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2008年1月31日 (木)

禁煙ブーム?

 最近は喫煙者に対する社会的な制約が厳しくなってきた。
 都内ではタクシーの一斉禁煙、最近は、公共交通機関のみならず、街中での煙草はNGである。新幹線でも全席禁煙っていうのもデフォルトになりつつある。

 そういう公共空間での喫煙締め出しに加え、最近の健康ブームでの煙草の弊害、リスク、警鐘もあって、喫煙者の煙草離れを加速しているように思う。

 勿論、煙草を買うのに年齢識別カードのようなモノが必要という煩わしさや、度重なる税負担増加に伴う価格上昇といった要素もある。

 身近な処を見渡すと、自分が7ヶ月目に突入、会社でも複数の同僚が禁煙している。身内では自分のオヤジも何と禁煙しているようで2ヶ月目に突入したとのこと。

 最近は、忘年会、新年会のような席でも煙草無しで何のストレスも感じない。煙草を止めて明らかに良かった点っていうのは、実感できる部分が極めて少ないが、寝起きにおける口の中の気持ち悪さが無くなったという点が最大のポイントだ。

 ところで、煙草っていうのは一般的に健康に宜しくないと言われている。喫煙を続けると肺気腫になったり肺癌になったりすると言われている。そういう良くないものが文明によって生まれている。そう言えば、酒だってそうだ。飲み過ぎるのは肝臓にも良くない。塩分だってそうだ。これは血圧上昇に繋がるもの。この辺は法的に禁止されていないが、覚醒剤なんかもそうである。常習性があるっていうのは、本能的に欲するようなモノなのだろう。しかし、身体にとって良いことは全く無い。

 そう考えると、人間って生き物は不思議である。知恵を持ち賢い生物な筈だが、生命体の命を削るようなモノを色々と見つけている。本来、本能的には生きるために活動するって前提が在るはずだが、生きるためという本能を阻害するモノにも欲求を示している。こういう特性は人間ならではの習性のようにも見える。

 生き物っていうのは、己の身を自然に守るっていうのが本来である。禁煙っていうのはブームでなく、喫煙を続ける事で身の危険を感じる人が増えてきて、その結果の行動なのだろうか?そして、自分の目線で見える世代が禁煙し始めているっていうのは、その世代が、各々の中で喫煙によるリスクを感じ始めているだけなのかもしれない。ブームというよりも、本能的な防御行動が現れる世代っていうのが自分の目線で見える世代っていうことなのかもしれない。

 まとめると、禁煙はブームでなく、生存本能が作用し始めただけって事なのだろう。

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2008年1月30日 (水)

The 奇策!つなぎ法案

 今の政治ネタで話題は、つなぎ法案である。
 このつなぎ法案ってのは、実は結構長い法案名称であり、予算に纏わる46件を一括して扱うものだが、この法案、どうにも卑怯な姑息な奇策に見える。

姑息ポイントを上げると、

①.雑多な46件の中に、何故、道路特定財源の暫定税率維持が入っているか?
②.税率期限延長=暫定税率10年延長が既定路線?

というところが、特に不謹慎である。

①の一括で扱う案件に、国民の関心が高い道路特定財源を混入するというのは、法案の人質的な扱いで『やくざ』的な手法である。

②の期限延長の根拠は、期限切れ後においても道路特定財源維持、暫定税率延長が規定路線であり、本来議論すべき一般財源化の議論等々を、今後行いませんよ!って主張しているものであり、本来の議論を放棄している構図が垣間見れる。

 こういうやり方は、利権を維持でも守るという組織の強欲さのみが目に付くのは気のせいか?

 そもそも、小泉政権化において高速道路建設を白紙にして、道路公団民営化を進め、道路特定財源を見直すという決定を含めて、国民の支持により自民党に衆議院圧倒的多数が与えられている。その小泉政権の方法論あっての絶対多数であり、その政権の継続性から考えて、安部政権迄はいざ知らず、福田政権における正反対の政権運営が小泉政権の支持議員数によって推進されるという実態が強烈に間違っている。

 民主党も冴えないが、自民、民主を含めて、一度、シャッフル&リビルドで判りやすい政策集団を形成しなおした方が良いのでは無いだろうか?

 小泉新党というのを世間が待望しているという意見も聞くが、判らないではない。

 少なくとも、日本全国に高速道路を!って気持ちも判らないではないが、結構、交通量が少なく、地元自治体住民から見れば単なる通過点で旨味が無い等の不平不満もあるし、結局潤っているのは、道路族の議員さん、ゼネコン・・・・といった業種のみである。
 不要な道路の異様に存在するっていうのは、世論の共通認識であり、その認識の上で行政を担う政治家っていうのが居ないのが間違っている。

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2008年1月29日 (火)

自転車専用レーン

 月曜朝のNHKニュースで東京杉並区で片側二車線の道路で一車線を自転車専用レーンとしてガードレールで分割した試験を行っている様子が紹介されていた。

 その風景は、いつかテレビ番組でみた中国での自転車専用レーンの様子に酷似していたが、今日のニュース映像では、その専用レーンを走る自転車の数が少なかったのが印象的であり、一車線化することで混雑時にはバスの停車に合わせて全ての車両が停止するという状況を生んでいる様子だった。

 その試験結果をどう判定するかは不明だが、自転車、歩行者、自動車を完全に分離した場所を往来するというのは理想だが、現実性は極めて低いように思うし、案外、スポーツサイクルユーザーにとっては、完全に分離された空間を走るというのは望んでいないのか?とも思ったりする。
 自転車専用走行帯が作られると、車道でも歩道でも無い狭い場所を全ての自転車が走る訳だが、自転車って乗り物は実に幅広く幼児車、軽快車~ロード、ピストまで在るし、ユーザーも実に幅広いのであるが、そういった雑多なモノが全て同じ空間を走るというのは現実的に良い事なのか?と考えると、実に微妙である。

 勿論、全ての道路で専用レーンが整備される訳ではないが、今のルールでも基本は問題無いと思う。問題なのは、今はルールを守らない事が最大の問題であり、仮に自転車レーンが整備されていても、それを遵守させるという法的拘束力、モラル向上が無いと結果は変わらないように思う処である。
 今の状態でレーンが出来ると、対して広くない区切られたレーンで低速走行するママチャリ、通学チャリが並列走行して、結果、今と同じ状態に為りかねない気がするのである。

 ところで、メインサイトに自分のホームコースを紹介した。幅員的に、この程度の幅があれば快適なんだが、この程度の幅があれば、余程のことがない限り事故は起きそうに無い気もする。広さ的にこの程度あれば、結構有効な走行帯が出来るようにも思うところだが、どうだろうか?

http://homepage1.nifty.com/firstsource/Motorcycle/bicycle/home_course.htm

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新型インフルエンザ

 最近の注目の話題と言えば、新型インフルエンザネタである。
 これは鳥インフルエンザでH5N1が人から人へ感染する形になって流行することで、新型インフルエンザの発生とされるもの。
 この新型インフルエンザは誰も経験した事がないモノで、爆発的な流行と膨大な感染と死者が発生するだろうと言われている。

 このインフルエンザ対策の決定打がワクチンだが、ワクチンは新型インフルエンザに対してはウイルスを摂取した後に開発されるもので、流行後半年程度の時間が必要であり、パンデミック前に接種することは不可能である。
 因みに、今、東南アジアで発生した鳥から人へのインフルエンザに対するワクチン、プレパンデミックワクチンというのが日本で1000万人分程あるらしいけど、国会議員、医療関係者に優先的に摂取させるためのもので、国民には無関係だ。

 ところで、このインフルエンザワクチンだが、一般にウイルスを無害化して作るモノ。そして、無害化プロセスではβプロピオラクトンといってC3H4O2を使用している。このBPLは、肝炎で問題となっている血液製剤フェブリノゲンの殺菌で1985年8月以前に使用されていた薬品であり、強烈な殺菌力がある変わりに発ガン性が問題視されているものだ。
 発ガン性の意味が、特定物質によるものなのか?或いは、正常な細胞の遺伝子を変異させる効果によるものなのか?は不明だが、仮に、遺伝子自体に発ガンリスクを与える危険性があるのなら、ワクチンっていうのも怖いモノである。

 なお、日曜のテレビでは、新型インフルエンザの感染者の死亡者数比較もされていたが、30代以下の世代の方が死ぬリスクが高いというデータが紹介されていた。
 この理由は、若い世代の強い免疫力が新型インフルエンザというウイルスに過剰反応するためと言われていたが、定説のウイルス感染には免疫力の低下した幼児と高齢者程ハイリスクという話と相反するもの。ホントの話はどうなんだろうか?

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2008年1月28日 (月)

マナー

 日曜日は久々に車で市内に出掛けた。で、思う事、、、、、結構、多くのドライバーが運転席の窓を開けて手をだして、その先には煙草を持っている。そして、タイミングというか煙草が短くなってきたら車外(路面)に向けて勢いよく吸い殻を投げる、、、、そんな姿である。

 そして、市内の駐車場に車を停めてベビーカーを押しながら歩道を見て思う事、先ず100%の割合で空き缶が歩道の端に捨ててある。所々にはガムの噛み屑がタイルに付着、、、、、そう言えば、自分の家の近くの路上には空き缶が放置してある。時折、放置されるのだが、空き缶はエスプレッソコーヒーの空き缶であり、明らかに犯人は大人である。

 最近は自転車、特に通学自転車のマナーの悪さを嘆く大人も多いけど、そんな大人の多くは、自分の不謹慎に気付いていないのではないだろうか?自分の活動範囲外=ゴミ箱という概念だろうか?自分の周りは汚さずに、自分と関係ないところはどうなっても良いと考えているのは、マナーの悪さ+強烈なエゴである。

 そう言えば、ゴミの分別収集のルールが在っても、結構皆いい加減という話も聞く。そして、そういう人が極めて多いってのが、ゴミ集積場で分別に携わる人の嘆きである。

 マナーの良い悪いは、人の目の届かないところでも、自分のけじめが付けれるか否かであり、多くの人は、誰も見ていないから、或いは自分の目に触れないからという所で、いい加減な行動を平然としている。どうなんだろうか?こんな大人の世界故に、若年世代がその姿を見て育っているのが現代の社会というのが本当であろう。

 世代間で嘆き合う前に、我が身を律するような意識が持てなければ、意味がない様に思うところ。

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2008年1月27日 (日)

ベンチプレス

 毎日行っているサーキットトレーニングだが、その中には軽負荷で行うベンチプレスも含まれている。このベンチプレスは、ラバーテンションによるレバー式プレスであるが、標準の負荷ラバーがダメダメなんで、ホームセンターで引きバネとUボルトを買ってきて、スプリングテンションによる負荷付与に改造してある。負荷ラバー自体がゴムの劣化により部分的に切れているし、負荷の絶対値自体が不足している故の対処だ。

 そんなベンチプレスだが、サーキットトレーニング内の要素としては1サイクルを45kg負荷×50回で、計10サイクル行っているのだが、ベンチプレスの仕方?として、先週迄は一息で一気に50回を続けてやっていたのだが、今は一回のストロークをゆっくりと目一杯下から上迄じっくりと50回行うという方法に変えている。

 結果、力を掛ける時間が長くなったせいか、筋肉痛が結構出る感じである。

 という訳で、機材の使い方一つで効果は随分異なるようである。同じ時間を費やしてやる訳で、効果的な方法を今一度考えるってのは結構有意義だ。

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2008年1月26日 (土)

デジカメ本体、周辺機器を更新中

 さてさて、富士フイルムのサポートセンターとのやりとりで出た結論は、バックアップ電池(キャパシター)の寿命は、製品サイクルとほぼ同じを想定しているとの事!ユーザーの買い換えサイクルに連動する設計なんだそうだ。

 つまりは、型遅れを中古とか在庫処分で買うと、日付等の設定が電池交換毎にリセットされるのがデフォルトという仕様なんだそうで、こうなると、長く使えないという事である。まぁ、デジタルカメラでも、パソコンが趣味のような人と同じく短期間で買い換える人には問題無いけど、道具として気に入った機能があれば永遠に使う人には向かないのである。

 そういう訳で、A101/A202を退役させるのだが、その代替え機種として、嫁用の屋内撮影中心にはA202をカシオのGV-20に変更、追加は子供の幼稚園の発表会、運動会用にE-100RSを追加、ツーリング用途のA101をC-120に変更、会社で使っていたDSC-V100をA101に変更し、DSC-V100は寄贈。

 それに合わせて、メディア、電池も追加購入した。
 メディアは、C-730UZのスマメをC-120に転用するために、C-730UZ向けに512MBのxDカードを1枚(2000円)、そして存分に撮りまくるためのE-100RS用のCFとして1GBを二枚(2400円×2)である。
 これで、今のメディアはスマートメディアが32MB、64MB、128MB各一枚と16MBを数枚、xDカードは256MBと512MB、CFが16MB、32MB、64MB、1GBを二枚という構成である。

 電池についてはサンヨーのDSC-V100での使用によってメモリー効果?のためか充電不可能となった電池16本を廃却して、新たにPanasonicの2400mAを8本、サンヨーのエネループ2000mAを16本追加購入した。

 これで、当面は色々と遊んでも問題無さそう。で、驚いたのがエネループである。何と、メモリー効果が殆ど無く、充電後の自然放電を極力抑えたタイプとの事。凄いものである。エネループは8本で2100円ということで、パナループの4本1980円に較べると随分安価であり、衝動的に8本組を2パック買った次第(4200円出費)。

 カメラの台数は多いけど、殆ど型遅れでパンフォーカス機は1000円コースの買い物であり、遊ぶには良いのである。余ったA202は売却か、子供のオモチャになる予定である。但し、E-100RSとGV-20は今でも、それなりに人気があるようで、結構高価。一台10000円以上掛かってしまった。メディア、電池、E-100RS、GV-20、C-120・・・で合計出費が35000円弱ってところ。35000円出せば最新の中庸な機種が買えるんだが、それよりも遊べる方が重要なんで後悔は無い。

 試し撮りのレベルだが、E-100RSはプリキャプチャー機能で連写すると楽しい。ホント、撮れないタイミングの表情が撮れるのは最高である。もしかしたら、EXILIM Pro F1を買うかも知れない。
 また、GV-20だがパンフォーカスを承知した上で見れば十分以上に綺麗。少なくとも屋内撮影時におけるA202とは雲泥の差。子供の肌の色、背景の写り具合は絞りの差がモロに出ている。屋外ならA202も悪くないけど、屋内も含めると段違いである。

