« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »

2008年4月30日 (水)

そのうち、がっぽり

 今日、知り合いの社長から連絡があった。
 なんでも、プラントプロセス用流体搬出機器用のベアリングパーツで、摺動部位が減圧雰囲気に曝される(つまり摺動雰囲気が液体が気化した気体中という状態)という用途向けに、特許で定義した複合材料性摺動材料の発注を受けたそうだ。これは、陸上、下水関連とは全く関連の無い会社であり、向け先は全て海外向けだが、数量で20セット。相応の金額である。今年は、様々なグレードで200~500セットは出荷が見込めそう。

 これが定期的に出ると、社会の中で使われるって事。有り難い話である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

船舶バラスト水処理問題の発端は?

 技術系の戯れ言としては、素材、複合材料、セラミックス、摺動システム、摺動材料・・・関連が殆どだが、お客様の中には『海水 殺菌 バラスト』でお越し頂いた方もいらっしゃる模様。で、お越し頂いた記事は、

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2008/04/post_ef73.html

 であるけれど、その検索ワードでググルと、出る出る!出まくりである。
 で、ネットで出る情報は虚飾が多すぎで、どのシステムもメリットを唱いすぎ。デメリットが全く触れられていないのが笑える。

 言えるのは、どんな原理原則でも現状では決定打となるコア技術が定まっていないと言う事。結果、物理処理、化学処理を複数組み合わせて機能を達成するという事。
 その複数のコアからシステムが成立するという話だ。

 さて、この話、勤務先でもプロジェクトを設立して取り組んでいるが、自身、外部の人間(それゆえ何してるか知らないけど、、、)として、企業の守秘義務の範囲外で、全く個人の知識として、このバラスト水殺菌の話の経緯を記事にしてみると、、、、、、

 遡る事15年前の1993年における沿岸海洋研究ノートという技術雑誌に掲載された学会発表稿が発端である。
 そのタイトルはネット普及前なんで知らない人の方が多いと思うけど、

『バラスト水による有害海洋プランクトンの移動と生物海洋汚染の広域化』って主題で、サンプルをオーストラリア・タスマニアを汚染する日本から運ばれた生物をネタとした論文が起点である。バラスト水処理技術は一見、日本の企業グループが先行して環境先進国的なイメージを持つ日本人が多いのだが、元々はオーストラリアの研究者がネタ探しで見つけた漁業被害であり、その犯人が日本から来た貝毒であるというのが最初であり、現在の世界的な環境問題の元は、日本からオーストラリアに輸出?した漁業被害であり、その元凶である加害者が日本だというのが何とも皮肉である。

 この論文の元となる生物が渦鞭毛藻(Gymnodinium catenatum)って生き物。この生物が原因で麻痺性貝毒を引き起こすのだが、この藻類は群体を作り、その群の程度で名前が変わる生物で、アレキサンドリウム・タマレンセ、アレキサンドリウム・カテネラ、ギムノディニウム・カテナータムって変化する。
 この藻類プランクトンが群体を作らない状態であるタマレンセでは髪の毛の太さの1/10以下。群体が数個の状態でも長手方向が髪の毛の太さ程度。カテナータム状態では細長い状態。

 話が前後するけど、この麻痺性貝毒は、中毒症状が激しく、あのオウム事件でもあったVXガスとかサリンと同じレベルの毒物に指定(日本での話だよ。)されており人命にも拘わったりするものであり、当初は、環境云々の前に人の命に関わることで論文に取り上げられたという経緯を知る人は少ない。(勤務先のプロジェクトメンバーも知らないだろうなぁ、、、)
 因みに、貝毒の種類を挙げると、麻痺性貝毒(PSP)でサキシトキシン群、下痢性貝毒(DSP)でオカダ酸、ディノフィシストキシン、イェットトキシン、記憶喪失性貝毒(ASP)でドウモイ酸、神経性貝毒(NSP)でブレーベトキシン、ジムノジミン、シガテラでシガトキシン、ガンビエルトキシン、マイトトキシン・・・・等々結構沢山あるのだ。
 貝毒発生のメカニズムは省略するけど、貝毒の構造式からみるとアルカロイドの一種であり、サキシトキシンの他に誘導体が22種類存在する。

 この貝毒原因の渦鞭毛藻はシダ植物の如く生活環を持っており、その状態によっては耐性が大幅に異なるという厄介な生物。生物にとって不都合な環境になれば忍者の如く形態を変化させるのが、こいつの凄さである。こいつの休眠状態は温度変化や圧力変化にも極めて強く、並大抵では殺す事が出来ないのだ。普通、海洋生物の殆どは塩素殺菌が有効だが、こいつの休眠状態は塩素殺菌にさえ耐えるという嫌らしい性質。この休眠状態は泥に紛れており、専門用語では休眠性接合子(シスト)と呼ぶのである。これが一匹残れば結果は未処理と同じなのである。コイツの呼び名で『タマレンセ』ってあるけど、冗談で耐性の強さを見て『タマランゼ』なんて読んでいたのがエンジニア仲間での笑い話だった。この耐性迄を理解した殺菌システムでなければ全く意味がないのだが、その辺の知見は、造船、機械メーカーのエンジニアには少ない感じである。寧ろ、水産関係、化学関係のエンジニアの方が上手だろう。こうなった理由は、日本の縦割りシステム故の情報流通度の貧しさから招いた事態とも言える。

 この有毒プランクトンがどうなるか?っていうと、これが牡蠣、貝に摂取されたり、藻類に付着して毒物が蓄積し、これを人間が摂食することで中毒が発生するという。近年では平成10年二月の新聞記事だが三瓶湾で牡蠣から麻痺性貝毒が発生、規制値の40倍で4人に痺れが出たという話もある。ある年度からデータを取り出すと、日本では年間17県で発生し、貝毒のための規制のべ日数は3000日に迫るのである。この漁業被害こそが問題の本質であり、その漁業被害の元が、プランクトン輸出?による生態系破壊ということで最近話題になっているのである。

 さて、本来は、こういった生物の特性に合わせた(ターゲットを絞った)殺滅システムがシステム内のコアとしての存在価値を高めるのだ。一つのコア技術では国際ルールが要求する殺菌能力は実現出来ないんで、コアに意義を持たせる(技術毎に特化した殺菌能力を持たせる)という発想が技術開発には必要というのが持論だ。

 因みに、この貝毒の原因の渦鞭毛藻の耐性から言えば、バラスト処理システムで名を売っているオゾン処理、紫外線処理、最強の化学処理である塩素を用いても全く無力である。

 そんなレベルであるのだが、隠す事も無い話なんで。折角、お客さんが来たんで知っている情報を書いてみたりする。

 全く個人的に興味があるのは、三菱重工さんと日立さんが共同で行っている磁気凝集分離って方法。他のオゾン、紫外線はスケールアップ困難だしエネルギー的に見合わない。化学薬剤投与法は陸上基地側でのインフラ整備を考えると一時のモノって感じ。

三菱、日立は
http://www.mhi.co.jp/news/story/080407.html

住友電工は、
http://osaka.yomiuri.co.jp/eco_news/20080101ke01.htm

 鍵はこの辺が握ってる。俺も全く磁気関連技術をコアシステムに用いるのが最適だと思う。プランクトン等微生物をターゲットにする場合、圧力変動、温度変動、薬剤から通常の濾過は効率が悪すぎ。凝集というプロセスを介在させる事で、どんな処置と組み合わせても効率はアップするのは間違いない。磁気凝集ってのは最良の策のように素直に感じる。

 ところで、この分野の私の基礎知識は1997年の段階で、水産試験場の方と話をする中で、湾内海水の垂直循環システムで赤潮発生を抑えようって議論が出た頃から考えて得たもの。その海水処理イメージから暖めているアイデアを具現化するために調べたモノ。結果、今、誰もやっていない案もある。この案は、自分で勝手に夢見るアイテム的なモノに過ぎない。装置的にはコンクリートボディによる怪しいデバイスだけど、旨い具合に機能することが実証されれば、その内記事にするかもしれない。因みに、試験レベルでは効果は確認済みだし、論理的に成立する理論による装置なのは当然だ。キーワードとしては磁気、凝集って部分は同じ。個人的には泡沫分離に魅力を感じる。話が脱線するけど、凝集となると凝集フロックが出る。このフロックは造粒することでハンドリングを楽にすることもできるけど、自身、材料開発における造粒装置も発案して転動増粒装置開発にも携わった事がある。必要な機器類自体に親近感を覚えることもあり、それ故に、イメージしやすい事から、日立、三菱さんや住友電工さんの方法が良いと思うのかもしれない、、、、。

 勿論、この話は勤務先のエンジニアの誰も知らない話であり、私の戯言だ。

 さて、そういう話なんだが、狭い地球という閉じた空間で生活活動が活発になると、地球という系自体の乱雑さが増大し、系全体が一様な環境に変化するというのは、これまた、或る意味自然の摂理であり、熱力学の法則に従った現象そのものとも言える。
 既に、世界中を船舶、航空機が往来して何年が経過したか?を考えると、個人的には、このような生態系維持規制を施しても手遅れ。帰化した生物を選択的に自然界から取り除く事も困難。人間という生物の生活活動によって地球において旧来の系が新しい系に移行する現象の一つとも言える。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

ママチャリの子供乗せ乗車可能年齢

 今回の道交法改正で一部で話題沸騰?なのが、ママチャリに子供乗せ装着して三人乗り出来ないと困る。出来る条件を探すって話題。

 ところで、このママチャリに装着する子供乗せ用補助シートに乗車させる事が出来る子供の条件は結構知られていなかったりする。

 補助シートには前用、後用とあるけれど、
 原則として一人座りが出来る10ヶ月~4歳未満で体重15kg未満っていうのが条件。
 法律で定められているのが6歳未満ということだが、特に4歳以上で6歳未満、体重20kg以下の幼児は後用の子供乗せ用補助シートを使用するということ。

 法律的な解釈で重要なのは6歳以上の子供は二人乗りは認められていないのだが、街ゆく母親の風景みると明らかに6歳以上の子供も乗せて走っている例が散見される。なお、運転者年齢も16歳以上って決まっている。

 しかし、実態としては子供乗せが付いていれば、乗れる範囲で三人乗りもOKだろ!って先入観を持っているのが殆どだろうなぁ、、、、6歳といえば生まれた月によっては幼稚園の年長さんは子供乗せに乗るのはNGってこと。確かに、年中さんと年長さんの間では子供の成長は著しく、年長さんが子供乗せっていうのは如何にも窮屈である。

 しかし、原付のような免許制度、車体の標識(ナンバー)等々から保険制度に到るまで未整備な自転車。法律があっても取り締まるために必要な衆知努力が成されていない現状では、ルールなんぞあって無いようなモノ。自転車=車両で公道で使用する上での義務等を覚えさせるような仕組み作りが一番必要なのかもしれない。

 我が家では、5歳の娘に多段変速の自転車を与えているが、実は、6歳になった時には、十分大人と一緒に走れるようにしておきたいって思いがあるのだ。そうすれば、自転車という交通手段で家族全員で移動する事も可能な訳である。
 前の記事にも書いたけど、変速レバーがもう少し軽ければ良いのに、、、、、。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

ダイエットの秘訣、奥義は、、、

 昨日見掛けたニュースで目を惹いたのが、メタボリックシンドロームの原因は肥満ではなく、過食が原因という記事。

http://health.yahoo.co.jp/news/detail/?idx0=w20804253

 何でも、心臓や肝臓などの臓器が損傷される原因は脂肪細胞以外の臓器に脂肪が漏出することであり、脂肪分子が脂肪細胞内にとどまれば、有害な漏出は抑えられるという話で、脂肪分子が脂肪細胞に留まらせるというのが大事って記事だったと思う。

 しかし、過食の結果が肥満になる訳で、過食状態を継続すると肥満になるのは必然であり、過食状態ながら肥満でない場合は、脂肪細胞からあふれ出る物質も無いのでは?と考えたりすると、この過食の継続状態と肥満というのは因果関係での原因と結果のような関係で、表裏一体のようにも思う。まるで鶏が先か?卵が先か?という議論のように感じるのは気のせいだろうか?

 肥満というのが脂肪分の蓄積であり、結局は摂取が消費を上回る状態。この不釣り合いの状態を過食という訳であり、過食っていうのは食事の絶対量とは異なり、消費に見合った摂取を越えた過剰摂取という相対的な状態を示すはず。そう考えると、過食というのは、消費不足であり、結局は運動不足、代謝不良って事が原因。実際、この記事にも原因は運動不足って記載してある。

 (相対的な過食状態)=(摂取>消費って状態)=運動不足か代謝不良

 となるならば、運動によるエネルギー消費効率を高めるような筋肉量アップ、その上での筋肉を動かす運動習慣が必要ということで、結局はありきたりの結論に帰結する訳だ。

 一般に運動というと身体を動かす事。で、単純に運動すれば運動不足は解消されるけど、代謝効率をアップするというと、簡単ではないが、そういう状態を作り出すのは結局は運動によるモノ。

 代謝の多少は動かす筋肉量に連動する訳であり、代謝量アップ=筋肉量アップでもある。筋肉量アップというと、筋力トレーニングを中心とした無酸素運動系のトレーニングを思い浮かべる。
 一方で脂肪燃焼に効果的な運動というと、長時間の運動ということで有酸素運動系のトレーニングということ。
 有酸素運動だろうが無酸素運動だろうが、例えば歩く、泳ぐという行為では、身体の同じ部位を使用するのだが、無酸素運動によって強化した筋肉を軽負荷長時間という形で有酸素運動させるって形が必要ということ。

 つまり、過食改善の運動実施と運動による代謝率アップには、それに見合った身体作りを進めるのが肥満に陥らない身体作りのポイント。
 結局は、筋トレ等による筋力強化と自転車、水泳のような有酸素運動を行うと言う事が必要。筋トレ+水泳ってのは結構しんどいけど、それに近い効果的なトレーニングメニューが何か?を考えると、そう、、、、、それは、

 『サーキットトレーニング』

というのがベストかもしれない。強化する部位を短時間で疲労を感じる程に追い込んで、休むことなく、きたえる部位を変えて運動を継続する。要素メニューをパート毎に組み入れたサイクルをつくり、そのサイクルを繰り返す。結果、各パートの筋トレと全身を動かし続けるという持久系の運動も同時にこなせる。このメニューこそが、肥満と縁遠い身体を作る秘訣のように思うところ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月29日 (火)

爆走園児

 年長組に進級した娘に二台目の自転車を与えて3週間が経過した。
 週末毎のサイクリングの甲斐もあって、少々大きめながら随分まともに乗れるようになった。
 この休みもサイクリング+町内道路の周回と併走したのだが、サイコンをチェックしてビックリである。何と、最高速度は24km/hってところ。速いではないか!5歳で24km/hってのは予想外。サイクリング時の平均速度も13km/hと上々の速度である。

 ところで、このZIT2020って自転車はRITEWAYの18段変速の自転車であるが、身長109cmには少々大きめで、カタログ公称のサドル高さ54cmってのは真っ赤な嘘。標準状態ではサドル高さは58cmはある。こうなると足は全く地面につかない状態。

 で、対処はポストを10mmカットして目一杯下げれるようにした事、ヤグラをひっくり返して付けて-30mmってところで合計で-40mmでカタログ公称値通りのサドル高さにしているところ。しかし、今度はクランク長が140mmでありクランク上死点近辺では足の曲がり具合がチョット激しい感じで乗りにくいか?と言う状態。
 他にもフレームサイズが微妙に大きい感じ。

 で、対処はステムをTIOGAの超ショートステムで-20mm、サドル位置は微妙に調整して足の曲がりが極端過ぎない程度迄サドルを上げて56cmというサドル高さで辛うじてOKという状態となった。
 ホント言えば、トリプルのクランクセットを購入してクランクにペダル軸穴をドリルで穴開けした後にタップを立てようか?とも思うところだが、20インチクラスの子供者のクランク長はニシダサイクルさんでチェックすると殆どが130~150mmで120mmクラスというと幼児車オンリーである。

 他の問題点は変速機のシフトがグリップシフトになっているところ。これが幼児には操作性が今一。シフトアップは可能だが、シフトダウンでは握力不足という状態。幼児車の場合は、シフトは電動パワーアシストが必要かもって思える所だが、まぁ、半年も経てば変速できるようになるかも知れない。
 自転車の変速機はリリース側は軽い操作性だが、プル側は重いのがNGだが、特に子供車ではそう感じるところ。

 まぁ、そんなところが気掛かりな所だが、取り敢えず園児でもどうにか変速操作が出来つつあるし、変速したら速度が出たり、上り坂が楽になることが理解できたみたい。一日の走行距離も20km程度は走るようで、まずまずだ。
 何よりも自転車に乗って走り回るのが相当に楽しいようで一安心。この調子で嵌れば、小学生になれば、より本格的なマウンテンバイクかロードバイクに乗せてみたいような気もする。恐らくはオヤジ以上になるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サプリリスク

 当サイトで諄いくらいに言っている事。
 人工的な手法で健康を得ることの危険性の一つで、サプリ過信によるリスクについての講演が行われたとの事。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200804280007.html

に記事があるけど、サプリなんぞ、ここ20年程度で普及したモノ。その弊害は、これから露わになるだろう。昭和40年代に西洋医療崇拝で薬漬けになった患者の多くは、副作用や薬剤が効かない身体になって今も苦労している。
同じように、サプリの長年に渡る摂取によって身体機能の平衡性維持機能が狂うことも考えられる。サプリという手軽=低濃度=長期摂取後に発現という場合、何か起こった時には取り返しが付かないかもしれない。

人体の機能維持には生体進化によって獲得した本来の機能を自然に活用することがベストなのは、進化の歴史の長さがあらゆる医療技術の歴史より長いことからも明白。

変に、薬、サプリ、健康食品に依存するのは、危険が一杯である。少なくとも、工業製品である食材は、濃度的、組成的に自然界に存在しない形態であり、それを摂取するのはリスクが極めて高いと思うのは考えすぎだろうか?
身体に良いモノでも、適量を適法で摂取して初めて効果的。それを強引に摂取するのは如何なモノだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月28日 (月)

検索フレーズの解答?

 ここ二三日だが、踏み込んだ技術ネタを多く書いたけど、その理由は、アクセス記録を見てからの話し。更には、ブログを見て焦る会社の態度に呼応しての話。

 だけど、そんなネタ以上に検索フレーズで興味深いのがピスト、ロードネタである。

 折角だから、自分の考えを書くと、、、、

1.ピストのギア比
 団地に住んでいるのなら 42T×16T、44T×17T、44T×16Tがオススメ。立ち漕ぎで10%勾配も登れるし、ブン回せば50km/hオーバーも可能。30km/h走行で100rpm弱くらいなら向かい風でも30km/hキープが楽々。
 平地しか走らないのなら、46T×16Tあたりが具合良し。坂はきついけど、30km/hで90rpmくらい。追い風なんかでは相当楽である。

2.痛くならないサドル
 サドルの材質の前に、リーチを適正にすること。身長170cmとするとトップ長は525~530mm程度、ステム長は90~100mm程度。遠すぎると腰を痛める。近いくらいが丁度良い。一般には胴長、腕長とか腕長から求める計算式も有るけど、、、。ステムとサドルの楽さはテレビの影響は受けず、サドルトップとステムは水平を基準に、大きくてもサドル位置から-50mm程度にステム位置は留めておくべき。
 腹筋に力が入るような、スクワットでのボトムポジション気味で腹の力が掛けれれば、腰も尻も痛くならん筈。

3.最適ケイデンス
 人それぞれというけれど、基本は90rpmでは低すぎ。105~110rpmが回せるギア比で走れば路面状況、風の強弱に対して影響が少ない。自分の場合だが、、、。ケイデンストレーニングがどうかはしらないけど、軽めのギアで最低でも150rpmを回すような練習をすれば110~130rpmは楽に回る筈。慣れれば180rpmも回るようになる。

4.小径は遅いか?
 自分レベルでは遅さは感じない。小径車の能力を出し切っていないんだろう。ロード、ピスト、小径、どれに乗っても乗り心地等の違いは多少あれど、性能的な差違は感じない。無風で35km/h程度はどれも同じだろう。小径でも60km/h近く出るし、200kmくらいなら疲労感も一緒。ポジション、実質ギア比(展開量)を揃えれば変わらないと思う。

5.オススメギア比?
 フルサイズのロードバイクという前提ならば、私のダイエットロード号を参照して貰えば良い。小径車ならばオ・モイヨWW号を参照して貰えば良い。

 700Cの場合は、前46-38-30T×後14-15-16-17-18-19-21-23-25T
 451WOの場合は、前48-34T×後11-12-13-14-15-16-17-19-21T

 このギア比で十分。小径でも前に52Tとかならトップは12T以上、フルサイズでは普通のギア歯では踏めないのは間違い無い。

 以上のような検索フレーズがあったので、一応回答しておく。あくまでも持論。あくまでも勝手な話。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

特許技術の行方

 いろんな特許やアイデアを持っているが、こういったモノを考えるのは、何と言っても人が思い付かない事をやるという点で楽しい。

 しかし、人がやらないという事は、逆に言えば価値があるかないかも解りにくいもの。
 結果として第三者に売れるというのは価値があるのかも知れないが、そういう実利的な満足度に関心は無いのが本音。

 で、一番の関心事は、アイデアを属する分野の専門研究機関(学会、研究会、大学・・・)によって評価を委ね、結果を確かめる事である。

 最近といえば、無潤滑摺動を実現するシステムがあるが、これは元々はと言えば、勤務先における超耐摩耗システムのトラブルに対する敵討ちから生まれた技術。時の経営者の経営判断では、超耐摩耗システムの宿命である無注水摺動性能に対する致命性から開発の意志無しという宣告が為されたモノ(開発予算も開発体制も得られず、或る意味、開発禁止令が出されたモノ。)だが、独力で開発したモノ。独力とは、そのアイデアに乗る人を募り、そのためだけの新会社を設立して、そこで特許等の権利確保を行い、設備投資から協力会社の開拓を行ったもの。

 今は、その経緯で開発した無注水無潤滑摺動システムを支える複合新素材を、勤務先製品において市場化し未だ顧客の元で使われている超耐摩耗システムの交換部品として導入しているところである。

 当時の超耐摩耗摺動システムの販売撤退決定が2004年3月だが、無注水無潤滑摺動許容システムの完成は2004年12月。その後、実証試験を進め、2006年6月に超耐摩耗摺動システムを搭載した機器を購入したユーザーを招き技術披露(レセプション)を開催した。翌月、2006年7月に開発新素材を超耐摩耗摺動システムの構成部品の一部を交換した。

 結果、従来の超耐摩耗摺動システムでは最短で1年程度の期間で発生した無潤滑摺動による摺動システム損壊事故が抑えられ、この夏に二年が経過する事となる。
 その後、2007年8月から2008年4月に掛けて、顧客の元で使われている従来システムと交換する事で実証試験のサンプル数を大幅に増やしている。現在、トータルで11プラントにおいて稼働中。

 結果、現在の所は、従来の超耐摩耗システムだけでは防ぎきる事が出来なかった無潤滑摺動による事故の報告は無い。

 その一方で、この無潤滑摺動システムは一販売代理店の企業経由で先行待機ポンプにも適用が為され、徐々に市場に浸透している所である。

 しかし、この無潤滑摺動システムは、あくまでも個人と一部の仲間による開発で得たモノであり、漸く、超耐摩耗摺動システムの敵討ちが行えて来つつある状態だが、その後の継続研究の結果、無潤滑摺動という特徴以外にも様々なメリットが有る事が判明し、その特性を専門家の評価に委ねることにしたのである。

 一応、今年の秋以降に出身大学の先生の元で学会発表ネタ或いは、共同研究テーマとしての話題として取り上げて貰う予定。

 それ故に、このブログを見て権利譲渡や販売権独占を望む人も居るようだが、少なくとも権利放棄はしないし、自分主導で学会や論文に発表するのは当然。評価を委ね、この技術を持って研究者、エンジニアとの交流を深めるのが最大の目的だ。
 販売のための評価を頑張るのは勝手だが、開発したのは私であるのを、お忘れなく!パテントはあくまでもこちら側である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月27日 (日)

先行待機運転、先行企業の先走り。

 ここ数日、先行待機にヒットしての来訪者がコンスタントに居る。

 で、同じく『先行待機』でググッて見られる技術の共通点で自分の技術との相違点。

 それは、自分以外は流体潤滑軸受の延長線上で設計していると言う事。更には、偉そうに特許内容を開示しているところを含めて、全ての企業が回転側硬質材料に基材をWC(タングステンカーバイド)を用いた超硬合金(Niバインダー、Coバインダー)を用いている事。極ジェネラルな超硬合金だが、これを特殊合金と表記している会社も多いようで、何が特殊か?と詰め寄りたい気分でもあるのだが、、、、、

 これ、大きな間違い(勘違いというか先走り?)である。

 指摘すると、

1.流体潤滑性能追求では、無注水摺動時において発熱過大となる。

2.硬質脆性材料を無潤滑発熱環境で用いると、最終的に割れる

 という二点。割れると、機械は直ちに止まる。本質的に発熱しやすい設計して、発熱した揚げ句に割れるっていうのは、機械の考えとして大きな欠陥である。俺に言わせれば、愚か者的発想、誰かのアイデアにみんなが群がって解決策を見失っている状態。

 クイズではないけど、この二点の矛盾とは縁遠い手法が必要。これを考えるのが大事だ。

 因みに、硬質材料同士の無潤滑摺動組み合わせで最も摩擦係数が低い組み合わせを選んだ時の回転側硬質材料は超硬合金というのは真実だが、無潤滑摺動をしていくと、回転体部位は条件にもよるけど、温度は軽く100[℃]以上になるし、負荷、周速が高まると500[℃]、1000[℃]近辺にもなる。超硬合金を回転側摺動材に用いると、その回転軸(回転側摺材の内部)の軸材材質にもよるけどSUS316L、SUS304なんかでは嵌め合いと軸径に対する肉厚比にも寄るけど設計温度+80[℃](概ね100[℃]程度)で破断する。SUS329J1或いはフェライト系SUSでも150[℃]には耐えれない。
 しかし、実際の無潤滑全力摺動では、その程度には軽く到達する。

 破壊モードでは、一般に回転側の温度上昇が激しく、第一段階で回転側超硬合金が破壊される。既存の思想で、回転側超硬合金の肉厚を数ミリというものを十数ミリに設計変更しても、温度上昇の限界が300[℃]には到達しない。
 そのような高温域では、回転側材料自体の熱膨張により抱き付きを誘因しやすく、その状態では発熱を抑える事は不可能だ。

 この温度域になると超硬合金自体も酸化の影響を受け始める。一方で固定側の摺動材にしても相当なダメージを受ける。固体摺動=局部摺動であり、熱衝撃による摺動材の破壊も受ける。熱衝撃による破壊が軸受摺動材料の全周に影響しない構造の場合は、有機材料による摺動材の保持が前提だが、有機材料と無機材料を結合させる有機無機結合(シロキサン結合、信越化学工業さん等で取り扱ってる商品だし、カタログに物性も載っているんで衆知の物)っていうのは、熱分解に耐える限界温度が175[℃]以下。

 最近は、先入観というか代替案が見出せないせいか、回転側に超硬合金を用いるのが業界の常識的通念とした上で、固定側に昔ながらの珪素系無機材料である炭化珪素、窒化珪素、サイアロン・・・から有機樹脂材料(ポリエチルエーテルケトン)なんかに解決策を求めているようだけど、発想の基点というか出発段階で致命的欠陥を抱えている。

 ホントのところ既存システムは突っ込みどころ満載で、超硬合金をステンレスシャフトに嵌めている回転側摺動材は、結合相にCoやNiを用いている限り水中(特に海水中)で使用すると100%腐食する。更にはステンレスシャフトに接して使えばガルバニック腐食でバインダーの溶出が顕著だし、実際は問題だらけなんだがなぁ、、、仮に、NiやCoを使わなかったら円筒形状で使用するには引張強さも強度も全く不足し使い物にならない。なのに、エンドユーザーを誑かして、公上では出来た出来たといっても、結構壊れているのが現実。

 そういう形で、従来システムでは、本質的に無潤滑摺動を実現する能力が備わっていない。全ての既存システムは評価した上での話だ。この本質的欠陥をクリアするには、既存システムの設計ガイダンスとは異なるガイダンスに則った発想が必要ということ。

 もう一つ、先入観に囚われたエンジニアの盲点というか無知ぶりを指摘すると、無潤滑環境における摺動負荷の考え方。
 この摺動負荷を模擬的にシミュレートして評価しているようだが、模擬前提が水力学的な論理を展開しているのが過ち。ドライ、先行待機、という条件では、模擬前提に水力学的な論理では再現できない。別の論理が必要。何が必要か?は、ここでは内緒だが、それ気付かずして試験装置を作っても無意味ということに気付かないのは情けない。

 摺動負荷は運転モードによって支配因子が変わるもの。正規運転では水力学的な計算でOKだが、異常運転では負荷荷重の支配因子は別にあり、それに見合った負荷シミュレートを行わなければ無意味である。当然の筈だが、これを数値計算し、これを再現する機構を持って評価しないと無意味だろ!?
 勿論、自分で評価するために、運転モードを三通りに変えて支配因子毎の負荷再現システムも開発しデータ収集出来るシステムを作って評価した上での話だ。

 と言う事で、上の二つの無知に加えて、三つ目の無知を指摘すると、

3.評価で水が無いのに水力学的負荷で評価するのはNG

 ってところだ。

 これ読んでる人、判るかな?

