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2008年5月31日 (土)

メタボ対策ブーム?R40ブーム?

 最近のテレビCMを見ていると、糖質ゼロとか、カロリーゼロとか、、、或いは、食っても脂肪が付きにくい茶とか、、、、そういうCMが非常に多く流れている。

 純粋に、気にするなら運動すれば良いのに、、、、って思うのだが、それはさておき、メタボを気にする年代っていうのは、40歳前後世代である。

 40歳前後世代というと、自分と同世代であり、メタボ商戦以外のCMは?って見ると、興味深いのは、懐かしCD全集って通販も好評らしいけど、これもやはり40歳前後世代がターゲットと言って良い。そう言えば、ドラマでも天海祐希さんのR40狙いのドラマもあるし、テレビ番組特集でも昭和を懐かしむ番組が多いけど、その時代というと昭和40年代からバブル期迄と、これまた40歳代が対象のようでもある。自動車や家電のCMのバックミュージックも1980年代の音楽、マイシャローナ、愛のコリーダ、ラジオスターの悲劇、チョット前ならレッツダンスとか、、、、そう言えば、マドンナの最新のナンバーもリズムとして昔のアバのアルバムに似ている部分もあるし、、、
 最近話題のNinja250Rにしても、噂のYZF-R4にしても年輩?ライダーである40歳前後をターゲットにしているようにも感じるし、二輪業界自体がその世代に期待しているようにも見えるのである。

 という訳で、消費を期待するターゲットが、健康関連に限らず40歳前後世代をターゲットにしているようだ。今の市場キーワードがR40世代&団塊の世代であり、逆に、それ以下の世代対象のムーブメントが今一つ見えにくいような気がするのである。

 今の40歳前後世代というと、20歳代がバブル期、就職活動も織田裕二主演の「就職戦線異状無し」では無いが接待攻撃で入社したようなモノ。実際、会社訪問でお車代で数万円貰ったり、料亭で接待受けたりを経験したけど、、、、更には、学生時分もクレジットの一般化で高額な買い物もバンバンやっていた。そんな舐めた連中は記憶を遡ると小学生から大学生に到る時代背景は、高度経済成長と生活様式の急速な変貌と共に成長した世代。逆に言えば、世の中を舐めた連中の多い世代では無かろうか?
 それ故に、暮らしの中で常に新しいモノを求め続ける人も居れば、現状の閉塞感に疲弊して過去を懐かしむ人も多いように思う訳である。
 結果、新しいモノにしても飛び付きやすい世代でもあり、過去を懐かしむ事に没頭しやすい世代でもあり、それが、大きな市場としてターゲットとなっているように見えるのである。

 まぁ、実際には世代といっても様々な人が居て、世代の意識を一言で表現するのは無理だろうけど、最近のCM等見ると、そんな気がするのである。更に、これは気のせいかも知れないし、反論も多いだろうけど、40歳前後の連中の金遣いが一番荒い気がするし、元気があるようにも思うのである。言い過ぎかも知れないが、その上の世代も下の世代も元気が無い人が多いような気がするのは気のせいかなぁ?

 こういう印象は勤め先の従業員を見てもそう思うし、色んな環境での交流でも感じる事が多いのである。

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2008年5月30日 (金)

早起きで脱メタボ

 チョット古いニュース。
 昔から夜型より朝型生活の方が身体によいって言われているけど、更に研究を進めた結果、夜型生活は同じ食事でも太りやすく、朝型はメタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)対策にもなることが大学の研究で実証されたという。

 試験では、同じ量の食事を時刻をずらして採らせて、食前食後のエネルギー消費量、DIT(食事誘発性熱産生)を測定したそうだ。

 DITとは、食物の消化と吸収などの活動のために体が消費するエネルギーのこと。数値が高い程、消費が活発ということ。

 結果、朝型食生活は体重1キロ当たり平均0.905kcal、夜型食生活で0.595kcalであり、その差は体重1キロあたりで0.31kcalの消費差が生まれる。つまり、体重が65kgならば20kcalの差になるということ。

 20kcalというと1週間で140kcalであり、スナック一袋余分に食える?ってことで、逆に言えば、夜型生活していると必然的にスナック一袋ずつ食ってるってこと。

 大体、夜型生活者=若者、学生=コンビニ食、ファーストフード、インスタントという方程式が成り立っており、そう考えると、朝型生活に較べると実質上は、相当に高カロリーの上に菓子を追加して食ってるようなモノになっている訳だ。

 この記事ネタはYahooニュースだけど、この中で一番納得できた記事は、『仮説ではあるが、夜型生活では本来寝ている時間に食事をとることになり、ホルモン、神経系のバランスが崩れ、エネルギー消費量が低下してくるのでは。本来ヒトは夜行動物ではない』という所。正しくその通りだと思う次第だ。

 朝型生活で定刻にしっかり食事をとって早く寝る。寝る時は1.5時間の等倍で6時間睡眠、7.5時間睡眠をとるってのが理想の健康生活。7.5時間寝るとして、朝7時の起床ならば午後11時半には就寝したいところ。そんなライフスタイルを確立する事が、脱メタボ、健康維持に効果的なんだろう。

 因みに自分の生活は、体重85kg時代   から    体重65kg時代
 午前7時30分:起床、コーヒーのみ        午前7時:起床、朝食(御飯)
 午前7時45分:出社                 午前7時30分:出社
 正午:昼食                                                  正午:昼食
 午後12時半:休憩室でウダウダ          午後12時半:昼ポタ
 午後10時:帰宅、夕食                                 午後7時半:帰宅、夕食、家事
 午後11時:入浴                    午後8時半:育児、調べもの
 午後11時半:デザート、菓子             午後9時半:運動開始
 午前零時:テレビ、インターネット          午後11時半:入浴
 午前2時前:就寝                              午前零時前:就寝

って感じ。確かに生活リズムが大きく変わっている。早起き、朝型生活でダイエット!良い情報である。

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好景気?

 景気が良い状態が長く持続しているらしい。

 しかし、身近なところでは生活必需品の価格上昇(食品、燃料代・・・)が生活を圧迫して庶民の生活は決して楽ではない状況。確かに、製造業内では旺盛な需要に支えられて仕事量を数年先迄抱えているのも現実で、目先の仕事を消化するのに精一杯という状況もある。

 庶民の感じ方は別として、兎に角、社会としての生産活動が旺盛なのは間違い無く、それ故に、モノや金が循環しているのも事実である。

 しかし、そのような活発な状況でも、世界規模で見れば商品価格の上昇は凄まじい状況。更に、不思議に思うのは、原料、材料価格の高騰は防ぎようがないのだが、これを加工して得た工業製品等の価格は原料価格の高騰に比較すると圧縮されている様子が否めない。

 結果として、資源も持つモノ、持たざるモノの力関係を見ると、持つモノの方が強いという状況に見える訳であり、持たざるモノが一定の力を維持し続けるには、付加価値を如何に高めるか?が重要となってくる。

 果たして、今の状況の結末はどうなるのであろうか?このまま、輸入品の高騰が続き、円安が継続していった場合の暮らしはどうなるんだろう?

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肥満で心臓疾患

 火曜日の『本当は怖い家庭の医学』って番組のテーマが「僧帽弁閉鎖不全症」って病の紹介。で、症状としては、

1.息切れ
2.疲れやすい
3.横になると息苦しい
4.咳
5.ピンク色の痰

って症状で、心臓の弁の動作不良による血液の逆流によって現れるらしい。弁の動作不良っていうのは、弁の動きを拘束する腱索が伸び過ぎて逆流時に対して弁が閉じなくなるのが原因で、腱索が伸びきる要因が、心臓に負担を掛ける事!?って放送内容であった。

へっ?心臓に負担を掛けるって?運動のしすぎか?とも思ったのだが、よく見ると、心臓への負担は、高血圧、高血圧の元となる肥満、動脈硬化、喫煙、過度の飲酒・・・・・・という生活習慣の乱れが原因の一つとして考えられているとのこと。で、対策は、適度な運動を継続するということ。

運動不足+過食による初期症状が肥満、そして生活習慣病、更には、脳梗塞、糖尿病・・・といった重大疾病というのは有名だし、最近では、肉や脂の摂取が過剰になることによる消化器系の癌(大腸癌)等も有名だが、このような心臓疾患にも乱れた生活習慣が影響する可能性があるとのこと。

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2008年5月29日 (木)

動く!考える!寝る!を続けるには?

 健康な身体を保つには、第一に摂取と消費のバランスを整えて(物質収支を保ち)、第二は摂取量と消費量を共に増やし代謝の絶対量を増やすという事が重要である。

 人体を構成する細胞で、エネルギー消費量の多い細胞は何か?と考えてみた。
で、人の部位別のエネルギー消費量を比較すると、、、、

部位   エネルギー消費率  部位重量比率  組織重量当たり
          (%)         (%)     消費量(Kcal)

 脳        18          2         900
心臓        11
腎臓         7          6         633
肝臓        20
筋肉        20         52          48
皮膚         5
  他        19         40          48

って事らしい。そして、これらの中で意志を持って、即ち随意して使用出来るのは筋肉と脳であり、筋肉と脳を使う事でエネルギー消費の絶対量を高める事が出来るのだ。

 つまり、エネルギー消費を活発にする事=健康を保つ事と捉えるならば、毎日の生活の中でしっかりと筋肉を動かし、じっくりと物事を考える時間を確保するというライフスタイルこそが健康の秘訣ってことだ。健康を保つには、よく動き、よく考え、よく寝るというサイクルを生活習慣に組み込む事である。よく動き、よく考えを継続するには、日々の疲労を回復させる事が重要であり、よく寝るというのも必須である。

 雑談だが、筋肉と脳の違いはエネルギー源であるブドウ糖を燃焼すると筋肉の場合は乳酸を発生するけど、脳は乳酸を発生しない。乳酸とは燃焼仕切れずに生まれた物質であり筋肉は燃え残りがあるけど、脳は完全に燃えるって事。この乳酸の処理に必要なのが睡眠であり、しっかり運動するという事は、しっかり寝る時間も確保しなければ為らないのである。

更に一日のエネルギー消費量ってのは、基礎代謝+運動によるエネルギー消費ということだが、基礎代謝量の計算式として有名なのがハリス・ベネディクト式というもので、一日の基礎代謝量は

(男性)=66.5+体重×13.75+身長×5.003-年齢×6.775 [kcal]
(女性)=655.1+体重×9.563+身長×1.850-年齢×4.676 [kcal]

とも言われている。このような基礎代謝量は誰にでも有るモノだが、代謝の絶対量を増やすには、随意的なエネルギー消費を増やすということ。特に、年齢と共に基礎代謝は減少するために、同じ食生活を続けていれば確実に摂取過剰に陥る訳であり、加齢とともに随意消費するエネルギーを増やさなければならないのである。

こういう前提で年齢と共に変遷する生活環境と人体の変化の宿命を考え併せるならば、20代から30代、40代と歳を重ねる事に、身体の変化に併せたライフスタイルを創世する事が大事ということでもある。年齢を重ね、家庭環境の変化に伴い時間配分が難しくなるけれど、限られた時間の中で、歳を重ねる程に、考える時間を如何に確保するか?運動する時間を如何に確保するか?そして睡眠時間を如何に確保するか?を考えなければならないのである。特に、家庭生活による家事、育児、教育といった義務に費やす時間が増える程に、前述の健康維持の時間の割り当てがシビアになっていくのである。(一言で言うと、生活環境、人体の変化に併せた生活習慣の創世)

 来るべき50代、60代において活力を維持し、健康を維持する事が大事であっても、その年齢に為って急にライフスタイルを変えようにも、自分の身体が意志に追い付かないだろうし、社会生活の中では周囲が自分の変化を許さない状況となるのは明白であり、加齢の先においても、自分の意志通りに動く身体を保ち、更には、自分の考えを通す事に対し周囲を容認させるような環境作りというのが30代、40代における重要な過ごし方であると言える。

 サラリーマン生活をしていると、即物的な損得勘定のみで生活しているような人が、何年先が最悪どうなる?っていうののが見える。こういう環境は、自分にとっては危機感を感じるサンプルが見れるという環境である。最近は、テレビの健康番組で取り上げられるような重大疾病と闘ったり、亡くなったりの人が間近に多いのには驚きであるが、周りの若年世代を見ると殆どが、そのような不幸な事例を他人事と捉え、即物的な判断だけで生きているように見えるし、それはとても不思議な光景に見えるのである。健康を失い果てるサンプルを目の当たりにしているにも限らず、何の疑念も持たずに、その不幸を招くような道筋に乗って猛進しているように見えるっていうのは言い過ぎだろうか?

 若くして趣味を失い、重大疾病と闘う人もいる。成人病検診開始前に明らかに終わっている人も多いし、なんとも不思議な光景ではある。

 昨今は、国策として生活習慣病予防を掲げた健康の啓蒙活動を盛んにしているが、健康というものを維持するには、加齢に伴う生活習慣の変化、人体機能の変化を加味すると、前述のように時間と努力が必要だが、それを行うには、限られた時間の配分が必要であり、その配分後にも生活が維持できるような社会基盤が必要だ。社会基盤というか社会の価値観が即物的利益を追うような考えが普通のような社会では、全ては掛け声だけで終わってしまうのである。政府として必要なのは、生活習慣病を気にする世代の生活リズムを改めさせる制度の充実であり、例えば、世代別就業時間に制限を設けるとか、時間最低単価を設けるとか、企業において就業者世代別雇用義務を設ける等の施策が必要では無いだろうか?

 話が逸れたけど、結局、みんな、加齢に伴う身体機能の変化や生活環境の変化の中で、代謝を高め健康を保つ秘訣である「動く、考える、寝る」を世代に応じて維持するような事を考えて過ごした方が良いよ!って事が言いたいだけであるし、それが通用するような世の中を望んでいるだけである。

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超硬合金、こぼれ話

 最近は、検索ワードで『超硬』、『脆性』、『結合相』、『Co』のような検索でお越し下さる方もいらっしゃる様子。

 ということで、折角なんで一般論的に知ってる話を少々、、、、

 超硬合金っていうのは、超(ちょう)硬い特徴から呼ばれている慣用名称。で、正確には合金というには難しいもの。合金というよりも、炭化物を金属結合相で固めたサーメットのような物質であり、セラミックスと金属の中間的な物性を持つ材料で、基材がタングステンカーバイト(WC)であるサーメットの総称である。多くの場合は、基材であるWCが70~90%で構成されており、結合相金属としてはメジャーなものがコバルト(Co)、次いでニッケル(Ni)を用いている。この亜種でNi-Cr合金等を用いるものがあるけど、大きく分けると、結合相がCo系の磁性超硬合金とNi系の非磁性超硬合金に分類される。

 この2種類の用途は、前者の方が硬度が低いものの高強度で強靱という特徴で、後は耐食性に劣るという特徴から、一般には刃物、工具材料に用いられる。で、後者の方は硬度が高いものの若干靱性に劣るのだが、耐食性に優れるという特徴から、滑り軸受の回転軸スリーブのような摺動材料に用いられることが多い。因みに、前者のモノの硬度はHv≦1200が多く、後者のモノはHv≧1300が多い。

 大体、そんな感じだが、この材料の泣き所は、大気中で高温酸化に異様に弱い事と、材料を固める結合相金属無しでは強度的に期待できる材料を得ることは困難という点で、結合相金属を用いることで耐食性の確保が非常に難しいという事。
 それ故に、慣用的に特殊超硬合金という名目で大手メーカーからリリースされた耐食性超硬合金、結合相レス(バインダーレス)超硬合金ってのがラインナップされているけど、それとて、極微量の結合相を有しているのが現実であり、本質的な耐食性の確保を実現した系は存在しないものである。

 勿論、基材自体がWC(タングステンカーバイド)であり、通常の炭化物同様に融点近辺迄昇温加圧すれば焼結体を得ることが出来るけど、非常に脆く、低強度な材料しか得る事が出来ない。因みに、Coバインダーを用いると1200℃近辺で焼成可能、Niバインダーなら1450℃程度で可能で、WC単体での焼成では1850℃程度迄上げれば可能であるが、曲げ強度で比較すると、Coバインダーなら2.6[GPa]、Niバインダーなら1.5[GPa]確保できるところが単体焼成では450[MPa]程度の強度しか得る事が出来ない。
 そんな常識の範疇で多くのエンジニアは正攻法でバインダーミニマム、強度最大を目指し、原料粉体の超微粒化を試みる等の涙ぐましい取り組みを行っているのが現状だ。

 ところで超硬合金の基材であるWC、主な結合相であるCoは、中国内陸部で殆どが産出されており、これを調達し続けるのは、今回の四川大地震もあり結構難しいかもしれないのだが、工具、摺動材料としての需要は減る事は無いというのが予測。

 工具の場合、バイト、チップレベルでサイズ的に非常に小さいけれど、これが摺動材料となると相当なボリュームが必要であり、これは非常に高価になる要素をはらんでいる。
 そして、摺動材料に非磁性超硬合金を用いる理由は、硬度、強度、耐食性を要求しているからに他ならない訳であり、硬度、強度、耐食性が要求される摺動環境というのが産業として大きなボリュームを持つのも事実である。

 そういう前提で、私もWCをベースにNiやCoを全く使わず別の炭化物、酸化物の複合化によって比較的高強度の焼成材料を開発したりした(Co、Niを全く用いずに焼成し、析出強化機構等を駆使して曲げ強度で1[GPa]以上を実現した)けれど、所詮、WCベースであり、これを摺動材料に用いると大型部品程に価格的、品質的に難しい問題を抱える事となる。そこで、WCのように摺動材自体に硬度を期待せずとも成立する機械システムを考えようというのが今であり、上手く行けば、このようなレアメタルを全く使用しないで機能するモノを生み出す事が出来るかも知れない。

 超硬合金用資源の獲得競争も、原油、鉱物資源同様に勃発するかもしれない(というよりも既に競争となっている。因みに原料WC粉体はキロ単価は今は一昨年の2倍以上だ。)が、それに打ち勝つには先にいった強い通貨を武器にして買い占めるというのも手だが、既存の先入観というか価値観の上での発想から転換した発想により、高価な材料を使わずとも、より高性能を実現するようなアイデアを武器とするのも有効な手立てだと思うのである。ニュースでやっていたけど自動車メーカーが20年の歳月を掛けて電池を開発する。そして、電池を開発したメーカーが自動車メーカーとして生き残れるなんて話と似ている。
 つまり、勝手な考えだが、これからのエンジニアは機械設計者であっても材料開発、材料設計、装置設計等も同時に行える資質が競争力確保の上で必要ではないだろうか?と思う。
 仮に、プログラミングであっても言語が使えるだけでプログラムの内容の誘導等も出来なければ効率悪いし、機械設計の前に、要素を理解し、要素を構成する物質が存在すれば物質の物性や特性、相性も理解しなければ最適な解は得られないのでは?と思う。こういうハイブリッドな思想が無ければ製品(技術)に革新は生まれないのでは無いだろうか?

 纏めると、超硬合金の開発者は物性を追い求めるだけでなく、それが、どこで、どのように使われて、何が期待されているか?その必然性は果たして材料物性のみに依存して良いか?優れた材料が唯一の解か?を考えて、材料開発者であっても機械設計も必要だし、逆に、機械設計者でも要求する物性のみを掲げ探すでなく、要求する物性がなくても機能する仕組みを考えるセンスが必要ではないか?っていう話である。

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みんなの願いは?

 ブログ記事には、チョット気になる単車ネタも掲載している。で、最近迄関心の高かった記事がNinja 250Rの記事だけど、それ以上に注目が高いのは、未だ噂の域を出ないYZF-R250の噂ネタ記事だ。

 これまでも、メガスポーツ系を始めとして記事をアップしていたけど、この250ccクラスのスポーツバイクほどの関心の高さは無かったのだが、Ninjaネタ、YZFネタからも、ライダーの多くが250ccクラスのスポーツバイクに関心があるのは間違い無いみたい。

 更には、エントリーツインのNinjaよりも、噂だがGP-MONOレプリカライクなYZFの方が関心が高そうなのは、少々驚きである。
 まぁ、自分自身も仮に出るならば興味の対象としては、圧倒的にYZFの方である。

 YZF情報の元が雑紙という弱さはあるけれど、既存車両としてYZF-R125ってモデルが存在しているだけに期待度は高いのである。話はそれるけど、何年か前に雑紙にD-Trackerのエンジンを載せたショップ製作のGP-MONOマシンみたいなのがあったけど、YZFがWRエンジンで出れば、正しくそんな感じである。

 今回、シングルを期待する人が多いようだけど、その人はエントリーユーザーとも違うだろうし、リッターマンセーユーザーとも違うだろう。シングルを期待する理由は、軽さと応答性であり、今回、記事に関心を持って下さるユーザーは、案外、自分と同じ2ストロークが大好きなユーザーなのかなぁ?と思ったりする。

 自身、最も好きなモデルは2ストレプリカモデルだが、4ストならばミドルVツイン~ライトウエイトシングルというところ。共通点は、軽さ、レスポンスである。

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薬剤殺菌法

 最近は、摺動関連、殺菌関連でお客さんがお越し下さる。
 で、今日は殺菌関連の話。

 自分自身、微生物の殺菌や除去で最も良いなって思うのは、物理的な除去方法であり、濾過、凝集って方法。特に、凝集って方法が一番環境負荷が少なく理想的と思うのである。

 他の方法で何か?っていうと、電磁波系統か?って思うけど、これは結構難しい感じ。

 で、最終が化学薬剤による殺菌だと思う。薬剤殺菌の場合は、何と言っても廃液処理が面倒臭い事だが、それに加えて、殺菌効果を何で得るか?によっても効果と難しさの兼ね合いが問題になりそう。
 殺菌効果は2種類あって、一方が塩素系、一方が酸化力を行使するモノに分かれる。塩素系は安価だが後処理方法に一考の余地がある。一般的には次亜塩素酸の場合は中和剤で処理してからの排水となる。で、酸化力を行使するとなると、協力な酸化力を有する物質の溶液ということになるけど、例えばオゾンであったり、例えば慣用名オキシドール(過酸化水素水)であったりする。そんな酸化力を有する物質は、要は対象を酸化させて殺すわけであり、分解すると100%酸素が発生するモノ。酸素というと気体であり、助燃物質である酸素が出るというのがリスキーな印象を持っている点だ。
 この内、オゾンに付いては取り扱いを慎重にしなければならないし、気体を液中に溶かすことも難しければ、オゾンの発生装置自体も大規模な装置実績が無いし、装置の起動等にも手間と時間が掛かるという点で実現度が低い。
 一方で過酸化水素水というと、濃度次第だが他の薬剤に較べると環境負荷が小さく近年注目されている物質である。過酸化水素水の問題は製造コストが割高な事。MSDSによると

http://www.tama-chem.co.jp/products/pdf/TAMAPURE-AA_H2O2.pdf

な製品安全シートも見られる。この35%水溶液の説明で興味深いのは、『金属、金属塩との接触により分解し、支燃性ガスである酸素を発生し火災の危険性を増大させる。触媒作用のある金属及び金ぞけん(鉄、銅、クロム、鉛等)と接触すると、大量の熱を放出しながら激しく分解する。・・・・・』というのが気がかりな所。因みに、35%とか30%を越える溶液が使われないのは著しく危険なためだ。因みに消毒用のオキシドールは3%の過酸化水素水水溶液である。

 現状においては塩素系薬剤程排水にシビアな条件は設けられていないが、一方で、水産関係者の間では、珊瑚の生育への影響、閉鎖湾内における魚類への影響も研究が始まりつつある状態だが、工業界(特にパルプ関連)では脱塩素ということで過酸化水素水への注目は高まりつつあるのも事実である。

 なお、本サイトに検索して来られてきた人にとって有益な情報として記事とするならば、その欠点を上げるとすれば下記の通り。対象は過酸化水素水、過酢酸で纏めると、

1.鉛、真鍮、銅、亜鉛では使用不可
2.目に入れると失明するリスク
3.高価
4.滅菌剤として保存期間が短い
5.殺菌能力を期待する温度環境が50[℃]と比較的高温
6.コスト高

 ってところ。最大のネックは1.と4.か?次いで、5.と6.がネックとなるかもしれない。先行して使用実績のある医療界の状況を見ると、少なくともpH調整をしなければ工業機械で使用するのは難しいかも知れない。強力な酸化性を売りにしたケミカルは材料の腐食の問題が大きくのしかかるのである。

 個人的には、一番関心があるのは電解次亜水である。なによりも金属への攻撃性が軽微な点が魅力だし、後処理の問題も過酸化水素水+過酢酸同様に手間が無い。
 まぁ、化学殺菌剤なら次亜水がベストか?と思うけど、個人的には凝集のような手法の方が好み。最終的に何が生き残るか?は知らないけど、やはり投入した人の知恵の集積度の差が明暗を分けるだろう。

 追記

 新たに記事を追加しました。

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2008/06/cod_2e68.html

です。興味がある人はどうぞ。

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インフレ対策は?

 原油価格の高騰が止まらない。ガソリン代もリッター170円を超えるのでは?と危惧されている。
 価格の高騰は、石油製品に限らず、他の鉱物資源から食料に到る迄、あらゆる品目で見られる事態となっている。

 そんな中、経済界っていうのは、円高を異様に嫌っているし、財政政策も円高抑止に一生懸命である。

 でも、ふと思うのである。

 今のような異様な低金利政策を取るがために、諸外国との金利差による為替レートへの影響が課題に出て今のような状況を作っているのではないか?という事を、、、、

 今の1ドル103円というレートっていっても、ドルに対してのみ円高気味というだけで、他の通貨に対して弱い状態でありながら、今の状態を円高と叫ぶ考え方自体がナンセンスではないかと、、、、、

 で、素人考えだが、低金利政策なんぞ止めて、1ドル50円、あわよくば30円程度まで円高ではダメなのか?っていうことだ。仮に1ドルが30円となると、輸入品の価格は1/3以下に圧縮される訳だ。

 大前提として資源の無い日本は、資源を輸入に頼るというのが基本構造であり、資源を外国から購入しまくるには絶対的に強い通貨が必要ではないか?というのが率直な感想である。

 多くの輸出関連企業が円高を嫌っているようだが、円が高いという判断で競争力を牛な様な商品を作る事が企業存続の条件となっている事自体がナンセンスでは無いだろうか?理想論と言えなくもないが、日本でしか作れないモノ、或いは、そういう需要にマーケットを誘導する事が出来れば、価格が高くても売れるっていうのは、原油価格が高くても消費国が買っているという状態と同じ事であり、そういう産業形態に変遷させるべき時期に来ていると思うのである。

 他国で真似の出来ないモノを作れる企業のみが生き残れるというか、そういうモノを作れる企業のみが日本で存続可能というのが基本であり、日本で事業を行うための必須条件として圧倒的な競争力という認識で、企業体質(技術開発、マーケット創世)を変革する事が必要なのではないだろうか?こういう事こそが構造改革ではないだろうか?

 円安で成り立つ輸出産業という事自体が、既に競争力の無い裏返しであり、単価の高い商品を生むような、単価の高い労働を行うという個人の意識改革と併せて必要な時期に来ているように思うのである。

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2008年5月28日 (水)

ダビング10、振り出しに戻る。

 水曜日の地方紙朝刊の記事。
 表題の如く、6月スタート予定のダビング10開始が期限が定まらないままの延期となった模様。メーカー側からは対応録画機器の販売もされているけど、配信メディアが対応されないと機能しないと言う事で、この先どうなるか?全く不透明な状況。

 メーカー側、著作側双方の主張があって折り合えない事が延期の理由だが、結局は補償金を乗せる際の乗せ方に双方の主張があり、結局というか、消費者置き去りの議論に終始している様子。

 可搬メディアに対する補償金で済みとするメーカー側と、内蔵HDDにも補償金を乗せるとする著作側の議論の応酬だが、メディアという形態は時代と共に変遷するものであり、こういう議論自体が的はずれな感じがするのは安易な考えだろうか?
 完全に等価複写が可能なデジタル複写は認めないで、複写に伴い劣化が必ず入るアナログ複写は容認するというのが、著作的にも理に適っていると思うのは自分だけだろうか?

