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2007年12月28日 (金)

昭和と平成

 水曜日のビートたけしさんが進行を務める番組で、昭和と平成の間、1989年、平成元年という時にスポットを当てた番組を見た。

 番組の中では、昭和天皇、美空ひばり、阿久悠、松下幸之助、中内功・・・といった昭和を活躍した人の生き様と当時の時代、世相を振り返る事で、現代の世相や価値観の原点を探るというモノである。

 そんな事はさておいて、1989年、平成元年がどういう年であったか?を振り返ると、バブル真っ盛りの時代というのは有名だが、自分はどう過ごしていたか?を考えると、大学院進学の年であり、世間のサラリーマンのような形でバブルに接していた訳ではない。
 但し、当時は、大学生活前半の塾講師のバイトという形から、塾を作って経営(運営)するというスタイルに移った時でもあり、一般の大学生以上の収入があったのは確かである。バブルの恩恵を直接受けた訳ではないが、当時は、自分の塾の給料日、バイト講師の給料日、家庭教師代金の受領日を毎月1日、11日、21日と定め、10日毎に十数万円が手元に入るような生活をしており、夏休み、冬休み、春休みの講習シーズンでは、通常月の2~3倍の収入を得ていたような時期でもある。
 まぁ、バブルという時代で、親の子への教育熱が高まり、親の収入も潤っていたために、教育費を存分に支払う事が普通という時代故の生活であったのは確かだが、それでも、バブルの象徴である株や絵画で儲けた訳でないので、それなりの自負は持っている。

 そんな時代への回想とテレビ番組の進行の中で印象深かったのは、モノの価値を定める定価という概念が消失し、価値を決めるのは供給側から消費側に移ったという話と、歌謡曲の評価で、昭和以前の歌詞から内容が社会的普遍的に通用するモノから平成以降では書き手個人に特化したモノに変化したという話である。
 大きくは価値観的には、全てを判りやすい尺度に当て嵌めて、その価値判断は普遍性を有さずに全くの個人主義に変化したという印象である。そういう価値観の変革点が1989年という時代だったのだろうか?ふと、そんな事を考えたりする。

 今の時代もそれなりに好景気であり豊かな時代とされているが、当時と現代では、やっぱり同じではない気がするし、昭和世代の自分から見ても、国としてのパフォーマンスは落ちているのでは?という気がしてならない。

 話が少々跳ぶが、ここ数年の傾向は、全ての分野で懐古主義的な空気を感じる。テレビCMで選ばれている音楽も1980年代モノが多い。工業製品のレトロ志向は車、単車を見ると顕著に判る。最近では、パチンコの宣伝で、仮面ライダー、宇宙戦艦ヤマト、北斗の拳を始めとした昭和漫画を題材にしたモノが多い。通販番組の定番は懐かしCD大全集ということで昭和のヒットソングをまとめたCDの通販は今や定番であるし、民放からNHK迄、深夜の番組プログラム終了後は、昭和の映像と音楽を流すのが定番である。

 この傾向は以前から判っていたことで、当時を懐かしむ風潮が大きいのかなぁ?って程度しか思っていなかったけど、最近は、殆ど全ての商品のキャラクター、イメージソングに昭和をモチーフとしたモノを用いている様を見ると、商品の購入層を1980年代に思春期を過ごした人をターゲットにする事が商売繁盛の秘訣と売り手側のマーケットリサーチの答えが出たんだろうと思えてくる。
 消費を牽引する世代っていうのは、昭和(1989年)以前に思春期を過ごした人達というのが日本の姿のように見える。そうは言っても、既に2007年も終わろうとしており、1990年以降で17年も経過しているのだが、90年代以降の世代による消費の牽引というのが全く見えない日本っていうのは、この先大丈夫か?と思うのは考えすぎだろうか。或いは、もう10年もすれば90年代以降2000年代初頭の消費意欲を刺激するような時代がやってくるのだろうか?
 ただ、回想すると1980年代、1990年代において、その時代における30代以上の消費世代の購買意欲を刺激するような販売戦略は無かったし、1980年代では、とにかく先(未来)を向いた新しいモノに強い関心を示す人が多く、そういう方向で社会は動いていたように思う。現代においては、先に向くというのではなく、懐古するという後ろ向きの方向で社会が動いているようにも思う。

 ただ、マーケットの活性化、社会の活性化に今の40代を刺激するための懐古戦略があるとすれば、それは多分失敗に終わるように思う。当時の奴らは、そんなに懐かしむ傾向は無く、どちらかというと新しい物好きである。新しい価値観には飛び付くけど、経験済みの分野には無関心って奴が多いのも事実であり、どんな時代でも新しい価値を提案し続けるようなマーケット戦略が無いと、40代以上の関心を集めることは出来ないのでは無いだろうか?

 勝手な話かもしれないが、少なくとも、自分からみて、懐古調のギャンブル、懐古調の車やバイクに全く関心は無い。関心があるのは、見た事も無い、想像も出来ないようなモノ。想像出来ないから味わってみたいという気持ちが芽生えるのである。好奇心を刺激するようなモノで無ければ購買欲もそそられない。
 だから、単車でいうとゼファー、W、今のXJR、CB-SF系なんか、全く興味ないし、欲しくもない、面白そうにも思わない。今やビンテージのガンマやGLが自分のお気に入りだが、このような単車は1970年代、1980年代には前例の無いモノで、乗らない限りは判らない代物であり、それ故に、興味を持ち、購入に到った訳である。
 自分のような考え方が普通とは思わないが、やっぱり時代が進むんだから、新しいモノを提案し、好奇心を刺激し続けられるような社会であってもらいたいものである。

 常に、好奇心を刺激する社会とは、即ち、新しい価値やモノが矢継ぎ早に登場する社会、技術革新の早い社会である。即ち、創造力豊かな人が多く居る社会の事。つまりは、既存の価値観の上に新しい発想が出来る人が沢山いないと駄目な筈である。

 そういう目で、ふと周りを見る。自分の勤務先の同僚、部下、上司、関連会社のスタッフ、時々勉強を教えてやる子供達・・・・・こりゃぁ、期待出来そうにない。創造力があり、好奇心があり、独立心があり、って奴が殆ど居ないのが現状。
 もしかしたら、社会を構成する人間のパフォーマンスレベルが下がりっぱなしなのか?そう考えると、みんなみんな、体裁を取り繕い、結果(金)だけを求めるというのが標準という社会になってしまったのだろうか?それなら、最近のモラル低下の問題、公営ギャンブル、公認ギャンブルの異常な普及も説明できる。

 こんな時代に向かった節目が番組で言う1989年という年だったのだろうか?

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