 まぁ、摺動システムを設計するには、構成材料の材料設計、材料開発から異常状態における挙動分析と解決策の提案が出来ないと無理。製造方法を知っていても、製造する数値を決する機械設計、要素設計が出来ないと無力。要素設計をしようと思えば、マクロ設計でなくミクロ挙動に応じた原理原則に基づいた数値設計、解析、予測が出来ないと無理。その辺りになると、便覧的な文献には書いてない。経験式が乗っていても、その基礎式が何で、どのような修正が加えられているか?を推論する力が必要だ。そこまで考えて、初めて独創性が生まれるものだ。その果てが、特許という形に結実する。判るかな?

 まぁ、そういう考え方で因果を追求し、その上で自身の考えを導入することで発見に繋がるもの。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

同窓会案内

 土曜日の朝に勤務先でメールチェックしていると、産官学研究会に属していた企業の研究者が集まって同窓会のような会をしませんか?という案内がきた。

 勿論、OKで参加意志を表明したところ。

 同窓会では、当時の官側の技術指導員の方、学のコア技術を提案した教授の方も集まるという。
 こういう括りでの会合というかコミュニケーションは色んな発見があるから好きだ。

 この会合で、次なるテーマが見つかったりするものである。

 しかし、この研究会から約10年が経過しているが、10年経っても集まろうと各企業のエンジニアの方が集えるのは、或る意味、研究会は良い成果を生んだ成功事例だったんだろうと、今考えると、そう思えるのである。
 こういう方々とふれあう事で、日常のモチベーション高揚にも繋がるし、使命感?も出てきたりする。純粋に自分より賢い人と話すのは本当に楽しいもの。そういう機会というか、縁は是非とも大事にしておきたいところだ。

 さて、10年が経過すると、みんな10歳ずつ歳を取っているのも事実。どう変わっているか?その辺が興味深いというのもある。変化で楽しみなのは、多くの人はメタボが心配な年齢になっているはず。見た目の変化のチョット気になる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ブログ、模様替え検討中。

 このブログ、当初は今話題のレコーディングダイエットみたいに、毎日の食生活と運動生活を記録するためのものであった。

 それは今も続いているけど、結果としてのダイエットも終了し、その後の身体機能強化の取り組みも一応平衡状態に到達している。更には、禁煙も何の苦労もなく終了している。

 となると、ブログの存在価値が無くなりつつあるのが今である。

 書く事が無くなると、閉鎖するか、新ネタに移行するかが必要だが、性格的に凝り性ということもあり、趣味ネタが多く、自転車、単車の日々の出来事って話題がメインな筈だが、仕事と趣味の垣根が無いのが自分の頭の中であり、対象が自転車や単車の場合は、乗り方であったり改造テーマだったりする部分で自分なりの考えを具体化するのを楽しんでいるのだが、仕事?というか研究的なネタでも仕事とは関係ない部分で、いろんな事を考えて、その思い付きや発想の元ネタ等を書き始めたのが今である。

 最近はネタが発散状態であるのだが、何か、決めたネタにそったブログの方が良いようにも思う。

1.相変わらず健康、ダイエットネタでいくか?

2.健康体を利用して楽しむ自転車、単車ネタでいくか?

3.考え方の根底にあるオリジナリティー重視を技術に織り交ぜて展開するか?

 検討中である。
 その中で、面白そうなのは、技術系ネタを中心に話することかなぁ?と思うところである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月26日 (土)

コアテクノロジーの必要性

 本日土曜日は何故か普通出勤日。
 そして、午後から夜にかけては管理職会議。会議の内容は、各本部の月例報告、各支店支店長による営業月例報告があり、最後が経営者の意見発表である。

 そんな中での話題だが、勤務先の製品市場における世界が注目している製品分野だが、主力製品とは異なるモノに取り組んでいる状況の説明があった。

 この新規事業製品は、環境関連の技術であり、その機能を得るには、いくつかのコア技術が必要であり、パッケージシステムとしては、新しいコア技術+従来機械で成立するものである。
 この1システムが価格的には億単位の契約金額になるのだが、金額が高額になるのは、新しいコア技術による製品の製造費用+ロイヤリティが多くを占め、脇を固める従来機械には多くが割かれている訳ではない。

 こういうシステムの旨味は、コア技術を有しているか否か?であり、開発から市場化に到るまで主導権はコア技術の開発者次第なのである。

 そういう状態で、勤務先企業は、そのシステムの取り纏めを狙っているのが現状だが、そのシステム内において直接的に利益が計算できるのは従来機械の販売による訳だ。
 そして、従来機械は、その機械分野においてトップシェアを有しているので、そのシステムのサプライヤーグループの一つとして立ち入ろうが入るまいが、機械の販売は期待できる状況にある。

 この状況を考えれば、システムの取り纏めを行ってもコアテクノロジーが無ければ機械販売に留まる訳であり、その取り纏めによるカタログ記載が実現できても、その取り纏めのコストに見合う利益を生むとは思えないというのが正直な感想だ。

 この新規市場に参入しようとする企業グループの商品群を見ると、そのシステムを構成する要素は、何にしても単独では成立しないモノばかり。但し、コアを担うシステムを組み合わせる事で可能性があるか?という状況だ。こういう状況では、ある一つのシステムとしての販売権を得るよりも、システムを構成するコアテクノロジーを従来機械に負荷させる新しい要素機械を作るのが良いと思うのだが、、、、頭の中には、勤務先の主力製品に簡単(といっても工夫が必要だが、、、)なデバイスを加えることで、システムが要求する機能の一部(コアの一部)を達成出来るモノがあるし、基礎試験で結果も出ている。
 こういう考え方で進める方が企業として、資質、規模を考えれば得策だと思うところ。

 まぁ、最近記事にしている先行待機運転ポンプの究極のコアシステムである無注水軸受も開発したが、なによりも必要なのはコアシステムであるのは間違い無いところ。
 そして、それが売りになるのは、他者の真似でなくオリジナリティー有っての事。それが無ければ権利にも為らない。主導権も握れない。コアの無い見せかけだけの商売では、旨味は生まれない。そんなモノである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

知的所有権の日

 今日は表題の日ということを通勤途中のラジオで知った。

 『2000年のWIPO(世界知的所有権機関)一般総会で、「すべての国の発展における知的財産の役割とその貢献を強調するとともに、人間の試み・努力に対する意識及び理解の向上を図る」という目的の下に、「WIPO設立条約」が発効した日にちなんだ4月26日を世界知的所有権の日として宣言することが決定されました。
 今年2001年の4月26日が第1回目であり、知的財産権の啓発を図る行事がWIPO他で行われますが、これにあたりWIPOからは、"Creating the Future Today"と題したメッセージが出されています。
 特許庁では本記事以外にも4月18日の発明の日にかかるイベントの中でこの世界知的所有権の日について紹介してきたところですが、さらにWIPOに対してイドリス事務局長宛に及川長官名でレターを送り、今後ともWIPOを中心とした世界中への知的財産制度の普及啓発に協力していくことを表明いたしました。』

 ということで制定されたそうだ。

 ところで特許に権利を主張するのは、権利者にとっての財産ということで、それを守るという意味合いが大きなモノだろう。

 しかし、自分で当て嵌めて考えると、思い付く事、発想する事については周囲が特許にすれば良いって言う事で、何本か特許取得し、現在も申請中、審査請求中の特許があるけれど、実は、権利を主張する事自体には大きな関心が無いのである。

 申請っていうと、発想が完成された状態であり、一番楽しいのは発想を生み出す瞬間。そして、生み出した発想が世の中に普及し始めると満足するという程度であり、そこに原則利益を求めていないのである。まぁ、バカかもしれないが、一番大切なのは、人が思い付かない方法を見出すという創造性であり、それさえ実感できれば良いのである。

 権利の取得より発想の閃きが大切。似た?感覚では、金よりも時間が大切。契約よりも礼儀が大切なのである。まぁ、こういう感覚では一生貧乏だろうけど、社会や組織が手に負えない仕事のみをターゲットに消化するのが良いのである。

 考えてみれば、入社からの第一期の数年は、社内に存在しないシステムデザイン、データ収集システム、スケジューリングシステムを構築し、第二期の数年は世の中で誰も達成した事のないWC(タングステンカーバイド)をNi、Coを全く未使用で炭化物中心で焼結するプロセス、装置、商品の開発を行い(特許化済み)、第三期の近年数年では、社内において御荷物?部門的な処遇を受けていた素材製造部門における方案技術、製造と設計を両立した新しい設計ガイドラインの提案、生産性評価データベースの再構築とスケジューリングプロセスの開発と全く個人的に無潤滑摺動を可能せしめる摺動材組み合わせを提案し話題の『先行待機運転』を支えるコア技術の開発を行ってきたが、何にしても、誰も出来なかった事をやるのが好み。

 人の後追いだけは死んでもやらない。そう思うのである。逆に発案したアイテムは権利は放棄しないけど、展開は自由であり、必要と思っている人全てに自由に使って貰いたいと思っている。
 もし必要ならば、色んな技術計算~データ収集システム、物性推算等のプログラムは無料で配布してもOKだし、特殊なWC基セラミックスも使いたければ材料の基本情報から製造プロセスの勘所、製造設備設計のノウハウも公開しても構わない。先行待機運転に代表される無潤滑摺動特性+破壊制御設計のノウハウも欲しければ情報開示もOK。更には、製造制約を設計条件に織り込むような設計指針が必要ならばポンプメーカー等に有用な効果が得られるのは100%間違いない訳であり、いくらでも情報公開しても差し支えないと思う。

 勿論、勤務先企業の製品図面や設計数値を開示する訳にはいかないが、必要とされている企業における設計数値や設計指針に加えるべき知見と手順を具体的に指示することは問題無い。見つけたノウハウっていうのは、前例の無い仕事故のノウハウであり、その解は自分の頭にしか無いものであり、その知恵は利用した人全てに波及させたいのが願いだ。

 ところで、ダイエットネタも尽きてきたんで、無料のエンジニアリングコンサルタント的なブログサイトに変えていくのも悪くないかも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

WC-SiCコンポジット

 表題の焼結体が作成されたらしい。

http://www.akita-iri.pref.akita.jp/009000/009300/20060222WC.pdf

 にネタがあるのだが、このサイトをよく見ると、通電焼結装置によって粉体に電流を流して焼結したとある。このWC系材料は二系統あって、一方は硼素系、一方は珪素系物質によるWC基複合材料のようだ。
 実際に電話を掛けて研究員の方と話をしてみたところ。

 目的は、同系の材料故に、今後増え続ける需要に対して生産が追い切れなくなる可能性を考えて、一部を外部調達に切り替えれないかを考えての事だが、残念ながら、今のところはφ20mmの試験片レベルということのようだ。

 それにしても、似たような事を考える人もいるものだと関心したところ。実際の研究担当者の方によると、この材料を市場化する際には、どういう用途開発が必要か?ということで悩んでおられる様子。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

誰もが思い付かないコア技術への意識

 表題のコア技術は、元々、先行待機運転を目的としない摺動システム、具体的には、高耐食性且つ超耐摩耗性摺動システムの開発を発端に生まれたモノ。起点はそうだが、結果としては、先行待機運転を可能とする無注水摺動を楽に許容する摺動システムに生まれ変わったものである。

 超耐摩耗性摺動システムとは、その名の通りに、通常の常識では考えられない硬質スラリー中での使用においても摩耗しない摺動材を用いた摺動システムである。高耐食性という修飾語は、腐食環境においても腐食しないという耐食性を有するというものだ。そして、その摺動システムの勘所としては、何と言っても高耐食耐摩耗性材料の開発に寄る所が大きい。

 一般に耐摩耗性材料というと、硬質材料で形成されるけど硬いだけでは脆いという特徴を持つ。そして、脆さを克服するには金属分を含まざるを得ないけど、金属分を多く含む程耐食性を失うというのがジレンマである。
 そういう条件で、高強度、高耐食性、高硬度を有するとなると、金属的長所とセラミックス的長所を兼ね備えた材料が必要ということ。
 で、その材料開発を1996~1999年に行って特許化したのが勤め先での勤務内容だ。
 具体例は紹介しないが、似た考えで後に認められた特許技術を紹介すると、秋田県産業技術開発センターが開発したWC-SiC複合体と極めて似ている。(自分とは全く無関係で、この紹介された材料が勤務先で特許取得した素材に近いというだけ。)

http://www.bic-akita.or.jp/magazine/vol.321/angle.html

この材料、結果だけを見ると自分の開発した材料に極めて近いが、出発材料と原料調合法が大きく異なるのが特色。

 この特殊なセラミックス開発により高耐食耐摩耗性材料の開発を行ったものの、実用化に際しては、硬質土砂、異常負荷、腐食環境といった負荷要因以外の負荷を受けてしまった。
 その負荷によって、実質上、高耐食耐摩耗性材料をコア技術とした摺動システムは勤め先としては終焉を迎えたのである。

 しかし、それ以降は個人的なポケットマネーと休暇を利用して、摺動システムを破壊に追いやった負荷要因に耐えるシステムの開発を取り組んだのが2002~2007年の話。
 第一段階で開発した摺動システムの天敵が何か?というと、それが無潤滑摺動、無注水摺動という潤滑、冷却が望めない環境での滑り摺動モードであり、そのような気中運転においても機能を失わないシステム開発に取り組んだのである。

 このシステムは、既存のジャーナルベアリング、メタル、滑り軸受と呼ばれる分野では過去に前例の無い構造と機能を有しており、第一段階で目的とした高耐食、耐摩耗、高強度という性能に加え、破壊形態制御、耐熱性、無潤滑耐性という三要素を常識を覆すレベルで実現したシステムであり、このアイデアを以て売り込み活動を行っている。

 このシステムを商品化するには、当然、技術コアは自分にあり、特許等権利も自分もしくは、自分を中心とした企業体にある訳だが、その範疇と現在の販売代理店は全く別個のものである。
 まぁ、別個とは言え、営業努力をされてきた事には感謝しているが、やはり、個人的には相当に自信を持っているアイデアであり、一企業のマーケットでの適応レベルでは考えず、特許申請、審査請求と行っている訳であり、そのアイデアに博を付ける意味で大学機関に技術を公開して更なる応用技術開発もたくらんでいるのが今。
 幸いな事?に、このブログは、研究機関、産業、省庁からも結構アクセス履歴があり、実際にメールで面白い方からとの交流もあるので、技術のかけらをリークして反応を探っているのが今の状況だ。

 偶然か?リークのタイミングと、その販売代理店の営業努力もあり、実際の市場に新しいシステムが普及しつつあるのだが、販売代理店の意識としては、最近は特に、その販売権等に大きな関心(心配)を持っているようだ。勿論、自分としても、慣例に従い、販売代理店が開拓した分野に別ルートで商売する事は有り得ない。考えてみれば、自分自身、誰も思い付かない事を考える事が楽しくて活動しているだけで、自身の販路を持っていないので、売り込みたくても売りようが無いのだが、他で売られると心配になるっていうのは、こっちを信用していないのか?と思ったりする。こっちはあくまでも技術の洗練をより賢者に委ね高めたいのが望みなだけで、今の周り人では、技術レベルを高めるに明らかに役不足なだけ。

 契約云々の話が出てくると、そういう意識で見られると構えざるを得ない訳で、そうすると、権利書を交わすということで内容(ロイヤリティ、保証等々)によっては金銭授受も発生するだろうし、それに応じた距離感が生まれるもの。そういう話になると、権利の受託は極めて限定的にしか認めざるを得ない(元々、勝手に考えてデータ収集から全て単独で行っており、当然ながら権利は単独所有だし、今のところ実施許諾実績は無し、契約書云々という事になれば実施許諾は可能だけど、権利譲渡は絶対に有り得ないのだ)。更に、この技術を全く別の分野で展開する場合は、販売代理店の市場とは関係ないので私の考えに従って展開を行うつもりだ。極論すれば大きな可能性を持つ技術故に、特定用途マーケットで商売する企業に権利譲渡は有り得ない。権利の許諾は許諾先企業が競合しない範囲で様々な分野に展開するのが通例。結構、このブログで話す技術的戯れ言に敏感に反応されるようだが、、、、こんな公上の媒体に、技術コアの掲載するつもりもないし、具体的な固有名詞を掲載する筈もない。

 記事にするのは、様々な出来事を切っ掛けとした個人の動きや考え方、或いは、何かする上で一番鍵となるのは何か?技術の発想元は何か?という話に限る訳だ。

 権利云々、販売権云々と利権が絡むと色んな動きが世の中にはあるけれど、そんな動き以前に大事なのはエンジニアのアイデア、閃きこそが重要。全ては、それが起点である。その意識を持って、誰にも負けない技術を開発すれば、それで自信が持てる筈。そういう風に組織を進化させるのが、経営陣の使命の筈だ。企業における舵取り役を担う立場にあれば、権利云々の話以前に、技術スタッフに対して誰にも負けない、誰も思い付かない技術を生み出させるような啓蒙であったり、環境付与であったり、待遇改善・・・・等々に意識を割く方が良いのでは無いだろうか?

 少々、生意気になったが、どんな人にも好奇心があるはず。その好奇心を具体化させるような環境を整備する事が大事であり、新入社員なんかにしても好奇心を失わせない考え方を伝える事が一番大事なのである。

 ぶっちゃけた話、金の事考えたら、良好な関係は吹っ飛ぶのである。金の話は二の次で、何が楽しいか?これが重要であり、楽しいのは、満足感。満足感は人が出来ない事、思い付かない事に出会った時。それっていうのは、真似では得られないもの。オリジナリティこそが全てであり、新しいものを見つける楽しさが金を上回るのである。極論すれば、如何に利益があっても、真似、模倣から成り立つ商売では何も楽しくない。仕事でもそうだ。同じ作業でも進化させる思いがあれば別だが、同じ作業を同じ精神状態で漫然と繰り返すのならば人が行う価値は無いのである。

 繰り返しになるけど、総括すれば、権利云々だけに敏感なのは一寸鬱陶しいのである。基本的な特許の上に新しい発想を生む可能性を見出すという見地に経てば、全く異業種との繋がりの可能性に期待して、大学機関に技術評価を委ね、その上で新しい知見に対しては大学機関と共同特許のような形で進めたいというのが自分の本音である。
 権利の分配というならば、自分一人では見出し得ない可能性を見出す協力者に対してならば、何の抵抗も感じないのである。それは同じ目的に、全く別のアイデアを持ち寄って可能性を高めるという共同作業であり、それは研究開発の醍醐味でもある。そういう行為で見つかった権利を皆で共有するっていうのは一番大切な事のようにも思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新入社員

 勤務先では金曜日で新入社員の現場体験を主とした導入研修が終わった。現場研修の前は、公的?な宿泊所を利用した泊まり込みで1週間の座学研修が行われたが、今回の現場研修終了で、連休明けからは仮配属が行われ、その後正式配属となる。

 彼らの接して思うのは、やはり既にホンネと建前を持っており、上役、講師役に対する態度と、同僚或いは友人の中での態度は大きく違っているというところ。当然といえばそうだが、あんまり気張りすぎるのも、考え物。

 声を大にしては言えないが、ホンネと建前で分けて気張り過ぎるのは賛成できない。どこかで破綻するし、周囲の目による緊張感は年数と共に減っていくもの。今は注目されているから、無理してでも頑張ろうという意識が強く出ているだろうけど、二年三年五年十年と経てば、注目度も下がるし、ホンネの部分というか楽したい心が大きく出る。どんな人間でも新鮮さを失い、惰性で生活するっていうのは自然の流れ。なるべく、労力最小で楽に過ごす、過ごしたいという怠け心が出るのも自然の事。しかし、その怠けたいという気持ちの大きな理由は、仕事という行為が肉体的、精神的に負担を感じる行為と思う人が多いがための現象。仕事に負担を感じなければ、楽したいとか、惰性で過ごすという事自体が生まれ得ないのである。

 ホンネと建前を切り替えすぎる程に、楽したいという気持ちが出た時に流れを受け止めれなくなる。ホンネと建前を作らずに、一つの意識で自然に接する事が肝要。

 仕事という事を強要される義務という意識で接すれば、何れは破綻するだろう。仕事というものを、やるべき事、やらされている事、嫌々ながらやっても金を稼ぐには仕方無い事と思っていると、多分楽しく無いだろうし、年数と共に新しいチャレンジに対する意欲も減るもの。

 仕事なんて、自分の好奇心のための一つのオモチャという意識で接するのが良いのでは?っていうのが持論。仕事の種別や専門度、分野を問う必要は全くなく、自分が興味を持てる部分を探すためのフィールドというレベルで接すれば、どんな仕事であっても探検気分で接する事が出来る。同じ事をやっても興味を持つか否かで、見えてくる物は変わる訳であり、常に何かを考えていれば多分仕事という分野に接していても、仕事をするという意識は沸かないだろう。

 新入社員というと40年前後は働く訳である。40年間のあいだ楽しく過ごせるように仕事との接し方を見つけるのが今の時期に大切な事だろう。自分が研修指導する際には、そういう考え方を一つの考え方として紹介する事が多いのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

人付き合いで大事なのは?

 大した意味は無いけど、人付き合いする際に重要な事は何か?っていうと、それは、約束は守るという事では無いだろうか?

 約束っていうのは、決まり事、ルールという事も含む物。ローカルな人間関係での約束事もそうだし、社会との約束事もそうだ。

 ローカルな人間関係で一番の基本は、時間を守るってこと。遅刻常習では、その行為が相手の時間を無駄にしていると言う事。事情があれば常に許されるか?というと、そうではない。稀なアクシデントならば許されるけど常習はNGだ。他にも、ローカルな約束事では、近未来の予定については予定が立たない、不明な場合は、相手やグループの都合も考えた上で返事を行うのが常識。

 社会における約束事でもそうだ。お喋りしながらの並列運転の自転車っていうのは、よく見掛ける光景だが、並んで走るというのはルール違反。

 企業における約束事でもそうだ。偽証、偽造、改竄、偽装・・・・これは全て約束というかルール違反である。

 少なくとも、言ってる事とやってる事が乖離するのはNGだし、そのように指摘されないように過ごすべき。
 どんなに、体裁の優れた会社であっても、どんなに愛想の良い人であっても、約束が守れないような人、或いは、そういう評判を受ける人や組織っていうのは、近づきたくないと思うのだ。

 そういうルールにルーズな相手に対しては、周囲は大抵の場合、指摘することは稀である。指摘することで、妙にギクシャクするのを敬遠するからだろうか?しかし、指摘はしなくとも、周囲はルーズな相手に対して一般的に無意識に距離感を置いていくものだ。
 何人も己の行動を振り返って考えるに、自分でそういう部分が仮にでも感じられる事があれば、それは改めるべきではないかと思う。

 頭の善し悪し、金持ち貧乏、分野における上手い下手、性格の明るさ暗さ、勝ち気に弱気、、、、いろいろ在るけれど、他人との付き合いを行うのであれば、そういう性格や性質以前に、なによりも、限られた時間を大事にするためというか、時間にルーズなのはNGだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月25日 (金)

邪魔者、厄介者

 自転車って存在が最近はクローズアップされてきたけど、その扱いはやっぱり表題の如く、邪魔者、厄介者のようだ。

 大体、ルールや規則の解釈が直感的に分かりづらいのは、それが守られない大きな理由になっているのは明らかだけど、現実問題、法解釈論、容認論、建前論等々で自転車の利用はどうあるべきか?っていうのが実に難しい状態。

 判りにくい実態を羅列すると、、、

1.子供乗せを二台装着した自転車での三人乗り
 道交法では原則禁止なのは、この度の法改正前からの決まり事。しかし、それを明示することで反対が起こるっていうのは、既存法が衆知徹底されていない事の裏返し。交通の教則ってガイドラインでも禁止明記していないとは言っても、上位法では禁止。禁止明記の理由が三人乗り容認仕様のガイドライン作成のためらしいが、ガイドライン作成迄は、現状を追認(三人乗りを禁止しない)している事。

2.自転車は何処走る?
 原則車道通行っていうのは、昔からの決まり事。車道走行を徹底というならば、車道に通行レーンを設けるのが当然という解釈だが、何故か、歩道に通行帯を設ける自治体が多いのは判りづらい。全ての歩道に通行帯指示が為される訳でなく、通行帯の有無に応じて車道と歩道を往来させるのか?或いは、自転車歩道通行化の標識をもって歩道通行を前提化するのだろうか?

3.自転車は左側通行?
 区別された歩道や通行帯を走行しない場合の話。そんな区別が明示されていない道路には、概ね路側帯っていうのと道路外側帯ってのが存在する。ここで路側帯っていうのは歩道に近い扱いで、道路外側帯っていうのは車道扱い。自転車が路側帯を走行する場合は右も左もOKだが、道路外側帯の場合は自動車と同じ左側走行オンリー。
 しかし、このような決まり事は殆どの人が知らない筈。もっと、判りやすくしないと、、、、。

4.傘固定具は?
 何故か市販されて利用者は多い。しかし、傘を固定したら車体の一部と考えるべきではないだろうか?すると、巾、高さから考えても普通自転車とは異なる乗り物になる。最低でも車道走行しか出来ないものあろうし、傘なんぞ固定して車体の一部としたら突起物で道路を走ったらダメな乗り物になるのでは無いだろうか?

5.保安基準は?
 普通、公道を走る乗り物には保安基準が存在する。少なくともエンジン付きの乗り物には、安全のための基準が設けられており、それから逸脱すれば公道走行が行えない。しかし、自転車には、その基準が有名無実。昨今のBAA制度ならとも思うけど、スポーツサイクルの過度な前傾ポジションを作り出すハンドルバー、回転体(タイヤ)が露出した構造、バランスを失った場合の転倒リスクを無視した足の固定具(ビンディング、クリップ)等々は規制の対象になるべきだろうし、そうして初めて他の車両と車道で共存できる資格を有するのでは無いか?

