『低学歴・低所得な女性=肥満』って考え方は
水曜日のラジオニュースで聞いた寝不足、寝過ぎで肥満、糖尿病リスク増大の記事を検索していて見つけたのが、表題の調査結果。
なんと、低学歴で低所得な人程、肥満傾向が強く、特に、女性程その傾向が顕著なんだそうだ。
理由は不明だが、そういう傾向にあるとデータが示しているらしいんだが、その原因を類推することは難しい。この記事の問題は、低学歴(こんな言葉を書くのも抵抗があるが、、、、)=低所得と決めつけるような表題が掲載されている事にあると思う。低学歴は必ずしも低所得とは限らないし、高学歴で低所得も居れば、低学歴で高所得もあるだろう。
勿論、本音として、そういう印象が多数を占めるかもしれないってのは理解出来るけど、公の記事のタイトルに用いるべき記述では無いと思うところ。
但し、本音の部分として、一般論として世間でいう常識的な知識の蓄積を疎かにしてしまう程、活躍のフィールドが狭まるというのは、社会で財を得るための武器(知識)が不足した状態で社会に挑む訳であり、或る意味仕方ない事である。
財を得る=価値を生む、、、、所得が多い=高い価値を生む、多い価値を生む=人が気付かないモノに気付く=注意力+知識が多いという傾向であるがために仕方ない事とも言えるけど、そもそも学歴ってなんぞや?っていう事をふと考える事がある。
学歴というと、結局、どんな学校を最終学歴にしているか?その出身校のランク付けの事を言っており、何故だか知らないが、出身校が違う事で卒業生が分別されるというのが不可思議ではある。
少なくとも、義務教育制度が中学迄、高校以降は義務教育では無いのであるが、実質的に中学卒業生のほぼ100%が高校に進学しており、下手すれば大学にしても殆ど義務教育化されているのが実態。そして、卒業年次になれば等しく社会に出るというのであるが、少なくとも高校なり大学が義務教育的であるならば、その段階で学ぶべき知識のかけら位は持って卒業すべきとも思う。
しかし、実際に高校、大学は教育産業的であり生徒はお客様、授業料が売り上げという感覚で経営されているようであり、学校教育において学ぶべき知識を身に付けているとは言い難い。
メインサイトの戯れ言でも書いたけど、少なくとも社会に出るには、出て財を為すに見合った能力を付けなければ社会に出るべきではない。年数を在籍して卒業というシステム自体は人間の中身を見ていない。厳密な意味で習熟度単位制を厳密に運用して単位取得をもって卒業というシステムを取り入れる方が、少なくとも教育的であると言える。
受験という能力分級システムによって区別されて、オートメーション的に年数を重ねる事で卒業年次を迎え社会に排出(←誤字ではないですよ!地元でも悪評の学校の生徒見たら、こういう言葉を使いたくなるんですね。)されるシステムでは、少なくとも通常と同じ年数の学習では遅れを取り戻す事は非常に難しい訳であり、高校とは名ばかりで生活指導レベル迄しか手が回らない現状で分級された段階で遅れを回復すると言う事を諦めていると言わざるを得ない。
学歴という言葉自体は、このような教育システムによって生まれた物のように思うところで、どんな人でも見合った能力を得るために個人毎の年数を一様に決めずに能力を得て社会に出るというシステムであれば、年齢的な差異はあれど通常概念の学歴差という部分は相当に圧縮されるのでは無いだろうか?高校大学レベルでの年数的な回り道は、仮に10年の差が有ったとしても社会に出てしまえば殆ど関係ない。それよりも、知るべきを知らずして社会にでて知らぬままに10年を過ごす方が問題だ。
記事表題はニュースから引用した語句だが、低学歴と低所得という言葉が出回る事自体がナンセンスであり、それを卑下するようなタイトルはあってはならないのだが、実際問題、このようなタイトルが存在するというのは、そういう認識が社会に存在すると言う事でも在る。
ここで記事を書いても何の影響力も無いが、少なくとも、現教育システムで社会に出る準備をすべき状況に居る人(学生)は、何か社会で通用するモノを身に付けて欲しいものである。頭悪いのは勉強すれば良い。不潔なのは清潔にする。デブはダイエットする。無愛想な奴は愛想良くする。言葉汚いのは作法を学ぶ。どんな欠点でも対処法は存在するが、それら(自分の劣っているポイント)に違和感を感じなくなって(当然だと思い)周囲への攻撃性ばかりが出ると、ろくな事は無いと思う。非常に幼いし、そのまま歳を取ると誰からも相手にされなくなる。
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