 この二機種は古い割には高価な買い物だったけど、とても満足。ただ、気楽にポケットに入れれるってサイズでないので常時携帯には向かないのは確か。そういうカメラも欲しいところだ。

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2008年1月25日 (金)

素人向けデジタルカメラ

 さて、前回の記事でも書いたけど、Finepix A202の退役決定で次のお気楽機種を選定中である。お気楽カメラに求める仕様は、

①.固定焦点
②.単焦点
③.単三電池対応

が必須で、出来れば叶えたい希望は、

④.最低でも35mm程度の広角は確保
⑤.なるべく明るめのレンズ+速めのシャッター速度
⑥.単三電池は出来れば2本駆動で
⑦.起動、撮影間隔は3秒以下で

というところ。これらを満たしたカメラがFinepix A101/202だったけど、この2機種の数少ない欠点をまとめると

1.カレンダー電池が2年持たないし、交換費用が高すぎる。
2.液晶が屋外では全く見えない。(サンヨー DSC-V100、オリンパス C-420Lは◎)
3.F4.6と暗く、屋内撮影は苦手。
4.カメラケースレスで運べるレンズバリヤ希望

であり、次機種にはA101/A202の欠点を克服した系統が希望である。
 本当は35万画素で十分だけど、時期的に巨大で遅いカメラが殆どで、35万画素唯一の選択肢となりうるSANYO DSC-V100は、電池蓋の脆さ、電池消耗の速さで退役しており、今回は130~200万画素機で2002~2004年頃の機種を選ぶ予定である。
 2002年頃といえば高級機種は300~400万画素を伺っており、その頃の200万画素機は普及機である。更には、デジカメの操作性が確立された頃でもあり速度的には不満の少ないモノである。

 しかし、この頃の製品は画素数以外の部分で現代のデジカメと殆ど同じであり、光学3倍ズーム+AFはデフォルト仕様であり、固定焦点+単焦点という機種をトイカメラ以外から探す事自体が困難である。なお、固定焦点に拘るのは、瞬間に押せるシャッターが必須であり、薄暗い場所でのAFの迷いとトロサ、持ち運び時における稼働部分の故障リスクを避ける目的である。部屋に転がしているので、嫁が動き回る子供を撮影する際には、AFの合焦の遅さが相当にストレスとなるようで、実際問題、過去のC-720UZ、C-730UZは避けられてきた。

 メーカー的に整理すると、

Ⅰ.キャノン
 全機種がオートフォーカスカメラ。殆どの機種が沈胴レンズ、3倍ズーム。如何にもカメラメーカーのカメラって感じである。固定焦点機はPowershot 350迄遡る。
 よって、選択可能機種は無し。AFを許容するならPowershot A100/200/300/310が良さそう。でも、選択基準を満たす機種が無い。
 但し、メーカー的には一次電池が簡単に交換可能・・・と結構好き。

Ⅱ.オリンパス
 ここも殆どオートフォーカス。初代メモカメラのC-420LはAFの35万画素でも相当に満足度が高いカメラだった。固定焦点機は大昔の製品C-400のみだったけど、2002年頃サンヨーのOEM製品で130万画素のC-100、ジャパネットタカタの通販専用機種で210万画素のC-120が復活。ということで、候補はC-100/C-120だが、レア度でC-120。難点は単三電池4本で2002年基準でも大きく重いというところ。但し、現実的な使い勝手はレンズバリア連動スイッチ、大きなレンズバリアによる防塵性能、簡単な操作体系、サンヨーOEMならではの液晶の綺麗さ?が期待できる。ホント、これで電池二本仕様なら最強と言えるのに、、、。

Ⅲ.サンヨー
 ここも最近はオートフォーカス。先代メモカメラとしてDSC-V100を愛用していた。後継のDSC-X200も良かった。画質はパンフォーカス機としては優秀だけどAF付きとは言え35万画素のオリンパスのC-420Lを見てからは画質には不満気味、、、。それと、電池消耗が激しすぎることと、電池蓋の構造が脆弱なのが難点。そんな中で候補は、2001年以降にリリースされたDSC-R1って機種。オリンパスのC-100と姉妹機種らしい。難点はC-100同様に単三電池4本というところ。利点はC-100と同様だが、それに加え、F2.8、36mmというのは良いけれど、感度がISO=20~100というのが怪しい。CF仕様ってのも余ったスマメが使えないのでC-100/C-120より減点気味。

Ⅳ.カシオ
 最近はEXILIMシリーズがメイン。現行機種は殆ど全てがオートフォーカス、ズーム付き。固定焦点機は廃盤となったEX-S1/S2/S20/S3なんか。でも、電池が専用リチウムなのがNG。カシオのパンフォーカス機としてはGV-20を使用中だが、レンズも明るく、画角も良好で、結果画質も良好。但し、頑丈かつ堅牢過ぎる構成から、操作性が渋い。嫁向けではない。まぁ、用途的にお出かけ時に使うカメラってポジション。今回は嫁が使う屋内中心のメモカメラなんでfinepix A101/A202の代替え。そうすると、QV-2100って選択肢もあるけど、サンプル画像が今一で、評判(ピン抜けで発火トラブル)も今一、速度もA201の倍くらい時間が掛かるらしいのが心配。単三電池4本というところもNG、画角も望遠気味。お手軽簡単操作カメラに普通のキャップ式レンズカバーは不釣り合い。C-100/C-120やDSC-R1のようにレンズバリア仕様が望ましい。責めてA101/A202のようなレンズカバーにするとか、、、他には、SDカード仕様なんで、これも新たに必要。

Ⅴ.富士フイルム
 ここも殆どオートフォーカスを装備。固定焦点機は昔のクリップイットシリーズか現メモカメラでA101/A202しかない。怪しいところで、Q1 digitalってのがあるけど際物過ぎである。Aシリーズは操作性、速さ、大きさ全てが満足度が高い。写りも綺麗。機能的に欠点というと、暗い所での撮影が苦手な事と、明るい所で液晶が全く見えない事。
 サポートセンターも丁寧だが、設計思想的に一次電池寿命が3年以下は最悪。更に、電池交換も高すぎるのは最悪。電池が直ぐ無くなるのなら電池交換は1000円程度で出来るようにしておけと言いたい。サポートセンターの最終回答としては、デジタルカメラの製品サイクル程度の一次電池寿命は考えていないとの事で、つまりは3年経てば一次電池は劣化消耗するという仕様なんだそうだ!設計思想的に何か根本が間違っているように感じる。写りは非常に綺麗なだけに残念であるが、使い勝手という部分で減点が多く、次は無い。

Ⅵ.ソニー
 ここも殆どオートフォーカス。固定焦点+単焦点というと昔のDSC-P20しかない。電池二本なのは良いけれど、その割にサイズが大きくオリンパスのC-100級なのはNG。逆に言えば、このサイズなら電池4本にして寿命を延ばして欲しい。
 メディアもメモリースティックってのも新たに必要。

Ⅶ.リコー
 ここも殆どオートフォーカス。固定焦点+単焦点というとCaplioのRR211しかない。仕様的には良好だけど、CMOSっていうのが心配。画角も望遠より49mmである。レンズはF2.8と明るいのだが、映像素子は1/2インチのCMOS、本体も小型軽量と悪くないのだが、仕様的には当時流行していたトイカメラと殆ど同じ。中国製のOEM製品という噂も在る程。調べるとモニター内で表示される日本語メニューの書体が明朝体!?との事で、100%中国製でトイカメラの姉妹機種なのは明白。但し、取り柄もあって、何と言っても単三電池二本の仕様の中でも際だつコンパクトさは惹かれる。

Ⅷ.コダック
 ここも最近はオートフォーカス。でも、毛色の代わった機種が多い。画質というか色合いも美しく結構好き。固定焦点というと大昔のDC215Zoom、DX3215Zoomってのがある。前者が単三電池4本、後者が単三電池2本で後者の方が好み。但し、電池本数によらず本体は結構大きく、上のDSC-R1、C-100と同サイズ。機能的にはZoomってのが減点だけど、画角が29、30mmという広角からの2倍ズームなんで使い勝手的に面白そう。速度は非常に遅いとの評判だけど、こういう何か変わったカメラっていうのは欲しくなる。

 というところ。この中ではオリンパスのC-120が一歩リードしている感じである。売ってるのを見た事がないけど、あればDX3215はグッとくる。デジタルカメラという日進月歩の世界の製品であり、スペック上の僅かな違いよりも発売年次の違いの差の方が違いが大きいかもしれない。そういう意味では2003/12発売のCaplio RR211が最も新しく、2001のQV-2100が最も古い。安ければ、取り敢えず揃えて遊んでみるのも悪くないかも知れない。順位を付けると

C-120≒DX3215>C-100≒DSC-R1>>>RR211≒QV-2100>>>DSC-P20

というところか?予算は2000円、出来れば1000円程度のモノである。間違っても3000円は出せない。この手のカメラの予算が2000円程度なんで、いくらお気に入りとは言え、A202の電池交換に7800円は有り得ない。

 なお、2004年以降の製品では割り切った固定焦点+単焦点ってモデルはトイカメラの世界にしか存在しない。最近はトイカメラでも500万画素は当たり前の世界。既に関心が持てない。必要最高画素数は130~200万画素で十分である。仮に多くても300万画素が上限かと思う。人によってはパンフォーカス設定、オートパンフォーカス機能でOKでは?との意見もあるけど、複雑な機能はなるべく排除したいし、可動部分はなるべく無くしたい。というのも、扱いが荒かったり、振動、衝撃を伴う可搬が少なくないからである。
 必要な機能を最小限で構成して、なるべくシンプルに!というのが希望だ。

 メモカメラというよりも『写るんです』の代わりであり、殆ど気が向いた時にサッと出してサッと撮る程度のもの。PCで見ることもあるけど、殆どがL判出力してアルバムで干渉するだけの話。大昔の35万画素の赤の斜め線で発生するようなジャギーはいざ知らず、殆ど画素数は関係無い。L判なら89mm×127mm、つまり3.5inch×5inchである。出力解像度でいうと240dpi程度だから3.5×240×5×240=100万画素もあればOKだ。

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2008年1月24日 (木)

色んな所で見られてる!?

 1/23の朝、一寸ビックリである。
 というのも、アクセスカウンターの異常増大である。これまでも、niftyのトップページに紹介された事が何度かあるけど、その時以上のアクセス数増大である。

 ということで、アクセス解析でリンク元を辿ってみると、それは何と『ベストカー』等でお馴染みの自動車評論家の国沢氏のホームページにリンクが貼ってあるからのようである。
 色んな人が見ているものである。確かにネット上に公開しているので誰からでも簡単に見られるのだが、書き手の本人がそういう意識を持っておらず、殆ど、自分の日記帳代わりになっているので、その意識と現実のギャップに驚く事もしばしばである。

 さて、今回の国沢氏のリンク元記事といえば、昨年起こったピストバイクで公道練習中の高校生が駐車車両に激突して死亡した事故において、駐車車両の運転手が、自動車運転過失致死容疑で書類送検されたというニュースに関するモノだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080122-00000064-mailo-l12

 そして、今回の結末では、自転車部の顧問2人が、業務上過失致死容疑で千葉地検に書類送致されたが、路上練習での伴走を普段から行っていなかったことが、県警交通捜査課などの調べで分かった。当初、学校側は事故後、「当日顧問は会議中で、たまたま伴走していなかっただけ」と説明した筈だが、結構皆さんいい加減である。

 過激な意見では公道練習は全てNGという論調もあるけど、練習という言葉には、運転に慣れる練習、仮免路上教習・・・・・色んな練習があり、公道の使用目的に運転の練習が含まれてはならないと言う事は無いが、公道における利用者の雑多性を踏まえた上で、法令遵守は勿論、一歩退いてでも安全第一の心掛けを守るっていうのが重要だ。

 最近は、色んなトラブルが起これば権利を主張する人が多いけど、権利を主張するには前提として義務を負っているという条件があるはずだが、その義務を全うする人っていうのは案外少なかったりする。
 権利と義務はワンセットであり、そういう意識の欠落が色んな所で見受けられる気がするところだ。
 今回の事故の直後の色んなインタビューでは、被害者側の取材が多く、その意見には権利を主張、正当性を主張という場面が数多く見られたが、そこで、権利が主張できるような日常行動を果たしてきたか?義務を負ってきたか?というと極めて怪しく、その実態として、引率すべき顧問の虚言が明らかとなった訳であり、一連の騒動の中で、第三者的な印象としては、みんな好きな事、都合の良い事ばかり言ってら!って印象である。

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2008年1月23日 (水)

富士フイルムの対応

 さて、これまで愛用してきたFinepix A202という安価なデジカメだが、このデジカメは購入当初からカレンダー電池の不調で、電池交換毎に日付リセットが生じていた。当初はこれがデフォルトか?と思っていたけど、どうやら、それはフジのデジカメに多発する症状のようである。高々、二年程度でバックアップキャパシターが逝かれるっていうのは、製品設計上の間違いか、或いは、使用部品の不良だと思うし、そういう解答を受けたという例も結構紹介されている。

 そういう訳で、サポートセンターに連絡をとり、サービスセンターに製品をお送り診断を依頼したところ、普通に修理代金が有償で・・・・という解答である。この解答から察するに、富士フイルムのデジカメのカレンダー電源は2~3年で機能を失うという仕様ということか?製品の賞味期限?として2~3年おきに買い換えて廃却という前提なのかもしれない。確かに、現在本機の中古品の相場価格を含めても大した価値の無い商品であり、それに高額な修理代金を払う気は全くなく修理は見送ったのだが、、、、、、

 ネット上等で色々と情報収集すると、フジのデジカメの設定値リセット問題は結構多発しており、その修理が有償の人と無償の人が別れている様子であり、その対応次第で有償となったり無償となったりしている。この判断基準は定かでないが、当方の機体は購入後二年間の仕様頻度が極僅かというモノで、モノ的には殆ど使っていなかったのだが、残念である。
 同じ症状でありながら、消費者によって対応を変えるのは如何なものか?と思う所である。

 まぁ、何はともあれ、最近の富士フイルムのデジカメはバックアップ電源が3年未満で消耗するという設計みたいなんで、次回以降にfinepix系を選択する事はないだろう。そういう意味では、CANONの製品が簡単に一次電池が交換できる仕様のようで、或る意味良心的である。ただただ残念なのは、全機種オートフォーカスでパンフォーカスのお気楽カメラが初代のパワーショット350以外に無い事だ。
 パンフォーカスのお手軽デジカメは?というと、A101/A201/A201/Q1 digital 以外では、SANYOのDSC-R1、CASIOのQV-2100、オリンパスのC-100/C-120があるけれど、何れも単三電池が4本で重いの難点。幅も120mmクラスで大きすぎるのが厳しい。感度と明るさを見ると、SANYOがF2.8だけどISOは100以下、それ以外はF値が暗い。決め手に欠ける。ホントかどうかは、知らないけれど、DSC-R1(38mmで1/2.7inchCCD+CF)とC-100(35mmで1/3.2inchCCD+スマメ)は姉妹機らしい。C-120は、それ系のジャパネットタカタ向け専用機という話もある。微妙な画角の違いは微妙なCCDのサイズの違いに起因するものか?
 サイズ的にQV-2100が一番の候補だが、サンプル画像から見ると一番期待出来ないのがNGだし、速度が遅く、発火のクレーム騒ぎが在ったカメラでもある。C-100/C-120も良いけど微妙に大きく(横幅が123mmはデカイ。A101筐体は100mmサイズ)古くさいのが何とも言えないところ。
 この時期といえば、サンヨーがオリンパスやエプソンにOEM供給していた最後の頃のであり、再生液晶が何れも綺麗な印象がある。

 1000円程度で入手可能なら大量に余ったスマメと合わせC-120辺りをゲットするのも悪くないかもしれない。この辺の混沌とした考えを整理した記事をまとめてみよう。

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良いのは円高?円安?

