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2007年12月21日 (金)

歳取って変わった考え方

 最近の関心事は、何と言っても健康についてである。35歳になるまでは、そんな事は全く考えず、健康である事は当然の事だと思っていた。

 それ故に、元来の性格、負けず嫌いの、何でも一番が好き、凝り性という性格から、給料は多い方が良い!昇給、昇進、成績も当然そう!そのためになら、誰にも負けない事が出来るようになる!って気持ちを持っていた。

 しかし、、、、

 最近は、そういう感覚は皆無に近いのである。性格的には、相変わらず凝り性だが、それ以外の事に関しては、あんまり気にならなくなってきた。というよりも、他人と競う事自体が関心が無いというか、嫌になってきたのである。役職、給料についても、まぁ、どうでも良いか!って気持ちの方が多いのである。

 それは、何故か?っていうと、、、、

 やはり、健康であり、命という限られた時間を如何に過ごすか?を考えた時に、優先順位の上位には、学業や仕事や、生活の裕福さよりも別の事が来たためである。

 一番大切な事は何か?というと、昔から言われている健康第一で、好きな事を好きなように出来る身体が大事ということである。好きな事をやるには、健康な身体が長期間維持出来ていないと出来ないのである。判りきっていた事だし、誰もが言っていた事だが、要約、自分にもそういう感覚が芽生えたのである。

 その理由は、何か?というと、

 実は、自分と同世代の人間の多くが、今社会問題になっているような健康を脅かす要素によって、回復不可能なような疾病状態に陥ったり、命を落としているからである。同世代の人間で両手の指で足らない程の人数の友人が、命を落としたり、長期入院による闘病生活を行ったりしている様を目の当たりにすると、同じ時代を過ごした同世代の自分にも等しくそんな事態が襲いかかってもなんら不思議はないと思っている。

 昨今の命を脅かす、生活習慣病、癌のような病について、一般的には個人の生活習慣の影響が大きいと言われているが、自分としては、同じ時代を生きる人間のライフスタイルがそんなに差があるか?というと、それよりも、時代によるライフスタイルの共通性の方が高いために、世代毎の社会問題として、頻度の高い疾病が現れるのでは?と考えている。
 それ故に、周りの人間に襲いかかった癌、腫瘍、糖尿病・・・・っていうのは、リスク因子を自分も持っていると思っている。

 これ程までに、同世代の友人がやられると、ハッキリ言って怖いのである。そして、その恐さを逃れるには、今の時代を作る価値観とは別の価値観の上でライフスタイルを構築するしか無いのでは?と考えている。それ故に、5年前の今では、考え方が全く変わってしまったのである。

 考えてみれば、昔は定年が55歳がデフォルトである。それが今や65歳になろうとしている。今の就業世代は、様々な現代病と闘いながら、その時迄過ごすのである。過ごす過程の中で充足感が得られるか?というと、それは極稀であり、多くがストレスを抱えたり、惰性で、時間に追われる生活を強制されている。
 その結果、自由に動く身体も、自分の本心さえも忘れ、その時を迎えるのである。その時を迎えると、自分で出来る事の選択肢は大幅に制限されており、その範囲でレールに乗った楽しみしか味わえず、そうやって人生を終えるってのは、あまりにも寂しい。
 まだ、その時を迎える事ができたならマシな方で、その道半ばにして、身体的な破綻により、身体を失ったり、精神的な破綻により心を失ったりする。それが、今盛んに放映されているテレビの特集番組でも紹介されている。

 そんな事を考えると、馬車馬のように働く人には申し訳ないが、程々に働いて、自分の好きな事に拘り、好きな事が出来る心と身体を維持するってのが一番大事なように思うのである。
 勿論、それには資本が必要だが、金儲けも無尽蔵に求めるではなく、自分のしたい事を等身大レベルで出来る程度以上は不要であり、あくまでも儲けた金は、したい事をするための道具にしか過ぎず、それは目的では無いのである。
 よく、金が無い(少ない)から頑張って(無理して)働く(長居(残業)する)って話を聞くけれど、それなら時間で稼がず、効率アップすれば良いのである。効率アップ=価値アップであり、人が出来ない事をすれば単価はアップ出来るのである。それをせずして、不平不満嫉妬っていうのはNGだ。逆に、そういう評価指針を自分で持っておけば結果は付いてくるし、そういう評価を自分で適切に評価(待遇にたいする満足度評価)できれば、その後の進み方(頑張るか?怠けるか?転職するか?独立するか?)も決める事ができる。要は、自分で今を受け入れる考えが持てるか否かが大事である。辛口になるが、ライフスタイルが自分の支配下におけるかどうかが大事であり、そのために、周りと闘うこともあるし、理論武装の必要も出てくる。全ては自分の思い通りに動かすための道具にしか過ぎないのである。
 そのスタイルを維持する目的とは、自分のやりたい事が十分に出来る心身のコンディションを維持する事こそが最大の目的であり、限られた時間(24時間/day)に、十分な睡眠時間+健康維持時間+家族との対話時間+趣味用時間を絶対に確保するという強い意志を持っている。

 睡眠時間を削って働くとか、働きすぎて遊びや対話を失うってのはナンセンスなのである。

 ここ3年で、4人の友人を失い、闘病中の友人も2名居る。みんな、頑張りすぎである。頑張る目的は人それぞれだが、命あってのモノである。命とは、身体と心の健全性であり、これは見失いたくないのである。
 加齢に伴い身体の不具合、病変前兆は現れてくるだろうけど、可能な限り、予防的対策は講じておきたいものである。

 ただ、こういう考え方とは別に、働く事で生き甲斐を感じ、最後の一瞬まで会社に尽くして勤め上げる人生も、それはそれで幸せだろう。仕事が生き甲斐というか趣味というレベルに昇華した人も居るけれど、それはそれで尊敬に価するものだ。そんな人生もアリかもしれないが、唯一受け入れがたいのは、そういった尊敬できる人の伴侶であったり、御子息の姿を見ると、そういうスタイルが人間的か?という点において完全には同意し難い面があるのが否めない。

 年の瀬を迎えると、色んな事を考えるが、それも良いものだ。こうやって、日記に残す事で、将来において過去の自分が何を考えていたか?が判るのも面白い。

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