6.保険制度は?
 自転車に公道で乗るということは、他者との交錯リスクを抱える事。被害者にも加害者にもなる。そういう状況では保険制度が必要ではないか?特に、前見ずに運転する奴多いし、歩道で高齢者等引っ掛けて死なせる事故も見掛ける現状では、現状は事故起こしたら、加害者も被害者も不幸になるしかない。

 って考えると、取り巻く環境が未整備というか、完全に厄介者、邪魔者扱いにしか見えない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

快傑ドクター10

 水曜日に野球中継が雨天で変更となり表題の快傑ドクターのPart10が放送されていた。
 やってる内容的にはPart9と殆ど同じで目新しいものは無かったけど、Part9で余命が短いと宣告された芸能人が禁煙半年で検査項目の多くの数値が画期的に改善されたことを放送していた。

 喫煙習慣を改める事は、健康に相当大きな好影響を与えることが立証?された訳だ。

 他に印象的だったのは、元大リーガーで大魔神の異名をとっていた佐々木投手だが、スポーツマンが運動を辞めると極度の運動嫌いになるって話しが印象的。
 運動量が減っても食事量は変わらないので殆どの場合、肥満に移行し、生活習慣病の発症に行き着くという、、、、。
 常に一定以上の運動を心掛け、摂取にはセーブを掛けるっていうのが一番大事なんだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

道具は手段、玩具は目的

 先日の記事で比較的アクセスが多かったのが、700Cフルサイズが道具、小径が玩具って記事だが、これを更に踏み込んで考えると、道具は手段であり、玩具は目的って思える部分がある。

 手段というのは別の目的達成のためのモノであり、主従関係でいうならば主たる因子は、自転車に乗ってペダルを漕ぐという行為であり、自転車自体は、その行為で得られる結果を得るための存在というものでは無いだろうか?

 それに対して、その存在自体が目的の場合は、主たる要素は自転車自体であり、その自転車ならば乗って走ることも出来るというのが付随的な効果としてもたらされるのでは無いだろうか?

 自転車=速く走りたいって希望を持つ人が多いので、その状況で喩えると、本気で速く走りたいという事で、選ぶ道具が必然的に700Cフルサイズが正解というのに対して、小径車の場合は、小径車を選び所有する事が目的であり、その小径車でも速く走れると主張している事の違いでは無いだろうか?

 只々それだけのこと。しかし、結果としての速さっていう部分が、700Cフルサイズに乗れば100%小径車を上回るとは限らないのが事実だが、それを認めたくない人が居るのが面白いところ。

 そんな風に考えているのだが、それ故に、小径車ならば、のんびり走っていても結構気にならないし、様になるとも思う。逆に、超高級で高価なフルスペックロードにフル装備のサイクリストが好きずきとは言え、のんびり走っていたり、その風貌に見合わない乗り方をしていると、それには非常に大きな違和感を感じ、傍目には滑稽にさえ見える。

 勝手な考えだが、道具の究極たる高機能なフルサイズロードなんかに、機械とあまりにも不釣り合いな乗り手が組み合わされると不可解な印象だし、小径車でも過激の度を越したような高級パーツ群のインストールも不可解な印象である。
 単車ならばデブとレプリカの組合せとか、旧車に最新SS用やレース用の過激なパーツを用いたカスタムなんかも違和感アリアリである。

 一番大事なのは、乗り手と乗り物、乗り物の中でも車体と後付パーツという関係が、旨い具合に調和が保たれるという事。人と物、物同士の圧力というか影響力というかパワーバランスというか、才覚というものが良い意味で平衡してせめぎ合った状態っていうのが緊張感というかリアリティというか、そういう雰囲気を作り出しているのでは無いだろうか?

 考えてみれば、その調和っていうのは、単車、自転車に限らず、人と物の関係全般にも言えるし、複雑な因子が絡み合った系ならば全てに当て嵌まる事。
 乱れた状態、調和が取れない状態っていうのは、キワモノ的に一瞬は目を惹くかもしれないが、長続きしないし、最終的には系の破綻を招く物。

 見合わない物の操作は事故を招く。突出した機能では宝の持ち腐れを招く。そういう物では無いだろうか?
 系といえば、健康でもそうだ。各機能を調和させる事が重要であり、それ以外の手法では真の健康は得られない。環境も然りである。全ての系に重要なのは調和であり、調和するには突出性は不要なのである。調和が取れるというのは、因子が目的のための機能が取捨選択された物であり、因子自体が目的達成の手段として機能が特化されている状態なのである。

 そういうバランスと機能の特化を進める事が、最終的な格好良さに繋がるのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月24日 (木)

何人が楽しい?

 自転車に乗るのも、単車に乗るのも、自分の場合は、1人で乗るのが一番好きである。
 他のジャンルを考えてみると、プロジェクトでも追随するのは嫌で、仕切るのが好き。仕事も与えられた仕事をこなすのは嫌で、自分で考えて自分のやり方でやるのが好き。勉強も研究も開発もそう、、、、

 孤独な奴である。独りぼっちが良いのである。

 少なくとも、関心事に集中するような場面では、他人は居ない方が良いのである。
 例えば、単車の場合だが、単車で至高の楽しみといえば、見知らぬ峠で、それも下りのワインディングロードが最高である。そういう峠を自分の思い通りに操って走る。それが最高であり、その際は、バックミラーなんぞ見たくないのである。走るという行為に集中し、路面状況等全てを判断しながら意のままに走る。イメージした走りを瞬間事に具現化して消化していく。そういう時間の過ごし方が最高に楽しいのである。

 過去にツーリングも結構出掛けたし、走り系ツーリングを開催したことも在るけど、壁に激突、谷底転落、転倒、、、、、、と色んな状況があったけど、そんなフォローを行う度に煩わしくなるというか、そんな気がするのである。自分の世界で自分の身の安全を確保する範囲で好きなように走る時に、他の心配なんぞ無い方が楽しいというのは言い過ぎだろうか?生意気を言うわけでないが、自分の世界は自分だけの満足のためにある。そして、その世界には立ち入らせないという考えである。

 自転車でもそうだ。大勢でサイクリングというのも好きだけど、運動のために乗る瞬間においては、他人を待つとか他人を追いかけるという感情は邪魔以外の何物でもないのである。状況に応じたコンディションを把握しながら、それと相談して最大限の負荷を掛けるというのが理想であり、それこそが自分の状態が把握できる瞬間。自分の状態を把握するために自転車に乗っているのであり、その際に、無理したり手加減したりといった外乱は不要なのだ。
 勿論、自分と全く同じペースで走る事が自然な状態である人と走るのは何とも思わないけど、そういう人とは遭遇する事無いし、少なくとも、身の回りのサイクリストには居ない。
 速い、遅いの問題でなく、それぞれが別の考え方、能力を持っていたとして、走る空間と時間が同じ場合において、結果として自然と同じペースになるのでないとダメなのだ。

 自転車も単車もだが、1人で走る事が楽しいってのは、自分だけの楽しみ方は自分だけの世界というもので、その楽しみ方を人と較べるという意識も無いから。自分の価値観で自分が満足できるのなら、それが最高であり、その価値観を満喫するのであれば、やはり1人に限るのである。まぁ、そうやって満足している自身の錯覚というか、自惚れとして意識があるのも事実であり、それは、多分だが、自分の能力なら人並み以上という自負に繋がっているんだろうとも言える。
 でも、その自惚れや錯覚は1人で走っている分、誰にも迷惑を掛けている訳でないので、それで自分が満足しているなら、それで良いと思うのである。

 ということで、少なくとも二輪車は1人で乗るのが最高だ。

 まぁ、話が逸れていくけど、自分の考えに自信を持つということは、自分の考えを自分の言葉で言い表せる事が出来る事にも通じる。先日の記事にも書いた、工学ネタ、技術ネタもそうだが、自分を卑下することなく、ありのままの自分を受け入れて、その姿は自身の過去と集大成であるので、それに自信を持って進むというのと同じ事。
 人と較べるのを目的とするでなく、自分に自信を持つ事ができれば、何しても楽しいし、恐らくは、1人やる事の楽しさにも繋がっていくのでは無いだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

幼児二人乗車の三人乗り自転車容認?

 道交法によると現在も未来も、自転車に幼児用子供乗せを前後に装着して合計三人乗りというのは禁止事項である筈。

 しかし、今日のニュースによると「交通の方法に関する教則」の改訂版を公表し、そこには、禁止と明記する予定だった自転車の3人乗りについては、母親たちの反発を受けて一部解禁に向けた検討委員会を設置したことを理由に記載を見送ったとのこと。

 教則に禁止記載を見送った=容認というならば、道交法の扱いはどうなっているか?というのが非常に曖昧。
 法律ってのは曖昧なのが一番厄介だと思うが、、、、。

 まぁ、この夏を目処に、業界、識者を集めて指針をまとめるとの事。そこまでの一時的な保留処置で、違反行為であるけれど現状追認で凌ごうという意図のようだ。

 さて、注目は夏に取り纏められる三人乗りを容認するタイプの自転車が如何なる仕様となるか?全くの新設計か?或いは、現状のタイプの追認で対応するか?注目である。

 この件で、疑問を感じたのは、ニュース番組でアナウンサーが子供二人に相当するウエイトを積んだ前後子供乗せ仕様の自転車で異様な迄もふらついて、『危ないですねぇ、、、』って映像を見た事があるけど、あれ、やらせだろう。あんなにふらついている主婦連中を見た事無いし、、、、。

 自転車生活で一番危ないのは、自転車、歩行者の多くは前見て運転していないこと。携帯電話、ヘッドホンを使用していなくても、単独走行でも、前見ずに横とか下見て蛇行進行している連中。本気で恐い。こいつら、何か考え事しているせいか至近距離でベルならしても気付かない対向自転車が多い。そう言う時は、デカイ声だすのだが、それもすれ違い様でないと気付かない様子。

 取り敢えず、自転車が車両って意識で運転者が運転時に注意を払うような使い方が広まるのを期待するばかりである。

関連記事:

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2008/02/ok_87c3.html

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2008/03/post_45c3.html

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2008/03/post_c16a.html

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2008/03/post_25ee.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月23日 (水)

光市母子殺害事件

 さて、22日最大のニュースと言えば表題の当時18歳元少年の差し戻し裁判の判決。
 今回の判決は、死刑判決ということだが、既に被告少年側は上告しており次なるステージは最高裁で裁判が進む模様。

 今回の犯罪判決に対する意見は様々だし、遺族側、被告側の言い分も様々だろう。その判決に対する私感を述べるのは結審していない裁判でもあり、差し控えるけれど、今回の裁判で思った苛立ちを纏めると、

1.何故に裁判がこれ程迄に長期化するのか?慎重を期するのは判るけど、、、、

2.死刑と無期懲役の間の刑罰が無いのは何故か?

3.少年法で刑罰の程度を制限するのは何故か?

ってところ。事実認定により逮捕、起訴と進めば、刑罰確定迄はもう少し速くないとというのは素朴な疑問。更には、無期懲役とは言っても実際は相当に短期間で出所する現実を考えると死刑迄のギャップが大きすぎ。終身刑も必要だろうし、減刑の無い懲役刑で懲役30年とか40年、80年とかあっても良いのでは?とも思うし、死と直面させて初めて悔い改める人もいるだろうから、執行時期を明確化した期限を決めた死刑宣告による迫り来る死へのカウントダウンによる意識厚生等もあって良いように思う。少年とは言っても分別が付かないのは論理として成立しない。重大犯罪を起こせば成人同様の厳罰で処されるという事実が、少年犯罪への抑止力として大きな効果があると考える方が自然。

 そんな事を考えるのである。裁判は、速く済ませ、受刑者意識の反省を引き出すような形で時間の流れで犯罪の結果を考えさせるようなシステムが必要だろう。犯罪への償いに年齢差が有る事自体ナンセンス。

 そう思うと、この度の裁判はあまりにも時間を要しすぎたってのは否めない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

究極の無潤滑摺動システム(先行待機運転)、発想の転換が必要

 なんか知らないけど、『先行待機』って言葉でググルと上位にヒットするのが、このブログ。実際、そういうキーワードで検索する人は結構多いのが興味深い。

 さて、先行待機って言葉の意味は何か?っていうと、読んで時の如くで、通常使用状況の前段階において運転状態を維持して待ち受けるというもの。つまりは、機械にとってイレギュラーな状態を許容するって意味である。
 そして、この先行待機って言葉は、何に使われているか?っていうと、これは実はポンプのような回転機械に用いられる事が多い。そして、回転機械の摺動システムというと、それは回転軸を支えるベアリングに他ならないのである。

 回転軸を支えるベアリングが摺動システムと結びつくというと、それは玉軸受等の転がり軸受ではなく、滑り軸受というシステムにおける話である。

 さて、滑り軸受という面と面が擦り合うタイプの摺動システムは、通念的な常識としては摺動面の間には摺動材料同士が直接接触しないというのが大前提であり、この接触させない物質が油であったり水であったりするのだ。この物質が水の場合には、この摺動形態を水潤滑(流体潤滑域)というのである。
 水潤滑というのは摺動面に液体被膜(水膜)が形成されているのだが、水膜が形成されるか否かは、摺動システムの形状因子(径、隙間から定義される偏芯因子、表面粗度)、環境因子(荷重、周速、粘度、温度)によって決まるものである。形状が不適切であったり、想定外環境においては摺動面通しの直接接触を妨げる水膜が形成不良となるが、この水膜形成が不十分な状態を境界潤滑域(混合潤滑域)と言う。(ここまでは一般論で、隠す迄もない衆知の事実。)ベストなのは水膜が形成された摺動状態において水膜厚さが最大となり軸偏芯が最小となる状況。運転条件に見合った隙間設計こそが鍵。

 このような滑り摺動機構においては、如何に摺動面の流体被膜を形成させて失わせないか?っていうのが正攻法的な考え方なのだが、この考え方を先行待機システムに適用しようとすれば、大きな落とし穴がある。
 その落とし穴に気付かずに、その流体潤滑状態を前提とした摺動システムのデザインに突進すると、大きな矛盾を抱えるのだが、そのパラドックスに陥っているが、日本を代表する大企業の摺動システムのエンジニアであったりする。

 さて、先行待機というのは、流体機械の健全状態の前段階における運転ということで、これがポンプという機械ならば、それはポンプ内部に液体が存在しない状態での運転ということ。つまり、ポンプ内部において作動流体の存在が前提で機能するであろう本来の滑り摺動軸受システムが、軸受摺動の大原則である流体被膜を持たない状態で使われるという事態を示している。

 このような流体が存在しない状態で、流体潤滑軸受システムを設計するというのは大きな矛盾(流体が存在する上での優れた摺動特性を発揮する因子は、流体が存在しない条件における破壊加速因子となる。)であり、先行待機運転においては流体が存在しないという状態をデフォルトとしたシステムのデザインが必要なのだ。流体が存在しない状態とは、冷却機能が期待出来ない事であり、発熱を如何に抑えるか、発熱を如何に分散させるか、この辺りが勘所である。
 詳細は特許等に関連するので公開はしないが、私の発案したシステムは、摺動条件において液体の存在を必須としない事を出発点としており、旧来の摺動システムとは設計思想が全く異なるものである。つまりは、凝り固まった水潤滑の常識は全く通用しないもの。開発のコンセプトは破壊のプロセス、想定外負荷における状態変異プロセス等考えられるあらゆる状況に対応している。
 一般に、旧来の摺動システムにおいて作動流体が存在しなければ、その構成材料は致命的な損傷を受ける。なぜならば、流体潤滑システムは、混入異物耐性の高い超高硬度材料を使用したり、或いは、表面を極めて滑らかに加工製作することによって性能を高めているが、そういう手法と選択材料は、潤滑の前提が失われた場合、凝着、脆性破壊、熱衝撃破壊という現象で致命的かつ終末的な事態に陥るのである。

 開発システムは摺動条件に流体の存否を問わない特徴を有しているが、万が一の不測の事態においても、構造的に旧来システムの陥るような終末的かつ致命的な破壊形態を示さないという大きな特徴を有しているのである。

 このような特徴を振り返るならば、それは既に液体中での使用を前提とした摺動システムとは異なり、既に、気体中、真空中といった潤滑に有利な条件の無い環境においても耐える摺動システムとなっている。試験では、摺動に組み合わせる系を変化させることで、実は最高使用温度で900[℃]近辺でもシステムが破綻しないものである。それは、先行待機というレベルとは異なり、無潤滑摺動システムといっても良いものであり、その方面でユーザーを発掘していくのも面白そうである。

 前述の先行待機という括りでは、摺動システムを構成する一部品の外注先を代理店指定としているが、次なる手に関しては、その技術を欲している業種を見定めたリサーチ(業界のリーダーとの接触)が必要だろう。心配せんでも、先行待機用途軸受に関しては代理店さんオンリーだから大丈夫!契約を心配する声もあるけど、契約書を交わすとなると、契約に相当する金銭の授受が発生しますよ。もう一つ、別次元の話は、全く別次元。
 更には、この考えを専門的な研究機関の評価テーブルに乗せて、価値あるものか否かの声に大きな関心があるところだ。

 ところで、この冗長な文章で言いたい所は、旧来の前提に捕らわれると、先にいったようなパラドックスに陥るのだが、その前提を一歩下がって見直すと全く違う発想が生まれるのだが、その発想に従って既成概念に囚われず考えると色んなアイデアが浮かぶものである。
 どんな分野にも手順、公式・・・が存在するが、その適用する意味や意義を考えていけば、また違った発想が生まれるように思う。新しい発想とは、持っている知識の理解を吟味する所から生まれるもの。他聞からの先入観を捨てて、経験による知識のみで物事を考える癖が必要ではないか?他人の話を聞いて理解したと錯覚することが一番怖い事。

 そんな事を自分の部下や、勤務先での関係部署のスタッフ、或いは、本件の摺動システム代理店のスタッフに言いたいのである。折角、生きているのだから、自分の頭で考えて、人の話を聞いただけで知ったと錯覚して自分の可能性の芽を摘むのは最悪である。

 この記事の元ネタである『先行待機』だが、先行待機っていうと主たる機能の附属機能的な印象だが、逆を考えて、完全無潤滑摺動を主たる機能として考え直すと新しい案が生まれるのでは無いだろうか?一番大切なのは、各人レベルで知っている知識を各人レベルで理解する事。知識の暗記では意味がないのである。だから、性別、年齢、学歴なんか関係なく、人の置かれた位置毎に、自分の意見が出せる能力の有無が重要だ。
 聞いた言葉に疑念を持たず解ったと錯覚する、、、、、怖いものである。

 折角だから、リクエストや製造業からのアクセスが増えれば、他にも行った策や例を折りを見て紹介しようかなぁ、、、

 この記事の検索キーワード:先行待機、無注水、固体潤滑、無潤滑、気中運転、エアロック、締切運転、バキューム、真空、ドライ運転、摺動、軸受、ジャーナル、ベアリング、滑り

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月22日 (火)

レジ袋廃止運動で困った!?

 最近は、エコの取り組みが盛んで、自転車ブームであったり、半田の鉛レス化、ポンプやバルブの鉛フリー化、ノーマイカーキャンペーン、、、、、いろんな取り組みが行われているが、最近、よく耳にするのが、レジ袋を廃止してマイバッグ、エコバッグを使おうってキャンペーンである。

 これで思う心配事、、、、

 第一は、万引き対策はどうするのだろうか?個人的な袋で買い物をするというと、その袋に商品を入れる事自体が普通の事。となると、買い物を済ませてそのまま売り場に出た時に、その袋内に意図的に未払い商品を入れてもばれにくくなるのでは?って心配。

 第二は、地元広島ではゴミの収集でビニール系不燃ゴミが週に1回収集されているが、このビニール系ゴミが結構たまるが、このゴミをゴミステーションに出す際に利用するのが、まとめるためのゴミ袋。このゴミ袋にレジ袋を代用していた場合、新たに袋を調達しないと活けなくなる。

 自分の心掛けとしては、レジ袋は最小となるように、なるべく一週間の献立を考えて日曜日に食材のまとめ買いを行っていた。そして、大量の買い物を巨大な袋を少数貰って買い物を入れて持ち帰り、その巨大な袋を週に一度のゴミ収集に利用するというスタイルを採っていたのだが、レジ袋が廃止されると、専用の袋を新たに買う必要が出てくる訳だ。
 他に自分の出来る事は?と言う事で、地元スーパーでの宅配サービスを利用しており、これは回収バスケットによる商品宅配が行われておりレジ袋等は一切無い。

 しかし、実際、何を買ってもパッケージが付属しており、絶対的にゴミが出るのだが、このゴミをゴミ収集日に出すための梱包が必要な訳である。ゴミを纏めずバラバラでゴミステーションに入れるという方法が通用すれば、ゴミを纏める袋は不要だが、それはそれで不衛生。

 事実、町内のゴミステーションには、ゴミが可燃ゴミなら紙袋、ビニールゴミならビニール袋で出されているけど、カラスがゴミステーションのネットの隙間からゴミ袋を破り、内容物が路上に散乱する事も結構多い。ネットの隙間が30mm角程で、カラスの格好のターゲット。仮に、ゴミステーションのゴミの散乱が自宅近辺だと、相当に不愉快だし、夏場は異臭も漂う、、、、。この実態に嫌悪を感じたのは自分だけでないが、町内会として動きが無く、ゴミステーションの近くの人や、清掃当番の人が気の毒に思い、自分でステンレスネット5mmメッシュを買ってきてゴミステーションを全面をカバーしてカラスからの攻撃を防御したのだが、、、、(自分の好きでやっているので経費云々を言うつもりは無いけど、作業していると、町内会として○×÷△・・・って言いながら、終わればスルーなのが皆の意識。)

 結構、環境問題とゴミ問題、エコの問題は複雑に絡み合っているし、実際に住民のモラル、市民のモラルが皆良いとは言えないのが実態。ゴミの分別もいい加減だし、カラスにほじくり返されたゴミを見て見ぬフリ、その内容物が不分別な状態も見ぬフリってのが実態であり、体裁ばかり綺麗事を言ってる感じである。
 愚痴続きだが、犬の糞も路上で結構見かけるし、ビニール袋に入れた糞が路上に放置、車に踏まれて潰れて散乱って状態も結構見る。世話出来ないなら犬なんぞ飼わねば良いのにというのが意見。

 動物を飼うってことは、周りへの責任を有するのは勿論、動物の命に対しても責任を負う事だが、その辺が判らないバカが多すぎである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

扇風機パワー!?

 先週末、ファンヒーターから灯油を吸い出してロフトに収納し、その代わりに扇風機を出した。勿論、ここ最近はファンヒーターなんぞ使っておらず、それを片付ける序ででの扇風機である。

 さて、未だに夜中に531ロードを使ってローラー台を回しているのだが、冬場では基本は窓は閉め切って行っている。勿論、気温に合わせて窓の開ける量を調整しているのだが、3月以降は、窓全開で漕いでいる。この時期、身体が暖まる迄は窓を開けて風が入ると少々寒く感じるのだが、身体が暖まると窓全開でも結構暑い。

 で、最近は吹き出す汗の量が半端でないので、遂に扇風機を併用することにしたのだが、扇風機を使うと汗の蒸発が速く身体に熱が籠もらないためか、疲労感が全く違うのが興味深い。扇風機を使う前は、距離で20km程で疲れたなぁ、、、、って感覚があったのだが、扇風機を使い始めてから、アッという間に60分が経過する。

 結構、運動環境によって疲労感は随分と差がでるようである。扇風機一つで体温状況が随分変わる様子であり、扇風機無しでは、負荷を感じるが、扇風機付けると、同じ負荷でも負荷を感じない。負荷=疲労感だろう。疲労感というと乳酸だろうか?乳酸が溜まらずに分散しているから疲労感を感じないというと、乳酸の分散=代謝ということか?代謝が高い状態というと、汗をかいても汗がドンドン蒸発して汗をかきたいだけかけるということなのだろうか?汗で体表面が濡れて汗がかけにくくなると、身体が汗がかけなくなる訳で代謝低下、乳酸の蓄積となるのだろうか?
 この変は想像だが、そんな気がするところ。

 こういう使い方では、やはりフルサイズのロードバイクのモンである。こういう使い方を小径でやっていると変。

 前の記事と重複するけど、夜中にローラー台回したり、CRを走行したり、或いは、休日早朝に定例のコースを目標時間に走りきったりするのは、自転車は道具であり、700Cのバイクを選ぶ。
 しかし、昼下がりに徘徊したり、散歩したり、というのは自転車に乗って運動するというのは目的でなく、自転車とはオモチャ的に付き合っている。そういう状況では、肩の力が抜けた小径車が具合イイ。

 話を戻すけど、扇風機による汗のかき方が疲労感の違いに出るというのは、やはり自転車を道具として扱っているがために感じるものである。扇風機の効果なんぞ、こういう状況でなければ思い浮かばない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月21日 (月)

700Cは道具、小径は玩具

 勝手なイメージだが表題の如く思っている。
 フルサイズ700Cは道具という印象。それに対し、小径車は玩具である。道具である以前に、オモチャ的要素、趣味的要素、オタク的要素が強い。
 此処で言う道具っていうのは、スポーツの道具って意味だ。勿論、実用品としての道具として捉えたならば、フルサイズが実用品とは成り得ずに、小径車は実用品として成立すると思っている。

 自分の中では、小径車は基本は実用品であり、それに加えてスポーツは目的とせずに、所謂、ミニチュア玩具であったり、オモチャであったりするのである。
 勿論、スポーツツールに非ずの、LOOK車と似たような玩具であっても、決して走らないとは言っていない。それなりに、走ろうと思えば、乗り手が満足できるレベルの動力性能は出ると思う。

 何故に、そんな事を書くか?っていうと、自分の持っている自転車を眺めると、フルサイズの自転車にはスタンドなんぞ付ける気は毛頭無いのだが、小径車の場合は、スタンドは必須だと思うのだが、その思いの差違は、多分、使う状況を無意識に区別しているからだと思う。

 でも、スポーツのための道具でなくっても、乗り手が自分という条件で、いつものコースを走って最速なのは小径のクソ重いオ・モイヨWWなのが面白いところ。
 本日、距離11kmを15分20秒で走行。強烈な追い風もあるけど、似たような条件は、ラングスターや531ロードでも遭遇した事があるのだけど、今日は55km/hオーバーで走る状況が結構多く、信号も殆どスルーであり、チョットビックリである。

 世間では、小径=オモチャ、オモチャ=遅い、よって、小径=遅い!って方程式があるようだけど、自分の世界では小径はオモチャであっても、状況によっては良く走るとも思う。少なくとも、自分レベルが乗る範疇では、オモチャでさえ機械の能力を発揮しているとは言い難い。

 やっぱり、SORAで十分、ハイテンで十分、ジーンズで十分とも思うのである。(ブランド名、材質名、装備名を出したのは喩え話。自分のような素人如きがスペックに拘るのは無意味と言う事。)それ故に、結局、気軽な遊びで自転車趣味と付き合っているんで、フルサイズ700Cよりも肩の力が抜ける小径の方が好みでもある。所詮オモチャ、所詮玩具、そう考えると小径車の方が気持ちの中で余裕が多いのも確かである。

 自転車に乗ったら、如何に速くとか、何処までも遠くへ!って気合いが抜ける小径は、日常の時間の隙間を利用して楽しむには最高である。日曜休日の時間の合間1時間を利用して遊ぶって状況を考えると、フルサイズ700Cで踏む!っていうよりも、小径車でチョットお出かけって状況の方が自転車に乗ろうという気が増えると思うのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月20日 (日)

退官記念パーティ

 土曜日は午後4時から地元大学大学院工学研究科の教授の退官記念講演とパーティに出席した。この先生とは、産学官の共同研究プロジェクトで一緒に仕事をした事が有った事が縁であったのと、自分の学生時代の指導教官とこの先生が飲み友達だったこともあり、話をする機会が多かった事も縁の一つだったりする。

 この研究会プロジェクトは1994年~1996年の間に活動し、プロジェクトの成果が参加企業毎に顕著なモノがあり、1997年~1999年も同じ括りで継続プロジェクトが活動した。その後、1999年にプロジェクトの成果を特許にして当時通産省の新規技術開発事業の補助金制度によって補助金を3カ年で1億5千万円受けてコア技術の事業化に取り組んだ。

 ということで、1994年から6年間の間に様々な助言を頂いた先生であり、その方がこの度退官されたのである。1999年以降は、このプロジェクトの事業化については一段落したために、仕事上の交流はなかったものの、勤務先の金属製造(鋳造)部門における品質問題の解決を勤務先のトップが、この先生に技術指導を依頼したのが2001年から2002年の二年間であり、その後、偶然だが勤務先トップから自分の所に鋳造部門の品質改善の依頼がやってきたのが2004年だが、その後3カ年を掛けて講じた対策処置のバックデータとしては、その先生が2年間掛けて纏められた資料も存分に活用させて頂いた。

 という訳で、気が付けば、直接、間接に先生と関わりが在ったのは1994年から2007年という13年間にも及ぶ訳だ。自分が就職したのが1991年なんで、実に社会人生活の相当に長い期間に拘わりが在った事になる。
 これまでに手がけた様々な案件は概ね良好な結果を得ているが、考えてみれば、先生方のような縁あってのモノである。まぁ、取り敢えず、定年で退官ということ。お疲れさまと言いたいところである。

 ところで、その先生の研究室の元で指導を継続される若い先生方が、丁度自分と同世代。先日、仕事ネタでも少し紹介した全く新しい摺動システムとそれを実現する材料の複合化、複合化材料の様々な処置等々について、若い先生方と話す機会を今日持てた訳だが、この11月の学会のネタになりそうでもある。今のアイデアは、自分のアイデアであり、このアイデアの評価をプロ組織に委ねて聞いてみたいのが一番だからだ。
 残念ながら、勤務先で、いまの話を具体的にしても、感心されるばかりで、技術に対する意見や質問が皆無であり、良いモノかどうかが判断出来ない。
 今、或る程度自信があるのは、公的な研究機関の技術員の方、或いは、新しいシステムを利用した他社(勤務先企業より大手の企業)の研究スタッフの方から良好な評価を得ているからだが、より学術的な見地からの評価に感心があるところ。

 今日のような機会を利用して、知り合いの輪を拡げて活動を拡げていきたいところだ。

 余談だが、今日の会の席では、他社、公的機関、大学関係者の方々と結構話せたが、同じ席に出席していた勤務先の同僚(殆どが上司だが)は、自分の会社の同僚同士の話しかしていなかった様子。なんで、いろんな人と話をしないのだろうか?不思議なもんである。話が出来ない訳では無いだろうに、、、、。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月19日 (土)

採用試験の協力条件

 ということで、表題の条件を社長に提示して、来年以降はこちらの言い分を聞いて貰うことにした。

 従来の行き当たりばったりの設問と、曖昧な採点基準、評価事前情報の配布後れ、受験者の長時間待機に都合に合わせた短い面接、、、、そういう姿が、企業として面接受験者への配慮不足という事を訴えた結果の話。

 来年度以降は、評価フォーマットを作り、面接官事の評価手法の定型化を進める。更に、評価事前情報を予め目を通すことが出来る程度のタイミングでの配布、多くの受験者の時間の無駄を最小にするような時間帯指定による来社依頼、、、そういう配慮をもって面接試験をして貰うことになった。

 ならば、もう少し協力しても良い感じ。出来る事なら、設問内容、評価基準のフォーマットも全てこちらで作らせてもらいたいくらい。

 試験の合否判定を明確に行っていると、そういう評判になるし、そうなると、それに見合った学生が推薦されるものである。いい加減な試験をしていると、大学側から舐められるのが現実。結果、受験に見合わない人間が応募する事となる。

 周りに不満を述べる前に、自らの襟を正すっていうのは、個人の話に限らず、企業、組織にも当て嵌まるもの。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

バイク=オッサン趣味?

