子供っていいな!
子供ってのは、純粋に良いなって思う。何たって好奇心一杯で、何でも一生懸命する。そういう姿勢は見ていて凄く好感が持てるし、本当の意味で人間らしい。この子供っていうのは、自分の子供は勿論だが、他人の子でもそうだ。持てる能力を振り絞って出来るように真摯に本能的に取り組む姿は、感動モノである。
しかし、人間は成長するにつれて、そういう持てる能力を振り絞って物事に取り組むって姿を失いがちになっているようである。勿論、自分もそうだ。成長するにつれて、反抗期等々を経て大人に成っていくのだが、昨今のモラルの低下と重なるように思う部分で、ティーンエージャーによる犯罪、市中における行動やモラルについては、人間本来の一生懸命さを連想させる姿がイメージできない。
見ていて思うのは、彼らの世代でしか出来ない事、或いは、その時代においてやるべき事がある筈であり、何故しないか?周りの大人は、それが何かを何故教えてやらないのか?ってこと。教えるべきは、テストの点数を上げるテクニックではなく、人格形成と思考の論理形態を作り出すプロセスの筈だが、何か欠如しているように感じる。
自分は、大学2年の二十歳の頃から16年間、塾の講師をバイト、塾経営等々の形で携わってきたが、教えたのは点数の取り方ではなく、お代をネタにした物事の考え方、解法の導き方、その学問の必要性を教えてきたつもりであるし、その間の数多くの生徒は学力こそ差は有るけど、どの子も、その子なりに一生懸命に付いてきてくれた思いを持っている。
こんな思い出話は置いておいて、こんな話を書くのは、ありきたりだが、今日のテレビ番組での『難病と闘う子供達』の内容。軽はずみな事は書けないし、当事者でなければ、その気持ちは判る訳無いけど、ただ言える事は、どの子も一生懸命に生きているってこと。この一生懸命さが、ただ純粋に感動的であるというのが感想だ。
どんな境遇でも一生懸命ってのは、ホント、すがすがしいし、自分で出来る術をフル活用して、能力を振り絞って、諦めずに邁進するのは人間ならではの行動だと思う。
逆に、恵まれた境遇に居ながらも、己の限界を自分で決めて、行動を起こさない奴、全てを他人に任せる奴ってのは、自身のスケールから判断すると人間の形をしていても、人間というには烏滸がましい哀れな存在だと思う。
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