 この問題が解決するには、今の複写対象機器での議論で物別れするようだと、相当な長い年数が掛かるような気がするところだ。

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睡眠時間増量すると

 先日、金土日のハードな動き+日曜夜の夜更かしで月曜朝の怠さ、疲労感から日中の倦怠感について話したけど、そんな絶不調での症状は?というと、午前中は兎も角、午後からの異状な暑さの元では、人と話をしていても、何か考えていても、意識が飛んでいきそうになる。睡魔というよりも、意識朦朧という感じで耐え難きに耐えるという形で時間が過ぎるのを待つという感じになる。
 この感じは、仕事が終わっても暑い間は同じ感覚で、日が完全に没して、或る程度気温が下がらないと回復しないという質のもの。

 この倦怠感の原因は?というと、ハッキリと特定できないのだが、やはり週末のハードな生活と日曜夜の少ない睡眠時間(就寝時間が午前2時~午前6時)が原因か?と思う節もあり、月曜の夜は少々早めに床につき、火曜の朝はゆっくり目に起きてみた。
 勿論、月曜夜の運動は通常通りだが、全体的に早めにメニューを消化して午後11時前には入浴、そして、午前零時前には就寝して、火曜の朝は7時迄ぐっすり睡眠ってしてみた。まぁ、入浴時間を何時もの10分を30分に、睡眠時間を4時間から7時間に延長してみた。

 結果、翌日勤務時間中においての倦怠感だが、相変わらず怠いのは変わらないけど、月曜程意識朦朧って感じでは無いようだ。

という訳で、健康を維持するには、

1.しっかり睡眠とって疲れをリフレッシュさせる。
2.しっかり運動して身体機能を維持させる。

って要素を美味い具合に両立させないといけない。

 因みに、最近の睡眠不足の原因は、頭の体操時間を予定を確実にオーバーするような生活を繰り返してきたから。何故にオーバーしていたか?っていうと、最近話題に上げている最新型のベアリングシステムの案を練っていたからだ。妙案を得るために、世の中の『冷却』、『摺動』、『分級』、『摩耗』、『表面処理』等々を調べていたら時間を食ったのだ。結果、良い案が思い付いたのだが、これが急速に具体化したのが、最近二ヶ月の話。

 未だ、新型ベアリングシステムが既存のシステムに直ぐに置き換えれるか?っていうと不明だが、取り敢えず、既存システムの抱える欠点の殆どを解決したデザインであるのは間違い無い訳で、これが機能するかどうか?の確認と、予期せぬ不具合の洗い出しをこれからやっていく予定。

 でも、取り敢えず設計も終了、試作図面も終了、発注も終了で試作品の納品を待つばかりが今。試験してみないと判らないけど、発生するだろう不具合は何とか上手い具合に解決したいところだ。試作品の納品迄、あと三週間。それから試験、検証、特許修正を行う予定だが、最終的には何時出来るだろうか?急がないと活けないが、取り敢えず、家で睡眠不足に陥ることの無いように健康管理をしなければならない。取り敢えずは、この開発に期待している人も居る訳で、まぁ、何とかしてやりたいところ。

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趣味と仕事

 ここ数年の話だが、完全に趣味的な範囲で特殊な滑り軸受(ジャーナル軸受)を考えている。ジャーナル軸受というと単車のエンジンパーツ的に言うとメタルなんかが該当する箇所。

 このパーツは考えてみれば、固定円筒と回転軸から構成される超単純なモノなのだが、これが結構な曲者である。単純故に難しい所があるし、簡単故に数値を決めるのも色んな配慮が必要なのである。

 自身、機械製造業に勤務しているけど、少なくとも設計部門において、このような部品の詳細部位を完全に数値計算する部署は無いし、メタル部分の軸と軸受の隙間にしても、半ば、エイヤッ!で決めるのが殆どである。隙間=軸径の1/500~1/1000とか、発熱量計算にしても殆ど設計ハンドブックに載ってる公式に数値を入れるレベルに留まっている。

 まぁ、一般的には、それで問題ない場合が多いのだが、これが一般的でない場合は、普通に選んでいた数値がトラブルの原因となったりする場合があり、適当に決めていた数値に根拠を見出さなければ何かの対応も不可能となったりする。

 そういう訳で、自分がこの機械要素を理解するには、構成する材料が要求する物性がどうで、加工する際の制約は?制約で得られる形状が及ぼす影響は?から、基本的な隙間にしても条件に応じて完全に数値計算できるプログラムを作成し、数値の決定には経験という名の曖昧さで決める方法とは全く異なる方法で決めている。ジャーナル軸受の隙間決定には軸受の摺動条件、寸法要件、介在流体物性によるけれど、プログラムを組んで数値計算結果を見ると実に興味深い傾向が判るし、摺動部材の使用過程における馴染み現象とは一体何で、交換時期と呼ばれるのは、どんな状況が該当するかも明らかになる訳で、通常の文献や資料には記載されていない事も明らかになる。それが判ることが実に愉快な訳である。

 そして、現在のテーマは、この機械要素が一般の流体潤滑環境下以外でも使われるという状況を想定して、勝手なモデルを作り通常では考えられない状況で使えるようなアイデアを温めているのだが、その発想を支える知識は何か?というと、これは実は完全に趣味の世界の知識だったりするのである。

 機械要素開発で引用したモデルの例を挙げると、

・単車や車、スペースシャトルのブレーキシステム
・最終期の2ストロークエンジンのシリンダー処理技術
・便所掃除?
・歯磨き?
・ロータリーエンジン実用化に際して遭遇した苦労話
・掃除機
・電動ラジコンカー(電動の4WDツーリングカーであるヨコモのYR-4、他にプロテン)
・マツダスピードのRX-8の強化クラッチ
・長寿命工具
・軽石
・NGKスパークプラグの製造工程
・理容師さんのスペシャル長寿命のハサミ

 等々が羅列される。他にも色んな参考資料があるけれど、まぁ、趣味の二輪や四輪のパーツ類、技術発展の歴史等が大きなヒントとなっている。

 仕事という分野の発想のヒントは趣味の世界に転がっていたり、物事を解き明かす方法のヒントも趣味の世界に見つけたりする。趣味だろうが仕事だろうが、結局は、好奇心を解き明かすプロセスが必要であり、それを解明しようという探求心こそが必要で、その探求心を有効なモノとするには、分野分け隔て無い範囲に及ぶ知識であったり、論理であったりする。その論理や知識は、分野によっては陳腐化するものも有る訳で、常に、今のトレンドがどうか?っていうのは収集し続けて過ごしたいものである。

 こうやって頭を使うという時間は最低でも1日で1~2時間程度は欲しいところ。これを勉強と捉えるか?或いは、趣味の調べ事と捉えるか?は問題でないが、要は頭の体操をする時間が絶対必要だということだ。頭の体操、身体の体操、これが生きていく上で不可欠なものである。

 結局は、先の健康の重要性の中で、身体の衰えが恐いという記事を書いたが、同じく、脳の老化による自己崩壊も恐いということ。腐った脳の持ち主や新しい事に拒否反応を示すようは保守思想に陥るような事だけは避けたいのである。そのためには、生活や仕事で活用することができる趣味っていうのは大事にしたいものである。

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時間の使い方

 前の記事で寝る時間の重要性ってのを書いたけど、果たして、現代人はどのような生活をしているのか?を考えると、疑問に思うことが多いのも又事実である。

 人間らしい生活とは?

1.しっかり運動して身体機能を高く保つ。
2.しっかり勉強して脳の活力を高く保つ。
3.家族とのコミュニケーション(家事、育児)を確保する。
4.勿論、しっかり食事、入浴、睡眠して疲労を翌日に残さない。

 ということ。

 1.の運動って部分は、日常行動で運動が少ない人程重要であり、話題の生活習慣病が気になる年齢以降程重要な要素。生活する上で元気が大前提であり、元気で健康を確保するために欠かせない要素である。
 自分の場合に当て嵌めると、最低でも1日で2時間は運動時間を確保したい。

 2.の勉強って部分は、筋肉という部分でなく脳という部分での老化を防ぐための必須要件。趣味の分野での調べモノから、ニュース、新聞等の視聴等々で活字を主体として脳を働かせる行動。勉強っていうと堅苦しいけど、頭を使うって意味で、好奇心を発揮させる事が重要。言い換えれば、好奇心活躍のフィールドである趣味の時間を過ごすと言う事。
 自分の場合は、理工系ということもあり、学生時代に入手した専門書を定期的に読んでいるし、関連図書の読書から最新技術のトレンドの調査、世間の技術動向の調査も行う。個人的に出願する特許資料の作成等々も行っている。これも最低で1日平均で1時間は確保したい。

3.の家族のためって部分では、共同生活者が嫁だけの状態から、子供が増えると更にやる事が増える。嫁との会話も勿論だが、子供の成長に併せた教育(本読み、工作、作画、鉄棒、ボール投げ・・・)や、育児絡みであれば風呂入れやら何やらで最低でも1日1時間は必要。場合によっては部屋掃除、洗い物、風呂掃除・・・・も。家族と会話し時間を共有する事が最大の目的であり、生活の仕事を家族で分担するという意味。働いているから帰宅後はゆっくりというのはナンセンスであり、帰宅したらみんなで共同作業っていうのが理想。

4.の人間として生きる上での最低限の生活で食事、入浴で1時間は必要だし、睡眠時間も必要だ。

 この時間を積算すると1.から3.で既に4時間が必要で、4.の睡眠以外でも1時間が必要で、起きて活動している時間だけでも5時間が必要って事になる。
 起きて活動している時間というと、働くために拘束される時間というのが誰にでもあるけれど、それは通勤時間、昼休憩時間、残業(2h)を合算すると概ね13時間になる。
 ということで、睡眠外所要時間は5+13=18時間である。この時点で、全ての行動の間に隙間無しとしても寝る時間は最大で6時間しか確保できないのが自分の悩み。
 実際は行動に合間の時間が生まれているので、実質睡眠時間は5時間未満って事が多い。
 昨晩は、偶然子供が早く寝てしまったので、育児時間がカットできたため、特別に調べもの読書等々もカットしたために寝る時間を増量できたために2時間の睡眠時間増量が出来たのだが、そういう事は稀である。

 どんなライフスタイルを作るか?っていうのは個人の自由だが、三十路を過ぎて、不惑を過ぎてって状況で、恐いのが『身体の老化』と『脳の老化』である。これを防止するには、身体と脳を積極的に使うのが必要であり、身体と脳を使いながら家族と共に過ごすっていうのが最重要だ。

 最近よく聞くのが、働き過ぎたサラリーマンの退職タイミングでの熟年離婚とか、ゆとり教育の弊害?との言われで見られる子供の学力低下、馬車馬のような労働の果てによるストレス原因の疾病、運動不足生活の果てによる生活習慣病~重大疾病との闘病生活、老後における目的意識喪失によるアルツハイマー等症候群の発症、、、、、という好ましくないニュースだが、こういうのは、全て現代人の社会生活の果ての結果では?というのが俺の感想。

 誰のために働いて、何のために生きるのか?っていう部分で、少なくとも、先のような悪い結末を迎える事は、結局は、他人のため、金のために働いた終末的状況に見えるのが印象だ。金が沢山欲しければ、時間単価を上げるのが筋であり、働く時間を単純に増やして稼ぐっていうのは、先述のような他にやるべき時間を削ることに直結するのは頂けない。少なくとも、手当目当てで就業時間を引き延ばしたり、家帰ってもボーッとするだけで意味無いけど会社に居れば金になるので居るなんて価値観は持ち合わせていない。
 俺的には、次世代(子供)には自分の考え方やモノの見方や価値観を伝えるのが使命で、それを家族で行うっていうのが理想の姿。それを長きに渡り行うには、時代の流れで変遷する情報や常識に後れる事無く付いていける知識や専門性を持ち続け、更には、子供が成長しきる迄は、自分が伝えるという事が出来る健康を維持するというのが最重要と認識している。そのためには、新たなる知識を身に付けるという習慣は必須だし、生物的な衰えを加味した上でのライフスタイルの調整で過度な老化や疾病を防止するっていうのも当然と思うのである。

 次の世代に何を伝えるか?は、自分が得意なモノを伝えるのが自然の姿であり、自分が好きな事を諦めるような人生では、何も伝えれないというのが持論で、その軸足がぶれては何も伝える事が出来ないとも思う。

 果たして、世の中には、身体と脳の健康を確保して、世代を越えて意識を伝える事を最重要として日々を生きている人は何人いるのだろうか?と思うことが多い。
 毒舌ではないが、勤務先での年輩の人、或いは、同世代、若年世代を見て思うのは、健康状態を見ると『コイツは身体が腐り始めている、、、、』と思ったり、考え方や発想を聞くと『コイツの脳は既に腐っている、、、、』と思ったりする。価値観の相違といえば、それまでだけど、発想力の無い事なかれ的な考え方や、自由に動かす事の出来ない身体と薬無しでは生活できな身体っていうのは、生物として生きているのではなく、延命処置されているだけのように見えるのである。

 ここ2、3年のライフスタイルでは、紹介したように運動時間を2時間+αを生活に取り入れたために睡眠時間やその他の活動時間が削られ気味、それが問題だが、これをどのように調整するか?が今からの問題である。
 少なくとも、運動時間は減らせないし、育児、家事、勉強、睡眠時間も減らせない。これからどうしようか?大きな悩みである。

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2008年5月27日 (火)

自転車は何処走る?

 広島では自転車通行帯を歩道内に整備する歩道改修工事が進められている。実際、市内中心部、市内を横断する幹線国道では、車道の自転車通行禁止標識が所々見られるようになってきた。
 これは、道交法改正でサイクリストで異議を唱える声があり、その危惧が現実化している様子である。前回の騒動では、サイクリストの思いが通じた!?って纏めだったけど、実際問題は、当初の行政の思惑通りに物事は進んでいるようだ。

 今回の道交法改正のポイントは、

従来:自転車は老若男女全てが車道走行するのが原則

今回:自転車に乗る幼児と高齢者は歩道走行を認める

 という2点に限られる。他に目新しい点は皆無に近い。寧ろ、歩道走行条件が緩和されただけである。自転車が何処を走るか?っていう時に、自転車歩道通行可の標識があれば歩道走行して良いというのに変更はない。この標識が廃止になるというのなら画期的だったけど、この標識は有効であり、結果、原則車道通行といっても、この標識が生きたままに、先述のように自転車車道通行禁止の標識が併設されると、必然的に歩道走行が強要されることになる。

 まぁ、それは兎も角、現行法解釈で何処をどの様に走るか?っていうのが非常に判りにくいのだが、これを纏めたサイトを発見した。

http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1204620401010/index.html

である。これ見ると、以前指摘したように、路側帯は右も左も関係無しで、車道と道路外側帯が左側通行というモノ。これは、そこまで詳細に道交法を理解していなければ区別不能な話で、免許の無い人に言うような規則では無い。

さて、この流れ、どう変わっていくか?

恐らく、歩道整備で歩道内の自転車通行区分を走れって事になりそう。但し、コスト等を考えると、市内中心部に限っての話になりそう。郊外は従来通りと考えて問題無さそうである。

 ところで、最近は娘とサイクリングするけど、やはり車道を走らせるのは恐いと思うのは親心である。そう思うと、行政のやり方が間違っているとも言い切れない。市街地、幹線国道っていうのは、自転車は車道外っていうのが理想かもしれない。ここで言う車道外は=歩道ではありませんよ!理想は車道とも歩道からも独立した専用レーンってこと。しかし、理想が叶えられない場合は、歩道内にレーンを設けるのを一方的に否定することも難しい。実際、街乗り軽快車のように商店から商店を移動するのは殆ど歩行者的な利用法であり、都市間移動目的のスポーツサイクルっていうのは少数派っていうのが現実だ。

 この問題、解決するには相当の時間を要しそうだ。

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オヤジ化現象

 不惑を過ぎると、、、、第一の心配事が肥満による生活習慣病。生活習慣病っていうと、身体が完成する二十歳迄とは異なり、二十歳移行は生体維持のための細胞の刷新という程度に生体活動は落ち着いており、その穏やかな生活活動の中で、ストレス、偏った栄養分、健康維持の阻害因子(ニコチン、アルコール・・・)が確実に蓄積し、その年数が20年に及ぶ頃に露わになる不具合によって露呈するモノ。
 つまりは、20年以上に渡る不摂生で露わになる不具合が生活習慣病で、その時が40歳ということか?って理解している。

 さてさて、そんな不摂生による不具合の蓄積の発症か、或いは、死へのカウントダウンによる機能低下の現れかしらないけど、他にも不具合はあるのだが、最近、気がかりなのが二つある。それは、

1.老眼

2.加齢臭

 ってモノ。

 老眼については、去年から急激に近い所が見えづらくなってきたのだ。本来、就職前は裸眼で1.5以上あったのだが、就職してからはパソコン画面と格闘する時間が長かったせいか?裸眼で0.3程度迄視力が低下して、今や眼鏡必須なのだが、この視力に併せた眼鏡を掛けていると近くが異様に見づらいのである。
 眼鏡を外せば問題なく見えるのだが、その内見えなくなるのか?って思うと結構怖い。
 今回、愛用の眼鏡のフレームが破損して眼鏡を新調する際に、遠近両用にすべきか?って悩んだのだが、眼鏡屋では軽度の老眼なんで気にしなくても良いとの事で、今回は見送った。しかし、次は遠近両用が必要かもしれない。
 一寸前は、老眼になると、遠くは見えるようになるのか?と、都合の良い勘違い解釈をしていたのだが、どうやら無関係のようで、いよいよオヤジ化第一章が始まった感じである。

 継いで、加齢臭だ。加齢臭はろうそく、古本、チーズのような臭いらしい。これも40歳以降で現れる症状らしい。
 今のところ大して気にならないが、ハードにローラー台回して汗を掻きまくると、Tシャツが微妙に臭い気がするのである。日常生活で汗の臭いが気になる事は無いけど、ローラー台回すと、50%程度の確率で気になるのだ。

 この二つは防ぐ事ができるものなのか?或いは、不可避な老化現象の現れなのか?それが問題だ。体力をキープしても、体型を保っても、老眼+加齢臭ってのは活けてない。
 そう思うのである。

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目覚め時の疲労感

 最近、週末(金土日)の翌朝も目覚め時において、若干の疲労感というか身体の重さを感じる事がある。金曜日は、通常の運動メニュー+遠泳、土曜は+CR走行、日曜は+CR走行二本+子供とサイクリング+単車遊びって事で、平日より多く運動しているために、その疲労が翌日迄持ち越しているのだろうか?
 この疲労感は全体的に身体が重い感じであり、局部が痛むという質のものではない。但し、この身体の重さは運動をすると消え去るので気に留めないのであるが、平日に較べると週末の翌朝は怠さが倍増している。身体が重いと感じるのは、翌朝出勤して最初の階段を上る際の怠さである。体重が倍くらいになるような重さ、、、

 本来、睡眠後には疲れが取れて完全にリフレッシュされないとNGだが、疲労が翌日迄持ち越すっていうのは、運動量が多すぎなのだろうか?睡眠時間が不足しているのであろうか?

 さて、疲労を完全にリフレッシュするのに必要なのは、睡眠と入浴である。入浴ではじっくりと湯船で休む事が大事。睡眠はしっかり取るのが大事。しかし、一日は24時間であり、睡眠と入浴で併せて2~3時間増量させるとなると、運動を諦めるのか?ってなると、これは出来ない相談であり、育児の手間も減らす訳にはいかない。となると、残すは就業か?ってことになる。

 疲労感解消させながら身体の機能を保つとなると、自ずと理想的な生活は定まるモノ。そういう生活が人間らしい生活だが、なんとか疲れが完全に取れるような休息時間を取りたいモノである。

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YZF-R250? -R4? -250R4?

 最近、表題のフレーズでの検索で訪れる方が多い。
 何故?って調べると、今月発売のヤングマシン誌にヨーロッパ直送スクープ?って事で、YZR-R4って250ccモデルが計画されているというネタが掲載されているのが理由のようだ。
 雑紙によると、WR250系の単気筒エンジンを搭載した250ccスーパースポーツという事で、仮にそういうコンセプトならば、自分的にはSRX250Fの再来を思わせるモノ。期待を込めるとGP-MONOレプリカ?ってイメージで、今話題のNinja250Rよりも遙かにハートをくすぐる存在になりそう。(間違っても?ZEAL流用の四発なんぞ乗せるなよ!?)

 さて、そういうことでヤマハの250ccクラスのスポーツバイクを振り返ってみると、日本のメーカーはホンダ以外は基本は2ストロークメーカーであり、ヤマハも例外ではない。
 但し、今回のネタは4ストロークマシンなので2ストロークヒストリーはサッと済ませると、ヤマハスポーツの250ccを世に知らしめたのがYDS-1て空冷パラツインのモデル。このモデルが発展して、DXを経て空冷最終のRD、RD時代は比較的長く最終はキャストホイールにRZ風デザインのRD-SPを経て、御存知RZ、その後RZ-R迄がピストンリードバルブ吸気エンジンでそれ以降がケースリード吸気式の新世代2ストロークとなりTZRが登場。TZRも初代パラツインから後方排気、Vツインと来て消え去った。2ストロークの進歩はRZで水冷化、RZ-Rで可変排気タイミングコントロール(YPVS)、2XTでメッキシリンダー、3MA以降が電子制御多用と急激に進化したのだが、時代的にはRDの時代に、第一期の2スト危機直前に4ストロークメーカーとしての転換を計ろうとしていた。

 そんな中(第一期2スト時代の後半に)登場したのが、上位クラスのGX400ってモデル。これは、上級のGX500の角形最終モデルに似たデザインのヨーロピアンデザインの180°クランクの空冷SOHCモデルだったのだが、これは結構良く走るモデルだった。そして、このモデルのエンジンスケールダウンモデルがGX250ってモデルである。
 ヤマハの4スト250ccは400ccのお下がりモデルとしての登場だったけど、それは他メーカーのお下がりモデル同様に走らないモデルであった。

 このモデルの登場後暫くしてから第1期アメリカンブームの到来でXS650SPの弟分としてのXS250SP(GX250に段付きシート、アップハンドル、リア16インチにメガホンマフラー)は結構なヒットモデルとしてあったが、それも動力性能二の次の分野故の事である。このモデルの陰に隠れGX250もマイチェンして存在していたが、角デザインから丸系デザインで殆どアメリカン的なモデルとなりオッサン需要で成立していただけだ。その後、RZ250の登場と併せGX250SPもそれなりのデザインとして生まれ変わったが、時代的には250ccはZ250FTのような専用設計が生まれ始めていたために競争力的には厳しいものだった。

 この70年代を引きずったモデルの次が400ccではSECAって相性を持つ未来的なXS400Eが登場したが、これはダイヤモンドフレームに角形のXZ風、RZ50風デザインでDOHCエンジンのモデルである。で、250ccはまたまたお下がりのXS250EってモデルでVT250Fのライバルと為り得る筈の無い有り得ない存在だ。
 この250ccがお下がり4ストのファイナルモデルだ。

 その後、ホンダのVT250Fのヒットを見て登場したのが、超コンパクトで超高回転の御存知FZ250、フェザーってモデル。これは老若男女に大ヒットして、その後のマルチブームの火付け役となった。このFZ250にレプリカ外装を付けてモデルチェンジしたのがFZR250、FZR250はその後EXUP等装備して乗りやすいレプリカとしての地位を確立した。この初期のFZRは角形断面パイプを用いたダブルクレードルフレームを持ち、FZRというよりも上級モデルを見るとFZ400RとかFZ750の系統であり、FZRという名前自体には違和感を感じていたものである。まぁ、エンジン自体が前傾のジェネシスエンジンだったんでFZRって名称になったのあろうけど、それを言うとFZ750も最初からFZR750にならないとNGだという思いが強い。話が逸れるけど、個人的にはFZRという名前はデルタボックスフレームが必要という印象だ。このFZRの初期モデルはライバルのCBR250Rが登場するまでは、女性ライダー御用達のモデルでレプリカバイクに乗る女性用バイクって地位を確立していた。このFZRは最終的にはデルタボックスフレームで名実ともにYZFレプリカ的なFZRとして熟成が図られていったのである。

 そんな並列四気筒系とは離れた立場でフェザーの登場と同時期にデビューしたのが、やはり女性を中心に支持を獲得したSRX250/Fである。
 これは当時の最新鋭オフ車であるXT250TのDOHC4バルブエンジンを用いた4ストシングルでCB250RSを一気に過去のモノとするようなイタリアンデザインと高性能を兼ね備えており、250ccシングルスポーツの地位を不動のものとした秀作である。
 このSRX250は、その後も長きに渡り、シングルレースカテゴリーでは一線級の戦闘力を保ち続けた優れものであり、市販状態の穏やかさの裏で秘めたポテンシャルを持っていた。
 このクラスでSRXは、各メーカーが様々に投入したモデル(スズキのNZ~グース、ホンダのCBX系、カワサキのCS)全てを退けて、単気筒ロードスポーツとしては無敵の存在感を誇っていた。

 そういう背景を踏まえると、嘘か誠か知らないけれど、YZF-R4ってモデルがWR250エンジンで登場すれば、正しくSRX250の再来である。時代最先端シングルエンジン搭載のロードモデル!登場を願いたいものだ。

 カワサキファンだけど、出ればグースの買い換え対象に為りうるモデルである。

 まぁ、出てみないと何とも言えないけど、仮にシングルエンジン搭載なら『さすが!ヤマハ!』って印象で、多くの人にとっては何故マルチでないの?って印象だが、レプリカ時代以前を知る人から見ると、逆に予想通りって印象になるんだろうなぁ、、、、。

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2008年5月26日 (月)

二輪な日曜日

 ここ最近ずっとの話。日曜日は、ラングスターTTで30km、オ・モイヨWWで30km、ルイガノMVFで20km、SV650Sで30km、CXで20kmと乗りまくりである。

 結構疲れるけど、なんか心地よい。日曜日が一週間で最もハードだが、最も楽しいのである。
 そんな日曜日は朝から快晴が望ましい。朝7時台から出掛けるから、先述のような二輪ライフが楽しめるのであるが、今日は、朝は雨が残り路面がウエット、、、、で、ラングスターTTに乗るのを諦め掛けたのだが、、、、天気が回復して、家族での買い物を早く終わったんで急遽出撃!

 しかし、時間がタイトであり、ラングスターTTで出て帰って、休む間もなくオ・モイヨWWで出撃、直ぐに、ルイガノ、更に息つく間もなく単車、、、、と合間の休憩は完全に無し、、、、。で、CR走行の帰路でや寄り道するニシダサイクルさんにも行けなかったけど、その分、濃密な時間の使い方に為った週末であった。

 さて、もうじき梅雨入りである。そうなると、殆ど乗る事が出来なくなる。乗れる内に乗りまくる。これが大切だ。

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くわばたりえさん、やるな!

 女性お笑い芸人のクワバタオハラのくわばたりえさんのニュース。

 なんと、一ヶ月半でウエストで-20cmに成功だそうだ。具体的には、85cmから65.4cmで、体重は63kgから56.5kgになっととのこと。

 方法は、ビリーズブートキャンプ系エクササイズDVDである「コアリズム」で運動し、食事制限無しとのこと。

 なかなかのモノである。これ、体重が僅か6.5kg減にも拘わらずウエストが-20cmっていうのは驚異的だ。胴回りが完全な円と仮定すると、胴の直径で7cm減、即ち、腰回りの脂肪が選択的に除去できたってことなのだろうか?

 何にしろ、ダイエット成功オメデトウって感じだ。

 自身、3ヶ月で、体重で-20kg、体脂肪率で-20%、ウエストで-20cmのトリプル-20を誇っていたけど、ブーム系エクササイズで一つの牙城が崩されちゃった(笑)。

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2008年5月25日 (日)

ママチャリ三人乗り

 表題の問題が、NHK教育で放送されてた。
 そこでは、三人乗り対応ママチャリのメーカー試作モデルが展示されていたが、一台は前後に一人ずつ載せるタイプで、後輪が小径、寝たキャスター、ロングホイールベース、コラム延長上に子供の重心というのが特徴の自転車で、もう一台は、後ろ三輪の四輪で後ろに二人載せる仕様。特徴はパラレルリンクによるバンク機構を持つ構造。

 現実的なのは前者のタイプ。後者のタイプは重量がありすぎで、重そう。サイズがでかすぎで、育児で子供を二人載せる期間の長さから考えたら普及しない感じ。価格も高そう。

 但し、主婦の意見では、価格が3~4万、高くて6万円という要求であり、現実問題、こういう価格では、ニュータイプ自転車という事にはならないだろう。
 現実的な落としどころは、この夏に明らかになるだろうけど、実際に普及しているタイプの適応可否を判断するに留まるのではないだろうか?

 今回の番組でも、二人載せた三人乗りでは発車、停車の瞬間が不安定という紹介だったけど、これは当ブログでも記事にした内容。
 そういう意味では初動トルクの大きな自転車というのが前提だし、電動アシスト車ならOKっていうのが一番理に適っているように思う。補助動力を無しとしても、最低でも内装三段で大きな駆動トルクが得られるタイプならOKってレベルで十分では無いか?と思うのは甘過ぎだろうか?

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延期してまで泳ぐ理由は?

 昨日は緊急の用が入り、夕方水泳が出来なかったので、土曜日にずらして泳ぎに出掛けた。昨日は、泳がなかったせいか、身体が鈍るというか、運動を欲する感じがしたので、お休みの予定を急遽変更して休日出勤帰りに泳ぎに出掛けたのであるが、曜日を変えると、泳ぐ人も、数も全然違う。金曜日は人が少ないけど、土曜日は溢れんばかりである。

 そんな状況でも、メニュー通りに60分で3kmをノンストップで泳ぐというモノだが、土曜日は結構中高年の皆さん溢れかえっている。プールサイドで泳がず談笑する高齢男女とか、大福腹部を揺らしながら水しぶきを揚げて暴れ泳ぎする人、、、、金曜日はアスリート系だが、土曜日はメタボリック系が多いようだ。

 多くの人が、25mプールで25m泳いでストップ、2~3分後に25mという感じで、まぁ、水に浸かりに来ている感じ。30代、40代の中には、その25mを全力?で水しぶいて泳ぐだけって人も多く、圧倒的に金曜日に較べて泳ぎづらい。大きなお世話かもしれないが、水に浸かって水圧効果だけでメタボが解消出来る程、甘くない。気合いで泳いで息上がってゼイゼイ言うのも厳しい。痩せるというか、脂肪燃焼させるなら、自分にとって負荷掛け続ける事が出来るペースでロングスイムしないとNGだ。

 他人はさておき、自分としては、土曜日は雨でホームコースをラングスターで疾走するってメニューが未消化な分、きっちり泳げてラッキーだったけど、人が多すぎで同じレーンを何人も泳いでいると、これをパスするのが面倒くさいのである。

 しかし、水泳っていうのは、やっぱり気持ちいいものだ。今日もブレストストロークだけど、キックで結構進むし、プルでも進む。身体を伸ばして真っ直ぐしている間にも推力を保っているのが感じられる時は、無駄なく泳げているなぁと実感する瞬間でもある。

 水泳も自転車も、今より速くなろうなんて思いは全く無い。今の状態を永遠に維持したいというだけで、上手くなりたいとか、速くなりたいというのより、衰えるのを防ぎたいっていうのが続けるモチベーションである。衰えるという不可避な現象が迫る事への恐れが、今のような運動生活が維持できる理由だ。
 若い頃は、上手くなりたい、速くなりたいという意志が強すぎたが、そういう思いは、努力によって結果が伴う場合は、続ける力となるけれど、一定以上に到達すると、伸び悩み、結果、続ける力が小さくなる。
 しかし、老いた今は、衰えていない事を確認するために泳いだり、漕いだりしている。そして、先週と変化が無い事を確認することで、安心するのである。安心したいために、続けるというもの。上達するのは難しいけど、保つのはそうでもないのである。

 このような気持ちの変化があるけど、そういう気持ちだから、結構ハードと思える生活が続ける事が出来るのである。

 因みに、恐さを感じる理由は、同世代の同僚の衰え具合、チョット上世代の抜け殻のような生活、退職後の運動の選択肢が限られたような衰え具合、或いは、様々な疾病と闘ったり、亡くなっていく人の様、、、そういうモノが沢山見えるからである。そして、そういう形に陥りたくないのであり、そのためには、若い頃にやっていたスポーツが自分の今を測る物差しに最も都合がよいのである。そして水泳と自転車が自分の能力測定用のスケールだが、幸いな事に、水泳も自転車も、短距離競泳、スプリントも遠泳、巡航能力も、20代前半と同レベルを保っているのが何よりも嬉しいし、それ故に、モチベーションが持続できる理由ともなっている。

 ということで、このモチベーションを維持し、恐怖(老いによる衰え)から逃げるような生活を続けるつもりである。

 なんらかの疾病やダメージは老化というよりも、身体機能が完成した後の生活の不摂生によるストレスの蓄積によって不具合が疾病として発症したという理解である。発症したという事は、機能が壊れたという事の裏返しであり、ストレス蓄積前の身体機能に回復させることはハッキリ言って不可能である。全ての変化は不可逆変化であり、失われた機能は取り戻せないというのが持論であり、身体機能に欠損が無い内に、身体機能を保つというのが今のモチベーションである。
 多くの人が、衰えて、或いは病を患って初めて気付くってものだし、他人の不幸は自分には起こらないという錯覚を持っているが、俺は、他人の不幸は自分の未来の暗示と捉えるのである。よって、衰える前から始めるのである。

 多分、自分が水泳歴、自転車歴無しで、ブームにのって始めて、負けず嫌い根性で能力アップを狙ったとしても、現実問題、今の年齢と知識、経験等が無ければ、思ったような結果も得られずに、比較的早く諦めるか?或いは、ドレスアップオヤジになるんだろうなぁ、、、って思うところ。この年齢から上達っていうのは、身体能力を高めるという部分は特に難しいんだろうけど、今は維持が目標なんで続けれるんだろう。

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2008年5月24日 (土)

タイトル変更

 先日、ココログのタイトルを変更した。

 暫くは、『元気が一番!』で、次が『Theっ学研究所!』、今が『Theっ学健究所』となっている。

 最初の『元気が一番!』ってのは、シンプルで気に入っていたのだけど、健康、ダイエットが目標達成した最近では、ネタが変質しつつあったので、『研究所』ってしたのだが、これは変えてから感じていた違和感がずっとあったのである。
 研究所って程の内容は無いし、そうすると、健康ネタが見えにくいのである。基本は健康、ダイエット、フィットネスで、雑学、戯れ言で色づけするってパターン。

 で、研究所の『研』を健康の『健』に置き換えて、健康研究、健康追求の短縮語として、『健究所』ってしたのである。ここで、『きゅう』に『究』を当てたのは、技術ネタを書き始めたのが、その理由である。

 今回のタイトルは結構、お気に入りだ。暫く変更せずに使う予定。

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故障痛≠筋肉痛

 時折、捻ったり、ぶつけたりして身体を痛める事がある。すると、痛めた部位が暫く痛む。
 似たような質の痛みで、オーバーロード等の負荷過剰でも運動後に身体の重さを感じ、翌朝局部に痛みを感じることがある。

 これ、似たような痛みだけど、前者が故障痛、後者が筋肉痛で全く別のモノ。その違いは色んなサイトに詳しく書いてあるので省略するけど、体験上、この二種類の痛みの取れ方を較べると、痛みを伴う違和感の程度が同じでないので一様に比較出来ないけど、筋肉痛の方は、筋肉痛が出た負荷より若干軽い負荷を行って運動を続ける事で割と簡単に痛みとはおさらばできる。しかし、故障痛の方は痛みの質が大した度合でなくても、その違和感が取れるには、相当に長い月日を要する。

 ベンチプレスのような運動では、殆どが筋肉痛だろうけど、自転車でのガンバルペダリングでの膝痛は筋肉痛でなく故障痛であり、その痛みは下手すると一生モノとなってしまう。幸いな事に、昔から相当に自転車に乗っているけど、膝痛を抱えた事がないのは幸運だが、いろんなサイトを見て膝痛に苦しむ人を見る程に我が身に気を付けようと思うのである。

 一番最近に体験した故障痛といえば、去年の今頃から痛みが本格化したドケルバン腱鞘炎というもので新生児の沐浴で左手を酷使して発症した症状。この完治には数ヶ月を要したが、あんな思いだけはしたくないものだ。ドケルバン腱鞘炎では、直すには安静しかなく、湿布+安静という事しかやりようが無かったのが辛かったところ。

 ということで、自分が理解する二つの痛みの違いの大きな処は、筋肉痛の場合は、負荷を減らしたトレーニングで回復を早める事ができるけど、故障痛は安静にする以外無いという点で、大きく違うところだ。

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体重の日較差?日変動?

