老いによる意識の変化
さて、昨日迄に弛んだ身体を元に戻し、それを戻すために維持したモチベーションは何か?って記事を書いたけど、自分の趣味の移り変わりを見ていると、自分が確実に老いてきたのが判ったりする。
20代の頃迄というと、純粋に好きな事を時間と金の許す限り取り組んでいた。しかし、30代を過ぎると、時間、環境、経済的な制約により、その好きな事が満足できるように出来にくくなる。しかし、その好きな事を満足出来るように行いたいという欲望が勝り、必要な労を厭ってきたのが今である。
好きな事が満足な状態で出来にくくなるってのは、先にも述べた、時間、生活環境、経済環境的な制約もあるが、それに加えて加齢による衰え等も、好きな事を失わせる助長因子となっている。
それでも、好きな事に拘りたいという意味で今がある訳だが、この純粋に好きな事が何か?によって、生き方、価値観は大きく変わるものである。
人によっては、地位、役職、名誉であったり、立場であったり、富や金、経済力であったりする。それが何か?によって、随分と人生の後半戦は変わったモノになるようにも思う。
自分の場合は、勿論、金や名誉を有るに越した事はないが、それよりも、なによりも、今の自分の価値観や人生観、趣味を形成する上で最も本能的かつ直感的に取り組めた10代の頃の価値観が、本能的に最も好きな事と考えており、その頃の興味の対象と永久に関わっていきたいと思っている。
これは、単車(場合によっては自転車も)に乗って、自分の思い通りに操る事である。この自分が自分の思い通りに二輪車を操っているという意識を死ぬ瞬間迄大事にしたいのである。
しかし、モノをターゲットとした趣味故に、形有るモノは何時か壊れるし、操るという行為自体、身体能力が必要であり、確実に衰えていくのも事実である。
30代を越えて、所有している単車の台数が増えまくっているのは、恐らく、乗っているモノの寿命を察知してからの延命的な意味合いが、自分の深層心理の中にあるのだろうと思う。また、カメラ、デジタルカメラ、ビデオというのに関心が出てきたが、そこで選ぶ機種も原則、車載性、携帯性を重視している辺りから伺える事は、自分が操る様子を記録に留めておきたいという、自分の衰えを予感しているためなのかなぁ?と思えたりする。
デジタルカメラ、デジタルビデオも子供の成長記録用での調達もするけど、どちらかと言えば、二輪車に乗って何処行った?どんな風に走ってるか?を記録したいがために、選んでいる時の方が、実は真剣だったりする。
そんな訳で、自分の趣味の移り変わり、、、、昔は、単車や自転車に時間の有る限り乗りまくる。その後は、持っている好みの単車を複数所有して何時までも続けれる体制を作る事が関心事となり、一寸前からは、そういった二輪車を自分の理想通りに操るために必要な自分の身体を作り上げる事が関心事となり、最近は、そのような環境や出来る行為を記録に残したいというのが関心事となっている。
これって、変化を見ると、好きな事は不変だが、その事に対する自分の変化(老い、加齢)に対応して趣味のスタイルが変遷しているようにも見えるのである。
この先、自分のフィジカルなコンディションが変化していくと、どんな方向に行くのか?が実に興味深いものである。
全ての制約が無ければ、人里離れた数百坪の敷地+ガレージで、好きな時に好きな整備を行って、思い通りに走れる環境っていうのを実現したいが、こればっかりは夢で終わるかも知れないし、また、現実となるかもしれない。
| 固定リンク
コメント