるように、基本的に治療法は無しで処方箋は、症状緩和のみってこと。要は時間が薬ってことみたいである。

 上の子が乳幼児時代には小児科に通院した事が全く無い分、下の子も大丈夫だろう!?って過信があったのは事実だが、実際には、いろんなトラブルが発生するかもしれない。

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2007年10月28日 (日)

中央森林公園でシェイクダウン!

 今年の2月に初めて中央森林公園を走った。
 その時は、オ・モイヨWW号で三周程走り、ラップ計測を行ったのは、一周目と三周目である。その際のタイムは、

・一周目が24分25秒
・三周目が22分48秒

であった。
 その後、八ヶ月経った今日、再度走りに出掛けた。今回は二回目ということもあり、若干のセッティング変更を行い、後半の登り基調の区間でのタイム低下を最小限にする事を目的にカセットでいう15T以上の領域をクロースさせたカセットを用いて挑んだ。
 何度も書くけど、従来が9-10-11-12-13-14-15-17-20Tで、今回が11-12-13-14-15-16-17-19-21Tである。そしてトップがショートとなるんで最高速領域以外で高回転気味で低抵抗で走れるようにタイヤの空気圧を従来の100PSIから120PSI対応のモノに変更して挑んだ。

 今回は、全部で5周回走り、ラップ計測を行ったのは一周目、三周目、五周目である。
 結果、そのタイムは、

・一周目が21分16秒
・三周目が21分21秒
・五周目が22分02秒
(二周目は途中で止まって弁当食った。四周目は途中の自動販売機でジュース飲んでトイレ行って28分程。二周目に弁当食った以外は連続走行。)

であった。今回は一周目前にはしっかりとウォームアップして挑んでおり、コースパターンも頭に入っていたのでスタートから配分を考えた上で全力走行に挑んだ。

 心の中では、悪くても20分台に入れる。運良ければ20分を切ってやろうと意気込んでいたのだが、その思いからは撃沈状態である。
 しかし、八ヶ月前からホイールセットのみの交換で1分30秒以上の短縮がコンスタントに得られるっていうのは、今回の仕様変更が一応は成功したということでもある。

 折り畳み自転車でも、タイム的にはまずまずである。今回の総括としては、タイムを稼げる下りセッションにおいて脚が回りきってしまうという事。トップ状態で最高で150rpm以上迄ケイデンスは上がっており、最高速が頭打ちとなった部分が何カ所かあった事がタイムの伸び悩みに繋がったのかなぁ?と考えている。前回は、トップが更に長く、最高速度でいうと実測で10km/h程度は上回っており、そう考えると、ギア比を今一度見直して再度トライしてみたいものである。あと20秒程度は稼げそうだが、それ以上は未知数だ。

 目標は折り畳み自転車で健脚コースで20分を切るってところである。しかし、ロード競技が至上の趣味?の方々は、このコースを5周回で平均ラップ20分で走るんだそうだ。凄いモンである。
 現状で思う事は、高級なロードで無くても、安い折り畳み自転車でも、結構走るなぁ!って事。今日は一日楽しく過ごせた。

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大人は手本になってるか?

 今日は、ニシダサイクルさんの常連さん達と中央森林公園に出掛けた。
 その帰路での話だが、自転車を積載したワゴン車の助手席で家路についていた時の出来事である。

 時は、日曜の夕暮れ時、山陽自動車道を広島に向かっている最中だが、交通量は多く、早く家に帰りたい人が多いせいか、どの車も制限速度を20%程オーバーして追い抜いていく。そして、追い越し車線を走行する車の車間距離は殆どが10mチョットという状態で、見ているだけで危険な状況である訳だが、そういう車の一団が渋滞状況のように時速120km/hで流れているという状況。

 この状況を見ても、運転者の全てが運転に潜む危険性を軽んじて法を犯して運転しているのだが、逆にこういう状況で完全に遵法状態で振る舞うのも危険が発生するという矛盾した状況でもある。
 そんな危険な状況の中を、ホンダのゴールドウイングの1800cc、山口ナンバーの一団が、車の間を側方間隔で1m程度でふらつきながら集団で縫うように走っている。揃いのベストを着ているとこから、恐らくはオーナーズクラブだろう。ミーティングからの帰路に急いでいるのだろうという状況は想像できるのだが、120km/hで車間距離が10m程度で高速渋滞走行をしている車の塊を右から左へと併走しながら抜いていく大型バイクって一体何物だ?って印象である。

 たしかに静かなバイクかもしれないし、暴走系車両とも違うし、走り屋系バイクとも、若者系バイクとも違う。乗り手を想像すると、選ぶモデルから50代以上の世代でゆとりのある環境で生活する大人だろう。恐らくは、団地で一戸建てに住む、世間で言う中流以上の家庭の主だろうと思うし、近所からは、大きな単車好きな良いお父さんで通っているのだろうか?そんな状況を想像したのだが、そういった人にとって二度と会わない人の面前では、このような危険極まりない運転を平気で集団でしている。
 こういう状況は、暴走する物体の質量の大きさ、速度の大きさから考えると、夜中の街をブイブイ言わせる中型暴走族より質が悪いと思うのは言い過ぎか?

 以前、サイクリングロードで絡みが多い自転車乗りにロード乗りが多いとかの苦言を記事にした事があるが、バイクでいうならば、集団で戯れるオッサン連中のツアラー、ハーレー、クルーザー系のライダーもバイクに乗って無法の限りをつくす姿を見る頻度が多く、どうも同じライダーであるとは思えないのが現実である。

 結局、金が有っても、地位が有っても、そういう公衆の面前では自己中心的で危険な運転を行う連中、特に、万が一の場合は他人に莫大な影響が及ぶにも拘わらず、過信による横暴を共同で行う連中っていうのは、家庭内における子供に対する躾って部分では、子供は親を信じていないし、実は良い手本として成立していないのでは?と思う。

 今の若年層に苦言を呈する年輩の奴は多いが、その諸悪の根元は寧ろ年輩の奴らの破綻した精神構造にあると思うのは言い過ぎだろうか?

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2007年10月27日 (土)

不祥事と職種に関係は?

 最近ニュースとなるネタといえば、公務員、政治家の不祥事ネタが多い。特に、公務員、政治家の場合は、民間の人以上にニュースソースになりやすい傾向がある。
 勿論、不祥事自体褒められるものでは無く、公務員=公僕という定義故に、不祥事に対して厳しい目が向けられているのが、その理由であろう。

 しかし、公務員とて人間である。そして、公務員の採用段階の試験では、道徳観や社会性での厳しい査定が為されているか?っていうと、案外、それ以外の要素で採用の可否が決まっており、公務員=公僕故に、不祥事に対して厳しく見られるという実態に即した、採用段階でのふるい分けや、採用後の教育が為されているか?っていうと怪しいものである。
 寧ろ、民間では考えられない管理のずさんさが目に付く。政治家の事務所費のアバウトさは、或る意味強烈であり、民間では考えれない。

 最近の公務員の不祥事で印象に残るのは、

・福岡市職員の飲酒運転による死亡事故
・警察官のストーキング殺人事件
・財務官僚の集団強姦事件
・社会保険庁、市区町村職員による年金着服事件

 ってところが思い浮かぶけど、普通では考えられない道徳性の欠如がなければ発生しえない事件ばかりである。採用段階における採用可否の判定基準の見直しが必要では無いか?というのが素直な感想だ。

 少なくとも、現在の公務員の不祥事に関しては、民間以上に発生しやすい状況に陥っているのは間違い無いところ。何と言っても、公的組織を第三者的に監視する組織が存在せずに、外から見ると完全に隠されているといった方が正確であり、内部で何が行われているかが全く見えないし、組織の存続において価値評価が不要な組織では、組織活動の有用性評価も為されないのが実状だろう。
 公的組織を外部から監視し、組織活動の有用性が常に評価の目に曝されるという構造にしなければ、組織を構成する人の意識を変える事は不可能かも知れない。

 不祥事と職種に関係は?ってタイトルに対しての答えとしては、職種というか組織が外の目に触れている場合は、不祥事が起こりにくく、組織が封建的であるほどに、不祥事が起こりやすいってのが事実だろう。
 そう言う意味で、公務員=公僕=常に見られる、という構造を生み出す事が公務員、政治家の不祥事を無くす最善策だと言える。公務員=優遇という価値観をぶっ壊す時期に来ているのは間違い無い。

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2007年10月26日 (金)

親の喫煙、子の肥満

 今日のネットニュースで注目のニュースは、表題のネタである。
 なんでも、妊娠初期の母親の喫煙行動が、子供の肥満と相関性が認められるという報告である。
 女性の妊娠三ヶ月時点の喫煙状態と子供の10歳時点の肥満状態の相関を取ったところ、喫煙者グループと非喫煙者グループでは肥満児童の発現率に2.9倍の差があるという。

 そして、その根拠としては、「母胎にいるときに喫煙などで栄養が吸収しにくい状態だと、逆に生まれてから栄養を蓄えやすい体質になるのではないか」という推論が発表されているようである。
 本当なら凄い話だが、思い起こせば、男性はともかく、女性の喫煙率は、女性の社会進出とともに増加傾向にあるようだが、世代による子供の肥満率にも差が現れるのだろうか?
 或いは、本当に喫煙による肥満発症差なのだろうか?喫煙=企業就業=食生活が外食が多いとかの別の要因なのだろうか?

 なんにしろ、注目すべきニュースだが、社会全体として、肥満、喫煙は悪っていう流れのニュースが露出している感じではある。

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台風20号発生!?今日は大丈夫?

 10月も終わりに近づいているが、南大洋上に台風20号が発生した様子である。現時点では勢力も強く無いようであるが、実は、今回の台風の元の雲の塊には数日前から注目していたのである。

 それは、気象的な根拠ではなく、そう!あの、ジュセリーノさんの予知夢によると10/26迄に大型の台風が本土に影響を及ぼすって話が頭に残っていたからだ。
 今年は、去年に続き大型台風の影響を受けずに、ここまで無事に過ぎているのだが、そんな状況ながらも、例の予知夢は如何に?って意味で関心を持っていたからだ。

 今回の台風は10/26、つまり今日中に本土への影響は無いというのが現実のようだが、もしかしたら本州南岸に停滞する前線との兼ね合いで本州では局地的な大雨に見舞われるかもしれない。
 興味深いのは、気象関連のブログで台風がワープする等の解説の存在。概念的には台風の目の進行を以て台風の移動が定義されるんだが、その解説によると台風圏内の積乱雲の中心位置の解釈の違いで、台風が移動したとされる場合もあるという。ホントに上陸したりして、、、、。
 解釈の違いはともかく、仮に、それで本土での甚大な被害が報道されるようだと、予知夢は当たったことになるのかなぁ?なんて考えたりしてる。

 台風で大雨と言えば、そういう集中豪雨で困るのは最近は都市部である。都市部といえば、地表面の殆どがアスファルト、コンクリートに覆われているのだが、表層に降った雨水が洪水のような被害をもたらすのが被害の構図である。
 しかし、考えてみれば大昔には、このような施設は不要であった訳で、何故に都市部に豪雨水害が多発するようになってきたか?っていうと、人間の勝手な都市開発による自然のシステムの破壊と、人間の資源の浪費による環境システムの破壊が根元にある。
 このような破綻した系を新たな平衡に保つにはどうするか?って考えると、平衡を失った自然から露呈する危機に人工的な対処を以て望むか、或いは、システムの破壊に至らしめた過去の人間の生活活動を改めるしかない。本当は、後者の手法による系の平衡を維持するのが王道だが、多くの利害や、楽を知った人はそれが出来ず、結局、浅はかな人知を以て対応するしかないのが現状だ。

 話が脱線するけど、そんな後者の手法の一つに、都市洪水を防ぎ市民生活を守るモノが、東京なら渋谷地下に存在する巨大な調整水槽である。大雨が降ると、地下水槽に雨水を溜めて、これを移動排出することにより地表面に雨水が溢れる事を防止している。
 そして、地下水槽の雨水を排出するところにはポンプが設置されている。このポンプ、雨が降り始めると、水槽中に水が無くても運転されるという非常に厳しい使われ方をする。この使われ方の厳しい理由は、水の無いカラ運転がポンプで行われるという事であり、この手のポンプは、排出対象となる液体をポンプ自体の潤滑にも使っているのが常だが、カラ運転というと、文字通り無潤滑で運転する訳だ。

 こういう無潤滑運転に耐える材料は世の中に存在しないというのが概念的常識だ。そんな常識を覆す世界が実は存在するのだが、そんな世界を与える基礎研究、摺動潤滑技術開発が私の本業であったりする。
 因みに、この発想のヒントは、今開催中の東京モーターショーでも恐らく出品されている次世代のクラッチプレート、ディスクローターなんかに隠されていたりする。
 因みに、この全く新しいテクノロジーはホントに近い将来、実際の市民生活の中で活躍する事になっている。結構、楽しみである。
 この辺は、自分の本音では自然を取り戻せと言いながら、実際には、自然の破綻を己の過信しているかもしれない創造で乗り切ろうとしている訳であり、思いと行動が矛盾しているのは何とも言えない気になる。

 自然現象に人知が何処まで耐えることが出来るか?これって、結構面白い勝負であるんだが、これなら大丈夫!って言えるものを作ったつもりだが、きっと新たな問題に遭遇するんだろうとも思っている。

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頑張れ!亀田一家!!

 今回の騒動は長引いている。亀田三兄弟に対する世間の見方は、ここ何ヶ月かで随分と変わってしまった。日本に限らないけど、社会の風評というか、評判っていうか、噂っていうか、怖いものである。
 今回の件に限らず、ニュースとしてホットになるのは、ニュースソースの対象の立場が急変するようなネタのようである。立場が急変するっていうのは、肯定派、否定派の双方に強烈な指示を表明する存在があるっていうのが前提であり、ニュースとしてのインパクトはソース本体のインパクト以上に、周辺の取り巻き連中の熱さによって決まっているのが最近の傾向である。今回の盛り上がり?は、熱き肯定派、熱き否定派っていうのが存在し、その盛り上がりに調子に乗ってしまったソースがあり、チョットした(といえば語弊があるかもしれないが、)行き過ぎによる、風向きの変化と、その変化に対して、元々の肯定派が急に静かになり、全てが否定派になるという構図に見える。

 今回の騒動の判断については、良く判らないけど、何て言うか、10代の子供達と、その父親の境遇と年齢を考えると、この空気は気の毒で仕方がない。因みに、父親の史郎氏は私と多分同世代である。
 前の記事にも書いたけど、ボクシングっていうのは標的を定め、そこを狙う格闘技であるが、一言で言うとルールのある殴り合いである。そういう格闘技で一方的な劣性となったときに、十代の少年の衝動、その肉親の感情を考えると、画一的に故意による反則行為、煽り行為という事で片付けて良いか?っていうと、その事態における精神状態から考えると、かなり割合で衝動性があったのでは?と思ってしまう。
 前にも言ったけど、そこで反省すべきは、そういう事態において衝動性が全面に出かねない肉親のセコンドを禁止するというルールを軽視したプロモーターに最大の責任があると思うのは間違いだろうか?

 その思いが、個人の思いから、チョットした確信に変わりつつあるのが、自分の今の心境である。それは、昨日のニュースで協栄ジムの金平会長の一言によるものだが、その一言とは、彼は、ボクシング界の事を『世界』と呼ばず『業界』って呼んだ事である。その時の自分の感想は、

『そうか!ボクシングってスポーツは業界なんだ!業界だから最初の肉親セコンド不可を軽視して興業性を重視したのか!』って事である。

確かに、マッチメークして観客を集め、興業とするっていうのは間違いでない訳だ。しかし、私の同じ感想を持っている人っていうのは結構居るのでは?とも思う。興業における競技性の不可侵域を確保する事がスポーツ興業の一番の難しさであり、今回のような、後味の悪い事態を将来再び起こさせないために何が必要か?をアピールする事の方が、亀田一家に対する扱いをネタにするよりも大事だと思うのは気のせいだろうか?

 一説には、史郎氏解雇って話もあるようだが、親子の思い、これまでに歩んできた親子の信頼関係って部分を考えると、他にも選択肢があるのでは?とも思う。子供達の教育ってのも重要だが、父親の成長も不可欠である。しかし、業界(利益追求のための集まり)である以上は、人間教育の場には成り得ないのかもしれない。

 それにしても世論というか世間の風評を見ると、気の毒である。一度の過ち(?、行き過ぎ?)で、寄って集って叩くという構図は、どんな世界でも見るが、叩かれる側の叩かれる理由が、計画的な故意(悪意)があるような犯罪ならいざ知らず、衝動性に基づく過ちや、不注意による過失、思慮不足による予想外の事態の場合も区別なく叩く世の中っていうのは怖い世の中である。
 自分自身、過失、予想外による失敗を当然経験してきたが、同じように叩かれた経験がある。自分の活動の場も、民間の中での活動であり、そういう意味では業界であるのだが、自分以外に叩かれた挙げ句、潰された人っていうのを目の当たりにしてきた。つまり、叩かれようによっては、それで終了する奴も出てくるが、そうやって出る杭はたたきつぶすという社会から本当に活力は生まれるか?独自性を持った思想は生まれるか?っていうと、個人的には大きな危惧を覚えている。

 こういう事態だからこそ、自分としては亀田一家の再起を純粋に応援したいと思っている。

・追記
 長男の興毅選手の謝罪が行われたようである。やっぱり、「大毅初のタイトルマッチで頭が真っ白になっていた。だから1ラウンドから何があったかはっきり覚えていない。事実、映像も残っているし、だから反省しています。申し訳ありませんでした」ということらしい。兄弟+オヤジで頑張ってきて圧倒的な劣性で冷静さを失ったのが正直なところなんだろう。
 謝罪はOKだが、オヤジを辞職させるのは、一つのけじめかもしれないが、親子関係で尊厳を保つ、親父の大人としての人間性を見せてやる機会を何故に遮断してしまうような、辞職となるんだろうか?個人的には、セコンドには付けない、会見には同席させないという事で、少なくとも成人するまでは、裏方として、公衆の面前に晒されない所で一緒に過ごさせてやりたいっていうのは、甘い考えなのだろうか?少なくとも、親父にも面目躍起の機会を与えてやりたいのだが、、、、。

 取り敢えず、興毅選手の会見では、史郎氏が出席しなくとも、そこにはイイ親子関係が出来ているのかなぁ?と思った。この様子から亀田親子を批判する人は多いかもしれないが、会見の席でもなお、親父を慕う姿をさらけ出せる長男ってのはイイ気がする。
 こんな信頼関係を作れている親子ってのは、批判している人々の中でどれほど居るのか?をふと考えたりする。

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2007年10月25日 (木)

GTR!一本取られました!!

 今回の東京モーターショーに限らず、昨今の、この手のショーでは大きなワクワク感が無くなってきたのだが、これは、自動車メーカーがどうこう言う前に、ニュースでも言われているように大衆の中の自動車の関心レベルの変化もあるし、最近の情報伝達のスピードから、ショー以前に殆どの概要がリークしてしまうという鮮度の低下って要素も大きいと思う。

 本当は、エコ、環境、市場性について一言書こうかなぁ?と思ったんだが、今回は、良い意味で驚いた事が有ったんで、そのネタを一つ。
 それは、表題のGTRである。GTRっていえば、スカイラインGTRであり、GTR前のS54Bの時代のスカイラインからの伝統ではないが、なんていうか時代に対する驚きを与える存在でなければならないって所があると思っている。
 別に、直6、サーフライン、ドーナツ型テールランプって要素に拘る事は無いのだが、そういう形ではなくサプライズが無いとGTRは名乗って欲しくないって思っていた。

 話は逸れるけど、1985年前後のR30型スカイラインRS系については、個人的にはサプライズ一杯であり、GTRを名乗っても良かったのでは?と思う。殆どの人にとっては直6に非ずはGTに非ずであり認められないんだろうけど、個人的には、サプライズであったのは間違いない。

 さて、今回のGTRだが、スカイラインを名乗っていなくてもGTRであり、GTRというからにはサプライズは有るか?を思いながら、実は期待していなかったのが現実だ。
 ショー前の情報では、V6の3.8リットル、ターボ+4WDで480PS、その他諸々の新しい技術沢山って話だけ先行しており、なんていうか、R32~34と比較しても、驚きは無いかなぁ?なんて思っていた。寧ろ、好みではないがレクサスのお馬鹿系スポーツの方が特異性があるか?なんて思っていたのだが、今回のGTRの記事を読んで、個人的にはとても驚いているし、これならGTRを名乗るのもアリかなぁ?と思っている。

 車の事は詳しくないけど、今回のGTRで驚いたのは、馬力でもエンジンでもデザインでもない。個人的には、トランスアクスルを用いた駆動系デザインに尽きる。ギミックに幾ら凝っても、或いは、スペックにどれ程拘っても、そういうのは、直ぐに色褪せるものだし、そんな小さなエレメントはスポーツカーには無意味である。車が動く道具である以上は、剛体の運動を支える本質的な所が最も大事だと思うけど、これほど大柄で高出力の車両である。きらびやかな小手先のスペックで本質を覆い隠すのが日本車の手法って頭を持っており、力ずくの高性能っていうのが常套手段か?と思いこんでいた。そういう所を考えると、トランスアクスルなんてポルシェでも無ければ持ち込まないって先入観を持っていたのは事実。ハッキリ言って出るまで、それは無いだろうって思っていただけに驚きである。
 本当の意味でのプレミアム製っていうのは、小手先での技術の構築ってのとは意味が違う。こういうシャーシレイアウトは、本当の意味で手間が掛かるモノである。そういう所にまで踏み込んでいるというのは、これまでの日本車のイメージからは懸け離れており、レクサスのように既存トヨタ車と共用部分が多いというのとは、全く正反対の手法に感じる。
 これって、よく調べていないけど、エンジンの潤滑にも、まさかドライサンプか?って雰囲気の車である。だとしたら、ホント驚愕である。

 今回のショーは個人的にはGTRの一人勝ちである。

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学力とは何か?