 ここ数日、何となく政治・経済ネタの記事が多いのだが、経済状況でニュースを賑わせているのが、対ドルでの円高と株安である。

 円高に触れると輸出関連企業に打撃を与え株安になるという話は良く聞くけれど、今の水準が円高か?というと、ホンネを言えばピンと来ないのである。何と言っても、円高のショックと言えば、過去においては1ドル80円を切った時もあり、1ドル95円前後って状態を暫く経験した事もあるからだ。

 超素人的に言えば、為替で円高というのは、日本円が強いということであり、本当は良い事ではないか?というのが直感的かつ素直な感想である。逆に、円安で輸出競争力を失い収益が下がり差損を生むっていうのは、為替変動によって日本以外で調達できる製品分野に日本の製品があるって事を示しているだけのように思うのは間違いだろうか?

 過去において、工業が最初に起こった地域では繊維工業が発達するが、この繊維工業は、後に工業が遅れて発達した国々に移っていき、半導体産業でも、例えば集積度勝負、コスト勝負のメモリーデバイスなんかは、アメリカから日本、そして韓国、台湾と製造国が変遷している。そうして考えれば、産業(特に工業)は、当初こそ先進国が分担しているが、技術の普遍化に伴い生産国は分散し、先進国は常に先進的な付加価値の高い産業を生み出して国を成立させているように見える。
 つまりは、そういう先進性、独創性が強い通貨を成立させており、強い通貨を以て世界への影響力を維持するというのが理想とも思える。逆に、後進諸国と同じ製品を作り続けて利益を上げようとすれば、為替を低い水準に保たざるを得ない。

 日本って国は、利益を得るには、円安が前提という先入観が支配的だとすれば、結局は、何処でも出来るモノが安いから売れているという国に過ぎないのでは無いだろうか?
 高くても売れる競争力のある製品を生み出すことが重要であり、今すべきは、円が強い通貨となっても収益を上げることが出来る産業構造を生み出すことこそが重要のように見える。そう考えると、素人考えながら、航空、軍需、半導体プロセッサー技術で先端を走るアメリカって国は大きな戦略としては、日本とは随分と異なっているように見える。

 どこの国でも、有形無形に関わらず資源が重要である。日本の場合、有形資源が無い訳であり、資材を輸入して製品を輸出するというスタイルでしか財は成し得ないのである。つまりは、知恵が必要であり、エンジニアの育成、つまりは教育の建て直しが最も重要であり、エンジニアが憧れの職種となるような価値観がスタンダードな社会を作るというのが、一番求められているように思う。
 エンジニア=教育だが、教育方針として物知り博士を育てるのとは違い、物事の因果を見極め、新たな因果を生み出す目を持った発明家を育てる事こそが、国家の競争力の源泉となる独創的な製品を生み出すための必要条件では無いだろうか?

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前を見ない歩行者、、、、少しは気を遣え!

 普通に街を移動していると、いろんな歩行者に遭遇するけど、一番歩行者を遭遇するのは、自転車で移動している時だ。

 そんな時、思う事。歩行者は、、、、

1.前を向いて歩いていない。下見て、携帯操作してってのが殆ど。
2.道の端から端に後方に注意を払うことなく移動する。
3.突然に立ち止まる。
4.複数居れば、必ず道幅一杯で並進する。

 というモノである。雑多な中を歩いていても、こっちからよけないと、まずぶつかってしまう。相手がよけるという前提だろう。自転車の場合は、狭い歩道で離合の際は停車して待っているのだが、直前で驚かれる!?前見えていないのは間違い無い。すれ違う時には、前後方向の一列になるように移動するのではなく、並進の間隔を狭めるようjに移動する!?(これは、通学自転車でも同じ)

 これって、如何?って何時も思う。一番、怖いのは、すれ違う時に前から前を見ずに下だけみて十数メートルも歩いてくる時。確かに、速度は4km/h程度だが、前見ずに歩く人の多い事は、自転車、単車では考えられない。しかし、こういうのが日本の標準なのである。こんな状況は考えものである。

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2008年1月22日 (火)

景気停滞&物価上昇&政策無策

 景気を表す言葉で代表的な言葉が、インフレーションとデフレーションだ。前者が物価上昇で景気拡大、後者が物価下降で経済活動の縮小を示す現象である。この言葉自体は中学生の頃に聞いた言葉で、このインフレとデフレの悪所が同時に起こる現象。つまりは、景気が停滞しながらも物価が上昇するという現象が、一番景気対策で厄介なモノであり、スタグフレーションっていうが、これも中学生の頃に聞いた言葉だが、今、日本経済は、スタグフレーション状態に陥りつつあるのでは?と思うところである。

 このスタグフレーションって状況は、或る意味特異的な状況であり、対策が困難とされるが、今後を予測する上で過去の景気状況を振り返ると、2005年~のデフレなのに好景気という状況を思うのである。実感なき好景気という言葉を思い出すが、その際の施策で実感を伴わせる政策が行えたか?というと、それはノーであり、その正反対の状況が訪れようとしているのが今では無いだろうか?経済政策には専門家から見ると、色んな事が見えるのだろうが、自分は素人なんで、その庶民の目で感じる事を記述してみる。

 少なくとも、スタグフレーションとか実感なき好景気って事態は、金融のプロが経済を弄くり回した結果生まれた対処が困難な状況であり、この複雑な事態っていうのは、或る意味、人為的な過度な介入の結果の産物だと思う。もっとシンプルに考えると、日本の物価というのは、全てを輸入品に頼り、その相場によって物価の影響を受けやすいが、日本の都合よりも世界的な物資の需要の方が圧倒的であり、その旺盛な需要を生む中国、インド、ロシアといった国々の絶対的な需要には為す術が無いのが実情だ。
 モノを買うための国際的な競争力の尺度として為替相場があるけれど、日本円は、対外通貨に対しては殆ど全て円安となっており、結局、日本では財を生み出す魅力さえも無くなっているようにも見える。一部では、官製不況なんて言葉も聞こえるが、日本が財を生む能力の大部分を司る分野で、既に国際的な競争力を失っているのが現状である。

 つまりは、限られた資源を得るための財を生む力が弱い≒貧しい国の象徴って感じを受けるのは単純すぎる感想だろうか?
 今、見せ掛け上は景気が良いとされているが、その殆どは一部大企業による円安環境化における収益力に依存しているだけでは無いのだろうか?その収益力にしても強引な円安誘導、低金利政策による歪んだ強引な施策によるものであり、そんな現状において物価上昇という傾向が顕著になった場合に、その上昇物価を食い止める施策があるか?というと、思い付かないのは、気のせいだろうか?

 仮に、今の強引な施策で辛うじて好景気?を維持しているとすれば、先のスタグフレーション傾向が顕著になった場合には、対する施策が全く無いという恐さを感じてしまう。

 現在の政府の策といえば、殆どが帳尻合わせのためだけの政策決定という状態で、殆どが後手対応ばかりであり、先手を打つ誘導的政策が見えて来ないのが現状である。後手対応というのは、既存の価値観を容認するという前提故であり、価値観の脱却を計るという崇高な思想を持った政治家が少なくとも政府与党には居ないように見えるのは、生意気過ぎる感想だろうか?

 今後の国際経済の中では、ボリュームに与える日本の影響力が低下するのは避けられない。過去の政策は、世界経済で大きな影響力を持ったアメリカに連動させる事で、良くも悪くも乗り切れた側面があるが、世界経済にしめるアメリカ経済の影響力も低下しており、経済状況を生む関係は非常に複雑となっている。そんな中で、政策を決定するには、世界経済の変化に敏感でなければならないが、少なくとも米国しか見ていない政治家による政策では通用しないというのは間違い無いところだろう。

 全く勝手な感想だが、今の不景気(スタグフレーション)への流れはくい止めれそうにない。本当に必要なのは、新たな価値観の創世だが、それは、政・財・官の全てにおいて無理っぽい。こういう流れを食い止めるには、一度徹底的に地獄を見るのが良い。殆ど、崩壊の危機に瀕する方が新たな価値観が生まれやすいと思うのは気のせいだろうか?
 少なくとも、80年代後半から90年代半ばにおいて、ロシアとかブラジルの経済は悲惨だったと思うが、それを経験しているから今の立場があるとも言える。そんな気がするのである。

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間接部門の評価

 会社には色んな業務がある。
 ルーチン業務と特殊業務、ルーチン業務でも利益を直接的に生む部門、組織を管理監督する間接部門、、、、様々である。

 そして、どこの誰が何しているか?なんて、ハッキリ言って判らないのである。何が必要で、何が不要か?というのも、全てを掌握していなければ判断出来ないものである。

 それ故に、自分が他部署を見る時には、相手が何をしているか?は判りかねるのえ、基本は放置で干渉はしない。

 しかし、最近の繁忙期では、自分だけが忙しいと思う人も少なくなく、結構、組合員VS管理職、部門間の意識バトルっていうのが書面や議論の中でも見られる。
 しかし、そういう議論は末端従業員が不平不満を言うのは当然だと思うけど、こういう意識というか偏見というか、それを間接部門の管理職が口にするようでは、間接管理部門管理職としては資質失格である。

 でも、こういう管理職は結構居るのが実情だ。こういう発言を総務部門の管理職がするようでは、その人の人格を疑わざるを得ない。本人的には何気ない一言だろうが、総務部門ならば、そういう発言に配慮を行うのが第一の業務であり、全く何も把握せずして、浅はかな感想を述べるようでは、本来の第一業務の任を果たしていないと言わざるを得ないのである。

 そういう話をしたり、そういう部門間での不平不満があるならば、その意見を収束させるようなルール作り、基準を考えるのが管理部門の仕事である。
 直接部門が利益換算で、どの程度貢献しているか?を判定するばかりでなく、間接部門、管理部門が貢献度を金額換算したり、研究部門の事業内容の評価法を確立するのが、本来の総務部門の役割ではないだろうか?
 そういう本質的な役割をせずして、ことなかれ総務では、言っちゃ悪いが担当者の資格失格である。

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2008年1月21日 (月)

辻褄合わ政府

 テロ特措法、道路特定財源の暫定税率問題、薬害肝炎問題・・・・色んな行政に関する問題があるけど、どうも対応が辻褄合わせ、帳尻合わせに奔走しているだけに見えるのは気のせいか?
 文句を言う資格があるか?というと、無いかも知れないけど、無責任?な感想を言うならば、今回の道路特定財源の暫定税率を10年間延長するとか、撤廃すると環境に厳しい?とか、なんか知らないけど、物凄い違和感を感じる。

 そもそも、ねじれ国会という言葉で、衆参で第一党が異なる状態を『ねじれ』という表現をしているけど、むしろ正常ではないか?とも言える。衆参の第一党が同一政党という状態では、参院の存在価値自体が無くなっている考える方が自然と思うのは言い過ぎか?
 郵政民営化解散で衆院で絶対多数を取ってからの国会運営は異様な程の法案を成立させていたけど、それが正常か?というと、結構怖い法案も沢山通ったりしている。更には、それ程の法案の通しやすさがあったにも拘わらず、行政を清浄化させる自浄的な法案は一つも無いのも笑えるものだ。
 全ての法案に反対の立場ってのはNGだが、今の状態なら無用な法案や、一考を要すべき法案には時間が掛かる訳で、それはそれで正常な気がしないでもない。

 道路特定財源暫定税率撤廃は当然だ。地方行政府は、その税源をあてにして道路整備を期待しているのかもしれないが、その構図自体がNGであり、価値観を変える事が改革の筈である。本当に改革が必要ならば、こんな変質した用途のための暫定税率を維持する事自体が駄目だ。

 仮に、炭酸ガス排出を抑制するならば、そういう目的税を整備すべきだし、税収不足で格差是正ならば、昔の物品税なりを再考すべきだと思う。今の税制自体が今の社会に適応していないのは明白であり、今の税制による税収の額だけで不足分を取りやすいところから取れという辻褄を合わせるという思想が腐っている。

 今の社会に応じ、社会の将来像に近づける上で整合性のある税制を作り、その制度的な整合性を整備すれば、辻褄合わせ的な金額のみを考える思想は解消できるのでは無いだろうか?