 今更というか、既に判っていた事だが、先日のニュースでも掲載されていたのが、

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080415-00000000-sh_mon-bus_all

 であり、二輪車離れ進むって記事で、10代の二輪車離れと50代ユーザーの増加、、、
って内容。
 但し、この記事では分析が不完全。40~50代ユーザーが増加したのではなく、二輪ブーム時代の若者で今オッサンが、経済的余力+生活での育児一段落+免許制度改定といった環境の変化で、当時憧れを持っていた単車に戻る人が増えてきただけであり、決して、新規のライダーが増えているのではなく、冬眠から覚めたに過ぎない。

 この内容は、メインサイト裏ページの

http://homepage1.nifty.com/firstsource/etc/japanbike.htm

 にも、

http://homepage1.nifty.com/firstsource/etc/japanbike2.htm

 にも記事にしているけど、そのまんまである。

 そんなオッサン世代の悩みとホンネを考えると、、、今、この世代の悩みは、恐らくは肥満、メタボリックシンドロームだろう。
 少し上の50代では、アメリカンブーム(当時のLTDブーム、ミッドナイトスペシャルブーム、XS-SPブーム)でハーレーマンセーな方も多いが、我々の世代は、ハーレー否定、まったりクルーザー否定、スクーター否定で、スポーツバイク命、大型コンプレックスってのが多い。

 今、まったりハーレー系が大人?に人気だが、次は不惑の40代が育児に一段落する。この世代によるムーブメントの牽引は、恐らく理想はスーパースポーツだが、体型的、体重的?に、そして当時のコンプレックスを晴らす目的で、乗りやすいスポーツバイクなのかなぁ?と考えたりする。

 でも、我々不惑世代の単車像は、単車における原体験のインパクトが強烈であり、本当は、みんなスポーツバイクに乗りたい筈。乗れる身体を持っているか?戻ってきた時に選べるラインナップが存在するか?これを考えると、原体験に拘るのは難しい時代になってきたのかもしれない。

 まぁ、俺はリターン族では無く、80年代に買った単車が未だ現役。原体験は現役で、現体験中だ。乗り続けてこないと判らない世界は在るし、そこで覚えた走りに対するバランス感覚(攻めと守りの鬩ぎ合い的意味での)、長く同じ考えで接し続ける事で初めて見える事、気付く事、考え方、答えの出し方という部分は当時を振り返ると、今になって初めて気付くものばかり。
 そういうものを大事にする程に、原体験が鮮度を失わない。多くのモノを犠牲にしてきたけど、その犠牲を払う対価として大事にしたのが二輪車趣味だが、その趣味は、自分的にオッサン趣味とは思っていないが現実だ。

 単車の趣味が完結した訳ではないが、感性豊かな時代に、多くの選択肢が自由に選べる時代を過ごせたのは実に幸運だったと思う。数多くの選択肢の中で、自分的に本当に面白いと感じて虜になった世界である、2ストロークスポーツとミドルVツインという世界が消え去ったのは寂しいが、その世界の存在を知って、体験できたのは実に有り難いものだ。

 やはり、単車の楽しさは三次元的な操縦自由度であり、自由自在度が極めて高い乗り物。モノを納得できる形で操作する事で感じる征服感というのが最大の満足であり、持つだけ、改造するだけ、見るだけという満足感とは絶対的に違うと思う。その感覚は身体が動かせる限り楽しめる自分でありたいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月18日 (金)

メタボリック健診導入アンケート

 Yahooの意識調査アンケートの結果が掲載されていた。

http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/quiz/quizresults.php?poll_id=2018&wv=1&typeFlag=1

 で、結果は57%が反対ということらしい。特に、ペナルティーには賛成する人が相当に少ない感じ。

 ペナルティーを団体に課するのが今回の制度だが、間接的には当事者にも何らかの負担を強いるのは間違いないところ。

 将来の医療負担を削減という大義名分で行われる制度で賛否両論だし、ペナルティーについても賛否両論だが、結局、健康は自分のためであり、ペナルティーを課するのならば、将来の医療費が掛かりそうなメタボ予備軍には、重大疾病前に保険負担を増やすというのはアリとも思う。一般論としてメタボ=贅沢病であり、贅沢できるくらいなら保険負担を与えても良いのでは?とも言う。いや、保険負担を増すのではなく、メタボとは無縁の人には保険の優遇処置を与えても良いのでは?という事。優遇されるのであれば、優遇されたいという意識で、メタボ改善行動を皆採るのではないだろうか?

 負担を増すのではなく、健康である程、医療行為のお世話になるリスクが少ない訳であり、その低リスク者の保険負担を軽減させるっていうのが一番同意を得やすい論理ではないだろうか?

 この話、以前も記事にしたけど、医療費削減には、健康であることのメリットを国民が感じるシステムが効果的だという意見だ。同じ、保険料負担額の調整でも、負担を増すという話と、頑張れば優遇されるという話の方が印象が良い。

 メタボ健診の尺度の見直し、、、、単純な胴囲でなく、本来的な脂肪率という無次元数での判定を正とするならば、胴囲/身長のような無次元数の方が道理に叶っている。

 判定基準が判りやすく同意を得やすいモノに作り替え、メタボ健診を義務化した上で、新たなる保険料算定方法で重み付けを調整するというのが自然だと思う。
 保険料というのは、将来の疾病発生リスクを評価時点の健康状態と年齢から求めるのが最も自然な姿では無いだろうか?

 今の制度全般は、保険料、税金は取りやすいところ、文句の出にくいところから取ってしまえ的発想である。保険料、税金っていうのは、利用者、受益者負担の原則で透明性が高く、算出法が明瞭で負担者が判りやすい制度っていうのが大前提だと言える。

 今の制度は、なるべく判りにくくという意志で算出されているとしか言いようが無い。

 表題の如く、アンケートで否定的な論調が多いのは、制度的な裏に隠された胡散臭さを感じている人が多いからではないだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

面接終わった。

 今日は面接で半日潰れてしまった。
 リクルートする側の企業は、自社開発、研究開発、独創性・・・・といった煌びやかな言葉を並べ学生を募っている。

 一方で、受験する側の学生も、何故だか知らないが、口を揃えて研究開発希望という。しかし、学生側にも、その土壌を兼ね備えた学生ばかりか?というと、必ずしもそうでないのが現実である。

 煌びやかな宣伝で人を集め、職種の印象だけで応募するという実態。
 研究という言葉について言うならば、企業側の研究という意味は、新型(発展機種、マイナーチェンジ、サイズアップ、サイズダウンを含む)機種をラインナップするという所だが、学生側の研究という意味は、もう少し原理的な論理とか方法論を見つけるという所で、認識がずれている。
 学生の望む研究体制は整っていないし、企業側は机上の研究に価値を見出さないというジレンマがあるのだが、その辺がすれ違いのままである。

 そういう状況での採用活動、新人研修が毎年続いているのだが、少なくとも、どっちが正しいというものではないが、少なくとも、企業側から応募を募る会社説明の場では、実態に即したレベルというか内容、方法論を説明する優しさが必要ではないだろうか?

 錯覚したままに就職を決断し、何年か後に後悔させるのは気の毒。企業側が、学生側の虚勢に騙されて採用する場合は、最終的には雇用者、被雇用者の関係で、企業側の受けるダメージは極小だが、学生側から見れば一生の問題。そんな事を考えながら面接官を勤めたが、学生によっては『出直して来い!』と言わざるを得ないような人も結構居る。

 まぁ、世の中、騙し、騙されの騙し合いであり、それを承知で生きるというのが自然の姿。あんまり、過度に考えすぎるのもNGだろう。

 最近思うのは、やはり、他人の人生に干渉するのは避けたいという気持ち。面接官は、もう卒業しても良いのではないかなぁ、、、、。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

研修時の戯言

 今、新入社員は導入研修を受けているのだが、彼らの関心事は配属が何処か?ということだろう。しかし、配属先ってのは、各部門長の要求を経営者が判断して振り分けるっていうのが勤務先のやり方であり、配属先が何処か?というのは、仮に総務関連であっても判らない。

 しかし、新入社員の疑問というか、好奇心に対して、社内の噂では、●●開発関連かも?とか、結構無責任に解答している模様。そういう質問に対しては、研修過程から経歴から判断すべき時期に、判断する人が判断して通達が出るのであり、決めるのは判断する側なんで気にすべきでないと言えないのが不思議ちゃんである。

 曖昧な解答、噂がこうだ、、、とか、そんな話を適当にするのは如何なものか?と思うところだ。

 さて、木曜日は大卒採用面接だ。大卒理系といえば夢を持って研究開発志望って奴が多い。新入社員でもそうだ。しかし、こいつらが研究開発の実態や手法を理解しているとも思えない。但し、そういう気持ちにさせるのは企業側の研究開発を売りにした企業宣伝の結果とも言える。

 研究開発というのは、口で言う程簡単でない。新たなモノ、原理を発見して知見を切り開くのが開発であり、それは、前例が無いから難しい。前例が無いモノを見つけるというのは、既存の常識、技術的限界の理由等々を理解しなければ先が無い訳で、当然、知識として一定レベル以上の常識を身に付けなければ、未知を切り開く事は困難。

 その困難さは、既存に限界がある理由を把握しなければ判らない。それ故に、口で言う程、綺麗な世界でもないし、結構、泥臭く、手間が掛かり、結果が出るとも限らない、そういう混沌を相手とした仕事となるわけで、知識、経験、精神力、自信が無いと出来ないモノ。勿論、努力が結果に結びつく保証も無い訳であり、それを容認した上でサポートする体制、組織、スタッフが必要不可欠であり、そんな大変な事を新人個人1人に負わせるというのは原則不可能である。そういう事を理解するというのが、開発行動を取れる組織の資質というモノ。見た目の売り上げや利益の額面は資質と一致しないのは当然。

 開発を売りにした企業PRが、入社してくる人、志す人の印象と乖離するかしないかは、本当の意味で企業に資質が在るか否かで決まるもの。企業の資質というのは、そう言う意味で非常に重いのである。PRする開発という言葉の本当の厳しさを知らないが故に、関係無いセクションから開発という言葉が軽薄に使われる訳であり、研修体制を見ると、そこにも、資質不足が伺えるのは気のせいだろうか?

 面接活動を行ったり、リクルートを行ったりする事もあるが、あまりにも現実と乖離した絵空事を宣伝して、これからの人の人生設計に誤った判断をさせてしまうのが非常に恐い。自分が話す場合は、本当の意味で感じた事、実態、考え方を伝えた上で、検討をお願いするということ。騙し討ちで拉致するような採用、リクルートだけはしたくないのである。

 実際、同じ出身大学で、以前の部下の後輩も入社した実績もあるけど、辞めていった奴もいる。そういう奴の言い分は、『こんな筈では無かった、、、、』という事。少なくとも、自分の周りでそういう後悔をさせたくないというのがホンネである。

 勿論、人生において、そういう開発行動を一生行いたいという意識もあれば、そこそこの安定で、そこそこの給与、十分な余暇で楽しく過ごしたいとか、地元就職をなによりも優先するとか、或いは、過去の競争社会に疲れてレベルを落として楽したいとか、、、、入社動機のプライオリティーは人によって違う訳であり、何を求めるか?は人次第である。
 そういう色んな考えで、自分の判断で行動すれば何の問題もないのであるが、少なくとも、現実と乖離した虚偽的な情報によって、各人にとってのプライオリティーの高い分野での判断を誤ることの無いように望むのである。

 特に、採用や研修という状況では、最低限度、戯れ言とは言え、あまりにも無責任な発言は慎むべきである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月17日 (木)

企業の資質

 資質について思う事。
 木曜日は採用面接である。受けに来た人は26人である。面接は一人10~20分で、時間としては数時間掛けて毎年行っている。

 いつも思うのは、これ程に人数は日程を分けて行うか、或いは、グループ毎に来社時刻指定をずらすべきではないか?と言う事。

 更に思うのは、人事部は面接資料を毎年、直前になって自分に送ってくる。面接担当になって数年が経過するが、最初、他の重役連中の質問は、居住地域を見て誰々を知らないか?とか、祭りはどうだった?とか、出身学校でクラブ顧問の何々先生を知らないか?といった世間話に終始する。

 履歴書、小論文に関する質問、専攻、論文に関する質問は皆無、、、、、

 それで合否判定を行っていたのが実状。見るのは、受験者の覇気のみ、、、、ならば、俺を面接担当にする意味は無いのだが、、、、

 自分の面接資料を当日迄に熟読し、それに応じた質問を準備して望むのだが、それは、受験に来た方に対する礼儀だと思っての事。
 しかし、この会社は面接資料の配付タイミング、質問内容から見ると、人を試験するという意味や資格が無いと思うのは言い過ぎだろうか?

 その辺にも資質を疑う要素を感じるのである。

 どんな分野にも資質があるけど、その優劣は、嘘を付かない、誤魔化さない、過度な干渉や批評はしない、礼節を重んじるという部分が根幹にあるべき。

 さて、この文章は当日の昼休み中に書いている。今から本社に出掛けて面接だが、今年の面接はどうなるだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

認知症と高血圧

 表題の相関性についての研究報告がニュースとして掲載されている。元ネタは下記のYahooのニュースである。

http://health.yahoo.co.jp/news/detail/?idx0=w20804154

 このニュースによると、研究の調査対象となった認知症や認識力衰退の男女のうち、3分の1の剖検脳組織に、高血圧症や糖尿病による小規模な脳卒中が原因となる、小血管の損傷が繰り返し発生した証拠が認められたという。
 結論としては、高血圧症や糖尿病による脳小血管の損傷が、認知症の主要な原因であることが、米ワシントン大学(シアトル)の研究で明らかになったといこと。

 似た報告を記事で紹介した当ブログでの記事は下記であるが、

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2007/10/post_a7df.html

 心疾患等重大疾病、癌、糖尿病~認知症、アルツハイマー症等々の殆どの疾病が、生体の健全性を失うという生活習慣の乱れが疾病発症因子となっているようだ。

 殆どの疾病が身体の新陳代謝機能の低下に起因しており、その代謝を司るのが血液の循環能力?であり、血液粘度が高くなったり、流動抵抗が増大したり、そんな症状による代謝不良、酸欠状態によって異常を来しているようだ。それを健全な状態に保つのは、生体機能の確保を生体本来の機能を休ませることなく働かせるという事が最も大事であり、そのためには、変なサプリ、偏った食生活・・・そんな事を極力避ける『超自然派』生活が最も重要である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

1日24時間は皆一緒!どうやって過ごす?

 どんな優秀な人も、そうでない人も、金持ちも、貧乏人も、大人も、学生も、子供も、、、、どんな人にとっても共通で平等なのは、毎日が1日24時間ずつしか与えられていない事である。
 そんな24時間だけど、その時間の過ごし方は、人によって様々だけど、その人が何に集中しているか?で生活自体が大きく変わるものである。一日24時間、寝る時間を除くと16時間。その16時間から食事、入浴、家事、世代によっては育児といった必須所要時間を除くと、まぁ、12時間もあれば多い方ではないだろうか?

 この12時間を如何に過ごすか?で、その人の生活は大きく異なってくる。

 一般には、この時間の中には就業という時間が含まれており、その時間は最低でも8~10時間しかないのである。そうすると、個人に残された時間は僅か2~4時間しかない。

 この残された時間で、身体を健康に保ち、精神を満ち足りた状態に保たなければならない。健康を保つために運動し、心を豊かにする趣味に打ち込むというライフスタイルを取り入れなければならないのである。

 このように考えると、一日24時間というのは、あまりにも少なすぎる気がするのである。

 どのような一生を過ごすかっていうのは、詰まるところ、日々をどのように過ごすかと言う事の積み重ねである。一生で得るモノに何を目指すか?ということが、結局、日々の生活の時間配分になるようにも思うのである。
 ここでいう何を目指すか?っていうのが、実は一番難しく決め辛いテーマでもある。考え方は千差万別である。

 人によっては、一生楽して遊んで暮らすというのもアリだろうし、兎に角元気で長生きっていうのもアリだ。企業のために、或いは、家族のために身を粉にして働くって生き様もアリだろう。どういう価値観を最上位におくか?っていうのは、ホント正解は無い問いでもある。

 何故に、そのような事を書くか?というと、普通に働くという行為を行っている限りでは、使える時間というのは、極限られているのだが、この働く時間という時間の過ごし方次第では、実質的に脳内で分配する時間は大幅に変動するのも、また事実である。

 例えば、サラリーマンの鏡のような人だと、企業に忠誠を尽くし、長時間残業や休日出勤を厭わずというスタイル、更には、会社を離れても仕事?の事が頭を離れないって人もいるだろう。或いは、長時間仕事場に存在する事による残業手当を目当てに、会社に居る事に意義を見出し時間を費やす人も居るだろう。どんな考え方も、その人なりの生い立ちによるモノであり、正誤は無いものだが、結局、仕事というモノを如何に捉えるか?によって、脳や身体の活動を振り分ける割合っていうのが大きく異なると言う事は事実である。

 会社に居る事に意義を見出す過ごし方。或いは、残業手当目当て、更に言えば金目当てで就業する方、いろんな人が居るが、結局、仕事という行為を、どういう目的で行っているか?で、考え方、過ごし方が異なってくるのでは無いだろうか?

 仕事の意義は?って問いを、周りの人間や後輩に聞いても、明確な解答を得る事は稀であり、多くは、朝起きて顔洗って、飯食って・・・・ってリズムの中の行為と等価な行為であると答えたり、生活を維持するための金を稼ぐために出勤しているだけと言ったり、そんな社会を構成するパーツの一部と成りきったり、それが常識と考えた上での解答が実に多いのである。これは、就業年数に限らず、新入社員からも同じように聞こえるのである。人が卒業するから卒業して、みんな就職するから就職する、、、、と言う事らしい。

 そんな時、自分にとっての仕事は何か?というと、ハッキリ言って金も名誉も地位も何にも関心が無かったりするのである。もっと言えば、仕事に対する義務感は全くと言って良い程もっていないのが現実である。仕事を仕事と思った事さえ無いのが現実だ。

 一寸、哲学的、宗教的かもしれないが、人と獣の違いは何か?とか、仕事とは何か?いう質問を、周りの人間にする事がある。後者の質問については先日のブログでも記事にしたけれど、前者について自分なりの解答をするならば、人というのは世代を越えて英知を引き継ぐ事が出来るというのが大きな違いであり、それが文明である。生物学的な進化の速度は人も獣も差異はないけれど、文明や文化を進化させる事が出来るというのが人の大きな特徴であり、文明や文化の進化とは棲息域(社会)の進歩である。
 つまりは、人の使命とは、文明や文化を進化させることであり、社会を発展させる事である訳で、発展させる事とは、即ち、必要とされている新たな発見を生み出す事だと思うのである。新たな発見というのは、真実に基づいたモノであり、そこに改竄や偽造、偽装はあってはならないのだ。そういう真実こそが社会を発展させ、それを行うことこそが人の価値ではないか?と考えている。

 その発見という行為を行わせるために、人に与えられた先天性能力の柱が好奇心だと思うである。
 そして、その発見という行為を行う上での必須能力が勉強や学習、研究という行為であり、新たな発見を行うには、過去の知見を身に付けておくというのが半ば必須であり、その知識と発見を行う上での手法を学ぶのが学生生活での勉強の主たる目的である。
 つまりは、好奇心という武器を持って、過去の英知を学習した上で、次世代の文明に寄与するモノを見つけることこそが仕事だと思う訳であり、賃金というのは、その対価に過ぎないというのが自分の持論である。

 企業において存続というのは、営利活動という名の他社との競争において優位性を保つ競争に打ち勝ち続けると言う事であり、企業に仕える事というのは、優位性を生む新たなる価値観を生む行為であり、その考えなくして仕事というのは成立しない。仕事という名目で居るだけ残業をしているのは、仕事という行為を偽装しているだけだったり、組織ぐるみで性能偽装表示したりするのは社会への裏切り行為、経営者の名声浴に溺れた状態を示したりするのである。(勿論、これは綺麗事であり、本音では汚い行為を少なからず従業員、企業の殆ど全てが手を染めているのが現代社会の常識っていうのは情けないながらも真実である。仮に、そういう正論から外れた行為を半ば常識化させたような組織認識があったとすれば、それを助長するように自分の開発したモノが用いられた場合は、自分なら、偽装ほう助行為は耐えられない訳であり、そういう場合は、自分の生みだしたモノのトドメは自分が刺す。そういうものである。だから、過去の全ての仕事の結果には、その機能を失わせる必殺インターフェースを備えている。それを行使するかどうかは、利用者の認識次第なのだ。全ての発見にしても、基本的な権利は個人で抑えるし、組織特許においても鍵といか抜け道は当然考えている。それが俺のやり方である。)

 そのように考えると、仕事という行為は時間ではなく、その使命において新たな価値観を創世すると言う事であり、それが一つでも人生において見つける事が出来れば、それで良いのであり、見つけたモノを、段階を踏んで周知させる事が充実感に繋がると思う。
 そのように考えれば、仮に会社で勤務して仕事をしているように見えても、脳内は、必ずしも、仕事の事ばかりを考える必要性も感じない訳であり、そうすれば、身体こそ特定の場所に拘束されていても精神は自由であり、考える時間の配分は自分の思いのままにすることが出来るのではないだろうか?要は、何か新しい発見を見つけようという意欲さえ持って日常を過ごす事が一番大事なのである。

 あくまでも、自分の状況でその瞬間を過ごせば良いのである。人が忙しそうだから焦るなんて無意味であり、怠けれる瞬間であれば思いっきり怠けて遊べば良いのである。長い人生、周期をもったリズムがそれぞれにある。頑張らなければならない時は自然とやってくるのである。常に頑張って目を三角にして仕事しなければ!って強迫観念は捨てるべきであり、周りを気にしたり、周りの目を意識するからストレスに呵まれるのである。

 そういう個人の状況に応じて、周期は訪れるものだと理解して過ごすのが大事である。これは、何時も遊べ、何時も怠けろというのではない。やる時はやる。そうでない時は休めと言う事。準備すべき時は準備し、時が熟すのを待つべき時は待つということ。

 淡々と深い思慮無しで時間を過ごしたり、周囲の状況に影響されてあたふたしたり、ジタバタするだけでは、結局は、嫌々時間を食いつぶしてしまうのである。重要なのは待ちの時期には策を練り、知恵を絞り、発想を育む事が大事。このリズムというかタイミングの使い方を見誤れば、新しい価値を生む事さえ出来ないと言う、不毛な時間しか過ごせないのでは無いだろうか?

 過激?な持論かもしれないが、好奇心が持てないヤツ、好奇心を持って新たな価値を生み出そうとしないヤツ、建前だけで時間を食いつぶすヤツ、そういう奴らとは価値観が異なりすぎて相容れないのである。新たな価値を創世する事を欲しないヤツっていうのは、自分から見ると、人間では無い獣のような生物にしか過ぎないのである。新たな価値を創出する志無しも、切迫した業務に追われている状況に無いという居るだけ残業っていうのは、詐欺行為にしか見えないのである。
 持論で言うところの人間らしい価値観を持って行動すれば、僅か24時間しか無い毎日を充実した色んな考えを巡らす事ができ、それで閃く様々な思いが生活を豊かにしてくれるのでは無いだろうか?

 最終的に、自分が望むのは、何でも良いのでオリジナリティ溢れる発想に基づいた新しい価値を創出し、それを実際に普及させる事。多くを望まず、それさえ出来れば良いのであり、それを行いたいっていうのは、それを望む(現状に困る)人を助けたいという気持ちによるものである。
 それが達成できたという満足感さえ得られれば良い訳だが、そんなに新しい事が次から次へ思い浮かぶ筈もないわけであり、そういう発想を生み出すに必要なのは、好奇心探求活動を活発に行うというトレーニングであり、そのためには、自分の好きな趣味というのは、なるべく手広く、深く、じっくりと突き詰めていきたいのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新入社員

 今日、新入社員が話をしにやって来た。
 今ひとつ、本意は伝わらなかったし、何を相談したいのか判らないけれど、入社して不安な状態になっているということだけは判った。
 但し、不安の要素が、どのレベルの話なのかは不明。配属の心配なのか?或いは、選んだ企業に対する自分の決断が不安なのか?別の選択肢を望んでいたのか?

