メチャド?リックシンドローム
4/1からメタボ対策が義務化される訳だが、そのメタボ判定基準については相変わらず物議を醸しだしている。
そんな状況で興味深いニューズをYahooサイト内で見つけた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080331-00000002-cbn-soci
だが、この中で、【・・・・・メチャドとは、メタボリックをもじった服部さんの造語「メチャ・ド・リスク=メチャ(めっちゃ)・ド(どえりゃー:非常にという意味の名古屋弁)・リスク(危険)」の略称。メタボというと、不健康な生活習慣が原因とされているが、長時間労働や不規則勤務、身分が不安定な非正規雇用が増えている雇用格差の問題、職業ストレスなど労働を取り巻く環境がメタボを含む国民の不健康を生み出しているのではないかという視点だ。
英国では、生活習慣の違いで補正をしても、雇用格差や職業ストレスでメタボになる率に2倍以上の違いがあるという研究も報告されているという。・・・・・】って話だ。
まぁ、賛否両論あるけれど、間違い無いのは、肥満はやっぱり異常かな?って事。その数値判定の値自体の根拠については議論の余地はあるかもしれないが、少なくとも、個人にとっての肥満状況っていうのは、個人にとっての健康を脅かすもの。
下手に簡単な判定基準以前に、健康診断の数値を見れば正常か否か?は判るものであり、それを判断するのも個人なのだが、その個人の潜在意識には、数値異常だが実感出来ないので、その数値自体が個人の固有値と錯覚しているだけ。そうやって、疾病度合が無意識に悪化するっていうのが、この肥満を起因とする病の恐さである。
その恐さを実感する人が少ないっていうのが、社会における危機でもある。
この危機的状況は危機に直面しないから恐い訳であり、そういう自覚しづらいモノを自覚せよっていうのも非常に難しいんだろうと言える。
病がどうの、数値を正常化するために取り組むとか、、、そんな事はどうでも良いような気がする。
そういう事に対して無意識に健康の大事さを考える価値観を個人が持つことが大事であり、個人にとっての生活が楽しさを実感できるものであれば、楽しく過ごすために、元気な身体と有り余る体力が必要と無意識に思える。
個人が何のために生きている?って時に、会社のため、金のため、家族のためって思っているような自己犠牲の上の考えでは、自分の健康が最終的に疎かになっているようにも見える。
個人は自分の楽しみのために生きるって考えこそ、勝手かもしれないが大切かもしれない。少なくとも、自分は自分が楽しく過ごすためにコンディションを維持しようとするモチベーションが持続出来ている。
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