 個人的には、暫定税率撤廃、炭素税や福祉税の導入、物品税の復活というのが考えだ。炭素税では燃料に税を掛ける形だが、定額+使用量に累進的な税率というのが自然な考えだし、物品税なら品目、金額別に税率を定めるのが自然だと思う。必要以上に、或いは無頓着に燃料消費する世帯では一定以上の電力、ガス等の使用だろうから、一定以上の超過分には高額な税金を掛ければ良いし、物品税ならば超高級車には数百%の税率もOKでは無いだろうか?そんな気もする。

 なんにしろ、税収不足を叫ぶ前に、社会に応じた税システムを提案するのが第一歩であり、それを判りやすく国民に説明するのが政治家の使命のようにも思う。税が不足しているから、大変な事になるよ!と脅すのは、或る意味、恐喝、詐欺、やくざのようなモノである。

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薬害C型肝炎

 先日、新聞の折り込みに表題の問題から、肝炎ウイルスのチェックを推奨する通達?広告と、問題のフィブリノゲンを取り扱った病院の一覧が入っていた。
 で、そういうモノが入ると、取り敢えず読んでみるし、取り敢えず我が身の心配?ではないが、自分の掛かり付けの病院があるかどうか?を調べてみたりする。

 ところで、薬害C型肝炎っていうのは、その新聞や最近の報道から、血液製剤フィブリノゲンにより引き起こされたC型肝炎問題で、放置しておくと慢性肝炎、肝硬変、肝ガンと進行する怖い病気が血液製剤によって蔓延したという問題である。
 このフィブリノゲンは、平成6年以前に公表医療機関で治療を受け、下記に該当する人が感染リスクが高いということらしい。

(1)  妊娠中又は出産時に大量の出血をされた方。
(2)  大量に出血するような手術を受けた方。
(3)  食道静脈瘤の破裂、消化器系疾患、外傷などにより大量の出血をされた方。
(4)  がん、白血病、肝疾患などの病気で「血が止まりにくい」と指摘を受けた方。
(5)  特殊な腎結石・胆石除去(結石をフィブリン塊に包埋して取り除く方法)、気胸での胸膜接着、腱・骨折片などの接着、血が止まりにくい部分の止血などの治療を受けた方。(これらの治療は、フィブリノゲン製剤を生体接着剤のフィブリン糊として使用した例で、製薬会社から厚生労働省へ報告されたものです。詳しくは治療を受けた医療機関に直接お尋ねください。)

 ところで、感染リスクは、このフィブリノゲンだけでなく第Ⅸ因子製剤による感染も問題となっており、これは本来血友病患者向けの製剤だが、それ以外にも使われた事が判明し、それによって肝炎ウイルスの感染を引き起こした可能性があるとのことだ。

なお、フィブリノゲン及び第Ⅸ因子製剤を使用した可能性のある医療機関は厚生労働省のHPでも調べる事ができる。

http://www-bm.mhlw.go.jp/houdou/2008/01/h0117-3/index.html

で、自分はどうか?ということで、検査を受けるべきか否か?を考える前に、自分の状況がそれに該当するかどうかを確認するために、少し調べてみた。

今回の肝炎感染のリスクは、使用医療機関の数から考えると、フィブリノゲン>>第Ⅸ因子製剤であり、フィブリノゲンは殆ど全国の主要病院全てが使用している実態があり、ハッキリ言って社会に与えるインパクトは相当に大きくなるが、この問題となるフィブリノゲンっていうのは、平成6年以前が全て該当するか?を少々調べてみた。

今回の検査呼びかけの対象者を再確認すると、

昭和47年~昭和63年の間に次のような病気で、公表医療機関(※2)に入院したことのある方

・新生児出血症(新生児メレナ、ビタミンK欠乏症等)等の病気で「血が止まりにくい」との指摘を受けた人
・肝硬変や劇症肝炎で入院し、出血が著しかった人
・食道静脈瘤の破裂や消化器系疾患により大量の吐下血があった人
・大量に出血するような手術を受けた人(出産時の大量出血も含む)

だが、この内最後の大量に出血する手術を受けた人というのが、本人にとって青天の霹靂というか、思いっきり予想外、想定外の思いを受ける人では無いだろうか?
で、このC型肝炎ウイルスが含まれるフィブリノゲンっていうのは、どの時期のものが該当するかを調べてみた。

このフィブリノゲン製剤は製造時期によって、処理方法が異なっている。問題となる製剤はミドリ十字が製造したもので、

・1964~1987年製造の非加熱フィブリノゲン製剤『フィブリノゲン-ミドリ』
・1987~1994年製造の乾燥-加熱処理製剤『フィブリノゲンHT-ミドリ』

というもの。現在の流通品は、献血由来、乾燥加熱処理+界面活性剤処理が施されており薬害肝炎の原因とはなっていない。ということで、1994年以前に大きな交通事故を含む大量出血を伴う手術を受けた人がリスクを抱えるということだ。これって、結構な対象者が居る事を示している。

更に調べると、1987年以前のフィブリノゲンも実は製造時期によって処理方法が変わっている。1985年8月の前後で処理方法が異なる。8月以前は、ウイルス不活化には紫外線照射+BPL処理、8月以降はBPL処理を止めて抗HBsグロブリン添加処理に変更している。このBPL処理っていうのがキーワードであり、BPL処理を止めた理由は、BPL自体に発ガンリスクがあるという理由で製造元が供給を中止したためで、その代替えとして抗HBsグロブリン添加になった。このBPL処理を用いた製剤では、後の検証試験によりウイルスの不活化が為されており、このBPL処理フィブリノゲン製剤では薬害肝炎にならないといことらしい。

しかし、このBPL処理の有効性と製造工程の関連に関する記述は明確に残って居らず、後の実証試験によりBPL処理がウイルス不活化に有効という事が判っただけであり、当時の状況ではBPL処理の認識をしておらず、その処理方法の変更は当時の薬事法への抵触の可能性もあり、意図的に情報が隠蔽されていたような節もある。
なんにしろ、このBPL処理は1965~1985/8の間のフィブリノゲンに施されており、結果的には、1964~1965年、1985/9~1994年のフィブリノゲンが最もリスクが高いと言う事となる。(※:BPL処理がC型肝炎ウイルス不活化に有効だったのは偶然である。)

 但し、BPL処理のフィブリノゲンで良かった!というのは時期尚早であり、単にC型肝炎リスクが低いだけであり、発ガン性リスクは高い訳であり、これって将来何らかの癌発生との相関が見つかって問題となる可能性が無いとは言いきれない。

このBPLはβプロピオラクトンといってC3H4O2という物質。

http://www.tokyokasei.co.jp/catalog/H0168.html に詳細が記載されている。

この物質は、殺菌能力が高く、鳥インフルエンザウイルスの消毒にも使われるそうだ。一般に不活化ワクチン(日本脳炎、インフルエンザ)を作る際に用いられる原料のようである。斜め読みだけど、特許技術にも利用されている例があるみたい。

http://www.ekouhou.net/disp-A,H11-193246.html 中を検索すれば出てくる。

なんにしろ、BPL自体も怪しくも危険なモノである。

この一連の騒動を見て思うのは、現代の医療技術の発達は或る意味凄いけれど、その中で発見される事、見落としが引き起こす薬害、医療事故、偶然の効果・・・・があまりにも多いと言う事。結局、人体の事など、不明な事の方が遙かに多いのである。

因みに、このBPL処理の如何によって国や製薬会社の責任が問われる時期、救済される被害者の線引きが為されているのが実情だ。この処理方法の変遷時における国や製薬会社の対応は非常に判りにくく、こんな進め方で良いの?って思うのが素直な感想である。

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2008年1月20日 (日)

駅伝ランナーは速い!

 昨日、出先から速く帰ったので、夕方ホームコースをラングスターで走った。
 で、そこで遭遇したのが、日曜日の都市対抗駅伝の出走チームらしいランナーの練習である。大体、6名程度のランナーが自歩道を走っているのだが、これが驚く程速いのである。速度的には20km/h弱は出ているような感じである。自転車で40km/h程度で走っているのだが、その状態から見てもランニングで20km/hっていうのは相当の速度感である。

 凄いモノである。追い越す時には、声掛けで追い越したけど、、、、本職のアスリートってのは素晴らしいモノである。

 以前、堤防道路上で黒人の大学生ランナーらしい人が走っているのを自転車で追い越したけど、その時も速度に驚いたのだが、鍛えればランニングでも相当の速度で走れるんだ、、、、。

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暫定税率への外相意見は????

 高村正彦外相の意見で少々、驚いた!?

 『ガソリン税を下げました、もっとガソリンを使いましょう』

 で、道路特定財源の暫定税率10年延長を容認する発言?よく、言っている意味がわからない。道路特定財源で高速道路等々を延長するのは、何か?歩道整備か?自転車道でも整備するのか?別に特定財源の延長論議で与野党の一方を批判する気はないけど、こいつの言っている意味が不明だ。

 道路特定財源という名目で、ガソリン使用には繋がらない所に使うって意味だろうか?ならば、道路特定財源という名目でガソリン使用者から税を徴収するのはNGだろう?ガソリン使用を抑制すべく、道路を使わないのなら、道路は要らないだろう?なら特定財源で暫定税率を延長するのはNGだろうってのが素直な感想だが、何が言いたいのだろうか?

 そもそも、暫定税率延長の目的と役割は果たしたので、暫定税率撤廃するのが筋であり、税収不足があるならば、別の税の徴収システムを作れば済むことだろう。

 町村官房長官もアホとしか言いようが無い。海外とのガソリン価格の比較なんて意味無いジャン、、、、、。ガソリンが高いのではなく、その中の税金の在り方の論議しているのでは?と思うのだが、、、、、

 与党の先生方は、国民が高い安いの額面だけで判断しているとでも思っているんだろうか?要は、仕組みに筋が通っているかどうか?が大事なのだが、その辺の説明不足というか認識不足なんだろうか?

 どうも、奴ら、言っている意味がわからない。国民を相当にバカにしているとしか思えない。

 取り敢えず、次の選挙で自民党に入れる事は無いなぁ、、、、、、、。

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次機種選考中!

 デジタルカメラ熱再発中である。屋内用スナップカメラは、堅牢+比較的明るいレンズ+我慢できる速度ということで、カシオの旧機種GV-20で決定である。

 で、二月の終わりに娘の幼稚園の演劇、音楽発表会がある。そこでもカメラを持って行く予定だが、去年はC-730UZではダメダメだった(微妙にタイミングがずれる!笑顔が捉えれない!)訳であり、殆どがデジタルビデオ撮影ばかりとなったのである。

 ビデオは全部撮れるのだが、後から見るか?どうか?を考えると、ビデオっていうのは案外見ないのである。写真、特にL判出力したのはアルバムを眺める事は、爺さん、婆さんが来たり、友人が尋ねてきたりすると結構あるのである。
 そういう訳で、今年はやっぱり写せるカメラが欲しいとも思うのである。

 さて、有力候補はCasioのEXILIM-F1という600万画素の高速連写カメラだが、登場時期が遅く、結構高価というのが気掛かりである。
 最近は、どの機種も高画素であり800万画素以上が普通のようだが、どうにも不要な感じがして仕方ないのである。自分的には35万画素で不満を持たないレベルの人間であり、過去のC-420Lという単焦点+AFの35万画素のカメラをL判で出して満足できるレベルの人間である。

 本当は35万画素で良いのだが、如何にもデジカメ創生期のカメラで大きい、遅い、重い、古すぎるので却下であり、そういう意味で今のターゲットは、それなりにこなれた時代の130~200万画素機がターゲットとなっている。
 現に、使用頻度の高い機種としてFinepix A101/A202を使っているけど、この機種で撮った写真をL判で出力して既に満足できるのであり、気分的には200万画素以上は不要か?と思っている。そんな画素数よりも、明るいレンズ+高速シャッターという方が重要と考えている。イベントで気合いを入れて撮影するんで、カメラ的にはしっかりしたサイズでホールドしやすいのが良い。そう考えると、カメラを最初に買った2002年当時に良いと思った機種であるE-100RSがやっぱりベストである。

 勿論、相当に古いので中古かオークションでの入手となるだろう。古さ=安さが無いと機械としての信頼性も怪しい分、高額な費用を掛けようとも思わない。他にも心配な点が何点かある。それは、出始めの手ぶれ補正機構、、、、電池が直ぐ無くなるのでは?という心配もあるし、更には、当時、激しい電池消耗で悪名高いSANYOの爆速デジカメシリーズ(DSC-V100/X100/X110/X200/SX150/SX550/SX560)と同じ心臓部から成立した構造。調子よく連写しているとアッという間に電池が無くなりそう、、、、。それでも、同系のC-2100UZよりもシャッター速度が速い、CF対応と利点もあるし、まぁ、10000円未満ならE-100RSも悪くないかなぁ?と思っている。

 それにしても、最近のデジタルカメラの小型化、画素数の増加と手ぶれ補正機能、倍率競争は凄いものである。
 でも、どうも小さいレンズに小さいCCD、画素数増加っていうと、CCDに行く光量が足りるのか?と思うのは間違いなのだろうか?光量不足故にシャッター速度が遅い、それ故に手ぶれ補正が必須というスパイラルが今の製品では無いのだろうか?

 もっと自然に、実用上(L判出力で)必要最小画素数で大きめのCCD、大きめのレンズで光量を確保してシャッター速度を上げる方が構造的にシンプルで綺麗に写るカメラになると思うのは素人の浅はかさなのだろうか?そういう構成でパンフォーカスなんかにすると薄暗い場所でも適当に綺麗に撮れそうだし良さそう。部品の集積密度的にも楽になると、コストも安そうだし、どっか作ってくれないだろうか?
 未だ、高機能カメラならば、今のトレンド(多機能化)は理解でき無くないけど、持ち運びの写るんです代わりのスナップ用コンパクトカメラに集積度の高い多機能っていうのは、直ぐに壊れそう。稼働部分が少ないシンプル軽量カメラの方が遙かに良いと思う。

 そういう意味で、オートパンフォーカスなんて複雑なのは要らない。単純にパンフォーカスで良いし、ズームなんぞも不要。必要ならば二焦点の物理的な切り替えでOKでは無いだろうか?単焦点&固定焦点の最終世代であるFinepix A101/A201/A202とかCasioのGV-10/GV-20ってのは結構多くの人のニーズに過不足なくマッチした名機種だと思う。

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2008年1月19日 (土)

免疫力こそが結核菌活性化に最重要!