 恐らくは、後者の不安で、自分の望む探求活動的研究開発がチームで出来て満足感を得る事ができるかどうか?という不安か?
 助言としては、本人次第で、意志の強さ次第との答えになる。今更時間を巻き戻し再就職が出来るか?というとNGであり、それを思うと、、、、、
 少なくとも、新しい価値観を創出するという本来の開発が行える職場っていうのは、そういう資質を備えた企業でないと不可能。資質の無い企業では、そういう気概で取り組んでも個人プレーに留まるのが運命だし、そういう生き方は、周囲の生き方と乖離度合いが激しい訳であり、長い間モチベーションを維持し続けるってのは不可能。そういう強さが本人にあるか?というと、そこまで逞しい奴は居ない。

 その中で、仕事とは?人間とは?という話も少ししたけど、通じたか否かは不明。色んな世代から色んな話というか相談を持ちかけられるが、こういう話をする機会が最近は多いように思う。

 人間、長い時間生きていくと、高ぶる時もあれば、塞ぐこともある。頑張る時も、怠ける時もある。どういう生き方を望むか?というと、その時で色々である。そういう全てを受け入れて今の心を保つというのがストレスを溜めない秘訣でもある。

 まぁ、言うなら、そんなに先のことは考えず、今をリラックスして過ごすというのが先ず第一である。今を過ごさないと未来は無いのである。今頑張れ!というのではなく、寧ろ、今怠けれるなら、怠けておけば良いのである。頑張らざるを得ない時期は、周期的にやってくるはずだから、今の状態を受け入れてリラックスするのが一番である。

 さて、明日は来年度新入社員の採用面接だ。何を問い掛けようか?考え中だが、最近の話に基づいた精神論的な問い掛けでもしてみようか?

 折角だから、チョットハードでとりとめも無い話だが、仕事とは?人間とは?という戯れ言もアップしてみようか、、、、。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月16日 (水)

自転車漂流リラクゼーション

 自分は忙しなく、せっかちな部分が多分にある。結構、ガムシャラっていうのは好きである。
 単車も自転車もそうだが。単車の場合は、それでも長く乗り続けてきたせいか、ぶらり出来る単車も存在するのだが、自転車の場合は、復活して二年未満であり、基本はせっかち野郎である。

 実用目的とは言えスピママGTR号は、レーシング軽トラックのようなもので、街中で実用性維持した上でレーシー!?如何に俊敏に買い物が済ませれるか?がテーマ。
 ツーリング用とは言っても西DAHONは、一応、ショップの他の自転車に遅れを取らないために必要な装備は完全装備という、、、
 折り畳みとは言ってもオ・モイヨWW号、心の中ではロードバイク。しっかり踏んで、タイムを削るような走りをするのが目的
 殆どローラー台スペシャルとなっているけど531ロードは、乗ったら負荷を掛けてしっかり漕ぐための存在
 最後にラングスターTTっていうのも、定例コースを決めた時間で走る事でコンディションを確認するための存在

 といことで、どれもこれも『しっかり踏む』ってのがデフォルト仕様である。

 しかし、この度入手したルイガノMV-Fだが、これは踏む気を起こさせない雰囲気である。サスペンションによる乗り心地もあるし、その乗り心地を満喫するためにセットした緩めのギアレシオもあるし、アップライトなポジションも、元々のカラーリングもあるかもしれないが、色々な要素が絡み合って、結果、ペダルをガンガン『踏む』という事は考えられない仕様である。

 一寸漕いでは惰性で進む。惰性が維持できる下り坂とか追い風では、なるべく漕がない。上り坂とか向かい坂では速度無視して一番負荷を感じなくなるようなギアを選んで速度を落とすという乗り方が楽しい仕様である。

 結果、踏むのではなく、漂うってバイクであるが、こういう漂流行為は意味もなく楽しいものである。踏んで速度を出して満足するのではなく、最小限の駆動力で惰性を最大限に利用して進む。そして、の惰性走行における乗り心地を最大限確保するっていうのがコンセプトであり、極楽クルージングスクーターみたいなモノ。
 こういう漂流自転車にのって自転車漂流するっていのは、なんか心和む感じで悪くないものだ。

 不思議なもので、そう言う時は、対向車が並進しようが逆走しようが、あんまり気にならなかったりする。危ないと思えば止まって待てば良いので気にならない。そんな感じである。漂流モードで自転車に乗るっていうのは、身体を鍛えるのではなく、心が和ますという目的には良いかも知れない。

 身体のダイエットでなく、心のリラクゼーション自転車である。

 そう言えば、ロードバイクの殆どが高機能志向。小径車の多くがロードバイク志向だが、こういう極楽志向の自転車と極楽追求型の思想で自転車に乗るというライフスタイルも悪くないように思うところだ。

 自転車でダイエットするよりも、そんな効果が期待しづらいのよりも、自転車でリラ久瀬ションライフスタイルを取り入れるって方が良いのでは無いだろうか?
 多くの折り畳み、小径車ユーザーでマニアでない方は殆どそうだろうけど、改造マニア、スピードマニアの方も、敢えてロスを生むような自転車に乗って価値観を変えて風景を見れば気分が変わるのではないだろうか?

 今回のルイガノのLGS-MVFってモデルは、自分の中に隠れていた別の自分を呼び起こすという意味で凄い存在とも思える。
 なるべく漕がずに進む。そして乗り心地から路面の衝撃を吸収している自転車に感謝の意を持って乗る。そんな付き合い方も悪くないものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

フィブリン糊

 表題の縫合用接着剤が80年代に大量出血を伴う外科手術で使われた可能性があるとの話である。これが原因で肝炎に感染している場合があるとの報道で、次から次ぎへと出てくるのには呆れるばかりである。

 以前、フィブリノゲンで肝炎ウイルスに感染する可能性のある期間を調べた結果が

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2008/01/c_eb65.html

 の記事であり、要約すると感染リスクを持つ血液製剤は1964~1965年、1985/9~1994年に製造されたモノ。この間の期間は製剤の殺菌処理の変遷により偶然にも肝炎ウイルスが殺菌されていたという幸運により生じたのだが、今、特に問題となっているのは1985/9~1994年迄にフィブリノゲンを使われた場合がリスクを抱えるという事である。

 この問題と似た問題だが、フィブリノゲンを原料としたフィブリン糊も外科手術での縫合用接着剤として使われていたのが今回の事件。

 厚生労働省のサイトによるとフィブリン糊が使われた医療機関も判明分を掲載しており、

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/01/h0117-2/index.html

 に掲載中である。
 但し、この医療機関公表迄には相当な時間と手間を要しており、その理由っていうのは、糊による薬害報告を意図的に隠蔽するという薬剤メーカーや厚生労働省の隠蔽体質、責任逃れ体質によるものであり、真実は闇の中である。

 少なくとも、フィブリン糊の問題提起の期間は1981~1988年のミドリ十字製造のフィブリノゲンを利用したフィブリン糊という事だが、先述のフィブリノゲンで1985/9~が危険対象とされているのと時期的な連動が取れていないのは考え過ぎか?20年以上の前の事で記録が失われているのか?ともとれるが、なんか、この辺りの方向の出し方が小出しで責任を極力回避しようとしているように見えるのは自分だけだろうか?

 以前、難病医療、先天性重大疾病については完全医療を補償して生活活動の平等性を確保すべきって意見を記事にしたけど、このようなウイルス性の薬害を多数を占めて患者に大きな負担を強いる疾病に対しても、補償と医療を完全に国家の責任で行うべきでは無いだろうか?少なくとも、責任の一部でも国家が負うべき問題に対しては、生活を保証する義務が国家にはあるように思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

メタボリックブーム?

 昨年、一昨年は表題のメタボリックシンドロームによる危機の啓蒙が様々なメディアで語られていたけど、最近は、その生活習慣病の実態や恐さが一通り伝え尽くされたせいか、或いは、メタボリック診断基準への批判的な意見や考えた方が出てきたせいか、それ程まで多くはニュースとならなくなってきている。ニュースとして伝えるべき内容が見つかりにくくなってきた、或いは情報鮮度が落ちてきたのが原因だろう、そんな感じである。

 メタボリックシンドローム云々の前に人々の関心事はダイエットであり夏までに痩せる!ってキャンペーン的なイベントの方が盛り上がりを見せている。

 このような情報の露出度合から見ると、メタボリックネタが過去ネタになったのではなく、情報としての目新しさが無くなっただけであり、実態として、生活習慣矯正が必要な人が圧倒的に増加しており、重大疾病の手前状態でリーチ掛かっている人のほうが増えているのが実態だ。
 このメタボリックシンドロームが恐いのは、当事者にとって重大疾病が発症するまでは無自覚、無症状ってことで、メタボにリーチが掛かったりしている事自体に気付いていない事であり、正しく『サイレントキラー』に狙われているのが本当の恐さなのである。

 押し寄せる恐怖に対しては多くの人は対策を練るのだが、恐怖が押し寄せている事を自覚していなければ殆どの人が対策は取らない。これが恐さの根元では無いだろうか?

 ところで、どんな生物でも数が増えすぎると、自然の摂理的な現象によって間引かれて数が適正化させられるのは自然な事。
 そう考えると、今正に人間に襲いかかろうとしている様々な疾病、このメタボリック寸度ロームを起点とする重大疾病、癌、HIV~新型インフルエンザっていうのは、増えすぎて、地球に対する環境負荷が増大しすぎた実態を修正させるための摂理的な現象なのかもしれない。

 極端な話をすれば、身近に迫りつつある危機に対して敏感な人だけが残り、そうでない人が残れないという事になるのだろうか?
 少なくとも、予防や対策が可能なモノ、例えば、風邪には手洗い、うがいの習慣であったり、生活習慣病であれば生活習慣の改善だったり、、、そういう対応可能なモノに対しては、個人の危機意識次第であり、そういう危機意識だけは常に持っておきたいと思うのである。
 不可避や運命的という言葉を軽く使う程に、危機を感じ取るセンサーが鈍っているということ。色んな事態に対する備えを考える程に、そういう言葉を使う頻度が減る訳だが、その差っていうのは、正しく個人の危機管理能力である。

 という訳で、様々な危機に対する重大性の認識っていうのはメディアに取り上げられる頻度(=ブーム)によってのみ個人の中で意識レベルが上下するようだけど、実際には、メディアの報道に関係なく個人の中に危機意識を持つ事が大切であり、決してブームというものではなく、その危機が回避できているかどうかは、個人の意識次第なのである。

 メタボって言葉はブームでもなく、流行語もでなく、既に遠ざかった危機でもない。そうやって意識から希薄になってきた今からが実は恐いのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月15日 (火)

TDLオープン25年

 東京ディズニーランドがオープンして25年なんだそうだ。25年前というと昭和58年である。高校を卒業した年でもある。振り返ると、あれから25年も経過したのか!と思うところ。25年という期間は長いと言えば長い。短いといえば短い。身の回りの環境が変わったか?というと、25年前から在った建物で未だ健在な建物は結構沢山ある。また、見方を変えれば建物は同じでもテナントは随分入れ替わっているのもある。

 自分の25年を振り返ると、高校卒業~大学生活~大学卒業~現代となっているのだが、丁度生活圏が著しく拡大した25年である。まぁ、大学卒業したのが平成3年なんで、就職してから17年の方が長いのだけど、その17年よりも前の8年の方が変化が大きいといえば大きかったように思うところ。

 そう言えば、25年前も自転車(ロード、ピスト、スポルティーフ、ランドナー、パスハンターにBMXとBTR)に乗っていたし、その当時で既に免許とって2年目、今は27年目か、、、、そんな時代で昔といえば昔だが、大学四年の時に買ったS4ガンマは未だ健在で、つい最近という気がしないでもない。

 この25年を振り返ると、間にバブル景気があったり、平成不況があって、最近の中国特需と景気の波があったりしているけど、そんなに変わったか?というと、一番大きな違いは、パソコン、インターネット、電子メール、携帯電話という情報機器の普及というところ。勿論、それ以外も大きく変化したのだろうけど、時代なりの変化であり、とにかく情報入手性が大きく進歩したのが、この25年のようである。
 価値観的には、女性の社会進出と余暇志向が生まれたのが25年前で、今もその流れの延長上にある訳で、あんまり変わっていない気もする。

 TDLが生まれて25年というのは、この25年でレジャー重視のライフスタイルが確立した象徴のようなモノで、そういうライフスタイルが生まれる事を察知したのが当時のTDLの開業となるのだろう。そういう意味で、TDLが出来てから今迄というのが、この25年の象徴のようでもある。

 そんな風に25年を振り返っているのだが、このGWでも当時の通学路を単車で辿って変わったモノがあるか?変わらないモノがあるか?を探検するのも楽しいかも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Ninja 250Rとマグナム80

 何となく、表題のような感覚を感じていたのだが、、、、Webサイトを熟読すると、、、

http://www.kawasaki-motors.com/model/ninja250r/spec.jsp

『当モデルは川崎重工株式会社の海外工場 Kawasaki Motors Enterprise (Thailand)Co.,Ltd. において生産されたものです。』との注意書き、、、、
通りでタイ製の臭いがした訳だ、、、、、

因みにタイカワ車というと、国内エンジンのモディファイエンジンを搭載したモデルが結構多い。

KH125とか、AR125~AR150~KR150とか、KSR80~マグナム80~100RR、AV50~100cc版のカブ風モデルのMax100、、、そんな感じである。
そう言えば、インタビューにも海外ブランドの新しいフラッグシップとして、、、って説明もあったけど、生産国からみると正にって感じだ。

 さて、タイのフラッグシップとしての存在ならば、このNinja250Rは、実はKRR150ZXの後継車とも考えられる。確かにフレーム構成、デザイン等々、非常に良く似通っている。
 しかし、タイでは2ストが歴史を刻んできたのだが、その代役を勤め上げる事が出来るか?タイ製2ストの陽気なパワーフィールはどう考えてもNinja250Rには無いだろう。

 タイの陽気にスパークした人達にマイルドNinjaが受け入れられるか?結構、見物。

 しかし、そう考えると更にKLXとかの水冷単気筒を乗せて欲しかった。

 それにしても、まさかタイ製とは思いも寄らなかったなぁ、、、、タイ製バイク、結構好きなんだよなぁ、、、、マグナム80もそうだが、KR150SEとか、NSR150SPとか、、、、150ccで40PSを絞り出すハイチューンド2ストは相当に面白い。この陽気さがタイの民族性だと思っていたのだが、マーケティングの結果、今回のモデルが登場したとなると、タイの人も落ち着いた?のだろうか?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

親の趣味?子供に強制?

 月曜の今日は幼稚園の会合等の家事都合で定時帰宅した。
 で、用を済ませ帰宅してからはルイガノ号に乗ってニシダサイクルさんに出掛けたのである。目的は、娘のニューマシンの前カゴが入っているかも?と言う話だったんで、入っていれば持ってきて貰うお願いをしに行くのと、少々の小細工を施しに行くためだ。

 そんな感じで出掛けたのだが、残念ながらブルーの前カゴは入荷していなかった。後は前カゴだけである。そんなニューマシンはRITEWAYのZIT2020というモデルでライムグリーンの自転車だ。この自転車、幼児車ながら多段ギア+アルミフレームで軽量というモノで、既に親の趣味が相当に入った状態。

 これだけでも過剰なんだが、親バカぶりが納車前カスタム行為に現れている。

 娘は水色が好きなのは日記にも書いたけど、これはプリキュア5のキュアアクアが好きというところから来た好み。

 で、ベルを水色に交換して、水色のLEDライトを装着、そして前カゴもBSの少女向けMTB風自転車の水色のカゴをオーダーしている。更には、ペダルもブルーのプラペダルに交換しているのだが、子供の要求項目以外で自分が交換した所といえば、Vブレーキマウント固定式馬蹄錠、アルミ中空前キャリアに、幼児の脚力を考慮して1.75サイズのブロックタイヤから1.50サイズのスリックタイヤに交換。更には、水色ボタンのサイクルコンピュータ迄付けてあったりする。完全に親の趣味で親の自己満足状態となっている。

 一応、フル装備状態だが、この自転車、幼稚園児の娘とは懸け離れているようにも感じてしまうところ。納車は来週日曜日を予定しているけど、反応はどうだろうか?楽しいような、、、、、何とも言えないところだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

要観察!運転者の視線。

自転車でも単車でも、はたまた、車でも自分の周囲にある移動体を見て思うのは、安心できる存在と、そうでない存在がいるって事だが、その見分け方というか、大抵は、遠目に見ても動きというかオーラで大体判るのだが、その不安が的中するかどうか?っていうのは、近くに来た時の運転者、歩行者の関心が何処にあるか?と言うところで判断している。

 運転や歩行に集中している人っていうのは、周囲に対する注意力があるということ。そして、その注意力っていうのは、移動中の人の視線で判断している。自動車の携帯電話通話しながらの運転は勿論、自転車に乗っている連中でも真横を見て前を見ずに運転するバカが非常に多い。
 昨日も前方から逆走してくるクロスバイクがいたのだが、逆走を注意する気も無いし、放っておくのがデフォルトだが、前方50mくらいから真横を見て蛇行気味に接近、、、直近10mになってもこっちに気付かないので、声で注意を促すと、コイツはパニックブレーキ、、、アホちゃうか?ってとこだが、何故に前を見ずに運転するのだろうか?
 まだ、歩行者ならいざ知らず、、、、歩行者でもおしゃべりに夢中で下を向いて突然の進路変更等も多いけど、歩行者の場合は、移動速度が知れているので対処可能だが、前見ずに蛇行して突っ込んでくる自転車だけは頂けないのである。

 まぁ、車でも単車でもだが、運転中に運転操作に注意している人っていうのは実は極めて少なかったりする。脇見、考え事、散漫な運転が殆どであり、そういう奴らっていうのは、車でも結構四つ角に傷だらけになっている。前見ていないからぶつける、事故多い、、、そんなモンである。

 こういう散漫なヤツっていうのは、車体の動きも怪しいし、目視確認できる距離になると運転者の頭の動きというか視線の向きがとんでもない方向に行っている。そう言うヤツと交差点で交錯する際に、明らかに、こっちに気付いていないヤツは結構怖かったりする。

 注意力散漫の理由は、安全ボケなのか?或いは、周りが避けてくれるという前提なのか?何も考えていないのか?その辺の精神構造っていうのは、どうしても理解出来ない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月14日 (月)

春、ロード繁殖

 この週末は朝っぱらからロードを異様に沢山見掛けた。十数台以上の台数。その内、90%が高級な最新のモデル。出で立ちというとプロサイクリングチームのレプリカジャージ。まぁ、カッコイイのか?コッパズカシイのか?は良く判らない。しかし、これだけ繁殖すると少々鬱陶しいのである。2月末、ほんの1.5ヶ月前の雪がちらつく時は誰も走っていなかったし、正月の冷え込んだ時も誰もいなかった。そういう方が気分がイイ。

 前方のロード集団が居たりすると、好む好まざるに依らず、どうしても近付いてしまう。抜きたくないけど、後走ると退屈。でも、歩道区間では狭いし、場所によっては信号が続く場合もある。そういう場面では、抜いても停まる毎に迫られるのも気使うし、、、、

 という訳で、抜く場合は、車道区間で信号迄の距離が最低でも3km程度は開く区間。抜く時も笑顔で愛想良く『抜きま~っす!』って感じ。でも、これを続けるのも何でそこまで神経使わないといけないのか?って思うし、人によっては抜いた途端に頑張ってくる人もいる。そうなると、面倒くさいのである。

 対面する場合は、土曜日には逆走レプリカ軍団が居て面食らったけど、離合するのは一瞬なんで気にしないけど、追い抜く場合は、結構気使うのである。速度差で5~10km/hあると結構速く近付く。抜くにしても場所を見計らうんで、いいタイミングで無いと、ピタ付けするのも感じ悪そうなんで、気付かれない位置で気配を消して待つ訳だが、殆ど、退屈状態で、自分の健康サイクリングでなくなってしまうのが、これまた悲しいである。

 やっぱり、運動のため!って目的で乗る場合は、一人で自分のペースで走るってのが一番だ。交流のため!って場合は、大勢で走るのが楽しいけど、、、、何のために乗るか?で一人が良かったり、大勢が良かったりする。
 少なくとも、週末早朝時間帯は、自分の運動のために乗っているところ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月13日 (日)

メタボリック判定基準の提案

 メタボリックシンドロームの判定基準の第一段階は、胴回りのサイズで男性85cm、女性90cm以上とされている。その後、血糖値、血圧、脂質・・・・で該当者か、予備軍かを分別している。そして、この分別が荒っぽいし、医学的根拠が薄いということで批判されたりもしている。

 また、他の報告では、標準体重及びそれに起因するBMIだけではメタボリックシンドローム該当者を見落とすという説もある。確かに、筋肉なくって実質脂肪率が高い人達、つまりは隠れ肥満を見落としやすいという話もある。

 確かに決め手となる見分け方が見当たらないけど、内臓脂肪が付く箇所が腹周りという生理的特徴を考えれば、批判されていても日本のメタボ基準がマシな感じである。ただし、画一的に85cm、90cmと決めるのは個人差を全く含んでいないので、せめて身体の大きさを反映させるように改めるのでは無いだろうか?結局は胴回りから内臓脂肪率を推定させる訳であり、身体のサイズに対して胴回りのサイズが、どんな比率を持っているか?が正論であり、身体のサイズとして身長を用い、身長に対して男性で50%、女性で70%とかの数値を超えた胴回りであれば血液検査を行うといった手法の方が適切では無いだろうか?

 骨格構造、筋肉の付き方といった体型的な特徴には性別差があり、標準体型において内臓脂肪が付着することで体型が変化するのは図形的にも論理的である。そう考えれば、身長に対する胴囲周長の割合は、標準体型であれば収束すべき値であり、その値からの偏差が大きい程、内臓脂肪が過剰であるというのは成立する筈である。

 BMIなんて指数でも体重、身長を知らなければ出せないのであり、胴回り/身長の比率くらい簡単に求めれそう。
 更に進めれば、胴回りの対身長比率、胸囲の対身長比率、尻周りの対身長比率を求め、その比率分配から内臓脂肪デブ、下半身皮下脂肪デブ、筋肉不足といった傾向が明らかになると思う。試験的に身近な人からデータ収集して相関でも取ってみようかなぁ?

 少なくとも、脂肪率という割合で論じるのは、数値の無次元化が必須であり、評価としては無次元数を用いないと論理的に成立しないと思うのは自分だけだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月12日 (土)

仕事は遊びのフィールドだ!

 木曜日のブログアクセスキーワードで上位に来たのが、Ninja、ピストに次いで、先行待機、軸受、セラミックス、スパッタリング、複合材料、膨張係数、破壊靱性・・・・という工業用語関連。検索元IP解析を行うと、販売委託先の会社が10件と、名古屋に本社を持つ企業(同業か?)から数件、関東から数件、韓国から数件、、、なるほど、関心を持つ人もネットキャッシュにヒットして跳んでくるようだ。
 この先行待機ってキーワードで自身の最高のポイントは、他社が開発したものは回転側摺動材が100%硬質材料の一体モノで最終的な破壊限界においては絶対に割れるという致命性を持っている。

 (Googleなんかで検索すると出てくるのは、業界を代表する大企業が多数出てくるし、その製品案内や開発レポートを見ると、回転側に超硬合金を使ってるが、あれは机上の空論。超硬の修飾語句に特殊だの、高靱性だの、配合がどうだの書いてあるけど、コイツらが超硬合金を作れる訳でもない。所詮、超硬合金メーカーのNiバインダーかCoバインダーの原料粉体粒子径とバインダー組成を制御している超硬を買っているに過ぎない。そして、そういう超硬合金なんぞは本来刃物用に超硬メーカーが開発したようなモノ。更には、超硬合金である限りは、たかが、サーメット合金。力加わったら弾けるように割れるのは避けれない。そんな語句にユーザーが納得するってのも不思議なものだが、、、耐えれないのは何百回試験して確認済みだし、壊れると回転機械として完全に機能喪失する。思いっ切りくだらないのは、基本的にセラミック軸受と超硬スリーブの組み合わせで特許出願している単純さ、頭の程度を疑うしかない。飯食うのに箸使うのを特許申請するようなモノだろ。ましてや、超硬スリーブを使うのが特許っていうと、結局使えない技術を申請するなんて有り得ないのだ。バカじゃなかろうか?)

