ターゲット、ライバルは誰?
ダイエットには目標がある。例えば、何kg減量するとか、体脂肪率で何%を目指すとか、、、そんなモノがある。勿論、その値自体に大した意味が無いのが殆どであり、多くの場合が漠然とした数値目標だったりする。
健康管理でもそうだ。自分の場合も健康診断の検査数値を正常化したいとい願いが目標のようなものであった時期がある。
このような数値的な目標を達成した後にも、それまでの生活を続けるかどうか?っていうと、これは人によって様々である。
但し、自分の場合は、このような数値的な目標を達成して満足感を得ている一方で、未だ継続した運動を行っている。この運動を行う理由は何か?っていうと、単純には健康のためとか、楽しいからというのが、朧気ながら浮かび上がってくる理由である。
しかし、今の主となる運動である筋トレ、水泳、自転車のどの運動をとっても、結構ハードに取り組んでいるのは事実である。そして、運動の最中っていうのは、少しでも重く、速くって意識があるのは確かでもある。
そうして考えた時に、その少しでも重くとか、速くっていうのは、やっている現状からの向上心的な要素もあるけど、何かをターゲットとしているのも確かである。
一般にスポーツを競技として捉えると、他人との比較をしがちであるが、今のスポーツはあくまでも健康管理の老化防止だが、やっぱり、或る意味で、取り憑かれたような形の運動を行っている。
そんな事を振り返りながら、過去の生活やブログ、サイトの記事を読み返してみると、プールでもCRでも挑んでくる人が居るのも確かだが、それを受けてしまうのも事実であり、案外、自分も他人に反応しているのか?と思うのだが、更に考えてみると、プールでもCRでもだが、誰も居なくても結局同じような形で運動している。他人の存在は関係無しに追い込んでいるというのが現実である。
その追い込む理由はなにか?ターゲットは何か?と冷静に考えると、実は他人では無く、ターゲットは自分だったりする。但し、ターゲットとなる自分が、どういう自分か?というと、これは成長期における理想像である自分とは異なり、今の自分が考えると、ターゲットは過去の自分であるのが本当のところである。今日の自分は昨日の自分と同じをキープ出来ているか?或いは10年前の自分を凌駕しているか?20年前の自分を取り戻しているか?というのが本当のところである。
これは本音であり、運動の目的は、老いる事への些細な抵抗であることからも真実である。
振り返って思うのは、今時点において20年前の自分と比較して、劣る部分は無いと言える程になっているとは思うけど、その状態を維持するのに、自分的に結構ハードな運動が必要というのは、自分自身が確実に老衰しているという事を実感しているところ。20年前は、今のような生活をしていた訳ではなく、寧ろ、怠けた緩い生活をしていたのだが、それでも今と同じレベルだった事を考えると、コンディションを維持するのに労力を伴うって現実が、老化の証のようである。
明日の自分は最低でも今の自分レベルを維持し、今の自分は、昨日の自分を維持するというのをターゲットに運動を続けたいものである。
ベンチプレスでも100kgウエイトの昇降を続けれる筋力を維持し続けたいし、支えるだけなら135kgを支えたい。水泳でも50mを1分のペースで3000mを連続で泳ぎ続けれたい。遠泳なら無休で8000m以上は泳ぎたいし、100m全速の競泳ならば1分10秒以内で泳ぎたい。自転車でもホームコースである往復23kmを40分未満(1往復なら38分、2往復なら80分)で走りきれるコンディションを保ちたい。無意味であっても到達最高速度は常に60km/h以上を保ちたい。それだけが願いである。
勿論、20年前に2ストで走った峠を当時の感覚のままに、今でも走れる自分でありたいと願うばかりである。
そう、ターゲットは、過去の自分の最高レベルの状態である自分である。
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