 1/16のNHKの番組を見ていたのだが、最近は結核菌を保有している人が2500万人以上いるんだそうだ。この結核菌は、空気感染によって体内に侵入するのだが、肺に侵入する過程で、気管の蓋によるブロック、気管支の粘膜繊毛運動による侵入防止、咳による排出機構を通り抜けた菌が肺の内部に侵入してくるそうだ。

 この肺の内部に侵入した菌に対しての最終防御がマクロファージという免疫細胞によって行われているが、この結核菌はマクロファージに取り込まれると休眠状態となりマクロファージ内部に未活動状態で保存?されてしまうそうだ。

 この活動させない状態に保たれた結核菌がマクロファージから零れ出た際に、結核菌の活動が肺の内部で始まった状態を結核の発症という状態になるそうだ。発症段階では、活性化した結核菌が肺胞を破り、その際の出血が排出されるために吐血という症状を呈するものらしい。

 この結核菌は50代で30%、70代で半数以上が保有しているが、その保有菌が発症する割合は10%で、結核菌感染後に直ちに発症する人が10%の内の1/3、暫く後に発症するのが2/3ということだ。
 この結核菌が活動し結核が発症するのは、マクロファージによって押さえ込まれていた結核菌が再活動するためであり、その状態は免疫力が弱った時に発症するという。

 この免疫力が弱った時というのが健康の赤信号であり、

  • 慢性腎不全(発症リスクが10~25倍)
  • 糖尿病(発症リスクが2~4倍)
  • 免疫を抑える薬の服用(リウマチなど)
  • 胃潰瘍
  • ストレス

 という時なんだそうだ。最近は、ダイエット、健康ブームが大流行だが、健康的でない方法、偏った方法では免疫力の低下は免れない。そうすると、過去の病と思われていた病も発症する可能性が高い。

 特に、安易で不健康なダイエット方法を選択する人の考え方は、安易、自己判断故に、結核治療でもリスク因子が高そうである。それは、この番組でも紹介されていたが、結核菌を再度完全に休眠状態に追い込むには薬剤治療を最低でも9ヶ月は行わなければならないという。しかし、投薬2週間で症状が改善するために、患者によっては2週間の投薬で薬を辞める人が多いそうだ。

 その結果どうなるか?それは、薬剤耐性結核菌を生み出すことになり、薬の効かない結核菌を体内に宿すことになるという。

 怖いモノである。

 癌、結核、生活習慣病・・・・・様々な疾病があるけど、一番大事なのは、身体が本来持つ免疫機能を極度に高めておく事。これが重要である。免疫機能を高めるのは、本来の機能を活性化させることであり、本来の機能は未だ解明されていない各機能を機能なりに相関させて活性化させること。薬に頼らず、本来の機能を活用するような生活が一番有効なんだろうと思うところだ。

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2008年1月18日 (金)

血圧と気温

 当然と言えば、当然の事だけど、血圧、心拍数っていうのは気温(体温)と結構密接な関係があるようだ。

 朝寒い中で作業して身体が冷えた状態で血圧測定を行うと、最高血圧、最低血圧ともかなり高めの数値が出る。そして心拍数も相当に下がっている。工場現場で長い時間過ごしていると、最高血圧で130、最低血圧で80って数値を示す場合もある。そんな時の心拍数は40未満で35とか36とかの数値を示している。これは、寒さによって血管が収縮しており、その状態で血圧が高くなるために心拍数が下がるという身体の機能が働いているようである。
 その一方で、気温の高い所で作業するとどうなるか?というと、血管は拡張しており血圧は下がり気味になる。血圧を上げようと心拍数は高くなっていると思われるが、そういう気温の高い場所でしゃがんで作業を行っていて急に立ち上がると、起立性低血圧も誘発しかねない。
 一昨年の夏の立ち眩みの原因っていうのは、高い気温の中でしゃがんで作業した後に起こったものである。

 血圧が低めというのに、運動を繰り返し行い、徐脈や第Ⅰ度心房ブロックという症状を呈するスポーツ心臓が出来上がると、場合によっては血圧が下がりすぎてしまうのかもしれない。何事も程々に!っていうのが大切である。

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2008年1月17日 (木)

パワハラ

 最近は、ドメスティックバイオレンス(DV)、セクシャルハラスメント、パワーハラスメント・・・といった横文字系虐待問題が結構取り上げられている。この中でDV、セクハラってのは縁遠いんで良く判らないけど、パワハラってのは、本当に立場を利用した虐めという構図で、上役のみが悪いのだろうか?と思う事、しばしばである。

 自分も部下を見て、グッと堪えながらも言いたい事を言って良いモノか?と考える事が多い。最近の報道では、パワハラの自称被害者のインタビューや、その当事者間の環境を調べることなく、一方の意見のみから被害状況を報道しているだけのようでもある。

 パワハラで思うのは、一般には、上司と部下の間の問題で、この二者間の最も大きな相違といえば、何と言っても世代、成長環境の相違、価値観の相違ではないだろうか?
 この価値観が相容れなければ、一方にとってストレスを感じるのでは?と思う。

 自分自身、部下に対して、余程の事が無い限り怒る事はしない。自分の場合、部下を怒るというか、そういう言動を発する場合は、下記の通りだ。

1.見え透いた嘘を付く。咄嗟の嘘は、瞬間的に見破る事ができる。
2.礼儀に反した時。
 1).例として、出先で顧客の前でのガム噛み
 2).突然の休業連絡を私的メアドへの一方向送信で済ませる時。(休む時は電話で!)
 3).作業ズボン等のずらし着用
3.社会人としての連絡義務を怠った時。

 こういう行為をされた時は、ハッキリと軽蔑するし、その理由を述べるし、これが繰り返されると、相当に切れるし言葉が荒れるのは仕方ない。

 ただ、思うに、こういうレベルであっても言われる側はパワハラを受けていると世間では思うのでは無いだろうか?ふと、そんな気がするのである。
 特に、何度も注意対象となる行為を繰り返す場合は、当人には、その本当の問題が理解されていない訳であり、それ故に、怒られる程に理不尽さを感じているのかもしれない。本人自体が自分の汚点を認識していなければ、それはパワハラを受けていると思いかねない気がするのである。

 仮に、注意している事自体を悪いという価値観をもっていなかったりすると、その価値観の違い、即ち、幼少からの成長環境の違いによるものなのかなぁ?とも思ったりする。仮に、価値観の相違によって、問題行動を問題と捉えていなかったとすれば、それは意志疎通不可能ということでもある。
 案外、今の時代、少々の嘘はOKで、連絡はメールのような一方向連絡で全てOKなのかもしれない。初めての作業も自分で適当にやって壊れたら会社の金で直すというのでOKなのかもしれない。一寸、こんな文章を書きながら、情けなくもなり、疲れたりと気苦労が絶えないのである。

 先週の土曜日は普通出勤日だったんだが、その旨を伝えたら、本人曰く、、、『どうしたら、良いでしょう?』で、オドオドである。就業カレンダーも見ないし、事後処置をどうすべきか?今後どうすべきか?を聞いてくる時点で、ガックリくる。

 俺的には、こんな奴はゲームオーバーで終わっているんだが、本人は人生の半分以上を残している。終わったまま半生を過ごすのか?と思うと気の毒である。

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2008年1月16日 (水)

機種更新しよっ!

 さてさて、デジタルカメラを更新する気持ちが盛り上がり中である。
 此まで仕事で使用していたSANYOのDSC-V100は、電池消耗が激しい事と、電池蓋が脆いということで、勤務先の工場内公務係に寄贈して、自分が巡回で使うカメラは、これまで、サイクリング&ツーリングの屋外専用で使用していたFinepixのA101という固定焦点・単焦点の130万画素のデジカメを使う事にした。
 で、嫁の家庭内スナップ撮影用のFinepix A202の後継機には、解像度は今一ながらレンズが少々明るいF2.8で乱暴な扱いに耐えるCasioのGV-20を新たに調達して使うことにする。

 Finepix A202はカレンダー電源用バックアップコンデンサが購入当初から不調であり、電池交換毎に内部設定、日付がオールクリアされるのが煩わしく、これは仕様ではなく初期不良の可能性もあるとの事。しかし、年数経過しており、有償修理の場合は9000円掛かるらしく、そうなれば使う事も無さそう。

 家族での外出時使用するオリンパスのC-730UZだが、今のところ不満は無いけれど、動作自体が緩慢であり、結構シャッターチャンスを逃す事が多い。更には、最近はデジタルビデオを使う場合の方が多く、使用頻度自体が減っている。
 当初はC-730UZを最新のSP-560UZに換えるというのも考えはしたのだが、多分、似たような機能では使わなそう、、、、広角27mmから18倍ズームってのは、出た頃こそSP-550UZオンリーだったけど、今はパナソニック、富士フイルム・・・色んな所から出ているので、拘る必要もない。

 そんな中、少し気になるのがカシオのエクシリムのプロでEXLIM-F1ってモデル。600万画素と十分な解像度で秒間60コマの連写撮影が可能という、昔のオリンパスのE-100RSを初めて凌ぐカメラである。これは少し興味がある。三月発売ということで、評判次第では買っても良いかなぁ?と思ったりする。

一応、まとめると、

1.業務使用カメラ
・SANYO DSC-V100 → Finepix A101
2.嫁用室内スナップカメラ(家族屋外レジャーでも兼用)
・Finepix A202 → Casio GV-20
3.家族イベント用持ち出しカメラ
・Olympus C-730UZ → Casio EXILIM Pro F1
4.自分用屋外スナップカメラ(ツーリング、サイクリングで使用)
・Finepix A101 → 未定

と言うところで、退役機種はFinepix A202、Olympus C-730UZである。実家のオヤジ辺りにプレゼントしようか?というところ。

後は、春に向けてツーリング、サイクリング持ち出し用として広角に強い、暗さに強い、パンフォーカスのデジカメをA101の後継に調達したいところ。速度よりも、大きさよりも、重さよりも、電池の持ちよりも、広角、固定焦点のカメラが欲しい。

候補は、旧機種だがKodak DC215Zoom、DX3215Zoomというカメラ。遅いのは承知だが30mmという広角+パンフォーカスってのが魅力だ。

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負けず嫌い!?

 スポーツセンターで泳いだり、ホームコースを自転車で走っていたり、或いは、例えば仕事や勉強で何かを考えて行ったりしている時は、自分の場合は周りの事は殆ど気にならない。本当は、全く気にならないのだが、時折、周囲の人の話や視線で、自分が他人のベンチマーク(比較対照?)となっている事を意識する時に嫌な気分になるので、『全く』ではなく『殆ど』で気にならないって思っている。

 或る意味、自意識過剰かもしれないが、小中学生時代ならば水泳、一寸前ならサーキットや峠での単車、最近ならば工業特許、自転車、筋トレ・・・で、明らかに自分をベンチマークというか比較の対象として見られているという気になる事がある。

 単車の場合は、『RZに乗った○○より、自分は速い!?』と触れ回る奴が現れたり、特許関連なら『○○が考えた特許より、自分は凄い!?』とか、『○○のやり方より、こっちが凄い!?』・・・・自転車ならば『○○がこのくらいなら、自分はどうだ!?』とかの話を結構耳にするし、実際に、日常の中で、無意味?といっても良いような挑発というか絡みを受けるような場面も多々遭遇する。
 実際にそんな場面か?って思うのは、例えば水泳ならば、プールの特定のレーンを完全にペース固定で60分無休で泳いでいると、同じレーンをなんか凄い勢いで追いかけてきて数往復で力尽きて、又やってくるの繰り返しに遭遇したり、自転車ならば、やはり完全にペース固定で走っていると、全力で抜いていっては途中で失速して消えていったり、或いは、自分のコースタイムなんかを凄い意識したりとかの話を聞いたりもする。中には、自分の知っている奴が、前述の行動をとったりする訳であり、直接、本人に聞いてみると、本人曰く、私が出来るなら自分でも出来ると言っている訳であり、強ち、自分の自意識過剰ばかりとは言い切れない。

 で、思うのは、何故に人の事が気になるのか?という事である。人の事なんか気にしても仕方ないのであるが、、、、どうやっても、何人も自分は他人になれないし、どんな人も、何事に関しても、その人なりの経験と蓄積の上で現時点の様が現れているのであり、その今の瞬間の様の裏っていうのは、他人からは判断できないのであり、それ故に、瞬間的に見ただけで他人をベンチマークに持ってくる程に愚かな行為は無いと思う。

 それでも、このように他人をベンチマークにしたがる人は多いのが現実だ。そして、面白い事に、他人をベンチマークにしたがる人っていうのは、全くの独断だが、自分の好みだけの世界に生きてきた人に多い傾向だ。そう、学問的にもスポーツ的にも独自の思い込みだけで取り組んできた人に多いように感じる。或る意味、そういう人程、他人が気になるというのも判らないではないのである。

 逆に、どんな分野であっても、専門性を手順に従って身に付けて、習熟するというプロセスを踏んできた人(学問、スポーツ、芸術を問わず)は、そのプロセスと結果に到る因果関係を理解しているためか、独自の世界観は、手順の重要性と結果に必要な経験と知識の重要性と自身の習熟レベルを把握した上で成立しており、決して、他人をベンチマークにする事はなく、己の理想に対する己の到達度という評価軸を持っているように思う。

 自転車のようにオタク性が高く、スポーツとしての系統だった教育体制が確立していない分野では、特に、勝手な意識が先行しており、変な挑発や、変な対抗意識が蔓延しているのが実情なのかなぁ?と思う今日この頃である。

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2008年1月15日 (火)

新型インフルエンザ

 日曜日のNHKスペシャルでは、表題の新型インフルエンザの驚異を題材に番組が放送されていた。
 新型インフルエンザというのは、何が新型か?という点で発生していない現時点においては特定できないけれど、毒性の強い鳥インフルエンザであるH5N1型のインフルエンザウイルスが、新型インフルエンザに変異するかもって予測されている。
 この鳥インフルエンザは、鳥から鳥への感染、鳥から人への感染は確認されているけど、これが人から人への感染する事になれば、感染爆発という状態になり多くの感染者が命を落とす事になる。

 新型というだけで、誰も免疫を持っていないし、ワクチンも無い。それ故に、感染爆発が生じると非常に怖いモノである。このインフルエンザ対策ってのは、既存のインフルエンザ対策と基本は同じであり、

・人混みの中に出掛けない。
・手洗い、うがい励行し、マスク着用
・栄養をバランス良く摂取し身体の抵抗力を高める。
・過労抑制し、免疫力を高く維持する。

 というもの。本質的に抵抗力の弱い高齢者、乳幼児が非常に危険な存在だが、集団生活が強要?されている生徒、児童も感染リスクが高い。生徒、児童が感染源になり家庭内感染で、高齢者、乳幼児が重症化するのであろうか?

