金は目的?手段?
さて、これまでに、好きな事を捨てずにずっと楽しむために、どうするか?そういう気持ちが、どのように変化して、嗜好がどう変化したか?って話をしたけど、好きな事を好きなようにやるに必要なモノは、現実的に時間と財力である。
しかし、金も地位も、自分で趣味と付き合う上で必要な資本を得るための手段であり、目的ではないのである。人生において最重要なのは、趣味と付き合うための時間であり、時間を犠牲にしてまで金を得ようとは思わないのである。
趣味と接する時間は最大限確保=働く時間は最小限度に留め、自分の欲求を叶えるには、それを満たすだけの財力も必要であり、結局は、時間あたりの生産性を最大限度に保つのが重要である。つまり、生産性を上げる事が最重要ということだ。
生産性を上げるには、誰でも出来る事を時間を積み上げる事で財を生み出すという方法では実現不可能である。行為や行動、発想の価値は、希有な発想が大前提であり、人が出来ない事、思い付かない事、諦めている事にターゲットを絞る事で、その金脈を見つけることができるのである。その金脈=価値あるアイデアっていうのは、どんな分野であっても、(自然界の摂理)真理に基づくものであり、それを見抜く目こそが重要だが、そういう目を養うに必要な考え方というのは、実は、金や地位を、個人の中で、どの位置に据えているか?によって変わってくるモノだろう。新たな価値こそが全てに優先するのである。
金や地位を手段でなく目的として捉える人は、組織内の行動においては、自分の意見やポジションを相対的に評価して行動を起こす。そのために、モノ自体を判断するよりも、モノに関連する組織や他人の目から見て良く思われたいという考えがある。
しかし、モノの真理のみで判断出来る人は、組織の都合や、体裁は超越して、摂理に従っているか否かの判断で行動出来るので、行動はぶれないし、判断した意見は自分の納得の上での考えとなっている。
昨今、偽装問題、職場ストレス・・・・様々な問題があるけれど、その多くは、組織の都合、自分の立場という相対的な評価や、良く思われたいという色気故に、生じる問題も少なくない。モノの道理、真実に基づいた行動をすれば、偽装問題等は起こるはずもなく、人間関係で八方ふさがりとなるようなストレスに苛まれる事なんて有り得ないのである。
つまりは、好きな事を好きなようにやるには、モノの道理と摂理を見抜き、本当に良いモノは何か?の判断が自分で出来るような知識を磨く事である。そうやって、モノの因果を見極める知識が身に付いて、信念に基づいてぶれない判断が出来れば、偽装もストレスも何も生まれない。 特に、日本社会においては、独創性=出る杭は打たれるという社会であり、そういう発想を持つ人自体が稀な訳であり、稀故に、労働生産性も高く保つことができる訳であり、結果的に、趣味に費やせる時間と財力を多く確保できるのである。
本当に価値あるモノは何か?新しいモノは何か?が見つかると、それが普遍性を持っていれば、世の中には受け入れられるモノである。間違っても、そういうモノを企業として儲けるために開発しようという欲が先行してはダメなのである。人が思い付かない新たな価値を生み出す事自体に価値があり、結果として儲かるというのが理想である。
個人にしろ、企業にしろ、金や名誉を目的に行動していては、現代社会の抱える偽装、ストレスという問題が間違いなく生まれるものだ。
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