 このところ異様に暑い。暑い中、ローラー台回すと汗掻きまくり。運動する毎に掻く汗の量は半端ではない。汗の量が総量で幾らかは正確には不明だが、一般に寝ている間で200~400cc、日常生活下では最低1リットル/dayの汗を掻くそうだ。更に、呼吸、便、尿で2.5~3リットル/dayの汗が出る。

 と言う事は、起床時の生活で2.5~3リットル+運動無し生活で汗が1リットル+就寝中の汗が0.2~0.4リットルということで、3.7~4.4リットル/dayの汗を掻く訳である。

 ハードな運動を行うと、一時間に1リットル以上の汗を掻く事も珍しくない訳であり、多いと5リットル/day以上の汗を掻く可能性があるわけだ。

 ということは、相応の水分を飲料水、食事の形で摂取している訳である。最大で5リットル出して、5リットル入れる。入れるタイミングは原則として摂取行動による訳であり、1日5回の摂取行動を取るとすれば、1リットルずつ摂取すると見なせる。つまり、体重の増加因子は1kg単位で増加量がカウントされるということ。

 出る方についても5リットルというのが一気に出る訳でなく、1日で均等な割合で出ている訳で、言ってみれば、入る方と同じような量で出ていると見なしても間違いではない。

 つまり、生活行動によって1kg単位で出て、入っていると考えて差し支え無いのであり、これを考えると、体重を測るタイミングで、入れたけど出ていない、出したけど入れてないという状況次第では最大で2kg程度の体重計測値の変動が出ても可笑しくないのである。

 そう考えると、いろんなダイエットサイトで日々の変動で一喜一憂するのは無意味って風にも見える。昨日より何キロ増えたとか、何キロ減ったというのは、その日の食材の違いによる消化の違い、排便の違い、食事時刻の違いによって最大で±1kg、絶対幅として2kg程度は変わりうるということだ。
 仮に、毎日定刻測定を行っても、食事等が定刻で、排便等も定刻で無い限りは必ずしも同じ収支状態での測定とは為らない訳である。

 一番大事なのは、日較差の変動を伴いながら連続的な数値傾向として、どのような変化傾向を持っているか?であり、そのためには、相当の日数を掛けないと、喜ぶべきか?悲しむべきか?は判らないのである。

 例えば、我が家では、日曜日の食事(朝がホットケーキ、昼がカレー、夜がお好み焼き)を終えて月曜日の測定では、嫁も自分も最大で日曜+2kg程度に変化する事があるけど、翌週の土曜日には、元に戻っている事が多い。単純に日曜から月曜での変化を見ると、愕然とするけど、トータルで見ると、そういう数値変動は変化とは言えない範囲の変動であるというのに気付くのである。

 因みに、体重計の目盛りを減らすのをターゲットにすれば、食事、水を極力減らすという事になるのだろうけど、そうではなく、身体に付いた脂肪を酸素によって燃焼するというのであれば、燃焼に必要な酸素を多く摂取するような身体状態を持続する事、つまり、有酸素運動を行うというのが必須であり、燃焼反応=発熱反応であり、必ず、冷却しないと活けないのである。つまり、運動するならラジエターの性能を発揮させる必要があり、水冷?エンジンである人体組織で水切れはオーバーヒートで焼き付く訳であり、ガンガン水を欲する状態を作って、ガンガン水を飲むっていうのが理に適っているんだろう。

 自分は毎日水分を積極的に取っているけど、運動前、運動後併せると2リットル程度は飲んでいるのである。そうすると、体重の日較差は結構大きいけど、そう言う事は気にしないようにしているのである。

 しっかり水分とって、身体を積極的に冷やさなければならないような脂肪燃焼運動を続ける。これがダイエットの秘訣である。

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自転車雑感

 最近、堅い話題が続いたんで息抜き。

 まずは、原油高の中現れた高速自転車で、過去のケイリンPASを凌ぐモノ

http://response.jp/issue/2008/0522/article109627_1.html

 で紹介されている最高速度120km/hのパルスジェット・エンジン搭載の自転車。これは相当に速そうだ。

 で、もう一方は昨日の昼ポタで見た、前後輪異径のホイールの折り畳み自転車で、リアサス付きの車両。
 乗っている人の体格?がよいせいか、ペダリングに合わせてヒコヒコ上下動を伴いながら動く。コミカルである。リアサス付きの自転車っていうのは、サスの配置、強さによっては、あんな動きになるのか?平地で15km/h以下の速度で見た目に判る挙動を表すようだと、相当にペダリングロスが多そうだ。

 少なくともリアサス付きのモデルではハンガー(BB)部とリアアクスル部が固定された関係を保たないと脈動を生みロスを生みそうだ。

 因みに、ルイガノMVFはリアサスがエラストマー式のサスペンションで、リアのスイングアーム上にBBがある構造。一応はペダリングロスを生まないとされているらしい構成だが、それでも登坂等で上体の筋肉を導入するようなペダリングでは車体に上下動が出る。

 自転車如きにはサスペンションなんぞ不要だろうけど、あることで路面のギャップを乗り越える時の衝撃が緩和されるのも事実。

 サス肯定派、否定派という訳でなく、用途に応じて取捨選択すれば全然OKである。頑張って乗らないのであればサスペンションは有った方が快適かもしれない。

 サスペンションの良さは路面からの衝撃緩和であり、欠点は駆動時における車体内部にかかる内力でもストロークを生みロスするということ。外からも動き、内からも動くのが欠点だが、外からの力のみに反応し、内からの力では反応しないような構造を設ける事ができれば最強。動きを一方通行にするというと、自転車ならフリーホイールのような構造であったり、車関係ならワンウェイクラッチのような構造。これをロータリースプリング並列接続すると、理屈の上では外力のみに反応するサスペンションが出来る。
 難点は重量か?ってところだ。

 ところで、子供車には最近サスペンション付き、ブロックパターンタイヤ付きって自転車が多いけど、あれは考え物だ。幼稚園児には力の絶対値が少ない訳で、無意味にロスが生まれて重量が増加するサスペンションは不要だし、アスファルトしか乗らないのなら、低圧で抵抗の大きいブロックパターンのタイヤよりもスリック気味の中圧以上のタイヤの方が軽く走れる筈。目的と使い手を考えたら、自画自賛では無いが、我が家で選んだ10kg程度の車体でロスを排除する事を重視したモディファイするような方がエライ気がする。
 大体、幼稚園児ってのは、大人ぶりたいので、大人と同じライト、ベル・・・の方が嬉しいみたいだし、、、、そういう目でみると、タイヤに擦り付けて発電するダイナモライト+鉄フレーム+強引なキャリア+カゴ+鉄主体の車体構成+極太タイヤで16kg級の子供車よりも10kg級で走行抵抗を生まないような装備で構成したモノの方が乗り手の体力に有っていると思う。(親の自己満足に付き合わされているだけって話もあるが、、、、それでも、納車から一ヶ月で積算走行距離が200kmを越えたのは満足しているからだと思う)

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2008年5月23日 (金)

改正道交法、迫る。

 いよいよ来月一日に迫ってきたのが、改正道交法だ。概要は、

http://www.npa.go.jp/koutsuu/kikaku91/gaiyou.pdf

http://www.npa.go.jp/koutsuu/kikaku90/gaiyou.pdf

 に纏めてあるけど、要は、

1.自転車の歩道通行が子供+高齢者及び、標識で定められた場所に限定
2.自動車後部座席のシートベルト義務化
3.高齢運転者標識表示義務化

 というところ。変わったようで、変わらないとも取れる変更だ。

 しかし、一番判りにくいのが、自転車の走るべき場所は?っていうところで、本来、自転車は幼児車も老人車も歩道を走行してはいけないモノだったのが、幼児と高齢者なら歩道を走っても良いモノに変わったというのが法律上の大きな変更点である。
 それ以外の、自転車歩道通行可の標識のある歩道は、従来も今後も、相変わらず歩道を走行して良い事には変わらない。
 見方によると、従来は歩道は走るな!ってモノを、幼児、高齢者なら歩道をどうぞ!ってなっただけで、普通のサイクリストの車道通行主張から逆行しているように見えるのである。

 しかし、実は法律や標識の解釈の前に、自転車を走らせたい場所というのが、統一ルールとして出来ていないのが最大の問題のようだ。
 今回の自転車ネタでは、自転車は指示された走行空間を走れというのがあるけれど、その走行空間が、在るところでは車道側に指示されていたり、歩道内部に指示されていたり、或るところでは、従来の歩道走行可の標識で定義されていたり、、、、そういう指示があっても、幼児、高齢者は歩道の全域が走行できるし、一般自転車は車道を走るのがデフォルトというルールも生きている。
 結局、定義として纏まっていないので、どうやっても良いと解釈されないか?が心配なところ。

 自転車の利用者の特徴を見ると、変幻自在に歩道と車道を往来する使い方であり、その様が、一番の問題のように思う。車道に飛び出せば車にぶつかるし、車道から飛び込む時は殆どが横断歩道待ちの歩行者に衝突する。
 利用者、走行帯整備状況によって歩道、車道の一方に一律定義する事が困難なのは理解できるが、車道と歩道の往来自由度を制限するようなルールを追加した方が、有効な事故対策になると思うところだ。

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バラスト水処理プラントは陸上(洋上設備)でも良いのでは?

 さて、この記事、予定では金曜午前零時アップ予定の記事だけど、運動前のアクセス記録を見ていると、以前の発端ネタ記事に、日立さんからのアクセスがあったんで公開を早めてみた。検索ワードから見ても、恐らく当事者さんか?って思うので、もし見られてるんならということでの前倒し公開だ。

 表題のシステムについて、問題提起の発端が何か?って記事を以前アップした事がある。しかし、そんな発端は兎も角、今どうなっているか?を見渡すと、先の記事に紹介したように、三菱さん+日立さんの磁気凝集が一歩リードしているように見えるけど、これに対向する勢力も当然存在している。

 そんな対向勢力の手法の一つに、塩素系等の薬剤を船舶に搭載して、この薬剤を利用してバラスト排水時に殺菌処理を行うって方法がある。
 この方法は、船舶の航路の荷揚げ箇所に、薬剤供給基地を建築し、その基地から薬剤を積み込んで、船舶が航行して荷積み箇所でバラスト排水を行う場所で、積み込んだ薬剤を混入して殺菌排水するというものである。

 この構想では、船舶全てに薬剤タンクと混合プラントが必要で、船舶の荷揚げ箇所全てに薬剤供給基地を建築する必要がある。

 そんな中、ふと考えたのは、どうせ陸上に基地を作るのならば、供給基地を荷揚げ箇所に作るのでなく、就航船舶はそのままで、バラスト水処理基地を荷積み箇所に建設するのが合理的ではないか?って事。
 そうすれば、船舶を改造する必要もないし、一箇所の荷積み基地に設備が集約できるので、非常に効率的だし、荷積み基地=輸出国なんで、産業定着の観点からも受け入れられやすいのでは?と、ふと思った所。また、その基地は必ずしも陸上基地で在る必要も無い訳で、港近辺に係留した洋上プラントでも良いと言える。

 仮に、船舶サイドで処理するならば、やはり、陸上インフラに頼らない、三菱さん+日立さんのようなシステムの方が有望だと思うのは気のせいだろうか?

 考え方としては、分散処理か集中処理かの選択で、その併用処理っていうのは、コスト的に見合わないような気がするのである。

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楽しい仕事は、

 楽しい瞬間は?という戯れ言をメインサイトの日記に書いたけど、楽しい仕事というか、楽しい過ごし方っていうのは、どんな過ごし方か?というのを書き連ねてみる事にした。

 何が楽しいか?っていうと、自分で見つけて、自分で納得する事である。見つけるためには相応の知識と好奇心が必要で、納得するには相応の実践評価が必要だ。

 逆に楽しくない事、苦痛な事は?っていうと、楽しい事の反対の行為だ。
 極論すれば、行動の自由度が与えられない反復作業、更には、大きな流れの極一部だけを繰り返すような作業、そういう作業は、自分の価値観からすれば超苦手である。

 勿論、両方の活動が重要であり、優劣が付けれるものではないのだが、価値観的に後者は苦手と言う事。

 少なくとも、同じ反復作業であっても、入口から出口迄のプロセスを一通り続けることが出来る作業ならまだしも、プロセスとプロセスの間の一瞬を機械的に続けるというのは耐えれない。

 そんな事を思うのである。自分にとって楽しさを得る条件に順位を付けるとすると、

1.発想が独創的かどうか?が重要。模倣やトレースというだけで楽しみは半減する。

2.行動が全工程を賄うかどうか?であり、一部の作業でも楽しみは更に半減する。

3.作業による結果が見えるかどうか?モノ、手順、図面等形に残らないと半減する。

4.当然だが、行動結果の良否の判定が出来る基準が必要。無いと意味無い。

 と、そんな感じである。単純に流れ作業的に上流から下流にモノを流すだけの仕事等には全く感心が沸かないし、魅力を感じない。(勘違いされては困るけど、配送業務は該当しませんよ。配送は、如何に短時間かつ正確に物流を成立させるか?という極めて高度な考え方が根幹にあり、それを可能とせしめる配車等々のノウハウが詰まっている。)
 一般に、何のために活動するか?というときに、単純に金のために動くのであれば、どんな作業でも換金評価できる訳であり質は問わないものと自分は思うけど、以前も書いたように、人間は過去の知見の上に新しい知識を生み出し文明を繋ぐのが使命という持論があるように、新しい価値観を生み出すことこそが活動の目的という価値観に従うと、最低でも活動した痕跡が形として残らないと魅力は無いし、一番は、前人未踏の知見を発見する瞬間だと思う。即ち、新たな知見を生み出すために活動するというのが持論だ。

 この新たなる知見が、自分以外の第三者のためにも利用される場合が、知見を見出す過程が仕事という形で評価され対価を得ることとなり、新たなる知見が自己満足のみのための場合が、趣味という形で無償となる訳である。最終的に生み出した知見が、利用される範囲の違いのみで対価を生む場合と、そうでない場合があるだけであり、結果を生み出す過程の活動内容や考え方、思想に差異は無いのである。
 つまり、遊びで見つけた発見を、第三者が見て欲しいといって金を出せば、それが対価となり、それを商売に載せると、趣味=仕事になるだけの事である。

 だから、自分を例に挙げると、オ・モイヨWW用のFメカ台座、西DAHON用のトリム調整機能付きFメカ台座から、単車に施した特殊加工からワンオフパーツの作成、はたまた、無潤滑摺動を可能せしめる特殊複合材料製摺動材、最近ならば一般材料で耐摩耗摺動性能を確保する機械システム等々も全部同じであり、結果が対価を伴うかどうか以前に、誰もやっていないからやる訳で、結果的に『どうだ!お前ら、出来ないだろう!』のためにやっているようなモノ。

 一番理想的な生活は、分野は問わず自分で注目した部分において、自分の考えの範囲で構わないので、『これは凄いぜ!』って思うような発見をして、あわよくば、それで泡銭を稼ぐってパターンだ。まぁ、泡銭のために自分でせっせと特許だしたり、起業したりしているのだが、、、。

 だから、活動のフィールドが趣味であれ、仕事であれだが、トレースは駄目、模倣も駄目、反復も駄目なのである。しかし、周りを見渡すと、トレース反復しか駄目、教わらないと駄目、自分での判断は駄目、自分の持ち分以外の知見を拡げる事も拒否って奴があまりにも多いと思う。

 まぁ、企業における人材育成の価値観からすれば、普通はどんな従業員であれ、その代用員を育成するというのが重要視されているけど、自分からすれば、他人では同じ事が絶対に出来ない能力を身に付けたいというもので、代わりの人間で務まるような能力に留めたくないのである。 

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2008年5月22日 (木)

速さ?

 リアルな世界でも、時折質問を受ける。
 それは、自転車の速さ?についての話。最近記事にしているバイクレッグネタではないけれど、自転車選手?は脚が細いから、脚の太さと速さは関係無いのでは?って質問とかである。

 で、速さっていうのも微妙な問題。何を以て速いのか?は、尺度にもよるし、自己満足度にもよる。ぶっちゃけた話、答えようの無い質問にも聞こえる。

 そんな中、数字として聞くのは、平地で50km/h出るとか、60km/h出せるとか、、、或いは、持続して35km/hを維持し続けるとかって所くらいだろうか?

 まぁ、持続してって制約ならば、連続してという部分で考えると運動強度で60~70%相当の状態で出力として35km/hを維持するパワーが出せるかどうか?って部分だし、瞬間最高速だって、瞬間的に60km/hを出すとなると、相応の出力を出すエンジン、即ち筋肉が無いと不可能って事。60km/hの速度を出す出力の脚というのは、絶対的に相応の太さとなる筋肉が必要だし、35km/hを維持する出力が運動強度で60~70%程度で得られる筋肉が無いと始まらないっていうのが、問い掛けに対する解答になる。

 いくら口頭で言っても、絶対的な出力を実現する筋肉がなければ、現実論とは成り得ない。

 必要動力を計算するサイトがあるけれど、そこで得られる数値を発揮する筋肉が無いと物理的に出ないのである。更に言えば、最高速度は最大出力、持続速度は最大出力の何%かで運動強度70%以下の出力であり、最終的には最大出力を上げなければ、最高速度も、持続速度も上げれないというのが答え。最大出力を高めるには、筋肉を強化するしか無い訳であり、絶対的な筋肉量を見合った量迄増量するトレーニングが必須ということ。持続可能速度でいう持続時間を増やすには、これはもう、運動強度を下げても所要動力が得られるようにするしかない訳であり、最大心拍数アップ、安静時心拍数ダウンとなるような心肺機能強化を計るしかない。

 聞かれて答えるのは、いつもこんな感じ。如何に、ペダリングスキルが高まろうとも、イイ自転車に乗ろうとも、ギア比の選択が上手かろうとも、何よりも、速度に見合う出力が取り出されなければ思いは適わない。そう思うのである。

 いろんな場所で聞くけれど、例えば50km/h以上の速度を維持する(例えば1kmを50km/hで走り続けるというと、時間で1分12秒)っていうのは、相当な出力を維持し続けるということで、それは競技者レベルにも相当する話。40km/hで数十分を維持するというのも、簡単ではない。ネット世界では、こういう数値が普通のように飛び交っているけれど、リアル世界で、そのような走行を行っている人は未だかつて見た事がないのが現実。
 よく判らないけど、相当に乗り込んだ人でも50km/hオーバーっていうのは一瞬の速度だろうし(殆どが追い風参考で数秒程度)、実際の走行においては35km/h以上を維持し続けるていうのも単独走行では相当に鍛えていないと殆ど無理だと思う。

 こんな話の根拠は自分が基準になるけれど、自分レベルの心肺能力、筋力で得られる結果は自分が一番よく判っており、テクニックとかスキルというのが体力差をひっくり返す程に影響が無いのも経験上判っている(少なくとも30km程度の距離では自転車の種類は関係ない?)つもり。となると、多くのサイクリストを見て、その体型で、概ね、どの位?ていうのが連想されるけど、その連想結果は大きく外れていないように思うところ。

 それ故に、先の質問に対しては、速度に応じた出力を生む筋肉量が必要で、脚の見た目通りに速さは想像できるって答えになるのである。

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パワーポイント禁止令

 表題の号令が、あの大トヨタで掛かったという。
 何でもかんでも、カラーコピーは無駄だ!って経営者の考えとか、、、、

 賛成である。

 先日、大学の大学院生相手の勉強会で、材料開発の講義の依頼を受けたけど、その際は、パワーポイントを使うかしてお願いしたいとの依頼もセットで受けた。

 しかし、自分はパワーポイントは使わないという解答をして、使うのは、なるべく質素なOHPのようなモノで十分という解答を行った。

 そう、見た目のインパクトで関心を惹く術としての価値は認めるけど、最近はパワーポイント自体が汎用であり、逆に言いたい事が埋没しかねないからである。後は、生理的にパソコンが嫌いなんで、そういうモノは使いたくないというホンネからである。

 出来れば、太字のマジックの手書きで要所、キーワードをチャート風に構成したOHPで概要のみを伝える構成が自分は好きである。
 自分で手書きを行うと、資料を作成しながら話のストーリー、手順が頭にイメージできる。そのイメージに従って資料に枝葉を付けるのが一番伝えやすいと思うからだ。

 パワーポイントの場合は、抑揚を付けるための連想動作が頭でやりにくいのが敬遠する理由だ。

 そう言えば、昔、塾経営等で塾講師を行っている時も、塾で使うテキストは一切無しというのを売りにしていた。生徒に買って貰うのは、大学ノートのみ。
 塾に休まず通って貰えば、ホワイトボードに要点を書きながら授業を進行するので、それを書き写させる時間が必要だが、自分の人に伝える思考手順を記録させる事で、子供の頭に内容に加えて思考の手順を会得させるためだ。

 こういうスタイルを持つ塾は自分の塾以外では存在しなかったけど、何事も結果やインパクトが大事なのではなく、それを得るための思考の手順が最も重要という思いからだ。
 勿論、全学年、全科目を担当していたので、カリキュラムの総量と授業進行速度を全て把握していないと出来ない技だが、これを売りにして生徒を集めていたのが自分の流儀。
 当然、努力も必要だが、見返りとしては、年収で今以上を稼いでいた訳で、当時のやり方が、生徒の合格実績として跳ね返っており、それが自分のオリジナリティーでもあった。

 これからも、そういう考えに変わりは無いので、そういうスタイルを貫くつもりである。

 表題の行動をトレースするのが重要でなく、その行動の本質が何処にあるか?を見定めて、そういう号令を掛けれる経営者の存在がトヨタの強さなんだろうなぁ、、、、。

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省エネ、省資源には有効性が必要

 世界の経済発展に伴い、日本が資源を調達するのが困難となってきている。更には、資源調達も困難だが、地球温暖化防止の取り組みも必要で、今の時代は、省エネ、省資源っていうのが大きな関心事である。

 そんな動きの中で、最近よく目にするのが、星野監督のレジ袋廃止キャンペーンでマイバッグを薦めるCMだ。まぁ、確かに、言わんとする事は理解できるけど、素直に賛同できるか?っていうと、実は微妙である。

 というのも、スーパーのレジ袋は何に使われているか?っていうと、考えると、可燃ゴミで使える袋は可燃ゴミの残飯等の纏め袋に使われたり、或いは、不燃ゴミとなる袋は不燃ゴミを仕分けて出す袋に使われている。詰まりは、このレジ袋の多くは、家庭に持ち帰られた後に、家庭ゴミの分別袋に再利用されているのである。
 勿論、基本となる袋の可燃ゴミの大きな袋は紙製の大きな袋を各家庭が購入して使っているのだが、その基本以外の袋には結構、レジ袋が活躍しているのである。

 つまり、レジ袋が無くなれば、その袋を別の手法で購入して調達しなければ為らないということであり、それは、調達経路が違うだけで絶対的にゴミとして廃棄されるビニール系袋の総量は不変ということだ。

 一番の問題は、石油資源を使わない。袋を使わないということ。レジ袋に再利用性があるために、結局使われているものが無くなれば、代用品を購入する訳であり、それでは無意味ではないか?っていうのが意見である。
 実質的にレジ袋(っていうか、不燃ゴミ廃棄袋)を最小にするには、レジ袋の元となる買い物の回数を減らして、レジ袋の総数を減らすって方が有意に感じるし、レジ袋廃止とするならば、レジ袋の代用袋を必要としないゴミの収集形態迄提案しなければならないように思うのである。

 我が家では、買い物は週1回の纏め買いにして、大きな袋を2、3つ貰っている。その大きな袋に買ったモノを入れて持ち帰り、週に一度の不燃ゴミの廃棄袋として利用している。自分自身、この方法が一番無駄が無いと思うのだが、将来、ゴミの排出ルールが変われば、それに応じた方法を選ぶだろう。

 更に、世界の経済発展、人口増加に伴う食糧不足が危惧されているが、これにしても現代の消費形態が大きな問題を抱えている。
 本来、商品とは需要に併せて供給するものであり、注文あっての生産っていうのが最も無駄の無い収支を得る事が出来る。しかし、24時間フルサービスの利便性を追求すると、見込み発注が生まれ、結果、見込み違いによる廃棄って状況を生むのである。

 そう、これは、コンビニエンスストアーで消費期限がタイトな商品を扱う事が問題であるのでは無いだろうか?利便性の裏で、売れ残って廃棄される食品は莫大な量である。極論すれば、コンビニエンスストアーなんぞは営業禁止するのが効果的だが、現実的でないのであり、少なくとも、売れ残りが発生するとペナルティーを課すような制度を導入するとか、エリア毎に食品販売を許容する店舗数上限を定める等の規制が有効だ。
 個人的には、食品販売取り止めが一番だと思うのだが、、、。

 結局、レジ袋にしても、食料自給率の低下にしても、その裏には利便性を追求しすぎた世の中の副産物によって状況を悪化させているだけの要素が極めて大きい。

 他にも、ガソリン高を問題視する報道が溢れる一方で、産業界をみればアホみたいな大排気量大馬力の豪華な車の提案ばかりであり、いくら環境性能が優れていても、一台当たりの絶対排出量を比較すると、古くても小さな車の方がマシ。仮に、そうでなくても、小さな車を格好良いとする価値観を提案する努力はメーカーに必要だが、そんなモノは無い訳であり、ならば、車を動かすに必要な燃料を免許証一枚で月何リットルという購入制限を掛けるのが一番。そうすることで、絶対的な化石燃料使用総量に規制を掛ける事が出来る。

 好きで燃費の悪いビッグ2ストに乗るならば、日常は辛抱せよというなら辛抱できる。全てを禁止するでなく、制約の中での使途は自由にするのが一番自然だ。TASPOってカードを普及させる事ができるなら、免許証にICを埋め込んで、免許証がガソリン購入カードとなるような仕組みにすれば楽勝だろう。

 仮に本気で、地球温暖化、省資源化、食料自給率向上を掲げるなら、

1.コンビニでの食品販売制限(エリア単位営業店舗制限、食品販売禁止、廃棄罰金制)
2.ビニール系包装の完全禁止(使わなければゴミは無くなる理屈だ)
3.営業時間制限(客の買い物頻度を抑える)
4.免許証単位での燃料使用制限制、更に、世帯単位での電力、ガス、水道制限も。

 この四本立てで規制すれば、社会全体では相当なインパクトになるだろう。

 少なくとも、カーボンオフセットのような取引ビジネスで環境改善なんていうのは、ハッキリ言って営利活動に過ぎないし、実質、排出炭酸ガスを抑制したことには為らない。そんな事をセールスに、商品買ったらエコに貢献なんざ、エコ気取りの自己満足に過ぎないと思うのは言い過ぎだろうか?

 何か買ったら、植林費用を支払う事になり、そこに木が出来れば炭酸ガスを吸収するとい理屈の前に、その木を植える場所っていうのは、本来、木が生えていた場所であり、単純に、特定の場所で、木を植える、伐採する、植える、伐採すると繰り返せば、結局は炭酸ガスの吸収量、排出量は連動して変化するだけで、その一方で植える側は炭酸ガス吸収で積算幾ら貢献した!っていうのは、やはり変だ。
 まぁ、カーボンオフセットビジネスの仕組みや計算法は知らないが、どうも胡散臭い気がするのは自分だけだろうか?

