適正ケイデンスって?
最近は、休日ともなると最低でも一日60kmは走行している。走っている場所といえば、CR、河川堤防道路上~通常の車道、歩道と様々だが、走る先々で、自転車を実用品としてではなく、趣味の道具、健康ツールとして使っている人を目撃する。
自転車を趣味の道具とする人の漕ぎ方ってのは、最近の流行による情報誌や雑紙の発行部数に応じてか、記事で取り上げられる高ケイデンス信仰の影響からか、比較的高ケイデンスの人が多い様である。
この高ケイデンスってのは、スポーツサイクル~小径車のユーザーでよく目にする光景だ。
但し、高ケイデンスから違和感を感じる場合と感じない場合があり、それは、自転車のタイプで感じる事よりも別の意味でケイデンス数に違和感を感じることが多い。
そう、その違和感を感じるポイントは何か?っていうと、実際の走行速度である。走行速度が低いのにやたら高ケイデンスっていうのは、如何にも疲れそうな感じがする。
逆に、走行速度が高いにも限らずギシギシと踏み込むような低ケイデンスの場合は、如何にも膝を痛めそうな感じがするのである。
勿論、走行速度が高いか低いか?は個人のフィジカルポテンシャルによるもので、自分の評価軸で速いとか遅いを当て嵌めるのは意味無いというのは理解しているが、それでも違和感を感じることが多い。
全く勝手な感想だが、自分の評価尺度では、無風平地で走る場合は、30km/hを90rpm前後でっていうのが一番違和感が無いように感じる。つまり20km/hなら60rpm前後が普通に感じるし、40km/hなら120rpm前後って感じである。自分の場合は、実走で90rpmなら33km/h程度、120rpmで45km/h程度が多い。基本はケイデンス一定で変速しながら速度調整ってのが筋だろうけど、固定シングルに乗りつけていると、心地よく感じる速度も30~35km/hであり、走っている限りはそういう状態を維持することが極めて多い。勿論、登り坂、下り坂、追い風、向かい風でケイデンスは変わってくるのは当然だが、言ってみれば無風平地というコンディションで受ける負荷に対しては、33km/hで90rpmという出力と入力の平衡状態が最も心地よいと感じるということ。低負荷高ケイデンス、高負荷低ケイデンスを否定するのは、その姿として、低負荷高ケイデンス乗りと見えるのは、乗り手の上体がクランク回転によって小刻みに振動しているように見える場合を言っており、高負荷低ケイデンス乗りと見えるのは、乗り手の上体が捻るような動きでクランクを回している場合を言っている。要は、ケイデンスの高低の程はどうでも良いけど、結果として乗り手の上体に無意味な動きを伴っている様に違和感を感じるってことである。
具体例として挙げると、20km/h以下で110rpm?って姿をたまに見掛けるけど、なんかゼンマイが無負荷でほどけるような感じを受けるし、逆に50km/h近辺の速度を70rpm程度で全身をくねらして速度を出している様を見ていると、これまた直ぐにばてるだろうなぁ、長続きしないだろうなぁって感想を持つ。
昨日印象的だったのは、BD-1でサイクリング中のオジサンだが、20km/h程度で100rpm以上というのは凄く印象的で、追い越していく時に視界に入ってくるのが200m先という状態だが、それでも後から見ていて?????????って感じを受けたのが素直な感想だし、ガープに乗られた裕福な方の離合時の速度の出具合とケイデンスの低さは、疲労を早く呼びそうって印象が頭に残っている。
勿論、走りのスタイル自体は個人によるもので、それの良否は本人判定で納得の上だろうから別にどうでも良いことだが、それでも、どうしても自分の尺度と較べてしまうのが事実だし、そういう無意識下において違和感を、ふと感じることが多い。
昨日、実はCRの折り返し地点で休憩中に途中追い越したロードバイクに乗られた方から話し掛けられたのだが、自分で言うのも何だが、ペダリング回転が非常にスムーズで回転数の割に速度が出ていて、なおかつ向かい風で、そういう速度が維持できる秘訣は?って話を頂いたけど、その時、旨く答えることが出来なかった。
今考えても、やっぱり良い答えは思い付かない。敢えて言うならば、自分の脚を見て思うのは、やっぱり相当に筋肉質だし、長きに渡る水泳生活からか息が上がるって事が殆ど無い肺の強さかなぁって思うところである。
更に言えば、自分にとって疲れずに、距離に応じた維持可能最高速度って指標を確立して、状況に応じた自分にとっての最適な条件で機械を扱うことが出来る経験かなぁってところである。
そう、面識のある身近な人には言いにくいし、ナルシスト的であるが、自分の納得できる走りが出来る自分の身体能力と、それを旨く配分して使える知力が敢えて言えば最大の武器ってところのように思う。決して自信家では無いつもりだが、自分が納得できる考え方=自信ならば、自信を持てる積み重ねを行う事が自己満足に到る唯一の方法のようにも感じるところである。
結果として、適切=効率の良い=速いペダリングってのは、結果的に走る距離に応じて違うけど、一漕ぎで進む距離×単位時間で回せる回転数こそが速さであり、進める距離である。その値が個人にとって最も大きくできる条件が個人にとって最適なペダリングである。入力に対して出力を最大となるようにするには、無駄を最小にすることであり、それには、加えた動きが無駄な動きとなって現れないのが大前提である。
つまり、高ケイデンスに捕らわれすぎて上体が跳ねるようなペダリングはロスの塊であり、高負荷に捕らわれすぎて上体が無意味にツイストするようなペダリングもロスの塊である。身体の芯を一定に保ち、運動するのはコネクティングロッドとしての脚だけであり、駆動力に全て変換できているような様こそが、個人にとっての最適なペダリングであり、その時の負荷とケイデンスこそが、個人にとって適性なセットであるのでは無いだろうか?
まずは、現時点における最適な負荷×ケイデンスのセットを把握し、その因子それぞれを高める鍛錬と経験こそが他人や過去の自分に対する優位性を得るための必要条件では無いだろうか?自分の場合は、他人はターゲットに無く、過去の自分がターゲットである。過去の自分に今の自分が何処まで戻れるか?が一番大事なテーマだったりする。
| 固定リンク
コメント