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2008年2月 9日 (土)

How?習慣化

 先の記事には、どんな事も効果を得るには、効果に見合った労力を掛けなければ得られないという事を書いた。更には、問題に悩む人は、そういう事態に陥りやすい思考故に、問題を抱えている訳であり、抱えた問題を修復するのは、問題を抱えない人が現状を維持する事に較べると、本来の思考と合わせて考えれば、非常に困難であるという事も書いた。

 それ故に、簡単、手軽、即効ってキーワードに人は関心を示すのだが、そういうキーワードで得たモノは、アッという間に効果を失ったり、予想外の弊害を抱えたりするものであある。

 そこで、そのような問題を抱えた人が問題から解放されるには、何が必要か?と言う事だが、それは、非常にありきたりな、継続的な努力であり、継続期間が長い程、継続する負荷が大きい程、問題解決に作用するエネルギー自体が多いのは自明の理であり、如何に、効果的な取り組みを長期間絶やすことなく行えるか?ということである。

 一言で言えば、しんどい事を続けてやるっていうのが必要ってことである。

 で、しんどい事を続けるにはどうすればよいか?と言う事だが、普通は、しんどい事は続かないものである。

 一言で言えば、続けるって事であり、その事自体を自分の生活の中で習慣化させる事が、望ましい。習慣化させるって事は、続ける労を、食事や睡眠といった生活の中において必要不可欠な事と対等な位置づけにする事である。
 食事や睡眠っていうのは、生きる上で必要不可欠であり、厭う労を生きる上で必要不可欠な事とするには、結局、続ける行為自体を、自分の欲求に必要不可欠な要素となるような位置付けに置くことである。

 実際に、中高年の運動ブームっていうのは、何よりも生きるという欲求において、肥満や生活習慣病による恐怖が現実の問題として迫ってきたが故の行動である。但し、そういう切羽詰まった状態では、既に、運動自体が制限される場合が多く、手遅れ的な状況となる場合も少なくない。
 そのような事態に陥る前に、継続的な取り組みが各人にとって生きる楽しみが高まるようなターゲットを見つける事が一番効果的では無いだろうか?

 因みに、自分の場合は、単車を操る事、自転車に乗る事が楽しみであり、その楽しみの満足度を確保するには、最低限、今以上の身体能力が必要ということであり、楽しみを維持させたいから、運動を続けているのである。

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