オヤジになる時
人間は皆歳を取る。二十歳になり、三十路になり、不惑になり・・・・という形で全ての人は等しく老いてゆく。男性ならば年齢を重ねていくとオヤジになる訳だが、オヤジっていうのは何時からがオヤジで、何時までがお兄さんか?っていうと結構難しい。
一意的に年齢で三十路になるとオッサン、不惑になるとオッサンという分け方もあるだろう。或いは、周囲の子供からオジサンと呼ばれるようになるとオッサンという考え方もある。
自分の場合は、何を基準にオッサンと判定するか?っていうのを考えてみると、回りくどく言うと、生への執着が現れてからがオッサンでは無いか?って思っている。
生への執着=長生き願望であり、長生き願望=不健康を改善する意識の芽生えであると思うからだ。
実際、自分も長生きしたいし、不健康状態は改善したいと今は考えているが、数年前迄は、そういう事に殆ど関心を持たなかったし、不健康状態を示す数値が自分の数値であっても他人事のように感じていた。γ-GTPなんて聞くと、ガンマかよ!速そうじゃん!GTPっていうとGTRの親戚か?なんて軽いノリで考えていたし、コレステロールに善玉も悪玉もあるか、必要だから有るんだから、有りすぎるってのは良いことだろ!なんて思っていたかも知れない。
初めて成人病検診を受けた時に、異常数値が多くカウンセラーの相談を受けたものの、大抵年齢を重ねると、当時の検診数値並に異常を抱える人は少なくなく普通だよとのコメントを頂いて、なら、イイジャンって考えたのも覚えている。
色んな数値的異常が現れていても、その状態で今問題が無い訳であり、そういう異常な数値をもって身体がバランスを取っているのが自分だから気にしない!なんて解釈をしていたように思う。それ程に、健康で無い数値ばかりだとしても、自分だけは大丈夫で健康って意識が多かった。
しかし、年齢を重ねて、そう不惑直前から今の状態では、身体の異常数値は、なんらかの不適合状態の果ての姿であり、これを治さなければ早く死ぬかも、、、、という考えで数値的な異常を極力治そうと考えてしまう。そう健康に極めて敏感になっているのが今だが、それは健康を保つ事で長生きしたいと思っているからであり、何故に思うか?っていうと、人生が後半戦に入ったということを本能的に認識しているからだと思う。
ということで、オッサンの定義は、そういう意識の変化を経験したかどうかで分別されるのでは?っていうのが持論である。
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