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2007年10月23日 (火)

煙草の社会的地位の変遷

 煙草を中断してから丸三ヶ月が経過しようとしている。勿論、喫煙衝動も無く順調に推移しているが、その原動力は何か?と考えると、それは、このブログでのコメント中への喫煙中断何日目って記載のためのように思う。

 それはさておき、煙草っていうのは、社会の中で、どのような扱いを受けていたか?を振り返ってみると、

1.幼少の頃(1970年代)
 オヤジが煙草の煙で輪っかを作って出していたのを覚えている。その輪っかを壊すって行為で遊んでいた記憶がある。恐らくは、幼稚園~小学校低学年の頃であろう。家庭の中で煙草の煙が普通にあった訳であり、健康への害という面の認知度は低かったのでは?と思う。

2.中学高校の頃(1980年代前半)
 一部の生徒が隠れて煙草を吸うってのが、当時流の不良の必須アイテムのような存在。勿論、殆どの生徒が金魚状態だったと思う。学校の先生も普通に煙草は吸っていた気がする。自分は、、、、、、ヒミツである。但し、煙草=悪という印象よりも、煙草=大人のアイテムって意識の方が大きかったように思う。

3.大学生の頃(1980年代後半)
 殆ど周りの同級生は皆、煙草を吸っていた。女子大生でも吸っている人は多かった。飲み会、合コン、当時でいうディスコ・・・・盛り場は煙草の煙が必須である。
 で、国鉄(今のJR)だが、通勤時間帯のみ喫煙禁止で原則は喫煙可であったと思う。JRの車両、ホームに灰皿はデフォルト装備である。大学の教室前の廊下、ロビーに灰皿は普通にあるし、研究室内も煙草OKは当然である。街中には普通に灰皿が設置されてくわえ煙草もデフォルトな時代である。
 しかし、非喫煙者の主張が大きくなり始めた時代であり、列車の禁煙タイム、禁煙車両と喫煙が認められづらくなり始めたのもこの時代である。
 因みに、旅客機も席には灰皿が装備されているものが未だに就航している。勿論、使用禁止なのは言うまでもない。

4.現代(1990年代以降)
 今はJRにしても喫煙不可がデフォルト。喫煙可な車両の方が少数派である。街もそう。家庭もそう。吸える場所ってのは極僅かで自宅のみとかに限られている。飲食店でも喫煙コーナーは集煙設備内で喫煙者さえも敬遠したがるような煙の中に限られてしまう。或る意味、差別のようにも感じる。
 こうまでするなら、喫煙禁止にすれば良いのだろうけど、税による財源的に旨味のある嗜好品なんだろう。でも、ここまで煙草=悪という方程式を立てているのに商売を認めるってのは、矛盾以外の何ものでもない。
 ふと思うのは、身体に悪いとか、他人に迷惑とか煙草を毛嫌いする連中だが、そういう奴らは、間違っても2ストロークスクーターの古い奴には乗って欲しくないし、出来れば自動車も使うなって言いたい。煙草の煙なんぞ、内燃機関の出す排ガスに較べたら可愛いもんではないか?って、ふと思うことがある。これは、煙草中断中でも思う事だ。
 更に言うと、煙草の煙の臭い以上に人の集まる場所でヘドが出そうなモノがある。それは、女性の化粧の臭いである。臭すぎ、強烈である。倒れてしまいそうである。キツイ臭いを撒き散らす女性が集団で狭い場所に集中すると、それは煙草の煙の臭いの比ではないような気がする。

 こうして振り返ってみると、30年で煙草は随分と扱いが変わってきたようである。煙草ネタで思うのは、煙草を高級車の窓からポイ捨てしながら環境環境と叫ぶオッサンの多い事、、、、有り得ないんだが、結構、みんないい加減である。

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