『メタボ』な人による、『メタボ』な社会、組織、会社
去年辺りから世間に浸透してきた言葉で『メタボリックシンドローム』って言葉がある。
この言葉は深く関心を持って考えて、知る程に怖さが実感できる言葉なのだが、どうやら世間的には、その怖さを真剣に怖いと捉えていないのでは?と思える雰囲気を感じるのは自分だけだろうか?
確かに、メタボリックシンドロームという言葉が浸透し、中高年世代における健康への意識の高まりをムーブメントとして感じられるようになったのは間違いないけれど、その健康の手に入れる方法の流行が、簡単なフィットネス機器による方法、短絡的なサプリ、美容系ダイエットのようなモノばかりが持て囃されている。
去年の保険会社の川柳でも『妻サンボ、息子スノボ、俺メタボ』のようなノリで、結構楽観的なイメージが先行しているように思うが、これは気のせいだろうか?
それもこれも、この疾患の前段状態を横文字で『メタボリック』と表記して広めた事が、世間で軽んじて捉えられている原因では無いだろうか?そして、その状況からの回復には、即効的なサプリ、安直エクササイズ、簡単フィットネス器具で十分という認識を植え付けていないだろうか?
何か、その安直さは、問題を安易に考えた結果のように思うのは自分だけだろうか?
そもそも人体機能の健全性の保持には、人為的、人工的な機器や薬剤は不要であり、本来の機能を働かせる事で十分に対応可能である筈。そして、それが最も弊害が少なく効果的である筈。唯一の難点は、ライフスタイルの改善に時間を要するという即効性が無いということだが、この大原則を逸脱した取り組みばかりが持て囃されている現状には、ある種の危うさを感じるものである。
『メタボリックシンドローム』なんて言葉でなく、素直に代謝機能異常とか、代謝機能喪失前兆とかの日本語熟語を用いて、視覚的にも重篤なイメージを読み手に与える方が良いのでは?と思う。
どうも横文字は怖さがイメージ出来ないのである。自分もγ-GTPって項目での異常値が出ていたけど、γ=ガンマ=単車とか、GTP=IMSAのカテゴリーってイメージが先に来て、怖さ以前に、まぁイイか!って考えていた事もある。無関心であっても、高血圧とか血糖値とかの項目の方に神経質になっていた。
特に、メタボ状態のように自覚症状が無い場合は、怖さの前にギャグってしまう気がするのである。
自分だけかもしれないが、日本人には漢字の難しそうな語句の方が心の奥に入り込んでいくように思うのである。
今、街は忘年会シーズンである。そこで見かけるのは、強烈にたるんだ腹を更にぱんぱんに膨らませ、顔を真っ赤にして夜の街を笑顔で徘徊しているオッサン軍団である。本当にメタボリックシンドロームを認識して怖さを感じていたら、笑っている場合では無いのでは無かろうか?
過度に異常に結びつく数値に神経質になる必要もないけれど、異常値だらけを自覚症状が無いからといって放置して良い程に楽観できるものでもない。正月休みを挟んで忘年会、新年会で何キロ太ったとかを笑顔で語るようでは、自己管理能力ゼロと言わざるを得ない。
企業において管理職世代にメタボリックな人達が多いけれど、自己管理できない奴らが、組織を管理できる筈が無いのである。自己管理出来ない奴に組織管理させている会社は、会社自体の管理能力があるとは言い難いのである。自分の管理が出来ない奴に、それ以上に広い範囲の管理が出来るとでも思う考えがあるとすれば、それは大きな間違いだ。そういうのは管理とは言わず、組織における命令系統の節における精度の悪い伝達係であり、上から言われた事しか出来ない奴にしか過ぎないのである。それは管理でなく、誰でも出来る伝言屋に過ぎないのである。
俺に言わせれば、健康に難点がある奴は、働く資格等無いのでは?ということだ。そういう施策を行政が打ち出す事が出来れば、働くためには健康管理が必須であり、メタボ予備軍の大幅減少が可能となりそうだ。
反論としては、中間管理職のストレスのはけ口として、酒や食で紛らわせるという話も聞くけど、それは管理すべき職務が全うできない不満を、他の行為で紛らわせるという管理行為の放棄である。要は、仕事をしていないのと同じであり、管理職としての賃金、手当を貰う資格等無いのである。
首を上役に対して縦にしか振れないのは、中間管理職だろうが役員だろうが、存在価値は全く無いのである。
そして、大抵はそういう奴ほど、心身に異常を抱えているのである。究極的にはメタボ=代謝異常という機能障害であり、身体に機能障害を抱える社員に組織管理を任せた組織自体も実はメタボ≒機能障害を来していると言っても過言ではないのである。
デブ、メタボ、アル中・・・・いろんな奴が会社勤めしているが、そういうのは一度リセットして、健康管理という自己管理できるようになって、出直すべきでは無かろうか?
健康第一であり、管理職、非管理職に限らず、自己管理できる奴が、社会を動かす資格があるといっても過言ではないのである。そういう意味で、『メタボ』なんて軽いイメージは消し去って、重い言葉で心の奥底に植え付けて、それが改善できないと、どうなるか?(例えば、職、食を失うよ!)っていう深刻さを思い知らせる事が、個人の意識改革に最も効果的であると思うのである。
良い活動をする組織ってのは、複雑な組織が効果的に機能している訳であり、その部署間の調整能力を司るのが管理職である。そんな管理職の身体も、高度なバランスによって健康が成り立っているのである。代謝という生命維持の根幹に関わる活動は、様々な器官が複雑に絡み合って平衡性を保って維持されているのである。そういう複雑なバランスを安直なサプリ、器具で修正する事は原則不可能である。組織における破綻も、特定部署への責任転嫁のような方法では解決が得られないのと同じである。
組織も人体も同じであり、高度に複雑化した平衡性の上で成立しているのである。極当然の事だと思うのだが、多くの人は、それに気付いていないようであり、これが理解出来ない奴ってのは、言い過ぎかも知れないが、存在価値は無いのである。
そんな事を考えると、平衡性が維持できない人が沢山いて、そんな人が作る会社とか組織、社会ってのも実は平衡性が維持できていないように思うのは言い過ぎか?社会に対する行政施策さえも対処療法的であり、因果に基づいた根本対策に見えないのは、政治家の脳内も代謝機能不全に陥っている証かもしれない。
中高年のメタボ、、、、実は日本社会がメタボかもしれない。
ということで、今日も辛口全開である。ハハハハハッ!トークが花火のように飛躍してしまった!!!!
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