 しかし、自分のアイデアでは、どんなに過酷な使い方をされようが、その回転側摺動材は構造的に割れるという事は起こり得ないのが鍵(詳細はブログで公開するのは難しい)である。絶対に割れない上に、割れに陥る発熱と発熱に伴う膨張の二大悪要素が従来システムの1/40以下というのが肝である。想像してみて欲しい。回転機械で回転部が割れるという事は機械の機能停止に直結する訳であり、回転時の摺動というのは絶対的に潤滑システムが必要というのが既成概念。その既成概念をうち破るのがポイントであり、無潤滑摺動を望む領域があれば、売りますよってスタンスだ。
 本音を言えば、協力企業があるから、こんな公開ブログでこれ以上の詳細も一般技術への過激な論評も公開出来ないけど、自信を持って他に類を見ない性能を持つと言えるんで、そういう人がやらない事に興味があるんなら、喜び勇んで紹介したいところ。儲けなんぞは考えていないのが本音であり、新しい考えに賛同される声が嬉しいだけだ。

 ブログ、サイトの運営は個人の日記のためっていうのもあるけれど、自身の宣伝の意味もある訳で、内容を読めば、少なくとも、エンジニアレベルならば或る程度は特定可能でもある。
 これは、こっちの意図するところだが、興味深いものである。

 因みに、自身の経歴はソフトウェア(技術計算、データ収集、スケジューリング)開発が6年、ハードウェア(無機材料開発、プロセス装置開発、プロセス開発)が6年、コンセプト(製造プロセス指導、設計コンセプト指導)発案が4年というところ。
 振り返れば契約社員みたいなもの。入社後の数年は、実際のプログラミングで月200時間残業(4年間の平均残業時間が90時間/月以上)とか、或いは、大学機関での実験で週5日は深夜2~3時帰宅って生活が3年程度続いたけど、最近ではテーマを考えて解決策を決めるのが仕事。ワンアイテムで方針決定に長くても数時間しか掛からない。殆ど毎日家族と夕食が摂れるのは幸せ。最終的な結果を数字で出すには周りを動かすだけで、それが数年。結局、一年で実際に頭を動かしている時間は1%以下しかない。99%以上は、頭の中は自転車や単車が走り回り、何時もデジカメ、パソコン、子供のオモチャ・・・で一杯となっている。
 そうは言っても、組織の経営的なインパクトという面では、最近の方が実効的なのは不思議な感じである。

 考えてみれば、所属を振り返ると、殆ど便利屋的なプロジェクトを渡り歩いている。最初はシステム関連、次が設計関連、今はフリーターの如きの企画関連。特定の分野に長く携わる事は皆無で、専門性とも何も関連が無い。
 しかし、不思議と何頼まれても、基本は断らない。聞けば、何となくに、その瞬間に答えが出るような感覚である。あんまり難しく考えないようにしている。シンプルに考えて行けば、答えは自然と出てくるので、過去数十年に渡り苦労してきたという話を聞いても、結果出すのに数時間しか掛からなければ、その問題の程度というのが理解できないというか、何故に困ってきたのかが見えない。そんな感じである。
 与えられるテーマ、見つける課題というのは確かに存在するけど、それを考える過程自体が仕事とは思えない。思うに、テーマというより興味の対象にしか過ぎない訳であり、興味の対象というからには、その現状の成り立ちに対する疑問と自分の解答の違いを紐解くようなモノであり、殆ど、遊んでいる感覚である。常に脳内は遊んでいる状態。全てに対して遊び心を忘れないのが肝心だ。

 それ故に、新発想の水平展開とか、或いは、新ラインナップ構築という部分は、コンセプト自体を生み出す時点で自分の中では終了しており、繰り返し作業には全く関心が持てないんで、それは他人がやれば良いと思うのである。どんなに面白い事でも、判った事、決めた事を繰り返しやるという部分では全く価値が見出せないのがホンネである。よって、ルーティーンの業務とか、永遠に作図する業務とかってのは、全くやる気無しである。 誰もが思い付かない事を見つけるという、その一点だけにしか関心が持てないっていうのがホンネだ。勿論、ロボットの如く繰り返しやる事も大事で、それを受け持つ人が実際の利益を生むというのも理解できるが、少なくとも関心が無いし、自分の価値観では評価出来ないだけの話である。

 その繰り返し作業に首を突っ込み後から主張するのもバカげている。そういうのはピエロ以下って思う訳だ。基本は誰でも出来る事はやらないという事。単なる繰り返しの積み重ねで仕事をしていると思うような思考回路を持ち合わせていない訳で、仕事とは新発想を生み出す事以外無いというのが持論である。それ以外っていうの(反復作業)は、仕事ではなく作業にしか過ぎないのである。

 本来、仕事っていうのは仕える事であり、企業に仕えるっていうのは企業を継続させる事であり、継続には競争力を維持する事が必須である。競争力とは周囲に対する優位性であり、その価値は、新規性や創造力によってのみ生み出されるモノ。つまり、立ち止まって繰り返し作業する事に満足すれば取り残され、利益が生めない体質に陥るだけの話。繰り返し作業は大きな視野で見ると、企業の歴史資産を食いつぶしているだけである。それが持論であり、仕えるっていう意味は歴史を繋げるという事。この原則を理解できない奴が多すぎるのである。本来なら繰り返し作業の中にも創意工夫があって、仕事の質を高めるっていうのが職人的な世界の面白さなんだろうが、現代企業においては作業分担が進み、配属のローテーションが進み、個人に創意工夫を期待するという土壌が失われつつある。殆どがISO9000に従ったような手順に従う事を美徳とした価値観に支配されており、繰り返し作業者から作業の自由度を奪っているのが実情だし、多くの人が通常作業に疑念を抱くことなく延々と繰り返しているに留まっている。
 よく日本の中小企業の技術が・・・って話を聞くけれど、そういう世界では昔でいう徒弟制度、或いは、丁稚奉公、そういう世界で、技を匠のレベルに磨き上げるという土壌が在ってのモノであり、中小企業が大企業のミニチュア化でISO9000認証取得がどうの、型に嵌めた作業が美しいなんて価値観を持った時点で中小企業の魅力は失われると思うのである。
 そんな時代であり、不自由の社会生活の中で、面白可笑しく考えれる感性を如何に保つか?如何に自分の脳を活発に動かすか?が大事だと思っているところだ。
 結局、行っている事が自分の事であっても、新しい考えが生まれなければ、自分の進化も止まる訳で、自分が進化出来なくなった時点で、人間としての存在価値が亡くなるとも考えているのである。(超、個人的な偏見的な思想ですよ、、、)

 よって、毎日が同じ繰り返しで過ぎていく、、、、、そんな人生だけは送りたくないものだ。毎日違った事を考えて、何かを考えて過ごしていく。それがベストであり、脳内に湧き上がるテーマっていうのは、仕事も趣味も遊びも垣根無しである。よって、経営者と話しをしていても、脳内ではガンマの事を考えているかもしれないのだ。
 言ってみれば、勝手な奴である。勝手な自分は、自分の気ままに過ごしたいのがホンネである。人が何しようが関係無いのであり、逆に言えば、人を強制するのも嫌な訳だ。他人の人生に絡むなんてまっぴら御免である。組織の中で例えば、職制で課長とか次長とか部長、取締役ってモノが存在するが、そういう序列に乗る事自体が不愉快である。敢えて言うならば、将軍とか頭とか、大納言?とか、全く従来の序列とは別のポジションが理想だったりするのだ。

 一寸、表題とは記事内容が変質してしまったけど、色んな語句を散りばめると、趣味ネタ関連以外からも検索がヒットするようで興味深い。せっかくヒットしたんだから、一寸面白いネタ振りしたら、こんな記事になってしもうた。因みに、後半の話の骨子の一部はオブラードに包んで新入社員教育でも話した内容だったりする。

 チョット、濃い話だが、これは身近で仕事に悩む人も居るそうなんで、彼ら彼女らが読む事を期待しての記事である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ワンコインエクササイズって、、、

 木曜日朝の目覚ましテレビでは、ワンコインで可能な様々なモノが紹介されていたけど、ここでもワンコインで行えるエクササイズってのが紹介されていた。
 以前も何度か紹介されたものだが、運動をワンコイン500円で行えるっていうのは、完全に消費者心理を逆手にとった悪徳商法にも見える。運動というもの、高々500円で10分程度行って、何がどのようにフィットネス?ってもんだ。こういう商売をフィットネス関連の商売と言ってJAROに訴えられないのだろうか?

 いくら良心的に解釈しても、エクササイズ器具の有料試用体験にしか過ぎないのでは?となると、エクササイズ器具を選ぶ催しとか、エクササイズ器具の機能や操作法の講習会にしかならないと思うのは言い過ぎだろうか?

 このワンコインエクササイズってシステムは知らないけど、仮に10分で500円とかなら詐欺みたいなもの。っていうか、公設のスポーツセンターならトレーニングルームの使用料金が500円以下でインストラクターもいらっしゃるのだが、これはワンコインとは呼ばないのだろうか?こっちの方が遙かにコストパフォーマンスが高いと思う。

 料金システムの実態はフィットネスクラブによりまちまちだけど、ワンコインコンビニエクササイズって表現は、安価に手軽に効果が得られるというのが宣伝文句に含まれているように思う。エクササイズ自体が安価に手軽に行えるが効果は補償しないというのが本筋である筈だが、語句の解釈によっては誤解を与えそうなフレーズである。

 ふと、そんな事を考えたりするのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月11日 (金)

血圧、再計測、、、その訳は?

 木曜日の血圧測定は午前中バタバタしていたので昼前となった。
 午前中は、ラジオ体操して工場巡回して計測なんだが、今日は昼前の時間の空いた時に行った。
 すると、血圧測定を行う際に何度も血圧計が『もう一度、測定します。動かないで下さい!』てメッセージを出してくる。何度計ってもそうなる。で、一寸動いて計ると測定可能な模様。

 原因は、昼前の時間帯は脈拍が更にゆっくり状態になっているための様子。そのために、血圧計が測定を迷う様子である。因みに、脈を取ってみると33~35回/minというレベル。一寸動いて40カウントくらいになると測定される。

 自動測定式の血圧計は想定脈拍は35以上なのかもしれない。脈が35回/minっていうと、記憶の辿るとマラソンの高橋尚子選手がそのくらいという話を聞いた事があるけど、心拍数でいうと、ついにそのレベル迄到達したのかと思うところ。

 但し、脈が低すぎると、今度は途中で止まらないか?と心配になったりする。今の状態で第Ⅰ度心房ブロックと診断されている訳であり、P波とQRS波の間隔が開きすぎた状態。

 因みに、自転車に乗って35km/h走行×60分というモードで心拍数は130回レベル。最高心拍数が実測で190~195回。運動強度で60%というところだが、こういう状態では汗こそ出るけど疲労感は全くないし永遠に動けそうな感覚。

 安静時、平常時心拍数は相当に低くなっている。自転車、水泳で連続運動しても運動強度は60%レベルなら疲れは無いといっても良い感じ。この程度を発揮するには、それ程過剰な筋肉なんぞ不要なのだろう。寧ろ、瞬間とは言え60km/h以上の速度が出す場合の方が筋肉量が重要なのだろう。水泳でもそうだ。1時間連続で3kmをコンスタントに泳ぐには筋力なんぞ不要だけど、100mを1分近辺で泳ぐには相応の筋力が必要という事。
 そんな訳で自分の腕や上半身の筋肉がそれ程有るか?というと、やはり、そうでも無い感じ。ベンチプレスで100kg上がるとか言っても、殆どテクニック的な要素でこなせるレベルかもしれない。だから、少々鍛えた程度の筋肉の量以前に、この程度の自転車走行や遠泳では、筋肉云々以前に心肺機能しか差異が出ないのかも知れない。

 となると、自分のような健康目的で行っている水泳や自転車レベルでは、心肺機能のみで絶対的な能力が決まってしまうのかも知れない。
 心肺能力で決まるというと、これ(自分レベルの水泳や自転車)っていうのはスポーツなんかではないのかもしれない。単なる日常行動に過ぎないのかもしれない。

 筋力や筋持久力なんか無くても心肺さえ或る程度強ければ、今の自分レベルは誰でも実現可能なんだろうか?そう思うと、少々悲しいものである。
 一般には、心肺機能も鍛えるモノという話も聞くけど、寧ろ、先天的な要素の方が大きいようにも思うし、仮に、先天的な要素が大きく影響するならば、自転車や水泳なんぞ技量云々の前に適正云々による個人差レベルにしか過ぎないのかもしれない。

 昨今の自転車ブームの中で、速さに拘る人は少なくないけれど、素人レベルの自転車愛好家レベルではスポーツとしての鍛錬による差以前に、個人の先天性や癖での差の方が遙かに顕著に現れているように思う。
 マラソンランナーなんかは勿論トレーニングもしているだろうけど、そのトレーニングが開花する素地があって初めてトップアスリートである。持久系スポーツの場合は、その素地が重要であり、遊びの延長的なブームで注目されるスポーツでは、恐らく素地の差でみんな一喜一憂しているのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

痩せる順番、痩せる場所

 ダイエットって行動の目的は、多くの人にとって痩せる事だと思う。
 別に新陳代謝を高めて筋肉隆々の身体を得るって人は、それ程多くないだろうし、そういう人は、日々の運動をダイエットのためというよりも、フィットネスのためという形で捉えているだろう。

 ダイエットの目的は痩せる事である。そして、多くの人にとって痩せる=体重計の指示値を小さくする、と言う事以上に、気になる部分をスリムにするって方が重要だったりする。

 気になる部分がスリムになれば、結果的に体重計の目盛りも小さくなるので、同義と捉えても実質構わないが、単に体重計の値を小さくする以上に、痩せたいところの贅肉を落とすというスリム化は重要である。

 この痩せるという行為には、特に女性にとっては、どのように痩せるか?が重要な問題かもしれない。そういう意味で『部分痩せ』って言葉に敏感に反応する人が多かったりする。
 しかし、部分痩せ効果の実態が脂肪減量の場合は、部分痩せというのは実質不可能という説が支配的である。ただし、脂肪減量ではなく当該部位における肉の保持能力アップという意味で、その部位の筋力強化によって形を整えるという観点からは実現可能なのだろう。

 ダイエットにおける部分痩せって意味が、局所スタイルの保持という意味ならば部分痩せは可能で、そうでなければ不可能なのだろう。

 さて、そんな部分痩せだが、多くの人が望む部位は、顔(頬、あご)、腹、背中だったりするが、そういう部位以外にも結構痩せる部位があるのである。
 それは、足の甲の部分。足の甲の脂肪が無くなる事で、自分の場合、靴のサイズがワンサイズ小さくなったのが驚異的である。

 顔痩せの象徴である頬の贅肉除去、背中の贅肉除去、果ては足の甲の脂肪消滅って領域迄頑張れば実現可能だが、そのような変化が実感できるには、恐らくは体脂肪率で10%近辺迄いかなければ実感出来ないのも真実である。

 自分の場合、一番痩せたい所はダイエット開始時には背中の贅肉だった。人によっては頬骨が浮き上がる程に頬の脂肪を落としたいという人もいる。しかし、選択的に脂肪を取り除く事が難しいために、実質的には、目的の場所を落とすために相当ダイエットに取り組む必要がある場合もあるだろう。何にしろ、贅肉を削ぎ落とすというか、それが実感できるのには、相当な時間が必要なのは確かである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月10日 (木)

エコのために我慢するのは生活から?趣味から?

 地球温暖化、排出炭酸ガス削減・・・・と叫ばれている中、世界の状況を見ると、BRICsの急激な経済発展を象徴とした世界各地での旺盛な開発や、原油需要の将来に渡る増大を暗示するようなタンカー建造意欲等々が、かけ声と実状の矛盾を表しているように見える。

 エコというのを具体的にいうと、結局はエネルギーを消費しないということである一方で、開発というのはエネルギー消費を目的とするということで全く相反する関係である。

 エネルギー消費っていうのは、結局、利便性や快適性を得るために、不快な環境や煩わしい作業を除去するという行為で費やされている訳であり、エネルギーを消費する程に、人に掛かる負担が減るということ。その負担が無くなるのではなく、結局、利用者が負担せずに地球環境に負荷を負担させているということで、負担の先送りという状況である。
 そして、その先送った負担に、送り先である地球が耐えきれなくなって負担者である人間に負担が利子付きで戻っているというだけの現象である。まぁ、負担の輪廻みたいなものである。

 しかし、エネルギー消費っていうのは、このような実用的な意味以外にも、全くの遊びのような趣味的活動にも使われている。
 世間では、単車趣味は環境に良くないなんて声も聞く。確かに、燃料無駄遣い、騒音、大気汚染、、、、、これらが生活の利便性とは全く関係ない所で、排出されている実態を否定する論調は結構多い。

 そう考えると、アンチエコ活動というのは、生活必需活動(ワーク)の部分と趣味的活動の部分に分けられおり、どちらかというと後者が目の敵になりやすいようである。しかし、アンチエコの負担が大きいのは、どう考えても生活必需活動の方である。趣味的活動による環境負荷なんて極僅かの筈である。
 そういう前提で、エコに貢献するのは何から行うか?って考えた時に、日本人の多くは遊びを節約するってなるようだけど、自分の場合は、節約するのは生活から、、、遊びは最後の最後迄大事にとっておくのである。

 これは、高齢者で単車を見ては環境に悪いと良いながら、家では3000ccオーバーの自動車を一人で乗っているのを違和感なく過ごす人に対する違和感だったり、僅か数百メートルしか離れていない団地入口のスーパーに一人買い物に出掛ける人に対する違和感だったりするのだが、実質的に楽な生活を守るか?趣味を守るか?という時に、生活を選ぶっていうのは、如何にも心にゆとりが無いように思うのは変だろうか?

 人間、何のために生きるか?っていうと、一番は好奇心探求活動のためって思うのだが、好奇心追求の一番手である各人にとっての遊びを我慢するというのは、自分から見ると、それは生きている理由が無くなるように見えるのである。遊びを我慢し、自己犠牲に自己満足し、耐えて耐えて生きるのもアリかもしれないが、それは生きる事が苦痛にしか通じないように見えるのである。

 本気でエコを望むなら、生活を楽(横着、過度に便利)にする行為を一切禁止するとか、極端な話、自動車なんぞスポーツカー以外禁止とかにすれば、一寸した利用のための実用車がなくなり、一寸した移動に車を使わない習慣を生む方が遙かに効果的である。環境に厳しいという理由で、ターボモデルが消滅したり、2ストモデルが消滅したりしたけど、台数的に、その効果なんぞ微々たるもの。そういうモデルを買う奴は、それが楽しめる僅かな瞬間に使うだけであり、効果の程なんぞ知れている。それを規制するというのも不思議なものである。まぁ、規制するポーズを示し、大衆の反感を買わない叩きやすい連中から叩くという感じ。まるで、煙草の税金アップで値上げを連続して行う姿勢そっくりだ。
 いっそ、フィットとかカローラがなくなるとか、馬鹿重いSUVの使用禁止令の方が遙かに効果的である。それがダメなら土日以外は白ナンバー車両は使用禁止にするとか、、、、。或いは、家庭からエアコンを撤去させるのも効果的である。夏は暑く、冬は寒いのが当然であり、それに慣れればエアコンによる消費電力はゼロになる訳。

 そういうレベルの取り組みをやれば、エネルギー消費は格段に抑制できるだろう。大体、人一人暑いからといって部屋全体を冷房するのもナンセンス、オバサン一人が買い物に行くのは本来は60kg程度のババァの体重を動かすだけなのに、軽自動車でも使えば800kg以上の物体を移動させるのは如何にも無駄である。大型SUVなんかでは、人一人なのに2000kg級の車体を移動させる、、、、超無駄である。

 食の話でもそうだ。食糧自給率が低い理由は、何時でも何処でも何でも手に入るからであり、その諸悪の根元であるコンビニエンスストアが世の中から消えてしまえば良いのである。大体、弁当のように消費期限がタイトなモノを陳列する事自体が無駄である。弁当販売禁止とか、全ての店は午後7時で閉店させるとかすれば、相当に残飯や消費期限切れの食材は削減できる。それだけで食料自給率は相当に改善されるだろう。

 ふと、そんな事を考えるのである。
 自分の二輪車ライフを見ると、ツーリングでは燃費なんか気にせずガンガンに走りまくるけど、実際にどれだけ乗っているか?っていうと年に数回。
 一方で、勤務先で事業所間の移動は100%自転車や徒歩。市内の出張打ち合わせも自転車しか使わない。自宅中心での一人で出掛ける買い物も全て自転車。
 自分では、こういう生活こそ文化的でエコな生活だと思っているのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Ninja 250R、関心持つ人は?

 いよいよ表題のNinja 250Rが発売開始である。
 このブログでもアクセスの相当数をNinja記事で稼いでいるようだが、そんなNinja 250Rに対する検索ワード/フレーズを見ると、、、、面白い事に、速いかどうか?高性能かどうか?そんなパフォーマンスに関する疑問を持っている人が多いようだ。

 そんな関心を持つってことは、このNinja 250Rのコンポーネントを見れば概ね想像できると思うのだが、それが出来ない人の関心が高いということ。
 そのコンポーネント、型式呼称、メカニズムの流用元、メーカーのクラスへの期待度や歴史から紐解くと大抵判るのだが、それが判るのは、1980年代迄記憶を遡ることが出来る人であり、その時代を知らない人には、全く想像が出来ないとも言える。

 そういう意味で、今、Ninja 250Rに関心を持つ人って言うのは、恐らくは1990年代以降に単車の世界に入ってきた人であり、案外、年齢層的には低いのかなぁ?とも思う。

 このモデルの特徴を類推する要素をランダムに書き並べると、

・呼称はEXから始まる。
・鉄パイプフレーム、型押しキャリパーのシングルディスク等々装備が緩い系統
・エンジンはGPZ250Rベース(GPX250R系、ZZR250系と同じ)
・カワサキ250オンロードは、重量車風デザインながらコミューター

 というところ。これは、相当に乗りやすくマイルドな乗り物で、中高年向け通勤快速車、或いは、女性、、、、、ありえないか?免許とって間もない人が選ぶバイク。新車登録としてはバイク便に使われそうにも思う。ってイメージであり、間違っても、峠をビンビン走る印象な無い。
 勿論、小さく、扱いやすそうな仕様なんで、峠でも乗り手次第では相当に楽しめそうだが、同じ乗り手でも割とはやく物足りなさを感じるのが想像できたりする。

 近々、試乗してみたいけど、恐らく、そんな感じだろう。

 雑紙や、販売店系のインプレはヨイショ記事しかアップされなさそうだが、実際に乗って視点事に厳しい記事をアップする予定。

 何度も言うけど、何故にKLXやD-Tracker系の水冷シングルを搭載しなかったのだろうか?それで、-20kgのダイエット仕様で出れば絶対売れまくると思うのだが、、、、。

 何だかんだ言っても、自分自身、メーカーでいうとカワサキが一番好きであり、自称カワサキ派なんである。それ故に、強引にカワサキ車を選んでいる。カワサキ2ストは邪道で、カワサキなら4ストという世間の意見も理解出来るんで、拘って、4ストカワサキも持っているのだが、それ程にカワサキ好きなのである。(まぁ、4ストカワサキって言ってもAV50ではカワサキ乗りは認めてくれんだろうなぁ、、、、)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

保健医療制度と平等の概念

 4月から後期高齢者医療制度、メタボ健診義務化・・・という風に医療制度が少しずつ変化している。思うのは、便利さを享受しすぎて動けなくなった方、或いは、メタボリックシンドロームという生活悪習慣の蓄積によって発症する病と闘う方が、医療費負担増大の中で相当数の割合を占めているのでは?という事。

 勿論、遺伝的、先天的に難病と闘う方も居られるが、一方で、本来はバリバリ健康な方でも不摂生や生活悪習慣の蓄積で健康を失った方も居る。

 国民全体に健康を啓蒙するには、健康を失った人、或いは医療を既に必要としている人に漸増する自己負担を負わせるのは賛同できるものではないが、疾病状態に移行しつつある人を定期健康診断から抽出し、個人の生活改善で疾病状態を回避できそうな人に対しては、啓蒙の意味で保険負担を増額しても良いのでは?とも思う。

 その一方で、難病といわれて為す術を持たない中で疾病と闘う人に対しては、保険適用可否という心配を無くしたり、極端な話、考え得る全ての医療行為を本人或いは保護者の同意が得られれば受けられるような選択肢を与えても良いのでは?とも思う。

 医療行為を必要とする程度は千差万別であり、医療対象の疾病も然りである。そんな中、不可抗力的な病と闘う人に対しては、金銭的な負担を一切掛けずして先端医療を望めば存分にフォローすべきであるし、逆に、本人の意識次第では疾病回避が可能な人に対しては、その啓蒙とペナルティー、将来の医療負担増大を先見した上で、通常の数倍の保険負担を強要させても良いのでは?と思う。

 なるべくしてなる、そんな疾病迄を過度に保険補助する必要は感じないが、運命的に難病を抱えるという状況において、その家族に極度な経済的負担を掛けて、結果、生活の自由度を奪うというのは、どう考えても不公平では無いだろうか?

 公平、平等っていうのは、等しく負担を負うのでは無く、生きてきた限りは、等しく可能性にトライできる環境を持つという事では無いだろうか?
 やれば出来ると判っていて、やらずして出来ない奴には、やらなかった責任を負うのが当然だが、やる事が出来ない状況があるにも拘わらず、やらない事を責めるのはナンセンスである。
 考え方は、勉強や運動に対する取り組み方と得る結果の差に対する意識と同様だが、本来の平等という考え方で、何を以て平等か?を考える時期に来ているように思うのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 9日 (水)

電磁波と健康

 勤務先の会社では、海水中微生物の殺滅システムの開発に大きな関心を寄せている。
 具体的には、環境問題として取り上げられている船舶運航に伴う生態系の破壊に大きな影響を及ぼす船舶バラスト水中の微生物を殺菌するという事が関心事であるが、これは最近マスコミに取り上げられているように、船舶の運航に伴い、違う地域の海水が別の地域で排出されて海水中に含まれている微生物が生態系を破壊する事が問題視されている。

 そんな問題の対しては、船舶の運航に際して出し入れするバラスト水中の微生物を殺菌するという国際ルールが決まり、そのルールを満たすシステムの開発競争が業界内で繰り広げられている。
 そんな競争であるが、勤務先の会社も、その競争の一部に足を突っ込んでいる。

 しかし、残念ながら、そのシステムのコア技術に関しては他社であり、その技術を構成する基本部品の供給というレベルに留まっているのだが、そのシステムに必要な基本的な装置の製造を受け持つ事によりビジネスに繋げようと努力している。

 そんなシステムであるが、このシステムは基本的に下記二つの技術によって成立している。

1.海水中の微生物を殺滅する新技術部分
2.海水をハンドリングする既存技術部分

 勿論、金になるのは1.の部分だが、2.の部分を多く受け持つ事によってトータルのシステムに多く関与できるという算段で取り組んでいるのが現状。
 しかし、ホントに美味しいの1.のコアを抑える事。

 でも、船舶に積み込む程の海水中に含まれている微生物、プランクトン、卵といったモノを殆どパーフェクトに殺滅するっていうのは非常に厳しい技術であり、量から言ってもエネルギーを多くは費やせないというジレンマを抱えている。

 そんなコア技術は、非常に難しいのだが、色んな要素技術とその組み合わせによって数多くのトライが成されている。例を挙げると

A.オゾン殺菌・・・・発生器が高価、スケールアップ実績無し、システム起動時間長い
B.紫外線殺菌・・・殺滅率が低い、紫外線照射装置が高価、エネルギー消費莫大
C.次亜塩素酸殺菌・・・塩素の後処理が問題。薬剤は陸上基地から供給
D.過酸化水素水殺菌・・・薬剤を陸上基地から供給。更に、薬剤保管が難しく危険。
E.変動圧力による物理殺菌・・・エネルギー消費莫大。殺滅率が低い
F.物理的濾過・・・各処理の前処理的な技術。

等々であり、実は決めてに欠けているのが現状。で、トレンドはC.D.のような化学処理と他の処理を組み合わせて望んでいるのが殆ど。
しかし、化学処理の場合は、その薬剤を搬入する設備、保管する設備等に膨大なコストが発生するのが問題だ。地上基地を整備する場合は、その設置場所を起点とした就航しか出来なくなるし、継続的な利益は薬剤製造事業所にもたらされるのが美味くない。

 やはり、考えとしては船舶で完結するシステムが望ましい。個人的には、船内動力源を利用する事が良いと思う。手法としては、薬剤は処理、搬入という面から却下、海水に電気を用いる方法も塩素発生が懸念されるので難しい。しかし、ビジネスとして考えれば誰かが何かを発想しないとダメである。そういう発想は自分以外の人の全く違う発想が必要だ。

 なぜならば、仮に自分がするとすれば、オゾン、紫外線は論外となると、最終手段としては磁気を利用する事。そして磁気装置と一般の化学装置を組み合わせる事くらい。化学装置の場合は基本はシンプルだが、その分、殺滅率も高くは無い。すると、強磁場を用いたシステムか?と言う事。

 そう思っていたのだが、こんなブログに考えを書くくらいだから、自分自身は着手する気は殆どない。有望なのは磁気だけど、磁気殺菌を行うには相応の実験も必要だし、相当な磁場を作る必要もある。そんな実験を、こんなちっぽけな会社で自分主導でやるのは、相当に怖いのである。少なくとも既存の会社の製品に改造を施して装置を試作する事も可能だが、殺滅能力を高めるには、当然生体への影響も大きくなる訳で、そういう機械を作ってみるのは、どうしても色んな事を考えてしまうのである。

 何故って?電磁場は発ガン性に影響があるかもって説もあるが、個人的には、その説に大きく頷ける所がある。実験中は磁場の影響受けまくりかねない。そう思うと、自分の健康を考えると、一寸、躊躇するというか、乗り気になれないのである。

http://www.lifence.ac.jp/goto/weblifence/spe/spe25-1.html

http://www.d2.dion.ne.jp/~chusan/emwave/denji_00.htm

http://www9.plala.or.jp/rescue/denjiha.html

んなサイトを初めとして、結構色んな事例が紹介されているが、疑わしきは近寄らずがモットーなのである。少なくとも、磁場によって生物を殺す事が目的な装置であり、その磁場に近づいて実験するのは嫌なのである。

 まぁ、自分に命令が来た訳でもないし、自分で方法を考えても、自分で方法を否定しているのは、何だか、支離滅裂である。ただ言いたいのは、そういう電磁波が健康に影響を及ぼすって考えでは、電子機器に埋もれた生活っていうのも考え直す必要があるかもしれない。パソコン、携帯電話・・・・色々である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

簡単パンフォーカス、昔のVGA機、楽しい。

 最近は、自転車や単車で出掛ける際はカメラを持っている。仕事でも使っている。
 仕事で使う場合は特に感じないが、自転車、単車で出掛けた先で、ふと撮影する際には、パンフォーカスカメラが具合がイイ。

 大抵、自転車や単車を置いて、それを写真の隅に映るように風景を撮影したりするのだが、その遠近バラバラなモノを一つに映し込むのには、そんなにシャープに映る必要もないけど、全体的に判るような映りがベスト。
 映したいモノが明確な時にはAFが良いのは判るけど、適当にサッと映すなら、適度にボンヤリでも十分以上。パンフォーカスでも、それなりに映る距離は在るんで、それなりに映したい時は、その距離で映せば良い。

 少なくとも、撮影対象が動き回っていたり、自分が移動中にモノを映すのはAFではターゲットが定まらない。そういう使い方が結構多いので、やっぱり簡単で手軽なパンフォーカス機が一番のお気に入りである。何と言っても、構造的にシンプルであり、単車や自転車でウエストバックに放り込んでいても壊れないというのがイイ。

 とにかく、この手の機材には変な?可動部分が無いのがベストだが、最近のカメラは高機能で多機能、高性能を追求して殆ど精密機械のようになっている。勿論、写真品質自体を較べると圧倒的なんだろうけど、そこまで綺麗でなくても判れば良いって人にとっては、一寸、使う上でも大事に扱ってしまうというか、機械に対して、価格的、構造的にも遠慮して使ってしまうのだが、固定焦点の型遅れで1000円以下ってのは、扱いに躊躇が無い分良いように思う。

 そんなパンフォーカス機だが、CMOS系のトイデジを除外すると、メーカーラインナップから消滅して久しい。

 デジタルカメラ創生期では、CCD+パンフォーカスっていうのがスタンダードだったけど、それも35万画素時代の初頭のみ。カシオのQVシリーズ、後は、他メーカーの初代機のみであり、35万画素時代末期にCCD+パンフォーカスって構成を守っていたのは、振り返ると、

1.35万画素時代末期
・カシオのQV-770
・サンヨーのDSC-V100
・フジフィルムのDS-10、DS-20

程度、他メーカーでは最終モデルは殆どAF化されていた。その後、メガピクセル時代に入ってCCD+パンフォーカスを振り返ると、

2.130万画素時代
・オリンパスのC-100
・フジフィルムのFinepix A101
・サンヨーのDSC-R1

最後のパンフォーカス機は200万画素時代で、それ以降は知っている限り、日立リビングサプライ等のトイデジメーカー以外には存在しない。

3.200万画素時代
・オリンパスのC-120
・フジフィルムのFinepix A201/A202

※亜種としては、
・リコーのCaplio RR211、でもCMOS
・フジフィルムのQ1 digital、CCDで400万画素だけど、画角的にも相当特殊。

 まぁ、実際に後継機のAF搭載高画素モデルに較べると眠い映りなのは否めないし、最新機種はどれも安価で高性能だから、この手のモデルの存在価値は無いのだろうけど、AFモデルの暗闇でのAF迷いや、遅いAFは苛つくし、、、、最新のモデルでスイッチ切り替え式レベルで良いので、簡単な焦点距離大雑把切り替え式なんぞ登場しないだろうか?