 学力ってなにか?学力テストという名目で全国でテストを行って、都道府県別に学力という指標で比較する。データの処理が親の経済力と相関を取ったりする、、、、。これって、試験を実施する側のレベルの低さ?を表しているように思うし、これをメディアで取り上げて論評している内容を聞くと、情報を伝える側が、どの程度、学力について、教育について真剣に考えているか?っていうのが露わになっているように思う。

 勿論、偉い先生方が集まって試験を行って、評価をして、分析をして、、、、、とまぁ、実施されているのだろうけど、これって必要なのか?これから何を知りたいのか?の視点が私とは大きく違うような気がする。
 元来、どんな時代でも、どんな環境でも、子供って言うのは好奇心に溢れた生命体であるのは間違い無い訳である。これは、赤ん坊が生まれてから、成長過程での様々な行為(おしゃぶり・・・・)が本能的なものであり、時代が変わっても、人から教わることなく勝手に行っている様からも理解できると思う。

 そのような本質を持つ子供に大人の視点の学力評価から得られた数値的指標は何を表すか?って考えると、これは、その地域ごとの子供を教える側の資質の差に他ならない気がする。教える側の資質とは、その組織性であり、結局は教える側の組織作りの際に、何にプライオリティを置いていたか?の差を表しているのに過ぎない気がする。

 自分が塾経営でカリキュラムを指導要綱に縛られることなく作り実践してきた経験から言うと、最終的に、どの段階の学校であれ、その年代の子供が社会や自然の様を理解するのに最も都合の良い枠組みを作り直して指導の幹を作っていた。
 その幹には枝があるわけだが、一般にいうところの科目の敷居のようなモノは存在せず、自然界及び人間界における掟(論理性、道徳感)の意味を体験する事例に当て嵌めて紹介するという手法を取っていたが、その手法を用いるに必要な知識が存在するということを低級教育で行い、その知識を組み合わせ探求を進める手法の必要性を中級教育で行う。そして、最終的には知識と手法を組み合わせ未知の好奇心を己で明らかにできる手法の実践性を高等教育で行わせるという事が私の考えだ。

 つまりは、学力とは、学年で習う公式の習熟度評価ではなく、学ぶ力そのものである。学ぶ力=生きる力であり、生きる力とは、社会で価値を生み出せる力である。価値を生み出すには、どんなフィールドであれ、知識が必要であり、知識を駆使して解を得る手法の必要性を理解することであり、最終的には、己の価値、つまりは、己の存在感となる独創性を生む事が重要である。生きる力とは、社会において、遭遇するであろう様々な問題に対して、己の力で解決することが出来る力であり、その問題は、人によって違う物ばかりである。どんなモノが生きる時に立ちふさがるかは判らないのである。この問題を乗り越えるために、様々な訓練を行い、知識と手法を駆使する事で、問題を解決する力を養う事が教育では無いだろうか?

 少々、小生意気になったが、小中高大学教育における科目は何れも、そういう視点から見ると無駄なモノは存在しない。全てを理解する必要はないが、いろんな教材が与えられているのは事実であり、現在、学ぶ過程にある人は、どんな分野でもよいので、そういう視点でモノを見て頂きたいと思う。
 何か一つ閃きを得たとすれば、全ての事例には、一定の法則性がある事に気付くだろう。
 自然界の法則一つでも、ある法則性をもっているように思う。因みに私が好きな学問は、大学卒業後に少しずつ理解出来つつあるモノだが、熱力学の法則である。
 興味があれば、チョット読んでみるのは如何だろうか?

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体験!食事制限&単品ダイエット

 今日は、午前午後と臓器の検診(レントゲン&内視鏡)のため、会社は休んでいる。
 今、合間の時間だが、今日の検診のために一昨日の夕食から昨日の食事全般が医者の指定に従った流動食材と定刻の大量の水分摂取で過ごした。

 因みに、今回の検診は私的なものであり、春の虫垂切除術前の下血の際に検診を受けたけど、その後の経過確認と、生活上思う所があったので急遽、より詳しい検診を受けようという事で行ったものである。

 検診の結果は未だ知らないが、取り敢えず、検診前の食事制限生活からは解放されて、好き勝手に食っている最中の話。

 昨日の指定食事以外の摂取が禁止された生活ってのは、実に味気ない、つまらないものである。腹に力も入らない。人間、生活の中で食を制限されるってのは実に不愉快なものである。
 仮に、減量が食事制限でしか実現不可能なのであれば、自分の気持ちとしては減量を望まないと思う。逆に、減量を実現する選択肢に食事制限の他に、運動を継続するっていうのがあるとすれば、やはり運動をする方を選ぶってのが正直な気持ちである。

 減量するために、食生活を味気ないものにするのは絶対に不可能であると思ったところ。やっぱり、好きなモノをしっかり、好きなだけ食う。そして、しっかり動くってのが一番である。
 昨日の食事はホントつまらなかったなぁ、、、、、。

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オ・モイヨWWの仕様変更

 近々、ニシダサイクルさんの常連さん達と自転車でコースを走る。
 ということで、出動させる自転車は普通のサイクリングなら西DAHONなんだが、今回はコースということでオ・モイヨWWである。
 そのオ・モイヨWW用に以前から準備していたホイールセットを本日装着した。このホイールセットは、次の仕様である。

 ・リム
  従来 ALEX DR-13
  変更 ALEX R390
 ・タイヤ
  従来 IRC ROAD LITE EX
  変更 SCHWALBE STELVIO
 ・ハブ
  従来 CAPREO
  変更 TIAGRA
 ・CS
  従来  9-10-11-12-13-14-15-17-20
  変更 11-12-13-14-15-16-17-19-21

 ここ数ヶ月、オ・モイヨWW号では、毎週最低1日は30kmコースを走っていたけど、殆ど使うのは13Tで、追い風で相当に追い込む時でも11T、10Tという状態。向かい風では14Tばかりとなる。そういう訳で、実用上代わり映えはしないけど、今度走る場所は、10%越えの勾配や、激しいアップダウンのあるコースなんで、15T以上も少々クロース気味な方が良いかなぁ?って事で、17T迄クロースさせて、その後も2T跳びに抑えた仕様である。勿論、貧脚でドックファイトが出来るかも?って仕様でもあったりする。
 心持ち、軽めのギアレシオとなったオ・モイヨWW号、シェイクダウンして実走して、どんな感覚を与えてくれるだろうか?楽しみである。高級なスポーツサイクルに遅れずに付いていく!これが最大の目的だ。

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2007年10月24日 (水)

全国学力テスト

 今日のニュースで笑った?のが、全国学力テストの結果公表での寸評である『知識定着、応用弱い、活用力乏しい』との話。

 お~い、何時の話をしているんだ?というのが率直な感想である。活用力、知識の実践力が失われているのは遙か昔からで、既に企業で勤めている連中でも終了している奴は溢れる程居るだろう!ってのが率直な感想だ。

 勤め先での、若年エンジニア~従業員を見渡して、持てる知識を駆使して何かを実践するとか、独創性のある仕事をやるって奴は皆無に近いと感じるのだが、、、、。
 直属の者でも、これまでは公式はテストの点数を取るためだけに、形だけ覚えてきたから、自分は馬鹿であると豪語する奴も居る程なんだが、、、、、。

 結局、教育現場でも指導要綱という名目で型にはまった授業しかせずに、また、その型どおりの指導こそが王道?って考えで教育がなされ、その型に嵌るか否かで優劣というか評価を行ってきたのが近代日本の教育の実態では無いか?

 自分自身が大したレベルには無いが、少なくとも、何を行うにも自分の判断を大事にして、何かを作る時は、誰にも真似が出来ない、誰の真似でもない独創性と独自性こそを大事にしているんだが、周りは違うと思う。

 過去には私塾でのバイト~塾経営で十数年程小中高校生を教えてきた。科目は基本的には国語以外の全教科を教えてきたが、全学年の授業では、ノーテキストで教えてきた。これはポリシーであり、必要な事は、生徒との掛け合いの中でひらめいた事例を持って説明するというスタイルを通してきた。大事にしたのは、教わる側が関心を持つ瞬間を見逃さない洞察力であり、その関心をこちらに向ける事を最大の目的に話しをしてきた。今だから話せるのは、生徒に課する宿題は、生徒毎で全く異なる問題で、問題自体は当然自作である。実際、十数人の生徒に全てを違えた宿題を課して添削するのは凄い労力だったけど、そういうスタイルこそが大事と考えていたためだ。
 結果、自慢では無いが※、当時の教え子は上は、国内最高の国立大学にも合格させてきたし、全国で十指に入る難関高校にも合格させてきたし、その反対では、中学の進路指導で専門学校への進路案内が為されたような子供でも、地元の公立レベルには入れてきた。こういうスタイルが繁盛したのは、こういうスタイルの指導方法が他の私塾では為されていなかったという裏返しである。
 最近は、企業内で若い社員に接する事があるが、やはり、伝えたい事は、己の存在価値であり、それをアピールするための独創性、独自性を大事にしろということ。そして、そのレベルは己自身の過去の経緯から決まっているものなんで、他人の事は考えずに自分で考えれ!って事だが、そういうのを、端から無理と思っている奴は結構多い。

 結局、人を教えるという立場で既に25年以上過ごしてきたが、そこで感じる事は、今回の学力テスト寸評ではないが、当時から既に、活用力なんか存在しないって事。
 そして、当時から教師を見たり、今現在、会社で年輩のエンジニアを見て思うのは、別に今の子供がNGではなく、既に近代教育を受けてきた殆どの人間には活用力、独創性なんて無いのが普通だって事だ。実際、真実を追究して独自性を大事にするという価値観が王道ならば、今現在、各界で問題となっている、偽装、改ざん、嘘なんか出てこないだろうと思う。

※追記
 アクセスが一段落したんで、紹介するけど、東京大学、京都大学・・・灘、開成、ラサール・・・・って所。勿論、生徒が相当に優れていたのもあるだろう。

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東京モーターショー開幕

 本日、東京モーターショーが開幕する。今日、明日がプレスデー、明後日が特別客?、明々後日が一般公開で11/11迄公開されるそうだ。
 ネットが普及する前は、直前情報という名の雑紙特別編集号等が最も情報が速く入ってくるものって認識だったけど、最近は、ネットが普及しているんで、公開当日から続々と情報がアップされる。
 また、メーカーサイト自体で出品予告的な公開も行うし、直前のフランクフルトショー等での情報もネットで先行入手可能なんで、目新しさって部分は昔程ではない。ショー初公開ってモデルはメーカーで一車種という程度なんで、大きなインパクトを感じにくい世の中ではある。

 さて、ここ何年かは景気が良いとの認識だが、自動車販売、自動二輪車販売に関して言えば、それ程好調とは言えないのが実情のようだ。少し前のNHKの番組でも、自動車が売れないのは何故?って題目で取り上げていた。その番組では、昔はメーカーのラインナップの序列に従って、自動車を乗り換える(コロナ→マーク2→クラウン)事が標準的な価値観という紹介や、最近の若年層は自動車以外のモノに関心が強く、関心の方向性は手軽で簡単、身近にできるがキーワードって話もあった。

 そんな社会における自動車の存在感の変化がある中で、今回のモーターショーでは、どんな提言が為されるのであろうか?
 まぁ、時代的には環境、エコをテーマに取り上げたモノが主体となるかもしれないが、一部の富裕層相手?とも取れる高級、高性能も主体の一つとなるかもしれない。

 但し、やっぱり大排気量、大馬力を謳うメーカーがエコだの環境だの言っても何か違うような気がするのは気のせいだろうか?
 この環境志向と高級志向を併せ持つ価値観は、ターゲットとして誰が対象か?って考えると、これは正しく、欲しいモノを全て手に入れたオヤジ連中がターゲットであり、そういった連中の欲望の対象である、名誉欲を映した鏡のような商品ラインナップに見えるのは気のせいだろうか?

 環境、エコといって、電動ハイブリッドによる強大なパワーユニットを搭載する高級車を乗り回すってのは、己の地位をアピールしながらも、環境に配慮してますよ!ってアピールにしか見えない。そういう地位も名誉もあり、名士を気取りたいって欲望の権化のような展開を感じるのは言い過ぎか?

 仮に出品内容が、このような極一部の富裕層を見たモノで終われば、自動車産業も厳しい気がする。なぜならば、旧態然とした価値観の出がらししか見ていないってことだからだ。
 自動車で楽しむ事のハードルを下げ、楽しむ事による環境負荷を最小に留めたような構成を若い層にアピールすることで初めて、新しい価値観に応じた市場の創世が出来るのでは無いだろうか?ただ、こういう創世的な活動は、利益追求優先のT社なんかでは実施不可能な世界かもしれない。

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2007年10月23日 (火)

煙草の社会的地位の変遷

 煙草を中断してから丸三ヶ月が経過しようとしている。勿論、喫煙衝動も無く順調に推移しているが、その原動力は何か?と考えると、それは、このブログでのコメント中への喫煙中断何日目って記載のためのように思う。

 それはさておき、煙草っていうのは、社会の中で、どのような扱いを受けていたか?を振り返ってみると、

1.幼少の頃(1970年代)
 オヤジが煙草の煙で輪っかを作って出していたのを覚えている。その輪っかを壊すって行為で遊んでいた記憶がある。恐らくは、幼稚園~小学校低学年の頃であろう。家庭の中で煙草の煙が普通にあった訳であり、健康への害という面の認知度は低かったのでは?と思う。

2.中学高校の頃(1980年代前半)
 一部の生徒が隠れて煙草を吸うってのが、当時流の不良の必須アイテムのような存在。勿論、殆どの生徒が金魚状態だったと思う。学校の先生も普通に煙草は吸っていた気がする。自分は、、、、、、ヒミツである。但し、煙草=悪という印象よりも、煙草=大人のアイテムって意識の方が大きかったように思う。

3.大学生の頃(1980年代後半)
 殆ど周りの同級生は皆、煙草を吸っていた。女子大生でも吸っている人は多かった。飲み会、合コン、当時でいうディスコ・・・・盛り場は煙草の煙が必須である。
 で、国鉄(今のJR)だが、通勤時間帯のみ喫煙禁止で原則は喫煙可であったと思う。JRの車両、ホームに灰皿はデフォルト装備である。大学の教室前の廊下、ロビーに灰皿は普通にあるし、研究室内も煙草OKは当然である。街中には普通に灰皿が設置されてくわえ煙草もデフォルトな時代である。
 しかし、非喫煙者の主張が大きくなり始めた時代であり、列車の禁煙タイム、禁煙車両と喫煙が認められづらくなり始めたのもこの時代である。
 因みに、旅客機も席には灰皿が装備されているものが未だに就航している。勿論、使用禁止なのは言うまでもない。

4.現代(1990年代以降)
 今はJRにしても喫煙不可がデフォルト。喫煙可な車両の方が少数派である。街もそう。家庭もそう。吸える場所ってのは極僅かで自宅のみとかに限られている。飲食店でも喫煙コーナーは集煙設備内で喫煙者さえも敬遠したがるような煙の中に限られてしまう。或る意味、差別のようにも感じる。
 こうまでするなら、喫煙禁止にすれば良いのだろうけど、税による財源的に旨味のある嗜好品なんだろう。でも、ここまで煙草=悪という方程式を立てているのに商売を認めるってのは、矛盾以外の何ものでもない。
 ふと思うのは、身体に悪いとか、他人に迷惑とか煙草を毛嫌いする連中だが、そういう奴らは、間違っても2ストロークスクーターの古い奴には乗って欲しくないし、出来れば自動車も使うなって言いたい。煙草の煙なんぞ、内燃機関の出す排ガスに較べたら可愛いもんではないか?って、ふと思うことがある。これは、煙草中断中でも思う事だ。
 更に言うと、煙草の煙の臭い以上に人の集まる場所でヘドが出そうなモノがある。それは、女性の化粧の臭いである。臭すぎ、強烈である。倒れてしまいそうである。キツイ臭いを撒き散らす女性が集団で狭い場所に集中すると、それは煙草の煙の臭いの比ではないような気がする。

 こうして振り返ってみると、30年で煙草は随分と扱いが変わってきたようである。煙草ネタで思うのは、煙草を高級車の窓からポイ捨てしながら環境環境と叫ぶオッサンの多い事、、、、有り得ないんだが、結構、みんないい加減である。

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マイカー乗るまぁデー

 毎月22日は表題の『マイカー乗るまぁデー』である。
 そして、11月は推進キャンペーンであり11/19~25の1週間程、そういう運動をキャンペーンで繰り広げるという。
 因みに紹介サイトは、

  http://www.city.hiroshima.jp/koutsuu/noruma-day/

 というところ。
 果たして、どうであろうか?コンセプトである地球のために、出来ることから始めよう!ってのは確かに良い考えである。この記事を今日アップする気になったのは、今朝の勤め先での朝礼で、このキャンペーンに参加すう人を募りますよ!っていうアナウンスがあったからだが、果たして何人が集まるか?興味深い所である。

 この出来ることから始めようって、個人の意志に依存する分は、なかなか難しいかなぁっていうのが正直な感想である。やっぱり、半分強制的にするしかないのでは?って所である。
 最も強制的な効果が望めるのは、前にも述べたけど、

『免許証一枚で使える月間ガソリン量を決めてしまう!』って案だ。

 この案は結構活けると思う。例えば、免許一枚で100リットルと決めるとすれば、一家族に免許取得者が二人で車が一台の場合は、200リットル迄可能だが、そういう家庭に車が二台あれば、一台辺りは100リットルとなる。逆に、運転者一人で車両複数所有という形でも使うガソリンが100リットルと決まれば環境に厳しいという事にもならない。
 これって最高だと思うのだが、、、、、。
 いきなり、購入可能ガソリン量に制限を加えるのに抵抗が多いならば、100リットル迄は通常のガソリン単価で購入可能にして、それ以上は課税金額を増やしリッター単価が500円とか1000円とかにすれば、相当な抑止力になるし、無駄なガソリン使用はかなり抑えられそう。トータルで税収が増えるか?減るか?は不明だが、すくなくとも地球に優しくなるのは間違い無いところである。

 この考え方の水平展開するならば、エネルギーの使用と消費には全てそういうルールを設けると更に効果的。灯油、電気、ガス・・・・全て、そうすれば良い。各エネルギー毎に排出炭素量換算を当てはめれば、更に具体的かつ効果的である。

 人間個人が生きていく上で、炭酸ガスの排出権を与え、その権利を如何に使うかは個人に任せるってのが非常に判りやすい考えでは無いだろうか?車に乗りまくりたければ、他の生活を限りなく切り詰める!ってのは、それで他人から文句言われる筋合いもない。まさしく、As you like!である。
 炭酸ガスの排出権は貯金形式にするなどと考え方を拡げれば、実は、それ自体でビジネスになるのは、今の排出権取引と同じだが、今の考えを個人レベル迄拡げるって考え自体は間違っていない気もする。まぁ、前述した案の超過排出分については権利を金で買うって事になる訳だが、、、。

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ブルゾンのフィッティング

 最近は週末毎に最低でも3台の単車に乗って近場の峠に出掛けている。
 気候的に秋冬シーズンに近付くにつれて単車装備に不快な印象が薄れてくる。丁度、今頃のスタイルっていえば、ブーツ、グラブは当然、革パンも当然、上着は?っていうとTシャツに革ブルゾンって格好が多い。勿論、革パン、革ブルゾンはプロテクターがガシガシに入ったタイプである。

 今の装備のサイズは革パンがLサイズ、革ブルゾンがLLサイズであるが、何れもピッタリサイズで身体もイイ具合に動くベストフィットである。特にブルゾンがLLサイズながらTシャツだけで丁度良い大きさってのは、一年前から比較すると随分とイイ具合になってきたように思う。具体的には腹部はゆったり、胸部~肩に掛けては筋肉とプロテクター位置関係がバッチリであるということ。ナルシストではないが、鏡に映る姿見て、我ながら納得というところである。
 最近というか少し前から流行っている単車コスプレ系がある。それは、カワサキ空冷Z系、忍者系、スズキの刀系、ヤマハのV-max系だが、こういうコスプレライダーの多くはやっぱりレザーブルゾンのプロテクター付きを選ぶ方が多いけど、デブ+ブルゾンのデブルゾン、ガリガリ+ブルゾンのガリゾンみたいな連中ばかりで、あんなになると、単車乗りとは言っても、オタク系コスプレイヤーにしか見えないし、なんか無理して強がっているという感じにしか見えない(それでも、漫画北斗の拳、マッドマックスで直ぐにやられる悪役程度にしか見えない)ので、あーゆー系とは一線を画したいところ。
 ライディングジャケットで格好いいのは、Tシャツ一枚+薄手のブルゾンで体格的にイケテル格好である。それ以外は有り得ない。
 そういう意味では、一年前から増量して行っているベンチプレスの効果が出てきたのかなぁ?って所で満足してる。

 思い起こせば2005/11/12のツーリング(大和ロケセット見学)で、身体が動かない・・・・ってのが、今来ているライディングジャケットで、これがSMボンデージ状態だった訳である。当時と較べてキツイと感じるのは胸部のみで、それ以外はゆったりして身体を動かすには丁度良い感じである。この装備は結構長く使っているけど、今は、丁度購入した当時の体型になっているんだろう。

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偽装だらけ

 雪印、三菱自動車、地鶏、耐震強度、白い恋人、赤福、防衛省、厚生労働省、国会議員事務所費・・・・・とまぁ、次から次へと偽装問題がニュースとして報道されているが、最近は、少々の事では驚か無くなってきた。
 此処まで、広い範囲で多数出てくると、恐らくは、偽装、改竄を行っていない方が稀では無いか?っていうと、さぞ世間を信用しているように見えるけど、ホントの所は、殆どが公では言えない事をしているのだろうってところが事実だと思われる。