 というのが一般的な考えだが、最近は、ダイエット、健康ブームで、人体の本質的な機能を使わずに速効的、安易な方法によるダイエットが結構盛んであり、その無茶なダイエットには、単品食、絶食、サプリ中心の食生活といったモノが良く見られる。
 こういう方法では、確かに体重こそ減っても、決して健康的とは言い難いものであり、痩せるというより窶れるダイエットに見えるのである。自然に食べるべきモノは食べて、しっかり代謝させて体重を落としていくのが正攻法であり、正攻法と安易な方法では、代謝自体に大きな違いがあるように見える。この安易な方法では、活発な代謝が行われておらず、そういう機能が失われ掛けているのではないか?とも考える。

 そう思うと、近い将来予測されている新型インフルエンザによるターゲットは、高齢者、乳幼児とは別に、実は、一見健康そうに見える成人世代で人為的な身体で免疫力が低下した人達ということで、無茶なダイエットで身体を維持している人も無視できないターゲットとして存在しているように思うのは考えすぎだろうか?

 新型インフルエンザが発生したら、基本は閉じこもり生活で、完全にマスク着用というパターンに切り替えるけれど、それ以前に、身体の抵抗力を高い状態に保っているであろう、抵抗力、体力のある身体を作り上げて維持しておきたいところである。

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2008年1月14日 (月)

マナー

 最近は、マナー、モラルの低下が叫ばれている。このマナー違反の行為として注目を浴びているのが、危険な暴走自転車だが、普通の自動車運転者でも、信号の黄色進入、勝手な路上駐車は当然、交差点での左方優先規則の不認知、狭い坂道での上り優先原則の不認知、更には、窓からの吸い殻、空き缶のポイ捨て、中には、信号待ち中に車の灰皿の吸い殻をドアを開けて路上に捨てる高級車も多い。これは、マナー違反というよりも、厳密には、規則違反であり摘発の対象ともなるものである。

 このような法規違反も知らないという理由、或いは、他人もやっているからという理由で、罪の認識を持たず結構皆さん勝手にされているのだ。

 このような法規違反が茶飯事な訳であり、法規で規定されていない領域では、個人のモラルと良識に任される部分があるが、そういった部分で特に不愉快な思いをするのが、半ば公共的な病院やスーパーの駐車場における駐車方法である。

 駐車場では、白線を引いてなるべく多くの台数が停めれるように工夫されたり、停車方向を決めて隣家への排ガスへの配慮が為されている所が多いが、そういった駐車場に駐車する際に、確実に数台は、白線を跨いだ斜め駐車、向きが反対の駐車っていうのが居る。そして、このような自動車は、外見的には極一般的なオジサン、オバサンが運転されているのだが、こういう人達を見ると、なんだかなぁ?って気持ちになってしまう。

 出入りの激しい病院やスーパーの駐車場に区分を跨いで斜め駐車して違和感を感じない精神構造が破綻しているというか、良識や常識が欠損しているのでは?と思うのは、神経質すぎるのだろうか?
 仮に、駐車スペースに対して車の大型化により運転者の車両間隔の喪失というのを理由とするならば、その時点で、運転者は免許証を返上しなければならないのでは?とも思う。

 そんな訳で、最近は自転車利用者のマナーの悪さが叫ばれているけど、実際、注意してみると、自動車運転者のマナーの悪さも結構酷いのである。
 少なくとも、学生自転車のマナーの悪さは、子供の認識であり、子は親の鏡である訳で、親の自動車運転のマナーの悪さと連動しているのであろう。

 そうだなぁ、、、自転車でも結構バトル状態となるような挑発を受ける事もあるけど、そう言えば、世間一般的に、自動車でも抜いた抜かれたで喧嘩が起こったりする訳であり、これって、日本人の独善性、せっかちさ、けんか腰、マナーの悪さという性質が露呈しているだけの話かもしれない。

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2008年1月13日 (日)

スポーツ?

 『スポーツ』って言葉と『運動』って言葉は同義か?を考えてみた。
 辞書を引くと、スポーツの和訳は運動となっているのだが、何となく、微妙に異なっているようにも感じる。

 今年はオリンピックの年だが、そこではスポーツの祭典ということで、様々な競技が行われるが、競技っていうのは、技を競うもので、スポーツを競うのが競技ということだ。そんなフィールドたるスポーツだが、世の中のスポーツっていうのを見ると実に沢山のスポーツがある。

 野球、サッカー、バレー等々の球技、陸上種目、水泳、自転車等は、何れもスポーツを行う上で、技を競い合うのだが、その技の土台には、相当の身体能力が必要とされる。逆に言えば、鍛えた体と技だけがあれば成立するスポーツというものだ。

 しかし、このような身体と技以外にも、必要な伝統や格式が重要視されたスポーツもある。代表的なものがゴルフであったり、ポロ、馬術、アーチェリー等は、身体能力と技だけでは出来ないモノであり、そういった身体と技も重要だが、それ以上に伝統的な格式やマナーが大きなウエイトを占めるモノである。
 このようなモノはイメージ的には、欧州(特に英国)の貴族文化から発祥しているようなイメージだが、このようなスポーツは競技者レベル以外では、スポーツの本質であるところの、鍛えた体が必須という要素が若干他のスポーツよりも薄いように感じるのである。

 そんな印象を持つのは、毎週日曜の太田川堤防上の自転車走行では、太田川河川敷ゴルフコースを眺めながらの走行となるのだが、その風景は、遠目からも人目で判る程のお腹の出っ張った男性のプレイ風景であり、ゴルフ=スポーツというよりも、ゴルフ=レクレーションって印象である。楽しむ上で、鍛えた心身は不要?ってイメージである。極論すれば、ゴルフという環境において接待であったり、遊技であったりという、運動で心身を鍛えるという目的外のステージに見えるのである。

 スポーツという言葉の本当の定義は知らないが、楽しむために、鍛えられた心技体が必要なものがスポーツだと定義すれば、それらが不要でもスポーツ形態は楽しめるが、それは同じルールのものであってもスポーツとは違うような気がするのである。

 このスポーツ形態的レクレーションと揶揄するとすれば、心技体が欠けていても形で真似たものが、それに相当する。先に挙げた接待ゴルフとその延長は、所謂ゴルフとは異なる。また、自転車でも、心技体が欠けて規則を無視し、挑発的というだけで心が欠けるし、そういうのは、スポーツではなくコスプレイであるように思う。

 スポーツっていうのは、やはり競技スポーツでも、楽しむスポーツでも、それを行う上で心技体を兼ね備えたもので無ければスポーツとは言えないし、それ鍛えるという行為の本質が運動であり、その心、技、体を鍛えるという行為を軽んじる思想を持っているとすれば、それはスポーツコスプレイであり、運動という体育会系的ジャンルとは異質なモノとなるのでは無いだろうか?

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2008年1月12日 (土)

正月太りからの復帰!?

 年末年始といえば、忘年会、クリスマス、正月、新年会・・・ということで、摂取量が増加傾向、運動量が減少傾向となる季節である。
 自分も例に漏れず、摂取量、特に間食が増えて、SCの休館ということで運動量が激減している。で、その結果、定時測定以外で間食後に体重計に乗った時も含むと、最大で体重は66~67kg迄増加し、年末前の64.5kgと比較すると1.5kgの増加となっていた。

 そんな状態から戻す手間を最小とするために、正月から機会を見つけては自転車に乗ったり、通常の運動は通常通り行ったりと生活の乱れ?を最小限に留めるように生活してきたが、先週迄は体重が高止まり傾向であった。

 しかし、今週、会社の正月休みが明けてからは、体重は減少傾向にあり今では殆ど年末前と同等の65kgに収束している。

 休み中と平日の違いを良く考えてみると、休み中は間食の機会が多い事。運動の絶対量自体には大きな差は無い事。通常の食生活での食事量は大差無い事であり、結局は、暇見ては酒飲んだり、菓子食ったりの不規則な栄養分摂取が体重変動に大きく効いているようである。この事実を身を以て体感したところである。

 さて、本日金曜日からSCでの水泳復帰であり、完全に平日モードである。この連休は出勤+天候も今一ということで、自転車走行は出来ないかも知れないが、正月の延長で間食の大幅増量にだけは注意を払っていきたいところである。

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2008年1月11日 (金)

デジカメ、換えようかな?

 自転車も単車も一段落。テレビのデジタル放送視聴も完了。型遅れながらデジタルビデオも一昨年購入して問題なく使用中。ということで、次何か?を考えていると、候補はパソコンとデジタルカメラである。パソコンは2005年にNECのPC9821から離脱すると同時に、当時で既に型遅れのPentiumIIIのDUAL CPUパソコンとXeonのDUAL CPUパソコンを導入したのだが、3年が経過した状態。そろそろ更新時期かな?とも思うけど、中を入れ換えるのが面倒臭いんで、未だ手つかず。但し、HDDのクラッシュに備えた準備は必要かも知れないと思っているところ。
 序では、デジタルカメラだが、初号機こそ1999年頃調達したが、関心が強くなったのは、娘が生まれた頃、2002年頃からであり、使用機種が定着したのが2004年頃の話で、既に4年前から更新停止状態である。当時は?と言えば、今と変わらないけど、拘りすぎた素人状態で、低コストを基本に結構色んな機種を使っては遊んでみたりしていた。詳しくは、先の記事参照の事として、今使っている機種は、

1.家族イベント使用
・オリンパス C-730UZ・・・・・・・320万画素、光学10倍ズーム、xDカード+スマートメディア、手ぶれ補正無し
 というモノで、写真出力が最大でもハガキサイズなんで画素数的には不満無し。手ぶれで苦労した事も無し。運動会等ではデジタルビデオを使うので、今の時代ではデフォルトの手ぶれ補正が無いのも気にならない。ということで、更新しよう!って気はあんまり無い。
 敢えて買い換えるとすれば、2003年当時はE-100RSが欲しかったけど、今はオリンパスのSP-560UZか、近々登場予定のカシオのEXILM PROでEX-F1って機種くらい。最近ブレーク中のデジタル一眼迄は関心がない。というより、使いこなせない。今のC-730UZでも機能が多すぎて使わないというか、使えない、使う気がないためだ。

2.嫁のスナップ撮影用
・ファインピクス A202・・・・・・・200万画素、固定焦点+単焦点、xDカード、単三電池二本で長長持ち、F4.6の暗いレンズ
 というもの。当初は娘を嫁の実家に連れて帰ったり、散歩、屋外での公園遊びの風景撮影に使っていたために気にならなかったけど、最近は室内撮影に使うことが多い。すると、暗いレンズが旨くない。最近は、カレンダー電源用のキャパシターも逝かれているようなので引退間近である。パンフォーカス故に暗いところでもシャッターが下ろせるのは良いけど、レンズが暗いと意味がないのである。
 機種入れ換えの第一候補用途であり、候補機種は、やっぱり固定焦点+単焦点でF3.0より明るいレンズ、今より高感度のカメラ。嫁の使い方を見るとオートフォーカスは向いていない。子供の映すには不向きである。候補はカシオのGV-20(F2.8)というところ。

3.自分のツーリング、サイクリング携行用
・ファインピクス A101・・・・・・・130万画素、固定焦点+単焦点、スマートメディア、三電池二本で長長持ち、F4.6の暗いレンズ
 というもの。自分のツーリング、サイクリング記録専用の晴天下の屋外撮影基本なんでF4.6でも問題無し。カレンダー電源も生きている。それ故に、買い換える予定は無い。敢えて言えば、明るいレンズの固定焦点+単焦点の機種だけど、存在しない。前述同様のGV-20、GV-10も良いけど、ウエストバックに入れるには大きくなるのはNG故に、A101の方が魅力的。よって、機種変更の予定は当分無し。

4.仕事での工場内での記録用
・サンヨー DSC-V100・・・・・・・・35万画素、固定焦点+単焦点、スマートメディア、F2.8レンズ、マクロ+フラッシュがOK
 というもの。これは実に重宝で使いやすく、予備機を入れて三台確保していたけど、一台目は液晶再生回路が壊れて御臨終、続く2台目、3台目は電池蓋のプラスチック爪が折れて電池固定不良によって使用頻度激減中。薄暗い工場内での製品状況チェックに使用していた。ホコリ、煙が多く、薄暗い中では固定焦点+単焦点で強制フラッシュってのは好都合。電池も最近の大容量を使えば、結構撮影可能。近年のデジカメではベストとも思える程の気に入り具合であった。画質は最近のカメラと較べるべくもないけど、A4サイズの書類中に5cm×8cm程度の写真として貼り付ける分には必要十分の解像度である。
 しかし、電池蓋の弱さは致命的だ。DSC-V100、X100、X110、SX150、SX550、SX560~MZ・・・迄、電池蓋の脆さは大きな弱点である。これが無ければ最高である。買い換えたいけど、代替え候補が見当たらない。固定焦点+単焦点でコンパクトで速い機種というと、、、、、無い。
 まぁ、今の仕事の質も変わってきたんで、業務中に記録写真を収集する事も無いので、この用途にカメラを準備するのは不用かな?と思う今日この頃である。

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2008年1月10日 (木)

教育?

