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2008年3月15日 (土)

発展途上の素晴らしさ。

 先日、デジタルカメラ熱が一段落した旨を書いた。
 関心を持っていたせいか、最新機種の通販番組、新聞広告、ネットカタログも当然チェックしての話。デジタルカメラも初号機が市販されて15年近くが経過しており、当初のマニア向け、PCユーザー向けというキワモノ商品から老若男女がターゲットな普及品と商品ジャンルが変わってきている。多くの人に勧めれるってことは、機能は確立し、使いやすく、高性能になってきたって事である。
 デジタルカメラに限らずパソコンだってそうだ。MS-DOS時代、MS-Windows3.X時代なんかはマニア向け、業務向けの商品だったけど、インターネットという新たな情報メディアの発達、Windows9Xを経て2000、XP、Vistaと変遷した現代では一家に一台の普通の家電となっている。
 更に目を拡げると、車もそうだ。昭和40年代、50年代、平成一桁年代ってのは、新たな提案が生まれてジャンルが発生してきた時代であり、少なくとも、ニュージャンルの提案商品ってのはマニア向けという要素が強いが、現代ではニュージャンルってのは無しで、既存ジャンルの磨き上げって感じ。勿論、現代の方が高性能。
 スポーツバイクもそう。走りの方程式が確立する過程の80年代レプリカブーム~90年代迄は提案の時代だが、21世紀以降はブラッシュアップの時代。

 どんなジャンルも今が最新と考えれば、最新のモノは普及品であり高性能であり、リーズナブルであり、、、、悪い事は無いのだが、何故か、最新最強普及品ってのは自分的には心がときめかない。なんだか知らないが、どんなモノでも形態が定まる前の試行錯誤の時代のモノの方が惹かれてしまうのである。冷静に性能を考えれば最新こそ最強だとは頭で理解できるし、人に勧める時は、なるべく最新を薦めるようにするけど、自分の懐から支払う場合は、価格以前に性能以前に、一寸前時代的なモノに強く惹かれてしまうのである。

 単車を例えれば、峠専用機ならば80年代以降の2ストレプリカ、実用ツアラーなら80年代以降のVツイン、、、、心的には、電子デバイスで許せるのはCDI程度。EFIは現時点では却下。エンジンタイプは繰り返しになるけど2ストか4ストシングル、Vツインオンリーでそれ以外は不可。

 自転車では実はあんまり拘りがない。敢えて言えば、カーボンフレームは却下したいし、街乗り中心ではスプリング+ダンパー構造のサスも却下。

 デジタルカメラは機能については目的に応じたモノなら特に制約は無いが、基本は乾電池駆動。画素数的には30万画素~200万画素機が好み。いくら多くても300万画素迄。理由は、(PC再生+L判出力)使用形態と保管時のPC内のデータ占有を考慮しての話。

 パソコンは基本的に可動部分を有する機械ということで修理のし易さ+ネット使用やフォトレタッチにおける基本性能というレベル。メモリー1GB以上でCPUは出来ればDUAL構成(CPUでもコア数でも)に後付ビデオカードというレベルで速度よりも信頼性重視。

 とそんな感じで、何れも時代的よりも機能的に必要最小限が得られる最新機種ってのが好み。安価で高機能でも無用(自分が必要と思わない)な機能が付いている時点で興ざめする。勿論、機能が完璧に満足できるという訳でもないが、満足というか不満に思わなければOKと思えるような感じだし、なんか不自由な感じが微妙に惹かれるのである。

 必要最低限の機能を考えて買い物をするという事ではあるが、ここで必要と思う機能については拘りがあるのも当然である。自分的に必要と拘る機能が最低限の構成で実現されている物が最も購買欲をそそるものである。どうでも良いと古いモノを漁るのでは無く、これが良いな!って思った機能のみを有するモノが古いモノの中に多いという話なのだ。拘った機能を手に入れて実感して、その上で新しい思いが生まれれば次のステップに移行するだけである。最初からソコソコが沢山あったら、多分あんまり考えずに漠然と過ごすような気がするのである。しかし、進歩の速いメジャー製品ってのは、製品トレンドが市場要求によって作られている部分が多く、新しいモノの中には自分の好みが見つからないって事もしばしばある。それ故に、超々お気に入り品で絶版品の場合は、ついつい予備機?なんて購入してしまう(非常に悪い癖)のである。
 更に序でに発展途上ジャンル製品について言えば、どうしても成熟製品に較べると割高であり、客層は限られたマニア系?となりがち。製品は?というと開発競争のさなかにあり、その時点における最新技術の投入度合は高い。しかし、技術レベルが成熟して円熟状態となったジャンルの製品はソフト面での競争がメインとなり、製品トレンドは市場側が支配する。市場規模が大きく客層も一般的であり、どうしても開発指針には価格競争力的要素が大きくなる。それ故に、その時点における最新技術の投入度合は抑えられがち。そういう意味からも製品からのメッセージ性っていうのは、発展途上機の方が強く感じられるのは錯覚ではない筈。
 自分の拘りは絶対性能ではなく、製品の持つメッセージに賛同できるか否か?という感じだと信じている。昔のハイエンドは今のローエンドに較べるとポテンシャルが絶対的には劣っても、スピリッツは勝るという思いである。

 例えば、デジカメなら小型高画素CCDに対する否定的論調があり、大型低画素CCDを否定する意見もあるけど、昔の低画素大型CCD機と今の高画素小型CCD機を比較したら絶対性能は現行機種が勝るかも知れないけど、自分の求めるレベルが昔レベルでOKなら、シンプルで判りやすい分、昔の方が良いというイメージ。デジカメなら高速性能を追求してAF合焦速度を上げたとかあるけど、それならPFで良いのでは?という割り切りだったり、高画素+小型レンズ+手ぶれ補正で綺麗なら、中画素+扱いやすいサイズで十分では?ってイメージ。要は納得できる機能を最もシンプルに手に入れたいという感じである。画質について色んな意見があるけど、例えば最新機種によって毛穴迄撮せるという機能があっても、毛穴は見ないので、そんな描写力は不要だと割り切る感じである。ポスターサイズを高精細に出力するための高画素と言っても、ポスターサイズを目の前で見る事は無いので、そんな高画素の意味が良く判らないと割り切る感じである。

 天の邪鬼か?最新、最強、高性能、普及してます!ってのは、何故だか、『ハイハイ!良かったね!』って感じで他人事的な感じがするのである。

 但し、発展途上から自分が許せるモノを選ぶってのは実は結構失敗が多いモノ。そんなときに参考になるのは、詳しい人が過去に『良い!』って判断したモノ。自分の判断ってのは、関心を持った当初っていうのは相当にいい加減だが、モノに関心を持った多くの人が良いって判断したモノは、後に名機、名車って評価を得る。名機、名車って評価されるには時間が必要で、何が良いか!っていうのもセットで評価され、良いモノ程、ユーザーが多く、短所も挙げられている。そんな評判から選ぶと概ね間違いが無いようである。そういう評価を得たモノってのは、時代を超越して名前が後に残る訳であり、名前が後に残ったモノってのは結構良い選択では?と考えたりする。案外、最新の汎用的高性能品っていうのは時代に色褪せるのも多そうだ。発展途上には、そんな機械の評価も垣間見れるし、その評価には、その機械が訴える事も見え隠れしたりする。そういうモノを楽しく事をひっくるめて発展途上製品ってのは楽しい存在である。

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