技術の進歩っていうのは凄いモノである。特に、マーケットボリュームが大きい程、リリースされる商品の進歩は著しい。
パソコンでインターネット接続がデフォルトとなった1998年以降は、パソコンとの親和性の高い機器の進歩が凄まじいが、その中で特にパソコンの普及に併せて進歩したのが、デジタルカメラである。
1998年頃といえばデジタルカメラは出たばっかしであり、パソコンに写真がデータの形で転送できると言うのが従来銀塩カメラと大きく違うところであり、カメラの一つというよりも、パソコン周辺機器の一つとしての生い立ちである。インターネットの普及に併せ、個人のWebサイトが増殖すると、そのサイトを彩る写真の採取機器としてデジタルカメラは必須の存在となったのがこの時期である。
その後、暫くはデジタルカメラの解像度はパソコンのモニターサイズと連動していたが、その画素数の増大に合わせ印刷出力に見合った能力を持ったデジタルカメラがパソコン周辺機器から再度カメラとしての存在に戻ってきたのが現在である。
現在は、各家庭に備わったPC環境を用いデジタルカメラで撮影した画像が、インスタントに家庭で出力出来るようになり、写真を楽しむって環境が昔以上に身近になっている。
そんなデジタルカメラが従来のフィルムカメラに置き換わり得たのは、何と言っても、L判出力において普通の写真的な品質を得る事が出来たからであり、そうせしめたのは、なんといっても、高画素化による処が大きい。勿論、フィルムカメラにおけるフィルム面積に比較すると著しく小さい撮影素子に画像を美しく結ぶための様々な機能の進化の存在もある。
今、街のデジタルカメラ売り場に出向くと、1000万画素オーバーに多機能高機能をコンパクトに詰め込んだ最新機種が実売2万円程度で普通に販売されている。そして、こういった機種は、現代では、どんな機種を選んでも、相当に素早く、相当に美しく撮影する事が出来る。
思い起こせば10年前は30万画素レベルで機能が殆ど無い機種が5万円以上の金額で売られていた。
一番判りやすい尺度である画素数で言えば、10年前が30万画素、5年前が300万画素、今や1000万画素である。物凄い進歩である。
画素数以外でいえば、10年前は単焦点+固定焦点、5年前は光学ズーム+AF、今はそれに加えて顔認識、手ぶれ補正と進化している。
そんな機能の多機能化、高機能化に反比例して本体サイズは、10年前は幅でいうと120mm程度でコンパクト、5年前は100mmサイズ、今なら80mmサイズとコンパクト化も著しい。
そんな事を考えると、進化の速い製品は最新=最強であるっていうのは、或る意味正しいのは間違いない。
しかし、である。
絶対的に最新機種が高機能多機能高性能って言うのは判るのだが、どうも最新機種が心を捉えるか?っていうと、これが捉えないのが何とも言えないところである。
例えば、自転車でロードバイクを見てみると、最新のカーボンフレームに最新構成のパーツのモノよりも、レイノルズ531フレームに旧世代コンポの方が好きだし、単車でも最新の1000ccスーパースポーツよりも20年前の2ストマルチが好きである。パソコンでも最新のデュアルコアのマシンが好きか?というと、一寸違い、純粋にデュアルCPUで、ディスク周りも無意味?に高価なLVDの160とか320のSCSIとかで組んだマシンの方が好みだったりする。そういう、へそ曲がり的体質のためか?しらないけど、デジタルカメラについても最新機種には物欲が刺激されないのである。
これは、多分、自分の考えが変態的で、変わり者なためだろうと思うのだが、自分自身、こういう考え方で、何と無駄な事をしているのだろうか?と思ってしまうのである。
トレンドに乗った工業製品は短い期間に急激な進歩を遂げる。そして、その陳腐化のスピードも異様に速いのが特徴だが、自分の興味は、その進化の過程を実感するっていうのに一番の興味がある。そして、自分の満足度を満たす必要最低限の機能を持つモノが一番好きなのである。これは、単車もそう、パソコンも、車も、自転車もそうである。自分に取って与えられるであろう機能が過剰なモノっていうのは、なんだか、機械に負けているような気がして、自分の理解出来ないモノは、その必要性を感じる迄欲しいと思えないのである。
取り敢えず、色んな機能が書かれていても、それが実体験、実経験に基づいて絶対必要か?或いは、自分の困った問題が、そのカタログワードで解決できるか?が結びつかない限り、その煌めく文言に心がときめかないのである。
そんな訳で、各ジャンルにおいてグッと来るレベルが何か?を羅列すると、
1.行事撮影用デジタルカメラ
・求める特徴
L判出力に応じた解像度、構えた状態で見つけた瞬間を逃さない機能
・特徴を満たす機能
130~200万画素、望遠端で明るいレンズ、高速シャッター、プリキャプチャー、連写性
2.成長記録撮影用カメラ
・求める特徴
L判出力に応じた解像度、取り出しから撮影迄の俊敏さ、手軽さ、簡単さ
・特徴を満たす機能
あらゆる状況で即写せる性能。AF不要、レリースタイムラグ最小
3.Webサイト掲載、PCモニター閲覧写真用カメラ
・求める特徴
PCモニター閲覧に応じた解像度、軽量さ、手軽さ、気軽さ
・特徴を満たす機能
右手一本でのワンハンドオペレーション、汎用電池二本駆動、価格1000円以下
ってところ。それにしても、この自分の性格っていうのが、どうにも怪しいというか、自分でもバカだなぁとか、腑に落ちないなぁ!って事が多すぎである。ホント、新しい機種、売ってるのを見ると、如何にも新しそう、さらには、コンパクトで素晴らしいのだが、何故だか、何も付いていない単純な古い機種の方が魅力的に見えてしまうのである。
こういう性格はどこから来ているのだろうか?と色々考えるのだが、そう言えば、数学等々で機械的に公式を暗記するのは苦手だし、学生生活を振り返っても、習う内容をリアルタイムに習得する事は稀で、習った後暫くして『なるほど!』って理解する事の方が多い。大抵、1年で習う事は二年生で理解したり、或いは、卒業してから気が付いたりって事の方が多い。良く判らない事が全く身に付かないし、良く判らないモノは、やると言われても断る事の方が多かった。但し、自分で必要と思う何かは絶対に譲れないという頑固さがあると思うけど、そういう性格が、こういうモノ選びに大きく影響していると思う。
単車の場合は、操縦する際の動的な軽さ、運動状態を制御する際のレスポンスの良さに拘るし、自転車の場合は、自分にとって必要なギア比が作れるかどうか?に拘る。そういった機能が一番リーズナブルかつ不要なモノが付いていないモノ程素敵に見えるのである。何でも出来ると言われるモノ程、魅力を感じないし、自分が望む形が、誰にでも全自動で提供されると言われる程、魅力を感じないのである。
自分の思い込みを満足させる機能を最小限に有し、その最小限度の機能を自分の納得できるレベルで自分の能力で発揮させることが出来ると思えるモノ程魅力的であり、その思いが適った時に、自分が自分に満足を感じるというのである。
そうして考えると、結局、ある機能を有するモノに魅力を感じるのでなく、ある機能を自分で納得できるように自分の能力で機能させる事が出来たという実感に対して対価を払うという価値観を持っているのだ。
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