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2008年4月24日 (木)

何人が楽しい?

 自転車に乗るのも、単車に乗るのも、自分の場合は、1人で乗るのが一番好きである。
 他のジャンルを考えてみると、プロジェクトでも追随するのは嫌で、仕切るのが好き。仕事も与えられた仕事をこなすのは嫌で、自分で考えて自分のやり方でやるのが好き。勉強も研究も開発もそう、、、、

 孤独な奴である。独りぼっちが良いのである。

 少なくとも、関心事に集中するような場面では、他人は居ない方が良いのである。
 例えば、単車の場合だが、単車で至高の楽しみといえば、見知らぬ峠で、それも下りのワインディングロードが最高である。そういう峠を自分の思い通りに操って走る。それが最高であり、その際は、バックミラーなんぞ見たくないのである。走るという行為に集中し、路面状況等全てを判断しながら意のままに走る。イメージした走りを瞬間事に具現化して消化していく。そういう時間の過ごし方が最高に楽しいのである。

 過去にツーリングも結構出掛けたし、走り系ツーリングを開催したことも在るけど、壁に激突、谷底転落、転倒、、、、、、と色んな状況があったけど、そんなフォローを行う度に煩わしくなるというか、そんな気がするのである。自分の世界で自分の身の安全を確保する範囲で好きなように走る時に、他の心配なんぞ無い方が楽しいというのは言い過ぎだろうか?生意気を言うわけでないが、自分の世界は自分だけの満足のためにある。そして、その世界には立ち入らせないという考えである。

 自転車でもそうだ。大勢でサイクリングというのも好きだけど、運動のために乗る瞬間においては、他人を待つとか他人を追いかけるという感情は邪魔以外の何物でもないのである。状況に応じたコンディションを把握しながら、それと相談して最大限の負荷を掛けるというのが理想であり、それこそが自分の状態が把握できる瞬間。自分の状態を把握するために自転車に乗っているのであり、その際に、無理したり手加減したりといった外乱は不要なのだ。
 勿論、自分と全く同じペースで走る事が自然な状態である人と走るのは何とも思わないけど、そういう人とは遭遇する事無いし、少なくとも、身の回りのサイクリストには居ない。
 速い、遅いの問題でなく、それぞれが別の考え方、能力を持っていたとして、走る空間と時間が同じ場合において、結果として自然と同じペースになるのでないとダメなのだ。

 自転車も単車もだが、1人で走る事が楽しいってのは、自分だけの楽しみ方は自分だけの世界というもので、その楽しみ方を人と較べるという意識も無いから。自分の価値観で自分が満足できるのなら、それが最高であり、その価値観を満喫するのであれば、やはり1人に限るのである。まぁ、そうやって満足している自身の錯覚というか、自惚れとして意識があるのも事実であり、それは、多分だが、自分の能力なら人並み以上という自負に繋がっているんだろうとも言える。
 でも、その自惚れや錯覚は1人で走っている分、誰にも迷惑を掛けている訳でないので、それで自分が満足しているなら、それで良いと思うのである。

 ということで、少なくとも二輪車は1人で乗るのが最高だ。

 まぁ、話が逸れていくけど、自分の考えに自信を持つということは、自分の考えを自分の言葉で言い表せる事が出来る事にも通じる。先日の記事にも書いた、工学ネタ、技術ネタもそうだが、自分を卑下することなく、ありのままの自分を受け入れて、その姿は自身の過去と集大成であるので、それに自信を持って進むというのと同じ事。
 人と較べるのを目的とするでなく、自分に自信を持つ事ができれば、何しても楽しいし、恐らくは、1人やる事の楽しさにも繋がっていくのでは無いだろうか?

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