 今回のニュースで呆れたというか情けないっていうのは、赤福の社長のコメントで『現場の悪しき作業習慣が事態を引き起こした』って話。普通に考えたら、従業員的には、廃棄処分に相当する材料を使うメリットなんぞは無い訳であり、メリットが無いモノにそういう悪意を行う意志も権限も無い筈であり、リスク承知で従業員に返品餅の再利用を指示したのは経営者の他有り得ないと誰しも考える筈。後ろめたい事は、メリットを享受する人間が誰か?を考えると、誰が一番悪いかは明らかな筈だが、この後に及んで、従業員・・・・ってコメントは情けない事ありゃしない。

 しかし、大手機械製品メーカーでは監査が入る情報がやってくると、一目散に重要書類を秘密の倉庫に隠すなんて話は日常茶飯事って話を聞くし、一品モノの受注生産品なんかの場合は、所定の性能が発揮出来ないと言って出荷を滞らせるなんて有り得ない訳であり、成績の改竄なんて常識ではないか?と推測される。

 まぁ、実際に現場を抑えた証拠がある訳ではないんで、あんまり迂闊な事は書けないが、世の中は嘘と建前で塗り固められているんだろう。そうでなければ、こんなに多用な業種で様々な不祥事が日常の様に報道されるなんて有り得ない。

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2007年10月22日 (月)

文明の進化=生体の退化

 今日のニュースで気になったのは、ロボットの完成度が随分と高くなってきたとの事。これから数年の内に、何らかの形で生活に入ってくる可能性が高いそうだ。ロボットに限らず、生活を便利に楽にという方向で様々なモノが生まれている。全てのモノが、そういう方向性を持って作られている。そして、そのインパクトの大きなモノが喝采を浴びている。家電、自動車・・・・全てがそうである。それだけではない、計算機、文房具・・・・周りを見渡せば、全てそういう方向である。
 他にも医療についてもしかりである。医療技術の発達=対処療法的技術の発達であり、生体固有の機能を磨き上げるという方法ではなく、半ば強引な延命技術の発達ばかりに感じる。
 自分の仕事でも、開発するモノといえば、超ユーザーフレンドリーを目指し、どんなに過酷な状況では根を上げないモノを目指しているが、結局は、多くの人間が行っている活動と同じベクトルの上で活動している。そういう価値観の上に世界が成り立っている以上、その価値観での貢献度が生活の糧の多少になる訳であり、仕方ないといえば仕方ない。

 しかし、生活から、全ての苦労を取り去ることは良い事か?って考えると、便利になる程に、古来からの知恵と工夫、常識が失われ、更には、機能さえも失っていく。生命体としても、非常に敏感で脆いか弱い生命体に変化しているように感じる。

 現代の価値観のまま進んでいく事は、文明という面では進化しているのだろうけど、個体単体としては、知恵も工夫も経験も何も持たず、個体としても非常に弱い退化した形に変化していっているように思う。

 今の価値観は、生物として終焉に向かっているように思う。通常の生物は環境に合わせて進化していくはずだが、ふと考えた時に人間は何故に退化しているのだろうか?不思議な気がする。

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メタボ基準の見直し論議

 少々古いネタだが、メタボリックシンドロームの判定基準の見直し論議の件について。

 日本では、メタボリックシンドロームの判定基準には、「男性は85センチ以上、女性は90センチ以上」とされている。この判定基準は地域によっても様々であり、国によっても違う。因みに、国際糖尿病連合の基準では、ヨーロッパでは男性94センチ以上、女性80センチ以上、中国・南アジアは男性90センチ以上、女性80センチ以上とされており、その違いの根拠は定かではないが、恐らくは、地域ごとにメタボリックシンドロームに害された方の胴回りの平均値が根拠になっているんだろうと思われる。

 この数値の算出根拠に、対象者平均値を用いるのは適切か否か?を考えると、日本人の場合は、代表数値のみをターゲットに据えるのは荒っぽすぎるように感じる。

 一般論的否定的意見には、体型の違いが大きく背の高い人、低い人がいる訳で、それを纏めて日本人の胴回り85cm以上ってのは如何なものか?って話があるけど、それだけでは否定論として弱いという気がする。
 この否定的意見に対する反対意見を出すならば、日本人の平均身長が165~170cm程度であり、それならば、その代表値に対しての目安で85cmを基準とする事自体に矛盾は無い。
 最終的には、自分の考えとしても、身長の高低に応じた胴回り基準を設けた方が良いと思っているのだが、その理由は平均身長云々の前に、世代間の平均身長差が欧米各国に比較して非常に広いのでは無いか?と思っているからだ。
 そして、その理由ってのは、日本人の平均寿命年数内におけるライフスタイルの変化の割合が、他の地域に比較して非常に大きいのが原因では無いか?って考えているからである。
 現代の50代以上の世代もやはりメタボに留意すべき世代だが、この世代の方々ってのは、戦後間もない時期に生まれた方であり、成長期~教育、ライフスタイルの面を後の世代の方と較べると、歴然と異なっていると思う。60代以上となると更に異なる。勿論、40代、30代ってのは、高度成長期、ジャンクフードの普及、米離れ、パン食化、住居の洋風化の波を受ける割合が高くなっている。
 そう考えると、世代によって成長期における生活様式(食、住)の変化が他の地域以上に大きく異なっているように感じる。

 そうすると、平均的な胴回りの数値をズバリ決めるのは大変荒っぽい気がする。20年前にこのような議論が為されていたならば、洋風生活様式に慣れた世代がメタボ発症年齢に達していない訳であり、代表的な数値一つで注意を促すのは有りだと思うが、現代の生活様式の全く異なる世代を対象として数値一つを定義するのは一考の余地がありそうだ。

 まぁ、生活様式の差で肉体的特徴として何が違うか?っていうと、根拠は無いけど、身長って所。ならば、身長に応じた危険な胴回りってのがあるのでは?っていうのが私の意見である。
 仮に、自分が判定基準を設けるとしたら、各自の身長の1/2の数値以上の胴回りとなっていたら注意せよ!ってところである。身長170cmならば170÷2=85センチが危険な胴回り。身長160cmなら80cm、身長180cmなら90cmって方が自然な気がする。

 恐らくはそういう議論は学会の方々の中で話しは有るはずであるが、何故か、割と大雑把な数値ばかりが出てくるのは不思議なモンである。この胴回りの話もそうだが、肥満判定で遣われるBMIって数値も体重÷(身長の二乗)である。この数値には、脂肪率自体が無い訳であり、筋肉質の人がBMI=22を維持するってのは結構難儀である。

 問題が内臓脂肪ならば、内臓脂肪量が手頃に予測できるような判定基準を世に示して欲しいものである。

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適正ケイデンスって?

 最近は、休日ともなると最低でも一日60kmは走行している。走っている場所といえば、CR、河川堤防道路上~通常の車道、歩道と様々だが、走る先々で、自転車を実用品としてではなく、趣味の道具、健康ツールとして使っている人を目撃する。

 自転車を趣味の道具とする人の漕ぎ方ってのは、最近の流行による情報誌や雑紙の発行部数に応じてか、記事で取り上げられる高ケイデンス信仰の影響からか、比較的高ケイデンスの人が多い様である。
 この高ケイデンスってのは、スポーツサイクル~小径車のユーザーでよく目にする光景だ。

 但し、高ケイデンスから違和感を感じる場合と感じない場合があり、それは、自転車のタイプで感じる事よりも別の意味でケイデンス数に違和感を感じることが多い。

 そう、その違和感を感じるポイントは何か?っていうと、実際の走行速度である。走行速度が低いのにやたら高ケイデンスっていうのは、如何にも疲れそうな感じがする。
 逆に、走行速度が高いにも限らずギシギシと踏み込むような低ケイデンスの場合は、如何にも膝を痛めそうな感じがするのである。

 勿論、走行速度が高いか低いか?は個人のフィジカルポテンシャルによるもので、自分の評価軸で速いとか遅いを当て嵌めるのは意味無いというのは理解しているが、それでも違和感を感じることが多い。

 全く勝手な感想だが、自分の評価尺度では、無風平地で走る場合は、30km/hを90rpm前後でっていうのが一番違和感が無いように感じる。つまり20km/hなら60rpm前後が普通に感じるし、40km/hなら120rpm前後って感じである。自分の場合は、実走で90rpmなら33km/h程度、120rpmで45km/h程度が多い。基本はケイデンス一定で変速しながら速度調整ってのが筋だろうけど、固定シングルに乗りつけていると、心地よく感じる速度も30~35km/hであり、走っている限りはそういう状態を維持することが極めて多い。勿論、登り坂、下り坂、追い風、向かい風でケイデンスは変わってくるのは当然だが、言ってみれば無風平地というコンディションで受ける負荷に対しては、33km/hで90rpmという出力と入力の平衡状態が最も心地よいと感じるということ。低負荷高ケイデンス、高負荷低ケイデンスを否定するのは、その姿として、低負荷高ケイデンス乗りと見えるのは、乗り手の上体がクランク回転によって小刻みに振動しているように見える場合を言っており、高負荷低ケイデンス乗りと見えるのは、乗り手の上体が捻るような動きでクランクを回している場合を言っている。要は、ケイデンスの高低の程はどうでも良いけど、結果として乗り手の上体に無意味な動きを伴っている様に違和感を感じるってことである

具体例として挙げると、20km/h以下で110rpm?って姿をたまに見掛けるけど、なんかゼンマイが無負荷でほどけるような感じを受けるし、逆に50km/h近辺の速度を70rpm程度で全身をくねらして速度を出している様を見ていると、これまた直ぐにばてるだろうなぁ、長続きしないだろうなぁって感想を持つ。

 昨日印象的だったのは、BD-1でサイクリング中のオジサンだが、20km/h程度で100rpm以上というのは凄く印象的で、追い越していく時に視界に入ってくるのが200m先という状態だが、それでも後から見ていて?????????って感じを受けたのが素直な感想だし、ガープに乗られた裕福な方の離合時の速度の出具合とケイデンスの低さは、疲労を早く呼びそうって印象が頭に残っている。
 勿論、走りのスタイル自体は個人によるもので、それの良否は本人判定で納得の上だろうから別にどうでも良いことだが、それでも、どうしても自分の尺度と較べてしまうのが事実だし、そういう無意識下において違和感を、ふと感じることが多い。

 昨日、実はCRの折り返し地点で休憩中に途中追い越したロードバイクに乗られた方から話し掛けられたのだが、自分で言うのも何だが、ペダリング回転が非常にスムーズで回転数の割に速度が出ていて、なおかつ向かい風で、そういう速度が維持できる秘訣は?って話を頂いたけど、その時、旨く答えることが出来なかった。
 今考えても、やっぱり良い答えは思い付かない。敢えて言うならば、自分の脚を見て思うのは、やっぱり相当に筋肉質だし、長きに渡る水泳生活からか息が上がるって事が殆ど無い肺の強さかなぁって思うところである。
 更に言えば、自分にとって疲れずに、距離に応じた維持可能最高速度って指標を確立して、状況に応じた自分にとっての最適な条件で機械を扱うことが出来る経験かなぁってところである。
 そう、面識のある身近な人には言いにくいし、ナルシスト的であるが、自分の納得できる走りが出来る自分の身体能力と、それを旨く配分して使える知力が敢えて言えば最大の武器ってところのように思う。決して自信家では無いつもりだが、自分が納得できる考え方=自信ならば、自信を持てる積み重ねを行う事が自己満足に到る唯一の方法のようにも感じるところである。

 結果として、適切=効率の良い=速いペダリングってのは、結果的に走る距離に応じて違うけど、一漕ぎで進む距離×単位時間で回せる回転数こそが速さであり、進める距離である。その値が個人にとって最も大きくできる条件が個人にとって最適なペダリングである。入力に対して出力を最大となるようにするには、無駄を最小にすることであり、それには、加えた動きが無駄な動きとなって現れないのが大前提である。
 つまり、高ケイデンスに捕らわれすぎて上体が跳ねるようなペダリングはロスの塊であり、高負荷に捕らわれすぎて上体が無意味にツイストするようなペダリングもロスの塊である。身体の芯を一定に保ち、運動するのはコネクティングロッドとしての脚だけであり、駆動力に全て変換できているような様こそが、個人にとっての最適なペダリングであり、その時の負荷とケイデンスこそが、個人にとって適性なセットであるのでは無いだろうか?

 まずは、現時点における最適な負荷×ケイデンスのセットを把握し、その因子それぞれを高める鍛錬と経験こそが他人や過去の自分に対する優位性を得るための必要条件では無いだろうか?自分の場合は、他人はターゲットに無く、過去の自分がターゲットである。過去の自分に今の自分が何処まで戻れるか?が一番大事なテーマだったりする。

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2007年10月21日 (日)

小径車増えてる?

 今日は秋祭りの後に昼ご飯を食べてから、オ・モイヨWWでCR走行に出掛けた。コースは何時も通りで自宅を起点として往復30km程の距離である。

 今日は、中国サイクルGP開催日であり、本格的なロードバイクは居ないだろうなぁと思いつつコースを走っていたのだが、最初に見たのが、CRに行く途中の京橋川沿いの道路で追い抜いたパープル系メタリックのBD-1である。工兵橋信号待ちで停止していたら反対車線から歩道を抜けて北上されていった様子だったけど、信号が青に変わってCRに乗り入れて暫くすると、やはり高ケイデンスの小径車!って思っていたら、さっきのBD-1の方であり、自転車好きでサイクリングかな?って様子だった。
 この方は、CR上で二度目の追い抜き後はお目に掛からなかったが、取り敢えず、そこで印象に残った小径車がまずは1台。なお、北上過程は追い風にも乗って、約40km/h程度でずっと進行している。

 それから、CR~幅員の広い歩道~車道というルートで北上し高瀬大橋を渡り太田川の西側道路を北上していると、かなり裕福な体系の小径車とすれ違った。この小径車は青色のフレームで異様に長いなぁという印象の自転車である。離合後更に北上し太田川橋に到着した所で、休憩して写真を撮って、コーヒーを一本飲んで、約10分後にUターン。帰路は太田川の西側堤防道路上をひたすら南進するのだが、山陽自動車道高架下の安佐大橋の信号待ちをしていたら、さっきの青い小径車が太田川の東側堤防道路側からやって来られて、先程の車種が判明。それはクワハラガープって高価で希少な自転車である。

 その方は安佐大橋を横断し祇園方面に進行されていったが、その後は、自分は太田川西側堤防道路上を向かい風の中を35km/h程度でずっと南進。すると、今度は祇園水門手前のCRにてDAHONのヘリオスSLを発見、そのままスルーして更に南進して帰宅した。
 帰宅の過程で町内に入ると、今度はビアンキのチェレステグリーンのミニベロを目撃!

 ということで、今日は一往復で珍しく高価な小径車を四台も見た。

 そういえば、ニシダサイクルの店長さんがレ・マイヨMを自分用に仕入れられた様子。常連さんのMさんもルイガノのMV3Bというモデルをオーダーされた様子。因みに、このお二方の選んだ小径車は折り畳めない小径車でアルミフレームに珍しい451仕様のホイールを持つモデルで如何にも走りそうなモデル。
 実際にレ・マイヨMは拝見させて頂いたが、自分のオ・モイヨWWとは全く雰囲気の違う自転車である。小径車ならば、畳めなくても小さいのでコンパクトさを活かせば旅のパートナーにもなる。フレームも折り畳みでないのは、軽いしスッキリしているしカスタムも簡単そうで良いなぁと素直に思う。
 我が家の小径車は全て折り畳み自転車だが、折り畳めない小径も悪くない。まぁ、そんな事言っていると、置き場所が無くなるんで買う事はしないけど、、、、、。

 ただ、周りがニューマシンをオーダーされる様子を見ていると、何かが欲しくなるという影響の受けやすさは悪い癖である。

 Fuji Track Pro・・・・・ ほ・し・い・・・・・・。

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2007年10月20日 (土)

地球環境エコ化と個人エゴ化の戦い

 今日は夕方から家族で食材の買い出しに出掛けた。通常は、日曜日の午前中に出掛けるのだが、不幸にも?明日は秋季大祭の秋祭り、午前中は娘を連れて神輿を引くために買い出しに行けないからだ。

 買い出しの前には、娘は習い事に出掛けていたので、その帰りに迎えに行って買い物して帰るという事で、町内を広範囲を乗用車で運転して思った事。
 別に何のトラブルも無く、我が身には関係無い事だが、最初に見たのが、少し肌の荒れ気味で太り気味の20代の女性、ややヤンキー風の方の運転する白いライフと、中年男性で、やはり太り気味の50代の男性の運転する銀色の先代のMC前の銀色のMPVが、競うように狭い道に突進して行く。その競うように運転する前を走っていたのが、やや太めのご婦人の運転する黒いベロッサだったのだが、そのベロッサがライフとMPVの前に入ったのが、後の二台の気に相当触ったようで、物凄い煽り運転である。
 私は、この三台の急な交差点への突っ込みに驚いて、間を置いて後を走っていたのだが、ある交差点でベロッサの左折に伴いライフ、MPV共タイヤを鳴らしながら追走・・・。そこで、自分は直進して普通に道なりに走っていたら、今度は何故か後からライフとMPVが暴走追走して来られる。
 私は制限速度で走行して直ぐに次のスーパーの駐車場に車を滑らせたのだが、それを邪魔なパイロンとでも思うかのように、そのライフとMPVは爆走して山上の方に走っていった。

 そのスーパーの帰りでは、やはりバス通りを豪快に飛ばすベンツのクーペに乗った方が居られたけど、それも反対車線にはみ出しながらの豪快な運転で坂を駆け上がっていく、、、

 久々に町内を車で移動したのだが、それにしても、みんな気合いが入っているというか、なんというか目を三角に競うように爆走されていらっしゃる。
 大抵の方は、不健康系な体系で肌艶も老廃物が相当に堆積しているかのような方ばかりである。そして、そういう気合い系運転される方の殆どが、車種を問わず車には運転者しか乗っていないという状態である。

 一人で移動する時くらい、何人も乗れるような車での移動は控えれば?って助言したくなるし、一寸した単独移動でさえ車を使うから、そういう風な体系になる訳であり、そういう体系の元は野菜を食わず、肉や甘いモノばかり食うからである。肉ばかり食うから、肉食動物のように獰猛になって攻撃性がましているのでは?と何気なく思ったところ。

 そういう人が極めて多いが、それが多数派故にそういう人が社会における普通の人のような扱いとなっているのも事実。環境がどうの、炭酸ガスがどうのと、知ったげに言う老人や名士きどり、世話役の人も居るけど、大抵、肥満デブ系の中年以上であり、大概、一人で車に乗って出歩く馬鹿である。一人で出歩くのに乗用車を使う程、環境に厳しい事に気付かないのは如何なものか?
 一人で移動するならば、自転車が一番である。それが適わぬなら、単車が一番である。
単車の大排気量であったとしても知れている。ましてや、四輪よりは遙かに軽量故に、排出ガスは実質的に遙かに少ないモノである。同じ排気量の車と単車を比較すれば、重量の大きなものを動かす時の方がアクセル開度が大きくなり沢山の燃料を消費するってのは自明の理であり常識だ。エコを気取るなら、みんな単車に乗ろう!?(笑)単車の免許が無いならば、四輪運転者なら誰でも乗れる原付バイクは如何だろうか?

 地球温暖化防止の地球のエコ化を阻害しているのは、人間のエゴ化であり、エゴ化の加速因子は何か?というと、野菜不足、植物性タンパク質不足の肉食生活による精神の獰猛化である。

 ふと思う。地球という系を救うには、存在価値の無い奴は消えるのが一番。存在価値の無い奴ってのは、地球エコ化に害的活動する奴である。社会のお荷物である。お荷物ってのは、自己管理不調による獰猛な精神構造を持った豚である。そういう老いた豚は、薬漬けで生かされるしか長寿の方法は無いわけであり、怠惰な生活の果てに終末的な医療でコストを食う輩には保険料負担は100%以上の負担を強いる程の施策を打ち出すのは悪くない方法だと思う。
 そういう施策が施されれれば、そういう終末症状に陥らぬべくライフスタイルを皆作り出すのでは無いだろうか?

 エゴ的生命体をコストを掛けて存在させる。或いは、そうなる価値観を容認して、エゴ生命体が繁殖する社会を容認するというのは、エコには決して良い事はない筈である。

 地球環境のエコ化には、個人のエゴ化の抑制こそが必要だ。

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2007年10月19日 (金)

欠かせなくなった睡眠

 私は元々、夜型人間である。
 思い起こせば、中学高校時代は、ラジオの深夜放送を聞くのが好きだったし、大学時代といえば、夜が主な活動時間帯である。
 大学時代から卒業後就職してからの生活でも、帰宅後は、バイト、夜の繁華街、単車で徘徊って生活を送り帰宅するのは、早くても日付が変わっていた。学生時代では、殆どの場合は、誰か友人が居る場合が多く、午前3時過ぎ迄、なにがしかして遊んでいたし、社会人でも週末ともなれば、夜遅く迄出歩いて居た。この頃の睡眠時間といえば、少ない時で3時間程度、長くても7時間弱ってパターンが多かった。

 しかし、二年前の減量を決意してからだが、相当量の運動を毎日行うようになると、帰宅後の運動に要する時間が平均で2.5時間。1週間平均で一日あたりの総運動時間は3.5時間は費やしているのだが、こういう生活をしていると、運動後に入浴してネットをさらっと触った時点で午前0時頃になるのだが、この時間帯になると、もはや起きておく事は相当に困難となる。なんだか、瞼が勝手に閉じようとするし、姿勢を保っておく事も困難。酷くなると、脳が痺れるような感じというか、強烈な睡魔に襲われる。
 この睡魔がやってくると、余程の事が無い限りは耐える事が出来ないし、仮にこの睡魔の波を一度はクリアして午前2時頃迄起きていたとしたら、翌日の起床が相当に困難になるし、起床できたとしても日中はずっとボーッとした状態で目を開けて寝ているような状態になってしまう。
 そんな訳で最低でも7時間は寝ていないと身体が機能してくれなくなっている。出来れば、9時間くらい寝たい感じである。

 この睡眠時間が長くなるって体調の変化についてだが、一般に、歳を取ると睡眠時間が長くなると言われているが、この変化は加齢によるものなのか?それとも、ライフスタイルの変化によるものなのか?が少々関心があるところである。

 因みに、睡眠時間が長すぎると、神経中枢が抑制状態となって器官の働きが悪くなり体重が増加するそうで、逆に、睡眠時間が短すぎると、体内インシュリンがブドウ糖を正常に代謝できなくなり、やはり太るそうだ。但し、これらの長すぎる時間が8時間以上、「短すぎる時間が4時間以下ということで、4~8時間の睡眠時間だと大丈夫か?っていう事にはならない。

 全く、個人の経験上の印象だが、しっかり運動すると、必然的に寝る時間が沢山欲しくなるのは、運動による疲労回復を身体が求めているためだという理屈である。昔より寝る時間が増えたのは、昔より運動量が増加しているためかなぁと考えている。

 さて、昨晩は思いがけず夜更かしして、睡眠時間で言うと5時間程度、、、今日は朝から起きるのが、相当にしんどい。朝の目覚めは娘のフライングボディーアタックで起こされたようなもの。金曜は通常の運動に加えスポーツセンターでのフリーウエイトベンチプレス+水泳がメニューとして加わるけど、今晩は早めにしっかり寝る予定だ。

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消費税試算、17%?

