歳を取る程に変われない、、、。
チョット前に、凝り固まった高齢者の価値観を変えるのは困難って記事をアップしたけど、例の自転車少年では無いが、あんな思考パターンを変えるのも極めて困難である。年齢的には還暦以上のジジイの半分以下の三十路オヤジでさえ変えるのは難しい。
ところで、例の奴がらみだが、今、新規形状でモノを作るべく準備を行って作業をやらせているのだが、作業一つ一つに配慮が全くないし、注意も出来ない、見ているようで何も見ていないという状況。
指摘すると『すいません!すいません!すいません!すいません!』ばかりである。挙げ句の果てには、『自分には何が悪いのか、全く判らない。怒られて初めて気付くんで、やりようが無い・・・・』と愚痴をこぼす。どうすれば、何に注意を払うべきか?何を考えるべきか?が判らないらしい。
それも半分以上は言い訳だと思う。なぜならば、報告において優先順位がひっくり返り、更には、虚偽の連絡をするように知恵を回すような奴だからだ。
そんな事は兎も角、どうしたら同じ間違いを繰り返さないようになるか?知識が身に付くか?を、再び質問してきやがった、、、、。同じ問いは、5年以上前にも質問されて、それに対して解答は何度もしてきている。要は、一度やらかした間違いは記録に取る。記録という型式に拘らず、毎日、何やったか?何気付いたか?何故怒られたか?を日記的でも良いんで記録して残せと言っていたのだが、コイツの日記は更新が一年は滞る始末、、、、。
結局、続ける事が出来ないのか?積み重ねる事が出来ないのか?コツコツで地道な変化が待てないのか?そう言えば、何かの話で、即解答が欲しい、公式が知りたい、結果が全て、価値は金額で決まるって豪語していたけど、こういう価値観は三十路なりたてにして既に変えようが無いみたい。こういう疑問の解明には、自分の望む解答を探すことを以て勉強というのでは、結局ダメである。
答えを探すのではなく、自分で答えを出すの必要な知識を身に付けるのが先決であり、知識を身に付ける大変さを体感し、手順通りに物事を進める事を諦める事無く続ける辛抱強さが必要である。そういう癖を付けないと変われない。本来なら学校教育期間中に身に付けるべきだが、中年以降にそれをするのも困難。自主性に任せて学習しろといって出来るようなら今の事態を招いていない訳であり、日記的に学習を続けることも不可能だ。そんな奴には、道場か何かハードでスパルタな所で、竹刀や鞭でしごかれるしか無いのでは無いだろうか?
それ程に、考え方を変えるのは困難である。
変わらなきゃ!とは色んな場面で聞くけれど、変われるかどうかは、個人の生い立ち次第である。変われない奴は、年齢に関わらず変われない。変われなくなるのは何時頃決まるか?と思うと、よく判らないけど、人格が形成された時点で、決まってしまうのだろう。
こういう奴は、一生、こういう奴であるに違いない。そう思う今日この頃である。
本人が変わりたいと言っても、変わるための手法に時間と手間が掛かると思った時点で、挫ける。結果、変われない。こうなってくると、時間がいくらあっても、幾ら若くても変わる事は現実不可能である。つまりは、こういうタイプの違う人間に俺の考え方を強制する事自体がNGであるってことである。変える事が出来ないのは判っているんだが、立場的に言わざるを得ないジレンマである。
そうは言っても、そういう奴も何%か存在するのが社会であり組織である。こういう奴は、こういう行動パターンがデフォルトであるって承知した上で、何かをやらせるだけって結果になるんだろう。
それにしても愚痴になるけど、奴にとっての此までの勉強は、『答えを前例から探すこと』っていうのがNGだ。本当は、『答えを出すに必要な知識や論理を理解すること』が勉強だと思うのだが、、、、、。
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