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発想の転換

 昨日の続きネタだけど、硬質粒子に対する耐摩耗性確保のために、何故、10年前の当時は硬質摺動材料を用いる事に決めたのか?を、思い出すと、やはり硬質粒子の噛み込みによる異常摩耗を抑止するには、硬質粒子を圧壊して、磨り潰してという印象からの話であり、そのような考え方は、当時の段階で、すべり軸受を開発していた機械メーカーの常識に起因しているもの。

 しかし、この既存の常識を安易に受け入れる事によって、トライボロジー的に、理想的な摺動形態が具体化できなくなるという事には全く気付いていなかった。当時以前に、最初に硬質摺動材料を用いるという発想を行った人は、恐らく、その問題を見抜いていたのではないだろうか?と思うけど、自分を含めて、原理的な追随者は、その本質が見えていなかったんだろうと思う。

 勿論、理想的なコンディションの元で使われる場合は、本質で抱える弱点が大きな問題とはならない筈だが、現実の世界では、セラミックス製摺動材料を用いた滑り軸受が非常に多くのトラブルを起こしている。このトラブルは、下水用等の公共設備から、民間のプラント、船舶等の設備の至る所で発生しており、勤務先外であっても年間百数十件の事故が発生し、暗に処理されているのが現実だ。

 この不具合原因は、理想的なコンディションから外れた状態によって生じるモノが多いが、その理想からのズレが事故に到る原因の誘因となるのが、実は、先の理想的な摺動形態が保てないという問題で、硬質摺動材を用いると必然的に生まれる問題である。

 この問題は、硬質摺動材の製造プロセスや加工性によってもたらされるものであり、解決には硬質摺動材の使用を諦めるしか無い。この諦めるという考え自体が、発想の貧困さを表しているモノであり、硬質摺動材が不要となるような構造を編み出せば何の問題もなくなるのである。そうすることによって、製造プロセス、加工性に起因する妥協は発生せずに、理想的な摺動形態を具現化する形状を実現することができる。勿論、理想的な摺動形態とは何か?は、ここでは書けないけど、そういう発想の転換こそが、全く新しい発想に必要なものでは無いだろうか?

 ホント言えば、こういうアイデアは継続的な思考で、もう少し早く生まれ、結果になっていただろう。このアイデアは色んな所で使う事が出来るものだが、こういう新発想を具現化させるための組織が必要な気もする。

 まぁ、企業というのは営利集団であり、将来利益を生むかどうか怪しい考えに投資する程の余裕が無いのは理解できるが、新しい考えを具現化することで競争力を付けなければ、製品が利益を生む体質に為れないのも真実。
 企業の姿勢としてそれが見えるのはホンダ(本田技研、HONDA)だ。車、単車に限らずあらゆる産業機械を手掛けているし、その視野の広さは、他の自動車メーカーの比ではない。凄すぎである。まぁ、中の実態の程は知らないが、外から見る限りは憧れの企業である。

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2008年5月21日 (水)

ツアー・オブ・ジャパン

 が開催されている。一方で、本場のジロ・デ・イタリアが、そして我が家では、ジロ・で・ダイエットだ。

 まぁ、そんなくだらない言い回しは置いておいて、昨日からアクセス解析で妙な検索ワードが多かったのだが、それは、ツアー・オブ・ジャパンでゴールした車両と係員が衝突して係員が意識不明の重体となったという事故が原因みたい。

http://www.nhk.or.jp/news/k10014715741000.html

 ゴールラインを超えて衝突ということだが、速度は相当に出ていたんだと思う。これは、競技中の不幸と捉えることも出来るけど、ロードバイクが歩行者と衝突すると、こういう事態を招きかねないということ。
 いつも走る遊歩道だが、ここは結構広いせいもあり、自転車は概ねハイスピード、歩行者は気ままな進路変更と、いつ衝突してもおかしくない状況とも言える。

 画像掲示板にも書いたけど、走行区間によって走行速度を変えているって話を書いたけど、それは、こういう不意な状況に対処するためでもある。遊歩道とかランニングコースっていうのは、他人が居る限りは速度は控えめ。自転車通行可の歩道でも幅員が狭い荒れ気味の歩道でも同じ。少なくとも巾が10mクラスの自歩道以外は速度は控え目である。自身、本気?で走るのは堤防上の車道区間で50km/h前後で走り続けることも少なくない。
 これは、結局、最低限加害者になるのを避けるためでもある。

 ロードバイクは歩行者から見ると無音で接近する高速移動体である。不意を付く分、ダメージが大きくなるってことをサイクリストは肝に銘じるべきである。

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アクセス急増

 ここ半年だが、アクセス数が急増している。
 理由の多くは『Ninja 250R』ネタだけど、アクセス解析を見るとNinjaネタで来た人、Ninja記事を読む人っていうのは全体の3割程度のモノ。結構、自転車、ダイエット、技術と万遍なく読まれているようだが、それにしても日々のアクセスが200~300っていうのは驚異的である。一年前は、日々のアクセスが50前後、開設当時は20前後だったのに較べると驚異的に増えている。

 まぁ、それでもコメントやTBは閑散としているのだが、絶対的なお客様が増えているのは確かなようだ。一時期、TBが異常増大したけど、認可制にして公開保留にして営利目的のTBは全削除してからは落ち着いている。

 アクセス数が急増し、アクセスポイントも当初の広島界隈オンリーだったのが、最近では日本全国からアクセスされている様子。

 もろに独り言だけど、開設二年でアクセス累計が12万突破っていうのは、やはりダイエットネタのためかなぁ?

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初心者向けは?

 昨日の記事を書いていて思った事。それは、初めて単車に乗るというか、小柄な女性や、初心者にとって重さや大きさによって恐怖感を感じないクラスっていうのは、どんなモデルが該当するか?って事。

 自分の経験(昔の自分、当時の友人で男性や女性を含む)を振り返ると、少なくとも原付(この場合は50cc)未満については、殆ど全ての人が、その大きさを見て乗りにくいとか、恐いという印象は持っていなかったように思う。まぁ、原付クラスというと殆ど車重は100kg未満のモデルで、相当に背が低くても脚は地面に楽勝で届く。

 その上の125ccクラスではどうか?っていうと、小柄な女性が初めて乗る時を思い返してみると、80年代当時で女性が乗れると思った単車は、初代のRG125ガンマ、MVX125、RZ125、CB125JX、CBX125Fって所。一方で、125ccながら躊躇が入った単車というと、CB125T、AR125ってところ。ここで、CB125Tっていうのは、絶対的な重量(とは言っても130kg程度のもの)がネックであり、AR125については身長155cmの人にはシートが高すぎたのがネックだったと思う。それでも、男性の場合は、初心者であっても125ccという車格がネックにはなっていなかったと思う。

 その上の250ccクラスだが、二輪歴の長い人にとっては全く問題無い車格だが、初心者にとっては、なかなか手強い存在。昔の250ccクラスは車格に相当な巾があったのも事実であり、その250ccの4ストローク限定で車格別分類を行ってみると、、、、

・400ccお下がりモデル
 4ストロークツインの車重は170kg以上で上級400ccモデルのエンジンのみ縮小したモデル。80年代以前のスタンダードな仕様。
 CJ250T、CB250T/N/D、GX250、XS250SP、XS250Eってところがメジャー

・250cc専用設計でシリンダーが横並び4つ
 4ストロークマルチエンジン搭載で160kg未満のモデル。エンジン重量の割にコンパクトで、実質重量以上にコンパクト。初代はGS250FWだが、ヒットしたのはFZ250以降
 GS250FW、GSX-R250系、BANDIT、CBR250F/R/RR、JADE、HORNET、FZ250、FZR250、ZEAL、ZXR250、BALIUS等

・250cc専用設計でシリンダーが横並び2つ
 4ストロークツインで車重が160kg未満のモデル。デザインは400ccと似ているけど、フレーム等専用設計モデルで70年代後半のZ250FTが初めて。単なるツインとしたらVT系も入るけど、VT系は巾が狭くて小さいというメリットはシングルモデルと対峙していたため除外した。
 Z250FT、GPZ250、GPZ250R、GPX250R、ZZR250、Z250LTD-twin、GSX250E/T/L等

・250cc専用設計でシリンダーが横に並ばない
 4ストロークシングルかVツイン。Vツインは出力やキャラで分けるとマルチエンジンのライバルだろうけど、ユーザーフレンドリー度合で言うと巾の狭さがメリットでシングルとまとめる。このクラスは基本は巾が狭いのが特徴で、シングルなら更に軽量。車重は130kg台以下が多く、足つき性も良好で、絶対的にコンパクトで125ccクラスの車格といっても良い。
 CB250RS(-Z)、CBX250S/RS、GB250、VT250F/Z、SRX250/F、CS250、NZ250/S等

 こんな具合で、当時のエントリーユーザーのハートを鷲掴みにしたのは、最後のシングル、Vツイン。単車ブームの際に女性ユーザーをターゲットとしたFZ250/FZR250、CBR250ってのは車重はシングルほど軽くなかったけど、異様な迄の低シート高を売りにしていたのだが、小柄な初心者女性にとっては絶対的な車格に手を余らせていたのも事実。

 ということで、単車の敷居を下げるには、単車乗りの視点から外れた上での車格が重要で、それは130kg台以下の車重、シングル並にスリムで低シート高のモデルということ。この仕様が満たす事ができる最大クラスが250ccのシングルでもある訳だ。

 そう思うと、現存する250ccシングルモデルであるエストレヤ、ST250系、FTR233派生系の多くは、女性ライダーが多い事に気付く。レトロバイク、レトロオフが在るんだから、普通のスポーツバイクのシングルが出てきてもおかしくない状況。

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ダブルプロダクト

 日曜の疲労による月曜の血圧と脈拍変動を調べていて見つかった新しい言葉、、、

 『ダブルプロダクト(DP)』

 って言葉である。何でも、『心拍数×収縮期血圧』で算出されるモノで、心筋酸素摂取量、つまりは、心臓の仕事量を表す指標なんだそうだ。

 さて、ここまでの話では、この指標が何を示すか?はさっぱり不明だが、、、一般には、心肺機能の善し悪し(心臓への負担の強さ)の指標らしい。多くの人でDP=12000、階段上がったりするとDP=17000に上昇。DP=20000となると、キツイと思うらしい。このDP≦20000を保って運動するのが危なくないという指標らしい。

 運動で20000を越す人も居るだろうけど、高血圧で悩む人の中には、脈拍100以上、最高血圧200以上って人も普通に居そうで、そういう人は、普通に生活しているだけで危険を伴うってことだろうか?

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2008年5月20日 (火)

新しい仕組みが生むのは?

 先日、無潤滑滑り摺動システムの一翼を担う材料の話をした。これは、軸材料で、膨張係数が通常材料の1/10~1/50、摩擦係数も1/2~1/3、比較的高硬度で耐摩耗性を持ちながら、絶対に脆性破壊しない複合材料だ。

 この材料、本来は摩耗性粒子スラリー中と完全無潤滑中で、滑り摺動を可能とせしめる材料だが、この材料の相手(即ち、摺動システムのもう一方側)は、完全なセラミックス材料で絶対に腐食しない非常に高硬度のセラミックとなっている。

 そう、耐摩耗と無潤滑という相反する摺動を実現するのに、超高硬度セラミックスと特殊な複合材料を用いているのだ。

 このシステム及び構成材料は全て独力で開発したものだが、実は機械システムはトライボロジーの理屈から見ると大きな矛盾をはらんでいるし、開発当初の耐摩耗性を重視しすぎるあまりに、材料物性に依存しすぎたシステムデザインとなっている。具体的には、耐摩耗性を重視した流体潤滑という括りでは、滑らかな連続摺動面が必要だが、滑らかは兎も角、連続摺動面を作るには限界がある。特に大型化する程に難しいのは、超大型のセラミックスを焼成する難しさから容易に想像出来る事。更には、不連続摺動面端部は確実にエッジ形状となるのもNGだ。この辺が大きな矛盾だし、実際、多額の費用を投じて製造プラントも製作したが、これは或る意味必然であり、特殊な材料物性に依存するということは、特殊な材料素材全てを自分で製造しなければならないというコスト負担要因を抱えているということ。

 特に、勤務先は素材メーカーでないために、その担当は非常に特殊な状況となるのだが、その作業を担う人間の思考や人間性によって非常に大きな不安定要素を抱えている。なんたって、専門家とは言えない畑違いの人間が作る訳だし、人間の生活環境も他の従業員からは特異に映るのは間違い無い。勿論、素材メーカーでないので、その部分に多くの人的資源を投入するのもナンセンスだし、よくある拝金的価値観で残業時間重視の人間(本音の部分でカネのために働くという人)では勤まらない。
 なぜならば、専門外製造でありコストは為るべく圧縮したい思惑があるからだ。

 そうはいっても、作業員(及び周辺環境)が不安定では製造できないし、代わりを教育するのも一般の拝金的価値観に囚われた人が対象では難しい。

 その問題を解決するには、先の摺動システムをより汎用な手法でスマートに再構築する必要がある。
 既存の摺動システムの新しい一方は汎用複合素材、初期開発の一方は特殊セラミックスだが、新しい方は外部調達が可能(実際、外注で賄っている)。そこで、特殊セラミックスの必要条件である耐摩耗性の確保を材料物性に依存しない機械デザインで解決する方法を発想し、材料自体は汎用材料で賄うシステムのプロトデザインが完了したところ。
 このプロトデザインの実証試験は今(6/30入荷予定)から行うけれど、もしコンセプト通りに機能すれば、先に述べたトライボロジー的な矛盾は解決できる方法で、更には、硬質スラリー摺動を汎用材料で賄うという逆転発想デザインである。
 そして、このような発想は従来機械システムには前例が無く、先に開発した汎用複合素材の思いがけぬ利用方法の発見にも繋がるということで、その複合素材の利用普及研究会への参加を表明したところ。

 こうすれば、自分の好奇心である誰も思い付かないデザインの発想と、不安定な作業員の精神状態も解放可能となるし、一石二鳥である。でも、実際問題、何処にもないモノが実際の公共設備で使われているのを見せる出張に行かせたりして、結構、普通では体験出来ない経験させているつもりなんだが、、、、少なくとも、全く新しいモノが出来上がって、それが初めて実際に動く瞬間を見て、それが実際に使われていく様なんて、タダの工員、製図作業員には絶対味わえないモノなんだがなぁ、、、。自分で考えて、考えたモノが形になって、実際に動くのを見る満足感、これはスケールアップとか、トレースの世界では無いものだ。
 まぁ、ネジの数でも数えたり、伝票枚数数えたりするのが良いならそれも人生だが、、、

 様々な状況があるけれど、どんな状況であっても、その解決は、前進性を持った発想の組み合わせて対応すべきというのが持論だ。この方針が吉と出るか凶と出るかは知らないが、まぁ、少なくとも状況が変化するというのは間違い無い。

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時代は繰り返す!?

 Ninja250Rの評判は悪くないようである。
 少なくとも、ネット、雑紙等々メディアのインプレッション、寸評を見る限りは結構好意的に受け止められている。

 まぁ、絶対性能から仕様等々は別として、今この時勢に、フルカウルのバイクが国内市場に登場したっていうのが、なによりもエポックメイキングである。この一点が最も大事な事かも知れない。

 イメージの問題、仕様の問題、生産国の問題っていうのは、基本は単車自身を評価している訳でなく、あくまでも付随的な問題であり、そういう先入観や拘りを捨てれば、やはり、フルカウルの中型車が国内販売されたのが何よりだ。

 今月のMr.Bikeの特集では、250ccバイク復権を願う特集が組まれているが、そこではZ250FTとCB250Nを以て、当時のフラッグシップZ1RとCB900Fの代理戦争という形で紹介されていたが、為る程、今回のNinja250Rも走り系ZX-10Rのイメージモデルっていう意味では繋がりがあるなぁと思ったところ。

 しかし、30年前に遡って考えると、Z250FTは決してCB250Nとはライバルでなく、Z250FTはRG250Eと並んで、250cc専用設計モデルのスポーツ性+実用性が高く評価されていたモデルであり、CB250Nは、後出しだけど、コンセプト的には以前の400ccお下がり的な評価だったと思う。
 でも、この二台、どちらも乗っていたけれど、当時の雑紙で言う程にZ250FTが優れていた訳でなく、車重で20kg近く重く、馬力の低いCB250Nの方が立派だし、印象ほど劣る感覚も無かったのが現実。当時、一番好きだったのが、実はCB250Dで、その後CB400Dも買った(余談だけど、このスーパーホークⅢで大腿骨粉砕骨折しました、、、)けど、印象はZ250FT(脚にプレート入りで復帰一号機)、Z400FX(スーパーホークDの前の愛機)よりも良かったのが自身の体験。

 それはさておき、今回のNinja250Rだが、市場に受け入れられたら、当時のZ250FTの登場から3年後に登場したVT250Fのように、より本格的なモデルが登場するかもしれない。
 市場にフルカウルスポーツが売れる土壌があることにメーカーが注目するっていうのを、何よりも一番期待したいところ。当時のC250RS-Z~SRX250Fの再来を願って止まない今日この頃である。

 最近、Ninjaネタの記事で、CS250、グース、SDR、NZを引き合いに出したら、この辺のバイクは売れなかったから失敗だろ?って批評を頂いたんで、ならば、自分の理想で、当時、Z250FT以上に市場に受け入れられて、250ccクラスの必然性の上で成立したスポーツエントリーバイクであるCB250RS-Z、SRX250Fを引き合いに出して、Ninja250Rの次を期待するところ。

 実は別にNinjaのツインが嫌とかでなく、メインサイトに述べているように、エンジンは350ccまでならシングル、750ccクラスまでならツイン、マルチはそれ以上って偏屈思想を持っている。経験上、この組み合わせが楽しかったという理由故の話。
 昔話で悪いけど、250ccロードならシングルがベスト。CS250、NZ250、CBX250Sが三本指。次点でSRX250、CBX250RS、シングルで一番NGが実はGOOSE250だ。スーパーホーク前の愛機ツインは印象無いし、マルチも音ばっかり。で、400ccならツインだ。CB400D、GSX400Eで決まり。マルチはどれも走らない。敢えて言うならばVF400Fインテグラ、VFR400ZのV4、空冷機ならばGSX400FSインパルス。

 だから、再々言うような高回転シングルマニアでも、スポーツシングルマニアでもなく、250ccという排気量なら重量も軽く、車体もコンパクトに、振動も過激でないという実用要素を高いレベルで満たす事ができるのがシングルではないか?って思いが強い。
 排気量、タイプに拘わらず、エントリーユーザーが馴染む大きさっていうのが、過去の歴史からみても130kg台以下のモデルが多く、そういうモデルが簡単に作れる最大サイズが250ccクラスのシングルモデルでもある。それが先述のCBとかSRXだ。
 決してNinjaを悪くいうでなく、やはり150kgオーバーの車重は重いのである。男性、熟練者からすると小さいバイクだが、免許取り立て君からみると、150kgオーバーは重いのが現実。自分もタイムスリップして振り返ると、やはり150kgオーバーのモデルに最初接した時は立派だし大きいし重いと思った。大きさを感じなかったのは、昔ならばCB125Tくらいまでである。

 そういう訳で、来たれ!現代版の『CB250RS-ZSRX250F』ってところである。

 この二台も実は所有していたけど、どっちも面白かった。何よりも軽さが最高の武器であり、街中での扱いやすさはピカイチだった。
 今でも、シングルというだけなら、既存の空冷のレトロ系モデル、TW風のモデルと存在するけど、ブームとは無縁の普通のスポーツ風モデルが欲しいのだ。

 記憶を辿ると、超レアだけど、CBX250Sってのが実は結構嵌った機種。このエンジンはRFVCのSOHCの4バルブシングルであり、DOHCのクラブマン、CBX250RSより低スペックだけど、このCBX250Sは最高に扱いやすく面白い軽いバイク。このバイクは、その前に購入していた初代FTR250の乗り換えで買ったけど、FTR250の廃車時にFTR250の最大の特徴であるPJキャブをもぎ取って移植して乗っていた。
 このCBX250S+FTR用純正PJキャブは、これ、超最高であった。歯切れの良さは250ccシングル最強で、後に購入したCS250と一二を争う楽しさだった・・・・・・・・・・・・・・・・・・。脱線序でに脱線すると、角ライトのCB125JXに200用ピストンのハイコンプショートストロークの175cc仕様も作った(因みに、Z200用VMキャブを移植してた)けど、軽さと面白さで最強だったなぁ、、、、。燃費も良く、軽く、走りは最高。

 ダメだ、250クラスのエントリーバイクを考えたらシングルに為ってしまう。

 やっぱり、ライトウエイトなエントリーシングルスポーツを期待してしまう。贅沢は言わない。GP-MONOレプリカなんぞ要らないので、取り敢えず、レトロでない普通の軽量シングル出せ。

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バイクレッグって?

 バイクレッグって言葉がある。一般には、引き締まった無駄のない脚というか脹ら脛の事。
 更に、一般論的にはヨーロッパのロード競技の如く有酸素運動する選手の脚は引き締まっているって話。

 さて、この引き締まったという表現は絶対的に細いという意味に直結するのだろうか?というのが疑問の発端。使う程に筋肉が付く訳であり、実質、脂肪は落ちても鍛える程に太くなるのが現実ではないだろうか?

 自転車で脚を引き締めるという、意味の引き締めるを、細くするという言葉に置き換えた理解が広まっているようだが、少なくとも、細くするいうのであれば、絶対的に脂肪を落とすって事。
 更に更に、バイクレッグの対極論として競輪選手の脚が引き合いに出されるけど、あれとて、引き締まっており、筋肉がバリバリ付いた状態なだけであり、その対極論として筋肉が付く事を良しとしない価値観ならば、、、、、

 そう、自転車で脚を引き締めるというのは、脹ら脛に余分な筋肉を付けないということであり、脂肪を落とすって事。即ち、脹ら脛の脂肪を選択的に落とす事は出来ない訳であり、全身の脂肪を落とすということでもあり、結局は、局部的な疲労を伴うような運動とは異なる低負荷連続運動を行うということ。

 更に言えば、低負荷連続運動=筋肉強化しない=現有筋肉はそのままに脂肪減量ということであり、そういう身体が、ヨーロッパのロード競技選手の脚であるバイクレッグと等価となること自体がナンセンスである。

 実際、J-Sportsサイト等で見られるロード競技者の脹ら脛を見ると、メチャごつい。脂肪は無いけど、脚は太い。引き締まりながらも細くないのが現実だ。見ようによっては、カモシカのようだし、無駄なモノは付いていない引き締まり具合は判るけど、やっぱり細いとは言い難い気がする。
 で、競輪選手の場合は、これをベースに究極の短時間の速さを得るために筋肉の鎧を付けているようなモノ。

 結局、自転車競技者或いは、スポーツサイクルに乗って速さに価値観をおく人ならば、絶対的な動力を生み出すべく筋肉量が必須であり、脚が細いのは有り得ない。筋肉の鎧で武装した脹ら脛が必要で、その状態で脂肪が無い引き締まった具合でないとダメである。そして、その引き締まった無駄の無い状態こそが、バイクレッグっていうのでは無いだろうか?

 これは、morimoriさんのコメントに対応するものでなく、日曜午後のオ・モイヨWWで強烈な向かい風の中を走っている最中に見掛けた多くの失速ロードの姿を見ての話。
 殆どのロードは8kg程度の車重と思われる高級ブランドのロードバイクであり、100%の人がレーパン、レーシャツ、ビンディング・・・・って本格装備で、身体の線を恥ずかしげもなくバリバリ露出して走っていたのだが、抜く際に見ると、全員がフロントインナー、リアはローから2枚目、3枚目で超低ケイデンス。見た目が身体の線を思いっきり露出させているんで、脚の状態も一発で判るのだが、プヨプヨ系の人も居れば、確かに脂肪は無いけれど、絶対的に筋肉量不足とも思えるような人ばかり。身体の線を出すのが恥ずかしいって思える程なのは言い過ぎか?
 地元のスーパーで普段着+ピストって人(多分本職さん)を見掛けるけど、たまに普段着の隙間から見える強烈な脹ら脛が、そのポテンシャルを想像させるのとは100%反対の状態。
 そういえば、昨年、湯来温泉方面にサイクリングに出掛けた際にすれ違ったのがエアロメットにシングルのTT専用バイクで先頭交代しながら走ってる集団を見たけれど、この人達の脚の太さも驚異的で、ペダリングも高回転維持、速度にして60km/h近辺で走っていたようだが、少なくとも、そんな速度域に到達するには、相応の筋力が必要なのは間違いない筈でもある。

 思うに、最近川土手道路で見掛ける人達は、レーサーレプリカ装備、バイクでスポーツ志向で、速度追求なのかもしれないが、実際には、脂肪除去に留まるエアロバイク de ダイエット状態にしか見えない。

 この人達、結構鋭い視線で走られていたけど、ホントに速さを求めるなら、機材、装備の前に、フィジカルをアップグレードせんと意味無いような気がするところだ。

 バイクレッグの意味や定義は知らないけど、競技者を引き合いに出すならば、競技者の身体能力(持久力+瞬発力)が実現可能な最も効率良い状態こそバイクレッグであり、そこら辺の人の細さの定義と、競技者の無駄の無さによる細さの定義っていうのは、思いっきり違う筈である。
 この辺の太い細いって抽象的な区分と、速い遅いの実質的な能力は、どんな関係にあるのだろうか?もしかしたら、欧州で言うバイクレッグっていうのは、競技者の脚を言うのではなく、日常で自転車を活用する普通の人の脂肪の取れた脚の総称か?って言うのが素直な感想だ。

 案外、自分が無知で、細ければ細い程、有酸素運動能力が高くなり、速さを長時間得られるのだろうか?

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心拍数、血圧の変動

 日曜日は滅茶苦茶疲れた。自転車に乗りまくったのも、2時間に及ぶ裏山の雑草刈りも、はたまた、毎日やってるみっちり二時間の運動のせいか?とにかく、夜風呂に入って上がっても、甘いモノが欲しいし、全身の倦怠感が抜けない。

 明けて翌朝月曜日。目が覚めた瞬間から身体が重い。身体の局所が痛むというではなく、全体が重い感じ。出勤して始業時のラジオ体操、職場巡回・・・・身体が重すぎである。

 で、朝の定例が終わり、何時も通りに『健太郎』で血圧測定に向かうと、、、

 最高血圧が100、最低血圧が55、心拍数が53・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 この数値は、最高も最低も血圧が通常の-10~-20で、心拍数が通常の+5という状態。割合的に言えば、血圧値が-10%で心拍数が+10%という状態だ。普通には正常範囲だけど、毎日計って毎日目にする数値から見ると、結構違うのにビックリ。まぁ、いつもより血圧が低めなんで、その分、心拍数が上昇しているのは理解できるが、血圧が10%以上低く出るって事は、血管が拡張した状態になっているって事だ。

 血管が拡張した理由と、自分のコンディションを較べると、、、、

 先に書いたように、疲労蓄積で疲労がピークに達した感じ。疲労が蓄積すると血圧変動にどのような影響がでるのだろうか?

 色々とネット検索する範囲では、殆ど、血圧降下と疲労の関連は出てこない。たまに見掛けるのが慢性疲労で血圧が低下し気味になるという報告くらいで、多くは、血圧が高い事を問題視するような情報ばかりである。

 まぁ、大きく気にする必要もないのだろうけど、毎日血圧を測定すると、やはり血圧が変動している事が判るし、その変動の理由が何か?っていうのは興味が湧くところ。

 経験的に、休日にハードな運動というか生活を行って、翌朝疲労感が残っている時は、殆ど100%の確率で、通常より血圧は低くでるし、心拍数は高くなる。恐らく、なんらかの因果関係があるのだろうか?昼休み中に調べても納得できる答えに辿り着かない。

 そこで、一寸原点に立ち返って考えてみた。

 疲労=乳酸の蓄積、疲労の回復=蓄積された乳酸の血流による除去であり、疲労(乳酸)が溜まると血流量が増大する筈。そうしないと、疲労回復は出来ない筈で、人間誰にでも備わっている機能だろう。とすると、血流増大には機能反射的に血管が拡張する筈。血管が拡張すれば血圧は低下するけど、血流を維持するために心拍数が増大するという事か?
 自分の納得できる素人論法を組み上げると、こういうイメージだ。この想像が○か×か?は非常に興味深いところ。

 更に調べると、下記のようなサイトに到達した。

http://www.geocities.jp/miyadai0403/topin/at-study/st-con/strain.htm

 である。ここの『●起床時の心拍数』って項目で、疲労すると心拍数が高まるという話があるけど、上のような自分で立てた仮説もあながち間違いでは無いように思う。

 何にしろ、昨日の全身運動である裏山の雑草刈り作業×2時間っていうのは、相当にハードなんだろう。この作業以外はいつもの日曜日となんら変わる事無い訳であり、雑草刈り運動の二時間ってのが思いの外ハードということだ。
 そう言えば、年に3~4回程度行う雑草刈り、枝落とし作業では、全身で刃物を振り回し?枝落とし、雑草刈りを山深く迄入って行うけど、これは日常鍛えている筋肉以外もハードに使う分、結構疲れるのだが、恐らく、そういう事なんだろう。

 午後になって、少し疲労が和らいだような気がしたんで、血圧を測定すると、血圧は何時もの状態に近づいている。身体の機能っていうのは、実に上手い具合に出来ているものだと感心するばかりだが、このような、変化が体調に合わせた微妙な調整機構の賜だとすると、安易に、体調不良やダイエット等々のために、外部からの刺激(変な器具、サプリ、薬品)に依存し過ぎるのは、本来の敏感な調整能力を失わせるような気がするし、外部刺激無しでは調整出来ない身体になってしまいそうだ。

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2008年5月19日 (月)

自意識過剰か?

