成長と老衰、衰退
我が家の娘は今5歳。息子は9ヶ月である。娘の方は四歳の時に自転車の補助輪を外して家の近くの道路で自転車を乗り回している。それでも団地内でも一般道であり危ないということで、昨年の秋からは結構頻繁に川内自転車公園に連れて行って自転車の練習をさせていた。
その甲斐あって、今では結構上手に乗る。二輪のバランスの取り方のコツを掴んだせいか、先々週からは二輪のキックボードも器用に扱っている。そして、今では自転車も結構な急勾配を立ち漕ぎしながら上っていくし、下り坂のブレーキも結構上手である。
ということで、今日は会社から帰って夕方に、お遣いを兼ねて地元のスーパーに親子で各々が自転車に乗って買い物に出掛けてみた。結構、器用に運転をしていたので、調子にのってニシダサイクルさん迄足を伸ばし、そこで鍵を付けて貰って帰ったのだが、幼稚園の年中さんにして自転車にのって町内を徘徊出来るようになったっていうのは、感慨深いものであり、その成長には目を見張るモノである。
同じく、9ヶ月の息子だが、この一ヶ月で急激に活動量が増えて、今や超高速ハイハイ、掴まり立ち、壁から壁への倒れ掛けながらの立ち姿での移動とこれも成長の速度に驚いているところ。
その一方で、今日のテレビでは若年性アルツハイマーと闘う家族のドキュメンタリーをやっていたが、健康を害す理由によって機能を失われ病状が進行する毎に、昨日迄出来ていた事が出来なくなるという恐さを目の当たりにもした。この番組では疾病による機能喪失と言う事が取り上げられていたけど、そういう疾病如何に関わらず、どんな人間でも老衰し機能が衰え、機能を失っていくのは生物の定めであり、それが疾病によって急激に訪れるか否かの違いであり、長い一生の中で、機能がどう変化するかは判らないが、確実に衰えるのは確かである。
子供を見ると成長に驚き、病と闘う人、或いは、老いを迎えた人をみると、その逆に驚く。凄く当然の事で、何の変哲もないことだが、その事実を考えると、人生において自由に思い通りに身体が使える期間っていうのは、本当に僅かな間しかないようにも思う。
そんな僅かな間さえも、多忙や怠慢に翻弄されると、機能を失う時が早く訪れる訳である。何よりも、健康に生きる。そして、子供の成長を生中継で楽しむだけの活力を維持した生活を保ち続けたいものである。
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