 さっきのニュースで、現在の社会福祉体制を維持するための財源不足を消費税で補うとすれば、最高で17%の消費税率が必要となるという試算が発表されていた。この試算では、財政支出の削減が実質成長率の双方が上手く進んだ場合でも11%の消費税率が必要とのこと。

 その税率が高いか?低いか?は良く判らないが、欧州の国々では20%の消費税もあるという政治家の話を聞くと、そうか?とも思うのだが、実際のところ、その消費税率が適正か否かは良く判らないのが正直なところである。

 但し、欧米各国と同じだからOKという論理は、成り立たないのでは?っていうのが直感的な感想である。日本には日本に最適は方法っていうのがあるように思う。

 日本社会全体で考えると、このような社会保障体制の崩壊、環境問題、教育の問題・・・・と様々な分野で崩壊が進んでいるように見えるが、この崩壊を如何に捉えるかって部分で、これまでの自民党政権が掲げてきた色んな施策を見ると、どうも力加減が不足気味って印象が強い。

 誠に勝手な解釈だが、今求められているのは、本当の意味での価値観の変換が必要な時期ではないだろうか?っていうのが、個人的な感想である。

 現代の日本を支えてきた自動車産業を初めとすると利便性追求型製品製造業からの脱却を図るってのも一案かもしれない。例えば、自家用車は本当に必要なものか?生活用耐久消費財としての自動車は国民車構想的なミニマムメカニズム迄の使用に制限し、それ以上のモノ=贅沢品=強烈な物品税を掛けるってのもOKだと思う。例えば、150万円以上の車には物品税として50%掛けるとか、2000cc以上の税金は今の三倍にするとかもアリでは無いだろうか?最終的には、自家用白ナンバーを消滅させるってのも極論的には考えても良い時期にきているように思う。
 税も現代の全て同率の消費税ではなく、食料品は非課税にしても構わないが、それ以外の商品は商品ジャンル毎に異なった税率を掛ける方法も有効と言える。

 他にも、今後免許証のICチップによる情報化が進むなら、ガソリンは来年以降の煙草と同じく免許証で買うという方法にして、一枚の免許証で買う事の出来るガソリン量を月単位で制限させて、制限以上のガソリンを購入する場合は、高率のエネルギー消費税を掛ける等も可能ではないか?
 こうなってくると、私の好きな単車で遊ぶって趣味も成立しない時代になるかもしれないが、現代の環境問題を解決するには、このくらいの意志を表示して実践する程でないと、世界全体を動かすコンセンサスは得られないようにも思う。

 他にも、家庭に供給する電力量に制限を与え、限られた電力を如何に振り分けるか?何処まで我慢できるか?をユーザーに制約として与えることで、かなりの浪費エネルギーの削減が見込めるように思う。基本制限以上の電力消費には新たなるエネルギー消費税的な税率を思いっきり高い割合で乗ずる等事でも税収は上げれる。
 他にも色々と思い浮かび、どれも、現代の常識、社会の利権を考えると絵空事かもしれないが、これくらいの規模で価値観をひっくり返すような変革が必要な時期にきているように感じるのは自分だけだろうか?ここに挙げた思い付きは、税収の確保と環境対策の両面から、ふと思った案だが、個人的には結構イイ案のようにも思う。

 新しい知恵は、制約のあるところに生まれるが、先述したような、メリハリの付けた課税制作を社会の同意を得れる形で具現化していくのが、責任政党の政策として求められているように思う。

 昨今の原油価格の上昇によりレギュラーガソリンもリッター単価も少し前の90円から今や145円、灯油も一斗缶18リットルで700円程度だったのが1500円に高騰している。現在の世界的な課題となった温室効果ガス排出抑制ではないが、私用用途のエネルギー消費を禁止させ(極力抑制)るための抑止力を超高率の課税によって行い、エネルギー消費の抑制と税収の増大を狙うのが時流に一番合っているのでは無いだろうか?
 そういう方向に社会を変えるには、例えば、車なら大排気量、大馬力=高級という価値観を変える事が大事であり、そういう古い価値観に囚われるならば、それこそ高額な物品税のような税率を掛けても良いのではないか、逆に、1500cc以下でも新のエコを高級という価値観を生み出す時期に来ているようにも思う。

 このような極端な策は指示されないだろうが、現代の僅かな先進国の発達によってもたらされたモノが今の環境問題ならば、ボリューム的には遙かに上回る発展途上国の発達によって、どの程度の問題が持ち上がるか?を考えただけでも寒気がする。
 このような途上国からも受け入れられる姿勢というのが先進国に求められているように思う。先進諸国が自らの生活水準や価値観を維持したまま、途上国に求めるという姿勢では議論は収束しないだろうなぁ、、、。

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2007年10月18日 (木)

脳梗塞の予兆

 さっきの報道ステーションの特集での話。
 何でも、脳梗塞には予兆というか前兆のような症状があり、その予兆をキャッチして直ちに治療を受ければ大きな脳梗塞に到る前に治療が可能という話である。

 特集の中での患者さんの治療風景では、脳梗塞によって梗塞部分の血栓をカテーテルで除去した後に血栓というモノを生で撮影していたが、原因がコレステロールの塊でべっとりドロドロの粘液性物質である。その粘液性物質が血管に詰まって梗塞を引き起こすのだという。

 因みに、血管のつまりは急激に起こるのではなく、血管の内壁に血栓物質が徐々に付着して完全にふさがる前に、時折便秘的な症状が現れるらしいが、それが予兆というものらしい。番組ではTIA(一過性脳虚血発作)と紹介していたが、そういう症状が自覚されると後遺症を遺す脳梗塞の手前で治療が可能なんだそうだ。

 ところで、最近の脳梗塞治療では、内径が狭くなった血管部位に金属製のメッシュのような管を入れて、該当部位でメッシュを膨らませて血管を広げて梗塞を防ぐ方法が開発されているそうだ。この方法をステント法というらしい。

 そんなモノを眺めながら思ったのは、血管の内壁にメッシュというか格子状のステント管を設置するのは、如何なものか?っていう感想である。
 というのも、非常に粘度の高いコレステロールが循環している血管内に、凸凹上の管を設置するっていうのは、積極的にコレステロールを捕集するような物理的トラップにも見えたからだ。
 また、このステントという物質は金属で出来ているらしいが、人間の体液というか血液っていうのは、高度な腐食液でもあり、本当に大丈夫?っていうのが感想である。

 根本両方は、血中コレステロール濃度を下げることであり、コレステロールが高い状態で、物理的延命処置をするのは本当に正しいことなのか?とふと、考えてしまう。

 自分もそうだが、人間誰しも、元気に長く生きたいという願望があるのは確かであり、そういう意識が医療技術を発展させてきたのは事実であるが、疾病というのが或る意味摂理的な法則によって発生するならば、疾病対策というのは、対処療法による方法ではなく、生体の本質的な機能を活用した対策療法、つまりは、日常の健康管理を行う意志こそが、疾病回避による長寿願望を持つための必要条件のようにも思う。
 不摂生と堕落的な生活を続け、対処療法的な医療で生かされるっていうのは、生きているのではなく、呼吸させられているだけのように感じるのは自分だけだろうか?

 生きるとは、意識を持って生かされているのではなく、自分の意志で好きな事が出来る状態を保つという事のように感じる。何も出来ず、目が開いているだけという状態っていうのは何か違うような気がする。
 世代間ギャップや、若者からの老人批判、老人からの若年批判っていうのはあるけれど、昔は、老人の若年批判は尤もだと思う所ばかりだったけど、最近は、活力を失った生かされている老人のやりたい事が出来ないフラストレーションからの八つ当たりというか、古い価値観の押しつけも少なくないと思う事が多いが、よ~く、見てみると、そういう世代批判を行う老人ってのは、健康上、何らかの不具合を抱えている人が極めて多いのも事実であり、色んな事が頭の中で結びついているところである。

 人間、誰しも歳を取って、怠惰な生活を繰り返すと、自由となる体を失い、健康を害して老いていくが、それを当然と思い受け入れると、今見る周りの口うるさい年輩世代っていうのは、未来の自分の姿って場合も考えられる。
 何て言うか、自分の好きな事が続けられる活力を身体に養う生活をしておけば、先の重大疾病とも縁は遠くなるし、恐らくは、今の自分に満足する事が出来、時代なりの自分の欲望を求め実現するという生活が得られるだろう。
 そういう、個人の本質的欲望が充足した状態では、おそらく排他的な意見や主張は生まれないのでは無いだろうか?

 話が脱線したが、人生は生かされて延命されるものではなく、意志を持って生きるために行動するというのが、肉体的にも精神的にも満ち足りた状態で楽しめる人生を得る秘訣のように思うってことが結論である。肉体的な健康は、摂理的に疾病と縁の無いコンディションを維持すれば良い訳であり、精神的な健康とは、本質的に自分のやりたい事が出来れば一番満たされる筈である。そういう状態こそが、妬み、嫉妬、排他といった感情が消え失せ、広い世代が互いを認め合う社会を作る必要条件である。

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2007年10月17日 (水)

リターン組の憂鬱

 自分の趣味は二輪車である。一位は単車だが、最近は自転車も熱い。趣味とは言い難いかもしれないが長きに渡り続けてきたスポーツには、水泳、筋トレってのがある。

 これらの持続期間を見ると、

・スポーツサイクル・・・・小学5年~大学1年、その後ブランク20年、そして復活後二年
・単車・・・・ナンバー無し中学生、ナンバー付き高校~今まで続けて29年途切れず!
・水泳・・・・小学1年~中学2年は殆ど毎日、中学3年~大学1年は定期的、その後ブランク6年、そして復活後16年ずっと。
・筋トレ・・・社会人以降。15年前からずっと今まで。

って感じである。
 最も直近から始めたのはベンチプレス等筋トレだが、15年の年月を掛けても、そう学生時代から続けられている方とは、やはり到達している域に違いを感じる。この違いは埋めようのない差に感じる。

 次が水泳だが、これは長い実施期間からみると中断期間は比較的短期間であり、割と昔の感覚(水中での滑走感覚)に近い気分で泳げる。しかし、高校以前の競泳スタイルが維持できているか?っていうと極めて微妙である。

 そして自転車だが、これは中断期間が極めて長く、復活してからも間もないもの。で、感覚は?っていうと、昔とは全然違う。ハッキリ言ってまるっきり駄目駄目である。瞬間的には当時のキレというか感覚を呼び起こせるようにはなってきたが、その気分が高揚する瞬間っていうのは極僅かであり、今一今二今三以下である。

 最後が単車だが、これはさすがに続けているだけあって、どんな単車であっても、僅か数メートル走っただけで、どの単車にも身体は適応し、その単車の楽しいツボで楽しみ続ける事ができるし、クローズドコースを走れば、昔以上のラップを刻むことが出来る。峠を走っても、鳥観的な視野で客観的に自分の全体像がイメージでき、走っている先に何が起こるか?っていうのが何故だか直感的に判る。路面の状況、グリップ感、滑り出し等々の感覚が素足の感覚で受け入れる事が出来るし、コーナーでの感覚はまるでスローモーションのように感じる事が出来る。この感覚は何事にも代え難い宝物である。

 こうして、今取り組んでいるスポーツ?での感じ方の差を書き表したけど、継続って事は重要な意味があるんだと改めて思う。
 そして、一度、止めた事っていうのは、やはり感覚は錆び付いている。仮に他と比較すると、続けてきた者には迫れない、越えられない壁っていうのが存在していると思う。

 そこに壁があるかどうか?っていうのは、何か中断することなく続けた人が、その続けてきたモノで感じるものであり、それは言葉では言い表せない、個人個人の感性の世界かもしれないが、そういう域っていうのは確実に存在していると思う。

 今、自転車に結構凝っているけど、いくら凝っても、当時の感覚には戻れないだろう。そう、一度丘に上がった魚は昔のようには泳げないって感じである。

 それを思うと、レプリカ系単車で峠やワインディングって世界には、周りから馬鹿だの、ガキだの言われても、そういう世界で楽しむ感覚を失わないってのが自分の生き方での最重要課題のように考えている。そう、これは実は、仕事よりも家族よりも大事な事かもしれない。

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2007年10月16日 (火)

モラルとローカルルール

 最近は自転車に関するニュースが多い。殆どが、自転車が関連する事故のニュースだが、自転車が加害者、被害者の両方の立場で報道されている。自転車にしてもメディアから好意的に見られたり、恣意的に見られたりと色んな場合がある。自転車マナーにしても、何が正義か?っていうと、活字の上での正論と実際の環境での正論は随分と違うのが現状である。面白いのは、正統派を気取るショップの朝連風景なんかでは、並進走行写真を堂々とアップしながら、モラル云々ってのも良く見掛け、何だそれは?っていうのが印象だが、当人らにとっては、遵法精神、モラルとも完璧って思っているんだろう・・・・
 いくら、自転車の並進、携帯操作運転がNGだといっても、世間では、そっちが多数派であるわけであり、正論を振りかざす方が、度量が無いとか、細かい事を言いすぎとかの暴論を吐かれるってのが実状である。

 これは、自転車マナーに限った話ではない。例えば、公園の使用法だが、居住区域の公園には原則として犬や猫を遊ばせてはならないとのルールがあるが、公園の周りの家のペット保有率が異様に高いために、公園=犬猫の遊び場が当然って空気になっている。結果、公園には犬や猫の糞が散乱し、砂場にも糞がまみれている事がある。散歩する人はポーズだけで袋を持参しているが、飼い犬の糞はほったらかしってのが実に多い。
 公園と言えば、老夫婦がやってきて爺様がゴルフクラブを振り回し、婆様が眺めるってのも最近よく見るけど、普通、公園でゴルフ練習するか?って思うけど、やっているのが年寄り故に悪くない雰囲気さえ漂っている。

 他にも、元々は駐車禁止の看板が立っていたのだが、一昨年くらいから、それが無くなった。これは自治体が要望を出したんだろうが、その結果、路上駐車が異様に多い。駐禁標識が無くなっても、曲がり角、見通しの悪い箇所では原則駐車禁止なのは道交法に明示されているし、連続した駐車は午後、午前の何時間以上を越えると保管場所義務違反(車庫法違反)での摘発の対象(日中で12時間、夜間で8時間、罰金は20万円)となっている筈だが、それは一切無視(恐らくそういう法律を知らないんだろう)しているのが実状である。

 四輪でそんな状態だから、隣家の二輪の保管は完全に道路が駐輪場状態になっている。しかし、これはどう考えても可笑しい現象だが、それが多数派になると正論自体が言えない空気を作っているのが現実である。

 いくら、車の離合に十分な幅員の道路とは言え、僅か200mの範囲に数台以上の車が駐車されて十数台に上る二輪車が駐輪されているのは尋常ではない。宅配とか郵便の車が通る際には死角を生み、事故を誘発しかねないと思うのだが、これは全く問題提起されないばかりか、そこに意識が無く駐車を堂々とする老人が町内を仕切っていると、そういう光景がデフォ化した奇妙な集落にさえ見えてしまう。

 こういう現状で、モラル云々を口にする老人も居るが、ハッキリ言って『はっ?』って感じで、にわかには口を利きたくないのが大人げないかもしれないが自分の感情である。置き場所くらい何とかしろと言いたいし、近くの道路だから、誰も居ないから?っていう理由で公共の道路を占有するってのは、どう考えても不自然なんだが、それをとがめる空気は全く無い。
 勿論、自分は十数台の単車+自家用車、数台の自転車は全て敷地内にガレージを準備しているが、そういう家自体が無いのが現状である。実は、周囲を最初から全く信用していないので、敷地には施錠可能な門を設けて外部とは完全に遮断しているが、よそは、オープンスタイルで夜通し車両が道路にはみ出しているなんて日常茶飯事、、、、。

 文句序でに記載するけど、センターラインの無いような道での乗用車の通行状況も殆ど全ての車がキープレフトどころか右側通行っぽい状態で暴走。しばしば、脱輪や接触事故を起こしているが、未遂の場合は、そういう??な運転をしている老人の不機嫌そうな顔が印象的。そういう場面に遭遇した事は無いけど、離合する二台の口論は何度か目撃したことがあるが、大抵の場合は、勾配の下り車線側で右側通行に近い運転をしているのが老人でありながら、その老人が対向車を叱咤している事が多い。本来は上り車線が優先で、キープレフトしておけばぶつかることは有り得ないのだが、、、、。

 最近はテレビで若者がどうした、モラルが無いとか言う善人面した高齢者が出ているけど、ホントの所言うと、社会の進歩やモラルや法律について勉強しなおす必要があるのは、社会の進化の流れ、整備された法律についていってない高齢者世代ではないか?と思うことがある。迷惑かけていないだろうと、高齢者の狭い認識で良否を判断して行動するようでは、その判断基準が現代のルールにそぐわない部分ってのは極めて多そうだ。

 運動して身体が思い通りに動くと、やりたい事、考え方自体が大昔と変わらないが、そういう変わらない事が出来る自分に満足しているが、会社や住まいの近くで話しをする高齢者から受ける若者への不満というのは、老いゆく者の僻みというか妬みによる何かが根底にあり、悪意をもって見ているのが原因かもしれないと考えることがある。

 勿論、若い世代が全て良いとは言わないが、老いた世代が若い世代を全て自分の価値観で測ろうとする事自体に無理があるのでは?ということであり、老いた世代も同じ時代を生きるのであれば、その時代の法や常識、通念を学ぶという姿勢が必要では無いだろうか?実際に、老いた人と話すと理不尽を感じる事が少なくない。しかし、その理不尽が多数派の常識であったとすれば、それに対向する気も無いのが現実である。そうやって折り合いを付けるのが大人らしさ?だとすれば、本音を言えば、そういう折り合いというか妥協で生きる事=成長というならば、成長した大人になんかなりたくないってのも本音である。

 一番質が悪いのは、当人に罪悪感無しで当人が自分を普通だと思っている奴。そういう奴は、ローカルルール或いは自身の行動は正義と信じて疑わない訳であり、自身の価値観から外れたモノが例えジェネラルルールに則っていても、それに対して文句を言って、逆に指摘されると憤慨する奴である。
 そういう傾向の奴は、自身を常識人と思い、他人(特に見下した存在)からの指摘を受ける事を生理的に拒絶する類であり、俺から見ると、頑固爺、意地悪婆さん、厚化粧オバサンって類がそれに相当したりする。こいつらは己こそ正義と思っているから扱いが厄介である。

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2007年10月15日 (月)

スモールスポーツバイク YZF-R1/8 ?