 最近、アクセス解析を見ると、自転車関連ページに広島から多数アクセスがある。ブログ、サイト共である。

 で、川土手を走っていると、結構、挑発を受けるような気もしないでもない。気のせいか?とも思うのだが、皆さん、エラク好戦的である。

 特に、普段着ピストに、安物折り畳みのロード風玩具だから、高級ロードの中では自分でも異彩を放っていると思う。
 自分で決めたというよりも、学生時代、自転車部時代以来のホームコースであるが、走っているのは、Discovery Channel、CSC、NOKO、瑞穂、KATZ、QuickStep、アンカー、ピナレロといったジャージに、自転車はTREK、コルナゴ、デローサ、ビアンキ、アンカー、キャノンデール、GIOS、クライン、ピナレロ、サーベロ・・・・といった高級車が多い多い。驚きの展示会場である。

 そんな中、既製品スペシャのラングスターとか、ナショナルのレ・マイヨWなんざ、少数派というより、自分しか居ないのだ。

 そういう状況で、皆さん、エラク気合い入れて追いすがってくるように思うところだが、こられも困るのが正直な所。来るなら最後まで付いてくれば良いのに、、、、殆どの場合が途中迄だ。(謙遜いれて、ここ二年で全数だが、、)

 ブログ見られてるのかなぁ?ってチョット思ったりするところ。

 こっちから挑発する事無いんだから、無理に追いすがられるのも息の音が聞こえるのは気が散るんで嫌だし、、、、抜く場合は、遠慮して広い所で信号無いところから側方間隔一杯で抜いて居るんだから、反応して欲しくないし、反応するなら最後まで反応すれば良いのにとも思う。途中で力尽きるなら辞めれ、、、、、

 休憩地点で話しかけられるのはOKだけど、走っている時は一人で自分の体内時計を相手に走りたいので邪魔はされたくないのである。

 今日の人(メインサイトの画像掲示板参照)は、あれでも、途中で離れてから折り返し地点で休憩している最中に、追いついて来られた際に謝意を表現する挨拶があったから良いようなものの、たまに、エライ形相で睨むバカも居る。そういう場合は、睨む前に鍛えれって思うのだ。

 ところで、今日の午後は往路は追い風、復路は強い向かい風だったのだが、個人的には強い向かい風が面白い。特にオ・モイヨWWのように変速機が付いているとローギヤー気味で走るので、短い距離でも沢山ペダリングできるのはお得な気分である。
 豪快な向かい風なら32km/h程度でもエラクしんどいし、それが気持ちいいし、結構長時間遊べる。向かい風、万歳である。

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20年前と今と、、、

 を較べてみる。っていうのも、土曜日のテレビで見た番組がNHKのBS2のタイムトラベル昭和39年を振り返るとか、CATVのヒストリーチャンネルで露木茂さんが司会を務める昭和回想で昭和48~50年を振り返るとか、、、昭和を振り返る番組を見たための事。

 で、自分の今といつを較べるか?って思った時に、較べるのならば20年前と今を較べるのが良いか?って思ったのである。その理由は、20年前の段階で、今と同じ事が許される環境にあったって言うのが一番だからである。

 特に健康、体調、生活・・・・について較べてみると、、、

 20年前といえば大学時代である。大学を卒業して大学院に進学するという時期。その頃は、酒は毎晩のように飲んで、煙草も快調に吸って、、、、勿論、単車中心の生活で、運動は?っていうと、自転車、水泳を辞めて何年か経った状態。当時の体重は68kgくらいだったと思う。
 そして、どんな生活をしていたか?っていうと、工学部ということもあり、下宿には殆ど戻らず研究室で寝泊まり、研究室では先輩、後輩から集まった状態で、実験の合間に酒盛りして人が集まるのが午後10時以降、宴は毎夜午前2時、3時は当たり前って生活。
 毎週火曜日が定例会?って名目で、仲の良い研究室で集まって、男の手料理パーティをしていたのもこの頃。午後7時から分担して料理して、夜遅く迄大宴会ってのが殆ど毎週の生活。月に一回は東広島から岩国の山賊迄、車に分乗して夜間~明け方のドライブっていうのもやっていた。
 そんな生活であり、相当に不健康な生活ながら、今考えると、夜中の2時、3時は当たり前に起きていたのが驚異的でもある。

 それに引き替え、今は?っていうと、水泳は既に暫く続けている状態だけど、自転車は復活にして2年程度、酒は止めて十数年、煙草は禁煙して一年近くって状態。体重は65~66kgくらい。
 生活は?っていうと、社会人で夜帰宅。毎日、同じ生活を繰り返しているのだが、生活の内容は別として、睡魔がやってくるのが午前零時を過ぎた頃。午前1時には目を開けておく事が不可能って状態。

 較べてみると、夜の強さが圧倒的に衰えている様子。夜が起きれなくなったのは、ここ数年で、特にダイエットを始めて以降の話。
 このダイエット生活と夜型生活っていうのは、連動する要素があるのかもしれない。

 体力的に衰えを感じる事もないし、体調不良も感じない。敢えて違いを述べるならば、ダイエットというか健康管理のために過激に運動しているが、結果、夜更かし不能で生活のリズムが一定となった生活をしているのが今。
 このダイエットリズムは夜更かしが出来ないリズムなだけなのだろうか?

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2008年5月18日 (日)

運動時の負荷

 身体を動かせばダイエットに効果的っていうのは、或る意味真実だが効果を明らかに得られるか否かというと、必ずしもそうでない。

 脂肪燃焼に有効な有酸素運動というと、自転車に限らず運動強度で60~70%の運動を継続して行った時という事は良く言われている。
 運動強度で70%というと、身体を無意識に動かすレベルとは異なり、心肺が活発に動き、血流が活発に動く状態。そういう状態で初めて脂肪燃焼が効果的に行われており、脂肪燃焼には酸素が必須だが、酸素は肺から取り込んで、血液を媒体として筋肉に送る訳であり、そう考えると、外部刺激でブルブルすることが有酸素運動と等価に為り得ないのは考えるまでもない事だ。

 さて、その運動強度60~70%を自分の運動で当て嵌まっているか?を考えると、最高心拍数は195bps、安静時心拍数が45bpsとして、ローラー台で200Wの負荷を回している時の心拍数が130bpsだが、その状態は(130-45)/(190-45)*100=85/145*100=58.2%であり、必ずしも効果的な状態でない事が判る。
 自分の場合、心拍数を最低でも140bps以上に上げないといけないのだが、この140bpsって状態にするには、相当に負荷を掛けないといけない。そういう状態では、1時間や2時間の継続運動は可能だが、少なくとも、汗は相当にかく訳だ。

 このように、ダイエットに効果的な有酸素運動とは、その人なりに相当な負荷を掛けないと、相応の運動強度は得られない訳であり、巷で言われている、楽して痩せる。外部刺激で脂肪燃焼ってモノの殆どが紛い物の領域を出ない事が容易に想像できる。

 有酸素運動=脂肪燃焼、燃焼ならば酸素が必要、酸素は肺から取り入れて、血液で運ぶという当然の論理を考えれば、心拍数が上がらないような筋肉振動で、脂肪燃焼が行える筈が無いのでは無いだろうか?

 昨日、水泳して思った事がそう言う事。だから、泳ぐ時もローラー台回す時も、運動強度が65%程度となるような状態を作って運動するのが時間を有効に使う事にも繋がる。

 水泳ならば3kmを60分っていうのが、そういうペースだし、ローラー台ならば250W負荷を掛け続ける事が該当する。 ダラダラと時間を掛けても低負荷ならば、時間ほどの効果は得られないのである。

 やっぱり、脂肪燃焼っていう言葉の燃焼って意味は酸素が必須というのは、当然の事なんだが、酸素は呼吸で取り入れる事であり、沢山の酸素を取り入れている事が実感出来る程に、脂肪が燃焼しているのである。当たり前の事が気付かない人が多いようだ。

 何故に、同じ様な記事を再掲載するか?っていうと、メインサイトの日記にも書いたけど、金魚運動のゆらゆらが最近再びネット通販で見掛けるようになり、そのフレーズが下半身運動によるダイエット効果・・・・ってあるのを見てからの話。
 別にユラユラに限っての話ではないが、EMSマシンとか、色んな器具があるけれど、どれも機械的に振動を加えて動かされているのが現実。此までも、こういった器具に否定的だったけど、今までの根拠は随意運動でないという意味合いからだが、今回再掲載したのは、燃焼=酸素必須=心拍数アップで血流アップが必須という三段論法からの話であり、それを記事にしたかったのである。諄いけど、脂肪=有機物であり、脂肪を燃焼するのはやっぱり、相応の酸素が必要だよなぁ、、、、。

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2008年5月17日 (土)

提灯記事

 単車、自転車のような広告収入で成り立つ雑紙の新車インプレッション、パーツインプレッション、或いは、製品や企業についての新聞記事、番組プログラムっていうのがある。

 そして、このような記事内容、放送内容っていうのは、殆どの場合で悪い事は書いていない場合が多い。言葉っていうのは、ホント言い回し、言い様で、逆の印象を伝える事ができる。

 そういう目で見ると、結構メディアには提灯記事が溢れているようだ。因みに、この提灯記事っていうのは、先のような広告主と雑紙のような関係で、悪く書けない場合の記事なんかが該当するところ。
 地方新聞、地方放送のみで取り上げられるような企業関連記事も結構似たような所かがある。

 ブログでも、結構バナーを入れている所があるけど、そう言ったところもサイトによっては色んな偏りがあるかもしれない。

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ペダリング、追記。

 先日の記事、普通のペダル推奨ネタでのペダリングについて質問メールが来て、判りにくいんで、追記することにした。(まぁ、思い付き文章、冗長文章なんで仕方ないけど、、、、)

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2008/05/post_71b2.html

に対する持論の補足。

 記事中で、足の裏とペダル面の抗力が最小っていうのは、言い換えれば、戻ってくるクランクに足の裏を介して脚の動きが抵抗にならない状態って意味。つまりは、抗力最小っていうのは触れるか、触れないかがベストって言う事。

 で、足とペダルの固定具(ハーフクリップ、トークリップ、ビンディング)とあるけれど、鍵は形状から見た足の拘束方向は、足の裏とペダル面を結合させるのではなく、足の裏とペダル面の前後方向の拘束が重視されているって事。
 つまり、クリップ類は足先がクリップの奥より前にずれない。また、クリートも足裏の溝とペダルプレートのエッジを嵌める事で、前後方向にずれない。そういう構造である。

 結局、足の裏がペダルと密着しているかどうか?って以前に、足の裏がペダルの踏み面に対して前後方向で拘束されているという事。
 これは即ち、前述の足を戻す際に抗力最小となった状態からクランク回転が前方に移動してトルクを伝え始める状態において、足の裏の動力を伝える箇所、拇指球がペダルスピンドル軸の真上に保たせる事を留意しての事。

 結局、クリップ、クリートの構造は、抗力が生まれた段階で、拇指球位置とペダルスピンドル軸位置の位置関係を保たせる事を最大の目的としている訳。

 何故に、保たせるか?っていうと、戻しの際には足の回転がクランク回転の抵抗とならない状態、つまり、半ば離れている状態に近いから、一寸した事で踏む位置がずれるのを防止するためだ。

 持論では、上手なペダリングっていうのは、そんな矯正固定具に頼らずとも、高回転が得られるペダリングの事で、戻しの際の抗力最小で回せる脚の使い方だと思っている。

 そう、引き脚っていうのは、ペダルを引き上げるのではなく、ペダルの戻りに対して完全に同期、同調した足の引き上げなのである。

 少なくとも、自分はそう理解して、そういう実践を行っている。

 更に言えば、ビンディングが無ければ高回転出来ないっていうのは嘘であり、高回転回せる人がビンディングを使えば戻り時に生まれる反力抵抗ロスが最小で踏み外しが防止出来るというのが真実。ビンディングが無ければ回せないっていうのは、戻り時に反力抵抗がクランクに伝わり動力をロスしているとも言える。

 まぁ、持論なんで正しいとも限らない。多くのサイト、雑紙とは正反対に近い意見だから、こんな意見に関心を持つ人は少ないかも知れないが、、、、

 なお、諄くなるけど、痛くないサドルっていうのも、硬く、狭いサドルだ。硬い程、動力ロスが少ないし、狭い程、脚回転にロスが無い。実際、ジーパンに堅サドルでも回るし、痛くない。そんなモノである。

 因み、最近のペダリングのブログ記事は、メインサイトの裏ページにおけるペダリング持論の内容の概要。そういうペダリングを身に付ける方法がメインサイトのAnother Worldにあるのだ。そこには、ペダリングにおける駆動トルクを最も有効に掛けるには、意識上の留意点は何処にするか?或いは、心拍とケイデンスをどうするか?と、偏屈論ばかりなんで、一般には公開するのは躊躇が入るようなモノばかりなり。そんな持論のオンパレードだが、そんな持論を自分で納得するための考え方がブログ記事だったりするのだ。まぁ、単車の偏屈論もそうだが、過度な偏屈論は非公開にする方が良いかもしれないなぁ、、、、。なんたって、ブログもサイトも備忘録だからなぁ、、、。

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好奇心=疑問探求心を失うのは何時?

 単車、自転車に限らず、日曜大工、育児、或いは、プログラミング、機械システム、材料技術的内容等々を含めての全ての分野において、なんていうか、新しいアイデアが閃く瞬間っていうのは最高に楽しい。
 そのアイデアが独力で考えたモノだったら尚更であり、これが他からコピーされたりすると更に最高だ。アイデアっていうのは、独りよがりでも全然OKだが、第三者を驚かせる事が出来る、そう、見た者にインパクトを与える事が出来れば、それこそ最高だ。

 逆に、如何に素晴らしいような者でも、盗作であったり、模倣であったりというのは後ろめたさ100倍であるし、毎日が変化の無い日常を只永遠に重ねて過ごすような精神的に起伏が無いようなのは最悪である。月曜が週初め、火曜、水曜・・・・で金曜週末で、土曜、日曜。そのリズムに変化なく、属する環境にインパクトを与えることなく粛々と過ごす。気が付けば、何を生み出すことなく、老いを重ねる。

 いつの間にか、そういう物事を考える事自体が出来なくなり、その決められた事を機械的に行うことしか出来なくなる。そういうのは、なんか楽しくない気がする。

 まぁ、色んな価値観があるんで、一方の言い分に対し、他方の言い分もあるだろうけど、只、ひたすらに、受動的な思想、例えば、仕事は教わるモノ。教わったモノ以上はしない。習ってない事は出来ずが当然。与えられた事のみを繰り返す事が美徳で、繰り返す事自体の意味よりも、繰り返す事自体しか見えないっていうのは、何か、組織の交換可能なパーツにしかなっていない。勿論、交換可能なパーツが急に無くなると困るけど、いくら交換しても、過去を繰り返すということしか出来ないのも真実。

やはり、革新は必要だが、革新とは、今迄見えてこなかった価値を見つける事であり、それは随所に潜んでいる発見が必要だ。新しいモノを見つける事を目的っていうのは、好奇心が全てであり、その好奇心こそが発見の原動力。好奇心があれば、守り的姿勢は生まれないし、問題を諦める事もない。

そういうのが自分の価値観である。そして、好奇心を保たせるような教育が大事なんだろう。

我が子の教育では、好奇心を保たせるというのを最大の目的としたいところ。

そういう視点で各世代を見つめると、、、、

幼稚園、小学校くらいまでは、みんな好奇心アリアリ。
小学校高学年~、徐々に好奇心の探求活動をするヤツが減る。
社会人~、逆に好奇心を追求するヤツが殆ど居ない。

そんな感じだが、どこに好奇心を失う、探求活動を辞める原因があるのだろうか?持った好奇心=疑問だが、その疑問が明らかになる時程楽しい瞬間は人生において無い筈だが、その探求活動をしなくなるのは、何時?何故?だろうか?これを、今後は調べていきたい所。

そう思うと、幅広い世代との交流が可能な受験産業に再参入してみたいような気もする。

ただ、人間っていうのは弱い生き物であり、ぬるま湯的な環境に浸かってしまい、労力の割に高給を得ると、安定志向という人として最低な価値観に引きずられる。その理由は、家庭環境、老後への不安、年金受給資格の逆算、純粋の自己評価と自信・・・・という別の要素を踏まえた、損得勘定をする訳だ。

ソコソコ良い成績評価、給与を得たとしても、より実践的に機動的に探求活動を行える環境の方が重要だというのは、頭では理解しても、実際に行動するっていうのは難しいもの。
今の関心事は、技術的に新しい発見を検証し第三者に提案するという事よりも、多くの人の事態から、疑問探求活動をしなくなるのは何時からか?何故か?を見極める事。

こういう風に関心事が変わったのは、恐らくは、自分の子供が生まれて育児を行う際に伝えるべきものは何か?を考えるようになったためだろうと思う。
自分の疑問を明らかにするには、実際の現場で各世代が、どういう価値観を持っているかを間近で見なければ判らないだろうから、そういう世界に強い関心を持っている所。

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2008年5月16日 (金)

ジュセリーノさん、再び!?

今回の四川省大地震だが、例のジュセリーノさんが激白したんだそうだ。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/145111/

 何でも、今回の地震を的確に予想し、中国政府に手紙で知らせていたのだそうだ。
更に、その予想を含む新著の中で、2008/9/13に中国トンキン湾か、海南島で地震が発生するという。そして、この地震は日本の東海地震かもしれない?ってそうだ。
 興味深いのは、2008/9/13に東海地震が発生した場合は、2018年の東海巨大地震は起きないそうだ。???????????ということは、2008年に地震が発生しなければ2018年に起きて、2008年に地震が起きれば2018年は地震が起きないということで、結局は、2008年は地震が起きるかも知れないし、起きないかも知れないということである。

 『う~ん』って感じが素直な印象。それでも、地震や災害が起こる度に、表題のジュセリーノさんの事を思い出してしまうけど、、、、、実際のところ、どうなんでしょうねぇ、、、、。

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理工系出身者を見て思う事。

 自転車でも、健康でも、単車でも、、、はたまた、自分の専門分野でも無い話。

 それは、自分と近い世代から若い世代の人の一部と自分の考え方の違いの話である。まぁ、世代だけで分けると、文系から理系、性別の違い等々で同じ考え方を持つ人っていうのが少ない方が当然なんで、もっとタイトな経歴に絞っての話。

 例えば、今は製造業に勤務しているが、自分の経歴は?というと、大学の理工系学部卒業で、製造業勤務。ということで、同じ製造業に勤務して、理工系学部を卒業して働いている連中で、自分と考え方が違う若い世代との話。

 自分は、自分以降の世代、特に、ここ数年ならば、面接もしているし、導入研修にも参加している。また、自分が新入社員に近い時でも、直近で入社した世代とは、それなりに話す機会があったのだが、その多くの理工系学部出身者は、話として、技術に拘り、研究開発に憧れて、、、、という人が多かったのだが、入社して数年が経過すると、殆ど全てが技術に拘りは持たず、自分で自分の限界を定め、自分が何かをやろうという意志を現す奴が居なくなる。

 挙げ句の果てには、会社で給料を貰うという行為で、その対価に拘る余りに、ひたすらに残業時間を稼ぐ事に注力したり、その残業行為=身を粉にして仕事をしている事として、身を削る状態に自己満足を覚えるかのような考え方をする奴が多い。

 身を粉にして働くという行為を美徳のある事とするというのは、何かが違うように思う。それも仕事かもしれないが、仮にも、入社段階でカッコイイ事を抜かす奴が、時間を重ねる事しか考えれなくなっているというのは、強い違和感を感じる。

 最初の意欲表明の段階で、技術開発なんてカッコイイ事を言いながら、ただただ繰り返し日常を重ねるだけに留まるのは、アリだろうか?開発って言葉は、単純な作業の中でも、新たな方法を生み出すという行為にも当て嵌まる筈。見た目、開発とは縁遠い作業であっても、日常行為を改める事は可能だが、そういう価値観に気付くことなく日常を重ねて、当初の価値観とは違う価値観で過ごしている現状に気付かずにいる奴らを見ると、何とも言えない気になる。

 自分も決して開発系職種に携わっている訳ではないが、常に、頭の中では目に見えるモノに独自性を加え新たな価値を生み出せないか?って事を考えている。その発想が、勤務先にとって有用で無い場合であっても、自身に自信が持てれば私財を投入しても、権利を主張し、それを拡げようと思っている。
 自分で考えたアイデアが自分以外の他人にも使われるというような事があれば、それは、勤務に属するか否かは関係無しに、技術系出身として一番嬉しい事である。

 少なくとも、他人に使われるかどうか以前に、自分自身で考えた事が、自分の発想で、自分の力で具体化出来た時というのは、自分が理工系である事を実感する時であり、理工系の人間としての楽しさが実感出来る時でもある。

 理工系出身の奴っていうのは、そういう部分があると自分は思うのだが、自身の勤務先の若い世代を見て、そういう自分で何かを生み出そうという意識を持つ奴っていうのが極めて少ないように思う。
 そういう奴は、何故か、他人が何しているか?それに対する批評ばかりしているように思う。

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地震被害者救済サイクリング

 チョット古いニュースだが、木曜日の地方新聞に表題の活動を行う人が紹介されていた。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200805140235.html

だが、地震といっても今の四川大地震でなく、スマトラ沖地震が対象だったそうだ。まぁ、出発が4月に沖縄からで、ゴールの北海道が7月なんで、企画段階では四川大地震は起きていない。

 内容的には、『へぇ~っ』って以上の話は無いのだが、視線が止まった理由は、このサイクリングを行う方の1人の名前が、アームストロングさんってところ。ということで、つい反応した訳だ。

 それはさておき、今回発生した四川省の大地震。時間の経過と共に被害が拡大している模様。チョット前はミャンマーでのサイクロン被害も甚大。被害者、被災者数は数百万人規模。被害の拡大要因は自然災害が一番だdが、ミャンマーの場合は、軍事政権下における様々な対応の不手際があったり、中国の場合は、報道全てを信用する訳にはいかないが、公共工事における腐敗で生じた『おから工事』での学校倒壊の多発等々があり、被害の拡大要因には、何れも人災的な要因を含んでいる。

 被害者救済、災害対策、災害予防・・・・とあるけれど、一番大切なのは、社会のモラルのようだ。メンツ、利権による判断の迷いがあれば、すべき事の優先順位が狂い、結果、被害が拡大する。

 これは、災害対策に対する国家の姿勢に限らず、日本国内で露わになっている様々な偽装、不適切な処置等々にも言える事。

 そう思うと、この被害者救済サイクリングってのも、集めた募金を救援先で、どのように活用するか?その辺をハッキリ、しっかりとしないと、結局は、募金活動を行ったり、それに募金した人の善意というのが、必要としている人に伝わらない事態になるのだろう。

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夜スナ

 『夜スナ』って何?っていうと、ダイエットの禁じ手だが、夜寝る前のスナック菓子の事。

 でも、風呂上がりにアイスクリーム食って、スナック菓子バリバリ食いながら、くだらない深夜バラエティーを見る生活っていうのも、これが、結構くつろげるのだ。

 実は、この怠けた生活も捨てがたいし、本能が欲求している。実は、この『夜スナ』生活は、一昨年くらいから続いているのだ。勿論、その体脂肪が溜まりやすい生活故に、よりハードに運動メニューを変えているのであるが、、、、

 菓子、甘いモノを代表にスナック類高カロリーなモノは、皆美味い。美味いのに任せて食うだけ生活するとブヨブヨになる。
 菓子だけでない。食事も、炭水化物、肉、魚、、、、ガンガン食ってます。

 で、今は食いたいから運動するってもの。

 実は他にも、様々なパーティ、歓送迎会、親睦会、最近なら花見・・・・と不定期というかイレギュラーに過剰に食事をする機会があるけれど、そういうのも大好きであり、断る事は殆ど無いのだが、そんなときも帰宅したら100%、定例の運動メニューを消化するのだ。
 更に、そのような歓楽街での飲みの後は、歓楽街から自宅迄の数キロは酔いが覚めてしまうけど、実は早歩きで歩いて帰るのである。帰宅して汗をしっかりかいた状態から、引き続き、サーキットトレーニング、ローラー台とメニューを消化して、その後入浴、就寝というスケジュール。

 飲み会も、夜スナも辞めれない。しかし、そうやって欲望を満たしながら元気を保つためには、決めた運動は欠かせない。そんなモノである。

 結局は、身体コンディションを変化させないためには、摂取と消費の平衡を保つ事。物質収支を考えた生活を行う。これこそが、重要。
 沢山食って、沢山動くのをバカだという人もいる。勿論、動かず、食わずでも平衡は保てる。

 しかし、大事なのは大量消費、大量摂取ってスタイルは、代謝性能が高まるってこと。新陳代謝を活発に保ち、収支の平衡性を保つ。これが、生活が楽しくなる秘訣でもある。

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ジロ・で・ダイエット

 自転車ロードレースシーズン到来である。
 5月のジロ、7月のツール、9月のブエルタ・・・・という三大クラッシックをメインに、各地でレースが展開される。

 で、その模様はJ-Sportsテレビで中継放送される。J-Sports1、J-Sports2、J-SportsPlusの3チャンネルで日本時間でいうと午後10時から翌午前1時の間である。

 その時間帯、自分はローラー台を回している事が多いのだが、その間は、そばにテレビがあるんで、いつもテレビを見ながら行っている。勿論、テレビだけでは退屈なんで自家製のブックスタンドもセットして、雑紙をめくりながらも出来るようにしている。
 当然、暑いのでリモコン式扇風機も用い、トレーニングルームの窓は全開で行っている。

 そんな運動風景だが、ニュース的にも大したネタが無い場合は、ドラマ、バラエティーを見たり、見るモノが無ければ雑紙を読みながらってパターンだ。

 すると、基本はケイデンス100+αrpmで、35km/h、200~250Wで一時間なんだが、番組内容によって積算距離が伸びたり、減ったりする。

 どんな番組で一番距離が伸びるか?負荷を多くできるか?っていうと、これまた笑える話だが、大体自転車ロードレースを観戦しながら漕いでいる時。

 そう、今が丁度、ジロ・デ・イタリアを中継しているんで、その映像を見ながらローラー台を回すと、アベレージも高くなるし、上がりすぎる回転を抑えるのに負荷を多く掛けても苦にならないのである。まるで、やくざ映画を見終わった観客が肩で風きりながら出てくるみたいなもんか?我ながらアホである。

 という訳で、まさしくジロ・で・ダイエットって状態である。

 この自転車ロードレースシーズンをダイエットに旨い具合に、利用したいところ。ダイエットは基本は完了しているんだけど、最近、一日中腹減るし、何時も何か食いたいのだが、食っても維持するには、フィットネスの密度を上げるのが大事。よって、ローラー台でもキッチリ負荷かけて心拍数を追い込んでやるように意識すれば、当然、その分、食っても大丈夫って事。

 話がそれるけど、サーキットトレーニングでのベンチプレス、フルボトムスクワットでは、フルストローク時点(ベンチならリフトアップの状態、スクワットなら全屈状態)で0.5~1秒程度の保持を入れているけど、そうする事で所要時間は2割程度増えるけど、負荷の掛かり方は飛躍的に増大する。

 せっかく時間を使って動くのだから、その時間を無駄にしないように、効果を得るには何が必要か?をよく考えて運動して、しっかり食おうと思うのである。

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2008年5月15日 (木)

記事更新タイミング

 当ブログの記事アップは、日付が変わる午前零時に更新予約してある。
 記事は、大抵は昼休み、夕食後、運動後、後は休日にまとめて書いているけど、書きためた記事を、適当に分割して2~3記事程アップするようにしてある。

 だから、若干タイムリーから外れた記事もある。

 最近は、結構なアクセス数になっているけど、折角だから更新される時期を告知しておくのも悪くないか?と思った次第だ。

 この記事は当日の昼休み中に書いているけど、アクセス数が多いのが昼だから敢えてこの時間にアップしてみたりした。

 ところで、掲載予約だけど、例えば午前零時に指定しても反映されるのには少々時間が掛かるみたいだ。

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トップライダー

 って言っても、南海の単車用皮つなぎのブランドではなく、自転車ロード競技選手の話。

 今、ジロ・デ・イタリアが開催中で、毎夜、ローラー台回しながら観戦しているのだが、四日目の映像でのビックリ。

 長い高架橋から一気に下る終盤のコースでの映像だったのだが、このコースの高架橋部分で集団は50~55km/hで巡航。そして、高架橋を渡って山を駆け下りるダウンヒルでは70km/hに迫る速度で一気に駆け下りる。

 見ていて鳥肌モノである。

 較べちゃいけないけど、集団でも50~55km/hで走り続けれるのは驚愕だ。先週日曜の5/11の話だけど、オ・モイヨWW号で定例のコースを走行した際に、追い風に乗って50~55km/hで数キロ走ったけど、数キロが限界。プロは、そんな速度でずっと走る訳だ、、、、凄すぎだ。

 走っている姿も余裕アリアリ。で、体型が凄いよ、この人達は、、、、、特にスプリンター系の選手の脚、脹ら脛の太さは尋常ではない。
 誰が言ったか?バイクレッグが細いなんて話、、、、脚が長いから細く見えるのかもしれないが、自転車の乗車風景で飛び込んでくる脹ら脛の太さは、どの選手も強烈だ。

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受け売り爺さん

 訳判らないタイトルかもしれない。
 っていうのは、最近は自転車ブームということもあり、自転車、特にスポーツサイクルが人気の的だ。そして、スポーツサイクル=速いという先入観からか、結構、速さに拘る人が多い。

 そんな中、HOW TO本、或いは、色んな技術論を見掛ける事がある。まぁ、どんな方法でも良いのだが、氾濫する情報を見ると、各自で自分の主張っていうのはよく見るけど、それに対して、これまたよく見るのが、他人の否定って言うやつだ。

 一番目にするのは、著名な自転車競技者だった今中氏の理論と、その否定論者である。まぁ、詳しい事は言えないが、一方が他方を(殆どの場合、ショップ経営者が今中氏を)否定したり、批判したりっていうのは、良く聞いたりするのだが、何故に、否定する側は否定するのか?を追求すると、その根拠が見えない時も少なくない。

 否定するならば、否定に見合う根拠と論理の展開を元に、持論との対比を明確にすべきではないだろうか?って思うのだ。
 単純に速くなりたいという憧れを持つ素人から見ると、氾濫する情報の何を選ぶか?の選択においては、選択しようが無い状態に陥って、迷いのパラドックス、或いは、矛盾する組合せに走るって状態にも為りかねない。

 少なくとも、論理を展開し、特に、他の論理を否定するならば、それに見合った根拠も合わせて述べるべきだし、少なくとも、論理を展開するならば、論ずる者自身が、持論を実感できるような行為を実体験しなければ空論に終わるんでは無いだろうか?

