健康な時間の使い方
心も身体も健康に生きるには、限られた時間を如何に使うか?が結構大きな問題のように思う。
人間、生きていく上で絶対的に書かす事の出来ないモノを列挙すると、
1.十分な睡眠時間(1.5時間の倍数時間)
2.定刻通りの朝昼夕食
3.十分な運動
となり、更に加えるとすれば、
4.本心からやりたい事
5.気持ちが安らぐ場所と時間
6.欲望を満たすだけの財力
って言う事になる。しかし、どんな人にも等しく全て、与えられる時間は一日24時間であるっていう事。そんな24時間を如何に振り分けるか?が健康で長生きを得るためのテーマでは無いだろうか?
まずは寝る時間っていうのは1.5時間の倍数として考えると、6時間睡眠、7.5時間睡眠、9時間睡眠が現実的に考えられる。自分の場合、短期的ならば3時間睡眠も4.5時間睡眠も可能だが、そういう睡眠時間では間違いなく翌日の日中には睡魔と闘わざるを得ない。最近は6時間睡眠でも厳しい。7.5時間睡眠は必要かと思う。
この時点で24[時間]-7.5[時間]=16.5[時間]となる。活動時間が16.5[時間/day]であるが、欲望を満たす財力を確保するには、厭でも労働というか勤務しなければならない。その時間を昼休みと併せると、午前7時20分に家を出て、速くても午後7時20分に帰宅となる訳で、そうすると12時間が財を成すために費やさざるを得ないのである。ここで残りは、16.5[時間]-12[時間]=4.5[時間/day]となる。
午前7時20分に家を出るとなると、洗面、朝食に要する時間を引くと、起床時間は遅くても午前6時50分が限界である。この起床時間から7.5[時間]の睡眠時間分を遡ると就寝時刻は、午後11時20分となるのである。因みに、家に帰る時間が午後7時20分として、夕食育児を手早く行ったとしても午後9時頃迄は掛かってしまう。
ということで、この時点で使える時間ってのは午後9時から就寝時刻である午後11時20分くらい迄となる。つまり、一日の内で実質的に使える時間は2時間20分しか無いのである。さらに、ここで入浴の時間として20分を引くと、僅か2時間しか使える時間が無いって現実に直面する。
ここで、上記項目の3、4、5以外は消化できているのだが、3と4を、残りの2時間を使って行う必要があるのである。
ところで、今のフィジカルコンディションを維持するのに、どの程度の運動を行っているか?っていうと、『筋力強化日記』にコメントしているように1時間程の筋力系サーキットトレーニングと1時間程のローラー台を行っているのである。つまり、この運動を行うことで1日の時間を全て使い切っている訳である。結局、チョット気を抜いてボーッとする5の時間が無いのが問題である。
勿論、週末には平日の運動によって維持したコンディションというか身体能力を発揮させるべく、単車に自転車に水泳にと動きまくるのであるが、平日があまりにもスケジュール的にタイトなのが問題となっている。
自由な時間を得るには、寝る時間を6時間にするって事になるのだが、その場合でも就寝時刻としては午前0時50分ってなるのだが、これをやると、ホント脳が痺れたような感覚になるんで頻繁には出来ないのが現実である。ワンモア2時間をどうやって確保するか?これが問題である。今の運動時間中は筋トレもローラー台もヘッドホン併用でDVDや音楽鑑賞が行えるし、ローラー台の場合はブックスタンドで本を読みながらって事もやるが、いかんせん手足の自由が無いので大した事は出来ない。
寝る時間は7.5時間を確保しつつ、あと2時間、いや、最低でも、あと1時間を得るにはどうすべきか?を考えると、現在の住居も勤務先に極めて近いという現状から通勤時間の短縮も望めない現状では、もう少し早く家に帰る事くらいしかないのである。
普通は、運動を減らして休養に充てるとかの考えになるのだろうけど、運動自体が趣味みたいになっており、減らしたくないのが問題である。本音を言えば、もっと動きたいくらい。今の運動メニューはここ数年でかなりブラッシュアップされていると思う。