 ここ一週間の話だが、アクセスが増大しており、その理由は、Ninja250Rの記事によるものみたい。ということで、表題にNinja 250なんて入れると期待される訪問者の方の期待を裏切るんで、そうは載せない事にしたが、それ系のネタ。

 昨日、ミスターバイク誌を買って帰ったのだが、今月は珍しくオートバイ誌も買ってみた。月刊オートバイを買うのは何年ぶりか?今回は、偶然コンビニでそれだけ見掛けたのと、東京モーターショーの開催年というのも大きな理由で買ったんだが、昔を遡ると、1979年から1999年頃迄は毎号欠かさず購入していた。結局、買うのを辞めたのは記事に魅力が無いのもあるけど、ニューモデル自体にも魅力を感じなくなったってのが大きな理由。

 さて、久しぶりに買って見たのは、Ninja 250R の情報が知りたかったのがあるけど、その中で興味ある一台を見つけた。その名(リンク貼ってます。)は、

 『ヤマハ YZF-R125』

 ってモデルだ。パッと見はR1とかR6のようなデザインでスチールのデルタボックスフレームに水冷4stシングルの125ccを載せたバイク。出力的には15PS程度とのことだが、こういう入門バイクが出ること自体、嬉しいところである。197PSの隼1300、193PS化したZZR1400も良いけど、遊べそうな125シングルスポーツって方が関心が高い。
 果たして、このYZF-R125ってのはどんなモンだろうか?4stシングル125で15PSっていうと、最終モデルのCB125JXと同じ。後継のCBX125Fはもう少しハイパワー、2st車は参考にならないが、結構興味深いところ。今回の出品予定車の中ではNinja 250RよりもYZF-R125の方が関心が高いのが正直なところ。

 125ccの4stシングルっていうと正直あまり期待は出来ないが、このボディーに200cc程度迄スケールアップしたエンジンが乗れば相当に楽しそう。そういうノリは、昔作ったCB125JX改175とか、ガンマ/ウルフ200とかの楽しさが出そうだ。
 最初から250クラスの設計だと、どうしてもデカイけど、125ccベースで200cc程度迄アップグレードしたら、絶対的な速さは250ccには適わないが、なんていうか、心の弾み具合は遙かに上回っている印象がある。でも、そういう楽しさを知っている人っていうのは、実は絶滅危惧種のような人でもある。
 Ninjaの250も良いけど、YZF-R125、出ないかなぁ、、、、。

 そして、このR125に対する不満を挙げると、やっぱりネーミングかなぁ?R1が1000cc、R7が750ccで、R6が600cc、出ないとは思うけどR4なら400cc、R2なら250ccとなるのか?逆に言うと125ccならR1か?は有り得ない訳であり、遊び心でR1の1000ccの八分の一ってことで、YZF-R1/8とかにすると良かったのになぁ、、、、。笑いで250ccはR1/4なんてすると楽しいけど、、、。まぁ、無責任な発言で申し訳ないところ。

 制度的に原付二種が200cc未満とかになると市場は随分と変わるように思うし、軽二輪も400cc未満となると随分変わるように思う。まぁ、そんな事は期待できないか、、、、、、。

 万が一、Ninja250RとYZF-R125が出たら、90%の確率でYZF-R125を買ってしまいそうである。原付二種は何台増やしても構わない、、、、。

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歳を取ると、、、

 どうなるか?
 まずは、健康で無くなる人が多い。成人病(生活習慣病)、癌といった重大疾病に脅かされる。それもこれも、生命体としての活力が徐々に失われていくがために、様々な疾病の影響を受けやすくなる。生命体の活力の移り変わりっていうと、成長期を過ぎて成熟期を経て衰退期に到るってことだろう。
 成長期ってのは、生まれてから身体の発達が進行する時期。概ね二十歳の頃迄だろうか?成熟期ってのは、緩やかに衰えながらもそれを感じない状態であり、人間でいうと、一般的には衰えからくる疾病が生命維持の重大な問題として現れる迄の時期だろうか?
敢えて言えば、成人病や癌のリスクを大きく気にしなくても良い時期か?そういう検診が推奨される年齢から判断すると四十歳くらい迄が成熟期に相当するように思う。
 その四十歳を過ぎると、明確に代謝機能が低下したり身体の各機能が低下するのが顕著となるが、四十歳以降は素手に衰退期と言っても良いのかもしれない。

 人生を成長期、成熟期、衰退期と三つに分けると最初の二十年が成長期、次の二十年が成熟期、最後の二十年が衰退期というと人生六十年ってのは、昔でいうと平均寿命的にも綺麗な分け方とも言える。
 しかし、医療技術の進歩や様々な情報により、今や人生は八十年以上も珍しくない。しかし、個体としての成長、成熟、衰退の兆候自体は昔も今も変わらず現れるものであり、衰退期以降の二十年ってのは如何に捉えるべきなのだろうか?

 どんな人でも、生まれてから成長し死に至るってのは等しく通る道である。年を取る毎に人はどう変わるか?または、変わり方は変えれないか?

 肉体的な衰えについては、所謂、健康ということになるが、この肉体的な衰えってのは、どんな人にも等しく訪れるけれど、その衰えを如何に最小限度に食い止めることが出来るか?は、正しく人次第ってところである。

 一方で精神的な衰え、或いは、物事の考え方だが、これも歳と取った人とそうでない人ってのは明らかに差がある。これは、どっちの考え方が正しいか?というと一概には断定出来ないと思うけど、世間一般には、年輩の人が言う事の方が正しいというような風潮があるのも事実。しかし、現実には、年輩の人が言う事の方が自己都合を上手い具合に社会性とこじつけて正論ぶる場合も少なくない。どっちが正義かは置いて考えて、言える事は、年寄りには笑顔が無い、無愛想、何時も怒っているってのが多いし、若い人ってのは、その反対の場合が多い。

 精神性と肉体を分けて考えるのも有りだが、これらを一緒に考えても良いように思う。
 年寄りが不機嫌かつ怒った表情をしているのは、本能的に、若い世代に対する妬みが根底には無いだろうか?或いは、若い世代がやっている事が自分で出来ないもどかしさ、取り戻す事が出来ない時間の使い方からくる悔やみが、若い世代の行動の否定に走っているのでは無いか?

 これは、個体としての老若に限らず、社会としての発達過程に違いによる集団の心理差にも言えるように思う。
 最近は地球温暖化云々、炭酸ガス排出規制云々と言っているけど、今の事態を引き起こしたのは先進諸国の浪費を伴った発展であり、それ以上のボリュームを持つ発展途上国の発展する権利を奪うようなアピールを行うことは果たして正論か?という気もする。
 本当に地球環境云々をいうならば、成熟した社会の構成員である国家国民は、例えば、白ナンバー登録の自動車の廃止といったドラスティックな改革をアピールしなければ発展途上国に対しては何の説得力も無い気がする。他にも、エコエコというトヨタのような自動車メーカーがあるけれど、ハイブリッド、エコと言いながら、一方では高級車=巨大なエンジンという図式で消費者に訴えるのは本当にエコか?って気がする。
 そういう軽い意識の消費層ってのは、エコ、善人を気取りたいだけの爺様だったり、オッサンだったりする。そして、そういう富裕層から金を巻き上げるのが商売と割り切っているならば、エコエコと宣うのは如何なモノかと思う。

 国家間の諍いでも、宗教的な思想背景、社会体制的な違い様々あるけど、一方が他方を強制するのは、価値観自体が違うので如何なモノか?と言わざるを得ない。
 いろんな価値観の国家があるから面白い訳であり、全てが、帝国主義的民主主義で利益追求型の社会である必要は無い訳であり、王政も良いだろうし、社会主義体制でも存続根拠が在る筈。宗教であっても、イスラム思想自体は、それ以外の宗教信仰者からは理解できないのが当然であり、別の価値観で○×を付ける事自体がナンセンスだ。

 個人にしろ、社会にしろ、国家にしろ成熟した状態となったモノは、己にとって必要なモノを全て手に入れた状態であり、それ故に、名誉欲的な欲望の結果として都合の良い道徳論を振りかざしているのでは無いだろうか?そういう道徳論の展開の一方で、己が出来なくなった事に対する妬みってのも確実に見え隠れする訳であり、人間社会の醜さというか、そういう感覚を受けるのはおかしなことだろうか?

 本当の意味で、調和を得ようと思えば、老人世代は凝り固まった通念を捨てて現代の社会構造を勉強しないとNGだし、先進諸国は発展途上国における経済発展の手伝いを規範になる形で手本を示さねばNGだ。色んな価値観を認める事が大事である。

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ジュセリーノ

 先月か先々月だったか忘れたけど、バラエティー番組で表題のブラジル人が予知夢で予言を当てているというネタがあった。勿論、話半分で聞いているのだが、やっぱり気になるのは地震を主とした災害ネタである。

 ということで、今現在から一年以内で関係在りそうなネタとしては、

1.2007/10/26迄に日本に巨大台風が襲来する!
2.2007/10~11に日本の関西圏(大阪?京都?高槻市?)に比較的大きな規模の地震が発生する!
3.2007/11/25に千葉県で地震が起きるかも知れない?
4.2008/9/13に南シナ海か名古屋のどちらかで巨大地震が発生する!

 んだそうだ。その後では、2009年には1/25に関西圏で大地震、11月に大地震が発生するかもしれないんだそうだ。

 これ系の話は、客観的に証明する根拠が希薄なんで、何ともコメントしようが無いし、その的中率自体も今一つ統計的に納得できる形で出てこないので、これまたコメントしようが無い。

 但し、信用するしないは別として、例えば、今年なら敢えて11月に地震があるかもって言われている場所に行きはしないが、、、、。

 これ系統の話は基本的に信用していないけど、その根拠は、先の証明する論法が希薄って点に加えて、ノストラダムスさん、その他の予言者の話ひっくるめて、とある傾向を認めるからである。
 その傾向とは、遠い未来程に非常に激しく、終末的な予言が大袈裟に語られている点。近い将来程、日常に近いような、小さな出来事ばかり語られている点。
 仮に、同じ予言者なら、同じスケールの事が思うのならいざ知らず、なんで、最近の予言は小さなローカルニュース的な話題で、未来の予言が人類全てに影響する話題なのか?が怪しい。

 但し、先に挙げた予言?の内、半分でも当たれば、半分は信じるかも知れない。なんとも言えないところ。積極的かつ盲目的に信用しないのは当然だが、自分の理解を超えている事を全否定する気もない。自分の知らない何かがあるのかもしれない。そういう何かを認めるには、結果で証明させられた時であり、当たれば信じる。外れたらやっぱりって思うだけである。

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コルナゴ走ってた!

 昨日のCR走行で変わった事といえば、朝のラングスターで出掛けた時の話だが、コルナゴを二台見たことか?一度に二台のコルナゴを見るってことは極稀である。
 一台は、太田川橋の自販機の前でコーヒー飲んでいる時に、そうだなぁ、、、歳の頃は70歳近い方で、ヘルメットからレーパン迄、完全武装されたおり、四肢は細く、胴回りが少しメタボ入ったような方であり、完全にポタリングされていた様子。モデルは白と青のグラデーション塗装が印象的なモデル。
 もう一台は、復路で太田川の東側堤防道路上を走っていた際に安芸大橋の歩道から飛び出してきたコルナゴだ。これはシルバー基調にブルーのロゴが入って、かなり大柄なフレームサイズで乗り手もかなりの背丈の様子。この方はノーヘルながらレーパン等の装備は為されていた感じだが、やり過ごした瞬間が一瞬だったし、振り返る事もしなかったんで詳しくは覚えていない。ただ、追い抜く時にトップチューブに入ったコルナゴのブルーのロゴが印象的だった。

 コルナゴというと非常に高価な印象で、勝手なイメージではデローザに継ぐ高級車って印象である。80年代のコルナゴというとフレーム買いをして、すきなコンポで組み上げるのが定番だったけど、今は完成車もあるそうだ、、、、。
 ただ、コルナゴというビッグネームであり、価格には、ブランドプレミアム代金も入っている訳で、普通に自転車好きというレベルではコルナゴを選択する事は無いとも思える。
 そういう意味では、コルナゴに投資するってのは、相当に自転車が好きなんだろうなぁと思うが、そういう何十万もする自転車を二台も一日に見たって言うのは、或る意味驚きである。
 自転車部時代にはコルナゴやデローザなんて走ってるのは見た覚えが無い。しかし、今は、結構な高級車を頻繁に見る。凄いものである。

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2007年10月14日 (日)

スピード感

 今日、朝と昼の堤防道路上を走っていて思ったこと。場所は太田川橋から安芸大橋迄の区間だが、この間をメーター読みで40±5km/hでずっと走っていたのだが、思ったことは、凄いスピード感があるってことである。

 そう言えば、単車では、この程度の速度は何も思わないし、寧ろかったるい印象の方が大である。自動車でもそうだ。やっぱりかったるい。
 人によっては、単車と自動車の場合は、自動車の方が速度感が無いというけれど、自分の場合は単車の方が速度感が無いのが正直なところ。因みに、人が車の方が速度感が無い理由ってのは、箱に覆われているからか?なんて意見を聞くのだが、箱に入っているかどうかは、自分の場合、あんまり関係ない気がする。

 そこで、この速度感の差を考えてみた。そして、自分なりの結論としては、運転している際の視野の状態と、最も視線が向いている位置の違いかな?っていうのが私の結論である。

 最も、速度感が希薄なのは自分の場合は単車だが、単車に乗っている時は結構遠くを見て運転している。その距離は車以上に遠い事が多い。なぜならば、加速が優れた特性を満喫しながら乗る癖があり、必然的に遠くを見ている事が多いからだ。
 車の場合は、それよりも近い所を見ている事が多いのは、単純に加速性能の差によるものだと思う。
 それに対して、自転車ってのは、速度を上げる程に前傾度が深くなり、視線が落ち気味となる。さらには、乗っている自転車自体が非常にスリムな乗り物であり、真下がいつも見えるという特徴がある。

 そのために、たかが40km/h程度のスピードでも凄いスピード感を感じているのでは無いだろうか?

 これを自分の答えとして選んだ、理由は、新幹線の高架の枠の高さの話が頭に残っていたためである。新幹線は在来線に比較して速度が異様に高いが、乗客に恐怖を植え付けないようにするために、窓からの風景で近いところが見えないように高架橋がデザインされているそうだ。

 要するに、人間の感じるスピード感ってのは、見ている場所が近いか遠いか?ってのが非常に大きな影響を締めるって事。

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川内自転車公園

 今日は、朝がラングスターTTでCR走行を30km、午後からオ・モイヨWWでCR走行を同じく30km、そして、夕方はガンマ500で燃料補給+峠二往復、更にはSVで峠二往復と結構動き回った。
 そして、前半のスポーツサイクルの部と後半の単車の部の合間、時刻で言うと午後2時過ぎから午後5時迄の間は、娘と出掛けた。

 出掛けた場所は広島市北部の太田川河川敷である。殆ど可部の手前であり、結構遠い所だ。この河川敷は月に何回かフリーマーケットが開催されているのだが、その駐車場会場の隣接した所に表題の川内自転車公園なるものが存在している。

 毎週、自転車で太田川堤防道路上を自転車で走って通っており、堤防上から見下ろすと、アスファルト舗装された広場に模擬的に白線で道路、横断歩道、踏切・・・一本橋、スラロームコース等がペイントされており、ここは何だ?と思っており、いつか娘を連れてこようと思っていた場所である。

 本当は、地元の公園で自転車の練習を行う予定だったのだが、公園内では、どっかのオジサンがゴルフクラブを振ってゴルフの練習して、他には、小学生がサッカーボールで遊んでいたので、公園ではNGだなぁと判断した事と、いつものCR走行で記憶に残っていた自転車公園が脳でシンクロして急遽娘を連れて出掛けたのである。

 ところで、広島旧市内から自転車公園迄の距離だが、これは何時も自転車で行くと、まぁ15分程の距離でそんなに遠くないと思っていたのだが、自動車でメインの通りを通っていくと信号に度々引っ掛かり、結構な距離を走る感じである。
 改めて、よくもまぁ、こんな遠くに自転車で何回も通ってるもんだと、我ながら感心したりしながら運転した。

 現地は、さすがに自転車公園でアスファルトの舗装も良好であり、娘が嬉しそうに自転車に乗っている姿を見ると、連れてきて良かったなぁと思ったところ。自転車の練習ではないが、いつもは誰もいない公園で行っており、原則、道路での練習はさせていないのだが、こういう自転車公園なる場所は、思う存分に練習させることが出来る。もう少し、旧市内に近い場所にこういう場所があればと思う。因みに、その公園は、ココ

 2時間程自転車で遊ばせて帰路で考えた事。それは、郊外の方が子供の教育環境、健康維持のためのインフラ等々が整備されているって事。実際、土地も安いし、広々とゆとりある家も建てれそう。そんな事を考えていると、もう少し年数が経てば、チョット奥に引っ込んで、好きなバイクと自転車に戯れながら好きなように暮らせる場所に引っ越したいなぁと思ったところである。

 男のロマン?としては、地下室+乗り入れ可能な土間と接続した広大なリビングってのが欲しいところ。庭にはチョットしたスラロームなんか出来るようなミニコースがあれば最高だ。地下室をピットとして、リビングでは整備済みの愛車を眺めながら酒を飲む・・・・・う~ん、こんな生活を送ってみたい。
 それには金が必要だが、現実的には困難。仮に可能となったとしても身体が老化しているのは間違いないが、一応は、それに備えて老化だけは限りなく抑えるような生活を維持したいところだ。
 夢と趣味を失って、動かない身体と若者への嫉妬からなるような小言だらけのジジイにはならないように、何時までも馬鹿言って、馬鹿しながら、十代の頃と変わらない趣味と戯れる身体と心と幼さを保ち続けたいものである。

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2007年10月13日 (土)

歩道で歩行者死亡事故

 さっきのニュースで気になったのが、歩道で44歳の自転車に乗った会社員が、89歳の歩行者に追突して死なせてしまったとのニュース。
 なんでも、前をよく見ていなかったと供述しているとのことだが、場所は幅員7mの歩道で、通行指示が為されている歩道とのこと。

 春先から話題になっている自転車は何処を走るべきか?では、原則車道だが、指示区分が整備されたら、その場所って方針が打ち出され、何故だか、歩道内に自転車走行区分が整備されている現状があるが、今回の事故はそれに一石を投じる事故だ。

 実際の自転車ユーザーのモラルは最悪であり、並進、携帯操作、脇見、逆送、無灯火、二人乗り・・・・当然であり、信号無視を平気でやる奴が殆ど。これは残念ながらスポーツサイクルでも信号無視ロードは非常に多いが、自転車=免許無し=罰則無し=何やってもおとがめ無し=好き放題OKという方程式の結果かもしれない。
 日頃は車で交通法規を曲がりなりにも守っていそうな人でも、自転車に乗ると罪の意識が吹き飛んだような運転してるのが実状。

 こんな事故が起こるようならば、如何なる自転車も歩道通行絶対禁止にしてしまえと思うこともある。勿論、車道に自転車レーンを設置するような甘やかしも無しで、これまで弱者であった歩行者を虐めてきた報いを車道という場所で弱者の立場で味わえって言いたくも成る。
 電動アシストだろが、幼児車だろうが、全て車道のストリートジャングルで生き残れ!って方がイイかも知れない。免許無しでも良いから防犯登録必須で、それで使用者に青切符をバンバン切って取り締まれって方が良いのでは無いか?
 未だ赤切符という手続きが面倒な方法で取り締まりを行うという現実が取り締まりの効率化の阻害要因になっていそう。取り締まりやすい方法でガンガン取り締まれと言いたい。
 もしくは、歩道は歩行者が気にならない程度の凸凹舗装、インターロッキング、かまぼこ状障害物設置、或いは、進行方向に縦溝を切って自転車が走りにくいようにしてしまえとも思う。

 そう、自転車のモラルを取り戻すには、既に強攻策を講じないと駄目とも言える時期に来ているのは間違い無い。

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速い人、見た。

 例によって朝早くのCR走行にラングスターTTで出掛けた。今日はCR、土手道を走る人はあまり見掛けなかった。ロード系バイクなら河川の対岸側の前方500~1000m位を走ってる赤ジャージを見掛けたが、太田川橋近辺ではスルーしたくらいで印象に残っていない。
 朝は寒いんで走る人も減ったかなぁ、、、って思っていたけど、帰路で強烈なアスリートを見付けた。
 身長は170cm無いくらいで引き締まった身体に、カモシカのような脚。腰から上の高さは波打たず完璧な走りで20~25km/hは出ていたと思う。

 このコースで初めて、この人凄い!って思う人を見付けた。恐らくは、アフリカ系の黒人アスリートでマラソン等の陸上系留学生と思われる。
 素晴らしいの一言。

 自転車乗りでビックリするような人は、見た事無いってのは、恐らくは太田川沿いでは誰一人走っていないのだろうけど、このように陸上競技系の人では凄い人が走っているんだ!と妙に関心した。

 因みに、本日は、往路が17分20秒、復路が18分ジャストってところ。結構快調に走れたんだが、ふと、このコース専用のバイクを作ってみたくなった。

 ベースは2008年モデルのFUJI Track Proをベースに後ディスクホイール、前三本スポーク、ハンドルはエアロバー、勿論、ビンディング装備、ギアは前を48T、後を16Tで上り坂を捨てた仕様で作りたい。ブレーキが付けれてエアロフォルムが作れるのは、FUJI Track Pro位しか思い浮かばない。
 いろんな物欲があるけど、今の最右翼はこの形である。装備完璧で走ったらどうなるか?これが関心あるところだが、その前にラングスターで身体作りしとかないと情けない事になりそう。より長時間、よりパワフルに持続できる体力が必要だ。

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筋曜日

 金曜日は会社が定時操業日である。
 よって、定時(16:45)以降はスポーツセンターに通ってる。このスポーツセンターに通って行う運動量分だけ平日より多い訳だ。

 金曜日の運動は、朝から順に、冷水摩擦、昼ポタときて、水泳(40~60分)、40~105kgのフリーウエイトベンチプレス、ダンベル、腹筋、背筋(計50分)をスポーツセンターで行って、帰宅したら定例の運動のベンチ、スクワット、腹筋、背筋、プッシュアップを70分程度行った後に、締めでロードバイクで30km程徘徊するというもの。

 考えてみれば、アホである。平日に較べると水泳と大荷重のベンチが多いんだが、結果、土曜日は筋肉痛+倦怠感+朝の睡魔に襲われる。

 ただ、この怠さが、何となく心地よいというか、何というか不思議な気持ちになるのが面白いところ。
 ところで、毎日のメニューの自宅でのベンチプレスだが、プレスベンチを改造してからは、結構な負荷が掛かるようで、更に良さそうである。

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2007年10月12日 (金)

理想の家庭用プレスベンチ

 自宅で運動する際の機具には色んな種類がある。
 エアロバイク、乗馬マシーン、ステッパー、バルーン、ダンベル・・・・・しかし、何れも結構な場所を取るものが多い訳で、全てを揃える事はなかなか難しい。

 結果、必要な機能向けを絞って購入しているのが実状である。勿論、自分もそうであるが、自分の場合は、有酸素運動系と無酸素運動系の二種類に絞られてきた感がある。

 有酸素運動系については、当初はエアロバイク、継いでステッパーときたけど、今はロードレーサー+ローラー台という構成。このロードレーサーとローラー台ってのは占有空間的には結構場所を取る難点があるけど、実際にはロードレーサーは9kg程度、ローラー台は畳めば邪魔にならないし結構軽い品物である。

 それに対して無酸素運動系では、腹筋背筋両用シットアップベンチとプレスベンチを導入しているが、前者はともかく後者はなかなか希望に添うマシーンが無い。
 理想的にはフリーウエイトのプレスベンチが理想だが、ベンチも相応のサイズと重量、バーも長いもの、ウエイトもトレーニングとなると計100kg程度は欲しい訳であり、そんなものを置くには大きさ、重さの両面で躊躇してしまう。
 そんな場合に考えるのは、よりコンパクトで軽量なプレスベンチだが、どんな方法でもフリーウエイトのような自然な荷重負荷ってのが得られないのが欠点だ。

 最近のトレンドでホームベンチの主流となっているのは油圧シリンダーダンパー式のモノ。これは確かにコンパクトでダイヤルで負荷荷重を変えれるのだが、一番の欠点は、シリンダーをストロークさせて初めて抵抗が生まれ荷重が発生するという構造。その荷重も加速度が最大の時に最大荷重であり、保持するだけでは荷重は無いし、回数を繰り返し温度が上昇すると、ダンパーオイルの油音上昇で粘度低下で負荷減少って事態となる。
 実際に連続で50回もやると荷重は抜けちゃう。

 他の方法では、スプリングテンション方式があるけど、これは変位応答でありストロークが小さい場合は荷重が小さい訳であり、バーを支えて耐える動作では効果的だが、屈曲運動では荷重の増減する。

 一番有望なのはフリーウエイトでレバー比を変えて荷重をコントロールできるレバレッジタイプが良いけど、レバー比で2倍程度では100kgの荷重を得るには最低でも50kgのウエイトが必要となるし、レバー比を大きくするとウエイトは軽くなってもバーの長さが大きくなり占有空間的には非常に大きくなるという欠点がある。

 そんな事を考えながら、ここらで一発、プレスベンチを自作してみようか?と思う今日この頃。
 ベースはスプリングテンションを用いた方法にレバレッジ的な荷重の増幅機構を用いたものだ。この構造は、今のプレスベンチと基本は同じ構造だが、変えるのは、リンク機構を導入して、変位を与えてスプリングに変位を与えた後には、スプリング自体の変位を保ったままリンクモーションでグリップ位置を動かすという方法。
 つまりは、張力を利用しながらも、その張力を一定に保ったままにストローク可能とさせるような構造のプレスベンチである。

 さて、どんな構造になるか?楽しみである。考え方としては、初動時はストロークが大きく、終動時はストローク量を圧縮するようなカム型リンクを用いる予定。

 勿論、厳密には張力はストローク変位量に依存して変化するが、その変化量を最低限に抑える構造として、軽量コンパクトな構造を設計中である。

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プレスベンチの改造、その2!!