 雑紙の編集者にしろ、ネット管理人にしろ、ショップ経営者にしろ、誰であっても、仮に他人に影響力を与えるような意見を述べるのであれば、述べる事自体は、実体験に基づいた事実を伝えて欲しいのである。受け売りであったり、他人の伝聞であったり、、、、或いは、空想であったりと、実体験に基づかない言葉というのは、その空虚さが見抜ける人からすれば淘汰の対象で気にならない戯言と処理されるだろうけど、何も判らない子羊のような人から見れば、単純に凄い!って関心するだけである。

 所詮、ネットや雑紙、ショップ経営である。そんな世界で展開される持論自体は正しい必要は無いけれど、論理の正誤以前に、その論理が展開する者自身の言葉かどうか?っていうのは重要ではないだろうか?
 思うに、主張したい論理というのがあったとすれば、それは論ずる者の体験に基づく論理であり、その言葉は、論ずる者なりに構築した論理に基づいている。少なくとも、私のサイトでは、

『持論』=『自分の実体験から得た感覚』=『自分で納得できる論理的整合性』

を重視しているつもりだし、最近の記事であるペダリングネタサドルネタも一般論とは異なるかもしれないが、持論、経験、論理的整合性をセットで記事にしているつもりである。

将来、実体験出来ずに、体裁だけで情報を記事にするようになってしまったとすれば、表題の如く、『爺さん』になってしまうかもしれない。

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2008年5月14日 (水)

最新型ベアリング、発想中、、、。

 ということで、従来に無い構造と考え方を持つジャーナルベアリングを検討中である。
 今、自分が携わったベアリングは、耐摩耗性と固体摺動性を高め、破壊形態を制御する構造の摺動システムだが、それでもなお限界がある。
 具体的には言えないけれど、それは最近記事にしてきた回転軸側摺動材ではなく、回転軸を支える軸受側摺動材の構造に起因する限界である。

 現在、採用しているのは独自開発のセラミックス摺動部材をタイル状にして摺動面を形成させるタイプであり、摺動部材を複数用いている。そして、その摺動部材単体は特殊配合した緩衝材上に埋め込んでいるのだが、この構造は多くのメリットを有する反面、一般のジャーナル軸受けの論理から考えると論理的に正論では無い要素を多分に含んでいる。その論理的矛盾を抱えた形状上の問題によって、無潤滑摺動時における発熱運転下においては、軸受け側内径寸法が収縮するというのが大きな問題点となっている。

 この問題を解決するには、発熱運転下においても、軸受け内径寸法が拡大する構造に変更し、更には、流体潤滑の論理前提を完全に満たす形状を実現する必要がある。

 従来、論理的な矛盾を解消しようとすれば、実用上の問題点を生むというジレンマを抱えていたが、この度、論理的な矛盾を解消し、更に、実用上の問題点も発生しない構造の案が見つかったので、これを試作することにした。頭の中では『マシンガンベアリング』?って感じだ、、、。

 具体的な内容は記載出来るはずも無いが、このように、何かを考えて、ひらめく一瞬というのが、人生において非常に楽しい瞬間である。
 更には、そのような閃きを具現化した上で、発想段階の想定通りに物事が機能することが見る事が出来れば、それは何事にも代え難い喜びを得るように思う。

 そう、楽しい事というのは、誰も思い付かなかった事を発想し、そのイマジネーションが現実に機能する事を目の当たりにした時である。
 逆に、既存の形態を繰り返し行う作業っていうのは、脳が完全に休眠モードになってしまうのである。

 小さな発想から、大きな技術迄、オリジナリティーを発揮するというのが最大の楽しみである。
 この記事のカテゴリーが技術という事で、技術面で体験した楽しかった記憶というのは、素材開発において、従来手法とは全く異なる反応を用いて焼結を促進させる物質を見つけた時、そうやって得た焼結体の強度を飛躍的に高める酸化物粉末を見つけた時、更には、最近迄行っていた、耐摩耗性と無潤滑摺動性を両立し、硬いけど絶対に割れないという材料を開発した時が該当する。

 技術に限らず、自転車の改造でも、例えば、レ・マイヨWのように普通では搭載不可能なFメカを完全手作り台座で実現した事なんかは、結構満足度が高いもの。
 似たような事でも、人とは違う、自分の力と発想で何かを作るって時こそが最高である。

 二番煎じ、他人の褌で相撲を取る、猿まね、ルーティーンワーク、、、、必要な事だが、出来ない事だ。

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普通のペダルとペダリング

 最近は、スポーツサイクルといえばビンディングみたいである。専用の金具が装着されたペダルとシューズを併せて使用する。まぁ、スキーのビンディングみたいなイメージで差し支えないモノ。

 しかし、このビンディングシステムっていうのは、どうも昔の自転車乗りである自分には抵抗感がアリアリである。確かに効果はあるんだろうし、性能も悪くないんだろうけど、、、、

 で、自分が選んでいるのは、クリートを打ち付けない形でトークリップ、ストラップで固定する方法である。
 この方法では、靴は普段の靴でOKであり、自転車を降りたら普通の靴である。

 ビンディングに対するメリットというと、自転車を降りた時の状態である。金具付きの靴では、歩く事は全くといって良い程無視気味。デメリットというと、靴の底面とペダルの位置関係がビンディング程固定されていない事。勿論、クリートを付ければクリップ&ストラップでもガッチリいけるけど、クリート打ったら靴は専用になる。

 クリップ&ストラップという構成はクリート無しでも靴底形状に少々の注意を払っておけば固定力は十分だし、気合い入れる時はストラップを強く縛り、街乗りでは緩めておけば外すのも楽々。それに、クリップ&ストラップで未使用時にはひっくり返った状態をペダルスピン(蹴返し)を上手く使って一発で足を入れるっていうのが、なんか好きなのである。

 さて、そういうのは普通のペダルではないのだが、今回のタイトルは普通のペダルの話。自分的にビンディングは無いので、スポーツバイクではクリップ&ストラップという仕様。で、ラングスターにはトラックペダルを使い、西DAHON、オ・モイヨWWではクイルタイプのロードペダルを使っているのだが、所謂、普通の街乗り自転車ではクリップもストラップも使わない。となると、両面踏みのペダルである。

 そんな両面踏みのペダルでお気に入りなのが、三ヶ島のプロムナードである。プロムナードペダルは非常にシンプルであり、靴底面に対して板状のペダルプレートの端面が垂直な状態となる。ただそれだけなのだが、靴底がテニスシューズのようにフラットでない限りは結構な食いつきである。トレックシューズ或いは、ジョギングシューズのように靴底に凹凸がデザインしてあれば、まずは足がずれる事無い。特にジョギングシューズの場合は、靴底が前後方向に湾曲しやすいように靴底にスリット上の溝が掘ってあるのがあるけど、そういう靴と合わせればスリット溝とペダルプレートがまるでクリートのように嵌り良い具合である。

 因みに愛用の靴はDUNLOPのMAXRUNってシューズ。靴底にスリット上の溝が切ってあり、まるでクリートの如くペダルにフィットする。

 今、ルイガノMVFには三ヶ島プロムナードを使い、531ロードにもシルバンプロムナードを使っている。この伝統的なデザインのペダルは結構イイ感じだ。
 三ヶ島プロムナードは、最近流行のミニベロにも似合うデザインで超軽量。シルバンプロムナードは絶版だが、同じようなデザインでシルバンストリームっていうのが最近発売されており、これは結構オススメだ。同系のシルバンツーリングも悪くないし、ツーリングライトもイイ感じ。
 因みに、ロードペダル、トラックペダルのように片面踏みのペダルはクリップを付けないなら選べない。

 固定シングルに乗る場合は、ストラップが無いと心許ないが、普通のフリー仕様の自転車なら伝統的なプロムナードペダルがオススメ。

 なんで、普通のペダルの事を書くか?っていうと、ビンディング派、ストラップ派の多くは引き脚って言葉を良く使う。でも、脚を引く力なんぞたかが知れているのが現実だし、自転車のポジション出しで重要なのは、クランク水平位置でペダルを最大の力で踏み込める位置で調整する事。
 そう、ペダルは踏む時のことが最重要である。クランクが上死点、下死点位置では、ペダル回転の接戦方向に力を加えない限りは回転力は生まれないけど、上死点、下死点、クランクを回転させるようなポジションセッティングをしている訳ではない。ましてや、引き脚でパワーを補えるようにセットする訳でもないし、引き脚に体力ば分配する余り、反対の足の踏む力が疎かになるようでは本末転倒だ。引き脚っていうのは踏む脚による回転力を阻害させない無抵抗状態となるように脚をフリーにする事では?って考えている。

 大事なのは踏む時に上手い具合に踏めるかどうか?であり、引き脚なんぞは二の次でも良いと思うのである。個人的な感想では、自転車で連続運動が可能なのは、力のピークを加えるのが連続でなく断続であるといのも一つの理由と思っている。断続故に、続けれる。そういうものである。断続故に、ペダル回転の最高の効率点でしっかりトルクが掛けれるのが重要であり、クランク水平位置以外では、力を溜めて最高効率点で最大パワーが掛けれるように踏むのが良いのでは?っていうのが私の考えである。
 具体的には、ペダルを回す事に神経質になっているのではなく、水平位置でしっかり踏めるように、上死点から水平までは下向きの力を徐々に増加させる事に留意し、下死点前後では、脚を戻す時にペダルと靴底が離れない程度の抗力を残しつつ、クランクが戻る道程の抵抗を最小に保ち、脚自体の軌跡は最短で戻しているだけである。

 そう、抗力最小っていうと、ペダルと足の裏が触れているだけの状態で、それで位置がずれないように、伝統的なペダルはペダルプレートのエッジが靴底に食い込むデザインであり、載せているだけで足がペダルの前後方向にずれにくい構造となっているのである。
 実際、昔はシューズにクリートを打ち付けていたけど、それはペダルプレートのエッジに嵌る溝を靴の裏に装着していただけで、ストラップで縛る事で靴が前後方向に動かないのである。だから、昔結構流行っていたハーフクリップというのは、足が前後方向にずれるのを軽く支える意味であり、決して引っ張り上げるための道具ではないのである。
 だから、ペダルを踏んでいない状況では、脚を畳みながら、ペダルの面と脚の裏が動かない程度の留意で良いのでは?っていうのが持論だ。

 実際、そういう気持ちで乗っていると、両面踏みでも170rpm以上回す事も可能だし、110rpm以上を連続で回し続ける事も可能だ。
 自分にとってのクリップ&ストラップっていうのは、そういう高回転状態でペダリングしている際に、路面の外乱等を受けた時に足がペダルから離れる事を嫌うのと、固定シングルで足が浮くと恐い事になるのを防ぐためである。

 引き脚を意識するのは、相当な勾配を上る時に、そう言えば引いているような気がしないでもない。少なくとも高速回転時には意識しないのである。

 そういう意味で、普通に乗るなら両面踏みのプロムナードペダルがオススメであり、足の固定は、そういう矯正器具(ビンディング)無しでも回せるようになって使う方が筋が通っているようにも思うのである。逆に、矯正器具が無いと高回転が維持出来ないのは、根本的に漕ぎ方が間違っている。器具の御陰で脚がペダルに付いている事が実感できるとすれば、それは、引き側のクランク回転に対して脚がエンブレ的な抵抗となっているに他ならないと思うのだ。

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タスポ導入で禁煙は如何?

 煙草の自販機で成人識別が導入された。そのためには、タスポっていう成人識別のICカードが必要で、これが無いと煙草が買えない。

 この制度導入により、煙草販売機を設置して生計を営む個人商店では煙草の売り上げが激減しているという。その反面、対面販売が基本のコンビニでは煙草の売り上げが急増しているのだそうだ。

 ただ、この制度を機会に禁煙を志す人も居る。カードの手続き自体は無料だけど、結局は、煙草屋に対して、『俺は愛煙家です!』って宣言してカードを入手する訳であり、その事自体を快く思わない人も居る訳であり、それをする程ならば、禁煙するって人も居る。
 少なくとも、身の回りには何人か居て、禁煙開始している人が居るのだ。

 自分自身、禁煙して290日になるけど、今回の禁煙前に、何度か禁煙しようか?って気持ちが芽生えた事がある。
 そして、禁煙のタイミングを何時にするか?って考えていたのを振り返ると、、、、

1.煙草の値上げが進んで1000円で2箱が買えなくなった時
2.成人識別制度が導入した時
3.公共空間で喫煙可能な場所が激しく制限された時

 って風に考えていた事がある。煙草の値上げは、金額自体でなく、値上げの頻度から考えて、取れるところから巻き上げろ的思想が不愉快であり、成人識別に際しては愛煙家データベースに登録される事自体が不愉快等々の理由で、上述のようなタイミングで喫煙しようかな?と考えていたのも事実。

 で、今回のタスポ導入で、やはり禁煙を志す人も居るようで、愛煙家の心理には、禁煙したいという気持ちを持つ人が少なからず存在し、その禁煙の切っ掛けの一つになっているようだ。

 考えてみると、自分自身の生活を振り返ると、、、、

最後にパチンコ屋に入ったのが21歳、学生時代に飲み屋関係でバイトしつつ、下宿では毎晩晩酌していたのだが、歓送迎会以外で酒を飲まなくなったのが29歳、、、、、で、今は煙草も止めてしまった。賭け事、酒、煙草と遠ざかっている毎日。しかし、逆に甘いモノが大好き?で、アイスクリーム、ショートケーキ・・・・この辺は辞めれそうにない。

 そう考えると、肥満の要素がタップリ詰まったライフスタイルでもあったりする。

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水着、何着るの?

 先週、某素材メーカー(トライアスロン用スイムスーツ用素材等々)が開発した新素材の話を記事にした。

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2008/05/post_ec9f.html

だが、期限が5/30と迫る中、相変わらずグダグダみたいである。
事の発端は、今年出た世界新記録で18記録中17名がスピード社の『レーザーレーサー』って水着を着用しているという事実である。

確かに、競泳用の水着の開発は前回オリンピック後から継続して行われて、その結果生まれたのが、今の協賛国内三社の水着なんだろうけど、結果的に、契約上着用可能な水着ではレーザーレーサーに勝ち目が無いという事実。

それに対して、山本化学という表題のメーカーの新素材を、時間的な理由か?或いは、企業のプライドか?は知らないけど、当初は国内産メーカーは門前払いしたというのが先週の記事。

で、その後は、山本化学から生地の提供を受けて重い腰を上げたといのが今。しかし、今は5/15ということ。前回の生地ネタは連休中の話で、ウダウダと10日過ぎている。
しかし、期限は5/30という状況で、かなり切羽詰まっている感じ。

水着の開発を行うなら行うで、企業が取り組めばよいけど、オリンピックっていうのは競技であり、選手が主人公っていうのは、如何にオリンピックの商業化が進んだとはいえ不変の筈。
原則論で考えれば、協賛企業は協賛であって、強制すべきでないし、選手をまとめる団体も、全ては選手が気持ちよく戦える環境を提供するのが仕事の筈。
しからば、今の話が話題のニュースになる事自体がナンセンスだ。選手が冷静な判断で、自分の着たい水着を着用すれば良いだけの単純な話に見えるのは、間違いだろうか?

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2008年5月13日 (火)

Kawasaki Quarter を回想する。

 この度、EX250K8Fのインプレを書かずには居られずにインプレ書いたら、予想通り、反論あった。
 まぁ、そうだろうなぁ、、、、注目度の高い単車だし、、、、、

 自分自身、かなり期待していたのは事実。っていうのも、貧乏学生時代は250ccを数多く乗ってきたのだが、そんな中ではKawaの250ccには結構苦労したのである。

 で、順不動でKawaの4ストの250cc回想録。

1.Z200
 これは、セルキック併用タイプの200ccで最小のZである。機械式ディスクにスポークホイールで今ならSRの小型みたいなバイク。
 初期型は小豆色だったけど、自分が飼ったのは黒メタにグリーンの細いラインのモデルだ。このバイク、見た目に反して結構活発。キャブがVMタイプが用いられていたのが理由か?排気音は歯切れ良く、街乗り走行では実に心地良いモデル。
 採点すれば80点

2.Z250FS 初期型
 これは上記Z200の後継モデルで、同時期のシングルのZ250LTDと姉妹車。キャストホイールながらWカムのドラムブレーキってのが特徴。Z200の排気量を拡大して250ccとなったモデルだが、このピストンはZ1000と共通部品。初期型のエンジンは、初期のKL250と同じものだが、これはセルオンリー。初期のKL250のエンジン同様に246ccだったと思う。
 最大の弱点は、長期使用でシリンダー内のスリーブが踊る事。こんなのは初めて見た。他には、夜中にタペットカバーのネジが外れ足下オイルまみれになったり、ロッカーアームのアジャストボルトのロックナットが緩んで全く走らなくなったりと振動に纏わる苦労が多かった。
 でも、排気音、レスポンスともに良好で、通学に大活躍。
 採点すれば75点

3.Z250FS 後期型
 これは上記の後期モデルで外観上は差異は殆ど皆無。排気量は249ccに拡大されており、最大の違いはバランサー内蔵ということ。弱点は、、、、そうワンウェイクラッチが弱く、頻繁に交換した印象。これはお気に入りで青メタ、茶メタの二台所有していた。このモデルではスリーブ踊りは無かった。改善されたのか?
 排気音、レスポンスともに良好。さらに、振動もバランサーの効果か大幅に減少。
 採点すれば85点

4.CS250
 これは社会人になった後に買ったモデル。水冷ツインカム4バルブのKL250Rのエンジンを搭載したコミューターでヤマハのSRXのライバルか?メーターパネルは白文字パネルだが、よく見れば最終のAR125Sと同じパネルケース。細身のシルバーフレームに細身の外観が結構渋い。ホイールはGPZ400Fと似たキャストで、フロントは16インチだ。
 エンジンは、下では活発、吹け上がりも速く、上も回る。振動も少なく、排気音は心地よい。自分的には250シングルではNZ250に継ぐデキの良さ。トータルではナンバーワンだ。
 グースなんぞ目じゃない。しかし、ビッグエンドのベアリングが砕けて廃車なのが残念。
 因みに、赤いモデル、ガンメタのモデルと二台乗った。
 スペックを思い出せば、118kgの車重に34PSで2.5kg・mというエンジン性能。グースと較べてみると30kg軽い。シングルで非力なエンジンだけど回しても熱ダレしにくいのは理に適った水冷仕様だ。
 採点すれば90点

5.Z250FT 最終モデル
 前期モデルは、ポイント点火の丸ライト。でもカラーリングがZ750FXっぽく渋い。買ったのは最終モデルのハロゲン角ライトでフルトランジスタ点火のモデル。前期はエンジンのシリンダより上が黒。後期はクラッチケース等々も真っ黒。サスもフロントがセミエアになっていた。外観はシルバータンクに格好悪いラインで見た目今一、人気無しのモデル。コミューターというよりもZ250FTの生い立ちは250cc専用設計の奔りのモデルでありスポーツモデルの筈。しかし、バンク角浅すぎでセンタースタンドが直ぐ擦る。強引に寝かすと、スタンドを支点にリアタイヤが浮き、スタンドで地面を豪快に滑る。怖いバイク。
 回るエンジンだけど、力無い。回すと、メカノイズが増える。増えたメカノイズはその後消えない。オイル漏れも結構酷い。更にNGなのは洗車すると点火ユニットに水が入り始動不能に陥る。そんなモデル。カワサキ乗りに拘っていた時代に選んだモデルだけど、良い印象が無い。最初は、このFTだけの欠点か?って思った。
 採点すれば45点

6.GPZ305
 知る人ぞ知る、輸出専用機で空冷GPZ250の305ccバージョン。でもパワーは初期型VT250Fにも劣る。高回転運転に弱い。一度、ハイアベレージのワインディングツーリングに使ったら、カムが終わった。オイルメンテは頻繁にやっていたのだが、車体の性格と使い方がマッチしていなかったみたい。Z250FTの弱点がそのまま残っている。カワサキツインの悪印象が確定的に、、、、。
 その後、修理して直ぐ売った。その後に来たのがフリーウエーの250だ
 採点すれば45点。

7.GPZ250R
 これはEX250Kのエンジンベースを初搭載のモデル。着せ替え外装でカジュアル狙いのバイクだったみたいだが、デザイン上、世間の評判は悪かったようだ。しかし、個人的には結構好き。特にホイールデザインは未だに好きだ。太めの中空3本スポークで16インチの足回り。密かにAR125に流用したいと思っている。
 エンジンは、その後のGPX、ZZRと引き継がれたようだが、このGPZが一番元気に感じたもの。メカノイズは派手だが、キチンと上迄回るしパワーもある。街乗りで使うにはコンパクトな車体。その後のモデルではアイシングによる不調が報告されているが、自分が乗っていたGPZに関しては、その問題は無かった。ガサツなエンジンだったけど、カワサキツインの弱点は空冷車のみか?と思った。
 採点すれば75点

8.GPX250R
 GPZ250Rが良かったので、安価ということもあり乗り換えてみた。まぁ、当時のGPX400/750の弟分なのだろうか?GPZ250Rからの進化は感じない。寧ろ、少々パワーダウンした感じを受けた。それなりに走るけど、このモデルから車体の重さを感じるようになった。カウルの関係か、メカノイズがメットの中に聞こえやすくなったのかも知れない。GPZ250Rと同じエンジンの筈なのに、回して乗るとメカノイズが増えまくり、、、、オイルも結構にじみ気味、、、、やっぱり、カワサキツインは、、、、
 あんまり印象に残っていないのは、購入してから直ぐ手放したから。
 ところで、GPXをスーパースポーツと定義する人も居るけど、やっぱり違うというのが印象。
 採点すれば65点

9.四気筒車
 マルチエンジン車はオーナー経験は無い。乗った事はあっても、買う迄到らなかったのが理由。高回転仕様でスムーズなのは間違いないし、日常で超高回転を楽しむのが好きな人には最適化?
 個人的には、モッサリ感の方が顕著に感じた。レスポンス不足である。マルチよりツインの方が好み。しかし、250cc程度の排気量ではツインもモッサリ。350cc程度迄はシングルエンジンが面白い。馬力無くても楽しい。CSに限らず他社のSRX、CBX、NZ~グース、皆面白い。シングルスポーツCS250は、排気量拡大して見ても唯一の国産シングルで水冷車。でも遅くない。シングルで低回転も面白いし、上までしっかり使えるのは最高だった。

 カワサキの4スト250は、上級スポーツをモチーフにしたエントリーバイクっていうのが基本。そういう定義に当て嵌まらず、上級モデルをモチーフにしない250、250ならでは世界を持っていたのはCS250だと思う。振り返ると、やっぱり、軽く、小さく、活発なCS250が面白かったし、街乗りにも便利だった。出物があれば欲しいくらい。少なくとも、グース250よりは活けている。

 今回、EX250K8Fが結構話題と注目を集めている。頂いたコメントへのレスにも書いたけど、カワサキ250ツインは、時のフラッグシップをモチーフにしている。Z1000MkⅡとZ250FT、GPZ1100とGPZ250、GPZ1000RXとGPX250R、ZZR1100とZZR250のように、、、その流儀から言うと、本来ならばZZR1400をモチーフの筈だが、今回はZX-10Rがモチーフ。型式呼称からEX250Kが、250ツインの伝統に従ったキャラを持っている事は容易に想像できるけど、パッと見の印象はSS系のZX-10Rのインパクトが強すぎであり、カワサキ流儀よりもスポーティ?って思わせるモノ。そういう先入観で接すると、肩すかしを食らった感覚となるのは事実では無いだろうか?
 自分自身、あの原色系ライムグリーンとレーサーモデルの展示、ネーミングから騙された意識を持っている。こんな筈じゃないのに、、、、。冷静になれば、判ることだが、、、、。

 スポーティな250というとZXR250、バリオスがあるけど、これらとは異質のモノであり、車種統合の一環で、このイメージでツインエンジンを採用したのかもしれない。その正否はマーケットが下すだろう。
 カワサキ4スト250ccに対する自分のイメージでは、スポーティな4気筒、ツアラーな二気筒、コミューターな単気筒。勿論、4スト250で、全てはビギナーをターゲットに含むって感じだ。
 ZX-10Rミニチュアなら4気筒がそうかもしれないが、市場を考えると、4気筒+アルミフレームではコスト的に見合わないんだろうなぁ、、、、性能的には過去のCBR250Rを見ても十分フレンドリーに出来るのは間違いないし、バリオスの乗りやすさからもカワサキに出来ない筈は無い。そんな気がするのである。

 で、結論。カワサキエントリースポーツの順位は、、、、

1.CS250
2.Z250FS(後期型)
3.該当無し。

 で、もし出るんなら、、、

GP-MONOレプリカのD-Trackerエンジン+Ninja風味

 が欲しい。というのも、広島の海田町にあった『クレヨン』ってカワサキショップのオーナーの山本氏が、当時CS250をベースにアルミタンク、ワンオフシングルシート、ショップブランドのマフラー、リアディスク化、当然、セパハンバックステップ仕様のシングルスポーツをコンプリート販売されていた。これはZXR250R初期型風のカラーリングで超カッコイイモデルだったのだが、その再来を願っている。今こそ、そういうのが純正で欲しい。

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カリスマダイエットって?

 良く聞くフレーズでカリスマダイエット、ダイエットの達人って言葉を聞くけど、達人、カリスマって、一体何?というところ。

 ダイエットの定義だけど、単純に体重計の指示値を減らすのが目的なのか、体型を良くするのか、体組成を整えるのが目的なのかによって随分と異なるモノ。

 体重計の指示値を減らすのなら、何と言っても食わないのが一番。三食を一食にする。そんな生活を行うのが一番だ。
 しかし、体組成を整える場合は、適正な骨量、脂肪、筋肉量と保つということであり、その場合、脂肪量を落として、筋肉量を増やす場合は、脂肪と筋肉の比重の関係上、体重計の指示値は確実に増える。脂肪を減らすには、脂肪をエネルギーとして消費するのが必須であり、その方法論は結局身体を動かすのが必須であるし、筋肉量を増加させるにしても、筋肉を動かすという運動が必須である。
 このような必須の行為を行わなければ結果は得られない訳であり、そこに達人とかカリスマって言葉を合わせる事自体がナンセンスと言えば、ナンセンスである。

 そう言ってしまえば、元も子もないけど、何にしても近道は無く、道理に基づいた事を地道に行うしかないのでは無い。

 仮に、カリスマとか達人という言葉を使うならば、道理に基づいた事を地道にやるという事を悟った人こそが相応しいように思うところだ。

 収支のバランスを整え、そのバランスに見合った生活をする。それしかないのである。

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2008年5月12日 (月)

何故、そこまで?

 って質問を、先日の飲み会で自転車趣味の人から受けた。
 って言うのも、今更レースに出る訳でも無いのに、何故に、そこまで運動するのか?という質問だ。

 まぁ、運動しているのではなく、自分の運動能力が衰えていない事を確認しているだけといった方が良いかも知れない。
 年老いて体力を失うのは生物の掟だが、それに可能な限り抵抗しているだけで、アンチエイジングの実践をしているようなもの。

 自分の場合、水泳ならば3kmの距離を50~60分で無休憩で泳げるかどうか?自転車ならばコンディションにもよるけど、白島~可部間を20分前後(追い風参考で15分台、強烈な向かい風でも25分以内)で走りきれるかどうか?を見る事で、自分の心肺機能と体力が維持できているか?を確認しているだけ。

 体力確認の尺度でチェックしているのが日常で、納得できる状況を維持するために日々の運動を行っているというのが答えだ。

 別に、目標タイムを短縮したいとか、人より速く走りたいとか、泳ぎたいとかは眼中になく、自分の現状(今の現状=15年前の現状)を末永く保ちたいというのが願いで、これが結局、アンチエイジングという事。

 答えは、老いたくないから!これが答えである。

 というのも、最近の番組では国民病と呼ばれる糖尿病の恐さ、前段階の生活習慣病患者の多さ、その疾患による働き盛り世代の闘病生活を見ると、悲しくなるし、怖くなる。
 一方で、長寿国家ということで老人の生活風景を見る事もあるけど、歳を取る程に衰えて身体の自由を失い、眠るように永眠するという風景も見るが、幸せかもしれないが、自分の年齢では、やはり恐いという感情の方が大きい。

 老衰によっても、病によっても寿命を迎える直前の姿というのは、やはり生ある者として、受け入れにくいモノ。死にたくないし、老いたくないのである。死ぬのは生物の定めだが、死する瞬間迄パワフルさを保ちたいというのが無理とは判っていても、自分の願いなのだ。それ故に、自分の頭で考えた範囲で、納得できるライフスタイルを維持して、元気を保っていきたいのである。

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EX250K8F チョイ乗りインプレッション

 再度、昨年から注目のスポーツクォーターバイクを求めて出掛けてみた。
チョット、辛口になってしまうので、検索に掛かる車名は載せない事にした。よって、型式のみの表記だ。
 このEX250Kは、結構注目度が高く、なかなか試乗にありつけないけど、取り敢えずチョイ乗り出来た。

 見た目の印象は、一言で言ってチープ。カウル類のボリュームが露出パーツ類の量感を越えており、モナカのような印象で、印象的に密度感は感じない。
 メーターデザインは、モロツアラー系で、メーターパネルの速度文字表示が放射配置で日本車らしからぬ雰囲気。メーターパネルの雰囲気はマグナム80的雰囲気で、車格に対してメーターが大袈裟な感じ。

 で、ポジションは完全にアップライト。VTと一緒というか、昔のGPZ250~GPX250R、ZZR250と似たようなモノである。雑誌によると好評らしいけど、ギンギンに攻めようとするとステップ低すぎ。前後方向以前に低すぎである。腰をずらして肩を入れて乗ろうとすると、踝で単車をホールドするのに力が入いんない。

 で、パワーバンドは、、、、先日のエンジン音インプレッションでガス薄目、トルク無さそうって印象通りで、パワーバンドは存在しない。ダラーッと回る感じ。良く言えば、全域で使いやすく唐突さが無く調教された感じ。メリハリが無いので、気持ちが高揚しないのは、タイ製の過去の2ストとは正反対のキャラ。タイ産らしくない。更に、排気音は、ばらついた連続音で、吹け上がりも鈍重。昔のZ250FT、空冷のGPZ250(BeltDrive)とか、GX250のような感じ。何か引っ掛かりながら回転が上がるような雰囲気で、シュィーン系の四発、ダッシュ系のシングルとは異なるもの。
 勿論、単気筒のCS250、CBX250RS、CB250RS、SRX250、NZ250、GOOSE250とは較べれない。歯切れ悪いし、トルクによる蹴り出し感覚も無い。厳しい感じ。上り勾配は当然ながら、平坦路でも絶対的にパワー不足。単気筒ではパワー無いけど、平坦路では少なくともレスポンスに優れるけど、それも無い。吹けが遅いというか、少し待ちが入る感じ。
 これをマイルドで扱いきれると表現するならば、ライダーのレベルを見くびりすぎ。下り勾配では、まずまずといっても、下りなら原付でも一緒だろう。
 何よりも、絶対的な重量に対して、トルク不足、パワー不足。その割にブチ回すと壊れそうなのがNGだ。ツインでもブチ回せる初代VTは250ccでも楽しかった。
 ツインでスポーツエンジンとなると、やはり最低でも400ccは欲しい。未だホーク系のエンジンの方が力感が有った。余談になるけどツインの面白さが出るのは650ccクラスだが、まぁ、コミューターに求めるのは酷な話。

 一寸した曲がり道を走った感じだが、80~90年代の250ccスポーツのような400ccに近いグリップ感、剛性感という雰囲気というよりも、125ccのスケールアップ的でヒョコヒョコな感じ。タイヤもIRCの細目のタイヤ。正に125cc的だし、ガンマ125、ガンマ200と較べても原付ライクな乗り味。何というか、車重自体は並なんだろうけど、質量が車体全体に分散した感じで、グシャッとしたという表現か?硬質感は無いし、質量が集中したような感じも感じれない。

 雑誌インプレでいう、扱いやすさ、軽さっていうのは、細いタイヤ、硬いコンパウンドに起因するのだろうか?少なくとも、自分の印象では、剛性感不足で、質量の凝縮感も不足気味で、ダラ~ッと乗るのに良いかなぁ?って印象。

 ブレーキは効くとは言えないが、まぁ、エンブレを併用して楽しんで走るレベルでは必要十分という感じ。

 これは、レプリカではない。それが結論。バイク便向けに最適っていうのが印象。形から与える印象とキャラクターのギャップが大きい。バイク便、通学バイク、通勤バイクというシティーコミューターとしてのキャラだ。峠では物足らないし、長距離では安定度不足、、、、市内、町内の下駄としての存在価値だろうか?

