価格の常識、価格への意識差
今、自転車ネタ以外で貧乏人?向けのネタ文を作成しているけど、自転車についての価格も人によって随分と印象が違うなぁ!って思う。
ところで、火曜日のメインサイトのDiaryにも書いたけど、スポーツサイクルっていうのは、スポーツの道具としての側面もあれば、その物が趣味の対象という側面もある。どちらに視点の軸足があるかによって、随分と考え方も異なっている。物が趣味の対象というのが主な考え方の場合、装具、ウェア~車体のグレード、コンポのグレードといった物の優劣は額面的な大小で概ね優劣が付けられている様子である。
特に、機材や装具依存症マニアにとっては、額面的に高価な物を崇拝し、安価な物を下げ荒む傾向があり、その判定基準っていうのは、一般人の価格的価値観とは大きく異なっているように思う。
昨今の自転車ブームによって、自転車って商品はホームセンター、全国展開のスーパー、量販店~専門店等々の色んな場所で販売されている。しかし、自転車に対して従来興味が無かった人からみれば、何処で売っていても、パッと見は殆ど同じに見えるもの。
価格的な常識でも、中国製実用自転車が1万円以下で売られ、これが世間に広く普及している今、マニアから見たら有り得ない自転車でもドロップハンドル装備で一般の人からみたら似たような物であり、マニアから見たら有り得ない価格である数万円程度の値付けであっても、一般の人から見たらママチャリが1万円なら何も付いていないドロップハンドルの自転車が数万円というのは、相当に高価に映るんだろうと思う。
確かに、価格が違えば、モノが違うっていうのはある。しかし、価格の違いによる、そのモノの違いがユーザーにとって影響が何処までも明確に出るか?というと、極めて怪しい気がする。
そういう意味で、自転車に興味を持った人から相談された時に何を薦めるべきか?っていうのは、結構、判断しづらかったりするのである。
中学生の頃は、とにかくDURA ACEとか、カンパのレコード、ユーレーのジュビリーが欲しい!とか、フレームはやっぱりダブルバテッドのレイノルズ531とか、、、宣っていたけど、今は、どちらかというと、どうでもイイジャン!って思う方が大きい。そんなブランド、グレードが実際に快適さを本当に与えてくれたか?というと、相当に怪しい。結局、モノの能力と使い手の能力の関係によるものだ。
モノの能力>使い手の能力では、使い手からみると、どれ使っても結果は同じになる。逆に、モノの能力<使い手の能力では、使い手の能力を引き出すにはモノの能力が高くないとダメである。使い手の能力が高い程に、モノの能力が高いモノが相応しいだろう。
極端な話をすれば、最高級グレードで殆ど競技者向けのセットと、入門グレードのジュニア向けセットのどちらが良いか?というと、後者の方が使いやすいから後者を選ぶっていうのが今の考え。価格的には10倍違っても、実際には後者のセットの方が自分向けだと思うと、後者が魅力的に見えるのである。
但し、相談された場合、そういう価値観を持っているか?或いは、高グレードの品の割引率を以て得したという価値観を持っているのか?或いは、同じ価格ならば、グレードが上のモノを得た方が得と思うのか?これが、実に判りにくかったりする。
どんな価値観があっても良いけど、それは自分自身のモノ。その価値観の押し付けはNGだ。一方が優れて、他方が劣るという質のモノではない訳で、どっちも正しいし、それは好きずきだろう。但し、好き嫌いは人の好みによるけど、絶対的(普遍的な目的)な答えに対して、どういう価値観が答えに近いか?という絶対性に差があるのは言うまでもない。
最近思うのは、経験が浅く、あまり乗った事がなくって、店を渡り鳥のように徘徊し、ネットで情報を仕入れる奴ほど、人の文章、伝聞でモノを判断し、何故だか知らないが、最低でもカーボンバック、最低でも105クラスなんて言う奴がいる。そして、自分の経験とは無関係に、他人のモノの判定を価格やグレードだけで寸評したりしてる。また、本人のコンプレックスは、集まり等で、自分のモノが最底辺の場合には、自分をショボイと卑下したりしている。
質が悪いのになると、自分より格下の機材に対して、目の敵のような挑発行動を取る奴もいる。こういう生態っていうのも、機材選びは個人の好みだが、その選んだモノが自分の価値観では劣るモノに対して負けるのはおかしい?という思い込みが挑発行動を生むのだろうか?と思ったりする。
結局、モノの価値を、額面だけでしか判断出来ない奴っていうのは、その判断自体を自分の意識の底で確信が持てていないのだろうか?と思ってしまう。
それ故に、己の考えが正しいと思いたいがために、他人の行動や行為が異様に機になり、場合によっては、自分の考えと相容れない考えを否定したり、或いは、挑発的な行動を取っているのでは無いだろうか?
最近多いインスタント自転車マニアの話、或いは、自転車専門雑誌のライターの記事に触れる程に、そういう気分になる。大抵、自分の世界が確立している奴は、他人の行動に影響される事は稀って気がするのは気のせいだろうか?本人が、各経験に基づいた尺度を持ち、それに従って行動しているって見えるのである。
| 固定リンク
コメント