 先日、プレスベンチの負荷荷重アップのためにグリップ位置を追加してレバー比を変えた事を記事にしたが、その状態でも実質的な荷重が不足気味って話もした。

 そこで、本日はレバー比を見直すのではなく、本来の負荷荷重アップを目論んでラバーテンション部の増幅を試みた。方法は、テンション用ラバーを追加するという考え方だが、純正品のテンション用ラバーの入手方法が判らないんで、それに準ずるテンションデバイスを作る事にした。
 まぁ、作ると言っても廃品利用であり、利用したのは古いオートバイのジャッキスタンド用リターンスプリングで捨てる前の状態で確保していたモノ。これにシャックルを用いて、プレスベンチのテンションラバーの固定軸に引っ掛けたらどうなるか?って考えたのである。

 すると、何と言う事でしょう!

 なんと、ジャッキ用リターンスプリングの両端にシャックルを組み込んだ長さが、元々のテンションラバーと自然長が1mmの違いも無く同じという凄い偶然が!!!!

 結果、元のテンションラバーにジャッキ用リターンスプリングを並列に装備する事ができた。元のテンションラバーは一枚が15kg相当の負荷で、片側二枚ずつ装備できるのだが、この二枚に並列にジャッキスタンド用リターンスプリングを追加することができた。

 そして、この使い心地だが、なんと80~90kg相当の負荷が作用している。マキシマムでは一杯一杯に近い状態である。

 今回は1個188円のシャックルを片側でスプリングの両端で二個だから計4個購入したけど800円以下で改造完了である。

 イイ感じである。因みに、このスプリングは割と一般的に入手できるんで、負荷は結構変えることができる。また、フルロードでは荷重が大きすぎなんで、前回のレバー比を少し軽い方向にセットしなおしてサーキットトレーニングの要素メニューとして利用中である。

 それにしても?・・・・・・『完璧』である!なんていうか、激安ラバー式プレスベンチは、元々は軽荷重で恐らくは女性向け?とも思える品だが、レバー比を変えれるようにして、テンションラバーにテンションスプリングを追加しても合計で1000円少々の投資で、自分の望む形に変わるってのは楽しいものである。こういうオリジナリティが愛着となり、愛着故に、しっかり使おうって気が沸いてくる。
 なんていうか、このチープ感+日曜大工的工夫=そこそこ使えるようになるって方程式は何にしろ良い気分である。

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2007年10月11日 (木)

メタボ対策義務化!?

 今日のニュースで印象に残ったのは、来年度から企業におけるメタボリックシンドローム対策が義務化されるというニュース。
 なんでも、40歳以上の社員でメタボリックシンドロームに該当する社員を改善指導する事が義務化されて、それは強制力を持ち、達成できなければ金銭的なペナルティーを負うんだそうだ。
 因みに、三菱電機のような大企業では最悪で10億円にも及ぶという。

 この対策に企業は本腰を入れて取り組まなければならない。今までは個人の意志に任されていたのだが、来年以降はそうはいかない訳だ。

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たかが、走行キロ数

 昨日のテレビでは命を題材にした特別番組をやっていた。
 その中で目を惹いたのが『ツール・ド・能登』というレースに参戦する老夫婦の話で、なんでも、夫婦揃って癌と闘病されている方ということ。この癌と闘うのに、生き甲斐療法ということで、趣味の自転車でファイティングスピリッツを持って闘病するとの事。

 この生き甲斐療法ってのは、番組中では20年以上前の癌患者の方がモンブラン登頂を目標にモチベーションを高め癌を克服したという紹介から始まり、当時、この生き甲斐療法を提案した先生によると、運動による自然治癒力の強化によって癌との闘いを有利に進める事ができるという説なんだそうだ。

 気合いがあれば、身体の昨日は高まるんだなぁと関心する一方で、ツール・ド・能登ってレースの実態にも関心を持ったりした。

 このレースは何でも3日間で450km近くを走るという過酷なレースなんだそうだ。確かに、毎日150kmずつ3日間走り続けるってのは、それなりにハードなんだろうなぁと想像する。
 そう思って、色んなサイト、雑紙に書かれている一日の走行距離ってのを見ると、大抵次のような感じである。

・ ~50km:家族連れ、或いは、ポタリングの延長で簡単に取り組める距離
・50~100km:初~中級者を対象としたサイクリングで、出来ればスポーツ車が推奨
・100~200km:中級者以上を対象としたツーリングで、良い機材、経験、知識が必要
・200km~:上級者になって初めて走れる距離?、機材、経験、知識は必須

 って感じで言われている例が多く、ショップ主催のツーリングでも200kmというと、なんか誇らしげに語っている所が少なくない様子である。

 3日で450kmってのはそれなりにハードであると予想されるが、単発で200kmというと、印象的には、その程度は、機材も経験もそれ程、たいそうなレベルで必要は無いのでは?っていうのが正直な感想だ。

 思い起こせば、日帰りの走行キロ数と経験した時代を振り返れば、100km以下っていうのは小学4~6年生時代にジュニアスポーツ車で何度も走った記憶があるし、250km以下っていうのは中学生時代に『ロードマン』って少年スポーツ車で何度も走ったし、高校生時代以降では、350~最高で420kmって距離を走ってきた事を思い出す。
 そして、機材の差を本当の意味で実感したのは、300kmを越える距離を走った時に機材の有り難みを実感した程度ってのが正直な感想である。

 最近は、色んな講釈やら経験?とやらをトクトクと説くサイトも多く見掛けるが、まぁ、ハッキリ言って200km程度の距離は別段特異な能力と留意なんて必要ないのでは無かろうか?そんな気がする今日この頃。
 速さ、楽さの講釈に拘りすぎて難しく考えて乗るよりも、もっと肩の力を抜いて気楽に乗るってのが大事では無いか?乗り方云々ってサイトもあるけど、少なくとも、無知であっても長距離走ろうと人が思ったなら、その人なりに疲れない乗り方ってのは試行錯誤で生み出すもの。それが、人間では無いだろうか?

 なんか、型に当て嵌めたがる人、当て嵌りたがる人が異様に多いような気がするけど、所詮、遊びで趣味である。やる人の好きなようにやるのが一番楽しいのではないだろうか?
 人間ってのは、自分の行動を自分にとって一番具合の良い状態を本能的に見つけようとする習性がある。仮に変な乗り方をする奴が居たとしても、そいつが長距離を走りたがったり、速度を出したがったり思った時に、そいつが、自分の問題を考えて初めてそいつにとってのネクストワンが出てくるもの。
 趣味でも勉強でも、そういう形で当人にとって新たな発見が生まれる瞬間が最大の楽しみである。
 型に嵌る、嵌めたがるってのは、最大の楽しみを放棄するという風に考えてしまうのは変だろうか?試行錯誤の上に自分の中に生まれた考え方ってのが、本人にとっての最大の宝物だと思う。

 自転車を例とすれば、巡航速度、最高速度、一日で走れる距離が幾らか?っていうのは、どうでも良いことであり、自分にとっての数値が自分の進化によって高まっていくという過程を楽しむことこそが大事であり、人の数値を自分のモノにするために、人の方法を盲目的に取り入れたり、自分の方法を排他的に人に強制するってのは、趣味という観点から見ると、本当に楽しいのか?って思ってしまう。

 As you like! って精神で楽しむのが一番である。

 ベテランライダー、ベテランサイクリスト、マニアックショップを見ると、どうも、違うなぁと思うところがあるが、それは、価値観の押し付けが目に余る時のようにも感じる。
 大事なのは、個人が世界において固有の経験を積む上で個人特有の経験や知識や技量に応じた価値観を形成する事であり、その価値観こそが人の個性であるのでは無いだろうか?
 だから、別の手法を排他的に否定するようなサイトはどうも相容れない気がする。

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2007年10月10日 (水)

暖機状態と定常状態

 暖機運転といっても、単車のスタート前の水温、油温上昇を待つのでは無い。
 最近は、ほぼ毎日自転車に乗っている。サイコンの指示値を意識する事は無いのだが、自然な形で乗っていると、とある傾向があるのが判る。

 実走、ローラー台に関わらずだが、大体、最初の1km程、時間にして2分弱の間はケイデンスがあまり高くならない。勿論、低くしておこうなんて意識は無い。全く、何にも考えないでいるんだが、そういう状態では大抵の場合、75~85rpmって事が多いようだ。
 走る所は何時も平地なんで、使うギアは殆ど一定であり、90rpm回すと30~32km/hってギアだから実際の速度でいうと27、8km/hって所。

 そんな状態から運動を始めると、別に回転数を上げようという意識は全く無いのだが、勝手に回転数が上がる様子である。因みに回転数的には105rpm程度に落ち着いている様子である。
何にも考えずに、自分の身体が一番楽な状態っていうのは、平地で先のギア比で105rpmってところ。この域でのリズムというか、負荷というのが最も心地よく感じるから無意識にその回転域に落ち着くのだろうか?
 一定以上の時間(最低でも30分)で維持可能な状態の上限はいくらか?っていうと、同じギアのままで、115rpmってところが上限域に近い様子。
 そして、この条件での瞬間的な最高回転数が160rpm以上ってところである。

 思うに、自分の身体の準備状態が先の状態であり、定常状態が後の状態である様子。そして、この辺が自分の身体の持つ能力の平衡的な状態となる条件なのかもしれない。色々と機材のセッティング(ギア比等)を変更した感じでは、平地という条件では先の条件と回転数で走るのが最も速度が上げれて、距離が稼げると判断しているが、この条件が自分の能力を映したものだと思っている。

 この条件というのは、筋力、持久力、経験、技術、機材の調整の総和によってもたらされるモノだろう。この値を高めるのは、これら要素を高める事が必須だが、要素のどれをとっても一朝一夕に高めれるモノでは無いような気がする。特に大きなウエイトを占める体力的な要素は、私のような世代では、衰える絶対量の方が遙かに大きい訳であり、あまり夢は見ないようにしているのが、老いを感じる証かもしれない。

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プレスベンチの改造!

 先日、自宅用プレスベンチを新調した事を記事にした。負荷方法を油圧ダンパーからラバースプリング方式に変更したのが大きな点であるが、昨晩、このラバースプリング方式による負荷荷重を増幅できるように改造した。

 このラバースプリング方式はレバーを引き上げる形で負荷を掛ける構造で、レバーの支点位置から200mmの位置でラバーが固定してあり、レバーの支点位置から400mmの位置にグリップが在る構造である。つまり、グリップ部荷重はラバーテンションの半分の荷重がかかる構造であるが、グリップ位置をラバー固定位置と同じ位置に出来るようにグリップバーを追加した。つまり、ラバーテンションと等倍の荷重がグリップ位置に掛けれる構造である。実質的な負荷荷重は標準の倍となる訳だ。
 この考え方はレバレッジ方式のプレスベンチそのものであり、今回はグリップバーをレバーの任意の位置に取り付けれるように、新設するグリップバーをUボルトによって本来の機器側のレバーに固定できる構造としているために、プレスベンチ本体局部に掛かる最大荷重を変えることなくグリップ部の荷重を増減できる。

 このような改造により実際に動作させると、毎週SCで行っているフリーウエイトのベンチプレスの荷重でいうと実質で50~60kg程度の荷重が掛けれるようになった。まぁ、あくまでも体感であり、ロードセル等で計測した訳ではないが概ね正しいと思う。
 っていうのも、フリーウエイトで40kgなら連続で150回は楽勝だが、50kgなら連続で30回程度というのが自分の筋持久力の程だが、今回の改造で50回連続で行うと同じ程度の疲労感を感じるのが、その根拠である。

 欲を言えば、もう少し荷重が掛けれる構造が望ましいが、ラバースプリングを強化しすぎると、スプリングの固定シャフト(φ15mmの軸棒)が変形しそうなんで躊躇しているところ。
 敢えて行うとすると、スプリング固定シャフトを強化するか、イニシャルロードが調整できる二輪車用のショックスプリングを改造して別の位置にスプリングを並列で追加するくらいか?というところ。

 取り敢えず、今回の改造はパイプとUボルトだけで実費で350円で改造できたので良しとして、使いながら次なる案を温めたいところである。
 但し、使って間もないけど、実感としては、100kgクラスの荷重が掛けれる方が楽しいなぁと思うのも確かである。勿論、今のサーキットライクトレーニングの1要素としてなら何の問題も無いけれど、実質的に筋力強化を図るならば、どう考えても荷重不足だ。

PS 前の記事と重複するけど、今回のラバー式プレスベンチは前の油圧式に較べると随分とコンパクトとなった。部屋が広く使えるのは良い。

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伝わる『楽しさ』と『楽さ』

 趣味に限らず、仕事でも、勉強でも思う事がある。
 テーマは何でも良いのだが、何かをやる時に自分の力で何とかしようという意志ってのは、とても大切なモンだと思う。意志の力こそが、色んな発見や力を生み出す根元となっていると思う。
 意志=目的意識と執念だが、そういう奴は、何をするにしても目が輝いているように思う。

 昨晩の難病と闘う子供達の姿は正にそんな感じで、自分的には、日々の生活で改める良い切っ掛けになったと思うし、自分としても、そういう姿勢で物事に取り組んでいきたいと思う。

 やっぱり、意欲のある奴は、目が輝いているし、話しても楽しい。話題も、話し手にとっての楽しみを本当に相手に伝えようとするというか、楽しさが伝わってくる。塾の生徒なんかでも、そうだ。自分は躓いた問題について、どれ程の試行を重ねたかを延々と真剣に話してくれる。そういう一生懸命さを聞くってのは、嫌いではないし、そういう姿勢で来られると、判っている事は何でも教えてやろうと思うし、出来る事は何でもしてやりたくなる。

 人付き合いってのは、人間関係によるモノだが、相手の真剣さが判る程に、こちらも真剣になる。いわば、鏡のようなモノである。

 逆に、意欲が無い奴、他力本願な奴、体裁ばかり整える奴、言葉が舌の先が乾く前に入れ替わる奴との話には、如何に楽して答えを聞き出せないか?って狡さが伝わってくる。そういう奴は、如何に簡単に目的に到達できるか?の只の一点にのみ関心が集中し、プロセスの重要性は見えてこない。そういう狡さを持って聞かれると、敢えて何も教えてやりたくなくなるし、話が出来なくなる。

 こういう感情も、やはり鏡のような人間関係から芽生えるものである。

 話に『楽しさ』がある奴は、考えの奥底に目的意識と意欲が全面にあふれ出ている。

 一方、話に『楽さ』がある奴は、瞳の向こう側には安直に答えだけを知りたいという狡さが見え隠れする。

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2007年10月 9日 (火)

子供っていいな!

 子供ってのは、純粋に良いなって思う。何たって好奇心一杯で、何でも一生懸命する。そういう姿勢は見ていて凄く好感が持てるし、本当の意味で人間らしい。この子供っていうのは、自分の子供は勿論だが、他人の子でもそうだ。持てる能力を振り絞って出来るように真摯に本能的に取り組む姿は、感動モノである。

 しかし、人間は成長するにつれて、そういう持てる能力を振り絞って物事に取り組むって姿を失いがちになっているようである。勿論、自分もそうだ。成長するにつれて、反抗期等々を経て大人に成っていくのだが、昨今のモラルの低下と重なるように思う部分で、ティーンエージャーによる犯罪、市中における行動やモラルについては、人間本来の一生懸命さを連想させる姿がイメージできない。
 見ていて思うのは、彼らの世代でしか出来ない事、或いは、その時代においてやるべき事がある筈であり、何故しないか?周りの大人は、それが何かを何故教えてやらないのか?ってこと。教えるべきは、テストの点数を上げるテクニックではなく、人格形成と思考の論理形態を作り出すプロセスの筈だが、何か欠如しているように感じる。

 自分は、大学2年の二十歳の頃から16年間、塾の講師をバイト、塾経営等々の形で携わってきたが、教えたのは点数の取り方ではなく、お代をネタにした物事の考え方、解法の導き方、その学問の必要性を教えてきたつもりであるし、その間の数多くの生徒は学力こそ差は有るけど、どの子も、その子なりに一生懸命に付いてきてくれた思いを持っている。

 こんな思い出話は置いておいて、こんな話を書くのは、ありきたりだが、今日のテレビ番組での『難病と闘う子供達』の内容。軽はずみな事は書けないし、当事者でなければ、その気持ちは判る訳無いけど、ただ言える事は、どの子も一生懸命に生きているってこと。この一生懸命さが、ただ純粋に感動的であるというのが感想だ。

 どんな境遇でも一生懸命ってのは、ホント、すがすがしいし、自分で出来る術をフル活用して、能力を振り絞って、諦めずに邁進するのは人間ならではの行動だと思う。

 逆に、恵まれた境遇に居ながらも、己の限界を自分で決めて、行動を起こさない奴、全てを他人に任せる奴ってのは、自身のスケールから判断すると人間の形をしていても、人間というには烏滸がましい哀れな存在だと思う。

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昼ポタで気付いた事

 今、昼休みを利用して向洋から広島駅迄の往復をスピママで行っている。距離にして往復で10km程度の距離だが、これを20分弱程の時間を掛けてチンタラノンビリと走っている。

 昼ポタなんで、景色を見ながら季節の移り変わりを感じながらというのが基本である。
 これまでの景色で印象的だったのは、猿候川でカメの親子?が泳いでいたのを目撃した事が強く印象に残っているけど、先週辺りから印象的な風景は、何と言っても魚の死骸が異様に沢山浮かんでいる事だ。
 地理的には猿候川の広島湾に近いところであるんだが、海に近いところ、そうでないところの何れの場所でも魚の死骸が目に付く。

 何故だろうか?赤潮か?有毒排水か?と思いながら走っていたのだが、その原因がケーブルテレビのローカルニュースで明らかになった。

 なんでも、この夏の猛暑と長きに渡って続いた厳しい残暑により海水温が相当に高くなっているのが原因ということで、広島に限らず西南日本の河川流域全般で生じている現象との事。
 夏の猛暑が残暑という形で10月に到るまで影響を及ぼすと、こんな事態も招くんだそうだ。自然環境(生態系)っていうのは、極めて敏感なんだなぁ!と妙に関心したところ。

 そう言えば、海洋生態系の保持を目的にIMOでは航行船舶のバラスト水規制が敷かれる。バラスト水というのは、航行船舶の喫水を保つために積み込む姿勢制御用の海水であり、荷物の積み卸しに応じて排水注水する海水の事だが、このバラスト水は注水と排水は全く異なる地域で行うために、海洋微生物の運搬を図らずも行ってしまう。そして、その結果、微生物の生態系が破壊されるという問題を抱えている。
 因みに、この問題はオーストラリアで提起されたのが初であり、オーストラリアで日本固有の貝毒の原因となるプランクトンが見つかったのが原因。(そう言えば、オーストラリアには本来ワカメは無いけど、今は沢山ある。これもバラスト排水によって運ばれた結果)因みに、この毒はサリンやVXガスの原料物質と同質の物質であり非常に危険なモノで、この毒を持つ海産物を食した人間が死ぬ事もある。

 この世界の海洋を航行する船舶のバラスト水の処理っていうのが大きなビジネスとして期待されているが、これとて、人間の環境破壊に対応した動き。さっきの話の異常高温による魚の死も結局は人間の活動の果てと言えないこともない。
 考えてみれば、人間って生き物は地球という生態系を破壊する存在であり、地球というものを生物と喩えれば、人間は凶悪なウイルスみたいなものだ。

 このように破壊した生態系を戻すのがビジネスとして存在するようだが、例えば、バラスト排水時に運搬微生物を殺すという行為は本当に良い事か?というと微妙である。一番良いのは、排水自体を行わないことだ。
 また、海面近くの海水温を下げるために海水の垂直循環を行うシステムだってそうだ。見た目良さそうだが、その弊害迄考えているとは思えない。
 エコエコと言いながら、それをネタに儲けたいという企業活動にしか見えない気がする。

 自転車ネタからかけ離れたけど、自転車でポタリングして風景に目を凝らすと、日常のニュースが風景とシンクロする事が多いし、それで、記憶が鮮明に残ることもある。

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ターゲット、ライバルは誰?