 少々、辛口になったけど、それは期待の大きさの裏返しだ。

 なによりも、ネーミングとスタイリングから上級モデルとか、過去のZXR250を連想させるのが、それを期待するユーザーの心からみると裏切られた印象になる。
 しかし、ZZR250やZ250FTの進化型と捉えれば、良くできたコミューターである。ライムグリーンのフルカウルというのが、最近ではレーシングイメージが強いけど、そのギャップが大きい感じである。

 これ、パニアケースを標準にして、シルバーメタリック基本の2トーンカラーにするとかにしてカワサキならツアラー車の弟分的にした方がキャラが判りやすいか?
 ツアラーという先入観で見れば、乗りやすく、ソコソコ走るという印象になる。インパクトに走りの印象が強すぎるのが実車にとってネガな印象。

 街乗り、コンビニへの下駄代わりと考えればイイバイクである。

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2008年5月11日 (日)

リサ・ステッグマイヤーさん。カッコイイ。

 金曜日のテレビでNHKの『ここ行こっ』って番組に、表題のリサ・ステッグマイヤーさんが出演されていた。
 何でも、季節のイイこの時期に自転車に乗ってしまなみ海道サイクリングするという番組。楽しそうでイイなぁ、、、、って純粋に羨ましい気持ちだ。

 ところで、このリサ・ステッグマイヤーさんは、トライアスロンにも出場されるとの事だが、番組では、男性レポーターと一緒にサイクリングしている風景が合ったけど、この男性レポーターより全然カッコイイ乗り方に見えたのには驚き。

 っていうのも、レーパン、レーシャツ+ロードバイクならいざ知らず、普段着+レンタルサイクルで調達したカゴ付きマウンテンバイクでも、その手の人が乗ったら抜群に格好良いのが一目瞭然って事。丁度1年前の北川えりさんを思い出したところ。北川さんも格好良かったなぁ、、、、。

 こんな事を書いたのは、金曜の夜にWOWOWで、吉本新喜劇の番組『ルミネtheよしもと~ネタ超一流~』でお笑い芸人がレーパン、レーシャツ、ロードレーサーで東京サイクリングして笑顔を撮影って番組があったのだが、そういう装備と機材を揃えていても、乗ってる風景は決して格好良いとは言えない感じが、これまた一目瞭然。

 先のリサ・ステッグマイヤーさんとお笑い芸人さんを対比すると、装備、自転車が普通でも、乗り手次第では格好良いけど、装備、自転車が一流でも乗り手次第でみっともないのも真実。

 やっぱり、見た目に格好良いのは、装備や自転車とは無関係なんだなぁ!と改めて思った次第。
 そう言えば、単車でも、最新のスーパースポーツでも見た一瞬に上手いとは思えない人も結構多いのも真実。

 自動車の場合は、運転状態を見ないと乗り手の技量は見えにくいけど、乗り手の操作体型が露出する二輪車(自転車、単車)は、跨ったスタイルだけで一目瞭然って気がする。

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プレスベンチ改造しようか?

 最近は、少々日々の運動がマンネリ化?してきたかも、、、っていうことで、昨日から初心に帰り?、各運動をじっくりと負荷を長時間掛けるような形で行ってみた。

 まぁ、初心に帰るというよりも、基本に帰るということ、原理に忠実にって言う事。具体的には、サーキットトレーニングの要素運動の動作に節度を付けて、反動を排除して、各部に負荷がしっかり乗るようにという考え方の動作を心掛けているってところ。

 例えば、スクワットにしても、フルボトムさせた状態を一気に通過するでなく、ボトム状態で0.5~1秒程度保持を入れると言う事であったり、プレスベンチにおいてもリフト状態で1~2秒程度保持を入れるという事である。

 これを行うと、翌日は筋肉が張っているのが判る。今迄は、5要素を10セットで50分程度で行っていたのを、開始当初と同じく、同じセット数で70分程度掛けて行ってみると、実質的な運動時間が20分間延びた以上に負荷が掛かっているのが判る。

 で、その中でも特に負荷を感じた運動がプレスベンチを使ったベンチプレス運動である。

 ところで、そのベンチプレスだが、当初(15年前)は、週に1~2回程、スポーツセンターに通い、そこでフリーウェイトのベンチプレスを行っていた。このベンチプレスは、スポーツセンター併設のプールで30~40分泳いだ後に行っていたのだが、子供が生まれてからは、スポーツセンター通いが週に1回となり、その1回は60~70分の水泳に充てており、ベンチプレスは、スポーツセンターに通う際に同行人が居る場合だけになっている。
 しかし、折角付けた大胸筋を保つ事も必要ということで、家庭にプレスベンチを導入したのが数年前だ。

 プレスベンチとしては、負荷方式としてはフリーウェイト式、ラバーテンション式、油圧式とあり、負荷制御方式としては、各負荷方式毎にレバリッジ式というものが存在する。
 負荷方式毎に説明すると、

 フリーウェイト式は、バーベルウェイトの重量で負荷を変える方法、ラバーテンション式は、負荷をテンションラバーの強さで調整する方法、油圧式は油圧ダンパー抵抗で負荷を与える方法である。この中で一番素直なのが、フリーウェイト式で、バー位置、バー移動速度に関係なしで一定の負荷が得られる。テンション式は、バネ定数に従った負荷でありバー位置(ストローク量)に比例した負荷であり、ラバーが自然長状態では負荷は発生しない。ダンパー式は、ダンパー内のオイル移動抵抗が負荷であり、オイルの移動速度に比例するもの。オイルの移動が無ければ負荷は発生しないために、相当な速度でバーを動かさない限りは負荷は生まれない。
 というモノであり、機能から判断するとフリーウェイト式しか有り得ないのである。

 しかし、負荷が100kg近辺になると、実質100kgのウェイトが必要であり、これを木造家屋に持ち込むのも抵抗があるのが実情であり、家庭で行うとすれば、重量的には30kg以下に抑えたいのがホンネである。レバリッジタイプを用いれば、重量をレバー比に従って減らす事が出来るけど、それでも1/2程度であり、100kgならウエイトで50kg迄が限界。となると、ベンチ台の重量も合わせれば、結局は100kgに迫る器具重量となる訳であり、やっぱり厳しいのである。

 このような状況で、当初は最も普及している油圧ダンパー式を用いたけど、保持状態で負荷を得る事が出来ないのは最大の欠点であり、運動時間の割に負荷が掛からないのが時間の無駄。ということで、油圧ダンパー式は使用後1ヶ月もしない内に、タイヤチューブバンドを用いたラバーテンション負荷を加えて使っていたのだが、それでも負荷不足。負荷を与えるために速いストロークを行っているとダンパーがヌケヌケとなり廃却に到った。
 で、次というか今は、ラバーテンション式を導入している。最近はラバーテンション式の負荷が身体を壊す?って評判から見掛ける事は無いけれど、ストローク量に比例するという構造は、リフト保持で負荷が継続できるというメリットが大きく、ダンパー式よりもはるかに効果的である。しかし、通常のテンション式に付いているテンションラバーは負荷が小さすぎるのがネックであるし、ストローク開始時点では負荷が生まれないのがネック。
 ということで、テンションラバーの変わりにホームセンターで売っている引きバネとUボルトを使い負荷を引きバネテンションに変更し、バーと本体をバネで直接繋ぐという構造を、二輪車のリンク式サスペンションのようにリンクを介してバネで繋ぐという構造に改めて使っている。
 この構造では、バーを僅かに動かした状態で規定負荷が掛かる状態にバネが伸びて、その状態のまま、バーをリフトさせる事が出来るという構造であり、テンション式であっても、ボトムからリフトまで位置、移動速度に寄らず一定の負荷が生まれる。

 この構造は結構気に入っていたのだが、リンク部分が複雑で、耐久性に難があり、更に改造を考えている。
 今度は、リンクを廃し、バネを取り付ける位置を熟慮して、バーストロークが大きくてもスプリングストロークが比較的小さいようにセットし、ストローク開始時での負荷を与えるためには、油圧ダンパーを併用する方法にしようか?と思っている。
 まだ、構造が煮詰まった訳ではないが、家庭で収納可能なコンパクトさを保ち、実質100kg程度の負荷が簡単に掛ける事が出来るプレスベンチを作りたいところだ。

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2008年5月10日 (土)

ダビング10延期

 地上波デジタル化と合わせ、メディア配信形態のデジタル化に伴い、録画録音に際しては、コピーワンスという取り決めに従い、私的な鑑賞用であってもダビングは負荷で、基本はムーブオンリーしか認めないという取り決めだったのだが、この方針への反対、不便利を受けて、ダビングを10回迄は認めるとか、アナログ媒体へのダビングは子世代に限りフリーにするという緩和策であるダビング10という約束事が生まれたのが最近の事。

 そして、このダビング10に対応した機器の販売と、そのコードを埋め込んだメディア配信が6/2から行われる筈だったのだが、延期になったようだ。

 まぁ、著作者の権利を守るという見地からすれば当然だが、あんまり複雑なルールにしない方が良いのでは?とも思える。

 子世代迄ならコピー9回、ムーブ1回が可能。アナログなら無制限で可能という取り決めみたいだけど、最終的にどうなるか?制度運用が始まってから、その内容が短いインターバルで変化しないか?煩雑になりすぎないか?色んな心配をしてしまう。

 果たして、消費者はそこまでコピーやダビングを重視しているか?っていうと、著作側、録画機器販売側、消費者側の実態と考えは結構ミスマッチしているようにも思うところ。

 著作権保護というならば、コピーワンスはおろか、コピーゼロでも良いように思うし、コピーしてまでも見たいという人は、品質よりも価格を重視しての事。ならば、アナログコピーはフリーにしてしまうという分け方の方が遙かに自然だと思う。
 デジタル配信では、様々な付加価値が付けれる反面、アナログでは不可能であり、その差を強調する戦略を採れば、その価値と価格を天秤に掛けてコピーゼロでもデジタルに走る人と、コピーフリーなアナログに向かう人に分けられるだろう。消費者にも選択肢を与え、選択候補に価格に見合った価値を盛り込むような制作者側にもメディア配信手法の選択肢を与えるっていうのがイイように思う。

 全てを細かいルールで取り仕切るよりも、大枠で原則を守り、移行段階の今では、現状に即した選択を与えるというのが自然な流れに思う。大元の原則の部分で、ふらついた挙げ句に不明瞭な場合分けを行うのは今一つの感が強い。

 デジタルメディアはデジタルコピー禁止、アナログコピーに限りOKってのが良いと思うのは俺だけだろうか?

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自転車は歩行者!?

 金曜のニュースで笑ってはいけないけど、笑ったのが、

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080509-00000053-jij-soci

 のニュース。ニュース内容は、67歳の前期高齢者女性が84歳の後期高齢者女性をひき逃げして、大腿骨骨折の重症を負わせたというニュース。

 まぁ、普通にひき逃げが悪いといえば、そうだが、自転車を車両と思っていない人、特に高齢者からみると自転車は車いすの一種であったり、杖の一種であったりする意識なんだろう。
 それでぶつかったって言うのは、街で歩く人同士の肩が触れたって程度の意識なんだろうと思う。

 高齢者からみると、自転車は車両でない介助器具みたいなもの。幼児や児童からみると、自転車は車両というより乗用玩具みたいなもの。生徒以上、主婦、サラリーマンからみると、殆ど、靴とか傘みたいな意識に留まって居るんだろう。

 自転車が車両だと声を大にしていっても、それを車両の一種と認識できる人は殆どいないのが実態であり、恐らくは、表題のような事故を起こした当事者でも、本人自体は、自動車でのひき逃げのような罪悪感は感じて居らず、運が悪かったというレベルでしか考えていないように思う。

 自転車って乗り物が世代や用途によって様々であり、全てを一つの定義で括る事自体が難しいようである。車両として定義するならば、車両法に合致したモノを車両として扱うような基準が必要。仮に、歩道を走る事を容認するならば、歩道走行によって歩行者との干渉が生じても重大な事故を起こさせないようなインフラ整備が必要だし、歩道走行を認めるならば、車両法等によって、自転車の突起部に怪我を負わせないようなプロテクター類を必須化させるような施策も必要だろう。

 今の段階では、使用者の認識、法体系、現実の認識の全てが混沌としており、事故は解消しないような気がする。

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昭和回想

 最近、テレビ番組、テレビ通販でよく見掛けるキーワードが『昭和』である。ドラマでも『Around 40』っていう番組があるけど、あれも昭和回想的背景が支配的な番組。
 昭和っていうと、昭和64年が最後の年。実質は、昭和63年が最後の年だが、メディアでよく見るせいか、自分の意識も昭和に戻り気味、昭和って言うよりも、昔々の事を思い出す事が多いし、身の回りでの付き合いも昔の付き合い絡みってのが多い。絡みといえば、先の記事でもアップしたけど、産官学研究会の懐古親睦会(土曜日開催で出席予定)もあるし、金曜日は、地元企業に勤めるTさんから久々に電話が掛かってきたりした。
 このTさんからの電話は、広島工業会の総会が5/25に開催の予定であり、その世話人担当年度が昭和63年3月卒業生が該当するということで、その在広卒業生が役割を担うんだそうだが、その前打ち合わせに、二名しか集まらなかったのだが、手伝って貰えないか?って話。
 残念ながら5/25は家事都合でお断りしたのだが、このTさん、20年前の事を覚えていらっしゃる様で、電話の先で、私が塾経営していた事、単車が趣味で後に乗せた事がある事なんかを覚えて居られたのにはビックリ。
 20年前というと、相当に昔なんだが、ふと振り返ると、出身大学が広島市内から東広島市に移転を開始したのが昭和57年。自分の入学年度が昭和59年で、当時は一般教養が広島市内で受講、二年次の後期(昭和60年秋)からが東広島キャンパスで受講だったのだが、その僅か1年半しか居なかった当時の本部キャンパスが、どういう配置だったか?を鮮明に思い出す事ができる。今は移転完了で、1997年に大学は取り壊されて1998年にグリーンフェスタって祭が開催され、今は公園+マンション建設と変わっており、20年という月日の長さを感じる割には記憶は風化していない。
 更に、遡れば、出身高校も校舎の建て替えで昭和50年代後半の面影は無いけれど、どこに何があったか?も完璧に思い出せる。更に更に遡り、昭和40年代後半の出身小学校も校舎建て替え後の今でも当時のレイアウト等々は完璧に思い出せる。

 20年以上という実質的な期間の長さはさておき、人間の記憶っていうのは、20年如きでは色褪せないみたい。20年という期間の長さを実感するような変化した場所もあれば、20年経っても変化の無い場所もある。

 こういう事を思い出す事自体、自分が年を取ったって事かもしれない。20年は長いけれど、記憶の鮮明さから思うに、ほんのチョット前って感じがしないでもない。これからの20年はどうなるんだろうか?まぁ、何も変化しない、変わらないっていうのが実は一番幸せなのかも知れない。

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2008年5月 9日 (金)

自転車の技術

 自転車と単車のメカニック。どう違う?思うに、自転車は構造的に超単純。組み付けに際して高度なテクニックって必要なんだろうか?セッティングという言葉がまかり通るけど、これとて、乗り手と乗るモノが決まれば、迷うことなく一発で決まるモノ。その部分にプロしか判らないという微調整のスポットは存在するのか?

疑問である。

 単車と自転車を較べると、自転車のメンテナンス範囲で必要な知識は中学生の理科レベルで十分。単車は違う。単車の場合でも、機械的な作業でメンテは可能だが、メンテ行為が何を意味するか?を考えながらやろうとすれば、必要な知識は更に広く深い気がする。

 自転車の面白さっていうのは、健康、環境の他に、くそ素人でも手を出せる範囲のモノで成り立っているとう要素も捨てきれないんだろう。

 チョット詳しげなサイトを見渡しても、せいぜいワンオフパーツを作る程度。そのワンオフパーツの多くは、まぁ、物理的な障害を回避するような工夫程度のモノであり、そこにハッとさせられるような知見は見えない事が多い。工作機械が使えれば可能ってレベルでは無いだろうか?
 フレーム作成なんかを個人で行っている人は別だが、殆どがパーツ交換レベル(ワンオフのフィッティングパーツ作成も含めて)の人、ショップばかりである。

 こういう事を書いたらNGなのかもしれないが、自転車が普及している背景には、手軽に改造できる。手軽に弄れる。チョット慣れれば大抵はマスターできるという間口の広さというか、敷居の低さ、構造の単純さが効いているのだろう。

 自転車関連の情報は、ネット上で様々に取り上げられているけど、実のところ、そんなに大袈裟なモノでなく、まぁ、中学生以上ならば思い通りに出来るモノかなぁ?ってのが感想だ。

 これは、整備技術に限らず、運転する、操作するという扱う上での技術もそんなもんだと思う。何たって、構造が単純だから、少し考えれば、何が道理に合うか?っていうのは一目瞭然だろう。
 自身、自分のブログやサイトで偉そう?な事書いているけど、そんなに偉そうに書くレベルの事ではないのも確かだ。

 ただ、それでもなお、自転車競技というモノが存在し、そのスペシャリストはアマチュアと歴然とした差を保っているのも真実。そして、道具と操作の基本が単純であるが故に、その差を埋めるには、単純に見える構造や道具、操作法の奥に潜んでいる何かを掴み習得しなければならないのも事実。見た目、プロと同じ様な装具や風貌にする事が出来ても、同じにならないところに、プロや専門家の存在価値があるのだろう。

 プロや専門家が、そうであることができる何かが何であるか?が大きな関心事だ。

 最近の自転車ブームでは、チョットしたオタク、マニア、プロショップ気取りの店等溢れかえり、その情報が、実世界からネット世界に到るまで氾濫しているんだろう。その氾濫する情報の何処に真実があるか?を見抜くのは、少なくとも、ブームに乗って世界に入ってきた人には不可能だろう。

 何でもだが、どの世界においても精通の度合が深まる程に、俗化された(大衆に人気のある)考え方と懸け離れるモノ。単車でも、自転車でも、PCでも、デジカメでもそうだ。それは、誰しもが長きに渡って拘り続けた趣味の世界を持っていれば、その趣味の世界における一般的な人気と、熟練者の価値観の違いが在る事には気付いているだろう。

 一般的な人気=誰でも判りやすい人気=アピールされた宣伝による人気

 という方程式は、どんな世界でも成立する。ということで、自転車を例にとると、その世界の価値観がどうなっているか?を探っていけば、隠れた本質に気付くかもしれない。
 隠れた何かに気付くには、普通(凡人)なら見落としてしまうモノが見えるような注意力と注意を払う意識を呼び起こす知識が必要。(例えば、アルミ一つでも材質と必要な処理、処理後の特性迄考慮したり、カーボン系ならば金属と締結する部分の難しさを克服するのに何が必要か?を考慮したりという事に気付く知識。ギア比一つでも、実際の使い方に在ったモノを取捨選択する判断が必要。)それを身に付けたモノが本当の意味でのプロショップであったり、熟練者であったり、プロであったりするんだろう。
 インスタントに、例えば、尻が痛い?なら、レーパン!それでもダメなら高級サドル!とか、遅い?なら10万円以上、だめなら20万円以上とか、、、、やっつけ仕事的な対応では、決して本質が捉えれないし、専門家とかプロとは言えないのでは無いだろうか?

 そういう見方で見渡すと、なかなかプロやベテランって言える人やショップに出くわす事が無い気がする。

 しかし、最近の高級自転車人気の要素には、そういった微妙な違いを手軽に試せるという商品構成が含まれているんだろう。更には、そういう構成の違いで間違いなく良くなるという先入観によるフラシーボ効果で満足しているんだろうと思う。

 俺自身、鈍感なだけかもしれないが、ホローテックの踏み心地?も、オクタリンクも、四面テーパーも違いは判らない。微妙なベアリングのガタが出れば判るけど、、、グレードの差も不明だ。勿論、アルミフレーム、カーボンフレーム、クロモリフレームでも、それ自体の差が何か?はホント言えば、よく判らない。自転車の軽さの差もハッキリ言うと担いでいる時以外は判らない。多少の感覚的な違いは在るかも知れないが、どっちが優れるか?っていうと判定不能。
 自信を持って言えるのは、ギアが自分に合ってるかどうか?自分の疲れないポジションは何か?って事くらい。そんなもんであり、実は、自身も素人の域を出ていないのである。

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水着騒動

 北京オリンピックに臨む競泳種目の選手にとって気掛かりなのが、スピード社の水着である『レーザーレーサー』って水着。

 さて、この水着は今シーズンの話だが、着用して泳いだ選手が世界新記録を連発しているという。この素晴らしい水着は、契約の問題で日本人選手は着用出来ないという。
 着用できるのは、契約水着のミズノ、デサント、アシックスで、それも5/30が期限で、普通に考えれば絶望的な状況。

 ところで、そんな話と並行して、ダイビングスーツ用の素材で親水性生地を開発したというニュースも聞いたけど、日本水連と契約水着メーカーは門前払いって話。

 水着で0.5秒も違えば、選手も気掛かりではないだろう。

 たかが水着、されど水着。100~200mの競泳で0.5秒とか違えば相当に泳ぐ際の感覚は違う筈。
 較べちゃ悪いけど、毎週の水泳で私はふざけたヒラヒラトランクスタイプの水着を使っているけど、紐が劣化して千切れた時に、仕方なくSCでブーメランパンツを購入して泳いだけど、全く違うのに驚いた事があるけど、それ以上に深刻で、それ以上に顕著な差が生まれるのだろう。

 オリンピックっていうと、アマチュアスポーツの祭典であり、装具や器具に使用制限が生まれる事自体ナンセンス。契約メーカーにしても性能が悪いのなら選手に使用を強要する事自体も変な話し。アマチュアスポーツ選手というのは、本来、企業の縛りを受けてはNGだと思う訳であり、仮に企業の協賛があっても、そこは協力であって、強制力を発揮するのは本末転倒だ。

 四年に一度の祭典で、選手もピークで戦えるのは1大会か多くても2大会。そう考えると、水着騒動が起こっている事自体変。好きな水着を選ばせれば良いし、契約企業が自社の水着を着て貰いたければ、真の競争力を得る開発をすれば良い。仮に、くされ水着で惨敗したら、どうするの?って思うところ。

 スポーツの主体はあくまでも選手。選手が不安なく気持ちよく活躍できる環境を整えるのが周辺組織の役割。そう思うのは、ガキ過ぎる考えだろうか?

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ペットの世話

 最近は娘を連れて自転車で走り回っており、何時も走る車道中心の郊外の道路以外の市内界隈の遊歩道、自転車通行可歩道を走る機会が多い。

 一般道路にしても、自分単独で走る場合は、交通量の多少で道の選り好みはしないけど、娘と一緒に走る時は、交通量の少ない道路を選んで走る事が多い。

 結果、娘と走る場合は、基本は歩道、自歩道中心で、一般道でも裏道、散歩道が多い。

 そんな状況で目に付くのが、犬の糞である。道路上で犬の糞を見ない事が無い程に、糞だらけである。大きさ、形状的に100%犬の糞だ。猫の場合は、民家の花壇のような場所を選んでするけど、犬の場合は、思いっきり道路の真ん中って事が多い。

 犬の糞っていうのは、衛生的にも宜しくないし、異臭を漂わせるし、見ただけで不愉快なもの。この糞の転がっている道路というと、殆どがペットの散歩コースである場合が多く、100%、飼い犬の糞である。っていうか、今時野犬なんぞ居ないので、路上の糞=ペットの糞、この多さは、飼い主のモラルの無さのバロメータである。

 スポーツサイクルの場合、フェンダー無しの場合が殆どであり、仮に糞を踏んだら背中に糞が飛び散るのは間違い無いところ。それ故に、糞には最新の注意を払い走っているし、娘とサイクリングの際にも、脇見せず、信号、歩行者、他の自転車と並んで、路上のウンチに細心の注意を払うように指導している。

 それにしても、犬の糞が多いのは如何ともし難いもの。自分の場合、自転車で夜中に走る事は稀なんで気にしないが、自転車の前照灯では夜中に糞が転がっていても発見不能。

 まぁ、自転車でも交通ルールどころか、マナーさえ守れない自転車乗りも居る訳だが、ペット愛好家でも飼い犬の糞の世話もしない奴が溢れているのが、この世の中。
 情けないやら、悲しいやら、、、、、

 犬の糞の世話が出来ない奴は犬を飼う資格なんぞ無いわけであり、路上のあらゆる所に監視カメラを設置して、糞の放置飼い主は厳罰に処するようにして貰いたいところだ。

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超硬合金等サーメットスリーブの過ち

 アクセス解析をしていると、先日のSiC-WC焼結体の開発元からのアクセスもあったようなので、一寸、それ系の雑談。

 さて、機械材料は分類方法にもよるけど、大きく分けて三種類が存在する。それは、

1.金属材料
2.サーメット
3.セラミックス

という風に分ける事もできる。上から順に、硬さが増す一方で、脆くなり靱性が失われるというモノ。一般に、硬いモノは脆いという原理に則ったもの。この分類では、材料中に含まれる金属分の割合で区分したもので、1が金属、3が無機材料で、2が無機材料を金属結合相で固めたモノ。2の材料は比較的硬く、比較的強いという優れものである。

一般に、金属材料と無機材料を較べると、融点は無機材料の方が遙かに高いのだが、サーメットでは、結合相金属の融点以下で材料を結合させる事が出来、硬さと強さを高次元でバランスさせた材料の筆頭が、超硬合金って材料だ。超硬合金というのは、炭化タングステン(WC)を結合相金属であるコバルト(Co)かニッケル(Ni)で固めたモノだが、この超硬合金は製造元によって様々な添加剤、様々な組成で非常に多くの種類が出回っている。そして、その硬さと強さの両立性から工具を筆頭に多く普及している材料だ。

この超硬合金系材料(ユーザーによっては特殊合金と呼ぶ事もある)の近年の使い方で顕著なモノは摺動材料である。
摺動材料は、摺り合わせであり、二種類の材料が必要だ。摺り合わせ機構の代表的な機械部品が滑り軸受であるが、滑り軸受は回転側摺動材と固定側摺動材から構成されている。そして、回転側(軸側)摺動材に、この超硬合金が広く用いられているのである。

さて、超硬合金を滑り軸受の軸側摺動材に用いるというのは、この業界では殆ど常識化されているのだが、最近、思うのは、この使い方は大きな危険性をはらんだ、誤った常識ではないか?と思う事が多い。

一般に、軸側摺動材というと、機械の回転軸に被せた形で用いられており、回転軸は機械の構成部品ということで、普通はステンレス鋼等の金属材料であり、滑り軸受機構の業界スタンダードでは、ステンレスシャフトに超硬合金製スリーブ(摺動材)を嵌めて使うのである。

このような摺動部品は、一般にどの様な環境で使われるか?というと、硬質材料を用いると言う事で、普通は硬質スラリーを含んだ土砂中での摺動である。土砂中摺動と言う事で、その潤滑を司る液体は、清水であることは稀であり、海水のような腐食液であったり、ヘドロ、下水、廃油、原油のような液体であることが多い。
つまりは、そのような清浄でない固形性混ざりモノが多い液体中で使われる事が多いのである。

この前提において超硬合金を回転軸側摺動材料に用いる場合のリスクは何があるか?と整理すると二つの問題がある。

一つ目は、海水中のような腐食環境では、超硬合金とステンレス鋼を接触させて使うと、ガルバニック腐食により、超硬合金側が激しく腐食するというリスクである。実際、超硬合金を海水は勿論、清水中でも腐食するので結構リスキー。

二つ目は、線膨張係数の大きな金属軸に円筒形状の超硬合金を嵌めて使用すると、温度上昇によって金属軸の膨張が生じ、結果、円筒形状の超硬合金が破断破壊するというリスク。実際、潤滑液欠損や、潤滑液流量不足により温度上昇が生じると、円筒形状の超硬合金の破断が発生する事故は結構多い。

この問題を解決するには、耐食性を大幅に高めること。それに、靱性、強度を高め割れない物性を獲得することとなるのだが、超硬合金が硬くて強いという理由である結合相金属であるNiやCoの代替えが見つからない限り難しいのが現実である。
代替えによるWCの成型手法が見つかっても、上述の問題を解決する系の発見には到っていないのが現状であり、少なくとも、滑り軸受における回転側摺動材のような材料に超硬合金を用いる事はナンセンスである。

少なくとも、このような用途においては、硬くて絶対に割れないような材料を用いなければならない。そう思うのである。

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2008年5月 8日 (木)

体重が少ない(例えば、脚が細い)のは良いのか?

 ついこの間も、美容とダイエットをネタにした特別番組が放送されていたけど、世間の大きな関心事といえば、『ダイエット』、『メタボリックシンドローム改善』って内容。

 そして、その多くはダイエット=脂肪除去、脂肪除去=体重計の示度減量って方程式であり、体重計の目盛りの示す値を少なくすることに躍起になっている。

 はて、ダイエットということで、脂肪を落とす事、細い手足を手に入れる事っていうのは、果たして良い事なのか?というのが、最近の疑問。

 その疑問の元は、これまた最近話題の自転車ネタであるが、昨今の自転車ブームでは、カッコイイ高価な自転車が大流行であり、乗り手も体の線がモロに出る水着のようなウェアで乗っていたり、生足露出で乗っていたりする所から沸いたもの。

 最近の自転車の流行は、エコ、節約もあるけど大きな理由はメタボ改善、健康増進、ダイエットって目的が一番の推進力となっている。
 この自転車を趣味として捉えると、流行っている自転車がロードバイクという事もあり、皆さん、速さに対して強い憧れを持って、実践?なさっている。

 そんなロードバイクにのって、ピチピチのウェアを着込んだ人っていうのは、腹の出っ張り具合を無視して見ると、あまりにも細い四肢の方が多い。既に痩せていらっしゃる方なんぞは、まるで針金細工の人形のような体型の方も居る。

 まぁ、自転車運動で痩せるというのが目的であるならば、細い四肢、凹んだ腹を以て目的達成なのかもしれないが、こういう結末が果たしてダイエットということなのだろうか?

 確かに、欧州の自転車が盛んな国々ではロードバイク乗りの脚をバイクレッグといって細い脚を指すというのは知っているけど、ここでいう細いという表現は、物理的絶対寸法が少ないのではなく、無駄な脂肪が付かず、筋肉がしっかり付いているという表現だと思うのだけど、最近よくみる脚露出系ロード乗りの皆さんの脚を見ていると、脂肪も無いけど、明らかに筋肉も無いような人が結構多いように思う。

 ダイエットというのが体重計の目盛りを減らす事であり、それならば脂肪が落ちた分減量していれば成功なんだろうけど、脂肪が無い分、筋肉がしっかり付いたとしたら、それは比重の関係で体重が寧ろ重くなっている筈。
 ダイエットの奥義っていうのは、肥りにくい身体であり、筋肉がしっかり付いた状態を得ることであり、それは、寧ろ見た目よりも体重計の示度は大きく出る状態を作る事と理解しているのだが、仮に、体重計の示度のみの問題であれば、ダイエットで得たモノはパワフルな肉体でなく、やつれた貧相な身体ということになる。

 ダイエットという一言で言っても、目指すモノが体重計示度減量というだけでは、パワフルな身体とは真反対の貧相な身体になりかねないのである。

 脂肪を落とすって行為は、今ある筋肉を使う有酸素運動で可能だが、脂肪が付きにくい身体を作るって行為は、今ある筋肉をより強化し増量する運動(無酸素運動)が必須だ。
 自転車で脂肪を落とす事は出来るかも知れないが、軽負荷運動だけでは趣味に転じた速度志向を叶えるパワーは身に付かないように思うところ。

 ダイエットを目的に自転車に取り組んだ結果、その面白さに開眼し、趣味に転じた時に、実質的な強化に必要な運動は何か?それを紹介するサイトっていうのは案外少なかったりする。心肺機能強化って話は良く聞くけれど、それは持続力でありパワーとは無縁のモノ。パワーの強化メニューを説いた情報は案外少ないのである。そこまで行って、自転車ダイエット(脂肪の付きにくい身体、筋肉の獲得)というのが完成では無いだろうか?

