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2007年11月 1日 (木)

人格は変えれるか?

 人の個性は実に様々である。個性というか性格っていうのは、当人の成長過程における体験(外界からの刺激)によって形成されるものである。

 こういう人格っていうのを変えるのは至難の業かもしれない。そんな事をふと思ったのは、いつぞやの自転車少年だが、彼とは趣味系の話しは基本的に行わない付き合いとなっているのだが、ひょんな事で、現状について話を聞く機会があり、話を少々聞いた所である。

 元々、彼は自分にコンプレックスを持っており、何かをやる時には先生のような存在が必須という考えを持っている。但し、先生の言う事を自分で取り入れるか否かの判断を自分で下せないという欠点を持っており、その欠点故に、人間関係の構築が旨くいかない感じである。
 それはさておき、ここ一月程度は、地元のプロショップに出入りして練習会に参加する等しているとばかり思っていた。
 なんでも、最初はショップマネージャーの方が色々と教唆してくれて実に有り難いと言っていたのだが、最近はどうも違うようである。最近は、色んな助言に疑心暗鬼を抱き、助言の質問に対して本人が納得できる答えが得られないのが不満なんだそうだ。
 結果、その不満によって、そこでの練習会やアドバイスの類は本人にとってミスマッチと判断したそうで、そのショップではパーツ購買の付き合いに留めるという、、、、、。

 判らないから、詳しい人に聞く訳であり、詳しい人の回答が理解出来ないからNGと判断するっていうのは、中高生が受験勉強をする際に、難問題に直面し、それが説けないからといって解答を見たものの、解答の意味が判らないから、その説明はNGと判断するのと似ている気がする。問題は、相手が参考書や問題集というモノならいざ知らず、相手が人生の先輩にあたる方の場合は、問答の中で相手がどう思われているか?は、恐らく察せられている筈、、、、。きっと、先生の立場なら嫌な気分になるのでは?と想像する。

 勿論、本人に全て落ち度が有る訳でも無いだろうし、当人の相手側にも何某かの落ち度があるだろうと思う。しかし、人間関係なんて、そんなモノである。一方が全てに渡り完璧って事は無い訳であり、そういう前提で聞くにしても教えるにしても立場を弁える必要がある。そして、何にしても、助言だろうが、何だろうが、最終行動は自分の意志で行う訳であり、その意志行動による結果が自分の理想と違ったとしても、その責任は判断を下した自分にある筈なんだが、、、、。自分の納得できる答えや結果が得られないとなったときに、その責務を相談者に求めるってのは如何なものだろうか?

 そうやって、色んなショップを渡り鳥のように渡り歩いて本人には何が残るのだろうか?他人毎ながら少々心配である。
 趣味にしろ仕事にしろ学業にしろ、本人には自己の判断で行動するように!と強くいっているのだが、判っているのか、判っていないのか知らないが、私には、『○○さんの言うような考え方から言われたようにする事にした!』って言っているけど、この先はどうなるだろうか?

 趣味、仕事、学業以前に自分の意志で自分の判断を下せるような性格というか自信をもてるようになって貰いたいものである。

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