 ダイエットには目標がある。例えば、何kg減量するとか、体脂肪率で何%を目指すとか、、、そんなモノがある。勿論、その値自体に大した意味が無いのが殆どであり、多くの場合が漠然とした数値目標だったりする。
 健康管理でもそうだ。自分の場合も健康診断の検査数値を正常化したいとい願いが目標のようなものであった時期がある。

 このような数値的な目標を達成した後にも、それまでの生活を続けるかどうか?っていうと、これは人によって様々である。
 但し、自分の場合は、このような数値的な目標を達成して満足感を得ている一方で、未だ継続した運動を行っている。この運動を行う理由は何か?っていうと、単純には健康のためとか、楽しいからというのが、朧気ながら浮かび上がってくる理由である。
 しかし、今の主となる運動である筋トレ、水泳、自転車のどの運動をとっても、結構ハードに取り組んでいるのは事実である。そして、運動の最中っていうのは、少しでも重く、速くって意識があるのは確かでもある。

 そうして考えた時に、その少しでも重くとか、速くっていうのは、やっている現状からの向上心的な要素もあるけど、何かをターゲットとしているのも確かである。

 一般にスポーツを競技として捉えると、他人との比較をしがちであるが、今のスポーツはあくまでも健康管理の老化防止だが、やっぱり、或る意味で、取り憑かれたような形の運動を行っている。

 そんな事を振り返りながら、過去の生活やブログ、サイトの記事を読み返してみると、プールでもCRでも挑んでくる人が居るのも確かだが、それを受けてしまうのも事実であり、案外、自分も他人に反応しているのか?と思うのだが、更に考えてみると、プールでもCRでもだが、誰も居なくても結局同じような形で運動している。他人の存在は関係無しに追い込んでいるというのが現実である。

 その追い込む理由はなにか?ターゲットは何か?と冷静に考えると、実は他人では無く、ターゲットは自分だったりする。但し、ターゲットとなる自分が、どういう自分か?というと、これは成長期における理想像である自分とは異なり、今の自分が考えると、ターゲットは過去の自分であるのが本当のところである。今日の自分は昨日の自分と同じをキープ出来ているか?或いは10年前の自分を凌駕しているか?20年前の自分を取り戻しているか?というのが本当のところである。

 これは本音であり、運動の目的は、老いる事への些細な抵抗であることからも真実である。
 振り返って思うのは、今時点において20年前の自分と比較して、劣る部分は無いと言える程になっているとは思うけど、その状態を維持するのに、自分的に結構ハードな運動が必要というのは、自分自身が確実に老衰しているという事を実感しているところ。20年前は、今のような生活をしていた訳ではなく、寧ろ、怠けた緩い生活をしていたのだが、それでも今と同じレベルだった事を考えると、コンディションを維持するのに労力を伴うって現実が、老化の証のようである。

 明日の自分は最低でも今の自分レベルを維持し、今の自分は、昨日の自分を維持するというのをターゲットに運動を続けたいものである。
 ベンチプレスでも100kgウエイトの昇降を続けれる筋力を維持し続けたいし、支えるだけなら135kgを支えたい。水泳でも50mを1分のペースで3000mを連続で泳ぎ続けれたい。遠泳なら無休で8000m以上は泳ぎたいし、100m全速の競泳ならば1分10秒以内で泳ぎたい。自転車でもホームコースである往復23kmを40分未満(1往復なら38分、2往復なら80分)で走りきれるコンディションを保ちたい。無意味であっても到達最高速度は常に60km/h以上を保ちたい。それだけが願いである。

 勿論、20年前に2ストで走った峠を当時の感覚のままに、今でも走れる自分でありたいと願うばかりである。

 そう、ターゲットは、過去の自分の最高レベルの状態である自分である。

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2007年10月 8日 (月)

抜かれたら抜きかえせ?

 自転車でもバイクでも自動車でもだが、結構、抜かれたら反応して抜き返してくる人が多い。自動車の場合は、そういう車線がある場所で無い限りは抜く抜かれたって話は無いし、単車でもそうだが、自転車の場合は、そういう場面は結構多い。

 自転車に乗って思うのは、抜いた自転車の内10%位は異様な反応で猛追してくる人が居る。そういう人は、抜かれた事が相当に悔しいのかしらないが、信号無視当然で迫るから怖い。
 エライ多く反応されるのは自分の運転がまずいか?と思う事もあるけど、考えてみれば毎日30km以上の距離を走っている訳であり、平均でも35km/h以上、実走時は40km/h近辺で走る訳であり、毎日10台以上の自転車は追い抜いているのが実状であり、その内の1台か2台が反応してくる。
 反応してくる自転車は、ロード、クロス、小径、実用車で少年からオッサン迄様々である。思うのは、日本人の自転車ユーザーの1割は抜かれたら抜き返すっていうのが普通なのかなぁ?ってところ。

 ハッキリ言って面倒くさい。邪魔くさいから抜くだけであり、抜く場所は広い所で一気にスパッと抜いているんだが、反応する人は相当悔しいのか、血相換えて、法律無視して追いすがる。何故だろうか?

 でも、ネット上のブログ、サイトを見ると、誰彼より速くとか、通勤バトルがどうこうとか、何時も見掛ける人が仮想ライバルとか、、、そんな話を平気で書く人が居る訳であり、そういう反応ってのは、世間一般では普通の事なのかもしれない。

 個人的にはウザ過ぎであるんだが、、、、。

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さよならノリック

 今日の新聞ニュースで一番驚いたのが、阿部選手(ノリック)が川崎の市道で大型バイク運転中にUターン中のトラックに追突して死亡したというニュースだ。

 ノリックといえば、今は亡き大ちゃんと幼い頃からロードレースに取り組んできたライダーであり、日本人ライダーで初めて世界と渡り合えるか?って夢を見させてくれたライダーである。
 ここ最近はMoto-GPの4スト化によって苦しんできて、最近はSBKの方にエントリーをされていたが、GP500時代は輝いていたライダーの一人である。

 大ちゃん、ノリックという日本人2ストGPマシンスペシャリストが相次いで居なくなる。寂しいものである。

 世代的に、大ちゃん、ノリックってのが一番親しみがあるし、偉大に感じられるライダーである。この二人、なんとなく漫画のバリ伝のグンちゃんに通じる天性のスプリンターぶりが感じられる。レプリカブームで幼少期を過ごし世界に通用したかもしれない二人のライダーだが、彼らはやっぱり80年代のバイクブームの申し子のようにも思う訳であり、今のバイク業界の状況を思うと、彼らのようなスーパースターは当分生まれないかも知れない。悲しいものである。

 GPライダー程の経験の持ち主であっても一般道では事故に巻き込まれる事がある。気を付けなければならない。

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2007年10月 7日 (日)

ニューチャリ欲しいなぁ。

 2008年の自転車のラインナップを見て思った。
 08年モデルで入手可能な自転車、或いは、2007年以前のモデル等々と様々だが、色々と見ていると物欲が出てくる。

 今気になるモデルは、

1.シングルスピードのトラックレーサー
 これは今のラングスターTTと被るけど、今度は帰路の団地の上り坂の事は全く考えない仕様で一台欲しいってところ。更に、平地専用化してストイックにって感じ。
 でも、それほど金を掛ける気はないというところで、見た目と装備から折り合いを付けると、

 FUJIのTRACK PROってモデル。

2.折り畳めないミニベロ
 今は、折り畳めるミニベロは全部で三台あるけど、今度は折り畳めないミニベロってところが気になるところ。基本は乗り味が想像できないという意味で、今とは全く異なるモデルが好み。乗り味が異なるとなると、本来の自分の嗜好からは有り得ないけどサス付きの小径だ。それは、

 DAHONのハンマーヘッドの2007年モデル。通常在庫は無いらしい。

3.フルサイズのオーダーロード
 夏前迄はその気満々だったけど、ビルダーさんと打ち合わせしていると、いろいろと制約が生まれ頓挫中、、、、、。欲しいのには変わりないけど、基本が既存の531ロードと極めて近い構成故に新規性って部分で優先順位が降下中。

 でも、クロモリラグドフレームの700Cロードも捨てがたい。

4.シングルスピードのマウンテン
 これも自宅の裏山を開墾してコースを造って遊ぶには良さそうって意味で興味あり。モデル的な拘りは極めて低いがあれば欲しいというレベル。

 候補は、ニシダサイクルさんの在庫のどれか、、、。

 ってところ。身体は一つなんで増やすにも程があるんだが、なんとなく1か2は何とかしたい。特に2の旧ハンマーヘッドは好奇心一杯である。
 08モデルは分割フレームにリジッドフォークにコンポジットホイールという構成で心に響かないけれど、07以前は独特なサスペンションフォークに通常のホイールに一体構造のフレームって構成。ミニベロは分割してまで小さくしたいという思いは無いし、アルミフレームの分割構造で、ましてや、シートポストをフレームコネクティングパーツに併用するのは、ねじれに対してフリクションオンリーでBB上だけで支えるという構造が心理的に受け入れることが出来ない。
 そう思うと、小径で小さくしたいならば鉄系の折り畳みフレームこそベストって気持ちは変わらない訳であり、アルミフレームなら一体モノが良い。

 小径車三台乗っての乾燥は路面のキックバックが大きいこと。特に前輪からのそれは結構大きい。実際に自動巻腕時計であるSEIKOのアルピニストの旧モデルが振動で壊れた。過去のフルサイズの自転車では経験したことの無いモノであり、そういう微振動をサスペンションが吸収できるか?っていうのが自分的に大きな関心事である。

 DAHONの海外の宣伝サイトでサスペンションフォークの作動状況を映した動画を見たことがあるけど、結構感動したのも頭に残っている。程度の良い中古でもあれば買うかも知れない。

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戦闘車両

 今日は幼稚園の運動会で、子供と嫁を車で送った後に一旦帰って、脚立を積んだスピママで幼稚園に向かった。同じく、幼稚園に自転車で向かうお父さん連中が沢山いたのだが、まぁ、急いでいたので広い場所で一気に抜いて幼稚園に向かったのだが、中には向かれた事に対して戦闘モードで追走してくるオッサンも居る。
 こういう人ってのは、車でもバイクでも抜かれたら戦闘モードに入るんだろうなぁと思うところ。ママチャリ戦闘車、怖すぎである。ウザ過ぎである。

 自転車に限らず、車でも単車でもだが、なんか抜かれる事を異様に嫌がるというか、無気になって追走してくる人が多いような気がするし、そんな事でケンカや諍いの話も聞く。
 抜かれて腹を立てるなら、端から抜かれないように普通に走っていれば良いのに、、、、。

 やっぱり、チョットした事で戦闘モードに入る人が多いし、総じて、そういう人は弛んだ身体の人が多い。これも肉食故の攻撃性なんだろうか?やっぱり、野菜を食って欲しいものである???

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2007年10月 6日 (土)

今日の自転車散歩

 散歩というには速すぎるかも知れないが、明日は幼稚園の運動会ということで、本日、CRを走行した。結果は、

ラングスターTT
朝の往路:11kmを19分20秒で、34.14km/h
朝の復路:12kmを19分30秒で、36.92km/h
オ・モイヨWW
昼の往路:11kmを19分00秒で、34.74km/h
昼の復路:12kmを19分20秒で、37.24km/h

というところ。概ね差は無いけど、実際に走った感覚としてはオ・モイヨWWの方が速度のノリが随分良いような感じ。コンディションは微妙に風が吹いているかな?(旗がなびく)という感じで往路が緩い向かい風、復路が同じく緩い追い風。
平均の速度は以上のような結果だけど、車道走行時は表題の速度+5~10km/h程度は出ている。信号で止まっているのが約1分程度だったと思うんで、信号の時間をカットすればもう少し速度は高い筈。

さて、そういう部分とは別の自宅から計測区間迄の道で思った事は、街行く自転車、歩行者ってのは、ホント前を見ていない。今日も、20代後半のオバサンがMTBに乗っていたけど、狭い歩道で離合する際に、気付くだろうと思いながら様子を伺いながら徐行して端に寄っていたのだが、直前の2m程度迄横向いて運転してる。ベルを鳴らす暇がなかったので、『オーイ!』と言って気付いて貰ったけど、結構、そういう人多い。

自歩道では親子連れが突然真横に飛び出してくるんで、つい叫び声をあげてしまう。勿論、歩行者がどんな動きをするかが想像できないんで、最徐行しているが、前方50cmというところでの突然の横移動は面食らう。

公道というか人が多いと、ホント気を遣う。デンジャラーな世界である。

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オヤジクロスのマナー、最悪だな

 今日も定例のコースをラングスターTTで走行したが、往路、復路で見たクロスバイクに乗ったオッサンにビックリ。

 往路では平気に信号無視するオッサン。これは、健康のために乗って居るんだろうし、実際のペダリングも結構シャカシャカ回してるんで詳しそう?な人なんだろうけど、平気の信号無視するようではアホちゃうか?ってところ。

 復路で見掛けたのは、自歩道から一般歩道にびっくり箱のように飛び出して罵声を吐いていく通勤途上のRITEWAYの安物クロスに乗った50代後半のオッサン。お前、自分が一番エライとでも思ってるのか?って運転。歩道は徐行。ましてや幹線に進入するなら、途中で徐行ぐらいしろってところ。

 学生連中のマナーも褒められたモノでは無いけど、こういうオッサンクロスも頂けない。オッサンクロスは、恐らくは、健康のためにということでショップで見て較べて選んだような選択の結果のようなモノに乗ってるけど、こいつら、マナーも守れないのなら子供に文句を言う資格も無さそうだが、如何なもんだろうか?

 しかし、自転車のマナーは老若男女問わず酷いものである。自転車に限らず、車の運転でも携帯当然、吸い殻空き缶のポイ捨ても日常的に見る光景。なんか、終わってるなぁって感じ。
 更には、みんな攻撃的。何かあれば罵声を吐く。そう言えば会社でも、年輩のオヤジ程、怒鳴り散らす。

 ダイエットで自転車とか乗る前に、その攻撃性をなんとかしろ!って言いたい。ダイエットが必要な身体=高カロリー食=肉食中心って方程式が成立しているのでは?と思うんで、最近は身近でうるさいオッサンには、『○○さん、レタスやキャベツのような野菜食ってる?食った方が良いよ!』って言う事が多いんだが、攻撃的な気性のデブオヤジはダイエットする前に、食生活において野菜も食った方が良いに違いない。

 日本人、殆ど、マナーというかモラルというのを失ってるような気がする。小言になるけど、更には、意志を失った、知識を持ち合わせていない大衆迎合性のみで生きる大人も多い気がする。仕事でもだが、他人と同じである事を重要視し、独創性を出そうとする人はあんまり居ないし、目的意識も無しで会社に居ってナンボ!っていう居るだけ残業で金勘定するような人が多い。

 資源の無い日本において、マナーもモラルも実力も無いと、どうなるんだろうか?

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2007年10月 5日 (金)

来年のDAHON

 先日、ニシダサイクルのお兄さんがアキボウの展示会に出掛けて、カタログを見せてくれた。
 個人的には最新のDAHONが最良のDAHONと思っているが、2008年モデルは色んな意味で興味深いモデルが登場している。

 一番興味深いのは、ハンマーヘッド系の自転車で、登場した際には、折り畳めないミニベロってノリで出た自転車だが、これが分割フレーム採用でコンパクトに畳める自転車に変身したのがエポックメイキングである。
 分割方法もDAHONらしい発想であり、シートステムを用いて分割したフレームを結合するという方法。結構インパクト強いと思った。
 この系統のラインナップとしては、従来のハンマーヘッドが上位のマコと統合された形であり、マコが消滅している。但し、新しいハンマーヘッドは旧マコと殆ど同じ仕様であり、ハンマーヘッド特有のフロントサスペンションが消滅したのは少し寂しい気がする。
 実際の使用形態を考えれば分割構造も不要だし、特有のフロントサスは個性が合って良かったと思っていただけに残念である。旧モデルがあれば欲しい。

 次に面白いのは、ヘリオスP8である。何故に、このデザインを踏襲しながらNF(non-folding)なのか?というのが今一つ理解出来ない。単純にステムとフレームの折り畳み部が無くなっただけのモデルであり、何か意味があるのか?とさえ思ってしまう。
 敢えて言うならば、テレスコピック式でハンドルとステムの上下方向の調整範囲が広いって事だが、現実的にハンドルとステム間の距離は固定なんで、意味が在るとも思えない。不思議なモデルである。DAHONといえば、畳めるがために、あのロングホイールベースが生きてくると思っていただけに、畳めないロングホイールベースっていうと、これは何を狙った自転車なのだろうか?が未だに読めない。

 他には、DAHONユーザーには不評であるDAHON NEOSのRメカがかなりのモデルで採用されている事。従来はD7モデルオンリーだったけど、来年からはP8モデル全般に採用される様子。
確かに、Rメカ交換を狙うと、特殊なデザイン故に通常のRメカに換装しにくい点はあるけど、恐らくは、この手の自転車は買ったままに乗る人の方が多いんだろうから、問題は無いだろうし、NEOSデザインを拡大採用するってのは、DAHONの信念である可搬性の向上に効果があるんだろうから、まぁ、気にならない。

 DAHONカスタムマニアには受けは悪そうだが、一般的には更に洗練された印象だ。全体的には、2004年から2005年で大きく変化した方向性の完成形に近づいてきた印象である。

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集合住宅でダイエット

 ダイエットで最も効果的なのは、何と言っても運動である。
 運動無くしてエネルギー消費は無い訳であり、代謝を行う事=運動であり、なんか食ったり、食う量減らしたりってのは、NGである。ということで、有効なダイエット方法といえば、

・最近はやりの短期間集中型の脂肪燃焼プログラム(コアリズム、ブートキャンプ・・・)
・昔ながらのエアロバイクから最近ならステッパーのような器具を用いた運動
・自転車好きならローラー台

なんて方法が思い浮かぶけど、これって行える環境が案外制限される。
というのも、今日のニュースで気にとまったのが集合住宅での子供の足音が下の階の住民の損害賠償の対象となるというニュースである。
子供の足音が迷惑行為になるならば、先の運動は集合住宅では実質的に実施不可能では無いか?ということ。
確かに、現在ローラー台を使っているけど、これは山に隣接した一戸建ての二階で行っている現状があるが、それでも一階に嫁、子が居ると、相当に五月蠅いらしい。
運用開始初日には、嫁からエアコンの室外機が壊れて変な音がするという話が出たくらい。

集合住宅で、飛んだり跳ねたり、器具を高速運動させるのは、これは現実的には不可能っぽい。
今回の子供の足音訴訟では、賠償金額が35万円との事だが、マンション住まいでは、この辺の生活も随分制限される。

考えてみれば、自動車も一家に一台に制限される事も多いし、二輪車も然りである。私のように単車を溢れる程に所有する事は許されないだろうし、休日に整備したりするのもNGである。自転車だってそうだ。エレベーターへの持ち込みが禁止される所も少なくない。

考えてみれば、幸せ者なのかもしれない。単車にしても自転車にしても何台持っても文句は出ない。部屋でローラー台回そうが、運動しようが、全く問題無いのは、当然の事のようで、恵まれた環境だなぁ!と、ふと思う。

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プレスベンチの負荷方式の違い その2

  昨日は新しいプレスベンチの使用直後の感想をアップしたけど、一夜明けての感想は、やっぱりイイ!って事。

 一夜明けての感想で一番大きな違いは、なんと、このプレスベンチではしっかり筋肉痛が出てる事。前の油圧シリンダーダンパー負荷方式では筋肉痛が出た事は殆ど無かっただけに、この違いには驚きである。
 やっぱり、負荷が掛かっている状態が違うからなのか?
 ダンパー方式では、シリンダーが動いている最中にしかオイルの流動が発生せず、オイルの流動中にのみ抵抗力が生まれるという構造だが、ラバー負荷は変位に伴う負荷付与であり、変位があるときはずっと負荷が掛かる構造でバーを持ち上げて静止状態の間はずっと負荷が掛かっているのが大きな違いである。

 筋肉痛があるか?無いか?の違いは、結局、運動中の実質的な負荷時間と強度の差によるものであり、ダンパー式は動かす瞬間のみの負荷で、それ以外では負荷が生まれないという点で実質的な負荷、時間が小さいって事の裏返しなのかもしれない。
 ラバー式はフリーウエイトのように変位とは無関係に負荷が掛けれるという質のものではないが、少なくとも静止状態で負荷が持続できるという点で、随分効果的な運動が出来そうだ。

 つい先日迄は改造して、ダンパーを追加しようと思ったのだが、仮にダンパーを追加したならばストローク開始直後こそ有効だが、目一杯挙げた状態から戻す際には、張力負荷の一部がダンパーで支えられる事となり効果を殺しかねない。
 やるならば、レバレッジ式っぽく、バーのグリップ位置を調整して実質負荷が高まるような改造の方が効果的のようである。

 ということで、どうするべきか?検討中である。

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プレスベンチの負荷方式

 本日、新しいプレスベンチが到着した。
 従来のタイプは、油圧シリンダー式に自家製ラバーバンドを併用したタイプで単純構造ながら結構大きなサイズのモノだが、今回のマシンはラバー負荷式であり油圧シリンダーは用いない構造でサイズ的にはふたまわりは小さい物である。

