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2007年10月17日 (水)

リターン組の憂鬱

 自分の趣味は二輪車である。一位は単車だが、最近は自転車も熱い。趣味とは言い難いかもしれないが長きに渡り続けてきたスポーツには、水泳、筋トレってのがある。

 これらの持続期間を見ると、

・スポーツサイクル・・・・小学5年~大学1年、その後ブランク20年、そして復活後二年
・単車・・・・ナンバー無し中学生、ナンバー付き高校~今まで続けて29年途切れず!
・水泳・・・・小学1年~中学2年は殆ど毎日、中学3年~大学1年は定期的、その後ブランク6年、そして復活後16年ずっと。
・筋トレ・・・社会人以降。15年前からずっと今まで。

って感じである。
 最も直近から始めたのはベンチプレス等筋トレだが、15年の年月を掛けても、そう学生時代から続けられている方とは、やはり到達している域に違いを感じる。この違いは埋めようのない差に感じる。

 次が水泳だが、これは長い実施期間からみると中断期間は比較的短期間であり、割と昔の感覚(水中での滑走感覚)に近い気分で泳げる。しかし、高校以前の競泳スタイルが維持できているか?っていうと極めて微妙である。

 そして自転車だが、これは中断期間が極めて長く、復活してからも間もないもの。で、感覚は?っていうと、昔とは全然違う。ハッキリ言ってまるっきり駄目駄目である。瞬間的には当時のキレというか感覚を呼び起こせるようにはなってきたが、その気分が高揚する瞬間っていうのは極僅かであり、今一今二今三以下である。

 最後が単車だが、これはさすがに続けているだけあって、どんな単車であっても、僅か数メートル走っただけで、どの単車にも身体は適応し、その単車の楽しいツボで楽しみ続ける事ができるし、クローズドコースを走れば、昔以上のラップを刻むことが出来る。峠を走っても、鳥観的な視野で客観的に自分の全体像がイメージでき、走っている先に何が起こるか?っていうのが何故だか直感的に判る。路面の状況、グリップ感、滑り出し等々の感覚が素足の感覚で受け入れる事が出来るし、コーナーでの感覚はまるでスローモーションのように感じる事が出来る。この感覚は何事にも代え難い宝物である。

 こうして、今取り組んでいるスポーツ?での感じ方の差を書き表したけど、継続って事は重要な意味があるんだと改めて思う。
 そして、一度、止めた事っていうのは、やはり感覚は錆び付いている。仮に他と比較すると、続けてきた者には迫れない、越えられない壁っていうのが存在していると思う。

 そこに壁があるかどうか?っていうのは、何か中断することなく続けた人が、その続けてきたモノで感じるものであり、それは言葉では言い表せない、個人個人の感性の世界かもしれないが、そういう域っていうのは確実に存在していると思う。

 今、自転車に結構凝っているけど、いくら凝っても、当時の感覚には戻れないだろう。そう、一度丘に上がった魚は昔のようには泳げないって感じである。

 それを思うと、レプリカ系単車で峠やワインディングって世界には、周りから馬鹿だの、ガキだの言われても、そういう世界で楽しむ感覚を失わないってのが自分の生き方での最重要課題のように考えている。そう、これは実は、仕事よりも家族よりも大事な事かもしれない。

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