 以上に挙げた機種の殆ど(DS-20、Q1、C-100以外)使ったけど、どれも基本は満足度の高いカメラである。映り的には、A101/A201/A202が最高だけど、カレンダー電池の信頼性や暗い処での映りや速度を考慮するとC-120が最高である。
 諄いようだが、C-120って機種はオススメである。あれば1000円以下で調達可能で、操作も簡単、言う事無しだ。此処までは、今までのブログ記事でも諄いくらい書いたこと。

 今、良いな!っていうのは、実は今更ながらの35万画素機である。

 実用機能(出力)を最低限確保するというと、上述のC-120が良い案配だが、モニター表示に留まるのであれば、そんな画素数も不要であり、更には撮影素子も何でも良い。簡単、手軽、許容範囲内の映像という括りで考えると、35万画素で十分とも言える。ここで、35万画素なら何でも良いのではなく、簡単、手軽、迅速、、、、、となると、デジタルカメラ創成期の重くってかったるい動きはNGであり、軽量コンパクト、軽快な動作、電池の持ちが良好といった基本機能は最低レベル以上必要となる。勿論、手軽さ実現の大きな柱となる固定焦点且つ単焦点というのは必須。

 そういう条件では、本格仕様のデジタルカメラの35万画素最終世代か、その後のトイデジ創成期の機種が該当する。

 電池二本+固定焦点で単焦点を満たすのは、
1.本格仕様デジタルカメラ
・サンヨーのDSC-V100(CCD機)
・フジフィルムのDS-10(CCD機、F3.1)

2.トイデジ
・フジアクシアのix-20(CMOS機、F2.2)
・日立マクセルのWS30(CMOS機、F4)
・日立マクセルのWS30Slim(CMOS機、F3.47)
・インテルのPocket PC Camera(単四で四本だけど軽量)(CCD機、F2.8)

 ってところ。トイデジ系CMOS機は電池の持ちも良いのだけど、屋内撮影では一寸厳しいくストロボ必須。でも、ストロボで白跳びしやすい。CCD機の多くはストロボ使えば結構綺麗に写るけど、ストロボ使わないとシャッター速度が遅くなりすぎてブレブレになる。
 そんな中、ストロボを装備しないインテルのPocket PC Cameraって機種は、屋内でストロボ無しでも他機種のストロボ撮影以上に明るく写る。この画素数のCCD機で最も明るい仕様なのか?室内撮影フラッシュ無しで手ぶれも無い。シャッター速度は速く、感度も高いのかもしれない。スペックは公称されてないけど結果は良好。ただ、難点は撮影データ取り込みアプリケーションが原則Windows9X系であり、Windows2000、XPではメーカーサイトから英文ドライバー、ソフトをダウンロードするという手間か?そういう手間を厭わなければ相当にオススメである。

 このPocket PC Cameraは、デジカメというよりもWebカメラなのか?殆ど出回っていないようだし、中古も見つけ辛いけど、あればオススメで、相当に遊べる。写真品質もモニター表示と割り切れば相当に良好である。

 何にしろ、これら35万画素機は一台500円程度で入手可能なモノばかり。同じものを撮しても皆結果が異なるのが面白い。一台1万円を超えると遊べないけど、先の200万画素機や、35万画素機は高くて1000円、安いと200円、ゴミといえばゴミだけど、ゴミと割り切った上で遊ぶと色んな発見があるし、不自由さの中に使えるポイントを見つければ、性能云々の前に、そのポイントが見つかった事自体が楽しくなる。

 なんか知らないけど、この不自由なスペックがとても感性にマッチするのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 8日 (火)

アクセス解析

 このブログのアクセス数は快調?に増加して、ニフティのカウンターでは11万オーバー、忍びカウンターでも9万オーバーで、メインサイトを越えている。
 そのカウンター増加の要因は、読まれる記事にもよるけど、何と言っても『Ninja 250R』関連の記事。確かに、このモデルは久々のカウル付きスポーツモデルで関心が高いモデルであるが、それ以外には、なんと、このサイトの『プロフィール』ページである。

 記事の内容よりも、書き手である自分?に関心があるのか?と思うと、微妙な感覚である。

 因みに、関心の高さでいうと、Ninjaネタが1位、トップページが2位、追突事故ネタが3位、プロフィールページが4位って順番。この中でNinjaネタはニフティのココログのデイリー、マンスリーアクセストップテンから飛んでくるのが多く、追突事故ネタは、あの自動車評論家国沢氏のページから飛んでくるのが多い模様。だから、純粋に記事内容からの関心の高さから言うと、プロフィールページが1位のようなモノである。

 ブログ記事のコンセプト?というか指針としては、基本は堅苦しいモノだし、インスタント志向を否定して、コツコツ推奨型の記事。ダイエットにしろ、何にしろ、成功?の極意は小さな積み重ねのみが結果を出す唯一の方法っていう、誰でも判っている事を記事にしているだけで、その結果の体力を載せているのがプロフィールページなんだが、その極当然のページに関心が高いのは不思議な感覚である。

 世間一般には、如何に簡単に、即効的に効果を出すか?を謳ったプログラムが何にしろ大人気だけど、それとは正反対の傾向が、このブログのお客様の閲覧行動に表れているのが興味深いところである。

 まぁ、客観的に見て、ページに記載したプロフィールが真実か虚像かは、閲覧者のみが判断することだが、書いている本人は虚飾無い真実を控えめに書いているつもり。

 ただ、自分がやってきた取り組み(ダイエット、水泳、自転車、単車、教育・・・)って言うのは、自分でも思うけど、そんなに簡単に出来るものでも無い気がするのも確か。確かに、書いてある事をやれば、それなりの効果を得るのは間違い無いけど、これを続けるのは、ホンネの部分ではキツイ部分もあるのだ。

 でも、自分自身、強烈な『負けず嫌い』で『真似嫌い』な性格であり、そういう性格が、今の生活を続けさせる原動力になっている。少なくとも、自分で自負を持っているフィールドでは、そういう思いが強いのである。人と同じは嫌、人の真似も嫌、自分の方法で納得できるレベルを維持したい。で、負けたくないってのが一番である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

娘と初サイクリング

 この日曜日は、この春に年長組に進級する娘と一緒に何時も走るCRで車道オンリーの区間が無い範囲、自宅から往復で15kmのコースを使ってサイクリングに出掛けた。

 目的は、春休みに一緒に遊んでやるのが目的、春休みに何した?って問い掛けに楽しそうに答える事が出来るイベントを行うってのが一番だが、季節的に花見のシーズン、そして、今度やってくる新しい自転車のサドル高に適応できるかどうか?を確認するってのが目的。

 自宅の団地から下ってCR迄が約3km弱、CR部分は基本は平地だけど、所々車道をくぐるトンネル状のアップダウンがある。そんなコースだが、自転車で外に出掛ける場合の注意として、横断歩道は押し歩き、自転車は一列通行。狭い場所で、自転車や歩行者と遭遇したら止まって待つ。そして、自転車に乗っている時は左側通行、押して歩いている時は右側通行ってルールを覚えさせるのも目的。

 まずは、驚いた事は、思った以上に脚力があること。往復で15kmの距離を平気に走りきって、目的地の河川敷公園では遊具を使って遊び回っても十分に体力がある様子。所々のアップダウン、落差で5m程度、長さで80m程度の坂道なら幼児車で乗って上がれるのにはビックリである。

 そして、自転車のサイズだけど、本人の身長から言うと、3歳の誕生日で買った自転車は如何にも小さすぎであり、サドルの高さを52cmにセットしても小さすぎで、クランク長も短すぎる感じ。漕いでいる姿からニュー自転車の納車を大幅に繰り上げてもらうことにした。

 まぁ、ニュー自転車が来たら変速機の使い方等を自宅周辺道路で教えてやって、自転車に慣れたら再度サイクリングにでも出掛ける予定。

 しかし、何度振り返っても、幼稚園児で15kmオーバーのサイクリングっていうと大冒険に近いだろうなぁ、、、、身長110cm、大人の1/2以下の体力で距離で15kmというと、スケールを合わせると、大人で50km以上の距離に相当する疲労感を感じているのでは?と思ったりするのだが、、、、、

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 7日 (月)

カムバック!野茂英雄投手

 メジャー開幕前に故障で開幕メジャー復活が叶わなかったってニュースを最近聞いた野茂投手だが、突然、三年ぶりのメジャー復帰がニュースで伝えられてきた。

 三年ぶりというと、短いようで長い時間。日本人メジャーとしてのパイオニア、或いは、ノーヒットノーランを二度達成等々と、華々しい実績が語られているけど、何と言っても格好良いのは、メジャーから遠ざかっていた三年という期間を越えて、再度メジャー復帰したという事に尽きるのでは無いか?

 野球に限らず、脚光を浴びた華々しい時から退いて、その後、長い時を経て実力で帰ってくるというのが最高に格好いいのである。
 特に、プロスポーツで、メディアへの露出度だけで、存在が有名になったり、希薄になったりする世界で、三年もの間、自身のモチベーションを保ち続けた点は、真似したくても出来ないものだ。

 今後の活躍どうこうよりも、この三年間の間、気持ちを萎えさせずに続けてきたというだけでもスゴイものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ガキっぽさ、健在。

 建前では、他人と絡まない。人は気にしない。挑発しない。なんて言っているし、実際、こちらから、そういう行為は絶対にしないという理性のリミッターが掛かっているけど、誰にでも言える事だけど、そういう理性リミッターっていうのは、アドレナリンが過剰に分泌された状態になると簡単に外れてしまうものである。

 特に、趣味の世界では、喧嘩は売らないけど、売られた喧嘩は、売られた挑発には、つい乗ってしまう事が多い。バカだなぁと思いながらも、つい乗ってしまう。また、乗ってしまうのは、それは行けるという算段が成り立つからであり、その過剰?な自信は何から来るか?っていうと、趣味の世界への、のめり込み具合であり、その度合いに、自己満足かもしれないが、或る程度の自信を持っているからに他ならない。

 趣味の世界で、長く続けてきた事に対しては、途切れなく続けてきた自信とういものが、先のガキっぽさを助長しているように思う。

 仮に、一般道、公道で見知らぬワインディングロードを単車で走るという状況。大体、大勢でツーリングに行くと必ずバトルっぽい状況になるのは、誰でも経験あると思うけど、そういう状況では、どんな挑発でも、つい受けてしまうし、そういう状況で、先ず負ける?気がしないけど、これって、やっぱり免許を取って公道にデビューしてから25年以上の間、一度も単車から離れていないし、いつも自分の思い通りに乗れている事を確認し続けてきたからである。

 自転車で敢えてロードに乗らず、バカっぽい固定シングル、オタクっぽい折り畳み小径車に乗っていて、挑発を受けても99%は返り討ちに出来るのは当然と思っているけど、それとて、自転車ならば月に1000~1400kmの走行を既に1年以上続けているという自負もあるし、最低でも月15kmの水泳を既に15年以上続けているという自負があるからで、その基本となる競泳、自転車競技というモノに昔とはいえ取り組んできたという自尊心があるからに他ならない。

 勿論、通常こちらから仕掛ける事は無いけれど、単車や自転車に乗る機会が多いと、こういう跨る乗り物の場合、あからさまな挑発に遭遇する事は珍しくないのであり、そういう状況では、完全にスルーする程、それぞれの世界の境地に達していないし、大人でないので、ついつい、反応してしまうという子供っぽさが自分にはあると思う。

 勿論、ダイエットでもそうだ、色んな安直な方法を真っ向から否定し、サプリも認めない、安易な機材も認めないし、そんな方法以外で行うのがベストだと言い切るのは、やはり、正攻法?と言える方法で、本来なら代謝の衰えた40歳前後にしても気合いがあれば、運動のみで実際に二ヶ月で20kg以上の減量出来たという自負があるし、この方法でリバウンド知らずで、デザート等を含めて好きなモノを好きなように食っている今がある。
 他の方法は知らないが、少なくとも、このブログの日記にあるような生活さえすれば、確実に減量できると言えるのは、自身の変化が証明しているし、自身が、普通に較べて特殊な身体を持っている筈もなく、極凡人であり、同じ事をすれば確実に結果が出るだろう。
 そう言い切れるのは、そのような取り組みを続けてきた自負故の事だ。ダイエットの方法論としては、自分の選んだ方法が最もローコストで、合理的かつ健康的、一番間違い無い方法である。

 考えてみれば、そういう趣味の世界に限らず、仕事や研究の分野でも、絶対に二番煎じは行わないし、自分にしか出来ないモノが存在するという自負を持っているけど、それとて、そういう気持ちを持つに到る経過があるからである。

 我ながら、アホくさくなるほどに、ガキっぽいし、大人げないし、、、、、もっと、穏やかにならないといけないと反省するばかりである、、、、(反省してないけど、、、)。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

お節介は、親切か?迷惑か?

 他人の干渉は、親切か、迷惑か?それは、その状況で、本人からみて親切と感じる事も、迷惑と感じることもあるし、本人の周りから見たら、それは逆の感情を抱くこともある。

 しかし、多くの人は、その一瞬の思い付きの発言が及ぼす影響を考えずに軽はずみに口にすることが多い。軽はずみ故に、発言に際して、その言葉が持つ影響を考えていない事が多い。このようなナンチャッテ良い人っていうのは、実は結構多かったりする。

 他人に対しての発言っていうのは、実は相当に配慮して言うべきであり、ましてや、外部から、無責任に発言するのは本来は有ってはならないのである。発言の重みを考えた時に、全くの他人や、或いは、極親しい友人関係で交わされている会話での一言の場合と、主従関係、上下関係、組織での従属関係で交わされる場合では、一言の与える影響っていうのは実は大きいものである。

 今回、このような記事を書くのは、そういう話を偶然にも何カ所で聞いたからだが、思うに、そういう軽はずみな発言をする輩が、仮にも管理職だったりすると、発言の主に、発言の影響力を真剣に考えて言葉にするように警告したいくらいである。

 上述のような組織内での管理職連中の発言に疑念を抱くと同時に、全く別件で、人と話す機会があったのだが、その機会での会話っていうのは、特にテーマを持って話しをしているのではないけれど、一応、目的があっての会話であり、その目的っていうのは、自分が何某かの行動に際する考え方を伝えるってこと。

 因みに、何故か自分は、人に生き方とか、仕事をする上での心構えとか話す機会が最近は結構多い。相手は、新入社員であったり、或いは部下、或いは、就職を前にした人等々。普通は、その新しい環境に飛び込もうとするタイミング故に、意識が高揚している訳であり、それで意識を更に高揚させたり、或いは、プレッシャーを与えるような会話をする人も居るけれど、人間誰しも、感情に起伏もあれば、意欲の盛り上がり、減退があるし、頑張りたい時もあれば、怠けたい時もある。それは、どんな人間でもある筈であり、あまりにも肩肘張って頑張ると持ち堪えれないのも間違いないところ。それを踏まえて、どうすべきか?を伝えるのが会話の目的である。

 判りやすく言うと、人は皆弱さや後ろ向きな感情を持っているので、人の話を聞いて、それに傾倒し過ぎずに、そんな話もあるなぁって程度で人の話は聞くべきで、人のたとえ話を我が身に置き換えて考える場合は、自分の性格や能力を今一度考えて判断すべきである。高い意欲やプレッシャーに押されて考えるのでなく、その反対も考えた上で、人の考えでなく、自分の決断を尊重して行動するのが大事ってのを伝える事が目的だったのである。

 この度は、新入社員、就職を検討する人、或いは、組織で不満を持っている人等々と話す機会があったけど、共通して言えるのは、何か言われたから不満を覚えるとか、立場的に頑張る気持ちを出さないとダメとか、あんまり切羽詰まった考えをするでなく、そう言う時程緩い気持ちで考えて貰いたいというところ。不安な時期に周囲からくる話は、まぁ、参考程度の話半分で聞いておけば、焦りも不安も何も無いはず。言われた事全てを真に受けて、それが自分の考えだと錯覚して暴走するのが一番本人にとって不幸では無いだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 6日 (日)

ゼロブーム?

 金曜日のニュースで目を惹いたのが、メタボ対策、ダイエットブーム?のせいか、『カロリーゼロ』、『カロリーオフ』を謳った商品が人気という。

 確かに、テレビコマーシャルを見ると、糖質ゼロとか、ゼロカロリーでも旨いとか、、、、そんなコマーシャルフレーズを沢山見掛ける。

 確かに、摂取カロリーを制限すると痩せるのかもしれないが、ふと考えたのは、メタボリックシンドロームって事。生活習慣病と呼ばれているけど、もう一方の呼び名としては、代謝異常症候群である。

 代謝っていうと、エネルギーの出入りを活発化するということ。別に摂取エネルギーを極限迄減らすっていうのとは全く別の意味ではないか?ということ。
 そう、代謝異常な状態を改善するには、代謝を活発化するということであり、沢山摂取、激しく消費というライフスタイルで体内からみた物質の出入りを活発化させる事では無いのだろうか?
 そうすれば、カロリーオフとかゼロカロリーっていうのは、身体に代謝を行わせないということで、単純に、物質収支的に支出量を相対的に増やす事で痩せるということにしか効果が無いのでは無いだろうか?

 しっかり食って、しっかり動くという形で初めて代謝改善するのが道理である。つまり、エネルギー摂取を抑えると、動く事が出来ない。そして、エネルギー摂取=食行動においての楽しみ、つまり、美味しいモノを食べるという意識よりも、空腹感を改善するということで食行動を行うのは、虚しさを感じるのは俺だけだろうか?

 カロリーなんぞ気にせずに、旨いモノをしっかり食って、動き回るって方法を推奨することこそが、代謝異常症候群からの脱却の正攻法のように思う。

 こってり濃厚ラーメンは旨いし、濃い味タレで食べる焼き肉も最高だ。フライドチキンも唐揚げも欠かせない。風呂上がりのコーラフロートも大好きだし、今なら苺ショートも旬でグッド。トンカツもしっかり食いたいし、ハンバーグも豆腐ハンバーグで無しに、しっかりお肉のハンバーグが一番だ。飯を抜くのもナンセンス。しっかり食って、普通の食事で満腹感を得る。そして生活の節目には家族でデザートを食って楽しむ。そういう食生活は人生を楽しくするのに絶対必要だ。

 こういうのを食っても、それ以上に消費すれば無問題。ガンガンに動く事で、次にガンガンに食える。所詮ダイエット如きに人間の三大欲求の一つである食欲を犠牲にするなんて、絶対にナンセンスである。
 自身、食行動の元である食欲を抑制して痩せるくらいなら、デブっている方が遙かに健全だと思う。身体の健全性以前に精神の健全性を保つことが先決なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 5日 (土)

70年代と今の見た目の違い

 自転車ブームということとは関係無しに自転車に再度乗り始めたけど、今の自転車と自分が現役の時代の自転車っていうのは、或る意味、何にも変わっていないようで、全て変わっているようでもある。

 基本的な構成は不変だけど、パーツの細部や機構は随分変わっている。思い付く事を書き並べると、

フレーム:クロモリ、マンガンモリブデン→アルミ、カーボン、チタン
ステム:スレッド構造→アヘッド構造
変速レバー:フリクション式Wレバー→STI
変速機構:フリクション→インデックス化
クランク:コッタード、四面テーパー式コッターレス→オクタリンク、ホローテック
ブレーキ:サイドプル、センタープル、カンチ→デュアルピポット、Vブレーキ
ペダル:トークリップ→ビンディング

 他にも在るんだろうけど、今思い付くのはそんな感じ。

 しかし、それ以上に大きな変化を感じるのは、サドルのかち上げ度である。昔は、今程シートポストを露出させて乗らなかったように思うところ。せいぜい30~50mm程度のモノであり、今の150mmオーバーって状況や、異様な程のステムとサドルの落差は無く、ステムとサドルトップが水平ってのが基本だったように思う。今の格好良さっていうと、ハンドルとサドルの落差が激しく付いて、サドルが天高くそびえ立つように取り付けられたデザインのようだ。

 この違いは何か?って考えると、メインサイトにも書いたけど、何よりも自転車の作り方が変わったためか?とも思える。昔のフレームは超薄肉の鋼管であり、フレームは極めてしなやかな材料で組まれているけど、今のフレームは軽量高剛性のアルミ等でありフレームの剛性は極めて高い。
 しなやかな骨格はしなりの周波数を下げるには大きな変形が必要であり、フレームダイヤモンドをなるべく大きく取るのが合理的だが、頑強な骨格はダイヤモンド構造をなるべくコンパクトに作るのが合理的。そんな風にも考える事ができる。つまり、アルミフレーム故に、剛性を高める手法としてスローピング構造による三角形のコンパクト化を図った結果、シートポストの突き出し長が長くなったというモノでは無いだろうか?

 だから、今の自転車の格好良さの基本は、アルミスローピングフレームの高剛性デザインにこそ理に適っているのかなぁ?と思ったりもする。そう考えると、昔のデザインは古いのではなく、昔の考え方に対して合理的なデザインなのかもしれない。

 最近は、アルミスローピングフレームのラングスターと531-101パイプで組まれた大きめのホリゾンタルフレームのロードに乗る事が多いが、この二台、CT長は大きく違うのだが、トップ長は全く同じで525mmである。
 自転車のフレーム選びで最も重要なのはシートチューブ長ではなくトップ長であるが、トップ長が同じでありながら、ラングスターはシートチューブ長CTで520mm、531ロードは550mmで30mmも違うのである。でも、設計者の意図としてはトップ長から判断されるように乗り手の身長は差異が無いとも考えられる。

 そう考えると、アルミスローピングはシートポストが長めってのが合理的であり、鋼管ホリゾンタルではシートポストが短めってのが合理的なのかもしれない。

 そんな事を考えるのは、今、自分の書斎には自転車が溢れかえっているのだが、近代的なTT仕様のラングスター、クラシカルな531ロード、未来的なルイガノMVF改、他にもオ・モイヨWW、西DAHONとあるけど、一番ハートにしっくりくるのは、一番クラシカルな531ロードだったりするのである。これはかなりイイ感じである。リアエンド巾120mmっていうのも車体全体がスリークな感じにみえるし、細身のストレートパイプのフレームワークが大きめのダイヤモンドによって更に細く見えて繊細な感じ。変速操作を行う上でも最もシンプルなWレバー等々は、全てにおいて合理的に見えるのである。

 その繊細さっていうのは、現代~未来の自転車が完全にマスプロダクションによる工業生産品って雰囲気に対して、明らかに工房で作られた工芸品って雰囲気である。そこにはスペックに現れない空気も感じれるし、工芸品故に、完全に同じモノは二つと無いというところがハートを鷲掴みにしているように思うのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

変形性関節症に!

 チョット前のスーパードクターを紹介する番組での内容だが、高齢化が進むと膝関節の軟骨が摩滅して変形性関節症という病を発症する人が増えて、その治療には人工関節を埋め込んで関節を人工的なモノに置き換えるのが有効って話を聞いていたのだが、この変形性関節症に有効な治療法として自転車のペダル漕ぎが注目を浴びているのだそうだ。

 この話は、昨日ローラー台を漕ぎながら目を通していた自転車本の記事だが、なんでもペダリング行為は膝周辺の筋肉を強化し、摩滅した軟骨を生成させる効果があるんだそうだ。

 即効的な効果は外科手術に及ばないが、本質的に健全化したいのであれば、自前で軟骨を生成させて変形を復元させる方だと思う。

 そう言えば、骨の生成ってのは、骨にストレスを掛け続ける環境であるほどに、骨は再生しやすいって話も聞いたことがある。脚の骨なんかを折ると、脚の筋肉が発達している程、折れた骨が引っ付きやすい。大昔、大腿骨の粉砕骨折をした時も、骨をボルトで固定する手術をして一週間後には、レントゲンで骨が出来つつある状態が写真に写っており、担当医の先生に驚かれた事を思い出したが、要は、人間の本来の治癒力ってのは実は凄い能力なのである。
 そんな潜在能力をフルに発揮して病から帰還するのが、健康の意味であるのでは無いだろうか?即効性、簡易性を期待して、対処療法的薬剤治療を行ったり、不具合箇所を人工物に置換するってのは、どうにも違和感を感じるところだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年4月 4日 (金)

目線で緊張度は変わる。

 今日は新入社員の研修で講義を一コマ行った。

 例年通りに、今年も準備無しのアドリブで行うのである。何を話すか?どう話すか?全く、何も決めていない。その場の雰囲気で適当?に時間を使う訳だ。

 こんな緩い気持ちなのは、相手が新入社員というだけでない。会社では、相手が会長であれ、社長であれ、役員であれ誰が相手では尚更である。
 会社の中で話をする際は、新入社員に話す場合が最も気を遣うかもしれないが、それでも緊張する程でもない。
 例年、新入社員に話しを伝える時に、主題は会社の製品についての話だが、そんな話をしても殆ど記憶に残らない筈。記憶に残らない話をしてもNGな訳であり、そういう意味で気を遣うのである。なるべく睡魔を襲って来させずに、なるべく関心を持って聞こえるようにという点で、気を遣うのである。間違いなく、正攻法的に製品説明をするだけでは眠たくなるのは間違い無い所であり、その製品説明にリンクさせて何を話すか?は、その場の雰囲気で決めなければならない。だから、基本は準備はソコソコなのである。話の流れに応じて話しはコントロールすればOKで、最終的に自分の思いを伝えるに、何が良いかは、その場の雰囲気に応じて対応するだけである。

 だから、緊張という言葉とは全く無縁なのだ。

 しかし、学会等での研究発表、論文発表や、官庁における補助金申請でのプレゼンテーション、大学関連での依頼講義の際には、そんな気軽さは吹き飛んでしまうのである。超緊張状態に入り、準備万端で抜かりなしという状況にしても不安は拭えないのである。

 だから、気軽って言葉とは全く無縁なのである。

 この違い、何処にあるのだろうか?それは、話の聞き手に対するの自分の本能的な立ち位置での目線の角度によるもんだろうと思っている。
 本当の意味で良い人っていうのは、誰に対しても真摯に話すんだろうけど、凡人な自分は、相手によって精神状態が随分と変化するようである。勿論、どんな相手であろうと、自分の考えを曲げずに伝えるのだが、その際の気持ちのテンションが違うのである。

 緊張と無縁の状態っていうと、いわば、友人と話す程の気軽さである。

 しかし、同じフィールドで、明らかに勝る相手と話す場合、或いは、高い意欲を持った相手と話す時は、気分が引き締まるし、恐さを感じたりするのである。
 人間的に成長しようとすれば、常に緊張感が強いられる環境で過ごす方が良いのかもしれないが、ユルユルの気分で過ごすのも堕落してしまうけど、楽珍で本能的には悪くないのである。こういうのも熱力的な原則に沿った当然の傾向だが、こういうぬるま湯に長く居続けると人間ホントにダメになりそう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

メタボ健診制度に一言。

 4/1からメタボ健診がスタートした。今や、メタボって言葉を知らない人も居ない。超メジャーな語句だ。この制度の建前上の根幹は、重大疾病予備軍を発症前段階で自覚付けさせて、高額な医療費が発生する前に、本人の自立によって治癒させて増大するであろう医療費を削減するってのが目的。
 しかし、現実には、メタボ健診の義務化って事で、それをビジネスチャンスとした商品や、昔では考えられなかった生活習慣病診療科というモノが創設されたりと、その世界でも本来は発生しなかった診療費用が発生するという矛盾も抱えている。

 仮に、本当に国民の健康を望むので在れば、生活習慣病診療という科目は完全に無料化すべきでは無いだろうか?
 元々、メタボリックシンドロームっていうのは重大疾病予備軍であり、予備=未発症であり、治療対象には含まない筈。発症前治療っていうのは、虫歯に例えれば、痛くない状態の虫歯みたいなモノ。その予備的状況で検査義務化はいざ知らず、それを改善させるのを強制するっていうと、改善のための医療行為を強制するということで、その医療行為による医療費発生というのも変な話である。

 重大疾病発症前に改善指導するという志は高尚なもので良いと思うけど、それを国民のためと言うならば、検査から改善指導迄完全無料で義務的に行うべきでないだろうか?更に言うならば、本来の疾病予備軍=身体の自由が効く人であり、ならば、その自立性を働かせるっていうのが一番。
 変に生活習慣病診療科で治療させるという、あくまでも強制行為に頼るのではなく、予備軍該当者本人に努力義務を負わせるような政策の方が有効ではないだろうか?