 さて、大きさはともかく、使い心地は如何に?ということだが、ファーストインプレッションとしては、公称の最大負荷が60kgということだが『う~ん、、、、これってフリーウエイトに換算すると50kgも無いかなぁ、、、、軽すぎか?』って思っていたのだが、バーの握り位置を変えると、それなりに負荷も掛かるんで、負荷の絶対値自体はこんなもんか?と納得したところ。
 負荷の絶対値自体は従来の油圧シリンダーと差違は感じない。但し、このマシンで気に入ったのは、さすがにラバー負荷方式でありストロークが大きくなる程に負荷が大きくなるという負荷の掛かり方である。
 想像通りに従来のダンパー式では動作加速度に応答するだけであり一定の動きでストロークしている時は動きだしの瞬間に較べると負荷が小さくなるし、ストロークさせて停止状態では負荷はゼロになるんで、ラバー負荷式は運動中に負荷が掛かる時間が圧倒的に大きいのが良いし、腕を突っ張った状態で負荷最大となるのは、ダンパー式とは全く逆となるのも良い。

 理想はフリーウエイト方式だが、こればっかりは場所と重さの問題から家庭に置くのは気が引ける訳であり、当面はこのラバー負荷方式のプレスベンチを使っていく。
 安価に買った割には満足度は高いものである。

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2007年10月 4日 (木)

禁煙で現れた変化の報告

 断煙してから3ヶ月目に突入中である。時折、一服したいと思うことも無くはないけど、滅多にない。在ると言えば、飲みの席でフラストレーションが溜まったり、或いは、人の教育中にあきれかえったりした時だけで、それ以外は煙草の事は殆ど考えることが無くなった。

 煙草をやめて良い事として一般的に言われるのは、元気になるとか、息切れが無くなるとかが多いが、そういう身体能力的に改善したか?っていうと、これは全く感じないのが正直な感想である。
 しかし、明らかに変化したと実感出来るところが見つかったのも事実である。それは、

1.歯の汚れの付き方が全然変わった。なんか、いつもツルツルキュッキュッである。
2.食べ物が美味しく感じる。
3.歯垢や歯石が付きにくくなった。
4.寝起きでの口の中のべたつきが全く無くなった。

ってところ。なんて言うか、心肺機能とは関係なく煙りにまみれていた口内環境が改善されたってところが大きな変化である。

 それと、酒の席、或いは、食後のコーヒーだが、先入観といか固定概念で、煙草が必須だと思っていたけど、案外無くても気にならないのには大きな驚きを覚えている。
 逆に、コーヒーについては煙草無しで飲んだ方が、コーヒーの種類毎の味がシャープに判るようになった気がする。そういえば、食事の味がはっきりわかるようになったように思えない事もない。気のせいかもしれないが、味覚が敏感になったような感じである。

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2007年10月 3日 (水)

Ninja 250R

 今秋の話題の一押し、それは、

http://www.kawasaki.com/Products/Detail.aspx?id=263

 である。久々250クラスに登場したスポーツっぽいモデルである。
 果たして、その正体は? パッと見は、そうだなぁ、本気っぽい様で、実はGPZ250のような乗り。今ならER-6のような乗りのバイクっぽい。
 並列ツインに細部のパーツは結構チープなんで、所謂初心者向けコミューターバイクって感じだが、まぁ、こんな形を市場に問うている姿勢は評価できるってもんだ。

 250ccという排気量では絶対性能を求めるのは無理がある。やるとすれば、上位モデルのミニチュアか、250ccならではの価値観を発揮するか?のどちらかだ。
 超勝手な自分的価値観では、250というと軽さ、キレということで、愛車でいうとグースのようなモデルが250という排気量でしか作れないモデルだと思う。
高回転型のマルチなら400でも600でも出来るし、パワー勝負なら大きい程強い。250のマルチっていうと回転が上がるだけで全くパワー無いのが現実。

 そういう見方をすると水冷並列ツインの250ccというのは何狙い?ってところ。形こそZX-R系だが、ハンドルはエライアップライトだし、ステップも低い。フレームも貧弱って所から見ると、GPXの焼き直しか?って感じで、今ならER-6ってところのようだ。
 カワサキツインってのも微妙だが、まぁ、実際に見てみないと判らないし、その評価は市場がするだろう。

 何にしろ、これを起爆剤として、他メーカーのネクストワンが出る事を期待したいところ。

 ところで、ハイエンド、フラッグシップ系以外のモデルってのは、結構難しい。なぜならば、どういう客層に向いて開発するかによって雰囲気が随分変わってくるし、どっちつかずは売れづらい。

 例えば、乗りやすい、扱いやすいといった評価のモデルでも、その評価でどんな客を捕まえるか?がモデルによっては随分と違う。

 スペック好きだけど、経験浅く未熟なライダーには、その先にフラッグシップが見えるようなモデル、ミニチュアスペックに満たされたモデルが魅力的に見えるだろうが、同じ乗りやすさを求めても、必要な機能を絞って選り好みする選択眼から選ばれるモデルってのは虚飾を廃したモデルであり、パッと見には華やかさに欠ける。

 今回のNinja 250Rは、どちらかというとエントリー向きなモデルに見えるが、自分が本当に欲しいのは、過去で言うならばSDR、グース、SVのような玄人受けするモデルであったりする。ただ、何にしろ、このクラスに、このような形のバイクが出るのは何年ぶりか?そう思うと感慨深いものである。取り敢えず、出ることは凄く喜ばしい。この芽が育つか否かは、このモデル次第である。是非是非是非是非、成功を祈りたい。

★追記(2008/05/11)★

実際に乗ってみたんで、簡単なインプレをアップした。

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2008/05/ninja_250r_eab5.html

である。ネーミングやスタイルからレプリカを夢見ると、夢破れるのが結論。
どちらかというと、EX-4/5、ER-6fという系統である。型式がEXなんで、冷静に考えれば判る事。

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ドケルバン腱鞘炎、治癒状況

 8月の初旬に左手首に違和感を感じ、丁度盆休みの頃に最悪の状況に陥った左手首のドケルバン腱鞘炎だが、盆休み以降、赤ん坊の沐浴方法を変更して左手を大きく開いた状態で子供の耳を塞ぎ、色んな角度で動かすって動作を辞めてから40日が経過した。

 途中、冷感湿布を用い患部を労りながら経過を見ていたのだが、随分とコンディションが戻ってきた。先々週のSCでのフリーウエイトのベンチプレスでは手首に全く力が入らなかったためにバーを握る事が不可能で、手を開いたままバーを載せてやらざるを得ない状況だったが、今は多少の違和感はあるものの、ベンチプレスでバーもしっかり握れるようになってきた。他にも、起床時に感じていた手首の痺れも殆ど気にならない状態。自転車に乗っても気にならない。敢えて言うならば、親指を内側に握り手首の運動を行うと特定の位置で痛みを感じるくらいである。

 しかし、腱鞘炎ってのは長引くものである。筋違えとは訳が違うようだ。因みに、赤ん坊は現在の所、3ヶ月経過で身長74cm、体重8kgと標準を大きく上回っている。個人の感想としては巨大児である。(BCGの接種を保険センターで受けると3~6ヶ月児が居るんだが、見渡した限り一番デカイ気がした。)

 これから、この重量物の寝かしつけ、抱っこ等々もやらざるを得ないが、自分の身体が壊れないように気を付けないとだめだ。更なるパワーアップが必要か?

 そうそう、そういえばプレスベンチを交換することにした。従来は油圧シリンダーメインにラバーバンドを加えたモノだが、今回はラバーバンドメイン方式だ。構造的に簡単なんで改造して油圧シリンダーも追加する予定だが、取り敢えずラバーバンド方式を採用した。

 本当はフリーウエイトが希望だが、重量がありすぎて木造二階建て住居に置くのは気が引けるために却下。油圧シリンダーは往復加速度に比例して負荷が掛かるんでじっくり挙げる、荷重に耐えるという使い方がNGで今回は却下。
 今の時代、簡単なホーム用マルチベンチは殆どが油圧式だ。油圧式=ショックアブソーバーのようなダンパーユニットであり、ストロークにより粘度の高い油が移動する際の抵抗が負荷となる。この抵抗はシリンダーストロークの速度で決まってくる訳であり、じっくり動かす限りでは抵抗は掛からないのが今一の点。実際に使っていると、動かす瞬間こそ負荷を感じるものの、ストロークする程に負荷が抜ける感じ。目一杯ストロークさせて停止状態になった時は負荷は完全に抜けているというもの。
 理想的にはレバー比が10倍程度とれるレバレッジ式のプレスベンチが良さそうだが、存在しないものは入手しようが無い。

 今回選んだラバーバンドは変位に比例して負荷が掛かるんで負荷に耐えるという使い方が可能となる。良いモノか否かは不明だが、安価故にNGならサッサと諦めれば済む事。なんにしろ、楽しみである。

 筋力を強化して、育児に挫けない肉体を得ようかいな!?まぁ、冗談だけど、、、、。

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レ・マイヨW 改造 でサーチ

 さっき、アクセス解析を見たら、サイトへのリンク元がGoogleの検索エンジンから、検索ワードが『レ・マイヨW 改造』ってのが多い様子なのが判った。

 誰か、レ・マイヨWの改造に関心があるって事らしい。自分が改造する際に調べた範囲では、レ・マイヨWの改造ページは殆ど皆無状態だった訳だが、今は検索すると自分のサイトがヒットする模様。
 誰かが何処かで改造したいのか?考える前に、悩む前に一台如何?って思う。

 いつ廃盤になっても可笑しくない不人気折り畳み自転車。検討中の皆さん、是非、オーナーになって下さい。
 DAHONよりも、フライデーよりも、R&Mよりもレアです。日本製です。重いけど結構走ります。みんなが乗ってるのを、どんなに改造しても画一的ですが、レ・マイヨWなら、もしかしたら世界に一台のあなただけの自転車が出来ます。

 オーナーさんになれば、改造のノウハウはお知らせします。仲間が増えないかなぁと願ってます。

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2007年10月 2日 (火)

好きな店、嫌な店

 全くの個人の主観である。勿論、どんな店も原則として、その道のプロだろうとも思うし、プロらしいスキルも情報も持ち合わせていると思う。更には、客商売であるからにして、顧客を大事にする姿勢はあるんだと思う。

 そういう前提でも、自分的に『この店は良い店だなぁ!』『この店は今一だなぁ!』と思ってしまう事がある。その判断基準は何か?っていうと、技術でも、品揃えでも、店主の頑固さでも、技術的なノウハウの蓄積でもない。

 そう、それは、業界の中で存在する筈のショップが、業界の他社を下げすさむような批評を影響力のある所で意志を表示するような姿勢が見え隠れするような時に、なんか、この店は信用できないなぁ、、、って思ってしまう。
 これは自転車に限らず、単車でも何でもだが、ショップによっては、他のショップの批判を公衆で行ったり、その業界の他の専門家の批評を堂々と行ったりする所は結構多い。
 そして、そのような意見を鵜呑みにする客層も確実に存在している。

 でも、どんな道にも正解は存在せず、目的は同じであっても手法は千差万別であり、自分以外の手法を否定しきれるかどうか?っていうと、そこまで掘り下げて理解しているのか?っていうと非常に疑わしい。しかし、ショップのそういう思想に完全に染まるような客は、或る意味盲目的となっており、洗脳されているようにさえ思う。勿論、そうやって顧客を得るってのは一つの商売の仕方かもしれない。だが、己のショップが正解で、他を否定するような論評を平気で行うってのは、配慮が足らないばかりか、一歩引いた視点から見ると、悪口のようにさえ聞こえるのは自分だけだろうか?

 何か、そういうのは嫌である。まぁ、それでも客が付いて繁盛しているのは、技術的に確かなんだろうけど、他を否定する論評を公に載せなくても良いのでは?って思ってしまう。

 話は関係無いけど、俺が苦手な自転車少年は、Aさんに聞いた意見を、全く他人のBさんやCさんに聞いて論評を求める。BさんはAさんの論評を述べるが、CさんはAさんの論評を聞いてくる自転車少年を諭すって状況がある訳だが、俺的には、Bさんのような姿勢よりも、Cさんの方がしっくりくる。意見をまた聞きするのもNGだが、伝聞の評価を無神経に行い受け入れるという姿勢も気に入らない。

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レ・マイヨWの何処に関心?

 少し前迄は、ブログの検索ワードに多かったのが『西DAHON』だったのだが、ここ数日は、『レ・マイヨW』が多い。
 しかし、このレ・マイヨWって自転車は既に忘れ去られた存在で、知る人が殆ど居ないし、乗ってる人も居ない。人気の無さの秘訣?は、なんといってもDAHONのように改造を楽しむにも制約?が多すぎる点かな?とも思う。でも、形的には小径折り畳みでドロップバー装備という自転車の括りでは、バイクフライデーにも近く、国産では唯一無二の選択肢でもあったりする。

 さて、以前の検索ワードの盛り上がりで『西DAHON』が増えたのは、某巨大掲示板のDAHONスレッドに紹介されたのが原因だったのだが、今回もそうかな?と思い、某巨大掲示板を色々と覗いてみた。しかし、検索キーワード『(レ・マイヨ or レマイヨ) and 2ch』のような方法ではヒットしない。

 何故に、レ・マイヨWが検索対象になっているのだろうか?っていうのが素直な疑問である。
 レ・マイヨWの気になる?長所?をリストアップすると、

1.国産唯一のドロップバー装備の折り畳み小径自転車である。
2.珍しく20インチWO(451)仕様のホイールを装備している。
3.個人の主観だが、フレームデザインが格好いい。
4.何と言っても頑丈そうな折り畳み部。

 一方で短所はというと、

1.重い。
2.多段化、特にフロントW化が困難。
3.パーツ構成が情けな過ぎ。

 ってところ。マニア的には響かない自転車。所有欲も微妙。パーツ構成も今一。一言で言って、『冴えない自転車』『取り残された折り畳み』『外した小径車』みたいなモノ。買う奴の気が知れないような自転車だ。冷静に積極的に購入する理由等何処にも見当たらない自転車である。

 そんな冷静な心を持っていれば普通にスルーな自転車だが、何故か検索ワードに選ばれている。その理由は何だろうか?それが知りたい。

 そんな、冴えない折り畳みのレ・マイヨWを何故自分が選んで遊んでいるか?っていうと、改造しにくいというのは、改造すれば珍しい。何と言っても『Made in Japan』!誰も乗っていない!ってのが大きな所。
 更には、世間で聞く折り畳み自転車の折損不良事故から折り畳みジョイント部の頑強そうな構造に惹かれたってのも大きい。実際、この部分の構造はDAHON以上だと思う。
 畳んでも究極的に小さくはならないけど、邪魔にならないサイズにはなるし、その分、長いコラム、短いステムで剛性的には他の小径折り畳みの比では無いように感じた所。

 他には、小径でロードポジションを低く作れるスケルトンを持っている点。小径で低い車高を保ったまま、トップ長(524mm)、シート管長が自分に合ってる点。ポジション作った時に、ステムとサドル落差もいい感じで、前傾しながらも窮屈でないのがGOODな点。
 そんな点に魅力を感じたのは、DAHONで小径が結構走る事に驚いて、小径で自分が走るならどんな自転車?を具現化するベースにスケルトンがピッタリだったという事。

 今、レ・マイヨWはオ・モイヨWWと愛称を付けて可愛がっているが、手を掛けた分、愛着もあるし、重量的にはオモイ(重い)けれど、最初のオモイ(思い)通りに自分の持つフルサイズのロード、ピストと遜色無く走れることに満足しているところ。

 近々、ホイールセットを入れ替える予定。既に全て準備完了。

 今度はTIAGRAハブ+ALEX R390リム+CS-6600改(11-21T)+ステルビオ120PSIという構成だが、クランクは従来通りにカンパのミラージュコンパクト(48-34T)だ。
 更に乗りやすくなる予定。10/28に新しい構成でシェイクダウン予定だ。

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何者だ?

 普通、人から何を聞いたところで、それを取り入れて自分で判断して行動したら、責任は最終的に本人の決断にあるんだと思うけど、宜しい結果が得られなかったら、セールスやアドバイザーの責任に転嫁するってのは、やっぱり変である。

 疑問点をアドバイザーやインストラクターに投げかけて、その場では恥ずかしいからか?知らないが、不明瞭な点を直接聞かず、不満を全くの第三者に言って意見を求めるのも、最初に聞いたアドバイザーやインストラクターに対しての裏切り行為ではないか?と思う。

 会話の中で助言を求めていて、助言者からアドバイスを貰った最後に、『実は、言わなかったけど、それくらいの事は考えている・・・』なんて言うなら、最初から聞くなと思うのは心が狭いのだろうか?ましてや、その助言が当人の意見と180度正反対でも、そんな事を言うのは如何な物か?と思う。

 渡り鳥のようにショップを転々として、ショップの意見を別のショップで確認するって、一体、何?或いは、ショップ外で得た意見をショップで裏を取るって何?

 自分でやりたい事、したい事、方法が全く判らないから、全てショップや他人の言うとおりにすると言いながら、聞いた事について、他で論評を得るってのは何なんだ?まぁ、それ以前に、自分が何したいか判らないって言うくらいなら、誰のために動いてるの?

 本人が理解していないスペックに踊り、そのスペックに拘り、手にしながら結果が得られない事から、物を責めるとか、スペックに怒るってのも理解できない。スペックの文言、価格だけで、物を評価する。全てを金という物差しで判断する。スペックのためのスペックに驚喜する。理解できない。良い道具、高価な道具を得たら、一流になれると思ってるみたい。恐い。怖い。コワイ。

 言っちゃ活けない事かもしれないが、これが『ゆとり』か?
 やっぱり、未成年の内には学ぶべきモノをしっかり学び、物事の考え方をしっかり理解して社会生活を営むべきである。科目、学歴はどうでも良い。何でも良いから、テーマに対して、目的は何か?を自分の意志で決めるのが第一。その意志実現に必要な手順を学ぶのが学校生活だが、その手順を遂行するに必要な知識を身に付けるのも学校だが、その辺を大事に、これから人生を歩む人には気を付けて頂きたい。

 大人になって、オッサンになって、オヤジになった後には、取り返す事はハッキリ言って不可能である。長い人生で、自分の思いを達成する事に喜びが感じれるような思考回路を育ててもらいたいモノである。

 自分の子供には、その辺を考えながら教育していきたいところ。他人や他人の子はハッキリいってどうでも良い。

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2007年10月 1日 (月)

プレスベンチの入れ換え

 先日の話ではないが、プレスベンチを入れ換える事にした。
 但し、タイプ、機能から機種を選定している訳ではなく、何が良いか?これをじっくり考えてから動くつもり。

 因みに、理想的(自分の好みの上で)なプレスベンチというと、ズバリ、フリーウエイトのプレスベンチに限る。バーにウエイトを組み合わせて使うってのが一番良い。
 しかし、これは相当な場所を確保せんといけないし、場所の強度も重要であり、欲しいウエイトの総量としては100kg(バーを除くとウエイトで80kg)相当となり、ベンチ台と合わせれば木造住宅の二階フロアに設置するには、いささか不安がある。
 この思いは今でも変わらない。

 今の段階で購入対象となるプレスベンチは、自宅の二階の部屋で使うモノであり、重たいのはNGである。だから、理想のフリーウエイトのベンチプレスは買う事が出来ない。機能的には、このフリーウエイトのプレスベンチを100点として、他のモデルを評価、比較してから決める事になる。
 なお、制約は、設置上の問題で、重すぎず、場所も取らないという条件であり、この重すぎずって部分でフリーウエイトのプレスベンチは没になる。

 ということで、今使っているタイプを紹介すると、これは基本は油圧シリンダーによる負荷調整式のプレスベンチにラバーバンドを併用したものである。因みに、油圧シリンダーは負荷が12段階で調整できるけど、現状は最大負荷で使用している。ラバーバンド自体は、最も簡単なタイヤチューブを必要な本数引っ掛けて負荷を掛けるものである。

 理想の負荷方式と制約で選ばざるを得ない負荷方式の最も大きな違いは何か?理想のフリーウエイトでは、昇降動作の速度、位置に依らず常に重力により一定の大きさの負荷が作用するというのが最大のメリットである。
 このメリットに対し、油圧シリンダー負荷方式は、上昇(シリンダー容積変化の)加速度に比例して負荷が変わる。加速度最大で負荷最大となるが、動き始めると負荷は激減する。また、動きを止めても負荷は無くなる。つまり、ベンチを最下部から持ち上げる瞬間が最大の荷重となり、それ以外では実質負荷は限りなく小さくなる。
 次にラバー負荷方式は、絶対変位量に比例している。動作開始段階では負荷が0だが、変位の増大に従って負荷量が増大する。
 最近では、テコの原理を用いてフリーウエイトの良さとマシン式の良さを両立したレバレッジタイプがあるが、レバー比は大きくても2倍程度であり、100kgに相当する負荷を得ようとすれば最低でも50kgのウエイトが必要である。10kgで100kg相当の負荷を得るためにはレバー比が10倍となる。そういう大きなレバー比では本体フレーム自体が大きく重くなるという問題がある。

 なお、最近のプレスベンチはスペース効率を追求してか知らないが、一台で多機能ってのも結構多く見る。機能が多くなる程、占有容積が拡大する傾向がある。

 このような事を考えると、一番良いのはフリーウエイトのプレスベンチなんだが、いかんせん重すぎである。誤ってウエイトを落としたら家が壊れそう。仮に、フリーウエイトのプレスベンチなら、まぁ、50kg以下のウエイトで行うしか無い訳であり今一感が否めない。
 従来機は油圧シリンダー方式を改造してラバーバンドを追加したものだが、昇降動作開始直後のみの負荷しか感じないのが今一であり、次は買うとすればラバーバンド負荷方式が良いかなぁ?と思っているところ。

 これから、じっくりと調べてコストパフォーマンスに優れた機種を選びたい。

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