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めざましテレビ、ココ調

 連休明けの朝、出社前の支度中だが、めざましテレビの『ココ調』のコーナーで自転車が注目度アップって特集をやっていた。

 まぁ、内容的には毎度の事で、融通の利くレンタサイクル制度、都内の通勤で公共交通機関対自転車での時間対決を放送してた。まぁ、暫定税率復活で5/1からガソリン代が高沸したこともあり、話題的にはタイムリーなネタ。

 連休中での身の回りの自転車と関係するネタといえば、前の記事にも書いたけど、、、、

1.暖かくなって出てきたカッコイイ自転車乗りの目に余るルール無視(信号無視、並進)

2.河川沿い遊歩道の雑多な公園環境での愛好家による暴走行為

3.自転車通行量の多い道路での愛犬家の糞の不始末

4.レジャー施設でのレンタサイクルのお粗末度合

 ってところ。

 確かに、環境問題、ガソリン代高騰で、自転車通勤が、メタボリックシンドローム改善のためのサイクリングブームが、今後のトレンドだろうけど、これがブームになると手軽で年齢制限が全く無い底辺クラスの乗り物だけに、遵法精神とマナー欠落で、相当に過ごしにくい社会になりそう。

 めざましテレビのように影響力のあるメディアで取り上げるならば、ありきたりの内容で、良い効果ばかり全面にとりだすよりも、その裏側の抱える問題を社会派的に取り上げて貰いたいものだ。

 最近では、粗悪自転車による使用過程における破損と事故の問題もあるし、現在の利用体系における無保険、無整備状態が抱える問題等々、色んな問題点が山積している訳で、本当の意味で、社会に根ざした道具として自転車が認められるには、周辺環境の整備が必須なのである。

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2008年5月 7日 (水)

小径車のギア比

 休みの朝は雨が降っていなければ100%ラングスターTTでホームコースを走る。
 ラングスターは700Cで固定シングルだが、ギア比は前が44T、コグが17Tである。この仕様で一漕ぎ5.4mチョットという仕様。このギアでは、90rpm程度のケイデンスで30km/h弱だが、120rpm回せば40km/h弱、155rpm回せば50km/hは出る。さすがに、150rpmでは負荷が掛からないので回しづらいけど、このギア比で全域をカバー出来る。このギア比では向かい風で90~105rpmを回して30~35km/hという速度を保つのも楽珍である。

 つまり、700Cフルサイズにして、一漕ぎ5.4m程度のギアが有れば殆どをカバー出来るのである。仮に、ロードバイクで多段の場合でも一漕ぎ7m程度のギアがあれば、90rpmで37.8km/h、120rpmで50km/h、140rpmで58.8km/hも出る。素人で50km/hって速度は巡航というか維持できる速度ではないので、仮に50km/hを出す場合は、回転数も或る程度必要な筈であり、殆どの人にとってトップギアでも一漕ぎ7mもあれば十分ではないか?って思うところ。

 それはさておき、多くのカセットセットを見ると、11-21T、12-21T、12-23Tってところがクロースレシオのカセットセットである。クロースレシオの利点といえば、基本となるギア比の前後で何枚かずつ近接レシオを用意することで、基本となる走行状態からの偏差を吸収し、実質速度の低下を最低限にするか、疲労を最小限にするっていうのが本来の目的と思っている。つまり、11-21Tを例に取れば、11-12-13-14-15-16-17-19-21Tってセットだが、常用が14Tから15Tで、その前後をクロースさせた状態っていうのが理想状態であり、目一杯の速度を稼いだ状態が11Tで、その状態で前述の50~60km/hが得られるような使い方が良いのでは?と思うのだが、そうすると、700Cフルサイズではクロースカセットを用いてみると、ギア比があまりにも重すぎる。700Cでアウターが53Tとなると、トップが9.5m、アウターローでも5.3mであり、仮にアウターで踏む場合、常用がカセットロー近辺でクロースレシオのメリットは全く無くなるように思うところ。
 トップを7.5m程度に抑えるには、トップ12Tでもアウターリングは43Tクラスとなり、普通ならインナーリングの歯数。これをアウターに用いるとFメカ的に厳しいと思うのは自分だけだろうか?

 そういう場合、我が家のオ・モイヨWWの場合は451サイズであるが、クランクセットは48-34T、カセットセットは11-21Tを使っているが、アウター48Tの場合の展開は、7~3.7mであり、常用の5.5m程度の場合は、カセットで14Tだから、重い方に連続3枚、軽い方にも連続3枚がある状態。14Tで90rpmで30km/hを基本に、疲労度、勾配、向かい風でも速度低下は最小限だし、追い風、下り勾配等々ならば負担最小で維持走行速度を上げる事が出来る。

 CRの折り返し地点で、フルサイズロードの乗り手に話しかけられる事が多いけど、実は、フルサイズバイク以上にギア比が実に使いやすい構成となっており、通常115rpm程度で走る自分の場合は、40km/h近辺で永遠に走り続けることも可能だ。
 理屈の上ではフルサイズが速いのだろうけど、実は小径の方が素人の脚にマッチしやすく、下手くそが乗るには小径の方が乗り手の能力が発揮しやすいっていうのは気付かない人が多かったりするのである。

 こんな事を書くのは、このGW期間中に郊外の川沿いの道路を走行中に数多くのカッコイイロードバイクを見たけど、追い抜き様に見た時のカセットにおける選択ギアの状態が殆どの人がカセットローであり、向かい風なんかでの失速状態があまりにも激しく、しんどそうに見えたからであり、追い風のコンディションでもカセットのロー側に近い所で踏んでいる人が多かったからである。
 抜いた瞬間がコンディション的にどうか?は知らないけれど、少なくとも、クロースカセットの旨味が見えない感じを受けたのと、装備やバイクグレードの割に厳しい走り方に見えたからである。

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GW総括

連続4日のGWが終了だ。
5/1は朝一番が取引先で会議だけ、5/2が出張だったけど、5/3からは4日連続で休暇を取った。

さて、この5月連休で一番の印象に残った事は何か?っていうと、何と言っても、娘の自転車操作の上達度である。相当に目覚ましいと思う。

4月の上旬では14インチの幼児車なら何とか乗れていた(まぁ、それでも往復15kmを走る)のだが、20インチのジュニアマウンテンはかなり厳しい状態だったのだが、この連休期間中には、多段ギアの使い方をほぼ完璧にマスターし、ふらつきもかなり減って、交通ルールもマスターしたところ。更には、一日の走行距離でも30km程度なら楽勝っぽい感じだし、最大斜度10%に迫る上り坂も何とか乗って上がれるようになったのは、ただただ驚きである。

自分にとっては、相も変わらずの連休であり、何がどうか?っていうと、まぁ、久々にS4ガンマで攻めて走ってタイヤのエッジ端迄使う事も昔通りに出来た事が確認出来た程度で、新たに何かが出来たか?っていうよりも、昔と変わっていない事を確認した程度。

まぁ、娘は5歳でこれから何でも上達してレベルが上がっていき、自分は人生折り返し地点を過ぎて何でも衰えてレベルが下がっていくのがデフォルトである。我が子の成長は楽しみなものの、我が身の衰えは悲しいものだ。

人生の半分を過ぎて衰えて来つつあるんだろうけど、取り敢えず、今のところ、水泳や自転車に乗っている限りは、衰えは感じないし、全盛期と殆ど同じレベルか、それ以上がキープ出来ているとは思うけど、考えてみれば、ここ17年は、相当な運動を継続しており、その効果の賜物としみじみ思う反面、衰えを隠すためには、この17年間のライフスタイルを維持するのか!って思うと、自信が持てないのも本音。
確かに、3km、5kmという距離を無休憩連続で泳ぐ事も可能だし、自転車でも35km/h平均で走り続ける事も、最高で60km/hオーバーを出す事も可能だけど、この状態を維持し続けるには、今後の老化速度を考えれば、更にハードに追い込まなければならないのか?と思うと、少し気持ちが萎えるのである。

そんなこんなで、このGWは、娘のような子供の成長に驚き、自身の衰え防止の大変さを想像し、ということで、人生の半分を過ぎた事を実感するというか、そんな事を考えさせられる期間となったところである。

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2008年5月 6日 (火)

サドルの感想

 自転車のサドルっていうと、特に拘りも無ければ、何でも良いと思うのだが、敢えて言えば、ということで、好みのサドル、好みでないサドルがあるようだ。

 原則、堅めのサドルが好みで、アナトミックデザインでパッドが入りすぎのサドルが嫌な感じである。痛みが云々という以前に、脚を回す時にスポンジーなサドルは尻の座りが悪くロスを感じるというところ。背骨の芯が定まらないという感覚である。

 勿論、レーパンなんぞ履かないし、サドルで尻が痛いというのは全くなく、好みの部分っていうのは、脚を回す上で心地よく無いという面での好みだが、、、、。

 持っている自転車のサドルで順位を付けると、

1.531ロードのブルックスB17ナロー
2.ラングスターのTIOGA スパイダー
3.西DAHONで使ってるDAHON純正のI-BEAMのSDG
4.オ・モイヨWWで使ってるラングスター純正のサドル
5.スピママで使ってるメーカー不明、国産の昔の革サドル

駄目サドルはルイガノMVFのエラクスポンジーなコンフォートサドル

ってところ。
基本は、巾が狭いの必須。次が堅いの絶対というところ。巾が狭く、堅いのが具合良い感じ。巾が広いと回しづらいし、柔らかいと座りが悪い。
嫌なサドルは巾が広く、柔らかいモノ。巾が広い程、回すと左右に座面が揺れやすい。座面が揺れると、背骨の芯が定まらない。すると、回しにくいというパラドックスに陥る感覚だ。

 そう考えると、ブルックスB17のナローはイイ具合。巾もそうだが、革の巻き具合も良く、脚を回すと滑るように回転する。このサドルでは180rpmも楽々回るし、座面も堅く、剛性もそこそこ、身体の芯が狂わない感じ。TIOGAのスパイダーも概ね良好だが、前後方向で剛性不足なせいか、ややたわむ感じ。たわみが上下方向限定なんで脚の回りに不具合は出ないけど、160rpm近辺で身体の上下動が少し出る。

 ところで、サドルやレーパンに拘りすぎる人は、サドルの選び方が痛くないのを重視しすぎな点が本末転倒。サドルっていうのは、ペダリングにおいて身体の芯を狂わさない剛性と、回しやすさを得るための道具。逆に言えば、芯が狂うサドルほど滑りが大きく、レーパン必須となったりするだけだ。パッドを入れて、座面を拡げてって考え方は、座面の揺れが仕方ないモノという前提であり、その時点で、乗り方が変ということでもあるのでは?っていうのが俺の考え。

 ハードサドル+レーパン無しで痛くならない乗り方を見付けるのが先決。道具に変な効果を期待する程に、本質を見失うのでは無いだろうか?

 ということで、ルイガノMVFは純正のフニャフニャサドルをニシダサイクルさんで531ロードを組み上げる時に頂いた、セラサンマルコのスクーデリアHDPってサドルに交換した。これは結構、芯が定まってイイ感じ。

 最近はアナトミックデザインのサドルが多いようだが、見た目だけで、どれも今一の感じが強いなぁ、、、、。

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2008年5月 5日 (月)

格好だけ正統派

 この連休期間中は、さすがに多くのロード乗りを見掛ける。
 しかし、高い自転車+カッコイイ装備をしている割に、トロイし、信号無視するし、、、、こいつら一度死んだ方が良いのでは?って思うような奴に出くわす。

 愛想の良い、マナーの良い、ルールを守る人も居るけど、どちらかというと少数派。同じように見える、そう、高級自転車+カッコイイ装備でも信号無視するのは頂けない。格好だけ決めて、遅い上に、信号無視となると、単なるコスプレーヤーだ。

 ぶっちゃけ、自転車は好きだし、ロードバイクもカッコイイと思うけど、上述のような、格好だけで、遅い上に、挑発的、更には信号無視って奴らが目に付きすぎなんで、見た目、同じようなスタイルは避けたくなる。ロードは好きだが、今のロード愛好家と同じに見られたくないという意識の方が強いんで乗れない。

 5/2から5/4迄3日連続で信号無視迄する割にトロクサイ奴ら見掛けたが、、、、少なくとも、3月より前の寒い時は、信号無視ローディは居なかったが、4月以降の自転車日和になると、そういう系が目に付く。まるで、夏場に出てくる単車の暴走族系か、ゴキブリ、蚊のような害虫みたいだ。

 コルナゴが泣きますよ。TREKが悲しみますよ。GIOSってそういうブランドですか?

 そんな風に思うのであるが、、、、見た目派手なピチピチウェアで信号無視なんかしてると、それだけで目立つし、世間の目が自転車乗り全体の低モラルと一括判断しかねないのだが、、、、

 せめて信号無視するんなら、目立たない実用車でやれば良いのに、、、、或いは、一般の格好で無視れば良いのに、、、、わざわざ、『今から目立つ格好で信号無視します!みんな、見て下さい!』って言わんばかりだ。口は悪いが、死ねばよいのに、、、、。

 更に、あんまり、生意気言うのもなんだけど、CRでもジョギングランナー、家族連れが多い、昼下がりの市内遊歩道をアホみたいにスピード出すのも如何なモノか?とも思う。
 スピード出したいならば、誰も居ない時間帯、場所を選んで走れば良いのにとも思う。連休の昼下がり、安近短レジャーで家族連れが集う河川沿いの遊歩道をレーシーな格好で高ケイデンスで走るのは、やっぱりバカに見えるのは言い過ぎか?娘とサイクリングしていると、嬉しげに走ってるGIANT見たけど、これまたアホ丸出しに見える。こういうのも一度死ぬべきである。

 ルールを守るのは当然だが、出来れば、マナー、TPOを弁えて乗るべき。少なくとも、高額な自転車と装備が入手できるだけの立場にある人間。少しは頭を使うべきだ。

 まぁ、ルールも守れない奴らに、マナーやTPOを弁えろという方が酷かもしれない。実際問題、実用に使う学生、主婦の並列走行、携帯電話運転も問題だが、少なくとも、自転車を趣味として付き合っている人間は、自転車の使い方に対する意識を持つべきと思うのは綺麗事だろうか?
 娘に、自転車の乗り方、サイクリングでの注意、街乗りでの注意では、左側走行厳守、押し歩き時は歩行者と同じく右側通行、並進禁止、脇見禁止、速い自転車が来れば左脇に避ける。対向してきた自転車に対しては左に避ける。歩行者優先で、お願いします。吸いません!の声掛けを徹底させているけど、サイクリングから帰る毎に、何故、大人はルールを守らないの?って質問をされる。
 答えるには、世の中は『良い人、悪い人の二種類。悪い人も居るけど、悪いマネをすると悪い人になるぞ!』って説明しかできない。悲しい世の中である。

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折り畳み自転車ブーム!?

 というネタが、広島のローカル新聞記事にも掲載されていた。
 紹介されていたのは、折り畳み自転車でもスポーツタイプと呼ばれる外国製のモノが紹介されており、記事で取り上げられていたのが、

・DAHONのスピードP8
・R&MのBD-1
 折り畳み構造が中折れでない説明
・ブロンプトン
 ホイールベースが長く安定性に優れる割に超コンパクトになる
・アレックスモールトン
 細いパイプワークで剛性と軽量化を両立

って内容で掲載。記事の骨子としては、折り畳みならば電車に持ち込む事が可能で旅先での使用に打ってつけとか、最近は従来のスポーツサイクルユーザーの買い換えとして需要が拡大という記事だ。

 一般には折り畳み自転車ブームっていうのは、既に相当前からの話だが、ローカル新聞では、今の時点でもニュースとして記事になるというのが驚きである。

 果たして、ローカル新聞の記事の意図するところは何か?この記事には、何かが隠されているのだろうか?そこに関心がある。

 普通にブームというならば、折り畳み自転車ブームは数年が経過しているだろうし、スポーツタイプ折り畳み自転車でも相当昔から。
 或いは、この記事には、何か興味深い提案が秘められているだろうか?

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2008年5月 4日 (日)

土師ダムサイクリングターミナル

 連休初日の今日(5/3)、家族で土師ダムサイクリングターミナルに出掛けた。
 エリオに、ベビーバギー、子供のZIT-2020、自分のDAHONを搭載すると目一杯。これ以上は積載不能な状態だが、取り敢えず、自転車が二台搭載できたので、自転車を持って出掛けたのである。これまで、14インチの幼児車+DAHONという組み合わせでは問題なく積載出来たのだが、20インチのジュニアマウンテンとDAHONが同時積載できるとは正直思っていなかったところ。余談だが、次の自家用車も最低でも二台の自転車が搭載できるタイプでないと駄目である。エリオ以上のラゲッジは必須だ。

 それはさておき、土師ダムは既に初夏の様相を呈しており、ほんの二週間前には桜が満開だった気配は感じれない状態。花といえば藤が目立っていた感じ。今日は人が溢れかえっており、さすがにGW連休。家族連れが滅茶苦茶多かった。何時もの土日では、こんなにも人は居ないのだが、、、、

 さて、この湖畔のサイクリングロードを走るのは、実は自分が小学生以来。で、思ったのは、コースメンテナンスが為されているか?っていうと、かなり怪しい。更には、貸し自転車も、あまりにも古い、あまりにも実用車、、、、レジャーとは懸け離れているのが悲しい。整備状態も今一で、レンタサイクルの走行音は、油切れ、整備不完全らしい音が聞こえる。確かに、近場の安価なレジャーなのかもしれないが、折角サイクリングターミナルにやって来ても、レジャー気分は台無しに為らないか?と心配。自転車を持ち込んでいる家族連れというと、幼児車くらい、、、、。まぁ、自分の家族は自転車持ち込みなんで軽快に気持ちよく走れたけど、、、、。
 それはさておき、自分自身は久々、娘にとっては初めての湖畔コース。娘は興奮状態で疲れを忘れたかのように走り回り、コース往復だけでも二往復走行した。片道が3km程であるので、二往復で12kmと結構な距離、5歳の娘は全く疲れを感じていない感じで、驚きである。疲れを感じていないのは、楽しいのもあるだろうけど、自転車の機能を旨い具合に使いこなしている感じである。このところ毎日自転車に乗っているせいか、極論すれば、自分が休日早朝にCRで見掛けるロード乗りの皆さんよりも上手いぐらいに見えるのは、親バカ度が激しいからか?

 今日関心したのは、この20インチのZIT-2020という自転車は身長110cm足らずには若干大きめか?と感じていたのだが、それが傍目に見て自転車が大きすぎるようには見えない状況。これって、乗りこなしてきたのだろう。実際、道具の扱い面にしても、購入当初は変速操作が重すぎて動かせない感じだったのだが、楽々操作しているのには驚きである。嫁が電動アシスト自転車の内装三段変速の意味が理解出来ていないのに対して、5歳児は理解して変速操作を行っている。平地、下り、上りとコンディションに併せて積極的に変速して走っており、平地、下りでは25km/h以上で走るし、5%以上の勾配でも軽いギアを駆使してクルクルと上がっていく感じ。笑えるのは、見た目、ケイデンスで100近くで漕ぐ姿がなんともユーモラス。
 親バカかもしれないが、小学3年くらいになると、24インチクラスのロードレーサーに乗せてみたい気もする。
 子供は、もの覚えが早く、機械の扱いも一気にマスターするし、疲れ知らずの感じ。驚きである。

 その後、帰宅してから団地の一角を約30分みっちり走り回り、未だ元気、、、、。最近は日没が遅いため、午後7時前迄自転車で走り回っている。すると、近所のガキどもが各自自転車を持ち出して、自転車暴走大会が始まる。5歳児は4人いるけど、自転車に乗れるのは娘を入れて二名。他は補助輪付き。上は6歳児が一人、小学3年が二人。更に上級生も居るけど、この小学三年くらいまでが競争状態だが、変速機の使い方をマスターしてからは、小学三年生を従えて走る姿が誇らしげ。思いっきり笑えるのである。

 子供の体力、道具への慣れの速さは驚異的だ。

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2008年5月 3日 (土)

通電式焼結装置

 先日、WC-SiC焼結体を秋田の技術センターが開発した話があったけれど、その新しい焼結体を作成したのが、10年前に話題に上っていた放電焼結式ホットプレス装置によるもの。

 驚いたのは、10年経った今でも、放電焼結って手法で研究会が発足されて研究活動を行っているということ。

 で、この放電焼結装置っていうのは、黒鉛モールドに焼結対象粉体を充填し、上下の黒鉛パンチを電極で挟み込みながら電流を流し、粉体抵抗を利用して発熱昇温させるもの。そのような基本原理を持つ焼結装置の中で特に、焼結初期段階で、通電電流をパルス電流とすることで、焼結粉体粒子間でショートさせて粉体表面の酸化被膜を跳ばし焼結性を高めるという機能を持った装置が放電焼結装置ってもの。

 この放電焼結におけるパルス通電の効果の有無は未だ定かでないのが学会での認識。効果があるといえばあるし、無いと言えば無い。言える事は、酸化被膜の除去に効果があったとしても、最終的な粉体粒子間のネックを成長させて緻密焼結体を得るためのエネルギーに大きな差異が無いということ。
 敢えて、効果を言うならば、通電式焼結装置では、粉体充填度の不均一性から、粒子の接触状況に斑がある場合、選択的に電気が流れ、その部分からの焼結が始まることで、スケールアップの際には焼結斑が生まれやすいという特徴を、初期のパルス通電により粉体抵抗を揃える効果が期待できれば、焼結斑が軽減できるという事か?

 とまぁ、そんな装置なんだが、一番の問題は、発熱が焼結粉体の抵抗値によって決まり、焼結過程における最高温度部位は、黒鉛モールド内部の充填粉体の通電部であり、その温度計測が非常に難しく、不正確という事。
 事実、秋田の技術センターでの焼結温度発表は1650℃とされているが、実質温度はモールド形状にもよるが、1800~1900℃近辺迄上がっていると予測される。

 因みに、WC+SiCという系で1850℃迄温度上昇させて焼結させるというのは、WC単体での焼結が可能な温度でもあり、技術自体には何の目新しさが無いという事にもなる。
 自身、WCをベースにした焼結材料の開発を進めたが、仮に新しい焼結プロセスを謳うならば、通常の焼結装置で正確な測温を施した上で、WC単体では焼結し得ない温度で焼結を進めてやらなければダメだと思うのである。

 それはさておき、そんな温度管理の難しい通電式焼結装置だが、これは発熱に用いる電流の流れ方による特徴から来た欠点である。電気は流れやすい所を集中して流れるが、焼結過程において特定の部位に電流が流れ始めると、その部位を中心に集中的に電気が流れる事で、小さいサイズでも派手な温度勾配が生まれ、測温が困難になる。

 この問題を解決する方法を考えた事がある。その方法は、モールド形状を通常の円筒形状から直方体形状にして直方体形状のX軸、Y軸からも通電用電極で挟み込むというシステムだ。勿論、加圧軸であるZ軸にも通電用電極を有した構造だ。
 この構造は、見た目上からはXYZの三軸から通電可能な構造だ。そして一番の特徴は、通電軸を焼結過程において切り替える事で、電流の通り道を粉体内部で固定化させないという特徴を持つこと。更には、スイッチング周波数を変える事で、別の効果も期待できるのである。この効果は権利に纏わる部分故にオープン出来ないけど、このような通電経路の切り替え式通電焼結装置は一般には存在しない。

 この手の研究から離れて久しいが、偶然、WC+SiCの発見記事を見つけたので、感想を書いてみたりした。

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2008年5月 2日 (金)

血圧と心拍数

 4月という日気温の変わり目での話。最低気温が10[℃]未満、最高気温が20[℃]以下~最低気温が15[℃]、最高気温が25[℃]という気温変動が大きい月での話だが、毎日、定刻通りに血圧測定をしていると、とある傾向があるようだ。

 寒い日っていうのは、血圧は高めだが、心拍数が低めであり、最高血圧が120以上、最低血圧も70前後、心拍数は40台前半という状態だが、暑い日っていうのは血圧が低めで、心拍数が高めという状態になり、最高血圧は105程度、最低血圧は50台前半だが心拍数は50前後という状態となる。

 この冬(昨年の11月)からずっと血圧測定を行ってきたけど、気温が低めでは血圧は若干高めだが心拍数が異様に低い状態で、恐らくこれからの暑くなると血圧が低くなりすぎる感じである。振り返れば、一昨年の夏場にしゃがみ込んで作業して立ち上がって一寸歩いていたら、フッと意識が遠くになりかけたけど、起立性低血圧のような貧血のような症状。

 現状、相当に血圧は低く、心拍数も低くなってしまっているけど、世間の平均からすると相当に懸け離れた状態。そんな状態では逆に、日常生活において寒いと心拍数不足?で心臓止まりそうに思えるし(実際、徐脈、心房ブロックと診断されるし)、一寸暖かくなると低血圧症候群ではないが、立ちくらみ等々が起こる。この起立性低血圧っていうのは、血圧不足で脳に血が回りきらないって状態だから、これも不健全。

 何にでも言える事だが、やりすぎはNG。

 でも、性格的には、ストッパーが掛からないのが、これまたNG。今、運動習慣を無くすって事は考えられないところ。

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2008年5月 1日 (木)

マツダ車

 最近のマツダ車、デザイン的に結構活けてるって思うのは自分だけだろうか?
 自分の購入対象としては見ていないけど、新型のアテンザ(MAZDA6)は結構高級感もあるし、変な飾りも無いし、他のメーカーアイデンティティをぱくった感じがしないのが良い。

 少なくとも、現行クラウン、先代クラウンの日産スカイライン、フーガっぽいデザイン、フォルム、キャラクターに較べると遙かに健全。

 フォードグループの中では優等生のマツダだが、車もキャラクター作りが良い感じがする。先代アテンザ、現行アクセラ、先代デミオでは、変な色気と八方美人的意識のためか、存在感が希薄な感じがしたけど、少なくとも、現行アテンザ、現行デミオではそれが無い。
 マツダを支えているのは実はミニバンかもしれいないが、ミニバンのプレマシー、MPV、SUVのCX-7については、コンセプトが見えにくくキャラ作りが未消化に見えるけど、セダン、コンパクト、スポーツについては悪くない。
 全く的はずれかもしれないが、最近のマツダ車の排気量設定やスペック表示は好感が持てる。新世代直四は2.3Lから始まり(今は2.5L)だが、この度の北米V6も3.7L。マイチェンしたRX-8は公称出力は低い値。こういうのは結構好印象。
 ところで、売れ筋故に外す訳にはいかないのだろうけど、ミニバン、SUVはマツダにとってキャラを活かせるジャンルの車では無いのは間違いない。そういうジャンルに踏みとどまる価値はあるのだろうか?

 そんなマツダ車に対して、トヨタは節操無い感じ。このメーカーはスバルをどうしたいのか?スバルは軽自動車からも完全撤退と言う事。トヨタグループでは軽4はダイハツに資源集中ってことか?トラックは日野だし、、、、スバルってのはトヨタの弱い車好きを引き留めるためのブランド確保って感じで、それ以外は存在価値を認めないとでも言いたげ。

 ユーザーが多く、売れている車っていうとトヨタ車は間違いないけれど、少なくとも、車自体が目的となったユーザーが拘る対象としてはトヨタ車は少数派。トヨタを選ぶのは、ライバル車が存在している分野で、数値比較の結果選んだような結果としての存在ばかり。まるで、何かの陰のような存在だ。
 シルビア好きは居ても、セリカ好きは僅か、GT-RやZ好きが居てもスープラは少数派、パジェロ好きに対するプラドも一緒。メルセデスに対するレクサスもそうだ。
 キャラの本質を作り得ないのがトヨタの弱点だが、恐らく承知だろうし、それ故に、スバル買収って決断をしたんだろう。

 最近のマツダ車を見ていると、スペックよりも重要なのは、コンセプトの有無のように思う。コンセプト自体が模倣を起点とする時点で、機械として性能がいくら優れていてもそこに価値は見えないというのは言い過ぎか?トヨタでもMR-2からMR-Sと続けたモノ、続ければ良いのにとも思うんだけど、駄目だと諦めも早過ぎ。

 さて、我が家の車を買い換えたいというところで、色んなジャンルを無作為に考えているのだが、この中には、トヨタ車もマツダ車も候補にあるのが笑える。

・マツダ車ならば、マイチェン後のRX-8のベーシックグレードの5MT車(6MTは不要)
・トヨタ車ならば、乗用登録のプロボックスの5MT車
・トヨタ系スバル車ならば、レガシーワゴンのカジュアルエディション5MT車
・スズキ車ならば、スイフトスポーツか、出そうで出ない?SX4の5MT車

 ってところ。実用狙いか趣味狙いかは決めかねているが、実用狙いならワゴンボディが必須で、ラゲッジに折り畳み自転車+子供車が搭載可能なモノで出来ればMT希望。
 趣味狙いならラゲッジよりも回転域を自由に扱うことで楽しめる中排気量以下で5MT車。大排気量では遊べる回転域が狭いし、6速の場合も同じ。或る程度の回転幅が各ギアで遊べる感覚が必要ということで敢えて5MT志向。上に挙げた車は、トヨタ車を含めコンセプトがハッキリした車ばかりだと思うのは気のせいか?

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鯉のぼりのサイズ

 もうすぐ子供の日である。
 子供の日といえば、兜に鯉のぼりというのが定番。鯉のぼりというと、自分が小さい時を思い出すと、実家では全長10mクラスの鯉のぼりがあったのを思い出す。鯉のぼりは、竹竿に付けられていたけど、この竹竿も電信柱より高い竿だったように思う。あまりにも大きすぎ?か、この鯉のぼりが風に乗って泳いでいる印象は無く、ぶら下がっていたという記憶しか無い。
 で、最近、鯉のぼりを見るか?っていうと、見るのは、山間部集落の河川を横断するロープに鯉のぼりが付けられているという風景が殆どで、民家で鯉のぼりが飾ってあるっていう風景を見る事は稀である。

 鯉のぼりが飾ってある家も少ないけど、その僅かな家でも鯉のぼりは全長で2m弱というコンパクトサイズが主流のようだ。
 勿論、我が家の鯉のぼりも2mクラスの小型仕様である。一戸建てとは言え、土地も40坪程、庭なんぞ無いようなもの。竹竿立てるスペースも無いし、隣家との間隔も比較的密接しており、実質大きな鯉のぼりを飾ることは不可能である。
 まぁ、仮に飾れる環境があったとしても、その大きさ故に、取り扱いも手間をとりそうなんで、実際は小型のモノで済ませるだろう。

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