 メタボ健診の無料義務化を前提に、その予備軍状態からの変化傾向を本人の医療負担に反映させる仕組みを提案する方が、本人の自立性を養わせ、モチベーションを高めるに効果的ではないだろうか?

 特に、該当者年齢では相応の健康保険の負担を負っており、その負担額に一定の加減を付ける事で、予備軍状態の方の自立意識を高揚させる仕組みの方が遙かにスマートだと思う。保険を負うにしても、保険のお世話になる可能性の高い人ほど、負担を負うってのが原則だと思うが、少なくとも、将来健康保険制度のお世話になる可能性の低い人ほど、負担軽減のメリットを還元すべきだし、将来健康保険制度のお世話になる可能性の高い人には、重み付けをする事自体、理に適っているのである。

 仮に、現在のメタボ区分該当者を見れば、保険優遇処置よりも負担処置を受ける人の方が多いのも確かであり、その優遇性を目指し、1人1人の自覚が高まれば一石二鳥だと思うのは、単純すぎる考え方だろうか?

 一昨々日に、暫定税率に対する疑問の記事にコメントを頂いた中で、今、政治がすべきは他にもあるとの意見を見つけたが、誠にその通りで、税制、保険制度の抜本的な見直しと、理に適った制度運用が衆知に明らかな体系を再構築するのが必要ではないか?という意識で、今回の記事をアップしたのである。

 本来、疾病予備軍が予備状態から帰還し健康になるってのは、本人のためであり、その自覚高揚こそが目的である。その理に適ったのは上述のような仕組みだったりすると思うのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 3日 (木)

肥満関連遺伝子検査キット

 表題の検査キットが発売されたそうだ。一式が8000円で、頬の粘膜を採取して検査会社に送ると二週間程度で、肥満体質の傾向を分析して知らせてくれるらしい。

http://www.wak-navi.jp/

が、そのサイト。

 DNAからダイエットって売り込みらしいが、色んな商品が出てくるものと感心するばかりである。

 まぁ、遺伝子的に体質を調べる訳であり、他のダイエット関連商品に較べると随分まともとも思える。一般のダイエット商品は効果を売りにするモノばかりだが、これは現状把握するための商品であり、他の商品とは一線を画すものだ。

 この検査によって、どのような方法が効果的か?と言う事が判るのであれば、それは安いモノであるが、遺伝子検査に頼らずとも、肥満にコンプレックスを持つ人っていうのは、現実を直視すれば、肥満に陥った理由は認めたくなくとも見えるもの。その理由、つまり原因を解消すれば、肥満から脱却できるのも事実であり、そういう意味では、現実を直視出来ない人のための検査キットとも言える。

 元々、痩せ体型であったのが、肥満体型になるには、本人が確実に自覚できているのも、真実。

 このキットによって効果的な対策が提示されても、その対策に沿った行動を取らない限りはダイエットは出来ない訳であり、或る意味、キットに頼らずとも、その方針は見えている筈。その現実を回避して、キットに従うって考え方自体が、人間の弱さの証明でもあるように見える。ならば、キットに頼る傾向の人っていうのは、検査によって提示された生活を実際に実践できるか?っていうと、これまた怪しいかも・・・・って考えるのである。

 まぁ、肥満の理由が本当に把握出来ない人にとっては、相当な朗報であるに間違い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新入社員の季節

 4/1付けで新入社員が入社してきた。今年は、勤務先にとっては過去最高の採用だそうだ。今年は平成20年ということ。平成も20年が経った訳だ。平成元年というと自分が修士に進学した年度で、学籍番号がM01・・・・って番号だったのだが、修了したのが平成3年3月、平成3年4月入社であり、丸17年が経過して18年目。今年の新入社員は殆どが平成生まれということで、スゴイものである。

 ついこの間入社してきたようで、随分経ったような気がするが、この就職って区切りは、人生で結構大きな節目でもある。学生時代の節目っていうと最長で6年、その間隔で世界がリセットされるのだが、就職してからは転職しない限りは、40年近く同じ環境で過ごすことになる。

 そう考えると、この就職とは結構重要である。

 多くの人は環境が変われば、やる気を持って望み、そこで決意を新たにするのだが、その決意っていうのは、本当の意味で定年を迎える迄、モチベーションを保ち続けれる人っていうのは少ないのが現実。
 長い年月を同じ社会で過ごすと、誰にも気の緩み、怠け癖、或いは、単調なリズムに無意識に身を任すって事にもなりかねない。
 入社段階ではやる気に燃えていても、数年経過して生活環境が変われば、漫然と残業代目当てで居残るなんて本音で過ごしている人も少なくない。

 基本は、企業っていうのは階級による組織運営、そして営利活動を目的とした団体であり、どんな綺麗事の理念を並べても最終的には自身の利益が判断を決する訳であり、例えば、純粋な人間にとっては、理念とは乖離した組織の都合で妥協を強いられる場合も少なくない。その弊害が社会問題となっているクレーム隠し、食品の偽装表示、試験データ改竄という事だし、相手が官庁での商売の場合は、収賄であったり、談合であったり、そんな利益誘導を優先した犯罪が半ば常識化しているのである。

 こういった弊害的な要素に従業員個人が何を感じるか?は、企業の真の実力と従業員の能力の優劣の関係によって決まるのではないだろうか?
 多くの新入社員を迎えたが、彼らが何年か先に満足を感じるかどうか?それは、入社を決断した本人の責任だが、その感想が本人にとって満足いく感覚であって貰いたいモノである。この満足度というのは、理想と現実の近接度に比例するものであり、それが乖離する程に、満足度が低下するのかもしれない。

 仮に不満や鬱憤を感じていたとしても、各人の判断の結果、その人の現在があるのも事実であり、その状況に不満をもって飛び出すのも一つの判断だし、その状況を前提として、己の意識を保つための思考の転換も必要である。様々な職場で不平、不満の声を聞いたりもするが、その意識や考え方を切り換えて己の精神を保つ何かを見つけるのも一つの判断だ。

 このサイトは勤務先の従業員、或いは、勤務先に入社を検討している人も見ているが、何れにせよ、一つの参考として貰いたいモノである。

 超、個人的な感想であるが、自身、入社17年が経過して、様々な事に首を突っ込んできた。職種的にはシステム開発、研究開発、改善指導・・・・といった範囲だが、その範囲で言うとすれば、取り組むべき課題は問題を発見して、その解答というのは、極端は話、見た瞬間、長くても数時間以内に解決イメージと解決手法が見つかってきた。勿論、具現化するための期間や効果が数字として現れるには相当の期間が必要だが、極端な話をすれば、イメージが浮かんだ段階で頭の回転は終わりである。そう考えると、例えば、結果が出るのに1年を要する仕事があったとしても、自分が考えているのは数時間以内であり、それ以外は、頭を働かせていない状態。極論すれば、自分の頭が激しく馬鹿化している感じ。(その頭を使わずとも生活出来る事によるボケ進行と脳の退化が怖いから、多趣味を深く取り組んでマイライフを満喫しているのが現実。これはこれで楽しいのだが、、、少なくとも、過去10年の間に、趣味である二輪車の購入台数は20台以上であり、頭の回転の大部分は私的なモノに費やしている。)

 最近は、経営陣から新しい市場に打って出る仕組みについての感想を求められる事もあるが、基本は、『宜しいのでは無いでしょうか?』という答えになる。その技術的バックボーンが見えず、それが他社の模倣であったとしても、それに一生懸命取り組んで、スタッフを割いて行っているのであれば、それを否定するのは心が痛むのである。
 でも、本音を言えば、『そういう方法では、最終的なイメージが持てないし、スマートでない』、『コア技術を有しない新製品は、自社開発とは言えない』というのが考えであり、そのコア技術を自前で生み出す事を放棄している時点(リスクを恐れている時点)で、その見返りは無いというのが考えであるし、そのような模倣を以て開発と呼ぶならば、そういう考えに違和感を持たないのだろうと見るに留まるのである。

 多くの企業では体裁と資質は一致していない。景気が良い(優秀な売り上げ金額、利益)ように見えても、企業毎に資質というものが存在しており、その体裁が見栄えがするだけで、実態が変わっていないにも拘わらず、その体裁を実力と錯覚する人も少なくない。その辺を見抜いて、本質的な資質と自身の資質がマッチした関係である事が、年数が経過した後に一番良い結果を生む様に思うところ。

 務める側のホンネとしては、手に負えない程に優秀なスタッフの中で揉まれて過ごしていくのも正直キツイし、逆に、剰りにも考えることなく物事が見えてしまうのも退屈なモノ。身の程に応じた選択というのが大事ところだが、仮に入社を控える人からみれば、自分と似た経歴の人が、企業の中でどのような位置に居るか?を見れば、刺激があるか?ないか?っていうのは少なくとも判断できるもの。

 色んな考えがあるけれど、就職活動を行う人には、後悔の無い就職が出来れば!と願って止まないものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

不適切故の妥協

 最近の自転車部品は、70~80年代の製品と違い、買ってきて組み込んだら、ハイ終了!って感じ。殆ど、インスタント組み付けでそれなりに、どうにでも出来るような構成。ホント、良くできてるな!って感心するばかりである。

 さて、そんな自転車部品だけど、それ故に、部品の本来の使い方から外れた?使い方、外れたというよりも、部品の設計者の意図する処でない使い方では、結構、併せづらいようにも思う。

 以前に話したけど、最初はブルホーンバーに装着するドロップハンドル用STIレバーの操作性。
 ドロップハンドルっていうと、一番握っている時間が長いのはブレーキレバーグリップ部であり、その状態で変速するにはSTIのレバー配置っていうのは理に適っている。ブレーキレバーと補助レバーの操作は、ブレーキショルダーから操作するには手の平を自然な形で簡単な手首の動作で操作ができる優れものである。
 しかし、ブルホーンバーでは、握るのはハンドルバーであり、その状態から変速操作をする時は、グリップ位置とレバー距離が握り方からみると狭すぎるのが問題。まだ、ブレーキレバー兼用レバーを操作するのは問題ないけど、シフトアップ時の補助レバー操作を行うには、指を相当に丸めて指先で変速するという違和感アリアリな操作感である。
 本来なら、ブルホーンタイプのハンドルでは握り位置から考えると親指操作のサムシフターを使うのが一番楽珍ではないか?

 もう一つは、昨日の記事にもかいたけどロード用コンポを小径車に適用する際の変速性能の悪化の激しさだ。フルサイズと小径の一番大きな違いは、チェーンの角度である。チェーンの角度とは自転車を横から見た時のチェーンリング~カセットの角度のこと。フルサイズの場合はアクスルシャフトが地面から離れた位置にあるために、チェーンは水平気味の角度であるけれど、小径はアクスルシャフトが地面から近い位置にあるために、チェーンは後下がりの角度となっている。このチェーンの対地角が異なると、特にFメカが調整し辛い。Fメカはシートパイプに装着するけど、シートパイプ自体の角度は小径もフルサイズも大差ないので、Fメカのガイドプレートに対するチェーンの通過角度がフルサイズと小径では結構異なっている。
 それ故に、昨今の複雑なプレスラインが入ったFメカではチェーンとの干渉の問題が多々起こるのである。
 少なくとも、Fメカは相当にオフセットして取り付けないと問題が出やすい。

 他にも色々ありそうだけど、一寸、想定から外れ気味の使い方をするだけで、頭を使うか、使い方で妥協するかの選択が迫られるのである。

 最近は、小径スポーツが流行りで、そのトレンドはフルサイズロードバイクを模するのが多いけど、その権化的形状である小径+Fメカを使用する多段ギア+ブルホーンって形状は、相当に吟味しないと形だけのカスタムになりそう。メーカー出荷で、その仕様ならいざ知らず、メーカーの想定外で、そういう改造するとなると、やってみないと判らない問題が出てきそうである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 2日 (水)

暫定???前提税率だろ!

ガソリン税の暫定税率が失効して本日出荷分からのガソリンが安くなった。
ドライバーとしては歓迎である。

これに対する福田首相のコメントで気になるのが、

『・・・・・・・・・・・歳出が決まっているので、歳入が不足する、穴が空く・・・・・・・・・・・』

ってそうだ。??????????????????????????
???????????????????????????????
である。

元々、暫定税率が乗っていたもの。それが、本来なら平成20年の3月に切れるのも随分前から判っていた事。つまり、暫定税率が無くなるのは遙か昔から判っていた事である。

なのに、暫定税率が切れた後の予算において、暫定税率が既定路線の予算を組むって方が遙かにおかしな話である。
法律上失効するのが当然であるルールを前提にせずに予算編成する方がバカな話であるってのは言い過ぎだろうか?

大原則論として、暫定は暫定であり、これは期限があるから暫定である訳で、期限後に暫定を前提として偉そうに話す政府与党の意見は納得できるものではない。

捕らぬ狸の皮算用ではないが、勝手な当てが外れたのを正論化する論調は頂けない。

暫定は期限があるのが当然であり、暫定が切れるのを前提で予算編成するのが国民生活への影響を最小限にするという本論である。
なのに、暫定が切れて暫定を復活させると国民生活への影響が大きいとか言うのは、本末転倒も甚だしいのである。

暫定は期限があるのが当然で、暫定が切れるのを前提として、暫定廃止の影響を軽微に留めるように暫定を漸化的に減ずることを前提とした予算編成と税体系への移行を考えるのが政治の役割。

別に、宮崎県に道路が無くって、本当に必要なら作れば良い。しかし、不要な金の使われ方が明らかになった今、その支出実態を明確にして絶対必要分の支出に抑えるという前提で暫定税率を下げる事が重要。
しかし、年度末道路工事は風物詩的に行われている日本社会では生温い改革は難しいのかもしれない。改革の過程で抜け道を造る事に注力して骨抜き改革に成り下がるのが目に浮かぶ。
そう言う意味では、強権的に一気に暫定税率廃止って方がドラスティックな改革が出来るのかも知れない。

今回の与野党誹謗中傷合戦は、野党の話も本筋が見えにくいし、与党の暫定を前提とした話も本末転倒。どっちもどっちだが、、、、少なくとも、今の支出実態は相当にいい加減なのは間違いない。
防衛省の随意契約での割高な契約、国土交通省での不適切な特別会計からの支出、厚生労働省、社会保険庁のいい加減な支出。
支出科目別に詳細に実態調査し、本当の意味での競争入札を行えば、相当に支出は圧縮できそう。
官庁がらみの仕事は旨味があるって言うのが民間企業から見た感想であり、官庁は民間から良いように吸い取られている部分もあり、それ故に、利権犯罪がはびこる訳だ。
そもそも、最近露出する不正な支出もチョット調べただけで出てきたモノ。そんなモノを今まで調べずに放置していた政治家自体の省庁監督責任は何処いったんだ?

一年という長い年月がある訳であり、もう少し、道路の本当の意味での必要性と、支出必要額ってのを正確に算出し治せば、暫定税率なんぞ無くなってもお釣りがくるのでは?ってのが感想だ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ルイガノMVF、一応完成。

 ルイガノのMVFだが、昨日、全てのパーツの装着が完了していた。
 で、早速乗ってみたのだが、若干の不具合箇所を発見。

 最初の不具合は、Fメカマウントの固定状態が緩い。この自転車はスイングアーム側にFメカマウントがあるのだが、スイングアームがアルミ製、当然、直付け小物もアルミ製。よって、少々厚いのである。この厚みに対して直付けメカFD-3403の固定ネジ長が不足気味。
 原因は、M5の固定ネジの全ネジ部の長さ不足で、メカ側とネジ山3山程度しか噛んでいないのが原因。ということでルイガノのフレーム直付け小物に合った、M5の長ネジを用意してメカのネジ穴をタップでさらい直し固定した。

 次の不具合は、ハンガー、Rアクスル、Fメカマウントの位置関係がフルサイズ自転車と違うために、Fメカがチェーンとどうしても干渉する。干渉を最小にする範囲でメカが組み付けられていた模様。それでも、トルクを掛けてペダリングすると干渉していた訳だが、、、、
 変速性能を維持させながら干渉を避けようにも、位置関係が悪いためか、アウター×トップでゲージとチェーンの干渉が発生するし、その干渉はゲージのプレスラインによる起伏部で発生しており、ゲージのプレスラインとトップ時のチェーン位置をずらすためにFメカを上下させたいところだが、Fメカを下げると、インナーゲージとフロントセンターのチェーンリングが干渉するし、Fメカを挙げるとアウターゲージがチェーンを落としてフロントインナーに変速させる事が不可能になる。微妙である。
 この微妙な位置関係で使えそうな処にFメカが取り付けられていたようだが、その状態ではアウター×リアがトップ~3枚目でクランク回転と同期した干渉音が出るのが不愉快。

 問題を解決するには、Fメカのインナーゲージ下端を削って、フロントセンターのチェーンリングとの干渉を避けるか、Fメカのアウターゲージのプレスライン部分を力ずくで拡げて、インナーゲージとセンターチェーンリングが干渉しない限界までFメカを下げて固定するか?という策が必要。

 ということで、失敗すればダブル用メカを買えば良いという気楽さで、Fメカのアウターゲージのプレスライン部分を力ずくで加工して装着した。最近のFメカはトリプル用、ダブル用でゲージの形状が大きく異なっており、変速性能を確保するためか?アウターゲージに複雑なプレスラインが設けてある。御陰で、加工する際にはリブのような形状で非常に厄介。このプレスラインはチェーンリング歯数に合わせてチェーンを落とすのに効率性を考えての事だろうが、大昔のFメカはゲージプレートを適当に曲げて修正して使っていたのだが、昔の方が自由に使える分、楽である。

 最後は不具合ではないが、リアカセットに13-25Tを選んだのだが、アウター×トップ時においてチェーンとエンドの間隔が3mm以下という一杯の状況。アウターに今の50Tでなく53Tを使ったり、トップを14T以上のサイズを用いれば、間違いなくチェーンとエンドプレートが干渉する状況。ギリでセーフである。
 実際、このフレームのトップ歯数は市販車の場合は全て9T(前46~53T)~12T(前46T)だから、今回の組み合わせはホントピンポイント仕様である。
 そう言えば、531ロードも120mmエンドだけど、9速カセットを入れてトップ14Tにしているけど、15Tを選んだら干渉間違い無しの状態だっただけに、凄いシビアなポイントを狙ったような選択だ。

 以上で終了だが、取り敢えず、全段で干渉無しで走れるようになった。乗った感じは、非常に緩い自転車である。のんびり走るには良い具合である。サスペンションの動きは、少なくとも平地では乗った瞬間こそ判ったけど、今では殆ど感知不能。動いている事が判らない程度の動き。
 通常走行ではストロークは最大で20mm以内で、殆ど10mm程度の動きしかない感じ。

 但し、上り勾配に差し掛かるとリアは結構ストロークしているという感じ。ペダリングに併せて動きが判る分、ロスは間違いなくある感じ。このロスを不快と感じるか?小径に快適性を求めたトレードオフと捉えるかは、この自転車に何を求めるか?ってところで印象が変わる。
 自分の場合、選んだカセット、クランクの組み合わせから判るように、ユルユルポタマシンであり、快適性重視だから少々のロスは目を瞑るのである。気になるならば、他のモデルに乗れば良いだけだ。

 ところで、特殊形態の自転車でハンガー軸、アクスル軸、Fメカマウントの位置関係が完璧でないと、予想外に考えさせられる。特にFメカはゲージとチェーンの干渉はジレンマ的な要素がある。そう考えると、DAHONのようにFメカは付けないって割り切りの方が無用なクレームを生まないのは、或る意味賢い。
 少なくとも、このパシフィックのリーチ系フレーム(ルイガノMVF/MVR、タルタルーガSPORTS、ビアンキのフェニーチェ、本家リーチ)のFメカマウント位置は適切とは言い難い気がする。

 そして、我ながら自分で作ったDAHON用やレ・マイヨW用のFメカ台座は使いやすいと思う。何と言っても、メカの装着トリムが選べるのは調整する上で楽である。本来はトリム調整なんて不要だけど、小径や折り畳みのように、フルサイズ車両とはチェーンの掛かる角度が違う場合は、場合わせ的な調整が出来た方が楽である。

 さて、現車もあるし、不具合箇所の修正も終わったんで、メインサイト掲載用の記事作成と細部撮影を行おうか!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 1日 (火)

メチャド?リックシンドローム

 4/1からメタボ対策が義務化される訳だが、そのメタボ判定基準については相変わらず物議を醸しだしている。

 そんな状況で興味深いニューズをYahooサイト内で見つけた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080331-00000002-cbn-soci

 だが、この中で、【・・・・・メチャドとは、メタボリックをもじった服部さんの造語「メチャ・ド・リスク=メチャ(めっちゃ)・ド(どえりゃー:非常にという意味の名古屋弁)・リスク(危険)」の略称。メタボというと、不健康な生活習慣が原因とされているが、長時間労働や不規則勤務、身分が不安定な非正規雇用が増えている雇用格差の問題、職業ストレスなど労働を取り巻く環境がメタボを含む国民の不健康を生み出しているのではないかという視点だ。
 英国では、生活習慣の違いで補正をしても、雇用格差や職業ストレスでメタボになる率に2倍以上の違いがあるという研究も報告されているという。・・・・・】って話だ。

 まぁ、賛否両論あるけれど、間違い無いのは、肥満はやっぱり異常かな?って事。その数値判定の値自体の根拠については議論の余地はあるかもしれないが、少なくとも、個人にとっての肥満状況っていうのは、個人にとっての健康を脅かすもの。
 下手に簡単な判定基準以前に、健康診断の数値を見れば正常か否か?は判るものであり、それを判断するのも個人なのだが、その個人の潜在意識には、数値異常だが実感出来ないので、その数値自体が個人の固有値と錯覚しているだけ。そうやって、疾病度合が無意識に悪化するっていうのが、この肥満を起因とする病の恐さである。

 その恐さを実感する人が少ないっていうのが、社会における危機でもある。

 この危機的状況は危機に直面しないから恐い訳であり、そういう自覚しづらいモノを自覚せよっていうのも非常に難しいんだろうと言える。

 病がどうの、数値を正常化するために取り組むとか、、、そんな事はどうでも良いような気がする。

 そういう事に対して無意識に健康の大事さを考える価値観を個人が持つことが大事であり、個人にとっての生活が楽しさを実感できるものであれば、楽しく過ごすために、元気な身体と有り余る体力が必要と無意識に思える。

 個人が何のために生きている?って時に、会社のため、金のため、家族のためって思っているような自己犠牲の上の考えでは、自分の健康が最終的に疎かになっているようにも見える。
 個人は自分の楽しみのために生きるって考えこそ、勝手かもしれないが大切かもしれない。少なくとも、自分は自分が楽しく過ごすためにコンディションを維持しようとするモチベーションが持続出来ている。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

ソフマップ広島

 そう言えば、広島からソフマップギガストアーが撤退して2年程経つが、ソフマップの親会社であるビックカメラがベスト電器広島店店舗に展開することとなり、その二階フロアーにソフマップが再度オープンすることになった。

 ソフマップといえば、デオデオの目と鼻の先に出展し、向かいにはT-ZONEもあったけど、今や見る影もない状態。
 ソフマップギガストアーの在った場所は今はデオデオのネバーランドというオモチャ専門店が入っている。

 世間の流行がどうなっているかはしらないけど、自分の中ではパソコンの組み立て遊びブームは既に過去のもの。パソコン自体は趣味のターゲットではなく、今や道具の一部である。そうなると、パソコン自体をターゲットとしたパソコンショップっていうのは魅力を感じない。

 パソコン自体が普及しすぎて、面白みに欠けるっていうのが個人的な感想だし、ネット、メール、デジカメ画像整理レベルでは7~8年前のスペックでも十分以上に機能する。
 そんな中、最新のデュアルコア、クワッドコアの必要性も、ハイスペックな動画再生機能も不要。パソコンでテレビを見るよりも、テレビでネット検索するって方が自然だし、パソコンはやはりパソコン。ましてや、パソコンのように陳腐化の速度の速い機材でテレビ鑑賞なんぞは出来ない。テレビの寿命は10年以上、パソコンの鮮度は5年程度で製品サイクルの違いは用途の違いを埋めれない。

 ソフマップって店舗が電化製品屋さんのワンフロアにオープンするって形態が、そんな実情を反映しているように見えるのは考えすぎだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

コレステロールは良いの?

 一寸古いニュースである。

 なんでも、血中コレステロール濃度が低い方が死亡リスクが高まるとの研究報告を富山大学のスタッフが為された模様。これとは別の疫学調査でも、「悪玉」とされるLDLコレステロールで同様の傾向がみられるという。報告元の浜崎教授によると、「コレステロールを悪者にする説はもともと米国から来たもの。米国は心臓疾患や肥満が多く、体質が違う。不必要な人まで薬物治療の対象になる」と懸念しているそうだ。

 但し、これを真に受けてコレステロールは必要!って安心するのは間違い。
 現に、コレステロールと梗塞系疾患の相関も報告されている。

 この現況から思う事は、コレステロール量っていうのは生活習慣リズムによって生体によって決められるモノであり、人為的な薬物摂取による人体機能の平衡性への関与を過度に行わない限り、やはり、コレステロール量ってのは正常基準値内に存在するのが普通であり、薬物依存で平衡性維持機能を喪失させずに体調を制御していれば問題無いと考えるのが普通。

 要は、変に偏った食生活や、人為的な薬投与に依存しすぎなければ、普通は、どんな測定項目も正常域に入る筈。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »