700Cロード vs それ以外
気のせいかも知れないが、バッチリ決めた装備に一流の機材で決めたロードっていうのは、それ以外の自転車と仲が良くないような気がするのは気のせいだろうか?いや、ロードバイクに乗った人も、セカンドにそれ以外を持っている人が多いとおもうので、人の問題というよりも、バッチリ決めた装備がもたらす精神状態によるものだろうけど、バッチリ決めた装備は乗り手にプレッシャーを掛けるのだろうか?
ホームコースを走っていて見掛けるのは、決めたロードっていうのは一生懸命漕いでいる人が多く、それ以外の人っていうのは一生懸命の人もいれば、そうでない緩い人も居る。そして、一生懸命中の決めたロードっていうのは、どうにも自分より速い存在が許せないとでも思えるかのような走り方に見えてしまう。その一生懸命の人達は、流している自転車を抜いたり、そのような自転車と停止線で並んだりする時は、笑顔で爽やか挨拶を交わしてくるけど、決めたロードの人にとって許せない存在の人も世の中には居るようで、そういう場合には、殆ど100%戦闘態勢に入っているように見える。
なんだか、心に余裕が見えてこないのである。機材と装備が一流=誰よりも速いって方程式は成り立たない。心の底では、機材や装備に金を掛ける素人程、コストに見合った効果が得られていないのを感じつつある筈だ。それ故に、グレードへの凝り方がエスカレートしていると言える。激しいエスカレートの意味するモノは、そこまで投資せざるには居られない現実を理解しているからであり、そうすることで、自己陶酔しているに過ぎないのでは無いだろうか?
そういうジレンマを抱えて一生懸命走っている時に、その価値観から見れば取るに足らない存在に現実を見せられる事が許されないのだろうか?それ故に、あのような戦闘的な行為に走ってしまうのだろうか?
ふと、そんな事を考えてしまうのである。
別に、高級な装備や機材を否定するつもりは無いけれど、それに着飾った人で余裕の無い行動に出てしまう人を見掛ける程に、高級な装備や機材の素人に対する効果の期待を打ち砕きたくなる。そういうモノも工芸品的に、ルックス的に、或いは趣味的に纏うのは否定しないし、有りだと思う。しかし、仮に、そういうモノを纏う事で他人への干渉の度合を強めてしまうのなら話は別である。
まぁ、モノには何の責任もないのだが、結局は乗り手の心一つの話だ。
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