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2008年2月12日 (火)

安全・平和ボケ

 先日、自分の身を守る意識というか危機回避能力とうか、防衛本能が失われているのでは?って記事を書いたけど、これって、完全に身の安全は環境によって保証されているというような先入観によるもののように見える。
 新幹線のプラットホームには事故防止のために柵が設置されている駅もあるけど、そこまでしないといけないのか?と思うと、何とも微妙である。車両の往来においては、ホームから転落のリスクがある場所迄迫るという行為自体が自殺行為であり、それが危険な事は誰しも判っている筈である。
 どんな状況においても、何が危険で何が安全か?危険な目に遭うと痛みを感じるというのは当然予想されるし、日々遭遇する行為の中で痛みの度合は、どの程度か?というのも状況を見るだけで予測されるのが当然と思うのだが、なにやら、最近のニュースを見ると、全ての危険を排除するために、可能な限り保守担当者が対策を講じるのが必要という考え自体に違和感を感じるのは変だろうか?

 自身が遭遇するであろう危険が予測されないために、考えられない事故が生じる訳であり、この裏返しというのが、安易に他人を傷つける行為が日常化した社会に通ずるものがあるように感じる。

 自身の痛みが想像でき、その痛みを回避することが本能的にできるならば、痛みを他人に与えた時に他人がどう考えるか?というのも理解できる筈だと思う。

 本来、安全とか平和っていうのは、自分で作り出すモノの筈だが、昨今の様子を見ると、安全とか平和っていうのは、自然と存在するモノ、与えられるモノという意識の人の方が多いようだ。それ故に、身を守るという意識が欠如しているのでは無いだろうか?

 安全第一という事で、不安全要素の排除に努めるってのは大事な事だろうが、不安全要素の排除の前に、日常行動の中に、どんな不安全行動が潜むか?を考えて避ける事ができる目を養わせる事が最重要だろう。

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