地球環境エコ化と個人エゴ化の戦い
今日は夕方から家族で食材の買い出しに出掛けた。通常は、日曜日の午前中に出掛けるのだが、不幸にも?明日は秋季大祭の秋祭り、午前中は娘を連れて神輿を引くために買い出しに行けないからだ。
買い出しの前には、娘は習い事に出掛けていたので、その帰りに迎えに行って買い物して帰るという事で、町内を広範囲を乗用車で運転して思った事。
別に何のトラブルも無く、我が身には関係無い事だが、最初に見たのが、少し肌の荒れ気味で太り気味の20代の女性、ややヤンキー風の方の運転する白いライフと、中年男性で、やはり太り気味の50代の男性の運転する銀色の先代のMC前の銀色のMPVが、競うように狭い道に突進して行く。その競うように運転する前を走っていたのが、やや太めのご婦人の運転する黒いベロッサだったのだが、そのベロッサがライフとMPVの前に入ったのが、後の二台の気に相当触ったようで、物凄い煽り運転である。
私は、この三台の急な交差点への突っ込みに驚いて、間を置いて後を走っていたのだが、ある交差点でベロッサの左折に伴いライフ、MPV共タイヤを鳴らしながら追走・・・。そこで、自分は直進して普通に道なりに走っていたら、今度は何故か後からライフとMPVが暴走追走して来られる。
私は制限速度で走行して直ぐに次のスーパーの駐車場に車を滑らせたのだが、それを邪魔なパイロンとでも思うかのように、そのライフとMPVは爆走して山上の方に走っていった。
そのスーパーの帰りでは、やはりバス通りを豪快に飛ばすベンツのクーペに乗った方が居られたけど、それも反対車線にはみ出しながらの豪快な運転で坂を駆け上がっていく、、、
久々に町内を車で移動したのだが、それにしても、みんな気合いが入っているというか、なんというか目を三角に競うように爆走されていらっしゃる。
大抵の方は、不健康系な体系で肌艶も老廃物が相当に堆積しているかのような方ばかりである。そして、そういう気合い系運転される方の殆どが、車種を問わず車には運転者しか乗っていないという状態である。
一人で移動する時くらい、何人も乗れるような車での移動は控えれば?って助言したくなるし、一寸した単独移動でさえ車を使うから、そういう風な体系になる訳であり、そういう体系の元は野菜を食わず、肉や甘いモノばかり食うからである。肉ばかり食うから、肉食動物のように獰猛になって攻撃性がましているのでは?と何気なく思ったところ。
そういう人が極めて多いが、それが多数派故にそういう人が社会における普通の人のような扱いとなっているのも事実。環境がどうの、炭酸ガスがどうのと、知ったげに言う老人や名士きどり、世話役の人も居るけど、大抵、肥満デブ系の中年以上であり、大概、一人で車に乗って出歩く馬鹿である。一人で出歩くのに乗用車を使う程、環境に厳しい事に気付かないのは如何なものか?
一人で移動するならば、自転車が一番である。それが適わぬなら、単車が一番である。
単車の大排気量であったとしても知れている。ましてや、四輪よりは遙かに軽量故に、排出ガスは実質的に遙かに少ないモノである。同じ排気量の車と単車を比較すれば、重量の大きなものを動かす時の方がアクセル開度が大きくなり沢山の燃料を消費するってのは自明の理であり常識だ。エコを気取るなら、みんな単車に乗ろう!?(笑)単車の免許が無いならば、四輪運転者なら誰でも乗れる原付バイクは如何だろうか?
地球温暖化防止の地球のエコ化を阻害しているのは、人間のエゴ化であり、エゴ化の加速因子は何か?というと、野菜不足、植物性タンパク質不足の肉食生活による精神の獰猛化である。
ふと思う。地球という系を救うには、存在価値の無い奴は消えるのが一番。存在価値の無い奴ってのは、地球エコ化に害的活動する奴である。社会のお荷物である。お荷物ってのは、自己管理不調による獰猛な精神構造を持った豚である。そういう老いた豚は、薬漬けで生かされるしか長寿の方法は無いわけであり、怠惰な生活の果てに終末的な医療でコストを食う輩には保険料負担は100%以上の負担を強いる程の施策を打ち出すのは悪くない方法だと思う。
そういう施策が施されれれば、そういう終末症状に陥らぬべくライフスタイルを皆作り出すのでは無いだろうか?
エゴ的生命体をコストを掛けて存在させる。或いは、そうなる価値観を容認して、エゴ生命体が繁殖する社会を容認するというのは、エコには決して良い事はない筈である。
地球環境のエコ化には、個人のエゴ化の抑制こそが必要だ。
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コメント
こんばんは!
そうですねぇ、エコエコと言いながら大排気量化、大馬力化が進んでます。
排ガスが綺麗とは言っても、排気量あたりの有害排出物が少なくても、排気量が大きい分、絶対排出物は増えているのも事実であり、いわば、無駄が走ってるようなモノ。
しかし、こういう大排気量、大馬力=高級という価値観が根深く浸透しているのも事実であり、その高級を身に付けエコとか環境に配慮って思っている人が多いのも事実。
なんか、最近思うのは、現先進国の人口で5億人程度が50年発達しただけで、これほどの環境問題が引き起こされている現状から、BRICsとかの国で20億人以上が産業を発達させると、恐らくは10年以内、いや5年以内で相当の環境負荷が生まれるのでは?という事。
これからの発展途上国に利便性を制限させるには、先進国が手本となるような行動を発信しないと誰も同調しない気がする。
本意ではないが、個人使用の自動車は一切禁止するとかの施策が必要な時期にも思う。日本も自動車産業が引っ張る産業構造からの転換が必要ではないか?自動車なんか作らんでも成り立つ産業構造と価値観の創出が必要な時期かも知れない。
投稿: 壱源 | 2007年10月21日 (日) 22時38分
そうですね、エコといいながらドンドン大排気量で高出力化した車種が発売されてますからね~。
(ある種の)「人」は一体、何cc、何馬力、あれば満足なのでしょうか。他人より多ければエラいと思ってるのでしょうかね~。5700cc/500馬力であっても新型がでて600馬力だったらアレいいな~なんて思うのでしょうか。国内も馬力規制もなくなって何でもあり状態に突入のようですが、何でもありにしておいてコレが最後で次ぎは電気自動車になっていって、今の何でもあり馬力車は数年後には何の価値もなくなったりしたら面白いなあ~。
投稿: morimori | 2007年10月21日 (日) 22時05分