 先日、小皇帝ネタで記事を書いたら、成績を上げる・・・ってTBを頂いた。
 成績を上げる、、、、成績を上げたい親が居る?そういう事に関心を持つ人が居るんだと!少々驚いている。

 前の記事でも、小皇帝に対する教育戦争の凄さ、エリート教育・・・・を肯定的に書いた覚えはないし、自分自身、自分の子供に対して受験教育を施すつもりは、今のところ全く無い。
 社内報に赤ちゃんが生まれた事をニュースに掲載する習慣があるけど、子供への望みの欄にも、『上手いライダー』が親の希望という旨を書いたりもしている。
 そんな事はさておき、勉強や習い事なんぞ、本人が興味を持つモノであれば、好きなようにやらせるけど、勉強したくなかったら、せんでも良いというのが自分の考えである。好きなことを好きなようにやればよいと思うのである。
 こういう事を言っていたらNGなのかもしれないけど、冷たいようだが、子供は親より長生きであり、子供の人生は親が決めるものでもないし、自分で考えて好きな道を選べば良いのである。選ぶ選択肢を拡げるには、子供の目線で興味を持つ事に接する機会を与える程度の補助しかする気はないのである。

 だいたい、自分が嫌々やっていた事を子供に強制できる筈ないし、自分ができなかった事を子供に期待するのはナンセンスだという意識がある。

 教える事はルール、規則を守り、嘘は付かない事だけである。ルールや規則を破れば、どうなるか?嘘を付けばどうなるか?だけを教えてやれば良いかなぁ、、、。って、そんな風に考えている。後は、好きなようにやればよい。

 仮に、受験戦争に勝てなくても、それはそれで良い人生かなぁ?と思うのが本音である。
 因みに、自分の友人は、中学卒、高校中退・・・・という友人も結構多い。そんな友人全てがスゴイか?というとそうではないが、そんな中には、自分で小さいながらも事業を興したり、自分で商売を始めたりと、結構たくましく生きている奴が多い。
 一方で、大学、大学院時代の友人は、自分を含めて小さく?サラリーマンって奴が多い。
 単純な比較は出来ないけど、己の力で生きるという逞しさっていうのは、変に学歴が無い奴の方が上手だと思うし、実際、自分の最大の友人ってのも、学生時代の交友関係よりも、そういう別の世界での交友関係の中に居るし、そいつらの方が尊敬できたりする。

 どっちの人生が正しいか?とは決めれないが、なんていうか、型に嵌らずに自分の意志で生きる奴の方が尊敬できる。勿論、サラリーマンでも自分の意志を通してハッキリした奴も居るし、何をやっても続かない、何事も他人の責任に転嫁する非サラリーマンも居る。職種、学歴に寄らず、要は、自分の意志で決断して行動できる奴が一番エライように思う訳であり、そのためには、自主性と好奇心を養わせる事こそが最大の教育のように思うのである。

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2008年1月 9日 (水)

室内練習

 冬場になるとローラー台が活躍する。負荷的には250W近辺を掛けて使っているけど、そんな負荷を掛けた運動を行うのが室内練習の目的ではない。

 このブログは、niftyのカウンターで8万オーバー、忍びカウンターでも6万オーバーとアクセスは快調に増えている。そんな中、お客様の関心フレーズに何があるか?っていうと、西DAHON、レ・マイヨ、Ninja250R、ZZR1400、小径車ってのが多いけど、それ以外で散見されて、同義語を集計すると、自転車のペダリングとか、トレーニング関連のキーワードで来られる方が多い。

 そんな中で、開設以来ずっと目に付くキーワードは、『ペダリング』、『ケイデンス』って言葉である。

 さて、ペダリング、ケイデンスっていうのは、何が正しいか?っていうのを理屈で説明しても、実際にペダリングしている際にそうなっているか?っていうと、結構怪しい気がする。
 大体、そんなに意識していたらスムーズに漕げないんで、殆ど、そこに意識は行っていないのが正直なところである。

 で、自分のペダリングがどうか?は結果を記録から判断するしかないけど、

実走でのケイデンス記録は、

・最高回転数・・・・・187rpm(46T×16T、700C、約65km/h)
・常用回転数・・・・・110rpm(44T×17T、700C、約35km/h)

ってところ。で、ローラー台の場合は、46T×16Tで105rpmで回している。こんな漕ぎ方をしていて、室内練習で特に注意しているのは、ペダリングを行っている際のローラーのうなり音である。この音がペダリングの往復運動と連動した抑揚音ではなく、連続音として聞こえるようなペダリングができるように心掛けている。

 実走では、そんな音は聞こえないので、意識しようがないのだが、室内ローラーならば、そういう音が聞こえるんで、都合が宜しいのである。恐らくは、室内でローラー回している人は、それくらいの事は判って居るんだろうけど、まぁ、そういう風なところで、スムーズなペダリングが出来るかどうか?を判断するのも手である。

 但し、力を抜いて音を整えるのでもなく、回転数を更に上げて音の周波数を上げて気付きにくくするのではなく、自分の実走での常用回転数が保つことが出来る最大負荷で、抑揚音を消すというのが大事だと思っている。実際、140rpmを越えると音は連続的になるし、ペダリングトルクを減らして無負荷にすると当然うなり音は聞こえなくなる。鍵は、常用回転数×最大負荷で脈動音を消すってことだと思う。

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2008年1月 8日 (火)

人の集まりやすい所は、

 自分で決めているホームコースっていうのは、広島市内を流れる太田川の堤防上を伝って、市内中心部から市北部太田川橋南詰め迄の区間であり、走る場所は、幅員が6mを越える歩道、車道、幅員4m×2列の自歩道でアスファルト舗装されている区間である。市内の河川堤防内側の河川敷側の自歩道は未舗装路も少なくなくフェンダー未装備の自転車には向かない。で、基町近辺から可部町内迄を辿る道を走っているのだが、片道が12km程度、自宅からホームコースへの往来が片道3km程度、で往復で合計が30km程度の距離である。

 このコースは、自分が小学生の頃から走っていた道であるが、その当時から30年以上が経過しているけれど、道自体は変化無いもので、昔ながらのコースである。最近できた河川管理のためのサイクリングロードも並行して走っているけど、そちらの専用道路は歩行者向け散歩道の色合いが強く、自分は殆ど利用していない。

 さて、最近の自転車ブームでは自転車に乗る人も増えたけど、広島市といえば、このコースがメジャーどころだと思う。実際、日祝日での走行時には、まずは他の自転車乗りを見ない事がない。最近は、レーパン+ジャージ+高級ロードって組合せも良く見掛ける。他にも、MTB、クロスバイク、小径車・・・結構な自転車と遭遇する。
 遭遇する台数が多いし、この中で、特にロードバイクに乗られた方、その中でも特にレーパン+ジャージルックの方は、殆ど全てといって良い程に好戦的で、挑発的である。

 離合する際ならまだしも、同一進行方向で走行している場合は、100%といって良い程にバトル状態のようになる。振り返ってみると、昔、朝練とかで走っていた時にはバトル状態になった記憶が無いのだが、今は殆ど100%バトル状態である。

 同一進行方向で走って、何故にバトル状態になるか?っていうと、或る意味、こちらが挑発しているように捉えられているかもしれない。というのも、淡々と走っていて、前方を走る車両を仕方なく抜いた時に、そういう挑発を受ける訳である。但し、抜くと行っても、これ見よがしに抜いたりする事は決して無く、十分広い道で側方間隔を十分とって抜くのだが、抜くと、何故だかピタ付けされたりする。ピタ付けされようが、挑発されようが、基本は、単独で自分のペースを守り淡々と定速(35~45km/h、コンディションによる)で走っているのであり、抜きたければ抜けばよいのだが、抜いた途端に失速して前を塞ぐのだけは勘弁願いたいのである。一生懸命抜いていくのは構わないけど、抜いた後に進路妨害するくらいなら大人しくしておいて欲しいのである。

 それにしても、人が集まりやすいコース故に、それ系の自転車と装備を纏った人も多く集まる。しかし、殆ど全ての人が好戦的である。本来、自転車っていうのが運動というかスポーツという存在で確立したものであれば、本来の公道での練習っていうのは、己のコンディションを把握するための行為であったり、己の問題点を見つけたり修正したりする行為だったりするはずだ。
 しかし、乗り手の意識の中に、見る対象が己自身でなく、他人という存在が一意であるならば、それは自転車に乗るという行為が運動というかスポーツを第一に考えた行為であるとは言い難いとも思う。機材に凝り、衣装を整え、道具を誇り、無差別的に他人に見せびらかすため、或いは、無意味な勝ち気のための行為に過ぎず、これは、馬力の大きな自動車で暴走したり、高スペックなスポーツバイクで暴走したりする幼稚な行為と何ら変わる事は無いのでは無いだろうか?
 その無意味な挑発を行う人達の共通点は、自転車の場合、機材、道具、装備に過剰な程に凝っている場合が多い。高級な道具の持ち主程に、好戦的であり、意識の中には、速い遅い、勝った負けたに対する拘りが強いようにも見える。この考えを冷静に見つめてみれば、高級な機材が速さを与えてくれると信じているようにも見える。

 確かに、モノに頼る人は多いけれど、モノの違いに拘る人程、己の力量不足が見えていないのでは無いだろうか?

 勿論、純粋に高級なコンポが好きで、それと嗜好品的に付き合う類の人も居るし、それで満足感を得る人もいるが、そういう人は、稀で、居ても昔からのサイクリストで、挑発的な行為を取る人は、まず居ない。

 しかし、ブームになると人が集まりやすい所には、人が集まる。集まると色んな人が居る。どんな人が多いか?というと、先の教育の話ではないが、即物的な考えが支配的な人、即ち、理想に近づく上で困難なプロセスや思考手順を超越した人=機材で上手くなる?って人が多いというのは気のせいだろうか?

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小皇帝が支える中国社会

 1/6のNHKスペシャルで中国の一人っ子政策と熱心な親による教育の実態の特集をやっていた。
 中国と言えば、今年が北京オリンピック、そして、急激な経済発展で世界景気を牽引している一方で、その経済活動の急激な活発化による環境負荷の増大等々と様々な分野で世界の注目を浴びているが、その中国国内での教育の実態っていうのは、他のニュースに埋没して自分自身、忘れていたけれど、結構大きな中国国内問題となりつつようである。

 今の中国の状況がどうか?は正確には把握していないけど、なんか日本の40年前頃をイメージさせるものがある。44年前の東京オリンピック、その後の戦後経済成長、公害問題、受験戦争・・・・日本の場合は、その後、バブル崩壊、教育崩壊と様々な問題を露呈したけど、中国はどうなるか?

 今の中国の勢いは凄いようだけど、この中国という国家の将来を占うに、埋没していた一人っ子政策による小皇帝と呼ばれる子供達がどういう価値観を持って社会を担っていくか?が結構重要な気がする。
 確かに、教育の競争で優秀な子供を育てるっていうのは、或る意味で間違いではないけれど、その先はどうなるか?と考えると、悪い前例として日本の教育の実態がオーバーラップするのは考えすぎだろうか?
 今の中国の教育熱と、日本のゆとり教育以前の受験戦争時の教育熱というのは、凄くオーバーラップして見える。価値観は、他人よりも点数的に優位に立ち、点数を少しでも高く取るというのが全てに超越する正義のような価値観である。
 確かに、前例のある仕事をこなす上では、それで成立するかもしれないが、国際的に人件費の安さによる競争力を失った後には、前例のある(誰でも出来る)仕事だけでは、競争力を維持し続けるのは困難なように見える。

 日本の工業は戦後飛躍的に発展したが、今の日本の工業製品の実態を見ると、オリジナリティーの溢れる製品は殆ど皆無であり、日本の工業の殆どは、価格競争力だけで成立しているように見える。日本製品には世界に誇れる発明と独創性というのが欠けているのは、今の日本産業界を支えるエンジニアの育った時代における教育が、詰め込み偏重の教育で合った事と無関係とは思えない。
 そう考えると、今の中国の教育熱=模倣技術の向上、品質向上といった熟成型の技術力育成には効果的かもしれないが、新たな価値を創造するという力は育まれないように見える。

 教育というのは、国を作る上で最重要課題の一つだが、日本も中国も、教育=知識詰め込み=点数主義って言う点が極めて似ている気がする。結果、早足の社会の進歩は得られても、その進歩は、模倣が基本であり、世界を技術的にリードするという立場には為れないのかもしれない。

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2008年1月 7日 (月)

バイク、日常での楽しみ方

 この連休、年明けてから今日迄(元日~1/6)は毎朝、ホームコースを自転車で走って過ごした。自転車っていうのも、色々とジャンルが在るけれど、今の自分は自転車で楽しいのは、決まった区間を決めた負荷で淡々と連続して走り続けるというスタイル。決めた区間故に、所要時間の変化を敏感に感じ取る事ができる。変化の要因が、季節であったり、天候であったり、或いは、乗る自転車であったり、自分の体調、コンディション、衰えであったりするが、そういった微妙な変化が一目瞭然と判るのが楽しい。
 そう、自転車は、コンディション物差しであるのだ。

 20年前の競技時代、サイクリング時代ってのは、純粋に旅の道具だったり、スポーツの機材としての付き合いだったけど、今は体調管理の計測用ゲージなのである。ゲージであり、体調維持用フィットネス器具なのである。

 さて、その一方で、バイクはずっと昔から好きであり、楽しみ方はひたすらに単車を扱うという行為と、思い通りに動いた時の満足感であり、操縦自体が目的である。
 そんな単車だが、今年は年明けて1/3、1/6の二日程SV&CXで地元を端リマ輪手遊んだのである。勿論、山間部は路面コンディションが悪く、市街地も走る訳ではないのだが、人里離れた所で遊ぶのが、意味もなく路面のマンホールを避けながらスラロームライクに走る事。これが結構、トリッキーで面白いのだ。
 この正月は、ミドルVツインにのって、マンホールが結構多い場所に出掛け、その間をリズミカルに縫うようなラインで速度や旋回角度、バンク角に変化を与えながら楽しんでみた。
 結構、大きな車体が速度で30km/h程度だが、トリッキーに動くのだが、これが結構面白い。

 何故に、こんな遊びをしようとしたのか?というと、先日、交通警察24時で白バイの練習風景を見て、楽しそう!って思い、昔やっていたジムカーナ、トライカーナごっこをしたくなったからである。

 思い通りに単車がトリッキーに扱う事が出来て一安心!自転車ばかりで単車の勘が鈍っていないか?と心配したが、無用であった!