しかし、多忙を極める現在、多くの従業員さんと別行動をとって帰宅を早めるのは現実的に不可能である。今後、歳を重ねて体力の衰えが更に顕著となってくると、努めて日常の運動時間を増量する必要にも迫られるだろうし、回復のためには睡眠時間も更に長く必要となってきそうである。
勿論、多くの周りの人と同じく、年相応に老化し、加齢に応じた趣味に変遷する(例えば、ゴルフ→ゲートボール→散歩)のもアリかもしれないが、性格的に受け入れる事が出来ない。
果たして、今現在は辛うじて運動の時間、睡眠の時間、就業の時間・・・が24時間に入っているけど、子供の成長に伴い、育児の時間も増えていく。加齢による睡眠の時間も増えていくとなると、、運動の時間は確保できるか?今以上に会社に長く居なければならないか?と考えると頭が痛くなるものである。
あまりに怠けた勤務態度となると、財を成す力も失うし、そうなると活力の源泉である趣味や欲望が満たされない。この辺が大きなジレンマである。
大人になって成長する事が、即ち、己の欲望の封印であるならば生きる価値は世代を進める事、命を繋ぐ事だけが目的か?という事になるけど、それでは楽しくない。
最近、思うのは、蓄財能力(?)を高めるべく特異な職務を行ってきたけど、そういう生活を15年以上行って、年功序列的にスライドしてきた同世代に比較してどうか?と冷静に見ると、掛けた労力程の蓄財能力の差が生まれていないのが現実であり、物事への思考あたりの単価で考えると損の方が大きいのが実感である。そして、これが日本の企業風土の限界か?とも思う事がある。良かった事といえば、現代サラリーマンが抱える企業内ストレス(ノルマ、パワハラ・・・)が殆ど無い事くらいか?やりたい事を好きなようにやれるし、ペースも自分次第って事で負担が皆無って事(これは結構重要なのは理解できる。勤務先企業の年輩管理職は、潰瘍、癌、腫瘍と闘う人が多い。職場にもよるけど50%以上は何か患っている。過去には原因は知らないが自殺した人も居る。宗教に走る人も居たみたい。)。
限られた命の時間を一番有効かつ己にとって有意義に配分するには、どういう方向性を選ぶか?これは結構難しい問題である。業務のロード、現状、企業収益推移と自身の収入の推移、安定性、確保可能な余暇時間等々のバランスを見計らいながら方針を定めて行くことになるのだが、基本は、限られたエネルギーをセーブモードで運用していくって事になりそうだ。
究極的には、今のポジショニングで新しい何かを生み出し、それをネタに独立して時間あたりの収益性を極限にまで高めるポジションに移るってことが一番良いように思う。大ぴらには言えないけど、自分で価値を創造し、それを商売にする社長になる事のようなもの。
そこに到る迄の生活レベルの最低限度としては、現在と同じ生活を維持するのに、今の家を出て帰る迄の12時間って時間を如何に短縮させるか?が鍵になる。それが仮に6時間となれば、自由な時間が6時間増える事になる訳である。
やりたい事をやるために生きる訳であり、その時間は24時間(睡眠時間を除くと16時間)しかない。そのやりたい事をするために、負う時間が12時間ってのは、目的の時間が短くなっており、それはやっぱり変であると思う今日この頃である。
まぁ、こんな事を言ったら、何を舐めてやがる!ってお叱りをうけそうだが、これは結構本音だったりする。基本、根っからの不真面目野郎なんだろうって思う。馬車馬のように働く気もないし、生活に追われるのも嫌である。やっぱり、楽しく過ごすってのが一番である。そのためには、元気が一番だし、楽しく稼ぐのが一番である。努力って言葉は、元気な身体と保つための鍛錬のためだったり、楽しく稼ぐために人が思い付かない知識を発揮させるためにあるだけである。
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