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2008年1月 6日 (日)

何時も?の日曜日

 長期休暇最終日の日曜日である。昨日は、ホームコース走行後に、娘を連れて再度自転車公園に出掛け、凧揚げして、自転車練習してと正月モードだったんだが、今日は完全に普通の日曜日である。

 というのは、昨日迄は、普通の日曜日には時折出会う挑発ローディ等の他の自転車が居なかったのだが、今日は早速遭遇した。正月休みが終わって、普通の日曜日になった感じである。
 今朝は、放射冷却でかなり冷え込んだ朝だったのだが、往路も終盤の高瀬関過ぎの最後の2km区間での出来事だ。普通に車道を走行している際に、歩道を走行していたレーパン+ジャージのキャノンデールのロードに乗られたオジサンを普通にパスしたのだが、程なくして、背後に自転車の気配。後を振り向くことはしなかったけど、朝日による長い影が路面にロードの影を映している、、、、、、。

 さっきまで歩道をチンタラ走っていた筈なんだが、車道からスルーしただけで反応されてしまった。こういう挑発を受けるのは、正月休み中には無かった事だ。
 往路故に、結構強めの向かい風であり、速度的には33km/h程度で走行していたのだが、後にピタ付けされるのは良い気分ではない。向かい風故に速度を上げるのもしんどいのだが、太田川橋迄2kmも無いんで、37km/h迄揚げてDHバーで身を畳み速度を上げると、程なくして消えていったのだが、何故に、他人に反応するか?歩道を走ってるんならずっと歩道を走れば良いものを、、、、っていうところだ。

 因みに、自分は元旦から連続6日の朝走行で結構お疲れモードであり、少々ダルダルだったのだが、その一件で目が覚めた。折り返し地点に着いてコーヒーを飲んでからの帰路は、怠い身体に鞭打って、一気に帰還である。帰路では、追い風ということもあり、38~40km/hでずっと走って帰ったのだが、途中、自転車を押して土手上を歩くレーパン+ジャージのロード集団(4~5名?)とすれ違い、そこでも、正月休みの終わりを実感した次第だ。

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2008年1月 5日 (土)

毎日走行は、、、

 年末は、昼ポタで12/29を最後に他は全てローラー台だったけど、年明けてからは、実走行で最低30km(他にもローラー台で30~40kmも負荷掛けて回す)を毎日行っている。リズムとしては、通常の週末の過ごし方を連続して行っているのだが、今日で5日連続である。

 それで、思った事。

 この様なリズムは三が日くらい迄は、何とも思わなかったのだが、4日目から朝起きてからも完全に疲労が抜けきっていない感じである。本日、5日目だが、既に結構怠いのである。実走行+ローラー台で80km程度を5日連続で結構疲れが溜まっている感じである。
 朝のホームコース走行では、往路が向かい風、復路が追い風だが、往路での所要時間が平均して20分弱、復路が18分弱というところ。平均速度では、往路が33km/h、復路が38km/hくらいである。秋以前のコンディションが良い時に較べると、往路、復路とも1分程度余分に時間が掛かっている感じであるが、これは気候的要因によるものなのか、疲労によるものなのかは、よく判らないけど、何となく、疲れているためか?とも思ってしまう。

 まぁ、正月休み期間中は身体を動かす時間の絶対量自体が短いので、努めて動かすつもりであり、最終日の明日も同じ様に過ごすつもりだが、自分では大した負荷ではないとも思っているのだが、毎日、続けて通常よりも疲労感を感じているって事は、案外、通常の運動メニューの方が休日メニューよりも楽珍なんだろう。高々、自転車のっているだけなんだが、何時もの倍走るだけで結構身体にはしんどいみたいである。

 自分の身体っていうのも、自分が一番判っているようで、実は大して判っていないんだということに気が付いたところである。

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2008年1月 4日 (金)

定点観測?

 ところで、メインサイトのBBS内に設置した画像掲示板だが、今や自分のマイコース走行日記状態になっている。そして、目的地である太田川橋南詰め交差点をカメラで撮影して映像を記録しているのである。
 この正月は元日から本日1/4迄、4日連続で大体午前8時20分頃の風景を映しているのだが、同じアングルである。まるで、定点観測のようである。この定点観測は明日、明後日も続けるのだが、昨年も毎週日曜日には出掛けており、似たような構図で写真を撮っているが、今振り返って見ると、山の木々の色の変化、空の色の変化で季節の変化が判るのである。結構楽しいモノである。

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福袋

 正月と言えば、初売りでの大安売り、福袋ってのが定番である。
 昨日、家族で街に買い物に出掛けた時でも、各所で福袋を求める客の列が出来ている。今日は、テレビのワイドショーで1円福袋を求める客の狂乱ぶりが紹介されたりしてた。

 ところで、自分は福袋っていうのを買った事が無いのであるし、強烈な値下げの安売り商品を買い集めた事もないのだが、世の中は、こういう激安商品を買い求めたり、福袋に行列を作ったりするのである。

 大体、激安商品ってのは、通りの価格が通らないために、処分価格を付けて換金するってのが目的である。福袋も然りである。5000円相当の商品が3000円で買えるといっても、中身が何かは判らない訳である。得々と言っても、中の商品が欲しいモノで無い限りは、ゴミばかりのように感じるのは言い過ぎだろうか?
 必要なモノを見定めて、3000円なら3000円の予算を掛けて買い物をするってのが正しいと思うのは間違いだろうか?3000円の中に、これは!って思う物が一つあったとしても、それ以外のモノが、まぁ、在っても良いモノという程度では、コストを掛けて一番欲しいモノをを一番ベストな状態で手に入れれているのとは違う。

 激安商品も然りである。安い商品は、安くなる商品であり、それであっても総合的に売り手側には利益が在る訳であり、安くなる商品=低コスト、低品質、供給過多商品では無いだろうか?結局、安くなる商品ってのは、案外、購入しても使わずじまいで終わる運命では無いだろうか?
 安い故に、粗末に扱い、使い込まれる以前に捨てられていくような、そういう商品の末路が想像されるのである。

 そういう意味で、安いという額面だけの判断で購入された商品ってのは、購入者にとっても安い商品という認識の位置付けに過ぎない。
 安い商品であっても、相応の材料は仕様されているのだが、その材料を加工等が粗雑であり、貴重な資源を粗雑な加工によって陳腐な商品となっているという訳であり、資源の有効利用という面から見ても負の効果を担っているように見える。

 話が見えにくくなったが、自分の感想で、安い商品=消費者から価格という尺度で選ばれる商品=原料に付加価値が付いていない商品=原料の価値を下げた商品、消費者から愛着を受けない商品、使い捨てられやすい商品って方程式が成り立つのでは?と思うのである。

 この正月商戦の、激安、お得、福袋って風習は、エコ、環境という面から見ると、一つも良い事は無いように思うのが考えすぎだろうか?

 これと同じ考えだが、ブランドや額面だけで高価なモノのみを買う層もいるけど、額面だけで購買判断をしているとすれば、それは激安を求める人と結局同じである。例を挙げれば、オールデュラエース志向のオタク、カンパレコードマニア、或いは、メルセデス、BMWに乗る中級家庭の主婦連中なんかも、それに該当すると思う。

 因みに、自分はモノを買う時に、額面は二の次である。自分にとって必要なモノかどうか?が第一であり、そのジャンルが定まった時に、どの商品が自分の用途や目的に一番適っているか?だけを判断して買っている。結果、高価であっても安価であっても、どっちでも良いのである。

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2008年1月 3日 (木)

ターニングポイント

 先日も似たような記事を書いたけど、人間の身体のターニングポイントは35歳前後だろう。企業における成人病検診の受診開始年齢が35歳だったり、役所から検診のお知らせがやってくるのも40歳とかだったりするのも、そういった実状に併せての事だろう。

 自分の身体の状態でも35歳迄は健康に対する関心は全く無く、不具合というか不調が徐々に現れてきたのが35~40歳という時期。その徐々に現れる兆候に留意するか否かが、兆候が重症化するか否かとなる。

 自分の±5歳の範囲で、健康状態っていうのがどうなっているか?って見渡すと、怖いモノで、心疾患系、癌で命を亡くした人が結構居る。また、兆候が重症化して闘病生活を送っている人もいる。10年ほど遡って考えると、三十路成り立ての頃っていうのは、そういう病の話は自分を含めて、周りでも一人も居なかった訳であり、この三十路の10年間っていうのは、人間に身体に大きな変化が現れる時でもある。

 果たして、この十年で身体が急速に衰えるのか?と考えると、実際はそうでなく、不健康な生活、無理な生活をしている人が不調を抱えるというだけで、実際には健康な人も極めて多いのである。
 では、この十年間で不調が現れるのは何か?っていうと、それは、健康維持に阻害的な生活活動による負担が蓄積して一気に発現する時期というのでは無いだろうか?
 僅かな刺激、健康阻害要因ってのは、直接的な害を一気に現さないが、そういう無理は体内に少しずつ蓄積し、それが限界を超えた時に現れるというもの。そして、兆候が現れた時に、対処するか否かがその後の分かれ目になっているだけって感じである。

 考えてみれば、痛風、糖尿病でも然りである。高カロリー摂取による栄養過多による機能不全の果てである。癌でもそうである。ガン細胞=正常細胞の変異であり、変異は細胞の損傷が一定以上蓄積すると発現するモノ。つまり、癌が発生する人にとっては、細胞分裂が正常に行われない細胞の損傷が蓄積してしまったというものである。

 このような生活の破綻による身体の負担というのは蓄積してそれが爆発するのが、三十路の十年では無いだろうか?この三十路の十年に現れる、不健全性っていうのは、恐らくは20代の生活故の結果であり、考えてみれば、何時までも若い世代と連むってのは、考えようによっては、身体の負担の蓄積を加速しているだけとも考えられる。

 無茶な生活で身体が耐えられるのは、恐らく20代の10年間相当の負担。その負担を続けると35歳程度で破綻し、重病を発症するというのが人の身体のようである。

 話は変わるけど、これって、やっぱり地球温暖化による異常気象の進行にも似ている。人の身体も、地球の気象も複雑なシステムであり、そのシステムっていうのは機能維持しようとするけど、ある時、突然破綻するのかもしれない。

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2008年1月 2日 (水)

地球温暖化、運命かも、、、。

 元日のNHKの番組で、表題の問題を取り上げた特集をやっていた。
 ずっと見ていた訳ではないが、ここ最近の地球温暖化傾向が加速的に進んでいる様子を示していた。

 この番組で印象的な言葉は、様々な気候変動等が全て地球温暖化とは現時点では言いきれない。地球温暖化が原因と98%の確率で言えるかも知れないが、100%では無い。しかし、100%の確率で地球温暖化が人間の生活活動によるモノと言えた時には、時既に遅しである。って言葉である。
 この言葉では、様々な経済活動による地球への負荷が、地球のシステムが平衡性を保つべく機能しているのが現状だが、その平衡性維持機能が効かなくなる時期に活動を開始しても手遅れであり、平衡性維持が効かない状態では、地球温暖化の速度は加速度的に進行し、その環境変動も加速的に進行する・・・・って話。

 この話を聞いて思った事は、地球の異常が刻々と進行していて、その微々たる変化に鈍感なのが現在の指導者の考え方。しかし、この微々たる変化こそが留意すべき変化であるというのが、環境問題に取り組む人の考え方。

 この関係から連想したのが、生活習慣病である。身体の異常が刻々と進行していて、その変化が体感出来ないのが現代人。しかし、この変化の先にあるモノに対処しようっていうのが、健康を回復できる人の考え方。

 生活習慣の改善で立ち直る人のように、地球の平衡性維持システムで復元できれば良いのだけど、地球の環境問題を左右するのは、最終的には人の心であり、その世界の現代人の問題で、個々の身体の事をコントロール出来ないのが現状であり、それ故に、メタボリックシンドロームってのが全世界での問題ともなっている。
 自分の身体の制御が出来ない生物が溢れるような社会では、そういう生物、即ち一般的な考え方を持つ人の思考で、社会が成り立っている訳であり、地球の環境問題と言っても、そういう人の思考では、更に人事的に思っていると思われる。

 即ち、自分の身の事でも、対処できない人が、スパンの長い地球の環境変化に対する取り組みを今の時点から行おうって意識を持つとは考えれない。結局は、指導者は自国の産業発展のみという自己利益を優先させた対応しかとらないだろう。

 地球の温暖化は避けて通れない気がする。地球温暖化の問題が解決できるには、人の心の改善が必要であり、そういう人が増えれば、メタボリックシンドロームで悩む人も居なくなるはずかも、、、、。

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2008年1月 1日 (火)

正月寒波

 年末年始の休暇は、12/30からだけど、年末は生憎の天気で辛うじて走れそうな時間帯は12/30の早朝のみだった。12/30は残念ながら出動直後の降雨、パンクで走る事を断念したが、年明けて、元日の今日、どうにか薄日が差し込むコンディションだったんで、家族で初詣した後の午後一番に、いつものコースをラングスターで出掛けた。

 さすがに正月早々である。他に自転車は一台も居ない。ランニングの人影もまばら、路面は、白島~安佐大橋迄はドライ、天気は曇りか晴れって状態。安佐大橋より北はウエット路面で吹雪きである。まぁ、雨では無いのでということで、太田川橋迄出掛けたけど、寒い寒い、、、、同じ広島でも全然違うのである。

 大晦日の日は、家族で紅白、ゲーム、除夜の鐘・・・と一緒に過ごしたので、定例の運動を行ったのが午前0時から午前2時、そして、今日は昼にマイコース、最後に夜の8時から10時がいつもの運動ということで、基本は正月といっても生活に変化無しである。
 明日は、天気次第だけど、早朝に何時のコースを何時も通りに走るけど、ラングスターの後輪にはパンク修理したチューブである。今日は、そのチューブが大丈夫か?と思いつつ走ったけど、明日も少々不安である。パンク修理っていうのは一番初歩的だが一番難しい修理だと思う。少なくとも、ママチャリでは良いかもしれないけど、高圧の細いタイヤでは結構心配でもある。

 明日は、寒波は緩むんだろうけど、出先でチューブ交換等したくない。寒波の中でホイール外してチューブ交換ってのも侘びしいものである。寒波には去ってほしいし、パンクもして欲しくないところである。

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2008年、これからの生き方

 2007年には、概ね全ての分野で満足できる生活が送れた。
 さて、2008年以降、どのように生きるか?を考えたのだが、生き方には色んな生き方がある。人によっては、社会に貢献する発明をするとか、労働を通して社会奉仕するとか、高尚な生き方もあれば、自分の好きな道を究めるという生き方もある。趣味に生きるか?仕事に生きるか?、それは人によって様々である。

 さて、そんな色んな考え方があるけど、自分は、どのように生きるか?を考えた時に、何がしたいか?というと、自分の興味あること全てに妥協無く突き詰めたいというのがあるけれど、何に一番興味があるか?というと、自分の趣味、仕事、、、、ではなく、自分の身体自身が一番不思議で分かりにくいモノのように思うところである。その判りにくいモノを、可能な限り健全な状態に維持しておきたいというのが願いである。

 ということで、新年初っ端の記事として、これからの目標というか生きる指針を何にするか?というと、

 自分の経験、知恵、知識、発想全てを投入するのは、自分の身体の健康管理ということに尽きるのである。全てのモノを費やして、自分の身体という作品を作る事を第一にして生きていきたいと思うところである。

 元気で活力に溢れる身体が何故に必要か?というと、自分の人生を楽しく過ごすためであり、家族と仲良く、趣味に妥協無くというのが、理由である。

 ということで、今年一年も自分の健康に良いと思われるライフスタイルの確立と、必要な行動の習慣化に努めて過ごしていきたいところである。
 今までは健康な身体というのは当然あるべきモノという前提的な意識があったけど、今は、健康な身体というのは当然あるべきモノという意識は消えて、自分で何らかのスタイルを確立して手に入れるべきモノって意識になっている。これは、或る意味、オヤジ化したことでもある。

 オヤジになって求めるモノは、人によっては、金であったり、女であったり、名誉だったりするけど、自分は、健康でパワフルな身体って事である。

 取り敢えず、一年の目標は決まったし、眠たいから今日は寝ることにしよう。

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